1973年10月11日(木)大学当局が革マルの早稲田祭実行委員会との間で5原則を確認し、早稲田祭の開催を決定

提供: 19721108
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【概要】

73年度早稲田祭を実施するにあたって教職員と学生代表(=革マル)とで構成する早稲田祭委員会が開かれ、席上「早稲田祭実施にあたっての5原則」が確認される。

【早稲田祭委員会】

早稲田祭開催にあたっては、学生代表の団体と教職員の代表による早稲田祭委員会が結成され運営に当たることになっていた。この年73年には、第19回早稲田祭実行委員会(革マル)、法学部早稲田祭実行委員会(民青)、73年早稲田祭実行委員会(サ連、各学部新執行部)の3つが学生団体として結成されていた。
しかるにこの日、当局代表は革マルの実行委と早稲田祭委員会を開き、早稲田祭実施に当たっての5原則を確認した。
1.「早稲田祭」は学生の課外活動の成果を示し、学生相互の精神的交流を深めるための全学的な祭典である。
2.「早稲田祭」は、教職員・学生の代表によって構成される「早稲田祭委員会」の指導のもとに、学生が自主的にこれを実施運営するものである。
3.「早稲田祭」は、学生全体のために開かれ、奉仕すべきものであって、一部の学生集団の意向に従属すべきものではない。
4.「早稲田祭」の実施運営にあたる「早稲田祭実行委員会」は、「早稲田祭」の趣旨を実現する責任をもち、運営の全般について公正であり、かつすべての参加団体に対して中立である。
5.「早稲田祭実行委員会」は「早稲田祭」終了後に、収支決算について「早稲田祭委員会」に対して報告し、その承認を得てこれを公表するものとする。
これを受けて13日には大学当局が「早稲田祭の実施について」の告示を出した。その中で実施決定に至る経緯についてふれ「昨今の大学の内外における一部の学生集団間の対立抗争の激しい中で、本年度の『早稲田祭』を実施することについては、大学内外の注目が集まり、批判の的ともなっていることを率直に認めなければならない。また、実施によって学生集団間の対立をかえって激化させるのではないかとの危惧がもたれるのも当然かもしれない。このような状況にかんがみて、大学としては、『早稲田祭』本来の趣旨と、学内の平穏な秩序の維持という2つの観点から、事態の推移を見守り、態度を今日まで留保して来たのである」と自らの立場を説明した。さらに「その間に、慣例に従って教職員と学生の代表により構成された本年度の『早稲田祭委員会』は、協議の結果、左記の事項(前掲の5原則)について確認する旨の合意を得た。大学としてはこのような確認事項が『早稲田祭』の実際の運営にあたる『早稲田祭実行委員会』の手によって厳密に実施されることを期待し、ここにあえて中止の措置を取らないことを決定した」と述べている。
ここで疑問に思われるのは、3つの学生団体が結成されていたにもかかわらず、なぜ当局が革マルの第19回早稲田祭実行委員会と早稲田祭委員会(教員代表15名と学生代表15名で構成)をもちえたかということである。代表と認める基準は何だったのか。選ぶにあたってきちんとした選考は行われたのか。双方のご都合主義だったのか。当局としては、「紛争校指定」を避けるために学内正常化を図る姿勢を示す必要があったのではないかとも考えられる。
というのも、これに先立つ6月30日に法学部学長名で、法学部自治会(民青)から出された公開質問状に次のように回答しているのである。
「早稲田祭実行委員会の選出方法については成文の規定がないようなので、仮に慣習規定によって行うことが正当であるとしても、その選出方法が定期的な直接選挙あるいは間接選挙でないかぎりは、任期中の実質的な信任の状況というものが問題となってくる余地はある。従来の慣行により選出されたといわれている現在の実行委員会が、はたしておおかたの信任を受けていると判断されるのか、受けていないと判断されるのか、その判断をするのは大学当局であるとしても、信任するのかしないのかを明確にするのは学生諸君にほかならない。(中略)」
続けて法学部自治会と実行委の関係について次のように述べている。
「法学部自治会が、過去に早稲田祭に参加する意志があったにもかかわらず参加できなかった場合があるとすれば、『全学的な祭り』の趣旨からして遺憾であったと考える。(中略)早稲田祭は全学的規模のお祭りであるから、『第20回早稲田祭法学部実行委員会』が結成されても、それだけでは学部で承認するとか、しないとかの問題は起こっていないと考える。この種の各学部の実行委員会を含む、早稲田祭実行に関する新たな機構が全学的に、つまり早稲田祭委員会その他の全学的機関によって承認されてはじめて、その一環としての法学部実行委員会が公的なものになると解すべきであろう。」
選挙による選出でない場合は学生による信任の如何が問題になるとの見解。公開質問状の詳細は不明だが、何を根拠に早稲田祭実行委員会(革マル)を正当な学生の代表として認めるのかを問うたのではないかと推測される。

