1973年11月22日(木) 機動隊警戒のもと早稲田祭開催。散発的に反対行動発生

提供: 19721108
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【概要】

第20回早稲田祭「現代―この腐朽せるものに変革の斧を!」308サークルが参加(主催者発表)。訪れる学生はまばら。実行委側の準備も遅れ、雰囲気はいま一つ盛り上がらない。


【22~26日、早稲田祭開催される】

「恒例の早稲田祭が、11月22日から26日まで5日間の期間で開催された。この間、若干の波乱が見られたが、早稲田祭は技術的運営上、一応成功裡に終わったと言ってもよかろう。」(早稲田キャンパス185号)
●1973年11月22日付朝日新聞夕刊
「厳戒の中、早稲田祭始まる―学生の姿まばら 機動隊300人」「主催者の早稲田祭実行委員会の発表では、今回参加したサークルは308団体。しかし『実行委が革マル派に支配されている』とする反革マル派は『革マル祭は許せず、参加も約200団体にすぎない』として粉砕を叫んでいた。こうした背景を検討した結果、大学当局は10月12日の理事会で『大学祭終了後、収支決算を全学生に公表する』など5項目の条件付きで実行委の開催を認めた。22日朝、本部キャンパスには各サークルの看板や出店などが並び、音楽も流れたが、訪れる学生はまばら。20日午後、反革マル派が図書館前広場で看板に火をつける騒ぎもあって実行委側の準備も遅れ、ふん囲気はいま一つ盛り上がらなかった。正午ごろ、本部正門前に法学部自治会学生ら約100人が集まり、『川口君虐殺事件を思い出そう』と演説をはじめた。実行委側がこれを止めようとしてはげしい口論になり、一瞬緊張した。学生らは『オリの(編注:革マル監視下の)早稲田祭はボイコットする』と気勢をあげ、実行委側とにらみあいを続けた。」
●1973年11月22日付毎日新聞夕刊
「厳戒の中“早稲田祭”開く」「開催をめぐって学生の対立が続いていた『早稲田祭』が22日から東京・新宿の同大学で始まった。ことしで20回目を迎える『早稲田祭』は、主催者の実行委員会が革マル系のため『リンチ・セクトの祭典を許すな』という反革マル派学生の反対が強く、一時は開催が危ぶまれていた。例年より3週間遅れて開催が決まったあとも学内では反対派のデモや集会が続き、警視庁はこの日、機動隊員ら300人で警戒に当たった。午前中は学生の姿もまばらだった。」
●1973年11月24日付毎日新聞
「“早稲田祭”の中、乱暴」「23日午後2時10分ごろ、東京新宿区戸塚町の早大正門から鉄パイプを持った学生約50人が乱入、前日から開かれている“早稲田祭”の立看板2枚を壊したあと、キャンパスを走り抜け、正門と反対側の西門近くでプログラムを売っていた学生3人を鉄パイプで殴って、1週間から10日のケガをさせて逃げた。そのうち3人は間もなく警戒中の戸塚署員らに暴力行為などの現行犯で逮捕されたが、“早稲田祭”に来ていた約4500人の見学者は騒ぎをア然と見守っていた。戸塚署では、革マル派の実行委員会に対する反革マル派の妨害とみている。また同2時半ごろ、同大近くの早稲田通りで煙が出ているボストンバッグが見つかり、同署は爆発物の恐れもあるとして警視庁爆発物処理班に連絡、現場近くの交通を約30分しゃ断して撤収した。24日、中身を検査する。」
これについては11月27日付朝日新聞に次のような後追い記事が出た。
「早大内ゲバで捜査」「早稲田祭をめぐる内ゲバ事件を捜査している警視庁公安部は27日朝、反帝学評の事務所の東京都渋谷区道玄坂2丁目、阿部ビル内『教育学園ジャーナル社』、同『現代社』の2カ所を凶器準備集合、建造物不法侵入、暴力行為の疑いで捜査、鉄パイプなど39点を押収した。容疑は、23日午後2時すぎ『早稲田祭粉砕』をねらう反帝学評系の活動家約50人が鉄パイプで武装、新宿区戸塚町の早大本部構内に突入して、革マル系の早稲田祭実行委員数人に暴行を加えた疑い。」
●1973年11月24日付朝日新聞
「火炎ビン11本 大学祭の早大で見つかる」「24日午前7時ごろ、東京都新宿区戸塚町、早稲田大学本部3号館4階読書室の入り口付近で、ビニール製黒ボストンバッグと紙袋の中に火炎ビン11本が入れてあるのを大学職員がみつけ、戸塚署に届けた。早大では22日から早稲田祭が始まっている。」
●1973年11月26日付朝日新聞
「大隈講堂でボヤ 早稲田祭に反革マル派いやがらせ」「25日午後3時10分ごろ、東京都新宿区戸塚町、早稲田大学大隈講堂で、早稲田祭の行事としてニューオルリンズ・ジャズクラブが演奏をしていたところ、演壇に向かって後ろから2、3列目の座席付近に置いてあった段ボール箱が突然、燃え始めた。約200人の聴衆がすぐ気付いたので、イス5、6個をこがしただけで消しとめた。段ボールは縦29センチ、横22センチ、奥行き9センチ。中にガソリンか灯油をしみこませたボロ布が入れられ、ハトロン紙の導火線がつけられて包装されていた。講堂左側の後部座席付近にも同じ箱が2個置いてあり、戸塚署は早稲田祭を『革マル祭』と批判する反革マル学生のいやがらせとみている。この騒ぎで演奏会は中止された。」


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