1973年11月19日(月)「早稲田祭中止」と「全学総長団交の再開」を呼びかけ図書館占拠。14人逮捕

提供: 19721108
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【概要】

午後8時過ぎ、トラックで乗り付けた14人が図書館に入り中から封鎖、「早稲田祭中止」と「総長団交実施」を求めて抗議活動を展開した。しかし、大学当局は機動隊を要請。午後11時過ぎ、14人は不退去罪で逮捕された。


【11月19日午後8時】

早稲田キャンパス新聞185号は次のように報じた。
「11月19日夜8時頃、行動委系学生14名が、本部構内の図書館に突入、占拠した。図書館の内側から鍵をかけ閉じ込もってアジテーションをしたり、蔵書を投げるなどして抗議した。図書館占拠という手段に訴えた要求項目は、『虐殺者の祭典・早稲田祭を即時中止せよ!』『早大当局者・村井総長は、5.17団交からの逃亡を自己批判しただちに全学団交に出席せよ!』である。大学当局は、同夜11時頃一部学生が図書館を不法占拠したとの理由により、機動隊の出動を要請、結局、図書館を占拠した学生は、14名全員、『不退去罪』で逮捕された。」
読売新聞は翌11月20日の朝刊に、「早大で図書館ジャック『祭』中止など要求し攻防4時間、本投げ抵抗14人逮捕」の見出し付きで写真入り6段抜きで報じた。
「19日午後8時ごろ、東京・新宿の早大(村井資長学長)で、黒ヘルメットの学生14、5人が正門から構内に侵入した。学生らは正門わきの図書館(一部7階建)にたてこもり、屋上からマイクで、大学に対し、早稲田祭の中止と総長団交を要求、これに対し大学側は『学外に出なさい』と再三にわたり警告、警視庁機動隊と戸塚署員約100人も学内外に待機した。だが、学生らは、屋上から図書館の本を投げたりして抵抗、このため同9時すぎ、大学の了解を得て機動隊員が図書館に入り、20日午前零時ごろ。4階の書庫に閉じこもっていた学生ら14人を不法退去で逮捕した。(後略)」
朝日新聞は同11月20日の朝刊に「黒ヘル14人を逮捕 早大図書館に乱入」の見出しで「19日午後7時半ごろ、東京都新宿区の早稲田大学3号館前に、黒ヘルメットの男たちがレンタカーで乗りつけ、同館内の図書館にはいり、ドアをしめて中にたてこもった。大学側は再三構外へ出るよう警告したが聞きいれられないため、機動隊約100人が出動、ドアをこじあけ中にいた14人を不退去の現行犯で逮捕した。戸塚署で調べているが、22日から始まる早稲田祭に反発する過激派が気勢を上げたらしい」とのベタ記事で、また毎日新聞も同日の朝刊に「図書館占拠し蔵書を投げる 早大で14人逮捕」と見出しを付けたベタ記事で「19日午後8時ごろ、大学祭を3日後に控えた早大で、黒ヘルメット姿の学生数人が、職員らの制止を振り切って同大本部構内の図書館にはいり、中にいた学生を追い出して内側から鍵をかけて占拠した。閉じこもった学生たちは屋上に備えつけたマイクで大学祭(22日~26日)の中止と総長団交を大学側に要求した。これに対し大学当局は同9時過ぎ学外退去を命じたが、学生たちは応ぜず、屋上から蔵書などを投げ捨て抵抗の構えを見せた。大学からの要請で同11時15分、戸塚署員と警視庁機動隊が出動し学生14人を不退去罪で逮捕」と報じた。

