1973年3月6日(火) 教育学生大会で4月22日までの長期ストライキを決議。

提供: 19721108
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【概要】

入試期間中のロックアウトが解除されたこの日、教育学部では学生大会が開かれた。当局による自治会承認をほぼ克ち取ったとして、ストライキを解除し新年度へ向けての運動転換を提起した常任委員会の議案書に対し、同じ常任委員会の有志による対案書他2案が提出され、討論が白熱した。最終的には常任委員会有志による4月22日までの長期ストライキ案が決議された。また、卒業を間近にした4年生への支援として「自主レポート闘争」を決議した。

【この日のできごと】

◎教育学部学生大会。4/22までのストライキ案を採択。


【教育学部の自治会をめぐる動き】

教育学部では、革マル派(16号館)と民青(8号館)がそれぞれに自治会を僭称していた。1972年10月に行われた自主投票により16号館自治会が信任を得ると、学部当局はこれを承諾することを決定した。まさにその決定が下されたのが11月8日で、翌日の川口君虐殺事件発覚によって発表は見合わされた。事件の経緯が明らかになると、学部当局は、自治会の承認は有効としたが、松本委員長の執行部(革マル派)は否認するとの結論を下した。
1972年6月から1973年3月までの教育学部における自治会をめぐる動きはおおよそ以下の通りである。
1972年
6.20 16号館自治会(革マル)※1 が学部長と教務副主任を拘束。
8.21 学部当局が信任投票を求める見解を発表。
9.26 学部当局が信任投票の詳細を提示。
10月… 16号館自治会が投票管理実行委員会を設置して自主投票を実施。結果は投票総数2700余、信任票2200余であった。※2
11.8 学部当局は16号館地下の「教育学部学生自治会(松本委員長)」を学生を代表する組織として承認することを決定。
11.9~ 川口君虐殺事件発覚。学部当局は専任教員会を開き、自治会承認の発表について討議。決定は決定として、発表については見合わせることとした。その後、事態の究明にともない、松本委員長の執行部は否認するという結論に達した。
11.17 大学当局による11.17告示。
… 8号館自治会が公開質問状※3 を提示。同じく8号館の教育学部サークル協議会が教職員学生懇談会の開催を要望した。
… 教育学部討論会が開かれる。
11.27 学部当局と8号館サークル協議会の懇親会開催。
11.29 ロックアウト。22号館301教室で学生大会。参加1570人。臨執36人を選出。
… 学部当局は専任教員会において臨時執行部の活動を見守る立場に立つことを決定。
12.1 臨時執行部から学部当局へ六項目要求。
12.6 クラス委員総会(参加126人)により常任委員会(永井友則委員長)選出(新執行部13名)。学部当局に対し、常任委員会の承認を含む四項目要求を提示。
12.9 新執行部とクラス委員は、在校生全員に、常任委員会声明および活動提起等を郵送した。
1973年
1.13 教職員学生懇談会において、六項目要求および四項目要求への回答ならびに自治会承認について話し合われた。18日開催予定の学部集会への出席要請に対し、学部当局は、学内外の不穏な動きの中で集会の開催そのものに問題があるとして応じなかった。
1.18 学生集会に出席を求められた教授4人がこれに応じた。
1.20 ロックアウト。クラス委員総会開けず抗議集会へ。
1.22  クラス委員総会。10日間ストライキが提起されたが過半数の賛同を得られず、学生大会へ持ち越し。
1.23 専任教員会が、「常任委員会(永井友則委員長)を自治会問題を話し合う唯一の代表として認める」ことを決定。
1.24 学部団交に榎本、伊藤の学生担当が出席。自治会承認、試験中止、再団交開催等の確約書へはサインしなかった。
1.25 学生大会で10日間ストを決議。※4 新規約承認。
1.26 ピケスト体制。ストライキ実行委員会結成。
2.1 クラス委員総会。再度の波状ストを決議。
2.2 再団交。榎本学生担当教務主任が2月5日~10日までの間に大衆団交を開催する方向で努力する旨を確約。
2.3 学生大会で2月4日までの10日間ストライキに続き5日から10日までのストライキ続行を決議。
2.9 学部当局が六項目要求および四項目要求に応える見解を発表。
2.10 学部団交。川副学部長をはじめ教職員40余名が出席。常任委、スト実委、行動委それぞれの主張によって議事は混乱。
2.12 学部当局は試験日程を3月6日に発表すると告示。
2.14 ストライキ打ち切りを主張する4年生有志等が主体となって学生大会を開催しようとしたが、定足数に足りず流会となる。そうした 混乱の中14日までのストをさらに17日まで延期する決定がされた。
2.15 教職員学生懇談会で8号館サークル協議会がサークル協議会規約を提案。
2.17 学部当局に対して4年生討論集会が、66名の連署で自治会の即時承認、いかなる場合においても教員免許状、卒業を保証せよとの要求書を提出。
2.22 学部当局は在校生に見解を郵送。
3.6 ロックアウト解除。学部当局が学年末試験日程を発表。学生大会で4月22日までのストならびに4年生の卒業に向けた「自主レポート闘争」を決議。
3.7 学部当局は、スト決定に対し告示で、400余名の賛成が総意を反映していると言えるか疑問であると、決定の再考を促した。
… 4年生の動き活発化し、学生大会開催要求の署名運動起こる。
… 8日、9日には榎本学生担当教務主任、9日には伊藤学生担当副主任、10日には川副学部長がそれぞれ学生との折衝に当たったが、「試験強行路線粉砕」の強硬な主張の前に、学年末試験をレポートに切り替えることとなった。
3.16 常任委員2名が辞任。クラス委員総会で改選される。
3.25 教育学部は、卒業判定の遅れにより卒業式は不参加。※5
3.30 卒業証書、教員免許状の授与。


※1 教育学部には、16号館地下を中心に活動していた革マル派自治会と8号館地下に自治会室を持っていた民青系自治会があった。当局は教職員学生懇談会を設け、話し合いの場を持っていた。
※2 8号館自治会は「信任投票は当局への屈服である」として「全学生による学生自治会の創造」を提起した。
※3 リンチ殺人事件に対する学部の見解、村井総長の責任追及を求めるとともに、16号館地下の運営管理権を要求。
※4 常任委員会の原案は3日間ストで、10日間ストは対案として提出された。
※5 第一・第二政経学部も判定が遅れ、卒業式は不参加。その人数は両学部で2502人となった。
資料1:『昭和48年6月12日 教育学部学生諸君へ~自治会承認問題の経緯について~』早稲田大学教育学部
資料2:『11月8日から~早大・教育新入生歓迎パンフレット』早稲田大学教育学部学生自治会

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