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		<title>19721108 - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<updated>2026-04-15T09:25:49Z</updated>
		<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
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		<title>1973年1月</title>
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				<updated>2017-12-17T21:57:19Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[1973年1月1日（月）大学当局が保護者宛に文書を送付。学生への協力を呼びかけた]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973 年1月7日（日）冬休み明け前日に全学拡大クラス会議を開催]]&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
[[1973年1月8日（月）大隈銅像前で全学総決起集会200名。内黒ヘル100名]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973 年1月11日（木）政経学部で初の団交]]&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
[[1973年1月12日（金）一文で団交要求集会。商学部では革マルがクラス委員総会]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年1月13日（土）一文各クラスで自治委員選挙始まる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年1月16日（火）政経学部の学部団交1000名結集。一文で自治委員選挙]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年1月17日（水）革マルが一文の自治委員選挙を妨害。十数名の負傷者が出た]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年1月18日（木）全学行動委、サ連他の部隊が馬場下で機動隊と衝突]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年1月19日（金）政経学大で1週間ストを決議。11号館で革マルと攻防]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年1月20日（土）ロックアウト中の本部構内に突入。評価には賛否の声]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年1月22日（月）政経執行部が3号館を封鎖。機動隊出動で逮捕者15人]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年1月23日（火）一文で学生大会が開かれる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年1月24日（水）一文でピケスト。教育学部団交で新執行部の認知確認]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年1月25日（木）一文の試験中止に。自治委員総会開催の要件整う。教育学大でスト決定]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年1月26日（金）政経当局は学生投票が有効と承認。自治会再建へ一歩か]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年1月27日（土）一文で新執行部選出。政経は第二波1週間ストへ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年1月29日（月）一文で学部団交。政経と教育では試験中止に。社学で新執行部発足]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年1月30日（火）一文で学生大会。第二波 1 週間ストを決議。社学では試験延期]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年1月31日（水）一文当局は試験の無期延期を決定]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

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		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E7%A7%81%E3%81%AE%E5%9B%9E%E6%83%B3%EF%BD%9E%E4%BC%9A%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9FO%E5%85%88%E8%BC%A9%E3%81%AB%E6%8D%A7%E3%81%90_%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%96%87%E5%AD%A6%E9%83%A81%E5%B9%B4J%E7%B5%84_T%E3%83%BBH&amp;diff=225</id>
		<title>私の回想～会うことのなかったO先輩に捧ぐ 第一文学部1年J組 T・H</title>
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				<updated>2017-12-10T04:04:47Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:早稲田大学時代の友人から「Oさんという先輩を知っているか。急死され、追悼集を出すことになり、出版社が君に連絡を取りたいと言っている」とのメールが来た。了承すると、出版社の経営者兼編集者から資料が届いた。Oさんは旭丘高校２０期で、私の３年先輩。早稲田に私は一浪して入学したので、高校、大学のいずれでも、同じ時間を共有したわけではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:しかし、編集者から届いた資料の中に、旭丘で大変お世話になった恩師・H先生が書かれた原稿があった。デモ、全校集会、制服制度廃止……１９６０年代後半の旭丘を覆った「政治の季節」に教師集団がどう対処したのか詳細に描かれていた。半世紀近く前の高校時代のことが鮮烈に蘇り、心が湧き立つ思いだったが、生徒側であった私の見方とは異なる部分も含まれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:さらに、私が入学した７２年当時の早稲田大学は、新左翼系セクトの革マル派（革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派）がキャンパスを文字通り暴力支配していた。第一文学部の同じ語学クラスの先輩が革マル派にリンチされ、殺された事件が起きたのを機に、キャンパスに自由を取り戻す闘いに否応なく参加したものの、鉄パイプで襲われ、心身ともに傷ついた。奥村先輩もまた旭丘高校、早稲田大一文の両キャンパスで青春を生き、早大闘争で傷ついたという。やがて詩人・俳優となり、２年前、突然の死を迎えられたと聞く。この拙稿が天国のO先輩の追悼につながればと願う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　（中略）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:旭丘高校の「政治の季節」の思い出に紙数を費やしてしまったので、早稲田大学第一文学部での話は手短にまとめたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:私が早大一文に入学したのは１９７２年。Ｊ組という中国語の語学クラスで、担任の教授が挨拶をしていると、自治会でＪクラス担当だというＨと名乗る学生が入ってきた。「大学の講義は９０分とされているが、後半の３０分は我々が長年の闘いで勝ち取った自治会の時間です」と言い、教授を外に追い出して、第一文学部学生自治会の現状や歴史などを語り始めた。キャンパスの周辺のあちこちで革マル派のヘルメットをかぶった、いかつい表情の学生らが警戒しながらチラシを配っているのも異常だったが、連日の授業に介入し、新入生に思想調査さながらの質問を繰り返す姿に、クラスメートから激しい反発の気持ちが芽生えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:やがて、「第一文学部自治会選挙闘争委員会」という「組織」がつくられ、この闘争委員会の指導で、革マル派に親近感を持つクラス委員の選出を促された。我々１年Ｊ組は、この指導に抗って温厚な人柄の対立候補を立て、投票によって、この対立候補をクラス委員に選んだ。この時、私は闘争員会のメンバーから文字通り睨まれ、「自治会室へ来るか」とすごむような声音で言われたのを覚えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:５月の連休明けに開催された学生大会の異様さも忘れられない。体育館の会場の様子を見に行った級友が血相を変えて戻ってきて、「大変だ。1年Ｊ組の座席のプラカードが会場の最前列の真ん中に用意されている」と伝えた。危険を感じて、クラス委員の出席は断念してもらうことにし、しばらく様子を見たあと、私を含めた級友たちはばらばらに会場に入った。会場では革マル派独特の長文の大会決議案を読み上げたあと、決議案への賛否を問う投票となった。この時、賛成票を入れる投票箱は普通の箱だったのに対し、反対票を入れる投票箱として使われたのは、「ゲバマル」（ゲバルト＝暴力を振るう革マル派の活動家）と呼ばれた学生が手にする革マル派のヘルメットだった。私たちは反対票を投じる気持ちをそがれ、黙って会場を出るしかなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:６月末、私たち１年J組の有志は『群稲』という同人誌をつくった。小説、詩、随筆、評論など一切自由な内容で、１５人がペンネームで原稿を書いた。私は「我がミスターZ氏を解剖する」というタイトルのノンフィクション小説？を書いた。今読み返しても赤面する稚拙な内容だが、上記の革マル派のHのことを「ミスターZ氏」＝「月光仮面氏」として、皮肉を込めて描いた。「本物の月光仮面は毎週日曜日の３０分間だけだったが、我が無名の月光仮面氏は週に３回から４回、我々の教室に現れて、『私は正義の味方』と演説をぶつ。しかも我々の意志でチャンネルを切ることなど認めてくれやしないのだ」「月光仮面氏とその仲間が最近、主要な目標としているのは、彼らの敵であるマンモスコングを残らず叩き出すことと、この早稲田大学に『月世界』＝理想郷を創ることのようだ。そのために彼らはこの大学から汚染源である空気を一生懸命抜こうとしているように私には思える。空気を抜けば、地球人である私たちは生きてゆけない。……」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:級友たちは、この原稿を別冊として本体から切り離し、目次からもはずして、「この作品の存在はクラスの中だけにとどめてほしい」との注意書きを書いて、発行した。そうした配慮がなければ、このあまりにも無防備な作品は革マル派による弾圧の対象になっていた可能性があると思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:早稲田祭が終わって間もなくの１１月８日、決して忘れることができない事件が起きた。この日午後、私たちの語学クラスの１年先輩、２年Ｊ組の川口大三郎さんが革マル派の活動家らに文学部キャンパス内で拉致され、自治会室と彼らが称していた教室に連れ込まれた。拉致される際、たまたま一緒にいた２Ｊのクラスメートらが救出しようとしたが、阻まれ、翌日朝、凄惨な暴行の跡を残した川口さんの遺体が東京大学本郷キャンパスの正門前で発見された。川口さんは革マル派と対立していた中核派の活動家と疑われ（事実は異なっている）、その追及の過程で集団リンチを受け、絶命したのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:革マル派の思想・主張がどうであれ、こんな殺人事件を起こし、キャンパスを暴力支配する体制は絶対に許せない。少なくとも、私はそう考えた。事件の３日後の１１日に１年Ｊ組の仲間たちと一緒に、文学部キャンパスの入口のスロープわきに立ち、「革マル派自治会を糾弾するため、立ち上がろう」と呼びかけた。賛同の輪が次々に広がった。最初のころ、そのほとんどは１年生のクラス単位での参加だった。Ａ、Ｂ、Ｃ、Ｄ、Ｅ、Ｆ、Ｇ、Ｈ、Ｉ、Ｋ、Ｌ、Ｍ……。それぞれのクラスの代表らの名前、顔を今でも思い浮かべることができる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:入学して初めて立て看板を書き、プラカードをつくり、ハンドマイクを入手して、「これまで早稲田には自由がなかった」「自由なキャンパスを取り戻すために、革マル派の自治会をリコールしよう」と口ぐちに訴えた。私たちは、暴力の恐怖で上から押し付けられた自治会ではなく、クラス討論をもとにした手作りの自治会をつくる。そんな思いを込めて、「第一文学部クラス討論連絡会議」と名乗ることを決めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:そのさなか、私は川口さんと同じ２年Ｊ組の知り合いに喫茶店に呼び出された。「そんなことをしていると、間違いなく革マル派に襲われるぞ。俺たちは革マル派に見つからないように、こうして喫茶店を転々としながら横の連絡をつくっている。身の安全をもっと考えろ」とまくし立てられた。そうか、２年生以上がなかなか集まらないのは、革マル派への恐怖心が身にしみついていたためだったのか、と納得した。しかし、文学部スロープ下の集会は、約５００メートル離れた本部キャンパスでの学生集会とも呼応して、数千人単位、さらに１万人以上の規模に膨れ上がり、連日続いた。両キャンパスを埋め尽くす学生たちの歓声、拍手、マイクを通して響き渡る訴え。その盛り上がりは、１１月１７日に大隈講堂で開催された川口君の学生葬で頂点に達した。川口君を女手一つで育てた母親、さとさんが出席し、無念の思いを語ると、会場は涙で包まれた。学生葬には、革マル派の文学部自治会の田中委員長も途中から押し入るように出席した。２Ｊの川口君の級友たちが号泣しながら、「川口を生きて返せ」と田中委員長に詰め寄っていた光景が忘れられない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:１１月２８日、全学の学生らの支援を受けて、第一文学部学生大会を開催した。大歓声の中で、革マル派自治会執行部のリコールを可決したあと、自治会の再建を担う臨時執行部を選出。私はその臨時執行部の委員長に選ばれた。「川口君が殺された事件を機に、怖い物知らずの１年生が動き出した。たまたま最初に『この指止まれ』と指を差し出したところ、その上に何千もの仲間たちが重なってくれた。今は、その重みにつぶれそうだが、最初に指を出した者の責任を自覚し、早稲田に自由を取り戻すため、最後までやり抜きたい」。当時、私はこんなことを集会などで話していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:しかし、発足した臨時執行部はさまざまな考え方、背景を持つ者の寄り合い所帯だった。私を含めた１年生グループは、地道なクラス討論を踏まえた手作り自治会を志向していた。これに対し、かつての全共闘運動、あるいは革マル派と敵対する諸セクトにシンパシーを持つ上級生の執行部メンバーも多く、共産党の下部組織である民主青年同盟に所属する者もいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:革マル派の自治会リコールでは一致していても、その後の闘い方、自治会再建のあり方をめぐってとめどなく議論が続いた。その一方で、学生大会を終え、冬休みをまたいだ時期から、集会などの動員力が次第に衰えてきた。革マル派は、それを待っていたかのように、さまざまな形の暴力を使い始めた。たとえば、私たち臨時執行部側の集会を集団で妨害し、発言者を取り囲んでつるし上げる。個別の恫喝によって自己批判を強いるのだ。その被害にあった１年生の仲間の何人かが、運動から離れていった。私自身も、革マル派の学生に捕まって壇上に立たされ、両手を後ろ手に締め上げられながら、様々な追及を受けた。彼らは私に、中国の文革で紅衛兵の追及を受ける走資派といった役回りを演じさせようとしたのだと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:政経、法、教育学部などがある本部キャンパスでは、革マル派と中核派の鉄パイプ部隊が激突する「戦争」も起きた。深夜、私たちのデモ隊が政経学部の学生ラウンジに閉じ込められた後、私たちの面前で両グループの精鋭部隊が鉄パイプを揃えて対峙し、「戦闘」が始まった。「ヒュー」「ヒュー」と投石が宙を飛ぶ音が響き渡り、双方の活動家（主に中核派の活動家）が倒れ込む。「戦争という表現は決して大げさではない」と思った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:キャンパスの学生が少なくなった春休みになると、革マル派の凶暴性がさらに増した。本部キャンパスの教育学部校舎の教室で開いた小さな集会が革マル派の襲撃を受け、多数の負傷者が出てしまった。革マル派の男たちが無防備な私たちを教室の隅に追い詰め、一人ずつ鉄パイプで襲った。