1972年12月7日(木)一文臨執による自主管理続行。政経学部で新執行部発足

提供: 19721108
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【概要】

川口君の死から1ヵ月。一文臨執がバリ封によってキャンパスでの活動をかろうじて保持する一方で、本部では、教育学部に続いて政経学部が自治委員総会を開き、新執行部を選出した。

【この日のできごと】

◎一文臨執が自主管理闘争を続行する。
16:00 政経学部、自治委員総会が行われ101人が出席して、正式に執行部20名を選出。
◎サ連を中心に、村井総長を捕捉すべく1号館に突入するも逃走される。
◎当局は村井総長名で「学生諸君へ」書状を作成し、翌日配布した。
20:00 二文教務主任、二文学生大会(11.30)に関する報告書を次期役職者に申し送る旨を約束した。

【一文臨執による「昨日の事態について」臨執声明No.9】

「我々は昨日、午前8時30分頃、第一文学部に登場し、文学部202~209教室に結集した。するとあの革マルは、我々の居た教室に暴力的に侵入せんとし、それを我々が阻止すると、ドアを、たたく、けるの妨害にでてきた。我々は、先日28日の学生大会を圧倒的に勝ち取り、旧執行部をリコールし、臨執を選出して議案書に(判読不能)自治活動を展開している。しかしながら学友諸君、臨執を先頭とする主要なメンバーに対して革マルは、この間我々の自治活動へのデマ・ケチつけを『討論』という名で行なうことをもって、一切の文学部での情宣等の活動を一切、妨害、圧殺してきた。
我々は、あまりにも当然な文学部での情宣、クラス討論が保障されていないという情況を突破すべく、やむを得ず、バリケードという形で臨執の活動とクラ討の保証を克ちとらんとしたのだ。それに対しても革マルは入口に常に数名を配置し、協議会・クラ討へ結集せんとする学友に敵対してきた。その為、結果的にクラ討は、その内部では数クラスしかなし得なかったことは認めなければならない。
しかしながら学友諸君、これだけは確認して欲しい。それは極めて異常な形でではあれ、あの自主管理によって少数ではあるがクラ討が一切の妨害なしに行なわれ、マイク情宣が、そして協議会が、文学部構内で始めてもたれたことである。」

【政経学部で新執行部が発足】

政経学部では本部3号館104教室で、午後4時からクラス委員総会が開かれた。総数240人のクラス委員のうち定足数の80人を超える101人が出席して成立した。後日配られたビラには、政経自治会執行部の名前で「自治委員総会を圧倒的に勝利! 新執行部体制確立す! クラス活動の前進は、自治会活動の前進だ!」の大見出しが並んだ。
「『革マル追放』の自治会臨時執行部選出は“魔女狩り”さながらと思われる厳しいものだった。立候補者を一括採択した学部が多かった中で、政経学部は一人一人会場の学生の挙手で決めた。直接選挙で一見民主的だが、候補者が学年、氏名を名乗り、考え方を述べるたびにものすごいヤジと怒号。『お前は民青じゃないか』『ノンセクト・ラジカル反対』『世界観をいえよ』あるクラスでは、候補者が『反革マル 反民青 反当局』のプラカードをかかげて登場し、ぐるぐる四方に見せて身のあかしを立てたりした。候補者の中には『どのセクトでもいいじゃないか』『世界観まで問われることはない』と“挑戦”した者もいたが『バカヤロ、そんなら出るな』とヤジリ倒され、大半落選した。」(1972年12月8日付毎日新聞夕刊)

【「カギ握る」とされた一般学生は…新聞記事から】

川口君の死から1ヵ月。新聞各社の記事にも、11.8以降の動きをまとめる内容が目立った。1972年12月8日付朝日新聞では「早大リンチ事件から1ヵ月」という横見出しに「自治会正常化 カギ握る一般学生 まだまだ根強い革マル派 なりゆきまかせの大学側」の3本見出しを立てた囲み記事が載った。その中で「早慶戦」とくくって次のような記述がある。
「セクトによる自治会の私物化を許すな――大シュプレヒコール、歓声、拍手。学生大会は熱気にあふれた。が、この盛上がりがどこまで定着できるか。当初から一まつの不安もまつわりついていた。『単に、早慶戦で早稲田が勝ったような気分の学生も多い』(ある一文の臨執)。こんご、地道な活動が続かなければ、一部の革マル派に牛耳られてきた自治会の体質は改められないのだが。
5日の全学集会。集まった約1500人のうち、500人は隊列から一歩離れ、遠巻きにした格好。2対1の微妙な“断層”がうかがわれた。
革マル派執行部の『戦闘的自治会』にイヤ気がさしていた学生、政治闘争には無関心だった層が、『反暴力』では結集した。だが、全学4万を超えるマンモス集団。とくに3、4年生は語学のクラスがなくなり、お互いの連絡もとりにくい。いきおい一群のリーダーの顔ぶれは固まる傾向もある。アジ演のオクターブもあがる。それがまた、セクトアレルギーの学生たちの足を遠ざけるようだ。」

【革マルに対して“反革マル”というくくり】

この頃から新自治会設立に動く学生を“反革マル”とする表記が出てくる。「第一文学部自治会臨時執行部(反革マル)」(1972年12月6日付毎日新聞夕刊)にはじまり、同紙の「再建へ活発な動き」という囲み記事(1972年12月8日付毎日新聞)では“革マル学生”“反革マル学生”という対立軸でそれぞれの1ヵ月の動きをまとめている。
同じ12月8日付毎日新聞夕刊3面の「キャンパスに冬いつまで」という特集にも“反革マル”の文字が目立つ。
「学生運動のメッカといわれるだけあって、革マル批判の火の手が上がったのをきっかけに、第四インター、反帝学評、赤色戦線、勝共連合、などのもろもろのセクトが一斉に動き出した。各学部臨執のメンバーもノンポリ、ベ平連、ブント、全共闘と色とりどり。“反革マル”で結束し『絶対にセクトの自治会私物化を許さない』と叫ぶ。」
「『テロられる!』。反革マル運動を進める学生たちは、革マル派が積極的討論と叫ぶ個人的つるし上げを何より警戒している。キャンパスを革マルの白ヘルメットがデモると、一人歩きの臨執メンバーはさっと姿をくらます。夜はほとんど集団行動をとり、他大学の学生寮に泊まり込む。」
「意気ごみはすさまじいのだが、ノンセクトと小党乱立の反革マル派の弱みは、資金不足。革マルとの“たたかい”でペンキ、ザラ紙、ガリ版、旗布と際限もなく金が出て行く。全学臨執連絡会議の持金はカンパで集めた5万円ナリだけで、とても足りない。」

【リンク】

昨日の事態に関して明らかにし、今後の闘いへの総結集を呼びかける 第一文学部臨執声明No9
専修のみなさんヘ 一文三年有志