1973年11月8日(木) 川口君一周忌。大学当局は全学ロックアウト

提供: 19721108
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【概要】

◎当局は全学ロックアウトを強行。
◎当局の許可のもと、革マルは大隈講堂前で「川口君追悼集会」を開催。主催は全学中央自治会。
◎各学部自治会執行部と行動委は追悼集会を行おうとするも機動隊と衝突。外堀公園まで数回強制連行される。
◎法学部自治会他の学生たち600人が新宿区体育館で集会を開き「暴力追放」などを決議。
◎早大サークル連合(原理研)主催の追悼集会が新宿区百人町の三福会館で行われ、母親サトさんが参加。


【一周忌の追悼集会】

「8日、早稲田大学では午前中から各派の追悼集会が開かれた。内ゲバを恐れた大学当局はこの日全学をロックアウトしたが、集会は大隈講堂をはじめ大学周辺で開かれ、機動隊員600人が警戒した。」(1973年11月8日付夕刊毎日新聞)
早稲田キャンパス185号には次のようにある。
●革マル派が大隈講堂前で追悼集会
さて11月8日は早朝からの機動隊による厳戒体制の下に始まり、8時過ぎから大隈講堂前に結集した革マル派を取り囲むようにして、また大学周辺やその交差点、また地下鉄出口などに、機動隊・装甲車が配置された。革マル派は当日大学構内で『川口君追悼』集会を行なう予定であったが、ロックアウトのため大隈講堂前での集会を申請し、当局はその申請許可を下ろしており、革マル派は約500名でそこでの集会・デモを繰り返した。
●機動隊の規制で外堀公園へ
一方自治会系では、当局のロックアウトに抗議し、〈川口君追悼集会〉を行なおうとする学生千余名が早大正門前通りに集まり、集会・デモが行なわれ、早大周辺から学生を排除しようと規制する機動隊と学生との間に投石・衝突があり、多くの学生が四ツ谷駅前の外堀公園まで規制・連行された。
●外堀公園の集会
外堀公園では集会が行なわれ、教育・政経・一文自治会等からの発言を受けたのち、『再度早稲田に進撃し、我々の手で川口君追悼集会を』との呼びかけの下にデモ隊列が組まれ、公園の出口を固める機動隊と激しく衝突した。
●箱根山の集会
箱根山では一文自治会(有志)の呼びかけで第四インターを含む約400名の学生が4時頃から集会を行ない、その後高田馬場駅近くの公園まで、川口君の遺影を先頭にデモが行なわれ、途中文学部正門前で献花がなされた。

【川口サトさんの言葉】

川口君の母親サトさんは、新宿区新大久保の三福会館で午後3時半から開かれた早大サークル連合(早稲田精神昂揚会、早稲田学生新聞他)が主催する追悼式に出席した。
席上サトさんは約500人の参加者に向かって「大学の大隈講堂で式をしたかった。きょう一日だけでもセクト間の争いがやめられたら…」と語った。さらに「母親の悲しみを繰り返したくない」という願いを込めて計画中のセミナーハウスにふれ、神奈川県藤沢市に総工費6000万円で建設を計画しており、4700万円の寄付を得ていること、また、大学からの見舞金500万円を元に早大サークル連合会と協力して作るもので、学生たちの「いこいの家」にしたいと述べた。
集会後には「大三郎は早稲田を自由な学校にしようと願いながら殺されたのに、1年たったいまでも暴力が絶えない。そのうえ息子を殺した革マル派が自分の宣伝に集会を開くなど許せないことばかり。暴力はたくさんです」とコメントした。(1973年11月9日付毎日新聞、同読売新聞)

【加害者革マルによる追悼】

この日、当局の許可を得て大隈講堂前の集会を開いた革マルは、追悼集会を開くについて次のような主張を明らかにした。(1973年11月8日付毎日新聞)
「川口君の死を深く反省し、直ちに自己批判したわれわれこそ追悼の資格があり、川口君の死を利用する他セクトの追悼集会を否定するためにも開く。」(井上精人早大全中自執行委員)

【新聞による分析】

1973年11月8日付毎日新聞は、一周忌を迎えた早稲田の状況を次のように書いた。
「『革マル追放』『ものが自由にいえる新しい自治会を』--革マルのリンチ殺人事件に怒り、キャンパスをゆるがす喚声と拍手でスタートしたこの運動は、完全に破産したようだ。大学当局の公認を得た新自治会は一つもなく、革マル系の商学部、民青系の法学部両自治会が前の形で残っているだけ。」
破産の原因としては「戦術をめぐって分裂、過激派セクトとシンパは武闘に走った。革マル派はこのはみ出した部分を徹底的にたたいた」とする。この部分には革マル追及の中心人物だったA君の「革マルのテロ、リンチはノンポリにまで及び、革マル追及に少しでもかかわった者は大学に来られなくなった」というコメントが続く。
「全学的には革マル派が完全に勢力を盛り返し再び地盤を築いたことを大学当局も認めている」とあることから「革マル追放」「新自治会建設」を中心にした運動の「破産」という表現が導き出されたことが推測される。

【大学周辺では】

革マルとそれに対抗する学生、そして規制する機動隊と、大学周辺は騒然とした空気に包まれた。すでに前日7日には新宿区教育委員会から「危険が予想される学校は校長の判断で授業を打ち切ってもよい」という通達がされており、戸塚第一、戸塚第二、西戸山の各小学校は午前中で授業を打ち切り、早稲田小、西戸山中でも午後の授業の一部を打ち切った。早大正門近くの鶴巻小では、学校の要請で迎えに来た親に防空頭巾をかぶせられる子供もいた。(1973年11月9日付毎日新聞)


【リンク】

11・8本部前集会を貫徹しよう 自治会ニュース
11.8川口君虐殺1周忌追悼集会を早大全学・全国学友の総決起でかちとろう