1972年12月4日(月)全学部臨執連絡会議発足。父母有志が当局へ要望書提出

提供: 19721108
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【概要】

各学部臨執、政経学部暫定執行部、法学部自治会、理工学部代表、サ連で構成する全学部臨執連絡会議が発足した。午後には「早大に子供を通学させている父母有志」30名が大隈庭園完之荘で清水司常任理事、竹内常行理事の2人と会見し、事件に対する大学の対応について説明を求めたが、具体的な回答は得られなかった。同席した川口サトさんにも「申し訳ない」を繰り返しただけだった。この日も臨執等への革マルの妨害活動多発。

【この日のできごと】

◎全学部臨執連絡会議が発足する。各学部臨執、政経暫定執行部、法自、理工代表、サ連で構成。
◎「早大に子供を通学させている父母有志」30名が理事2名と会見。川口サトさんも位牌を持って参加するが、教授会の自主性や学部と本部との特殊な関係を繰り返すだけで、具体的な回答はなかった。
■革マルはビラまきやクラス討論破壊等々あらゆる妨害活動を繰り返した。

【父母の会見】

午後2時から大隈庭園完之荘で開かれた父母の有志と当局側の理事2人による会見では、父母等が「なぜ学園内で殺人事件が起こったか」「暴力一掃に当局はどんな措置をとるか」「当局の責任はないのか」について説明を求めたのに対し、「私(清水理事)も大学も今回の事件に驚いている」「全教職員が(正常化に)努力している」「社会に不安を与えたことを痛感している」と、これまでの説明を繰り返したに止まった。父母からの「もっと具体的に」「大学はドロをかぶる気でやれ」という声に対しても、教授会の自主性や学部と大学の特殊な関係などを語るのみ。「息子をなくした母親に大学はどんな償いをしてくれるのか」というサトさんには2人とも涙を流して「申し訳ない」を繰り返したが、具体的なことについては何一つ答えなかった。(1972年12月4日付朝日新聞より)

【臨執への当局の対応】

11.28に開かれた学生大会において選出された臨時執行部は、一文当局に対し、学生大会成立を承認するよう会見を求めて交渉したが、臨執の要請は拒否された。臨執名による「当局の不当な対応を我々は許さない!!」と題されたビラにその経緯が書き残されている。
「12.1 学大報告書を学部長・委員会(11.30に設立された『自治問題研究委員会』のこと)宛に各一通を渡し、同時に署名用紙(コピー)を渡した。新保教務主任に、臨執として当局に正式に会見要請。
新保助教授
『会うか会わぬかは、教授会の決定によるのですぐ答えられぬし、委員会についても性格がはっきりしていないので答えられない』。
12.2 新保助教授、学部長に対して非公式に会見を要請
12.4 12.2の回答
会見は拒否する。
1.教授会は現在、明日の教授会に忙殺されている
2.学部長以下、現三役は既に辞意を表明しており、15日の新三役任命まで暫定的な事務をとっているにすぎない。
この段階で諸君と会見しても建設的な討論は行なわれないだろう。平穏な討論ができるとは思えない。」
この後、ビラは次のような言葉で結ばれている。
「以上述べてきたように、大学当局は闘う学友の意志をこの間一貫して無視し続け、許しがたい対応に終始している。一文当局者は革マルと同じような言いまわしを使って1500の圧倒的学友を一堂に結集して勝ちとられた11.28学生大会を認めようとしない。
そして、我々の正統な団交要求に対してかたくなに拒否しているのだ。彼らは前自治会三役の処分を『励行』することで社会的体裁を保とうとしたが、決起した学友の糾弾の矛先はたやすくかわせるものではない。我々は当局の学生自治への介入を粉砕し、新自治会承認、自治会費凍結解除を勝ちとるまで当局に対する追及の手をゆるめてはいけない。
革マルの政治支配を巧みに利用し、学園管理体制を貫徹させてきた当局こそは、川口君を虐殺し去った陰の下手人なのだということを我々は決して忘れてはならない。」

【リンク】

一文2Gクラス決議
12/5へ‥全学団交へ第一文学部臨執