【全員に告ぐ、全員に告ぐ】

逮捕後組織された救援会のパンフレットに、図書館占拠の際に出たビラが残されている。
●全員に告ぐ、全員に告ぐ、全員に告ぐ--我々は虐殺者の中枢を占拠した●
 川口君虐殺徹底糾弾 虐殺者の杜を占拠せよ
 虐殺者の祭典:早稲田祭を怒りをもって粉砕せよ
 総長村井の5.17団交からの逃亡糾弾! 全学総長団交へ出てこい
 当局-革マル-民青(民青・日共教職組)の三位一体となった早大管理支配体制解体
「一年たった今、激烈をきわめた我々の闘いは終息したかにみえる。だが何も変わらなかったのか。〈早大管理支配体制〉は不抜のまま強力に転生したのか。その如何を知らねばならぬ今こそ、表面的な平穏さの裏に進行する支配と反抗のせめぎあいの実相に眼を開けて迫れ。そこに虐殺者たちの薄氷を踏むような窮状と、早大学生大衆の叛乱の確かな手応えを感じうるだろう。
……すべての友よ!絶望はまだあまりにも早すぎる。我々はまだうちのめされていないし、敵は弱っている。確信をもって闘いを持続せよ!冬の11月を熱の叛乱の中に焼き尽くすべく、敵のド肝をぬく闘いを準備せよ!闘いに着手し、叛乱を拡大せよ!
……最後に我々は、我々のこの闘いが広汎な学友の共感と共にあることを確信し、それ故に、早大4万学生大衆の名をもって、以下のことを要求するものである。
◇虐殺者の祭典・早稲田祭をただちに中止せよ!
◇早大当局者・村井総長は5.17団交からの逃亡を自己批判し、ただちに全学団交に出席せよ!
そして全学友に呼びかける。希望をもって闘いを持続せよ!」
●虐殺者への抵抗戦を希望を持って持続せよ!●
「困難な抵抗戦を強いられている早大4万の友よ、だが希望と確信をもってこの闘いを持続せよ。行為の確かさが結びつけた我々の共同性を闘いの具体性の中に爆発させよ。もはや言葉をもてあそぶことはいらない。ふてぶてしく、したたかに、ただ黙々と実践せよ。実践の共有、行為の共同性としてのみ我々の闘いは可視化され、更に広大な叛乱へ注ぎ込まれるのだ。
……鉄パイプをくぐりぬけ、背後から回り込む敵をけちらし、時の風化作用を拒否し、怒りすら凍てつくような極寒を耐えぬいている友よ、更に更に確信を深め抵抗戦に着手せよ!我々は虐殺の日常へは二度と戻らない。」
●川口はもう帰らない。こんな早稲田ならつぶれてしまえ。●
「権力・革マルの邪悪な爪に追われた窮鳥たちが今日、あらんかぎりの力をもって敵の心臓部に喰らいついた。窮鳥たちに向けて不当な攻撃がしかけられるとき、彼らはさらに力をふりしぼって敵の心臓を確実に喰い破るであろう。」
●行動は開始された。われらが怒りよ、早稲田を焼き尽くせ。●
