1973年5月8日(火) 講義中の村井総長を本部へ連行。5.17団交の確約書を取り付ける。

提供: 19721108
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【概要】

行動委と団実委のメンバーが、理工学部で講義中の村井総長を本部8号館へ連行。6時間に及ぶ押し問答の末、村井総長は5.17に全学団交を開催する趣旨の確約書に署名した。


【この日のできごと】

11:00 理工学部54号館404教室で講義中の村井資長総長を連行。
12:00 8号館301教室で川口君殺害後初めての総長団交が「全学団交実行委準備会」の名で3,000名の学友のもとに行われた。
18:00 「17日に全学再団交を開く」と確約書に署名したため、約6時間で終わった。
◎一文当局は試験を強行(5/7~5/12)


【村井総長との直談判】

1973年5月8日付朝日新聞夕刊は「村井総長を連去る」の4段見出しで次のように報じた。
「8日午前10時半すぎ、東京都新宿区西大久保4丁目早大理工学部54号館404教室で講義をしていた村井資長総長は、突然白覆面姿で押入ってきた学生十数人に取囲まれ、そのまま入口に待たせてあった車で約2キロ離れた同区戸塚町1丁目の同大本部8号館(法学部)前に連行された。
村井総長は同教室で午前10時から化学工業論の講義をしており、受講生は約20人いたが、あっという間の出来事で何もすることができなかった、という。
午前11時すぎ8号館入口前に連れてこられた村井総長は、黒ヘルメット白覆面姿の二人の学生に両腕をかかえられて立たされた。周囲を数十人の学生が取囲み『リンチ殺人事件後なぜ学生の前に出なかったか』『自治会を承認しろ』などと叫んで、雨中の糾弾集会を始めた。その周りをさらに約500人の学生が取巻いた。
教職員が直ちに非常召集され、約50人が成行きを見守ったが、正午前村井総長は学生たちに8号館301教室に連込まれた。
戸塚署は、村井総長を連行したのは反革マル系の各学部行動委員会のメンバーとみている。
なお警視庁機動隊300人が出動、同大南門付近に待機して情勢を見守った。(後略)」
同紙翌5月9日付朝刊。
「川口君リンチ殺人事件から半年目に当たる8日、早大で反革マルの各学部行動委員会のメンバーが講義中の村井総長を連行して開いた“全学総長団交”は、本部8号館301教室に学生約1500人を集めて続けられたが、同午後6時前、村井総長が『17日に全学再団交を開く』と文書で確約したため、約6時間で終った。」
確約書については次のように書かれている。
「午後5時すぎ、学生側は(1)17日正午から記念会堂または安倍球場で再団交を開く(2)総長は自分が出席するほか、他の理事、学部長らに出席するよう働きかける、などを内容とする確約書を書くように要求、村井総長は『時間を3時間に限るなど、ルールを守ってほしい』と条件を出したが入れられず、確約書に署名した。」
村井総長との交渉については5月9日付毎日新聞に次のようにある。
「ハプニング団交の会場となった法学部8号館301教室は、午後2時すぎには約1500人の学生でぎっしり埋まった。学生たちは『川口君の虐殺を招いたのは大学当局が革マルを利用していたため』と総長の責任を追及。さらに機動隊導入、ロックアウトを自己批判せよと迫ったが、村井総長は拒否。学生たちは『革マル派を追放して各学部に生まれた新執行部を、ただちに認めろ』とつめ寄ったが村井総長は応じなかった。」
村井総長に関する記述は毎日新聞に詳しく、午後3時半には医師も待機する状況になったが、村井総長は「これまで文書でしか学生と接触してこなかったことを反省している」として話し合いを続行したこと、また、帰宅後のインタビューでは「教室から連行されたときは、一言も口をきくまいと思っていた。しかし、壇上で学生の顔を見ているうちに考えが変わった。私を連れ出した一部の学生とは違う。川口君の死をきっかけに学園から暴力をなくそうと願いながら、自治会再建のあり方に悩んでいる顔だ。総長として何か答えなければいけないと思った」と、連行時の心境にふれている。


【壇上で用意された確約書】

ようやく実現した村井総長との直接交渉。交渉の結果を明文化するために、加熱した教室の騒音の中、行動委のメンバーの手で確約書が書き上げられた。
「確約書
私は本日の団交をふまえ、より多くの学生とも話し合いたいので、5月17日正午より記念会堂または安倍球場において、全学大衆団交に、全理事、学生部長および各学部長と協議のうえ、あるいは私個人として、必ず出席することをここに確認する。
さらに当日は全学休講とすることを学部長会議で協議、要請する。議長は全学団交実行委員会準備会が決定することとする。
右確約します。
        村井資長
1973年5月8日
全学団交実行委員会準備会代表者殿
更に、当日の団交については、事前に新聞等により、全学生に通知することを確約する。
全学団交実行委員会準備会
     代表 ○○○○
        村井資長」


【団交確約の勝利】

翌日の一文団交委員会のビラには「5.17全学『総長』団交確約の勝利」という見出しで次のようにある。
「5.8『総長』団交がいかなる経過で実現されたかが今は問題なのではない。最も重要なことは、『総長』村井が我々の糾弾のあまりに正統な、それ故に×理的な追求の前に、ついに我々の闘いの正統性を彼の責任において認め、また結集した二千名の学友に対し、それ故にその背景にひかえる早大4万の学友に対し、はっきりと5.17全学『総長』団交を確約したことである。村井『総長』は、あの不幸な11月8日以来半年にわたって我々の前から逃亡しつづけたことを自己批判し、ついに折しも川口君虐殺から半周年にあたる昨日に、全学友の前に登場することを確約書をもって誓ったのである。5月17日、この日こそが我々が待ちに待った、そして我々の闘いがついに克ち取った早大当局との決着を問う日として決定されたのだ。」
5月17日に向けたスケジュールも示された。
5/10 商学部学生大会
5/11 政経学部学生大会
5/12 全都交流集会(慶應大その他)
5/14 法学部学生大会
5/15 全学総決起集会
5/17 全学「総長」団交(記念会堂)


【リンク】

5.17全学総長団交勝利・1文実行委員会形成の呼びかけ
諸君!事態は新聞で見たとおりだ!
1文哲学科4年 クラ討報告
総長団交への大衆的展開こそが全てである
総長確認書