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- 1973年6月21日(木)教育学部、自治会三役改選を公示。一文は当局へ公開質問状。
- 1973年6月23日(土)商議員有志が大学当局へ紛争解決を求める建議書を提示
- 1973年6月25日(月)一文で2連協会議開催。新2年生30人参加。
- 1973年6月25日(月)一文で二連協会議開催。新2年生30人参加。
- 1973年6月28日(木)教育学部、三役公選のための立会演説会に500名参加。
- 1973年6月30日(土)革マル系文連総会を粉砕。サ連と新執による早稲田祭実行委結成。
- 1973年6月4日(月)革マルと衝突。法学部三役選挙の立会演説会が中止に。
- 1973年7月
- 1973年7月13日(金)当局の試験強行に対し二連協が試験粉砕中庭集会。革マルの襲撃でちりぢりに。
- 1973年7月16日(月)5.17被告2名の第1回公判。
- 1973年7月2日(月)学大情宣のためヘルメット着用で一文キャンパスへ。機動隊に阻止される。
- 1973年7月5日(木)政経、一文の学大は革マルと当局の妨害によって開催できず。
- 1973年7月5日(木)政経、一文の学生大会は革マルと当局の妨害によって開催できず。
- 1973年7月9日(月)「早稲田解放大集会」に800名結集。支援党派色目立つ。
- 1973年9月
- 1973年9月16日(日)日本橋三越本店屋上で革マルに襲撃される
- 1973年9月17日(月)当局は危険な状態を予想。ロックアウトで始まった新学期第1日目
- 1973年9月3日(月)軽犯罪法違反で起訴の5.17被告2人の第2回公判
- 973年5月17日(木) 革マル派に襲われ、機動隊に阻まれ、団実委は身動きとれず。
- ※図書館裁判闘争※
- ◇山よ、早稲田よ
- ◇年譜
- ◇日記(1971年4月)
- ◇活動
- 「2Jの級友達の怒りの激しさが、彼の信望を語っていよう」(早大一文中国語担当)
- 「あいつは素直に物を考え、自分の足でたしかめて物を言うやつだ」(早大2J)
- 「あんなに明るくて、タフでサッパリした川口を殺したやつは許せない」(早大2J)
- 「ボサボサの髪に、Gパン、Tシャツ、ゲタの音も高くひびかせながら」(早大2J)
- 「大ちゃんの遺志どおりに、一日もはやく暴力のない大学になってほしい」(姉)
- 「大ちゃんはいつも明るい元気な、人様に好かれる人間だった」(母)
- 「川口君のくやしさ、苦痛を私たち自身のものとして」(早大2J)
- 「彼独自の早稲田魂は永遠に都の西北早稲田の杜に生き続ける」(早稲田精神昂揚会)
- 「息子を惨殺した犯人へ憎しみをこめて綴る…」(母)
- 「悔しいなあ。あんないい奴が死ぬなんて。まだ俺には信じられない」(伊東高校山岳部OB)
- 「故川口君の当新聞会活動について」(早稲田学生新聞会)
- 「早稲田をこよなく愛し、自ら“早稲田の住人”と称した彼」(早大2J)
- 「胸を張って『大三郎は真の男だった』と言える」(母)
- それぞれの思い
- はじめに
- メインページ
- 事件の全貌
- 今思うこと 第一文学部1年J組 H・T
- 仲間たちの思い
- 寄せられた記録と記憶、感想
- 川口君とJ組のこと 第一文学部2年J組 M・W
- 川口大三郎と私 第一文学部2年T組 Y・N
- 川口大三郎リンチ殺害事件の全貌
- 文字が記憶する川口大三郎
- 私にとっての川口君事件 第一文学部1年T組 H・K
- 私の回想~会うことのなかったO先輩に捧ぐ 第一文学部1年J組 T・H