1972年11月8日(水)一文2J川口大三郎君が自治会室に拉致される

提供: 19721108
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【概要】

午後2時頃、級友と談笑する川口君に2人の革マル派の学生が「討論しよう」と近づき、「討論ならここでもできる」と嫌がる川口君の両腕を掴んで自治会室へ連れ去った。級友たちが救出に行ったが、恫喝され追い返された。その後、革マル数人が級友たちのいたテレ研を襲撃し、居合わせた数人に暴行を加えた。午後9時のロックアウトにより級友は退去せざるを得ず。大学当局は、午後2時過ぎの時点で通報を受けた教務主任等が自治会室まで行ったが、川口君の無事を確認できず。夜間の見回りでも体よく革マルに追い返されていた。

【この日のできごと】

14:00 川口大三郎、革マル派によって127教室に拉致される。
14:10 一文教務副主任(野口助教授)と二文教務主任(久米稔教授)とは127教室前に駆けつける。
14:30 再び二人は127室近辺まで行くが役職室にもどる。
15:10 05教室(テレ研部室)でも学生が捕まっているとの警手からの連絡で駆けつける。
17:10 181教室で、自治会主催の相模原戦車搬出阻止の集会が始まる。
17:15 匿名の一学生より一文教務副主任への抗議の電話が20分間続く。
18:30 181教室には革マル派450名が参集。
20:20 革マル派はデモで学外に退出する。
21:00 夜間ロックアウトで、心配して残っていた2J級友たちを追出す。同時刻 文学部当局による1回目の見回り:127室には誰も居らず、128室前の学生は「もうすぐ帰ります」とおだやかな態度。
(死亡推定時刻は8日21:00~9日0:00の間、128教室でリンチ殺害)
22:00 2回目の見回り:自治会室には5名ほどが残り、間もなく帰るとのこと。
23:00 3回目の見回り:印刷物を運んでくる車を待っていると対応。
23:50 4回目の見回り:印刷物が届いたのですぐ帰ると言われる。
0:40 127室、128室、129室(一文自治会室)、130室(二文自治会室)の全員退去を確認し、二文教務主任と二文事務長は帰宅する。
注:以上11月8日の時系列は「文学部当局文書S47年12月13日付」をもとに作成したものです。真実の事実経過は2Jビラ「私達の確認した事実」(早稲田キャンパス第167号に転載)および遺稿集『声なき絶叫』に詳細が記載されています。

【この日の川口君】

本部・体育局でボクシングの授業を受けるために12時過ぎに登校。3階のロッカーで級友のM君と用具を取り出していると学生2人が近づいてきて「ロッカーを私物化するのは許せない」と、学部・学年・クラス・氏名を問いただした。川口君が「2Jの川口大三郎だ」と答えると、いきなり「君は中核派の中央委員会に出なかったか」と尋ねた。川口君が「そんなものは知らん」と言ってその場はおさまった。
授業を終えた川口君が文学部のスロープ下の05教室の前で級友と話していると突然、「討論したいから自治会室に来ないか」と、2人の革マル派の学生が話しかけてきた。「これから用事があるから」と断ったにもかかわらずしつこく誘いかけるので、「討論ならここでもできるじゃないか」と川口君が反論。一緒にいた級友が「嫌がっているじゃないか」と間に入ると、さらに3人の革マルが現れ、2人が川口君の両腕を抱え、1人が背中を押すようにして無理矢理階段を上らせ、中庭から127教室の方へ連れ去った。ちょうど中庭にいあわせて、連れ去られる川口君を見た学生、「警察を呼んでくれ」と叫んだ川口君の声を聞いた学生が数人いたことが後でわかった。
2Jの級友が127教室に「川口を返してくれ」と抗議に行くと、数人の革マルが出てきて「お前等には関係ない。帰れ」と、威嚇し怒鳴りつけた。この時、ドアの間から机の上に腰掛ける川口君の後ろ姿が確認されている。

【証言】

「ちょうど僕がスロープ脇の階段の前で立て看板を書いていたところへ、授業を終わった川口が通りかかった。ボクシングだったかな。『久しぶりに体を動かしたんでケツが痛くてしょうがない』などと言うから『鍛え方が足らんのじゃないか』とか話した後、僕はそのまま看板書いていたんです。そうしたら同級生のMが来て、『川口が連れて行かれた』って言った。それで127教室へ行って『川口を返してくれよ』って言ったら、『お前には関係ない』って感じでドア閉められた。『じゃぁ、君らが返してくれるまで僕はここに居るから』とMと二人でずーっと127教室の前に居た。その時、川口は教室の机の上に座らされてまわりを囲まれていた。正座ではなく腰掛けていて、たぶん詰問されてはいたんだろうけれど、暴行を加えられている感じはなかった」(一文2J)


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