「きょうの我々の行動はやむにやまれぬ思いからであり、早大4万学生大衆が心中密かに望んでいた直接行動であったと確信している。我々は、いっさいの政治党派の介入を拒否しつつ、川口君虐殺を真に糾弾するひとりの無党派学生大衆としてこの突出した行動に着手した。学生大衆自身の自衛武装の第一歩がここに印されたのだ。このビラを手にした君も立ちあがってほしい!学友たちが慣れない武器を手にして、身体生命の危機を犯して行動を開始していることを真摯に思ってほしい!そして今、できることから、できることだけは、行動をもって始めてほしい。機動隊・革マルの武装制圧の中で、キャンパスで安全な空間といえば、大学の死活のかかった『財産』の内部と早大4万学生大衆の海の中にしかない。我々の行動について、革マルの縄張りや、大学の『財産』を奪い取ろうとしているなどという馬鹿げた妄想は決してしないでほしい。我々は、総長団交の即時開催と『革マル祭』の即時中止を要求する。もし大学当局が川口君虐殺と革マルのテロ・リンチの責任を回避し、機動隊を導入するならば、我々の身体生命の危機を含めて大学にとって最悪の事態が起きることを警告し、4万学生大衆の行動が一刻も早くくることを信じている。」
●“信じてくれ、僕は逆さに吊るされ殺された”(ハンガリアの笑い)●
 ワセダの擬制「戦闘的」「民主的」両派粉砕!
 底辺からの自立した抵抗戦をもって「ワセダの日常」を寸断せよ!
 ワセダ祭阻止!総長団交勝利!早大管理支配体制粉砕!
「まさしく『宗教』は阿片である。倒錯したクロカン哲学の観念的疎外物である宗派の自己運動。その荒廃した党派闘争至上主義の教条が、数百を超える革マルの下部活動家をかくまで長きにわたって、いかなる疑念をも押さえつけて酔わせ盲従させてきたのだから。……この1年間の革マルの主張が、デマと嘘と恫喝に過ぎなかったことが、一文SとTの2名の自己批判書であまりにも見事に明らかになったではないか。だが、彼らも気づくのがあまりにも遅すぎた信仰の犠牲者だったのだ。」
これらのビラは早大11.19図書館占拠闘争救援会による「獄中同志奪還のためのカンパ要請趣意書」に詳しい。また救援会による「パンフ作成にあたって」では、この占拠闘争の概略にふれ次のように述べている。
「図書館を自らの存在の一切を賭けて占拠し、革マル祭の中止と、5.17全学団交からの逃亡糾弾=再度の全学総長団交を要求した闘いは11月19日決行された。早稲田の血に汚れた杜が解放されて我々のものになるのか、虐殺者達の擬制の抑圧の杜として再び回帰していくのか、11.19闘争の戦士たちはするどく全ての早大生に問うている。突出した抵抗戦に対して早大当局は、この戦いが根源的であるが故に、自らの存在根拠としてある〈管理〉牙をむき出し、国家権力=機動隊を導入し、14名の戦士たちを不当にも権力に売り渡し、闘いを闇から闇に葬り去らんとしたのだった。我々はこの図書館占拠闘争が、昨秋11.8以降の早大闘争のさまざまな過程の中で獲得した、自立せる内発性と戦闘性を評価し、不当にも獄中につながれ、獄中においても闘いを貫徹している14名の戦士たちを救援すべく救援会を組織した。」