私の脳裏には今も、その光景がスローモーションの映画の場面のように焼きついている。最初は傘や竹竿でめった打ちにしたあと、男が「鉄パイプ」とつぶやく。わきで控えていた部下が鉄パイプを差し出すと、黙って受け取り、おもむろに鉄パイプを振り下ろす。男は口を半開きにし、終始、不気味なほど無表情だった。悲鳴をあげる仲間の苦しげな顔。鉄パイプが額にあたる時の「ビシッ」「ビシッ」という無機質な音。ほとばしる鮮血。大学を卒業し、社会人になってからも、ひどく疲れた夜などに、そうした場面の夢でうなされ、思わず飛び起きたことが何度かあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:こうした革マル派のむき出しの暴力、テロに、どのように立ち向かうのかをめぐり、自治会執行部内の意見は割れた。「暴力に対抗するには、われわれも自衛のため武装するしかない」「ヘルメット、竹竿は全共闘運動のスタイルだ」などの主張に、私は反対した。「革マル派がもし、日本全国をくまなく暴力支配している状態なら、私も武装に賛成するかもしれない。しかし、彼らが暴力支配しているのは早稲田のキャンパスの内側だけで、キャンパスから一歩外で出れば、平和な日常がある。そんな中で武装しても、われわれが依拠すべき学生の支持は得られない」。私の持論はなかなか受け入れられず、激しい議論が何日も続くだけで、どこまでも平行線のままだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:私自身が革マル派に鉄パイプで襲われたのは、キャンパスに新入生を迎えた５月初めだった。学生集会を開くため、文学部キャンパスの大教室の前でマイクを持って新入生に呼びかけていたところ、突然、見覚えのある革マル派の学生が現れ、「こいつがHだ」と指さして叫んだ。すると、見知らぬ数人の男たちが私を羽交い絞めにし、押し倒した。「足を狙え」という声とともに、私の両足などをめがけて鉄パイプが何度も振り下ろされた。「学館へ連れていけ」という声も聞こえた。私は近くの鉄柱にしがみつき、身体をエビのように横たえていた。鉄パイプは腕と頭部にも振り下ろされた。男たちが去ったあと、私は救急車で広尾の日赤病院に運ばれ、入院した。両目は内出血で真っ赤になっており、両足の足首ははれ上がり、看護師さんから「ゾウさんの足みたいですね」と言われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:退院後の約１カ月後、私はやっと歩けるようになり、級友たちに守られて登校し、授業を受けようとしたが、革マル派の学生らに見つかり、級友たちとともに教室に長時間閉じ込められた。救出にかけつけてくれた別の仲間の先導で、なんとかキャンパス外に逃れたが、もう大学には通えず、その後３年間、社会学ゼミの農村調査以外のほとんどの課目をリポート提出でしのぎ、やっとの思いで卒業した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:私たちがキャンパスに入れなくなるとともに、第一文学部自治会の活動は停止状態となった。「武装」を主張した仲間たちは一度、ヘルメットと竹竿の姿で文学部キャンパスに並び、日常生活に戻っていた学生たちに「もう一度立ち上がろう」とハンドマイクで呼びかけたという。「最後の闘いの場」として本部キャンパスの図書館に立てこもり、機動隊に排除され、逮捕された者もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:闘いの結末は、決して誇れるものではない。しかし、自由を求めてセクトの暴力支配に「ノー」と言い、クラスの討論をもとにした手作り自治会を目指した私たちの闘いは、間違っていなかったと思う。私は、早稲田の私たちの運動を、自由を求めて立ち上がり、ソ連の戦車に押しつぶされた『プラハの春』になぞらえて考えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:私は大学卒業後、１９７８年に朝日新聞社に入った。記者生活の大半を事件記者としてすごしてきた。８７年５月３日に兵庫県西宮市の阪神支局で後輩記者が「赤報隊」を名乗る右翼とみられる犯人に散弾銃で射殺される事件が起きた後は、取材班のキャップとして時効成立まで１６年間にわたって犯人を追いかける取材を続けてきた。取材の途中で脅されたことも度々あるが、「反日朝日の社員を死刑にした」「赤い朝日は５０年前（戦前）に返れ」という赤報隊の主張を認めてはならない。右翼への取材は、定年で契約社員となった今も続けている。私は、社内でのいわゆる出世コースには乗らなかった。残る人生も、自分らしく生きたいと思っている。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

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		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8&amp;diff=224</id>
		<title>メインページ</title>
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				<updated>2017-12-10T04:03:09Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;strong&amp;gt;[http://www.19721108.net/ 19721108.net]&amp;lt;/strong&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 川口大三郎が逝ったあの日、あなたはどこにいたか==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1972年1972年11月８日木曜日午後、早稲田大学第一文学部２年Ｊ組川口大三郎君が自治会室に拉致監禁され、翌朝、東大病院構内で死体となって発見された。そして９日以降、川口君の真相を究明し、自治会を僭称する党派を糾弾する声が全学であがり、真の学生自治確立をめざして早大解放闘争が巻き起こった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:どのような情況が川口君を死に至らしめたのか、そして何故に早大解放闘争は解体せざるを得なかったのか…このサイトは、当時の報道、ビラ、証言によってその真実を明らかにする試みである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
[[1972年11月8日以前]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年12月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年1月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年2月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年3月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年4月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年5月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
[[仲間たちの思い]]&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
[[寄せられた記録と記憶、感想]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

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		<title>メインページ</title>
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				<updated>2017-12-10T04:02:38Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;strong&amp;gt;[http://www.19721108.net/ 19721108.net]&amp;lt;/strong&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 川口大三郎が逝ったあの日、あなたはどこにいたか==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1972年1972年11月８日木曜日午後、早稲田大学第一文学部２年Ｊ組川口大三郎君が自治会室に拉致監禁され、翌朝、東大病院構内で死体となって発見された。そして９日以降、川口君の真相を究明し、自治会を僭称する党派を糾弾する声が全学であがり、真の学生自治確立をめざして早大解放闘争が巻き起こった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:どのような情況が川口君を死に至らしめたのか、そして何故に早大解放闘争は解体せざるを得なかったのか…このサイトは、当時の報道、ビラ、証言によってその真実を明らかにする試みである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
[[1972年11月8日以前]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年12月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年1月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年2月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年3月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年4月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年5月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
[[仲間たちの思い]]&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
[[寄せられた記録と記憶、感想]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

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		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E7%A7%81%E3%81%AE%E5%9B%9E%E6%83%B3%EF%BD%9E%E4%BC%9A%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9FO%E5%85%88%E8%BC%A9%E3%81%AB%E6%8D%A7%E3%81%90_%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%96%87%E5%AD%A6%E9%83%A81%E5%B9%B4J%E7%B5%84_T%E3%83%BBH&amp;diff=222</id>
		<title>私の回想～会うことのなかったO先輩に捧ぐ 第一文学部1年J組 T・H</title>
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				<updated>2017-12-10T04:01:31Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: ページの作成:「:早稲田大学時代の友人から「Oさんという先輩を知っているか。急死され、追悼集を出すことになり、出版社が君に連絡を取り...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:早稲田大学時代の友人から「Oさんという先輩を知っているか。急死され、追悼集を出すことになり、出版社が君に連絡を取りたいと言っている」とのメールが来た。了承すると、出版社の経営者兼編集者から資料が届いた。Oさんは旭丘高校２０期で、私の３年先輩。早稲田に私は一浪して入学したので、高校、大学のいずれでも、同じ時間を共有したわけではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:しかし、編集者から届いた資料の中に、旭丘で大変お世話になった恩師・H先生が書かれた原稿があった。デモ、全校集会、制服制度廃止……１９６０年代後半の旭丘を覆った「政治の季節」に教師集団がどう対処したのか詳細に描かれていた。半世紀近く前の高校時代のことが鮮烈に蘇り、心が湧き立つ思いだったが、生徒側であった私の見方とは異なる部分も含まれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:さらに、私が入学した７２年当時の早稲田大学は、新左翼系セクトの革マル派（革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派）がキャンパスを文字通り暴力支配していた。第一文学部の同じ語学クラスの先輩が革マル派にリンチされ、殺された事件が起きたのを機に、キャンパスに自由を取り戻す闘いに否応なく参加したものの、鉄パイプで襲われ、心身ともに傷ついた。奥村先輩もまた旭丘高校、早稲田大一文の両キャンパスで青春を生き、早大闘争で傷ついたという。やがて詩人・俳優となり、２年前、突然の死を迎えられたと聞く。この拙稿が天国のO先輩の追悼につながればと願う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　（中略）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:旭丘高校の「政治の季節」の思い出に紙数を費やしてしまったので、早稲田大学第一文学部での話は手短にまとめたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:私が早大一文に入学したのは１９７２年。Ｊ組という中国語の語学クラスで、担任の教授が挨拶をしていると、自治会でＪクラス担当だというＨと名乗る学生が入ってきた。「大学の講義は９０分とされているが、後半の３０分は我々が長年の闘いで勝ち取った自治会の時間です」と言い、教授を外に追い出して、第一文学部学生自治会の現状や歴史などを語り始めた。キャンパスの周辺のあちこちで革マル派のヘルメットをかぶった、いかつい表情の学生らが警戒しながらチラシを配っているのも異常だったが、連日の授業に介入し、新入生に思想調査さながらの質問を繰り返す姿に、クラスメートから激しい反発の気持ちが芽生えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:やがて、「第一文学部自治会選挙闘争委員会」という「組織」がつくられ、この闘争委員会の指導で、革マル派に親近感を持つクラス委員の選出を促された。我々１年Ｊ組は、この指導に抗って温厚な人柄の対立候補を立て、投票によって、この対立候補をクラス委員に選んだ。この時、私は闘争員会のメンバーから文字通り睨まれ、「自治会室へ来るか」とすごむような声音で言われたのを覚えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:５月の連休明けに開催された学生大会の異様さも忘れられない。体育館の会場の様子を見に行った級友が血相を変えて戻ってきて、「大変だ。1年Ｊ組の座席のプラカードが会場の最前列の真ん中に用意されている」と伝えた。危険を感じて、クラス委員の出席は断念してもらうことにし、しばらく様子を見たあと、私を含めた級友たちはばらばらに会場に入った。会場では革マル派独特の長文の大会決議案を読み上げたあと、決議案への賛否を問う投票となった。この時、賛成票を入れる投票箱は普通の箱だったのに対し、反対票を入れる投票箱として使われたのは、「ゲバマル」（ゲバルト＝暴力を振るう革マル派の活動家）と呼ばれた学生が手にする革マル派のヘルメットだった。私たちは反対票を投じる気持ちをそがれ、黙って会場を出るしかなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:６月末、私たち１年J組の有志は『群稲』という同人誌をつくった。小説、詩、随筆、評論など一切自由な内容で、１５人がペンネームで原稿を書いた。私は「我がミスターZ氏を解剖する」というタイトルのノンフィクション小説？を書いた。今読み返しても赤面する稚拙な内容だが、上記の革マル派のHのことを「ミスターZ氏」＝「月光仮面氏」として、皮肉を込めて描いた。「本物の月光仮面は毎週日曜日の３０分間だけだったが、我が無名の月光仮面氏は週に３回から４回、我々の教室に現れて、『私は正義の味方』と演説をぶつ。しかも我々の意志でチャンネルを切ることなど認めてくれやしないのだ」「月光仮面氏とその仲間が最近、主要な目標としているのは、彼らの敵であるマンモスコングを残らず叩き出すことと、この早稲田大学に『月世界』＝理想郷を創ることのようだ。そのために彼らはこの大学から汚染源である空気を一生懸命抜こうとしているように私には思える。空気を抜けば、地球人である私たちは生きてゆけない。……」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:級友たちは、この原稿を別冊として本体から切り離し、目次からもはずして、「この作品の存在はクラスの中だけにとどめてほしい」との注意書きを書いて、発行した。そうした配慮がなければ、このあまりにも無防備な作品は革マル派による弾圧の対象になっていた可能性があると思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:早稲田祭が終わって間もなくの１１月８日、決して忘れることができない事件が起きた。