「早稲田をこよなく愛し、自ら“早稲田の住人”と称した彼」(早大2J)

提供: 19721108
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早稲田から星が消えた。比類なき強さと底抜けな明るさを持った星が…。
早稲田から星が消えた。無限の可能性と生命力を秘めた星が…。
長い様で短い1年半--人間・川口大三郎を語るには、余りにも短い歳月である。しかしその短い間にも、彼は私に多くのことを語りかけ、そしてぶつけあった。そうした接触によって浮き彫りにされた彼の人間像を、多くの人に知らせ理解せしめるのが私の責務であろう。
私が彼に最初に出逢ったのは、入学後、初めてのクラス・コンパの時である。コンパの酒だけでは飽き足らず、お互い名前も知らない7~8人が肩を組んで「都の西北」を歌ったり、大声でわめき散らしたりしながら早稲田から新宿へ繰り出し、一軒の飲み屋に入って大いに飲み、大いに歌ったのだが、その中に大層飲みっぷりがよくて威勢のいい奴がいた。それが川口君である。
酒が縁で知り合った彼と私は、お互い酒好きのせいか、その後も暇と金さえあれば酒を飲んでいた。私はいろんな人間と酒をくみ交わしてきたが彼と飲む酒は格別「うまい酒」であった様に感じる。笑顔と話題の絶えない彼が、飲むと口癖の様に、「シルク・ロードを車で突っ走るんだ」とか、「アマゾンの奥地を探検するんだ」と、目を輝かせて言っていた。
当時、私達は5~6人で、グループを形成していた。クラス・メートは私たちを称して「極道グループ」と呼んだが、この「極道グループ」は全員サッカーが好きで、来る日も来る日もボールを蹴っていた。ところが川口君は一向に上手にならず、彼の蹴ったボールはどこに飛ぶかわからない有様で、ボールを蹴るというより、ボールと戯れているという感じであった。それでも彼は毎日ボールを追っかけていた。湧き上がるエネルギーをスポーツで発散するかの如く…。
スポーツといえば彼は登山が好きで、休暇ともなると高校の後輩と一緒に山に登っていた。自然を愛し、山をこよなく愛した優しい心根の持主であった。
また、お祭り騒ぎが好きな性分らしく早慶戦には毎シーズン顔を出していた。神宮で騒いで新宿で飲んで大騒ぎする--一連のこのムードが気に入っていたようだ。私が彼と最後に飲んだのは昨秋の早慶戦で、8シーズンぶりの優勝を逃がした為かヤケ酒をあおり「カジシャー(編注:鍛冶舎。早大野球部で一番人気のあった選手)」と叫んで狂乱した。それがまさか彼との最後の酒になろうとは…。
早稲田をこよなく愛し、自ら「早稲田の住人」と称した彼は、早稲田を愛するが故に学費の大幅値上げに反対し、学費値上げによって、当然引き起こされる大学の庶民性の喪失、ブルジョア化を大いに憂い、そして何よりも元来均等であるべき教育が貧富の差によって不均等になる事に大いなる怒りを感じていた様だ。
彼は入学当時から全ての差別に対して憎悪を感じていた様だが、それが部落差別問題に顕現化して部落解放運動について学習し、クラスで討論を呼びかけながら闘っていた。純粋に差別に憤りを感じ、より深く学習しながら真剣に差別問題に取り組んでいった彼は、党利党略の渦中に陥り、その生命を断たれた。
Tシャツ、Gパン姿で顔一杯に笑みを浮べながら下駄の音も高くさっ爽と歩く川口君、そして顔に数カ所の傷を受けながら唇をキュッと結んで男々しく眠っていた川口君。私の頭には二つの川口君像が去来する。
余りにも両極端すぎる「生き様」と「死に様」……私達はこの二つの川口君を忘れ去ってはならないだろう。
(伊東高校山岳部OB会発行「川口大三郎遺稿集」掲載)