カテゴリ分類されていないページ

移動先: 案内検索

101 件目から181 件目までの範囲内で最大 81 件の結果を表示しています。

(前の100件 | 次の100件) (20 | 50 | 100 | 250 | 500 件) を表示

  1. 1973年4月25日(水)国鉄ストの影響で政経学生大会開けず。一文で試験日程発表。
  2. 1973年4月2日(月)入学式。総長団交要求は果たせず新入生と討論集会を持つ。
  3. 1973年4月3日(火)欺瞞に満ちた革マルによる「統一行動」の呼びかけ。
  4. 1973年4月4日(水)16号館で会議中の4.2集会実行委を革マルが襲撃。重軽傷多数。
  5. 1973年4月5日(木)当局は前日の鉄パイプ襲撃を「相互の乱闘」とし、16号館を閉鎖。
  6. 1973年4月6日(金)革マルによる「統一行動」「統一学大」の策動。
  7. 1973年4月9日(月)文学部で授業開始。1年生の語学授業は多くが対話集会に。
  8. 1973年5月
  9. 1973年5月10日(木)商学部学生集会。一文自治委員協議会で総長団交と自治委員選に関して討議。
  10. 1973年5月11日(金) 政経学部学大は学生集会に。教育学部で自治委員総会開催。
  11. 1973年5月12日(土) 早慶闘争報告全都学生交流集会が革マルの妨害により中止に。重軽傷者多数。
  12. 1973年5月14日(月) 法学部の学生集会で総長団交の可否をめぐって討論。一文樋田委員長が革マルに襲われる
  13. 1973年5月15日(火) 全国動員による革マル派の暴力的敵対行動激化。
  14. 1973年5月16日(水) 全学団実委(準)結成。当局は混乱への懸念を理由に総長団交中止を発表。
  15. 1973年5月17日(木) 革マル派に襲われ、機動隊に阻まれ、団実委は身動きとれず。
  16. 1973年5月18日(金) 村井総長が、セクト間抗争と暴力を遺憾とする声明を発表。
  17. 1973年5月19日(土) 革マルの妨害で一文キャンパスに入れず。当面の拠点確保が課題に。
  18. 1973年5月24日(木) 高田馬場駅で情宣中に革マルの襲撃を受ける。
  19. 1973年5月27日(日) 一文執行委、団実委の連名で神宮球場、早慶戦でのビラ撒き。
  20. 1973年5月29日(火) 他大学との共闘を視野に入れたレジュメの出たWAC総会。
  21. 1973年5月2日(水) 一文の学部団交に革マルの妨害。当局は7日の再団交を確約。
  22. 1973年5月30日(水) 教育学部で選挙管理委員会結成。支援の党派と革マルが乱闘。
  23. 1973年5月7日(月) 一文で期末試験開始。学部団交は革マルの妨害により中止。商学部が自治会費を学生会(革マル派)に支払った経緯を釈明。
  24. 1973年5月8日(火) 講義中の村井総長を本部へ連行。5.17団交の確約書を取り付ける。
  25. 1973年5月9日(水)団交を巡る正統性の賛否。一文総長団交実行委を結成。
  26. 1973年6月
  27. 1973年6月11日(月) 一文で選挙・筑波法案・早稲田祭を議題に自治委員総会を開催。
  28. 1973年6月12日(火)法学部三役選挙は民青系が当選。行動委2名は3分の1の支持を獲得。
  29. 1973年6月13日(水)豊島公会堂で「負けるな早稲田大集会」開催。外濠公園まで学外デモ。
  30. 1973年6月14日(木)叛旗派67名、商学部11号館で逮捕される。
  31. 1973年6月21日(木)教育学部、自治会三役改選を公示。一文は当局へ公開質問状。
  32. 1973年6月23日(土)商議員有志が大学当局へ紛争解決を求める建議書を提示
  33. 1973年6月25日(月)一文で2連協会議開催。新2年生30人参加。