この日午後、私たちの語学クラスの１年先輩、２年Ｊ組の川口大三郎さんが革マル派の活動家らに文学部キャンパス内で拉致され、自治会室と彼らが称していた教室に連れ込まれた。拉致される際、たまたま一緒にいた２Ｊのクラスメートらが救出しようとしたが、阻まれ、翌日朝、凄惨な暴行の跡を残した川口さんの遺体が東京大学本郷キャンパスの正門前で発見された。川口さんは革マル派と対立していた中核派の活動家と疑われ（事実は異なっている）、その追及の過程で集団リンチを受け、絶命したのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:革マル派の思想・主張がどうであれ、こんな殺人事件を起こし、キャンパスを暴力支配する体制は絶対に許せない。少なくとも、私はそう考えた。事件の３日後の１１日に１年Ｊ組の仲間たちと一緒に、文学部キャンパスの入口のスロープわきに立ち、「革マル派自治会を糾弾するため、立ち上がろう」と呼びかけた。賛同の輪が次々に広がった。最初のころ、そのほとんどは１年生のクラス単位での参加だった。Ａ、Ｂ、Ｃ、Ｄ、Ｅ、Ｆ、Ｇ、Ｈ、Ｉ、Ｋ、Ｌ、Ｍ……。それぞれのクラスの代表らの名前、顔を今でも思い浮かべることができる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:入学して初めて立て看板を書き、プラカードをつくり、ハンドマイクを入手して、「これまで早稲田には自由がなかった」「自由なキャンパスを取り戻すために、革マル派の自治会をリコールしよう」と口ぐちに訴えた。私たちは、暴力の恐怖で上から押し付けられた自治会ではなく、クラス討論をもとにした手作りの自治会をつくる。そんな思いを込めて、「第一文学部クラス討論連絡会議」と名乗ることを決めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:そのさなか、私は川口さんと同じ２年Ｊ組の知り合いに喫茶店に呼び出された。「そんなことをしていると、間違いなく革マル派に襲われるぞ。俺たちは革マル派に見つからないように、こうして喫茶店を転々としながら横の連絡をつくっている。身の安全をもっと考えろ」とまくし立てられた。そうか、２年生以上がなかなか集まらないのは、革マル派への恐怖心が身にしみついていたためだったのか、と納得した。しかし、文学部スロープ下の集会は、約５００メートル離れた本部キャンパスでの学生集会とも呼応して、数千人単位、さらに１万人以上の規模に膨れ上がり、連日続いた。両キャンパスを埋め尽くす学生たちの歓声、拍手、マイクを通して響き渡る訴え。その盛り上がりは、１１月１７日に大隈講堂で開催された川口君の学生葬で頂点に達した。川口君を女手一つで育てた母親、さとさんが出席し、無念の思いを語ると、会場は涙で包まれた。学生葬には、革マル派の文学部自治会の田中委員長も途中から押し入るように出席した。２Ｊの川口君の級友たちが号泣しながら、「川口を生きて返せ」と田中委員長に詰め寄っていた光景が忘れられない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:１１月２８日、全学の学生らの支援を受けて、第一文学部学生大会を開催した。大歓声の中で、革マル派自治会執行部のリコールを可決したあと、自治会の再建を担う臨時執行部を選出。私はその臨時執行部の委員長に選ばれた。「川口君が殺された事件を機に、怖い物知らずの１年生が動き出した。たまたま最初に『この指止まれ』と指を差し出したところ、その上に何千もの仲間たちが重なってくれた。今は、その重みにつぶれそうだが、最初に指を出した者の責任を自覚し、早稲田に自由を取り戻すため、最後までやり抜きたい」。当時、私はこんなことを集会などで話していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:しかし、発足した臨時執行部はさまざまな考え方、背景を持つ者の寄り合い所帯だった。私を含めた１年生グループは、地道なクラス討論を踏まえた手作り自治会を志向していた。これに対し、かつての全共闘運動、あるいは革マル派と敵対する諸セクトにシンパシーを持つ上級生の執行部メンバーも多く、共産党の下部組織である民主青年同盟に所属する者もいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:革マル派の自治会リコールでは一致していても、その後の闘い方、自治会再建のあり方をめぐってとめどなく議論が続いた。その一方で、学生大会を終え、冬休みをまたいだ時期から、集会などの動員力が次第に衰えてきた。革マル派は、それを待っていたかのように、さまざまな形の暴力を使い始めた。たとえば、私たち臨時執行部側の集会を集団で妨害し、発言者を取り囲んでつるし上げる。個別の恫喝によって自己批判を強いるのだ。その被害にあった１年生の仲間の何人かが、運動から離れていった。私自身も、革マル派の学生に捕まって壇上に立たされ、両手を後ろ手に締め上げられながら、様々な追及を受けた。彼らは私に、中国の文革で紅衛兵の追及を受ける走資派といった役回りを演じさせようとしたのだと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:政経、法、教育学部などがある本部キャンパスでは、革マル派と中核派の鉄パイプ部隊が激突する「戦争」も起きた。深夜、私たちのデモ隊が政経学部の学生ラウンジに閉じ込められた後、私たちの面前で両グループの精鋭部隊が鉄パイプを揃えて対峙し、「戦闘」が始まった。「ヒュー」「ヒュー」と投石が宙を飛ぶ音が響き渡り、双方の活動家（主に中核派の活動家）が倒れ込む。「戦争という表現は決して大げさではない」と思った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:キャンパスの学生が少なくなった春休みになると、革マル派の凶暴性がさらに増した。本部キャンパスの教育学部校舎の教室で開いた小さな集会が革マル派の襲撃を受け、多数の負傷者が出てしまった。革マル派の男たちが無防備な私たちを教室の隅に追い詰め、一人ずつ鉄パイプで襲った。私の脳裏には今も、その光景がスローモーションの映画の場面のように焼きついている。最初は傘や竹竿でめった打ちにしたあと、男が「鉄パイプ」とつぶやく。わきで控えていた部下が鉄パイプを差し出すと、黙って受け取り、おもむろに鉄パイプを振り下ろす。男は口を半開きにし、終始、不気味なほど無表情だった。悲鳴をあげる仲間の苦しげな顔。鉄パイプが額にあたる時の「ビシッ」「ビシッ」という無機質な音。ほとばしる鮮血。大学を卒業し、社会人になってからも、ひどく疲れた夜などに、そうした場面の夢でうなされ、思わず飛び起きたことが何度かあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:こうした革マル派のむき出しの暴力、テロに、どのように立ち向かうのかをめぐり、自治会執行部内の意見は割れた。「暴力に対抗するには、われわれも自衛のため武装するしかない」「ヘルメット、竹竿は全共闘運動のスタイルだ」などの主張に、私は反対した。「革マル派がもし、日本全国をくまなく暴力支配している状態なら、私も武装に賛成するかもしれない。しかし、彼らが暴力支配しているのは早稲田のキャンパスの内側だけで、キャンパスから一歩外で出れば、平和な日常がある。そんな中で武装しても、われわれが依拠すべき学生の支持は得られない」。私の持論はなかなか受け入れられず、激しい議論が何日も続くだけで、どこまでも平行線のままだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:私自身が革マル派に鉄パイプで襲われたのは、キャンパスに新入生を迎えた５月初めだった。学生集会を開くため、文学部キャンパスの大教室の前でマイクを持って新入生に呼びかけていたところ、突然、見覚えのある革マル派の学生が現れ、「こいつがHだ」と指さして叫んだ。すると、見知らぬ数人の男たちが私を羽交い絞めにし、押し倒した。「足を狙え」という声とともに、私の両足などをめがけて鉄パイプが何度も振り下ろされた。「学館へ連れていけ」という声も聞こえた。私は近くの鉄柱にしがみつき、身体をエビのように横たえていた。鉄パイプは腕と頭部にも振り下ろされた。男たちが去ったあと、私は救急車で広尾の日赤病院に運ばれ、入院した。両目は内出血で真っ赤になっており、両足の足首ははれ上がり、看護師さんから「ゾウさんの足みたいですね」と言われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:退院後の約１カ月後、私はやっと歩けるようになり、級友たちに守られて登校し、授業を受けようとしたが、革マル派の学生らに見つかり、級友たちとともに教室に長時間閉じ込められた。救出にかけつけてくれた別の仲間の先導で、なんとかキャンパス外に逃れたが、もう大学には通えず、その後３年間、社会学ゼミの農村調査以外のほとんどの課目をリポート提出でしのぎ、やっとの思いで卒業した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:私たちがキャンパスに入れなくなるとともに、第一文学部自治会の活動は停止状態となった。「武装」を主張した仲間たちは一度、ヘルメットと竹竿の姿で文学部キャンパスに並び、日常生活に戻っていた学生たちに「もう一度立ち上がろう」とハンドマイクで呼びかけたという。「最後の闘いの場」として本部キャンパスの図書館に立てこもり、機動隊に排除され、逮捕された者もいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:闘いの結末は、決して誇れるものではない。しかし、自由を求めてセクトの暴力支配に「ノー」と言い、クラスの討論をもとにした手作り自治会を目指した私たちの闘いは、間違っていなかったと思う。私は、早稲田の私たちの運動を、自由を求めて立ち上がり、ソ連の戦車に押しつぶされた『プラハの春』になぞらえて考えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:私は大学卒業後、１９７８年に朝日新聞社に入った。記者生活の大半を事件記者としてすごしてきた。８７年５月３日に兵庫県西宮市の阪神支局で後輩記者が「赤報隊」を名乗る右翼とみられる犯人に散弾銃で射殺される事件が起きた後は、取材班のキャップとして時効成立まで１６年間にわたって犯人を追いかける取材を続けてきた。取材の途中で脅されたことも度々あるが、「反日朝日の社員を死刑にした」「赤い朝日は５０年前（戦前）に返れ」という赤報隊の主張を認めてはならない。右翼への取材は、定年で契約社員となった今も続けている。私は、社内でのいわゆる出世コースには乗らなかった。残る人生も、自分らしく生きたいと思っている。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E4%BB%B2%E9%96%93%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E6%80%9D%E3%81%84&amp;diff=221</id>
		<title>仲間たちの思い</title>
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				<updated>2017-12-10T03:54:49Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;::'''[[１１・８について　第一文学部2年J組　K・F]]'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::'''[[川口君とJ組のこと　第一文学部2年J組　M・W]]'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::'''[[川口大三郎と私　第一文学部2年T組  Y・N]]'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::'''[[今思うこと　第一文学部1年J組　H・T]]'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::'''[[１１・８と１４歳　第一文学部1年D組　F・S]]'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::'''[[私にとっての川口君事件　第一文学部1年T組　H・K]]'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::'''[[私の回想～会うことのなかったO先輩に捧ぐ　第一文学部1年J組　T・H]]'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E7%A7%81%E3%81%AB%E3%81%A8%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%AE%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%90%9B%E4%BA%8B%E4%BB%B6_%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%96%87%E5%AD%A6%E9%83%A81%E5%B9%B4T%E7%B5%84_H%E3%83%BBK&amp;diff=217</id>
		<title>私にとっての川口君事件 第一文学部1年T組 H・K</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E7%A7%81%E3%81%AB%E3%81%A8%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%AE%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%90%9B%E4%BA%8B%E4%BB%B6_%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%96%87%E5%AD%A6%E9%83%A81%E5%B9%B4T%E7%B5%84_H%E3%83%BBK&amp;diff=217"/>
				<updated>2017-09-09T21:37:36Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: ページの作成:「:川口大三郎君が殺された直後のことで、今も鮮明に記憶していることがふたつある。ひとつは川口君が殺されたという新聞記...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:川口大三郎君が殺された直後のことで、今も鮮明に記憶していることがふたつある。ひとつは川口君が殺されたという新聞記事を見たときの思いだ。11月8日は早稲田祭期間中で授業がなかったため、級友の実家に数人で遊びに行っていた。私が級友達と遊んでいる時に殺されたのかと思うと、いいようのない後悔の念にとらわれた。もうひとつは授業が再開された直後、集会ひとつ開かれていない静まりかえっていた文学部キャンパスのスロープ下で、樋田や安田など1Jクラスの人たちが必死になって肉声で呼びかけていたことだった。周りを取り囲んで、集まっていたのは、かれこれ30-40人だったろうか。私もその中のひとりだったが、自分から声を上げるほどの勇気はなく、彼らの話をただ黙って聞いているだけだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:私は神奈川の県立高校を卒業して、72年4月現役で第一文学部に入学した。高校は教師がベ平連や民青が学校に押し寄せてくるのを防ぐといって、竹刀を持って泊まり込むようなところだった。その中で生徒たちは従順に、志望大学を目指して受験勉強だけをしていた。私自身はベトナム戦争や三里塚闘争など社会的な問題に関心はあったが、教師のいうことに反論することはできなかった。そして、大学に入ってしまえば自由に行動できると思い、合格をめざした。そして、文学部入学後は、社会的な問題へも関わりたいと考え、授業に出ながら、72年の5-6月頃、ひとりでベ平連のデモに参加するようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:＊　　＊　　＊　　＊&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:大学にも思い描いていたような自由はないことに気づき始めたのは、夏休み前だったろうか。級友で仲がよかった今は亡きKが早大歴研に入ったものの、革マルの中心メンバーたちと意見が合わず、辞めた。彼は京都で浪人している間にベ平連のデモなどに参加していて、１Tクラスの自治委員になっていた。歴研にいた間は革マルも自分たちの意向に従って、動かすことができる、あるいはシンパになると考えていたのだろう。ところが対立して辞めたために、自治会の革マルからも難癖をつけられたりすることがあった。私には彼らが学生一人ひとりの考え方や行動まで管理・統制しようとしているところまで想像することができなかった。ただ彼がそういう目にあっているのを知って、とてもおかしな話だと思ったし、また自治会室に革マル以外の活動家を連れ込んでのリンチのうわさも聞いていた。その一方で、関わり合いになりたくないという気持ちもあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:だから、川口君が殺されたというのを知った時の後悔は、リンチされる学生がいることを薄々知っていながら、関わり合いたくないと見て見ぬ振りをしていた自分に対する情けなさが入り交じったものだった。そして、事件が起きた後でさえも、「おかしい」とすぐにクラス討論を呼びかけることができなかったことはその情けなさに輪をかけた。そうした気持ちから、その後の虐殺糾弾・自治会再建運動に加わっていくことになり、それは最後まで変わらなかった。けれども、その中で自分なりの考え方や基準にもとづいて、行動していたわけではない。その時その時の出来事に右往左往しながら、自治会再建がならず、後退していく中で、なす術もなく存在したに過ぎなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:＊　　＊　　＊　　＊&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:その後、紆余曲折があったが、今私は仕事をしながら、地域の市民運動に関わり、集会やデモに参加している。仕事と活動を併存させるというというやり方は、今までの生活スタイルの中では一番自然だと感じている。だから、仕事がなくなり、身体が動かなくなるまで、同じスタイルで続けるつもりだ。そこで一番意識しているのは、「長いものに巻かれない」こと。少しでもおかしいと思ったら、声を上げること。革マル自治会のやり方が「おかしい」と考えていたのに、声を上げることをせず、「自分には関係ない」とやり過ごしていたことが川口君の虐殺につながったという苦い思いがあるからだ。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%EF%BC%91%EF%BC%91%E3%83%BB%EF%BC%98%E3%81%A8%EF%BC%91%EF%BC%94%E6%AD%B3_%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%96%87%E5%AD%A6%E9%83%A81%E5%B9%B4D%E7%B5%84_F%E3%83%BBS&amp;diff=216</id>
