はじめに

提供: 19721108
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1972年11月8日を機に、早稲田大学では川口君虐殺糾弾、自治会再建等を掲げて、自治会を私物化した革マル派、そしてそれを容認し、ある種の暴力装置として利用していた大学当局に対抗する運動が起こった。
自治会を僭称する革マル派が、自治会員である一文2Jの川口大三郎を拉致監禁しリンチで死に至らしめたことが、日頃からクラス討論などで意見を封じられてきた憤りを怒りに変えた。さらに革マル派が、川口大三郎が中核派のスパイだったと事実無根のでっち上げによって自己を正当化するに及んで、怒りの炎は文学部から本部の他学部へと燃え広がった。
「川口君虐殺糾弾」を掲げて闘った中で実際に川口大三郎本人を知っていた人間はほとんどいない。Jの級友だけである。すでに50年の歳月が過ぎてしまったが、川口を知らずに闘った人たちに、彼を知ってほしい。単なる旗印ではなく、血脈の通った人間としての川口を記憶に留めてほしいと思う。
川口の残したものは少ない。
わずかにノートに書かれたメモと日記が精々である。
それでも、そこに川口は息づいている。
さらに、彼の死後、母親のサトさんやお姉さん、級友たちが書いた文章からも川口の姿が見えてくる。
20歳の川口を知ることは、この闘いが自分の人生にどれだけの意味を持っていたのかを、改めて教えてくれることだろう。
なお、原文は「伊東高校山岳部OB会発行の川口大三郎遺稿集」と早稲田大学第一文学部11.8川口大三郎君追悼集編集委員会発行の「声なき絶叫」による。一部表記の修正あり。