1973年1月24日(水)一文でピケスト。教育学部団交で新執行部の認知確認

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【概要】

一文では試験強行の構えで検問体制に入るが、臨執のピケにより試験を中止。教育学部では団交が開かれ、前夜の専任教授会で新自治会を唯一の交渉相手として“認知”した旨が伝えられた。

【この日のできごと】

8:00 一文当局は2年生6クラスの語学試験を行う予定で教職員が検問体制に入る。
8:30 一文臨執はスロープ上に机・椅子でバリケードを築き、20名がピケを張り「スト決行中」の立看を出して登校する学生にクラス討論と自治委員選挙を呼びかけたため、 文当局は試験を中止に。
◎ 教育学部団交。新執行部(永井委員長)を唯一の交渉団体として認知することをその場で発表した。
◎ 22日に逮捕された学生(政経学部15名)が釈放された。
16:15 革マル60名は検問粉砕を叫んで銅像前で集会。機動隊が二度導入され、投石した2名を威力業務妨害・公執で逮捕した。
◎ 二文では予定通り試験実施。

【一文有志の記録から】

「24日(水)朝8時半頃よりピケット。強硬な教授もいて、革マルのストライキと同じじゃないかなどと、単に形態のみを問題にして内実を問題にしていない。かなり強硬にピケットを張る。9時45分頃試験中止。

【教育学部当局による新自治会の“認知”】

「早大教育学部(川副国基学部長)は23日夜、専任講師以上の専任教授会を開き、80人の教員が出席して自治会承認問題を協議した。その結果、革マル派追放を叫ぶ反革マル学生が昨年11月29日の学生大会をたたき台に組織した新自治会を唯一の交渉団体と認めることを賛成多数で決めた。
早大では、革マル派のリンチ殺人事件を契機に、革マル派自治会解体、新自治会結成の空気が学生の間で盛上がり、8学部中政経、教育学部で新自治会、第一文、二文、商、社会科学部で臨時執行部ができ、それぞれ学部当局に“認知”するように交渉してきたが、学部当局が新自治会を唯一の交渉団体と認めたのは教育学部がはじめてであり、他学部にも大きな影響を与えるとみられる。教育学部では、24日午後1時からの学部団交でこの決定を学生側に伝えた。」(1973年1月24日付毎日新聞)
(注.教育学部専任教員会は1972年11月8日、革マル系の「教育学部学生自治会(松本委員長)」を、信任についての「自主投票」の結果を踏まえた審議により、教育学部学生を代表する組織として承認するという結論に達していた。いうまでもなく、同日夜に生じた川口大三郎虐殺によって、直ちに承認決議は白紙に戻され、この「自治会」を否認する決定がなされた。)

【教育学部の状況】

24日の学生大会を前に出された教育学部の国文闘争委員会(準)と社会科学クラス行動委連合(準)の連名によるビラの中に、当時の状況を示す次のような記述がある。このビラの見出しは「一切の闘争分断~破壊~圧殺策動を全学の力で粉砕し尽くせ!」そして3本のサブは:「機動隊による闘争弾圧・不当逮捕粉砕!」「日共=民青による自治委員総会への政治的介入を弾劾せよ!」「革マルの恒常化した武装敵対断乎粉砕せよ!」
「すなわち昨日、22日の教育クラス委員総会を見ればそれは全く明らかになっているのである。彼らは、執行部提出の議案書に常任委員の一部(民青系)が何と否認の態度をとるという、前代未聞の内部切り崩しを計っていったのである。何という茶番劇であろうか。そればかりではない。一部国文クラス委員の『国文クラス委員連絡会』なる諸君の提出したクラス委員総会での『対案書』なるものの犯罪性、ギマン性も挙げねばならないだろう。彼らは15名のクラス委員をもって『対案書』の中で『国文クラス委員一同』なる、国文らしからぬ文章上での誤りを最後まで貫き続け、明確に分断を計っている。クラスに基盤をもつ彼らが自ら『クラス討論が徹底されていない』と語り乍ら何の根拠もない『国文クラス委員連絡会』なるものに結び集い『対案書』を出す立場は如何なる理由をもっても正当性の一片も存在しないことを明らかにしておかなければならないだろう。そしてひたすら議案書を蹴落とすことを目的化し、その『対案書』にも、議案書に代わる方針らしきものが一つも在りはしなかったのだと云う事実を見るなら、これも闘争を単に破壊するもの以外の何ものでもなかったことを、全ての教育学部の学友の前に明らかにして良いと思う。」

【この日の革マル】

「紛争の続く早大で24日も本部構内に二度にわたり機動隊が導入され、投石していた革マル派学生2人が公務執行妨害などで逮捕された。革マル派学生40人はこの日昼すぎからヘルメット姿で旗ザオを手に“検問粉砕”を叫び集会を開いていた。大学側は再三退去を命じたが革マル派はこれを無視、大学の掲示板をこわしたり、検問中の教職員をこづいたりしたので大学側は同4時15分、機動隊の出動を要請した。機動隊約50人が法学部わきの通用門から構内に入ったが、革マル派はクモの子を散らすように逃げ、機動隊はいったん引揚げた。
革マル派はこのあとも警告を無視して集会を続けたため、機動隊約100人が正門と法学部わき通用門から再び入り、投石していた2人を現行犯逮捕した。同5時前、騒ぎはおさまった。
またこの日第二文学部でも試験ボイコットのピケストが予想されたが、学生の妨害はなく、午後5時半から試験が始められた。大学当局は25日も検問体制で試験を実施、24日ピケストで中止になった第一文学部の試験も強行する構え。」(1973年1月25日付朝日新聞)

【1月26日の一文臨執のビラには】

「(前略)革マル派はハレンチにもバリケードの中に侵入し、空虚にがなりたてている。(中略)革マル派にはストライキに入る権利は一切ない。彼らの我々の闘いへの便乗、のっとりを決して許してはならない。彼らは本日181教室で全学連政治集会を強行しようとしている。このようなたくらみを粉砕せよ! ぼくたちのバリケードを守ろう。ぼくたちこそがこのストライキの主役なのだ。(後略)」


【リンク】

試験強行阻止!スト貫徹! 1.23学生大会勝利万歳-自立した自治会運動の創出へ 第一文学部学生自治会臨時執行委員会
革マルの敵対を粉砕し、ストライキ実行委の結成をもって、一週間ストを貫徹せよ!一文行動委連合(準)