  34. 1973年6月28日(木)教育学部、三役公選のための立会演説会に500名参加。
  35. 1973年6月30日(土)革マル系文連総会を粉砕。サ連と新執による早稲田祭実行委結成。
  36. 1973年6月4日(月)革マルと衝突。法学部三役選挙の立会演説会が中止に。
  37. 1973年7月
  38. 1973年7月13日(金)当局の試験強行に対し二連協が試験粉砕中庭集会。革マルの襲撃でちりぢりに。
  39. 1973年7月16日(月)5.17被告2名の第1回公判。
  40. 1973年7月2日(月)学大情宣のためヘルメット着用で一文キャンパスへ。機動隊に阻止される。
  41. 1973年7月5日(木)政経、一文の学大は革マルと当局の妨害によって開催できず。
  42. 1973年7月9日(月)「早稲田解放大集会」に800名結集。支援党派色目立つ。
  43. 1973年9月
  44. 1973年9月16日(日)日本橋三越本店屋上で革マルに襲撃される
  45. 1973年9月17日(月)当局は危険な状態を予想。ロックアウトで始まった新学期第1日目
  46. 1973年9月3日(月)軽犯罪法違反で起訴の5.17被告2人の第2回公判
  47. 973年5月17日(木) 革マル派に襲われ、機動隊に阻まれ、団実委は身動きとれず。
  48. ※図書館裁判闘争※
  49. ◇山よ、早稲田よ
  50. ◇年譜
  51. ◇日記(1971年4月)
  52. ◇活動
  53. 「2Jの級友達の怒りの激しさが、彼の信望を語っていよう」(早大一文中国語担当)
  54. 「あいつは素直に物を考え、自分の足でたしかめて物を言うやつだ」(早大2J)
  55. 「あんなに明るくて、タフでサッパリした川口を殺したやつは許せない」(早大2J)
  56. 「ボサボサの髪に、Gパン、Tシャツ、ゲタの音も高くひびかせながら」(早大2J)
  57. 「大ちゃんの遺志どおりに、一日もはやく暴力のない大学になってほしい」(姉)
  58. 「大ちゃんはいつも明るい元気な、人様に好かれる人間だった」(母)
  59. 「川口君のくやしさ、苦痛を私たち自身のものとして」(早大2J)
  60. 「彼独自の早稲田魂は永遠に都の西北早稲田の杜に生き続ける」(早稲田精神昂揚会)
  61. 「息子を惨殺した犯人へ憎しみをこめて綴る…」(母)
  62. 「悔しいなあ。あんないい奴が死ぬなんて。まだ俺には信じられない」(伊東高校山岳部OB)
  63. 「故川口君の当新聞会活動について」(早稲田学生新聞会)
  64. 「早稲田をこよなく愛し、自ら“早稲田の住人”と称した彼」(早大2J)
  65. 「胸を張って『大三郎は真の男だった』と言える」(母)
  66. それぞれの思い
  67. はじめに
  68. メインページ
  69. 事件の全貌
  70. 今思うこと 第一文学部1年J組 H・T
  71. 仲間たちの思い
  72. 寄せられた記録と記憶、感想
  73. 川口君とJ組のこと 第一文学部2年J組 M・W
  74. 川口大三郎と私 第一文学部2年T組 Y・N
  75. 川口大三郎リンチ殺害事件の全貌
  76. 文字が記憶する川口大三郎
  77. 私にとっての川口君事件 第一文学部1年T組 H・K
  78. 私の回想~会うことのなかったO先輩に捧ぐ 第一文学部1年J組 T・H
  79. )1973年2月13日(火) 一文で総括集会。執行委員会は春休み以降の戦術を提案。
  80. 11・8と14歳 第一文学部1年D組 F・S
  81. 11・8について 第一文学部2年J組 K・F

(前の100件 | 次の100件) (20 | 50 | 100 | 250 | 500 件) を表示