1972年11月16日(木)一文「クラス討論連絡会議」主催の学生集会

提供: 19721108
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【概要】

前日の確約通り、正午から本部で革マル糾弾集会が開かれた。田中敏夫委員長は、辞任要求に対して「辞任の覚悟はあるがまだ言えない」と拒否したが、“暴力否定”の確認書には署名した。午後1時からは一文181教室でクラス討論連絡会議(以下「クラ討連」)による学生集会が開かれ、学生大会開催のための実行委員会発足等を含む決議を採択した。夕方には、九段の私学会館で2Jの有志5人が担任の長谷川良一教授の同席で記者会見に臨み、事件の事実関係を発表した。

【この日のできごと】

 正午 本部で革マル糾弾集会が開かれ1000人の学生が夜遅くまで参加する。田中委員長の辞任を迫るも、「覚悟はあるが、まだ言えない」と拒否。しかし”暴力否定”の確認書にようやく署名する。糾弾闘争39時間目の“成果”となる。
13:00 文学部181教室でクラス討論連絡会議主催の学生集会250人。「学生大会開催実行委員会」を結成し、『手づくり自治会』の呼びかけも行われる。
 夕刻 2J有志学生5名、真実を伝えたいと九段の私学会館で記者会見1時間半、担任の長谷川教授同席。

【1Tのクラス有志14名の決議】

1) 川口君の虐殺を断固糾弾し、革マル派によるスパイ容疑でっち上げを糾弾する。
2) 全中自(=全学中央自治会)執委・一文・文連(=文化団体連合会)常任委・早稲田祭実行委を不信任する。
3) 暴力行為を含む一切の学生の自主活動破壊を許さない。
4) クラス・サークルの決議をやり抜き、早急に学生大会を開催する。
5) 当局のロックアウト等による学生への弾圧粉砕を決議する。
さらに、学生大会を開き、不信任の態度表明を明らかにするなかで、規約改正と新執行部選出のための準備委員会を提案する。また、学生大会を開くまでにクラスにおいて学生自治についての討論を行うよう要請する。(『一文有志の記録』より)

【2Jの記者会見】

私学会館で行われた匿名で写真撮影もなしという異例の記者会見は、革マル派による一方的な「川口君が中核派だった」いう情宣に対抗するべく、マスコミ関係にいた父兄によってセッティングされた。川口君は、クラスでは一番活発だったがセクトには帰属していなかったこと、中核派の関わる部落問題に熱心だったことが、自治会(革マル)には気に入らなかったかもしれないこと、連れ去られた日の夕方、友人の一人が大学に電話して救出を求めたにもかかわらず『自分の事を心配した方がいい』と取り合ってもらえなかったことなど、報道でふれられていなかった川口君の素顔や事件当日の大学の対応などを明らかにした。

【リンク】

11月16日 文学部学生集会決議