1973年11月20日(火) 政経・教育・行動委が本部で集会。「早稲田祭中止」を訴える

提供: 19721108
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【概要】

政経と教育自治会100名は正門前通りをデモ行進し機動隊と対峙。図書館前では行動委に叛旗、戦旗が加わり、構内にあった革マル派の早稲田祭の大看板など約10枚を次々に壊し、図書館前広場に積み上げ火をつけた。この間、一般学生も1000人以上が集まって成行きを見守った


【図書館占拠翌朝】

図書館占拠の翌朝、本部構内は騒然とした様相を呈した。早稲田キャンパス185号の記事を追うと次のようになる。なお、当初の計画では、図書館占拠に呼応する形で集会が予定されていたという。
●革マル
20日午前10時頃から、革マル派学生百余名は、学内で集会・デモを始め、その後昼過ぎ頃11号館へたてこもった模様であった。
●行動委系
教育学部自治会を中心とした行動委系学生は、1時頃から大隈講堂前に結集し始め、2時頃、約70名がデモ隊列を作り、正門から構内に突入し、銅像前で集会を行ったり、『早稲田解放、革マル粉砕』をさけんでデモを行ったりした。この集会では主に、革マル早稲田祭への批判及び不参加の態度表明や、前日の図書館占拠学生に対しての不当逮捕糾弾や、当局の自治会不承認・革マル早稲田祭承認に対する態度糾弾が為された。
●法学部自治会・民青系
法学部自治会、民青系を中心とする学生は、正午頃から8号館で集会を開き、その後、文学部構内へデモ隊列を組んで移動した。文学部で設けられた集会は、多数の一般学生を含んで行われ、約1500名の数に達した。
●行動委系
2時頃、正門を通過した行動委系学生が銅像前で集会を開くのと機を一にして、文学部での集会を終えた学生はデモ隊列を組んで南門から本部構内にはいり、学内は集会やデモ隊、それを傍観する一般学生などで騒然とした。
●当局
この間、当局は『授業のさまたげになる』として『デモ集会の学生解散、一般学生の傍観禁止』する旨の学内放送を再三流したが、事態はさらに流動化した。
●行動委系+叛旗+戦旗
図書館前では、行動委系の学生に叛旗派、戦旗派学生も加わって、革マル系のタテ看を破壊、放火した。
●政経+教育
一方、政経自治会を中心としたデモ隊列は、教育自治会を中心とした行動委系学生と合流し、約百余名で正門から学外へ出て正門前通りをデモした。
●機動隊
午後3時過ぎ、機動隊はデモ隊を『規制』にかかったため学生と衝突、デモ隊は解散させられて、騒然とした事態は自然に解消していった。
以上の記述の最後に早稲田キャンパス185号はこの事態を「早稲田祭に焦点を合わせて引き起こされたものである」とし「早稲田における自治会・文化団体連合会を基盤とした革マル派の制度的在り方に対する疑問は、急速にその輪を拡大」し、その流れの中において「11.8以来、一連の流動過程は数多くの衝突を経、夏期休暇以来、学内には再び表面的平静が支配的となった。19、20両日は突発的ではあるが、昨年以来の流動の一環として位置するものである」とした。
毎日新聞は次のように報じた。
「早稲田祭前に反対派が暴れる--22日からの『早稲田祭』の開催をめぐって学生の対立が続いている早大で20日午後、早稲田祭に反対する学生二派が集会を開き、一部は革マル派の立看板を燃やすなどして暴れ、学生4人が逮捕された。同日正午すぎ、学生約500人が本部前に集まり『革マルが主催する早稲田祭を大学当局は中止せよ』と叫んでデモ行進した。一方、これとは別に午後3時半ごろ、反革マル派約60人が図書館や本部校舎のガラス窓をたたき割ったり、革マル派が立てた早稲田祭の立看板に火をつけるなどして気勢を揚げた。このあと学外に出て、警戒していた機動隊と小ぜり合いとなり、学生3人が公務執行妨害で逮捕、また、5月8日、村井資長総長を強制的に学生の集会に連れ出し手配されていた政経学部2年生、A(当時19歳)も逮捕された。」(1973年11月21日付毎日新聞)


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