		<title>１１・８と１４歳 第一文学部1年D組 F・S</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%EF%BC%91%EF%BC%91%E3%83%BB%EF%BC%98%E3%81%A8%EF%BC%91%EF%BC%94%E6%AD%B3_%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%96%87%E5%AD%A6%E9%83%A81%E5%B9%B4D%E7%B5%84_F%E3%83%BBS&amp;diff=216"/>
				<updated>2017-09-09T21:36:54Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: ページの作成:「:６７年五月。ツッパリたちから週に一度ぐらい、校舎裏の防空壕前に呼び出されるようになった。６、７人に取り囲まれて難...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:６７年五月。ツッパリたちから週に一度ぐらい、校舎裏の防空壕前に呼び出されるようになった。６、７人に取り囲まれて難癖をつけられ、時には激昂した小柄な男から殴られたりした。体力で勝っていたのでパンチは堪えなかったけれど、孤立無援な転校先で何度もそんな目に遭うと、さすがに気が弱わって医者に神経性胃炎と診断された。予期せぬ恐怖心との戦いを自分は親にもうまく説明できず、１４歳のプライドがずたずたにされかけた。しかも相手のリーダー格の母親は市議会議員で父親が大手新聞社勤めのためか、事なかれ主義の教師たちは手をこまねいて連中を強く戒めようとしない。その田舎臭い中学に早く夏休みがこないかと、毎日祈るような気持ちで我慢しながら通った。九月に新学期が始まっても事態は一向に変わらず、むしろ悪くなった。体育祭に向けた準備が盛んな頃、「体育祭の済んだ帰り道、袋叩きにする」という嫌な噂が耳に飛び込んできた。初めて身の危険が切迫するのを感じたが、救いの手はどこにもない。それで親戚のツテで住民票を川崎市から都下に移し、ある新設公立中学校の第１期生中三に辛うじて編入した。体育祭直前に姿を消して事なきを得たものの、なかばリンチのような数ヶ月間の憤りはいつまでも人間不信として消えず、自分が戦わずに逃げたという屈辱感もずっと付きまとった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:都立高校に通うようになって一気に世界は広がり、他校生と交流する中で、いつしかベ平連や新左翼の集会やデモに参加する機会が増えた。でもこれといった党派的な活動に熱狂的にのめり込むことは無かった。暴力的な屈折を味わって他人を疑り深くなり、イデオロギーに興味は抱くものの、政治活動の担い手の人格品性に否応なく目が向いてしまうからだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:一浪後に入学した一文は一見無風に思えたが、日が経つにつれて自治会の連中が猫撫で声で過去の活動歴やら政治的関心に探りを入れてきた。自分たちの手に入れた聖域を侵されまいと必死だったのだろう。授業を終えても不穏な文学部構内には会話する空間も見つけられ無かった。余白を与えぬキャンパスはたちまち白けだして結局、デザイン研究会という教育学部地下に部室を持つサークルが夏頃から暇つぶしの場となった。理工の建築系学生と本女の生活デザイン系の女子学生が集う極めてノンポリティックスな会だった。毎秋、早稲田祭が近づくと予算が配分されて、正門内側に巨大なモニュメントをいそいそと設置するのが恒例行事になっていた。後から考えたら革マル自治会のお先棒を担ぐ太鼓持ちに他ならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:あの事件が起きる数日前だろう。部員総出でモニュメントを深夜までかかって組み上げたのを覚えている。やがて突然、飛び込んできたのがリンチ殺人の報だった。一級上で同い歳の川口大三郎くんの死の経緯が明らかになるにつれて、５年前に自分が味わった暴力的屈辱感がフラッシュバックした。リンチの現場には必ず激昂する者が現れ、止める者がいなければより残虐性がます。６時間以上に及ぶ革マル派自治会の陰湿な暴行は、きっと幹部から末端まで様々な面々が入れ替わり立ちかわりで手を下したにちがいない。１４歳の時と同じ情景と憤りが蘇り、１９歳の多感な川口くんが自尊心を失うまいとぎりぎりまで暴力の痛みに耐えながら恐怖心と戦い、彼らを睨み返していた姿が目に浮かんだ。そして多勢に無勢という極限の拷問が続き、自白すべき事柄も屈服する理由もないまま、肉体が限界に達したにちがいない。暴力に押し潰されかけた１４歳の理不尽な五ヶ月間と通底していると気づき、激しい怒りがこみ上げてきた。あのとき集団リンチによる川口くん虐殺の至近性を「他者」に上手に伝えきれなかったもどかしさが、４０数年たった今も行動域で同心円を描いているように思うことがある。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

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		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E4%BB%8A%E6%80%9D%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8_%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%96%87%E5%AD%A6%E9%83%A81%E5%B9%B4J%E7%B5%84_H%E3%83%BBT&amp;diff=215</id>
		<title>今思うこと 第一文学部1年J組 H・T</title>
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				<updated>2017-09-09T21:36:11Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: ページの作成:「:一度、妻を殴ったことがあります。三十歳を過ぎた頃、睡眠中に悪い夢を見たのです。カクマルに襲われた夢でした。反撃し...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:一度、妻を殴ったことがあります。三十歳を過ぎた頃、睡眠中に悪い夢を見たのです。カクマルに襲われた夢でした。反撃しようとして、隣に寝ていた妻を殴ってしまったのです。寝汗でぐっしょりになった身体を起して、必死に謝りました。カクマルとの対峙から十年近くが過ぎようとしていたのに、子どももできてサラリーマン生活に没頭していたはずなのに、そんな悪夢にうなされていたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:川口大三郎さんが殺された時、私は「１Ｊ」の学生でした。前年度、年額八万円から十二万円へという授業料の値上げに反対して闘ってくれた「２Ｊ」学友の多くは一年生の単位を落としていましたから、私たちは同じ教室で語学の授業を受けていたはずです。けれど、私に川口さんの記憶はありません。それどころか、殺されたという報道に接した時にまず思ったことは「早稲田でカクマルなんかに逆らったからいけないんだ」という冷たいものでした。&lt;br /&gt;
:私の場合、高校生３年生の時に遭遇した「七十年安保」の闘いと挫折との傷跡が深く、一年間の浪人生活の後に合格した大学にも真面目には通えませんでした。同級のＨ君やＹ君が中心となった虐殺糾弾の動きにも即座に反応することはできませんでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:そんな私でも、十一月二八日の学生大会には赤旗を掲げて参加し、その後のカクマルとの対峙にも積極的に加わるようになっていました。「手づくり自治会」というＨ君たちが掲げた理念に賛同するというよりも、人殺しのくせに居直り続けるカクマルを許せないという気持ちからでした。母校愛のない私でしたが「カクマルを早稲田から追い出したい」という思いは強まっていったのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:けれど、結果として、早稲田を追い出されたのは「私たち」でした。最も果敢に闘った「学友」たちは早稲田を去っていきましたし、私のように姑息に単位を取って卒業した者もいます。私たちの運動が終息するにつれて、カクマル対中核派および解放派との党派抗争は苛烈を極め、第一学生会館屋上の見張り小屋で襲撃に備えるカクマルには「一般学生」を相手にする余裕がなくなり、彼らの目を盗んでは授業にもぐりこむことができたからでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:警察白書から党派抗争での死者数を拾ってみると、一九七二年の死者は川口大三郎を含めて二名（連合赤軍のリンチ殺人十二名を除く）。虐殺糾弾闘争が行われていた翌七三年も二名。ところが早稲田が静かになった七四年は十一名、七五年は二十名。七六年は三名と減っても、七七年は十名、七八年は七名、七九年は八名、八〇年も八名と増え続けました。最終的には百名を超える死者の山を築く戦争状態が続き、二〇十一年一月六日「マッチャン」の自死を迎えることになります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:ずっと後になって松崎さんの死を知った私は「闘いは、こんな形で終ったのだな」と思いました。こんな書き方をすれば、川口さんの死と、それに続いた私たちの運動は党派闘争の一環としてあったと考えているのかと誤解を招いてしまうかもしれません。事実、川口さんの死に対しては、良心的な立場からでも、そういう「評価」がネット上では為されています。でも、そうではないのです、絶対に。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:川口さんの死は党派闘争の延長上にあったのではなく、早稲田大学の日常が呼び寄せたものでした。村井資長総長を筆頭に大学当局は、外部に党派抗争があって、それが大学内部にもたらされた結果が川口さんの死であり、大学もまた被害者なのだという立場を喧伝しました。それは大嘘で、学生を管理・支配するためにカクマルと共存関係にあった大学当局（の立場）が川口さんを殺したのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:川口大三郎の死は「内ゲバ」の延長上にあったのではないし、ましてや党派間の殺し合いの発火点ではありませんでした。私たちの「運動」も党派闘争とは無縁のものでした、少なくとも理念としては。&lt;br /&gt;
:その後も、早稲田大学当局とカクマルとの蜜月は一九九六年まで続いたようです。この間に莫大な金額（九〇年代には年間二億円とも言われる）が大学からカクマルへと流れ、ストで期末試験がなくなるために学生からは緊張感が失われてしまったようです。卒業生の質は低下し、かつては日本でいちばん受験生を集めていたのに、明治に抜かれ、近畿大学にも抜かれる始末です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:歴史に「もし」はないと言われます。でも、もし「あの時」大学当局が、カクマルではなく、私たち「一般学生」の側に寄り添ってくれたなら、百人を超える戦死者が出ることはなかっただろうし、早稲田大学にも今日のテイタラクはなかったはずです。愛校心のない私でも、それだけは残念に思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:殆ど授業に出ることもなく、それでも五年かかって卒業した私は、人も羨む企業に就職することができました。それは早稲田卒の肩書きがあったからこそ可能だったのであり、その限りではワセダに恩義を感じているからです。わずか十年で退社した理由の一つには、カクマルとの闘いの残滓というか余韻が関係していたのは事実ですし、余分に払った五年目の授業料だけは返還してほしいと思うのですが……（続く）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

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		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E4%BB%B2%E9%96%93%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E6%80%9D%E3%81%84&amp;diff=214</id>
		<title>仲間たちの思い</title>
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				<updated>2017-09-09T21:35:43Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;::'''[[１１・８について　第一文学部2年J組　K・F]]'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::'''[[川口君とJ組のこと　第一文学部2年J組　M・W]]'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::'''[[川口大三郎と私　第一文学部2年T組  Y・N]]'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::'''[[今思うこと　第一文学部1年J組　H・T]]'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::'''[[１１・８と１４歳　第一文学部1年D組　F・S]]'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::'''[[私にとっての川口君事件　第一文学部1年T組　H・K]]'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%A4%A7%E4%B8%89%E9%83%8E%E3%81%A8%E7%A7%81_%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%96%87%E5%AD%A6%E9%83%A82%E5%B9%B4T%E7%B5%84_Y%E3%83%BBN&amp;diff=213</id>
		<title>川口大三郎と私 第一文学部2年T組 Y・N</title>
