1972年11月10日(金)村井資長総長、川口君の通夜に5分間出席

提供: 19721108
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【概要】

大学当局が「再びこのような事件が発生しないよう全力をあげる決意」を示した告示を掲示。その中で昭和44年以来初めて「革マル派の者の行為によって」と、特定のセクト名をあげて非難した。夕刻、村井資長総長は文部省を訪れて事件の経過と大学の対応を報告。その後、渡辺真一学生部長と2J担任の長谷川良一教授を伴って川口君の通夜に赴いたが、5分で退出する慌ただしさであった。

【この日のできごと】

朝 大学当局は構内11カ所に「再びこのような事件が発生しないよう全力をあげる決意」趣旨の告示を掲出する。
◎一文では15の授業が休講となり2Jなどではクラス討論が行われる。
午後 革マル派全学連緊急中央執行委員会が招集され、馬場は委員長を辞任し、前川健(23)北大農学部4年が委員長代行に就任する。(翌日、記者会見をして公表)
■革マルは「11.8事件に関する声明」ビラを全学中央自治会(全中自)と文化団体連合会(文連)常任委員会の合同名で配布する。
◎学部長会議、常任理事会が行われる。
◎第一・二文学部連合臨時教授会・教員会が行われ「告示」が掲出される。
◎村井総長は文部省を訪れ、事件の経過と大学の対応を報告。その後、記者会見を行う。
◎村井総長、渡部真一学生部長、長谷川良一教授(担任)が通夜に出席も5分で退出した。

【当局の発言】

「意見の違う学生同士がたまたまこづき合いをしては二、三時間で散ってゆく。そんなことがよくあったので、今度もその程度かと……報告によれば悲鳴も聞こえなかったらしい。力——暴力ではなく説得する力がわれわれになかった。学生は口でいってもきかない。これまでの学校の態度がよかったとはいわない。こんどこそなんとか暴力をなくす方法を考えたいのだが……」(第一文学部学生担当教務主任・新保昇一助教授)
「これまで大過なくきていたのでリンチ殺人までおこるとは、学生の良識を信じていただけにショックだった」(同学部・品田三和一良教授)
「(自治会室以外の部屋を※)占拠された直後は何回か明渡すように申し入れた。が、力関係で……。事件当日も教務の教師が何回か現場の部屋の前まで行っているのだが、かれらは『ご心配はいりません』『大したことはありませんから』などといい、室内には入れなかった。これまでは事実、大きな事件にはなっていないので、お互いの信頼関係でかれらにまかせていた」(渡辺真一学生部長)
※( )内は補足。大学当局は129教室を一文自治会に、130教室を二文自治会に提供した。127教室、128教室は革マルによる不法占拠であった。

【村井総長の記者会見】

———— 自治会との対話はあったのか。
村井 意見の相違はしばしばあるが、常にかれらと議論をし、話合いには努めてきた。
———— 文学部自治会室の教室占拠については。
村井 個々の教室までは知らないが、学部が提供した部屋の近くの教室が占拠されていることは聞いていた。残念ながら大学側は黙認した形となっていたが、今後は部屋を提供することをやめることも考えている。
———— 学生に対する処分は。
村井 文学部長が自治会の委員の話を聞いたところ「悪いことをした」と自己批判を約束したという。いずれにせよ、公認した自治会であるので、その責任は重く、きびしく処分したい。
———— 革マル派と意見の違う学生は授業にも出られないというが。
村井 一時期そういうことがあって、その学生が教務主任に連絡すれば連れていって授業に入れるようにしている。だが、学生同士の敵対関係は激しく、実際はなかなか難しいようだ。ただ、九月以降はふん囲気もやわらいで来た感じで、私自身は喜んでいたのだが……。

【文部省の発言】

「自治会室が“密室”になっているのをすみやかに是正し、大学当局がこの事件の善後策を具体的に、早急に明らかにすると同時に、マンモス大学では難しいことが多いだろうが、少なくとも在籍者の管理には一層の努力をしてほしい」(文部省・木田大学学術局長)
(以上、1972年11月11日付朝日新聞より)

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