【理工学部では】

本部と文学部キャンパスを会場とする早稲田祭に対して、西早稲田キャンパスの理工学部では理工系企画を中心にした理工展が1950年代から独自に開かれている。この年、理工学部では早稲田祭委員会に先立つ10月1日に理工展開催に向けて告示を出した。その趣旨は、前年の川口君の事件は痛恨事でありいまだ精神的には喪中であるとし、そうした時にするべきは、大学本来のあり方、大学祭のあり方を反省することであるとした。理工展の本来の姿は日常的な研究の成果を公開する場であるから、その核心を生かす場としての理工展としようという呼びかけになっている。
「理工学部学生諸君へ
 秋も深まると共に、早稲田祭、理工展の時期が近づいてきました。例年今ごろは各学科を中心に、理工展の準備が熱心に進められている頃です。しかし、今年の事情が昨年までと全く違っていることについては多くの言葉を費す必要もないでしょう。大学の内外で流血、殺人事件が頻発していることは御承知の通りであり、とりわけ早稲田大学関係者全員にとって昨年11月8日の川口君事件は忘れようとして忘れられない痛恨事であります。いわば、われわれはみな精神的には今なお喪中にあるのだといえるでしょう。
 今年の理工展について考える場合、私達はわれわれがおかれているこの現実的、精神的な状況を深く省みないわけにはゆきません。この困難で、不幸な環境の中で、われわれにできること、またなすべきことは何でしょうか。それはおそらく大学本来のあり方、従って、真の大学祭のあり方がどのようなものであるかを自ら問いつめ、そのあるべき姿に照らして理工展のあり方を真摯に反省するということでしょう。とかく、われわれの日常生活はもとより、大学における諸々の行事にしても、習慣や惰性におし流され、いままでのしきたりを踏んでゆくことが安易で安全な方法として選ばれ勝ちであります。この惰性の中で、人々は善意を抱きながらも本来の志から離れた所に流されていて、そのことにまた気づいていないこともしばしばありうることです。今、私たちはこの惰性を断ち切る機会に直面しております。川口君の死は、今年が昨年の安易な延長線上にありえないことを痛切に教えるものでありましょう。
 理工展本来の姿は、その歴史に照らし、その目的に徴して、学生諸君の日常的な研究の成果を公開する場であります。したがってそれは学科展中心に構成され、教職員、交友、学生一体となって盛りあげてゆくべきもので、その他の要素は付随的、装飾的なものに過ぎないといえます。理工展の、他のもろもろの大学祭と異なる、また早稲田祭とも異なる、本質と歴史はこの点にあります。私たちは同じユニバーシティの一員として、頑なに理工展の特殊性のみを固執するものではありません。早稲田祭との協力関係も、できる限り密にしてゆくことはいうまでもありません。しかし、今、大学がおかれている困難な情勢を乗りこえるには、右顧左眄せず、その重要な核心のみを生かすべく努力しなければならない時であります。
 われわれが理工展の本質を見逃さない限り、たとえ旧来の形式と異なったものであっても、その本旨を生かす形、時、場所は十分見出せる筈であります。学生諸君が理工展をめざして積み上げてきた研究や実験や調査はそれ自体貴重なものであります。そのような努力はこれからも続けていただきたいと思います。私達もそのような成果が大きくふくらんでゆく時、それを発表し、公表するチャンスは必ず見出しうるものと確信致しております。
  昭和48年10月1日 
  早稲田大学理工学部
  学生担当教務主任 河原 宏
  同    副主任 平田 彰」


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