1972年11月27日(月)一文学大前夜、当局・革マルの妨害

提供: 19721108
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【概要】

翌日の一文学大を前に、全学議長団、全学部連絡会議、サークル連絡会議が本部前で集会を開き、「革マル自治会リコール」への意志一致を図った。図書館前では革マル派100人が「学生大会粉砕」集会を始め、双方のマイク合戦となった。昼過ぎにはその周囲を2000人の学生が取り囲んだ。夜になってこの集会に革マル派のデモ隊が乱入し、議長団の一人が重傷を負った。一方当局は告示で、翌日はロックアウトをも辞さないと宣言し、学大開催を阻む姿勢を示した。

【この日のできごと】

◎全学議長団・全学部連絡会議・サークル連絡会議は9時30分から本部前で集会。2000名の学生が参加して翌日の一文学生大会防衛の意志一致を図る。革マルとの小競り合いは午後8時過ぎまで続き、ヘルメットを奪うなどして混乱。革マルは議長団リーダーを狙っての暴力行使。
◎大学当局は臨時学部長会を開いて「11.27告示」を全学6カ所に掲出。翌日の休講、ロックアウトの可能性を示しての恫喝。
◎一・二文連合教授会・教員会は文学部181大教室の学生大会使用許可申請を認めず、中庭も使用禁止に。

【文学部教授会が緊急会議開催】

「このため大学当局は緊急学部長会議を、また、文学部教授会も緊急会議を開いた。その結果、学部長会は『状況いかんでは全学の休講、学内立入り禁止にする』旨の告示を出したが、教授会は『学生の自主性を生かし、学生大会を守るべきだ』との見地から『午前8時全教職員が文学部正門に集合、双方の衝突防止に当たる』基本方針を決めた。ただ、同教授会としても学生大会会場については中庭、181教室は『危険』を理由に使用させない方針であり、具体的な場所は状況を見て許可することにしている」(1972年11月28日付毎日新聞)

【11.27告示】

「告示
現在、早稲田大学においては暴力を排除し、平和で静かな学園を再建することが急務である。われわれは
革マル派による11・8の事件を契機として学生の間から暴力追放への強い意志がもりあがり、それが学園正常
化への大きなエネルギーとなっていることを知っている。
しかるに残念なことであるが、学生大会等の開催をめぐり、他大学学生多数を含む、学生派ばつの活動が加
わり、混乱がますます激化していく様相がみられる。そして、この間、負傷者さえも出すに至ったことはき
わめて遺憾である。
大学としては、この危険な状態を、このまま放置しておくことはできない。今後の状況によっては、休講・
学内立入禁止の措置を取らざるを得ないことを明らかにしておきたい。
学生諸君の冷静な判断と慎重な行動を切望する。
昭和47年11月27日 早稲田大学」

【革マルの外部支援】

この日の革マル派の集会には「都教組有志」「私教連有志」の立て看が現れたり昼過ぎには作業服姿の動労組合員約10人が連帯表明のビラを配るなど、学外からの動きも目立ってきた。(1972年11月27日付毎日新聞夕刊より)

【新聞報道に見るここまでの動き】

1972年11月27日付毎日新聞に「“力の対決”前面に」と題して、11月8日からの動きを振り返った記事が掲載された。
「リンチ殺人事件からの学生たちの動きを振り返ってみると————。
事件のあと早大キャンパスでは連日、革マル派が学生に突上げられたが、13、14の糾弾集会を境に学生たちは『糾弾しているだけではダメ。自治会から事実上追出し、革マル派を寄せつけない体制をつくることが必要だ』と署名運動、学生大会開催、リコール、新執行部選出の動きを始めた。
推進役として、革マル派糾弾全学議長団、全学部連絡会議、サークル連絡会議ができた。そして、28日の第一文学部学生大会開催が決まり、革マル、民青系が互いに『正統』を主張している政経、教育、社会科学部自治会の再建案もまとまった。早大には革マルのほか民青系、ノンセクトラジカルなどの諸派があるが、革マルを除く各派は『反革マル』で一致、『新執行部もセクト支配を受けない』ことを確約した。ところが、革マル派は『学生の革マル派に対する怒りは理解できる』としながらも『リコール運動推進役は民青系学生』とみて『日共、民青の自治会乗っ取り策動を許すな』と逆に学生に呼びかけていた。
『学生大会は自治会規約にのっとって開く。大会招集権を持つ委員長に署名を渡せ』というのが革マルの言い分。文学部自治会規約は11条は『学生大会は本会の最高議決機関であり、会員の5分の1以上の出席をもって成立する』とあり、大会開催は①委員総会および常任委員会の要求があった場合②会員の10分の1以上の要求があった場合③その他委員長が認めた場合、となっている。またリコール条項を加えるなどの規約改正は同21条で委員総会の決議を経て行なう、とある。
この規約をとらえ、革マル派は『大会招集は慣例として委員長が行なう。署名がまとまったら委員長に渡すべきだ。規約を無視したら、だれもが勝手に自治会をつくれることになり、自治会活動の破壊になる。今後の自治会活動の進め方を論ぜず、ただリコールを進めようとする動きは“政治的”と判断せざるをえない』と主張。
これに対しリコール推進派は『セクトはあっても、それを超える学生の革マル派に対する怒りがわからないのか。学生大会は最高の議決機関だから規約改正もできる。われわれは革マル執行部を認めていない。10分の1以上の署名が集まったのだから自主的に大会を開く』と反論。あくまで独自に大会を開き、革マル執行部リコールと新執行部を発足させる構えをとっていた。
推進派としては『革マル派が居座って一文に二つの自治会ができる可能性もある。しかし、文学部教授会が殺人事件を起こした革マル派の自治会を公認するわけがない。これまで盛上げてきた学生の力で学部当局に“新自治会”の正当性を認めさせる』と、あくまで強気。双方の対立は日ごとに強まっていた。
24日は“反革マル”学生が革マル派を集会場から実力で追出し、25日は逆に革マル派が反革マル派学生をつるし上げ、追いまわした。“拠点”を死守しようとする革マル派、『居座り』を許せば再び“革マル独裁”が続くと心配する学生たち。双方のあせり、いらだちは“民主的話合い”を吹飛ばしかねない様相を示しており、早大は冬休み(12月10日)を前に大きくゆれている。」

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