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				<updated>2017-09-09T21:28:08Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: ページの作成:「:それは、吐き気と食欲喪失から始まった。1972年11月９日木曜日に川口大三郎君殺害のニュースをテレビで見た時だ。私は下宿...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:それは、吐き気と食欲喪失から始まった。1972年11月９日木曜日に川口大三郎君殺害のニュースをテレビで見た時だ。私は下宿で、身体を屈曲したまま踞って暫く立ち上がれなかった。世界が胃の中から裏返しになったような感覚だった。親しくはなかったが会ったことはある。同じ大学の同じ学部の同じ第二学年の同じ中国語のもう一つのクラス仲間。彼が教室で前の晩、学生自治会にリンチ殺害された。私は実際吐いた。何か朝食をとった後だった。吐ける事で身も精神も守るように、人間の身体はできているのかも知れないと、後に思った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:その日は授業はなかったのだが、掴み所もないまま誰かに会いたくて茫洋と登校した。誰も居なかった。居るかも知れないと思って、キャンパスの近くの麻雀屋に行くと、案の定、クラスの四五人が打っていた。最も堕らけた、良く言って普通の連中だ。川口君の事、知ってるかと問うと、知っていると牌を振りながら言うのだった。許せねえよなあ、ローン、みたいな連中。こいつらが実はその後のクラス討論やデモの中心になる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:そんな風にして、私達の2T（中国語二年Tクラス）は蠢き始めた。この連中は、その麻雀屋の屋号を採って、「西田派」なるプラカードを掲げて、デモや学生大会に馳せ参じる。これは当時の新聞の報道写真に残っている。私達はそんな普通の学生だった。とにかく、明日の語学の授業でクラス討論しようと約して分かれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:一晩考えた。週末を挟んで来週にクラス決議になると遅くなる。どうせなら翌日のクラス討論で決議したい。私は徹夜でクラス決議案を書いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:11月10日金曜日は大学が休講措置をとった。それを知らずに多くの学友がいつも通り２０数人集まった。クラス決議案を討議し一字一句修正した。私は後に引かない覚悟で、賛同の者の氏名を列挙すると言った。一人か二人の女子学生が身を震わせて号泣し、怖いから賛同できないと言った。それはそれでいいからと皆で慰めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:その日のうちに紙やマジックペンを買って作業をして、翌日11月11日土曜日、早朝に文学部キャンパスに数名で行き、革マルの立て看を剥がして張り付けた。決議ビラにも氏名を列記した。立て看を拝借する際に見つかって、「殴られるのは嫌だねえ」とE君が言ったので、朝飯も食わずに７時頃に行ったのだ。これが最初の革マル自治会糾弾の立て看だった。以後、全学でクラス決議は林立した。この日、私達は後戻りできない別の世界に足を踏み入れたのだった。政治党派とか何にも知らない只の正義派で怖いもの知らずだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:今は2017年だから、それから45年経っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:このクラスは四年に一回、クラス同窓会をやっている。E君は病没したが、２０人程が集まり、もう二回やった。執念で数年かけて住所等を突き止める作業をやった者がいて、私のような中退組も含めて名簿が出来上がったのだ。曰く、専門のクラスにはない思い出がこの教養課程の語学クラスにあると。あの川口君虐殺糾弾の闘いが、このクラスのアイデンティティになっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:ここまで書くと、2Jの諸君と同様に、どうせばればれなので記せば、第一文学部臨時執行部の副委員長に私はなった。色々あった。早稲田前史から生き残った行動委員会系の諸君とは反りが会わなかったが、K君(故人)ほかには今でも敬意は抱いている。最後には精神的に敗北して、私は逃亡するようにして退学した。でも、心の底では今でも折れていない。単に戦術的に敗北した。あれ以上、多くの学友が傷つくのは避けたかった。我々は党派ではなかったのだから。いずれ記すが、第一文学部非公然武装部隊まで私達は編成して闘った。武装とは武器が問題なのではない。何を武器とするかである。言葉もある、詩もある、音楽もある、人糞爆弾もある、たまに鉄パイプを選んだ者も居ただけである。守ったのは己の言説である。鉄パイプが重たくて振れないと泣いた女子学生（K.M）も、自らの武器を選んで闘った。ともあれ、あまり過去を美化してもいけないと思う。負けは負けである。男の論理で闘おうとして、女性の心をひどく傷つけた。それが一番の敗北かも知れない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:その後、どう川口君の事を抱えて生きてきたか。それを皆で語ろうとしている。だからこの会も始まったのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:私は中退後、長く労働運動の世界に居た。自分も争議団だったので褒められたものではないが、早稲田の出来事は良く知られていて、時に新左翼同士の紛争の調停に役立った。革マルの組合もあって、偉くなったもんだねえ、と脅されたこともある。ひょんな切掛けで国際協力の世界に入り、大雑把に言えば、日本とは比べ物にならぬ抜き差しのならない途上国の貧困との闘いに、打ちひしがれた。たくさん傷ついた。どうにもならなかった。国連選挙監視団で行った時、私の目の前で警官隊が民衆に発砲した。日本の左翼なんてお坊ちゃんに思えた。それで退路を断って勉強した。そしたらひょんなことで開発学の教授になってしまった。昔、高橋和巳なんか愛読して大学解体なんて叫んでいたのに、50歳にもなって生きて行く術はそれしか残ってなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:大学の教壇で、私はいつも川口君のことを、早稲田の運動を学生達に語った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:自分の人生は一つの物語であろうと思う。私のそれに川口君はいつも陰に陽に、悪く言えば付きまとって、良く言えばいつも居てくれた。だが、問題は川口君にそのような物語が無いことである。何も無いという彼の４５年間を、せめて私達で埋め合わせていきたい。それが、2Jが発したメッセージであろうと思い、私はこれからもこうして自分を晒して行く積もりである。Mさんも書いているように、私達が生きて行く限り「11・8は終っていない」のである。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

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		<title>仲間たちの思い</title>
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				<updated>2017-09-09T21:27:15Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;::'''[[１１・８について　第一文学部2年J組　K・F]]'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::'''[[川口君とJ組のこと　第一文学部2年J組　M・W]]'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::'''[[川口大三郎と私　第一文学部2年T組  Y・N]]'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

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		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%90%9B%E3%81%A8J%E7%B5%84%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8_%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%96%87%E5%AD%A6%E9%83%A82%E5%B9%B4J%E7%B5%84_M%E3%83%BBW&amp;diff=211</id>
		<title>川口君とJ組のこと 第一文学部2年J組 M・W</title>
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				<updated>2017-09-09T21:26:13Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: ページの作成:「:★川口君とJ組のこと :都内の女子高を出た私にとって、早稲田大学に入ったことは人生初のカルチャーショックだった。  :入...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:★川口君とJ組のこと&lt;br /&gt;
:都内の女子高を出た私にとって、早稲田大学に入ったことは人生初のカルチャーショックだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:入学式の日、一同が教室に会して自己紹介。やけに落ち着いた10歳年上、「高校は出ていません」と強面の大検、一浪は当たり前、二浪、三浪、他大学の中退も数人いた。すでに世間の波にもまれ、いっぱしの面構えである。そんな中で、嬉しいような困ったような顔をしているのは現役組で、いかにも新入生という感じだった。その種々雑多な人の集まりと、教室の机に並べられた誕生会のようなショートケーキとコーラ（だったと人は言うのだが…）の組み合わせが、今でも違和感として残っている。あれは自治会からの差し入れだったと後から聞いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:川口君は現役組だった。伊東高校出身の同級生も一緒だった。当時はまだ男子の学生服姿が多く、クラスにも数人いた。最初の頃は、川口君も制服姿だったように思う。そのうち、Gパンに下駄もしくはスニーカー（当時はズック？）でやってくるようになった。授業の始まっている教室に下駄音高く入ってきたのを教師に咎められ、さっと裸足になって、脱いだ下駄を手に教壇まで出席票をもらいに行ったのは、川口君だったかもう一人の下駄男だったか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:学費を自分で稼いでいたこともあって、川口君はいつもバイトで忙しそうだった。ただクラス討論の時にはいて、率直な意見を言った。クラス委員選挙の時に自治会派の立候補者に「×」を付けたエピソードは、多くのクラスメートが記憶している。とくに狭山裁判には関心が深く、Jの仲間と切ったビラをクラスで配っていた。別のルートで狭山裁判の支援をしている同級生と議論をしたり、クラスに呼びかけて、有志と東京高裁まで出かけていったりもした。社会問題に関心がある正義漢という印象だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Jというクラスについて言えば、真面目に授業にだけ出て帰る勉強組と、授業も出るけれどお茶ぐらいなら付き合う中間派、代返頼りのサボリ組といった具合の約60人。年齢的には一浪、二浪が多く、男女では女子が12人と少なかった。自分のことに話を戻せば、世間知らず丸出しで「狭山事件って何？」と思いながらも、熱心に語る川口君や同級生の話を聞くうちに、部落差別がごく身近な問題であったことを知り、無関心で過ごしてきたことを恥ずかしく思った。これまで読んでいた本など本のうちに入らないということが何よりの驚きで、追いつきたい一心で高橋和巳の『わが解体』を読んだりもした。授業は退屈、ちっとも頭に入らない。女子高出の学力では歯が立たないと諦め半分、すっかり勉強への興味がなくなり、中間派からたちまちのうちにサボリ組へ転向した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:クラスにはすでに高校時代に学生運動を経験した人もいたし、「あいつは民青だ」と言われている人もいたが、クラス討論で多少議論にはなっても、意見が一致すれば狭山裁判の集会へ一緒に行くような、平穏なクラスだった。自治会からのオルグが来た時も、党派への敵対というよりは、論点を巡っての議論になったように思う。川口君の他にもはっきり意見を述べる人間は何人かいたが、運動家というほどのことはなく、狭山裁判にしろ、基地闘争にしろ、当時の社会問題にきちんと向き合っていくべきだという人間が多かった。逆に党派色を伺わせる人間は、よほどのことがないと口を開かなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1年の冬休みには、本庄の宿泊所で合宿をした。一応のテーマは学費値上げ反対闘争。勉強組は来なかったけれど、中間派とサボリ組が10数人集まって、よく話し、よく飲んだ。川口君も合宿に参加して、大いに語り、飲んでいた。色白の川口君は今で言えば歌舞伎顔。お酒が入ると目の縁が赤くなり「お前なぁ」と声も大きくなる。女の子に話す時は真っ赤になるくせに、男同士だと威勢がよかった。男女混合の気安さもあって、合宿の時は川口君との言葉のやり取りも多かった。この時だったか、資金集めの相談をしたのは。Jは、2年続けて入試の時に合否電報をみんなでやって、けっこう活動資金を集めたのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:記憶の中に、クラスの数人と一緒に穴八幡から文学部を眺めていた風景がある。そこには川口君もいた。天気のいい暖かい日だった。授業が休講になったのだろうか、みんなのんびりしていた。川口君とN君と3人で上野の博物館へ一緒に行ったこともあった。すっかり忘れていたのだが、川口君が恐竜の骨格標本を見てたいそう喜んではしゃいでいたとN君から聞いて、少しずつ思い出した。バイトに忙しい川口君にも、そうした学生らしい時間があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:★11月8日からのJ組&lt;br /&gt;
:11月8日は、学校の近くまで行っていたけれど、一文には行かなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:翌9日、昼前にN君から「川口が革マルに拉致されて、昨日は家へ帰っていないらしい」という電話があった。正午を待ってNHKのニュースを見ると、画面に川口君の顔写真が出て「東大構内でパジャマ姿の男性の死体が発見され、早稲田大学在学の川口大三郎君であることが確認された」と報じられた。すでに昼過ぎに革マル幹部が記者会見を開き「川口君は中核派スパイだった」と発表していたことは、学校に着いてから知った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:2時からの授業は杉本先生の中国語だったが、先生の許可を得て、授業はクラス討論へと変わった。「川口は中核じゃなかった！」「なぜだ？」「どうすればいい？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:8日の午後、中庭で拉致の現場を目撃したクラスメートがいた。自治会室まで行って川口君を連れ戻そうとして、革マルに追い返されたうえに殴られたクラスメートもいた。事実関係を明らかにしようと話し合っていたその最中に、「話を聞いてほしい」と革マル数人がやってきた。「お前達の話など聞く必要はない」「いや、聞いてくれ」「帰れ!」と、教室の入口で押し問答となったが、革マルは強引に入ろうとはせず、そのまま引き下がった。Jの一人として川口君が狙われたなら、他のメンバーも危ないのではないかという意見も出て、夕刻、教室から集団で下校し、新宿の喫茶店で引き続き話し合いをした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:翌日10日からは、クラスメートの知人の家を借りて、学校へはレポを送り、ビラを切り、高田馬場での情宣活動を始めた。10日には川口君の通夜、11日には告別式が行われたので、参列組と留守番組に分かれ、留守番組は学生葬に向けての追悼文の原案を書いた。このアジトのおかげでJの活動ができた。レポセンにもなり、会議もでき、ビラも切れた。学内ではどこも安全が保障されていなかったし、最初の3日間をJが無事に乗り切れたのは、このアジトがあったからだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:最初のビラはB5判で「川口を返せ！」の見出しと、「川口君は中核派ではなかった！」と、スパイの汚名を晴らし、自治会革マル派を糾弾する内容だった。週明けの13日午前中、高田馬場でビラ撒きをした。11日に本部で一文自治会の田中委員長の糾弾集会があったが、まだ一文構内で「２J」の署名入りのビラを単独で配るには危険が多かった。喫茶店を連絡先に、本部と一文の革マルの動きをレポしながら短時間で撒いた。時系列資料によれば、同じ13日に、一文と教育の有志が革マル派糾弾集会結集への呼び掛けのビラを配ったとある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:何がJを突き動かしていたかと言えば、それは怒りだった。クラスメートを殺されたことそれ自体よりも、川口君に「中核派」というレッテルを貼ったことに対して怒っていた。教育の15号館、政経の4号館と、一文の拠点が移るのと一緒にJも移動したが、勉強組の女子が一文の革マルの動きを見に行ってくれたこともあり、何らかの形で協力してくれる人も多かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:協力といえば、父兄の一人が数カ月にわたってJと行動を共にしていた。元新聞記者で、16日にJの有志が私学会館で行った記者会見を設定したのもその人だった。ネタになりそうな匂いをかぎつけたのか、単に娘の身を案じていただけなのか、今もってわからないが、当時は「話のわかる大人」として周囲にも受け入れられていた。この記者会見には10人近いクラスメートが出て「川口君が中核派でないこと」「革マル派糾弾」を訴えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Jが言いたかったのは、川口君が中核派ではなかったこと、そして、それを口実に拉致監禁そして殺害した革マル派にその罪を認めさせることだった。稚拙な言い方をすれば、「悪いことをしたと認め、きちんと謝れ」ただそれだけだった。毎日がめまぐるしく変化し、これまで話したこともない人たちと一緒に議論し、行動し、隊列を組んで文学部へ入ろうとして門扉に阻まれ、革マルに押し返された。気がつけば、臨時執行部選出、自治委員選と、「自治会再建」へと大きく運動の舵が切られていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:★1973年?現在&lt;br /&gt;
