「ボサボサの髪に、Gパン、Tシャツ、ゲタの音も高くひびかせながら」(早大2J)

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満面に屈たくのない笑みを浮かべて、ひときわ明るく振るまっていた川口大三郎……彼の顔が私の脳裏をかすめ、そして、去っていき、うすぼんやりとした輪郭が目の前に現われたかと思うと、又、次第に遠ざかっていく。そして、一年半有余の短い期間に起こったような出来事--彼とともに飲み、遊び、語った経験が--、断片的に思い起こされる。
私が、彼の存在を認識したのは、最初のクラス・コンパの時だった。コンパの酒に物足りなさを感じた私は、数人連れ添って新宿へ行き、肩を組みあい、歌とは言い難き蛮声をあげながら、一軒の飲み屋で二次会を催した。私が腰を落ちつけ、安酒を飲んでいると、私の目の前で、色白の滅法威勢のいい男が大声でわめき散らしながら、酒をあおっている。「飲みっぷりがいいなあ。もう一パイ」と煽ると、ますます勢いづいて飲みだし、「お前もまあ一パイ」と返盃する。そんな調子であるから全く泥酔し、ヘドを吐き、友人宅で前後不覚に眠りこんでしまった。この痛快な男こそ、川口大三郎君である。
酒を媒体とし、知己となり得た彼と私は、その後も度々酒席をともにした。私は、無類の酒好きで、宵闇せまれば、酒が恋しくなるのだが、彼も私と大同小異であり、ヒマと金さえあれば飲み歩いたような気もする。
彼のけれん味のない飲みっぷりと、豊富な話題は酒席を和ませ、酒をおいしくさせたし、お互いに腹を割って話し合い、時には罵倒し合うことによって絆を太くしていったように思われる。
人間を、その活動性で大別すると、動的人間と静的人間に分けられると思うが、彼は間違いなく動的人間であろう。片時もじっとしていられないらしく、四六時中サッカーボールをけっていた。というよりも、ボールと戯れていた。技術的には全くお粗末で不格好なのだが、明るい陽ざしをうけて、汗をたらたら流しながらボールを追い、ボールと戯れる彼の姿は、スポーツマンのもつすがすがしさを感じさせ、何ともいえない爽快さがあった。
明朗快活な好青年という印象をうける彼だが、彼の明るさの中には、少しもうわついたものを持ち含んでいなかった。奨学金と日曜、休暇中のアルバイトで生活費、学費を捻出していた彼に、そんな甘さが入り込むスキはなかった。逆境を克服するたくましい精神力……明るさとともに強さを持った男なのだが、そういう人間にありがちな独善性を見せない謙虚さと包容力を兼ねそなえた不思議な?男であった。こう書き立てると、彼が完全無欠な人間のように思われるかも知れない。しかし、人間の長所は、裏を返せば短所になる場合が多く、完全無欠な人間など存在するはずはないのである。が、彼の死後、親しい友人と生前の彼について、あれこれ回想し合う中で、「はたして川口の欠点は、何だろう」と問いかけると、一様に首をかしげ、結局は「見あたらない」という結論に達してしまう。私たちの彼に対する理解・認識が充分でなく、皮層的な面しか捉えていないのかも知れないが……。
だれにでも笑顔で接し、自然を愛し、山を愛した彼が、何よりも憎み、怒ったのが人間差別である。差別、とりわけ部落差別問題には深い関心を示し、懸命に学習し、活動した。クラスにおいてもクラス討論を呼びかけたり、資料を提供したりして、積極的にとり組んでいた。一度くいついたら離さない粘っこさと、自分の信念を曲げない意志強さ、そして人間差別を許せない純粋さが彼の言動の中に脈打っていた。
しかし、一面彼は、無類のお祭り騒ぎ好きであった。私とともにクラス「コンパ委員」を自認しており、クラス・コンパの幹事をやり、最初から最後まで騒ぎっ放し、うたいっ放しという有様である。又、早慶戦にも仲間と度々応援に行き、新宿で大いに飲み、大いに騒いだものである。思えば、彼と最後に酒をくみ交わしたのが、昨秋(47年)の早慶戦第3戦の時である。優勝という大魚を逃した口惜しさを吐き出すように、「カジシャー(鍛冶舎=早大の主力打者)」と大声で怒鳴りながら新宿の街を歩いた。
又、たいへん冒険好きな面があり、「シルクロードをジープで走破するぞ」とか、「アマゾンの奥地を探検したい」などといっては、我々をびっくりさせた。冒険の話をするとき、彼の目に口に体に、青春のエネルギーの無限の噴出を希求する鬱勃たるパトスがあふれ出るのが、ひしひしと感じられた。彼の行動力と計画性をもってすれば、実現不可能な夢では決してなかったと思うだけに……。
川口大三郎君、ボサボサの髪に、Gパン、Tシャツ、ゲタの音も高くひびかせながら私の前に現われ、そして去っていった君。自ら「早稲田の住人」と称し、早稲田をこよなく愛するが故に、否定的現状を憂い、嘆いていた君。自己を鋭く見つめながらも精いっぱいのびのび生きていた君。君の肉体はズタズタにされ、君の生命は齢20にして断ち切られ、君の未知なる無限の可能性は無と化したけれども、君の残した無形の精神的遺産は、私たちが永久に継承し、維持し、発展させていくであろう。生前、私たちに語りかけた君の思想が、君の声が、いま私たちの中にこだまする。
川口大三郎よ、すばらしき朋友よ、安らかに眠り給え。
(「声なき絶叫」掲載)