【図書館占拠に至るまで】

図書館占拠では、P A C(政経学部行動委)とサ連で活動した早大二次闘争の経験者がまとめ役であり、リーダー的存在であった。当時を語った談話で図書館占拠に至るまでの経緯を次のように語っている。項目別に整理抜粋した。
●大学当局への思い
川口君は結局、ロックアウトの状況下で殺されているわけですよね。大学当局がロックアウトをやっているなかで、革マルが学内にいてリンチをやっているのだから、大学の責任は重いと思う。革マルがやってきたことを許した責任というのは、全部大学側にあるのです。川口君が死に至った理由というのはそれ以外にない。革マルは悪い。だけど、大学はもっと悪いと思っています。村井総長はたしかにお飾りなのかもしれないけれど、大学のトップとしては、少なくとも学生に対して何らかの謝罪を公の場でなすべきだった。だから、あるべき大学の秩序を奪った大学当局に対して僕らは団交を求めていったわけです。単に謝れということではなくて、それを生み出してきた日常性みたいなものに対して抗議するという意味で団交を求めたと思っています。
●5.8団交
はじめは理工にルートがあるから「やりましょうか」「いいね」みたいな話から始まった。本当は1週間前にやる予定だったのが、人数が集まらなくてやめました。前日は東大の三鷹寮に泊まり込んで部隊編成というか、役割分担をした。僕は車で理工に行って総長を建物の前で受け取って、それ以降の責任を持つことになっていた。総長を乗せた車と部隊が並走して本部まで来て、部隊がバリケードをどかして北門からそのまま構内に突っ込んだ。総長を8号館に連れていって座らせ、僕がアジった。実際の団交の司会進行は、団交実行委員会にやってもらった。始まったら学生が集まってきた(編注:新聞では3000人位とある)。あの時、革マルは文学部に部隊をかき集めていた。こちらは学生がいっぱい来ているから襲われる心配はなかったけれど、とりあえず革マルは部隊を文学部に溜めていた。革マルもどうしたらいいかわからなかったと思う。団交の中身については、極端に言うと「やりましょうか」と言って「いいですよ」みたいな軽いノリで、あまり深く考えていなかった。団交実行委員会の方で考えていたのかどうか。総長を引っ張り出して、大衆の前でいろいろ疑問を解消して、最低でも謝ってもらいたいなというふうには思っていましたけれど。(編注:5.17団交の確約を反故にされたことを受けて)あの状態でそのまま続けた方が良かったという意見もある。だけど、まぁ、しょうがないな~という感じもある。やっぱり大学当局を信じすぎたところがあるのかな。
●発想の元
この話の始まりは8月の末くらい。6月のゲバルト(編注:6.4の革マルと衝突で勝利したことを指す。勝利したが、学内に拠点がないので優勢を保持できなかった。)の反省があり、何をもって闘わなくちゃならないかを考えたら、徹夜集会や1.19、総長団交みたいに軸があれば学生が集められる。革マルは人が集まる機会を閉ざしているから、人さえ集められれば、確率的にも物理的にも私たちが勝てるというふうに考えた。
●人集め
後退局面なので個別に話した。団交なんかの時は「みんなでやりましょう」って言えば「みんなでやりましょう」なんですが、後退局面で負け続けているような状況になると、「やりませんか」と言って個々に説明しないと無理なんです。そうなるとどうしても情報が漏れる。それが党派に漏れちゃって、党派と交渉しなければならなくなった。交渉には一切関わらなかったけれど、党派との約束なんかもしなくちゃならない。そうなると期日も限られてきますよね。当日、学内で部隊を待機させていた党派があったけれど、15人だった。それぐらいの人数だったらこちらでも集めるのは難しくない。人数の話ではないんですよ、早稲田でやっていくためには。だからあまり党派とはやりたくなかった。
●メンバーの顔ぶれ
政経行動委(P A C)を中心にしたメンバー構成になりました。半分以上が政経、あとは一文、教育、社学です。人数も多くなかったから、政経とそれ以外に分けて分担してオルグしました。(編注:政経8人、一文3人、教育2人、社学1人)
●実行期日
やると決めた11.19は、早稲田祭を中止させるリミットに近かった。目標としてはもっと早い時間、昼間のうちにやるつもりだったけれど遅くなった。集合場所の明大の生田がロックアウトだった。青解が封鎖していたの。それで遅くなった。いろいろ調べて、図書館に入りやすい時間帯があることがわかっていて、昼を外すと少し遅くなる。期日を延ばすという選択肢はなかったから、結局ああいう結果になったんですけれど。意図としては、学生を集めてやればなんとかなるかなと、それ以上のことはあまり考えていなかった。こういう形で人を溜めてやるような形の闘争をやろうとしたものだから、外にも人を確保しておかなければならない。そうした人員もいました。

【証言】

「たぶん前日だったと思うのですが『トラメガがない』という電話を受けて、慌てて秋葉原に走りました。とにかくお金がない時期で、居合わせた3人で出し合って小型のトラメガと予備の乾電池1組しか買えませんでした。どこで誰に手渡したか覚えていません。また、立てこもり計画には参加しませんでしたが、三段式の鉄パイプを提供した当事者としては責任もあり、私たちのグループの一員を一般学生のふりをさせて図書館に潜ませておきました。『突入しました』という報告を聞いたのを覚えています。」(一文2年)


【1976年1月26日】

図書館占拠闘争の裁判は76年1月26日に結審した。判決は罰金刑1万円。検事の求刑は懲役1年であった。この判決について公判を支えてきた図書館占拠闘争公判対策委員会は「裁判所の『判決』は、弁護団、『被告』団の執拗な反証展開によって、早大当局の川口君虐殺事件以降の無為無策を認めつつも、『建造物侵入』なる罪名を容認する立場を一貫して堅持しているのである」とした。公判では、早稲田管理支配体制の実態を訴え続け、村井総長の喚問も実現したが、問題の核心に触れる判決は引き出せなかった。


【リンク】

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