:40年経って、クーデルカの写真展でプラハに侵攻したソ連軍の戦車の前に座り込む市民の写真を見た。圧倒的な戦力の前に肉体はあまりに無力なのだが、人々の顔には静かに迫る怒りと深い悲しみがある。その写真を見て、本部で開かれた徹夜集会を思い出した。壇上で沈黙し続ける革マルへ対する怒り。どんな問いかけに対しても無言を通し続けるその背景にある組織力。どんな理論が、人をして他者を死に至らしめるほどの力を持つのか、行動を正当化する方便を生み出すのか。その理不尽さへ対する怒りは今なおある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:その後のことは、時系列の整理の際に明らかになっていた通りである。とはいっても、私自身は、翌73年の4月までしか参加していない。連日の終電帰りと外泊で、預けられていた親戚との間で揉め、家出同然に飛び出し、付き合っていた同級生の家へ転がり込んだ。仕送りを止められ、アルバイトの掛け持ち暮らしとなった。学校のことも考えられず、財布の中の小銭を数える毎日だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:学校に戻ったのは、1年後の74年４月。JのF君が「もう大丈夫だから戻ってこい」と、バイト先まで来てくれたのがきっかけとなった。すでに押しかけ同棲は破綻し、父に頭を下げて仕送りを再開してもらってはいたが、先のことは何も考えていなかった。ただ、その年の年賀状にあった「せっかく入った大学なのだから卒業だけはするように」という伯父の一言に動いた心があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:１年ぶりにスロープを上るのは怖かった。初日はF君が待っていてくれて、一緒に行った記憶がある。革マルの検問で「お前何しに来た」と絡まれたのを、「うるさい、授業に来たののどこが悪い。通せ」と言い返してくれた。当然のように一般教養の単位は足りず、１年がかりでようやく専攻へ上がったが成績不良で希望の日本史へは行けず、人文と文芸の二者択一となり文芸へ行った。実のところ、この学校へ戻ってからの日々は一番苦しかった。川口君の死によって盛り上がった運動は跡形もなく、革マルが何事もなかったように跋扈している。ゼミの同級は、入学式の時に情宣に入った行動委のメンバーに「帰れ！」を連呼した、まるっきりルーツの違う人種。すでにJの同級生たちは卒業していて、行動委系の顔見知りもまったく見かけない。唯一の救いは、一文前の喫茶店「あかね」に行けば他学部の顔見知りやJの留年組に会えたことだった。何を話したということはなかったけれど、かつて仲間だったというある種の安心感があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:40年経って一文で11.8の会を持つようになって思うのは、当時、私たちは「何をしたかったのか」「振り上げた手をどこへ打ち下ろそうとしていたのか」ということ。革マル派に、そして大学当局に運動を阻止され、散り散りになってなお、その手を振り上げたまま生きてきたのではなかったか。会の今後を話し合う時もまだ、振り上げた手の行く先が見えていない、そんな気がしてならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:自分史的な観点から言えば、73年春から極めて個人的な理由で戦線を離脱したことを悔いている。川口君に対して、虐殺糾弾の闘争を最後まで全うできなかったことを申し訳なく思っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:そしてもう一つ、ずっと考えていることがある。私たちは入学以来、立て看の並ぶスロープを上り、ビラを手に押しつけられ、トラメガの演説（？）を聞かされ、「全学連」と書かれたヘルメット姿を毎日見ているうちに「これが大学なんだ」といつの間にか思うようになった。そして、日常化したその風景の中に川口君の命を失った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:もし、自分が拉致の現場にいたらどうしていたか。川口君を取り戻そうと、必死になってあらゆる努力をしただろうか。それだけの危機感を持っていただろうか。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

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		<title>仲間たちの思い</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;::'''[[１１・８について　第一文学部2年J組　K・F]]'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::'''[[川口君とJ組のこと　第一文学部2年J組　M・W]]'''&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>１１・８について 第一文学部2年J組 K・F</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: ページの作成:「:１９７２年１１月８日、川口も私も２０歳の大学２年生でした。でもその日を境に、川口はその生を不本意かつ理不尽な形で...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:１９７２年１１月８日、川口も私も２０歳の大学２年生でした。でもその日を境に、川口はその生を不本意かつ理不尽な形で断たれてしまい、私は６３歳の現在も生き続けています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:１１月８日、私が文学部構内スロープ脇の階段の前で、映画会の立て看板を書いている時、川口が「久し振りに体育の授業に出たらケツが痛い。」と明るく話しかけてきて、そのまま階段を上がっていきました。&lt;br /&gt;
:暫くすると、同級生から「川口が革マルに連れていかれた！」と言われ、「何で？」と思いながら、当時自治会室化していた１２７号教室に、川口奪還の為向かいました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「何で？」と思ったのは、以下の理由です。&lt;br /&gt;
:川口が部落差別問題を仲介にして、中核派と接していたのは事実です。しかし、１９７２年９月頃から、「中核派はダメだ。彼らとは一緒に行動できない。」と私にも明言し、かつ、彼らとの接触を断ってきていたのも紛れもない事実です。だから、革マルは何で川口を拉致するのだろう、と思ってしまったのです。結局、川口奪還どころか、私は革マル派の連中に暴行されつつ追い返され、更に階段下の部室にまで来て、追い打ち暴行を受けました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:周到に準備されていた川口の拉致、奪還に行った私への執拗な仕打ち、革マル派の連中の半狂気な目、それらを考え併せれば、彼らが川口を殺すかもしれない、いや殺すだろうと判断するべきであったと思います。でも、私はそういう状況でも、「何で？」、「殺されることはないよな。」と安易に考えてしまい、川口奪還の次の手を打つことを放棄しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:翌日１１月９日、牛込警察署に呼ばれ、そこで川口の死に顔を確認した時、申し訳ない、私がきちんと対応しなかったことで、一人の有為な男の人生を２０歳で終わらせてしまった、という自責の念に駆られました。その気持ちは、強弱の差はありますが、４３年経った今でもあります。特に、毎年１１月８日を迎える時期になると、その想いが強くなります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:大学を卒業後も、その時期になると、毎年の様に伊東にある川口の墓参りに行っておりました。たまにその場で川口のお母さんにお会いした時、「F君、元気そうね」と声をかけられるのですが、それが却ってとっても辛かったです。（私はこうして元気で生きているが、このお母さんの息子は、不本意かつ理不尽にも殺されてしまい、２０歳でその生を終えた。）今は、そのお母さんも亡くなり、川口の墓所も他の場所に移ってしまったので、少しずつ薄れてきてはおりますが、これは一生拭い去れないのではないかと思っています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:川口の虐殺から数日経った１１月１１日ころから、全学的に「川口虐殺糾弾・早稲田解放」の運動が繰り広げられていきました。私はというと、川口の葬儀が終わった後、東京に居ることが耐えられなくなり、１週間ほど田舎に帰っておりましたが・・・。「川口虐殺糾弾・早稲田解放」の運動は、その後も大きなうねりとなって、全学的決起を呼び起こしたのですが、それは川口の死が党派闘争や内ゲバの結果起こったものではないという一証左ではないかと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:単なる内ゲバでは、あの様な全学的な運動にはなり得なかった筈です。しかも、前述した様に、中核派とは既に切れた一般学生だったのですから。しかし、その後のいろいろな報道や著述等には、川口の虐殺は党派間闘争である、内ゲバであるという表現が随所にみられます。これはとても残念なことであるとともに、是非とも真実を本当のことを、世間に訴えなければならないと思う次第です。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

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		<title>仲間たちの思い</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: ページの作成:「::'''１１・８について　第一文学部2年J組　K・F'''」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;::'''[[１１・８について　第一文学部2年J組　K・F]]'''&lt;/div&gt;</summary>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;strong&amp;gt;[http://www.19721108.net/ 19721108.net]&amp;lt;/strong&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 川口大三郎が逝ったあの日、あなたはどこにいたか==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1972年1972年11月８日木曜日午後、早稲田大学第一文学部２年Ｊ組川口大三郎君が自治会室に拉致監禁され、翌朝、東大病院構内で死体となって発見された。そして９日以降、川口君の真相を究明し、自治会を僭称する党派を糾弾する声が全学であがり、真の学生自治確立をめざして早大解放闘争が巻き起こった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:どのような情況が川口君を死に至らしめたのか、そして何故に早大解放闘争は解体せざるを得なかったのか…このサイトは、当時の報道、ビラ、証言によってその真実を明らかにする試みである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
[[1972年11月8日以前]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年12月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年1月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年2月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年3月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年4月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年5月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
[[仲間たちの思い]]&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
[[寄せられた記録と記憶、感想]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

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		<title>それぞれの思い</title>
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&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;::'''[[今思うこと　第一文学部1年J組　F・S]]'''&lt;br /&gt;
::'''[[私にとっての川口大三郎君虐殺事件　第一文学部1年T組　H・K]]'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

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		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;strong&amp;gt;[http://www.19721108.net/ 19721108.net]&amp;lt;/strong&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 川口大三郎が逝ったあの日、あなたはどこにいたか==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1972年1972年11月８日木曜日午後、早稲田大学第一文学部２年Ｊ組川口大三郎君が自治会室に拉致監禁され、翌朝、東大病院構内で死体となって発見された。そして９日以降、川口君の真相を究明し、自治会を僭称する党派を糾弾する声が全学であがり、真の学生自治確立をめざして早大解放闘争が巻き起こった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:どのような情況が川口君を死に至らしめたのか、そして何故に早大解放闘争は解体せざるを得なかったのか…このサイトは、当時の報道、ビラ、証言によってその真実を明らかにする試みである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
[[1972年11月8日以前]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年12月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年1月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年2月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年3月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年4月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年5月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
[[それぞれの思い]]&lt;br /&gt;
----&lt;/div&gt;</summary>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;strong&amp;gt;[http://www.19721108.net/ 19721108.net]&amp;lt;/strong&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 川口大三郎が逝ったあの日、あなたはどこにいたか==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1972年1972年11月８日木曜日午後、早稲田大学第一文学部２年Ｊ組川口大三郎君が自治会室に拉致監禁され、翌朝、東大病院構内で死体となって発見された。そして９日以降、川口君の真相を究明し、自治会を僭称する党派を糾弾する声が全学であがり、真の学生自治確立をめざして早大解放闘争が巻き起こった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:どのような情況が川口君を死に至らしめたのか、そして何故に早大解放闘争は解体せざるを得なかったのか…このサイトは、当時の報道、ビラ、証言によってその真実を明らかにする試みである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
[[1972年11月8日以前]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年12月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年1月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年2月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年3月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年4月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年5月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
