1972年11月11日(土)川口君葬儀。本部でリンチ殺人糾弾集会

提供: 19721108
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【概要】

川口君の葬儀(密葬)が行われた。革マルは記者会見で馬場素明委員長の辞任を発表。昼前には本部大隈銅像前に「11.8に関する声明」と大書した立て看を出し、「スパイ行為に対する原則的な自己批判の闘い」と自己を正当化するアジ演説を繰り返した。これに気づいた民青と一般学生が革マルを取り囲み、その討論の輪が広がって「リンチ殺人糾弾集会」へと発展。2000人の学生が見守るなか、田中敏夫全学中央自治会委員長を仮設の演壇に上げ、4項目の確認書への署名を要求したが田中委員長は拒否。午後8時、集会は解散した。

【この日のできごと】

9:00 葬儀が行われ、浅井一文学部長と学生生活課長とが出席する。
11:30 ヘルメット姿の革マル10数名がベニヤ板20枚に大書した「11.8事件に関する声明」を据付ける。マイクで看板の内容と同じアジ演説を行う革マル派を一般学生が囲み、あちこちに討論の輪ができる。
15:00 2000人に膨れあがった学生は仮設の演壇を作り田中敏夫全中自委員長を囲んで”リンチ殺人糾弾集会”となる。「4項目の確認書」が出されたが、田中は署名を拒否した。
15:50 当局は以降の授業を休講とし、マイクで「早期解散」を呼びかけ17:00以降をロックアウトに。
18:00 革マルは「権力との緊張」を理由に第一学生学館に逃げ込み、学生は学館を取り巻いたが午後8時頃には解散した。

【革マルの声明文】

「この過程(注・戦車阻止総決起集会)において、われわれは、中核派学生、川口大三郎君の文学部構内でのスパイ活動を摘発した。『反革命・革マル殲滅』なるものを戦略的課題にまでまつりあげ、われわれをはじめとする全学連への敵対的行為のみを自己目的化し、それを終始一貫してとりつづけてきた中核派のスパイ活動を川口君は担っていたのだからである。それゆえ、われわれは当然にも誠実な自己批判を川口君に要求した。その結果、彼はスパイ活動の事実を認めた。したがってわれわれはさらに、彼が自己のスパイ活動の反動性を主体的に反省することを追及したのであった。この過程において、われわれの全く予期せぬ不測の事態が生じた。(中略)11.8事件という形で中核派学生の犯罪行為に対する自己批判要求の闘いにおける限界であるとはいえ、しかしかかる犯罪行為に対する原則的な自己批判の要求は全く正当であり、それだけでなく腐敗する中核派学生の一掃をめざした思想的=組織的闘いは、我々にとって緊要性を一層増しているといわなければならない。いやこの行為に示された限界性を我々自身がのりこえ、この思想的=組織的闘いの質的高度化させることこそが、すべての諸君に対するわれわれの真の意味での自己批判であるとかんがえる。」(早稲田キャンパス第167号)

【革マルの「正当性」の根拠について】

「集会では、具体的な議事の進行に伴って、『中核派の学生なら殺してもかまわないのか!』『これからもリンチをやるのは正しいというのか!』といった一般学生の怒号や詰問が革マル派に対して浴びせられていた。われわれは当面、革マル派の川口君に対するリンチ行為そのものの『正当性』の根拠となっている事実関係を把握していない以上、客観的に川口君という個人が革マル派にとってどのような位置にいたかということは判断できないが、実際にリンチ行為によってもたらされた川口君の死という事実がある以上、革マル派には、リンチ行為を行なうに際して持っていた事実判断と正当性の基準を、あくまで大衆的に明らかにする義務があると考える。」(早稲田キャンパス第167号)

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