1973年5月15日(火) 全国動員による革マル派の暴力的敵対行動激化。

提供: 19721108
移動先: 案内検索

【概要】

革マル派は全国動員をかけ、本部で500名規模の集会を持った。総長団交を目前にした新執行部、団実委への牽制であり暴力的敵対である。集会は17日まで3日間にわたった。


【一連の暴力行為】

17日の全学総長団交に向け各学部で新執行部を中心に機運が高まる一方で、それを阻止しようとする革マルの暴力的敵対行動も苛烈になってきた。
15日には大学当局が「一連の暴力行為について」と題する告示を掲示。3件の暴力行為を告発した。
1.11日(金)12時半すぎ、政経学部の学生集会を開こうとして8号館に集まっていた集団約80人に対し、革マル派の集団約30人が隠し持っていた鉄パイプで殴りかかり、数人の負傷者を出した。
2.12日(土)18時頃、8号館周辺に散在していた革マル派と思われる者約100人が、突然8号館ラウンジにいた反革マル系の集団に襲いかかり、前日同様に隠し持っていた鉄パイプでこれらの者を乱打し、約10人の負傷者を出した。
3.14日(月)には、11時半頃から20時頃の間に、16号館・14号館周辺、8号館内、23号館前で、特定の学生を狙い打ちする革マル派によると思われる暴力行為が5件発生した。そのため、頭部裂傷・身体打撲などの負傷者が数人出た。
当局は、「このような一連の暴力行為は、日増しに募っているセクト間の抗争によるものであり」として「従来まで最小限の手段で秩序の維持に当たってきたが、このような状況が続くかぎり、これを一層強化することが不可避になると判断せざるをえない」と、警告を発した。
しかしながら、加害者が革マル派であるとする一方で、「暴力行為を行った者は、本学の学生のみであるかどうかも疑わしい」と留保した。また、無差別な一般学生への襲撃であったにもかかわらず、襲われた学生は「反革マル派の集団」「特定の学生」と歪曲して、あたかも党派間の抗争であるかのように偽装した。これは川口君が虐殺された時以来の当局の一貫した論法で、大学の外に「セクト間の抗争」という現象があり、それが学内に持ち込まれたことによって、大学当局もまた被害者であるとすることで責任を回避しつつ、学内の混乱を強調している。
早稲田キャンパス178号の「日誌」によれば、5月に入ってからの学内での暴力行為は次のようである。
5.12 早慶連帯集会。夕刻、革マル派50名が8号館ラウンジに乱入。法商研究棟側の出口より脱出した学生を革マル派別動隊50名が襲撃し、20数名重軽傷。
5.14 法学部学生集会。革マル派8・16・22号館に波状襲撃。一文樋田委員長重傷。
5.15 革マル派本部前において5.15集会。1600名。
5.17 地下鉄早稲田駅に到着した団実委他200名に対し機動隊が暴行を加え、外濠公園まで連行。午後4時頃、大隈講堂前で抗議デモを行った同部隊に対し革マル派は鉄パイプで襲撃し、10数名重軽傷。学外に逃れた行動委に機動隊が襲いかかり7名を逮捕。これを見た学生約1000名が機動隊に投石。
5.18 文学部中庭、第一学館、本部前にいた革マル派学生を社青同解放派が襲撃。十余名重軽傷。
5.24 革マル派20名が高田馬場で情宣中の一文執行委他を襲撃。
5.25 行動委30名、ブント叛旗派80名、社青同解放派90名が本部構内でそれぞれ集会・デモ。


【リンク】