[[それぞれの思い]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

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		<title>1972年11月</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[1972年11月8日（水）一文2J川口大三郎君が自治会室に拉致される]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月9日（木）東大病院構内で川口君の遺体発見]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月10日（金）村井資長総長、川口君の通夜に5分間出席]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月11日（土）川口君葬儀。本部でリンチ殺人糾弾集会]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月13日（月）徹夜の糾弾集会]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月14日（火）機動隊によって革マル救出。クラス討論連絡会議発足]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月15日（水）大隈銅像前で3回目の糾弾集会。再び機動隊導入]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月16日（木）一文「クラス討論連絡会議」主催の学生集会]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月17日（金）川口君追悼学生葬に4000人]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月18日（土）文学部181教室で糾弾集会。馬場前委員長等が確約書に署名]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月20日（月）一文で授業再開。10日ぶりに革マルがデモ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月21日（火）一文学部長等9名が辞任。村井総長が弔慰金のカンパを募る]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月22日（水）政経学部で400人が学生集会]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月24日（金）文学部28日、政経学部30日、学大の日程決まる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月25日（土）革マル派が一・二文クラ討連リーダーに自己批判要求]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月27日（月）一文学大前夜、当局・革マルの妨害]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月28日（火）当局・革マルの妨害を跳ね除け、一文・社学学生大会成立]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月29日（水）教育学部生大会成立]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月30日（木）政経学部生大会成立]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B411%E6%9C%8828%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%83%BB%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%A6%A8%E5%AE%B3%E3%82%92%E8%B7%B3%E3%81%AD%E9%99%A4%E3%81%91%E3%80%81%E4%B8%80%E6%96%87%E3%83%BB%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E5%AD%A6%E7%94%9F%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E6%88%90%E7%AB%8B&amp;diff=142</id>
		<title>1972年11月28日（火）当局・革マルの妨害を跳ね除け、一文・社学学生大会成立</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B411%E6%9C%8828%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%83%BB%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%A6%A8%E5%AE%B3%E3%82%92%E8%B7%B3%E3%81%AD%E9%99%A4%E3%81%91%E3%80%81%E4%B8%80%E6%96%87%E3%83%BB%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E5%AD%A6%E7%94%9F%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E6%88%90%E7%AB%8B&amp;diff=142"/>
				<updated>2017-05-01T02:55:21Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: Ad19721119 がページ「1972年11月28日（火）当局・革マルの妨害を跳ね除け、一文・二文学生大会成立」を「1972年11月28日（火）当局・革マルの妨害を跳ね除け、一文・社学学生大会成立...&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:早朝の革マル突入によってロックアウトとなった文学部キャンパス。正門前に集まった1500人の学生は本部へ移動し、教育学部15号館402教室で学生大会を開催。定足数880名を満たす1400名余の参加を得て正式に学生大会は成立した。対案の取り扱いに手間取ったものの、賛成1369票でクラ討連議案書を可決。この結果、議案書に記載された代表9人による臨時執行部が発足。引き続いて、革マル執行部、全自治委員のリコールの採決が行われ、全員挙手で賛成。会場は拍手と歓声でわいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::◎早朝、文学部当局はロックアウト告示するも「大会粉砕」を叫ぶ革マル300人は文学部構内に侵入。一文学生は本部キャンパスに移動して他学部による「一文学大支援」集会に加わり、学生大会開催阻止を企てる革マルとの激しいもみ合いが続いた。&lt;br /&gt;
::13:30　15号館401-2教室で第一文学部学生大会を開始、他学部生2500人も支援のため校舎の周りを取り囲む。会場入口で学生証や定期券などの提示を求めて厳重なチェック。1200人分の席は満席で通路にまで溢れる。クラス討論連絡会議より議案書を提出。一文非暴力推進協議会（原理研）より対案提出があって混乱する。&lt;br /&gt;
::14:00　途中経過者1255名で学生大会成立（定足数880名）の報告がある。&lt;br /&gt;
::15:30　自治会再建までの臨時執行部（臨執）の設置、リコール条項の新設など暫定規約7条を1398名の圧倒的多数の賛成で採択。革マル派執行部全員をリコールし、各学年からクラス討論連絡会議のリーダーを中心に臨時執行部9人を選出した。&lt;br /&gt;
::17:00　社会科学部学生大会を15号館102教室で開催。636名で議案書を採決し、臨時執行部を選出した。&lt;br /&gt;
::◎清水司理事は記者会見して「一文学生大会はあくまでも集会であって認めない」との判断。&lt;br /&gt;
::■革マル前川健全学連委員長代行と秦全中自代表は、第一学館で「規約無視のデッチ上げ大会」「大会は民青の陰謀」などと記者会見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【ドキュメント「一文学生大会」】'''&lt;br /&gt;
:7時45分頃、“Z”の部隊300ほど文学部構内に入る。8時になると待っていたように当局はロックアウト。正門に行くと、長谷川良一先生、こっちを見つけて「まあまあ」なんて言っている。実にナンセンス。学校側のやる事なんてそんな事。23、4人結集する。それ程集まるなんて予想外。とことこ本部に行く。“Z”は１号館で集会。我々1Tはプラカードを作って4号館ロビーに結集。政経･法・商・教育の諸君が学内をデモ行進している。ものすごい数、すごい数。革命前夜みたいな雰囲気。1000や2000はいるだろう。4号館ロビーからなかなか出ない。ギッシリつまり、皆、緊張しきっている。緊張している中にもゆとり。ロビーに坐り込んで話なんかしたり、歌を唄ったりする。700人から800人はいるだろう。&lt;br /&gt;
:11時・11時半頃、隊列･スクラムを組んでクラス単位にまとまり、出ていく。4号館から出て６列隊列。途中で“Z”の隊列とすれ違う。ハタを中途半端に出していたためにやぶかれる。全部もっていかれなかったのがせめてもの幸。本部前に行って坐り込み。皆デモなんか大部分の人初めてなんだろうけれど実によくやる。女の子まで坐り込む。まわりを他の学部諸君、防衛してくれる。そこに突如“Z”がつっ込んで来る。およそ200位。一度はね返されて、次には演壇を狙う。猛然とおし返す。圧倒的な結集力によって打ち破る。正門から押し出す。断固として押し出す。スクラムの途中が切れて4、5人後ろがいなくなる。まったくそんなことではどうしようもない。そんなことでは先が思いやられる。主力部分は演壇前、いちばん前、スクラム組んで坐り込む。Ｋ君が指名されて前に行ってマイクでしゃべる。後ろの方で「さすが中国語」とか言う声が聞こえる。&lt;br /&gt;
:文学部はロックアウト、22号館か8号館か、使える教室がどこにあるか全くわからない。法科ではやりたくない。出来ればどこか他の場所で……、“Z”を追い出して会場を見つける。15号館の大教室が使えるという情報が入る。クラスごと隊列組んだまま駆足で他学部の手拍子に送られて、いちばん奥の15号館まで行く。&lt;br /&gt;
:15号館の402教室。階段を上りながらホッとする。会場が見つからないんではないかと思われていただけに安心。会場に入る。２Ｔの後ろ、いちばん前の方。議案書が配られる。けさ6時半まで徹夜して出来上がったという。説明し終えると、一文非暴力推進協議会なるもの（後で勝共連合と判明）が議案書を配る。そこで説明させるかどうかで紛糾。議長の司会のまずさ、不慣れさも手伝ってかなり混乱。議案書どちらをとるかを採決すれば良い、それで済む問題なのだ。かなり紛糾。外では“Z”が迫っている。１時半頃から始まって3時をまわる。3時半頃やっと採決する。途中でデントウが消されたり、妨害があり、大学側は本部もロックアウトしたと宣言する。ナンセンス。&lt;br /&gt;
:3時40分頃、議案書採決する。1400名余出席、1369名賛成。かなり暗くなるも紙吹雪がまい、シュプレヒコール、バンザイ、拍手が入乱れる。シュプレヒコールの後、隊列を組んで外に出る。拍手で迎えられ、1号館での報告集会。“Z”の妨害を排除し、歓びに満ちた集会。その後、学内デモを繰りひろげる。1Tクラスも先頭に立ってデモをする。その後、社学の学生大会を支援するため、教育学部の下の空地に坐り込む。肉マンetc.の差入。階段にバリケードを組む。うまく教えてくれる人がいる。青会（ママ　編注「青解」）の生き残りとか。クラスで個別デモやる。これ程1Tがやるとは正直言って思わなかった。闘争は団結をかたくする。もの凄いクラスのまとまり。団結。半分は女の子なのに、極めて戦闘的にデモンストレーションを貫徹する。まだまだやるぞ。断固闘うぞ。“1Tは自治会の先頭に立って闘うぞ”。&lt;br /&gt;
:1T独自でデモをやったりもする。大分人間が欠けていなくなるが、それでもかなりやる。社学の学大が7時半に終わり、8時頃解散する。（一文有志の記録から）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【浅井邦二第一文学部長「大会認めぬ」とコメント】'''&lt;br /&gt;
:文学部をロックアウトした後、浅井邦二第一文学部長は記者会見で「開門前から他大学も含む革マル派約300人が門を乗り越えて構内に入った。一応退去させたが、再び乱入する場合も考えられるので、一般学生との衝突を避けるために立ち入り禁止にした」と語った。さらに学生大会については、「大学として『署名が1300で全体（4300人）の総意を反映しているとはみられない』『大会に至る過程が短期間で、内容がよくわからない』などの理由から、「学生大会」として認められないとの見解を明らかにした。（1972年11月28日付毎日新聞夕刊より）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-NkhGM3llTmQyY1U/view?usp=sharing 暫定規約　 11. 28一文学生大会で決定のもの]&lt;/div&gt;</summary>
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		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B411%E6%9C%8828%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%83%BB%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%A6%A8%E5%AE%B3%E3%82%92%E8%B7%B3%E3%81%AD%E9%99%A4%E3%81%91%E3%80%81%E4%B8%80%E6%96%87%E3%83%BB%E4%BA%8C%E6%96%87%E5%AD%A6%E7%94%9F%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E6%88%90%E7%AB%8B&amp;diff=143</id>
		<title>1972年11月28日（火）当局・革マルの妨害を跳ね除け、一文・二文学生大会成立</title>
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				<updated>2017-05-01T02:55:21Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: Ad19721119 がページ「1972年11月28日（火）当局・革マルの妨害を跳ね除け、一文・二文学生大会成立」を「1972年11月28日（火）当局・革マルの妨害を跳ね除け、一文・社学学生大会成立...&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;#転送 [[1972年11月28日（火）当局・革マルの妨害を跳ね除け、一文・社学学生大会成立]]&lt;/div&gt;</summary>
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		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B411%E6%9C%8813%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%89%E5%BE%B9%E5%A4%9C%E3%81%AE%E7%B3%BE%E5%BC%BE%E9%9B%86%E4%BC%9A&amp;diff=141</id>
		<title>1972年11月13日（月）徹夜の糾弾集会</title>
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				<updated>2017-04-29T21:40:35Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:早朝、2J有志が高田馬場駅頭でビラを配布。一文、教育でも、革マル批判、集会結集への呼び掛け等のビラ登場。一文では朝から数クラスで討論が行われ、当局は14時以降を休講にした。昼頃、自主議長団によって開かれた本部集会に一文から田中敏夫全中自委員長等6人の革マルを連行、「川口君追悼集会」となった。事実経過究明に黙秘する革マルを3000人が囲み、徹夜で集会を貫徹した。当局は、一･二文自治会三役7名の処分を決定した他、「不祥事に関する総長声明」を発表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::早朝　2Ｊ級友はクラス決議にもとづき高田馬場駅でビラ配りを決行する。&lt;br /&gt;
::◎一文、教育等のクラス有志がビラを配布し、集会への結集を呼びかける。クラス討論も行われ、文学部は14:00以降を休講に。&lt;br /&gt;
::◎一・二文連合臨時教授会・教員会が行われ、自治会執行機関の活動停止と自治会室の使用禁止、自治会三役7名の処分などを決定する。&lt;br /&gt;
::::::除籍　　 　　　　 第一文学部自治会委員長　　　田中敏夫&lt;br /&gt;
:::::::同　　　　　　第二文学部自治会委員長　　　若林民生&lt;br /&gt;
