「文字が記憶する川口大三郎」の版間の差分
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Ad19721107 (トーク | 投稿記録) (ページの作成:「 はじめに ●川口大三郎の思い● ◇山よ、早稲田よ ◇日記(1971年4月) ◇活動 ::早慶戦観戦記 ::早稲田原理研...」) |
(相違点なし)
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2021年11月29日 (月) 09:58時点における版
●川口大三郎の思い●
- 早慶戦観戦記
- 早稲田原理研の修練会に参加して
- 地方文化研究部発起
- コンパのお知らせ
●川口大三郎を語る●
- 「大ちゃんはいつも明るい元気な、人様に好かれる人間だった」(母)
- 「胸を張って『大三郎は真の男だった』と言える」(母)
- 「息子を惨殺した犯人へ憎しみをこめて綴る…」(母)
- 「大ちゃんの遺志どおりに、一日もはやく暴力のない大学になってほしい」(姉)
- 「悔しいなあ。あんないい奴が死ぬなんて。まだ俺には信じられない」(伊東高校山岳部OB)
- 「早稲田をこよなく愛し、自ら“早稲田の住人”と称した彼」(早大2J)
- 「あんなに明るくて、タフでサッパリした川口を殺したやつは許せない」(早大2J)
- 「ボサボサの髪に、Gパン、Tシャツ、ゲタの音も高くひびかせながら」(早大2J)
- 「あいつは素直に物を考え、自分の足でたしかめて物を言うやつだ」(早大2J)
- 「川口君のくやしさ、苦痛を私たち自身のものとして」(早大2J)
- 「2Jの級友達の怒りの激しさが、彼の信望を語っていよう」(早大一文中国語担当)
- 「彼独自の早稲田魂は永遠に都の西北早稲田の杜に生き続ける」(早稲田精神昂揚会)
- 「故川口君の当新聞会活動について」(早稲田学生新聞会)