「あいつは素直に物を考え、自分の足でたしかめて物を言うやつだ」(早大2J)

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川口大三郎が殺された。そんなことは信じられない。「おばはん」「おばはん」と私のことを呼んでいたガキだった。ピンクの半袖のTシャツにGパン、ゲタばきで、ガニマタで階段を昇ってくる。「ヨォー、悪りぃ、悪りぃ。ちょっと遅れちゃった」と言ってくる。
私が、あいつという人間を知ったのは学費闘争のときだった。クラス全体で学費を研究することになった。クラスを4つの班に分けて、それぞれ問題を研究した。私とあいつとは、一緒の班だった。私は産学協同についてのテーマだった。あいつは学則、その他、早稲田そのものの具体的な経過だった。あいつは、「もし俺が1年遅れていたら、早稲田には入れない」「貧乏人の行けない早稲田なんて、ナンセンスだ」という自分自身の生活から出た声で物を言っていた。その後もずっとそうだった。私なら「◯◯セクト」のレッテルが貼られるのがこわくて言えないことも、自分で思っていることをズバズバ言っていた。だんだん冬になり、人が来なくなっていった。しかし、あいつは実際に本庄校舎を見てくるといって友達と出かけたりした。そしてこれまでの総括を本庄でやることにした。それがこの本に載っている、本庄コンパの案内状である。
あいつは素直に物を考え、自分の足でたしかめて物を言うやつだ。
そんな奴が殺されるなんて信じられなかった。
1973年1月1日、はじめてあいつの夢を見た。
一緒にデモをしていた。クラスの連中と一緒に、すごく長いデモだった。私の隣にあいつがいて、ふとあいつは言った。
俺、あの時、死ななくてよかったなぁー。本当に良かったよ」
「本当ねぇー」と、私が答えたところで目がさめた。はじめてあいつが死んだということを感じた。夢の中で、「本当ねぇー」と答えることがすごくうれしかった。あいつやっぱり死んでなんかいないじゃない。何だ、今までのが夢だったんだ。だれだ私をだましたのは、憎らしい。こんなに心配させて、と思った。
夢からさめて、「あっ、あいつはやっぱり死んだんだ」と思えた。あいつ、やっぱり殺されてしまったんだと思った。
今、私はあいつの死に対して評論めいたことはいえない。ただ、あいつの死の重みを背負って生きていかなければ、あいつが本当に死んでしまう気がする。
私は、あいつを死なしたくない。
(「声なき絶叫」掲載)