1973年5月30日(水) 教育学部で選挙管理委員会結成。支援の党派と革マルが乱闘。

提供: 19721108
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【概要】

教育学部の選挙管理委員会の支援に反帝学評と戦旗が登場。武装した革マルと乱闘になった。24クラスの選挙管理委員の参加により委員会は結成された。


【この日のできごと】

◎教育学部、第1回選挙管理委員会支援のため、反帝学評と戦旗派デモ、集会。
■革マル100名第一学館から武装して、4号館前で対決し20分間の乱闘となり、撃退される。
◎サ連を中心に「73年早稲田祭実行委員会準備会」を結成、一文、二文、政経、教各執行部が参加。


【教育の選挙管理委員会】

この日、16号館で予定されていた教育学部の選挙管理委員会には、反帝学評、戦旗派などの党派が支援のため本部に登場し、革マルと乱闘となった。その模様を早稲田キャンパス179号は次のように伝えている。
「教育学部の選挙管理委員会が5月30日、16号館508教室で24クラスの選挙管理委員の参加で結成された。(正式発足は6月2日、35クラス)この教育選挙管理委員会支援のため、社青同解放派の学生約80名と共産同戦旗派の学生約40名が、大学構内に入りデモ、集会を行った。午後2時10分、革マル派約100名が第一学館から竹ザオで武装して本部構内に入り、4号館付近で解放派、戦旗派の学生と対立した。しかし、解放派、戦旗派の学生は、鉄パイプを使って反撃し、撃退した。この時、逃げ遅れた革マル派6名が重傷を負った。ほとんど非武装のままで進められてきた早大解放運動が、革マル派の鉄パイプ襲撃により、一定の後退を強いられている現在、解放派、共産同叛旗派、戦旗派、革共同中核派などが早大解放運動支援の行動を行い、早大に登場する傾向にある。しかし、全国党派である革マル派を相手に、個別早稲田のみでの運動には限界があるからといった安易な「視点」からでなく、全都全国の自党派学生を早稲田に導入し、早稲田を武装制圧せざるを得なくなった革マル派と、政治権力の大学管理法や、その中教審路線を通じて大学当局を管理し、その管理に従う当局を敵としている限り、運動の突き出している本質は全国的問題なのであるから、そのような視点での他大学自治会等諸団体との連携をどのように行い運動を進めるか、また、早大解放運動を担う側の武装について、今後問題にしてゆかなければならないだろう。それからの問題はあくまでも大衆的に討議し、決定してゆかなければならないことは言うまでもない。」(一部表記修正)
これに先立つ25日には、反帝学評と叛旗150名が16号館、14号館に入り、通路の鉄扉を破壊する、空き教室を占拠するなどしたため、教育学部当局は休講措置をとった。その時の声明には「このような狂気じみた行動は、多くの当学部学生諸君とはまったく何の関係もないものである」と断じた。25日につづく事態だけに、31日の声明は子細を極めた内容になった。
「再び学生諸君へ
昨5月30日、他大学の学生および組織労働者と思われる約100名の完全武装した集団(青ヘル、赤ヘル)が学内に入り、4号館2階にバリケードを築いて占拠し、また不法にも学内を徘徊して授業を妨害した。
12時前『教育学部自治会執行委員会』委員長永井友則君から電話にて、『本日午後2時より107教室で予定されている選挙管理委員会を、都合により501教室に変更し、借用したい』旨の申し入れがあった。学部は、まず107教室の借用願いが出ていないこと、さらに数日前に書類にて提出しなければならない教室使用願いが、電話にて当日申し出られたことについて厳重な注意を行った。しかし学部はそれなりに誠意を示すことにし、501教室で行われるよていの授業を他教室に移し、授業を妨害しないこと、混乱を惹き起こさないことを条件にして、この教室の使用を許可することにした。委員長永井友則君は、この条件を守ることを約束したにもかかわらず、諸君がみられたごとく、彼らは学部の誠意を完全に踏みにじり、5階への階段にバリケードを築き、5階の全教室の使用を不能にした。さらに行動委を含む他大学の学生らしいものが、使用許可していない502A教室に、武器らしいものを持って閉じこもり、扉を押さえてゼミの学生を追い返し、これに抗議した教職員に対しても『自主管理して何が悪い』などといって押し返した。この時すでに第3時限目の授業が始まっていたが、学部は『革マルと青ヘル・赤ヘルの連合集団が本部構内の4号館、11号館付近で衝突し、多数の負傷者が出た』という報に接し、急遽16号館のすべての授業の休講措置をとることにした。これは多くの学生諸君が混乱に巻き込まれないための配慮からであった。このため、過日25日と同様に、学生諸君に多大の迷惑をかけたことを深くお詫びするものである。(以下略)
昭和48年5月31日     教育学部」
また、1973年5月31日付朝日新聞には「革マル派と反革マル学生を支援する反帝学評、ブンド戦旗派など学外セクトの衝突があり~」と報じられ、その見出しは「学外セクトが衝突」であった。


【リンク】

5/30革マルを早稲田で撃滅