::::::停学（無期） 　　 第一文学部自治会副委員長　　大岩圭之介&lt;br /&gt;
:::::::同　　　　　　第二文学部自治会副委員長　　金子賢治&lt;br /&gt;
:::::::同　　　　　　第二文学部自治会副委員長　　武原光志&lt;br /&gt;
:::::::同　　　　　　第一文学部自治会書記長　　　佐竹　実&lt;br /&gt;
::::::復籍を認めない  　 第二文学部自治会書記長　　　竹内政行&lt;br /&gt;
::◎大学当局は、村井資長総長名で声明（「11.13声明」）を公表した&lt;br /&gt;
::正午頃　自主議長団（11日の集会後、有志で結成）主催の集会が開かれ、本部での「川口君追悼集会」に。革マルは文学部中庭で「11.8の事態に関する態度表明全学集会」を開催。&lt;br /&gt;
::14:00　本部での集会は11日の倍近い人数となり、田中委員長らに糾弾が続いたが、革マルは黙りこくるばかり。川口君のスパイ活動とされる根拠を示すこと、各学部自治会・文連・早稲田祭実行委員会の執行部辞任を要求して革マルとの押し問答が続くなかで「六項目決議」を確認した。&lt;br /&gt;
::■革マルは「権力との緊張関係」「高度な政治力学における特殊な問題」として川口君のスパイ行為に関する事実の内容は明かせないとしながら「スパイ行為の事実を完全に立証、川口君の手になるメモを証拠物件として把握している」が同様の理由から大衆的には明かせないとした。&lt;br /&gt;
::◎大学当局は21:00以降、集会解散・閉門の警告を繰り返したが、0時を過ぎても2000人以上の学生が残り、徹夜で集会を貫徹する.。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【3000人の見守る前で】'''&lt;br /&gt;
:昼頃から本部で、有志によって結成された議長団による集会が開かれた。文学部で集会を開いていた全中自の田中敏夫委員長を含む6人を連れてきて壇上にあげ、「川口君をスパイだとする証拠の提示」「自治会執行部、文連常任委、早稲田祭実行委の辞任」を求めて回答を迫った。参加者からも次々に発言があったが、セクト色の濃い発言には「帰れ、帰れ」のコールがあがった。川口君の同級生も壇上に上がり、上半身裸になって「真実を明らかにしてほしい」と訴えた。&lt;br /&gt;
:夜になって田中委員長は「川口君のスパイ行為の事実を完全に立証・裏付ける川口君の書いたメモを証拠物件として把握しているが、権力との緊張関係と高度の政治力学における特殊な問題として公開することはできない」と発言した。&lt;br /&gt;
:大学当局の再三の集会解散の警告にもかかわらず、深夜を過ぎても2000人が座り込みを続けていたが、翌14日午前7時45分、大学当局は「生命の危険」を理由に機動隊に出動を要請。田中委員長以下6名は、集会に残った400人の目の前で機動隊に救出される結果となった。&lt;br /&gt;
:この集会に集まった各学部の有志によって学部間のクラス討論連絡会議が結成されるとともに、事実経過の究明、執行部のリコールなど「六項目決議」を確認した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【証言】'''&lt;br /&gt;
:「いちばん私が頭に来たのは、革マルが川口を中核派のスパイだと言ったこと。これは死んだ人に対する屈辱的な言葉です。とんでもないことだと思った。私の戦略としては、向こうの土俵に乗ってしまったら絶対に革マルにやられてしまう。あの連中は頭もいいししたたかだから、なかなか責めきれない。このままではダメだと思った。川口が肉体的なリンチを受けた訳だから、もし良心の呵責があればこたえるだろうと思って、上半身だけだったけれど、私は裸になった。ここで、このまま寒さで死んでもいいやっていう気持ちでやっていた。それが良いか悪いかはわかりません」（一文2J）&lt;br /&gt;
:「みんな機動隊が革マルを逮捕しに来たと思ったから、逆にみんなは革マルを守ろうとした」（法学部）※&lt;br /&gt;
:「まだ革マルとの緊張関係まだそれほどなかったし、われわれも同じ学生同士というある程度の信頼感があった。それが後々革マルによって裏切られていった訳だが」（一文1年）※&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::※この部分は2014.7.9.の集まりの発言から。キャンパス新聞に載ったHさんの発言とそれを補足するTさんの発言の再録。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-dk1EVDBuWENzSkk/view?usp=sharing　連日、糾弾集会続く　72年11月10日付早稲田キャンパス新聞（発行は11月下旬と思われる）]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B412%E6%9C%8818%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%89%E4%B8%80%E6%96%87%E8%87%A8%E5%9F%B7%E3%83%BB%E8%A1%8C%E5%8B%95%E5%A7%94%EF%BD%A5%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B9%E6%9C%89%E5%BF%97%E3%81%8C%E5%86%AC%E6%9C%9F%E5%90%88%E5%AE%BF&amp;diff=140</id>
		<title>1972年12月18日（月）一文臨執・行動委･クラス有志が冬期合宿</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B412%E6%9C%8818%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%89%E4%B8%80%E6%96%87%E8%87%A8%E5%9F%B7%E3%83%BB%E8%A1%8C%E5%8B%95%E5%A7%94%EF%BD%A5%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B9%E6%9C%89%E5%BF%97%E3%81%8C%E5%86%AC%E6%9C%9F%E5%90%88%E5%AE%BF&amp;diff=140"/>
				<updated>2017-04-29T01:29:16Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:千葉県・岩井の民宿で、一文臨執・行動委･クラス有志が集まって2泊3日で冬期合宿を行った。11.8以降の動きと自治再建運動の中間総括、そして1月からの運動方針が話し合われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::◎「越冬体制」となり、様々な活動や提案がなされる。&lt;br /&gt;
::◎臨執、行動委（準）、クラス有志が参加して合宿が行われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【街頭カンパのビラ】'''&lt;br /&gt;
:12月17日の日付で「早稲田大学第一文学部学生自治会臨時執行部」名で「早稲田の斗いに支援を！」のビラが配られた。学外への呼びかけになっているが、革マルの妨害を受けずにビラを配れたのだろうか。詳細は不明。&lt;br /&gt;
:「全ての労働者、学生、市民の皆さん！&lt;br /&gt;
:11月8日、私達の学友川口大三郎君が革マル派の陰惨なリンチによって虐殺されてから私達は革マル派を糾弾し、一人の人間の命の尊さや一人の人間の苦悩を大切にした運動を創っていこうとしています。（中略）&lt;br /&gt;
:私達には何もありません。金もありません。印刷機さえロクなものはありません。自治会室もありません。あるのはただ強固な全学友の力だけです。私達は今全く新しい自治会を創るために真剣に討論を深め、闘いをすすめています。私達の闘いは今後も更に続くでしょう。私達は皆さんの圧倒的な支援の声とカンパを求め、ここに集っています。共に話し合い、そして私達への理解と支援をお願いします。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【一文１Tの冬休み】'''&lt;br /&gt;
:「12月13日。馬場の“白ゆり”に集まる。そこでは主に“学習会でどのようなことをやるか”“これからの運動の組織”の２点について話し合われた。席上H君より行動委員会を設けることへの提起があった。&lt;br /&gt;
:12月15日。クラス協議会が開かれK君が出席。&lt;br /&gt;
:12月16日。第1回学習会が開かれる。出席者7人。学習会というよりも討論会になってしまったけれども、個人個人の様々な意見、新たな方向性への展望が聞かれた。&lt;br /&gt;
:12月23日。出席者6人。自治会執行部は百花斉放・百家争鳴を保証するような形。最大公約数としての立場をとるべき。主人公は大学生･自治会員＝我々である。自治会運動の空洞化の上に立つエセ自治会運動。セクト的価値観の押しつけ。&lt;br /&gt;
:1月7日。白ゆり。行動委の性格の明確化。臨執支持という立場に立つならば、それを積極的に支持する行動委。“核”としての行動委。」&lt;br /&gt;
:（一文有志の記録より）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-UDlzTk4tbUxiN1U/view?usp=sharing 革マルー当局に抗して更なる前進を！　一文臨時執行部]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-RU5qdHRPZUYtQ0k/view?usp=sharing 規約改正委員会創出に向けて!　一文臨時執行部]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-ZkRhRE9ucWhkSm8/view?usp=sharing 臨執声明　一文自治会臨時執行委員会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-VGFSODhHcjAyUjQ/view?usp=sharing 全てのクラスで自主的・独創的運動の創出を]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-Q2xjRXlSMEl6Vnc/view?usp=sharing 11.8サークル連絡会議からの活動報告とアッピール！ 12月25日付]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:＊12月末頃と思われる資料＊&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-V3V0NzdEelN3OFE/view?usp=sharing 我々は断固主張する　一文執行委員会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-RVUtRzhIVXI0T0U/view?usp=sharing 第一文学部自治会　仮規約]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-SHY1SkJManNkMTA/view?usp=sharing 討議資料　自治会と自治委員選挙の考え方（A4青焼）]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-cnFuZS1sQ2JVTzQ/view?usp=sharing 川口君事件から　発言二つ　早稲田キャンパス新聞72年12月25日付]&lt;br /&gt;
　&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B411%E6%9C%8825%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E6%B4%BE%E3%81%8C%E4%B8%80%E3%83%BB%E4%BA%8C%E6%96%87%E3%82%AF%E3%83%A9%E8%A8%8E%E9%80%A3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%BC%E3%81%AB%E8%87%AA%E5%B7%B1%E6%89%B9%E5%88%A4%E8%A6%81%E6%B1%82&amp;diff=139</id>
		<title>1972年11月25日（土）革マル派が一・二文クラ討連リーダーに自己批判要求</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B411%E6%9C%8825%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E6%B4%BE%E3%81%8C%E4%B8%80%E3%83%BB%E4%BA%8C%E6%96%87%E3%82%AF%E3%83%A9%E8%A8%8E%E9%80%A3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%BC%E3%81%AB%E8%87%AA%E5%B7%B1%E6%89%B9%E5%88%A4%E8%A6%81%E6%B1%82&amp;diff=139"/>
				<updated>2017-04-29T01:27:31Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:革マル派100人が一文中庭で集会を開き「クラ討連」リーダーを演壇に乗せ、前日の革マル派へのゴボウ抜きへの自己批判を求めた。夜には赤旗を先頭にした覆面・ヘルメットの他大学からの革マルの応援部隊が到着。「帰れ！」の声をあげる学生たちを追い散らし、デモで本部へ向かい、集会と渦巻きデモを繰り返した。文学部当局はこうした事態を静観し、授業打ち切って8時に閉門した。こうした学内の動きとは別に、28日の学生大会へ向けた議案書の作成が進められた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::11:00　革マル派100名は文学部中庭で集会を行ない、クラス討論連絡会議リーダーを演壇に乗せて、前日の混乱について自己批判を要求。18:00には二文クラ討連リーダーにも自己批判を要求した。19:40からは全都動員のヘルメット部隊250名で暴力敵対、学生に襲いかかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マル派の武装反撃】'''&lt;br /&gt;
:この日の早稲田の様子を翌26日付の朝日新聞は「革マル派、大暴れ」という大見出しとともに報じた。&lt;br /&gt;
:「早大で25日夜、都内の他大学から動員した者も含め、ヘルメット、覆面姿の革マル派学生約250人が、「学生大会粉砕」「民青粉砕」を叫んで文学部構内をデモ、道路まで飛出して他学生を追散らした。川口大三郎君のリンチ殺人事件以来わずか十数日で暴力一掃を目ざした学生たちの声は、革マル派の“武装”反撃に一時的にせよかき消された格好。文学部当局はこの間、従来通り終始沈黙を守り続け、事態を静観した。&lt;br /&gt;
:この日、午前11時すぎから文学部中庭で集会を開いた革マル派学生約100人は、同学部で学生大会を開くための署名運動などを続けているクラス討論連絡会議のリーダー1人を演壇に乗せ、24日夜の学生たちによる革マル派学生のゴボウ抜きなどについて自己批判を要求した。&lt;br /&gt;
:いったん第一学生会館に引揚げた革マル派学生は、午後6時すぎから再び文学部中庭に現れ、うち30人がヘルメット姿。第二文学部のクラス討論連絡会議のリーダーに再び自己批判を要求した。&lt;br /&gt;
:これを聞いた法学部など他学部の学生約100人がデモ隊を組んでかけつけると、革マル派のリーダーは「こうした民青系学生による敵対行為には実力で対決する」と叫び、デモ隊を組んで同学部門前にいた学生たちともみ合った。&lt;br /&gt;
:同午後7時40分ごろ、赤旗数本を先頭に立て、覆面をしヘルメットに他大学の名前を書いた革マル派の学生約150人が、文学部に着いた。構内に散在していた文学部や他学部の学生約300人が「帰れ、帰れ」のシュプレヒコールをあびせたが、革マル派学生は応援も含め約250人でうず巻きデモを繰返し、時々遠巻きにしてシュプレヒコールを続ける学生の列に「あれが民青だ」などと叫びながら襲いかかった。&lt;br /&gt;
:このあと革マル派学生は他学生を追って学外に出、牛込署馬場下交番前の交差点いっぱいにデモ、さらに隊列を組んで約500メートル離れた同大本部構内まで行き、集会やうず巻きデモを繰返した。文学部当局はこのため夜間の立入り禁止時間を1時間早めて午後8時門を閉じ、それ以降の授業は打切った。他学生はそのまま解散した。&lt;br /&gt;
:革マル派学生はその後、本部南門前の第一学生会館1階食堂に入り、集会を開いたあと、午後9時40分に解散した。」（1972年11月26日付朝日新聞）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【議長団による緊急アピール】'''&lt;br /&gt;
:この翌日の26日には、全学議長団と全学部連絡会議は「学生大会を革マル派の破壊活動から“死守”するため全学部の学友数千人を本部キャンパスに結集させる」との緊急アピールを出した。28日の一文・社学の学生大会を前に、22日以降他大学の学生も動員して革マル派の“反撃”が日増しに高まっており、議長団や学部連絡会議のメンバーへの個人恫喝なども発生していた。&lt;br /&gt;
:「あくまで非暴力で革マルに対抗、大衆の手で学生大会を成功させる」との立場から、この緊急アピールとなった。&lt;br /&gt;
:具体的戦術としては、27日昼前から本部キャンパスで全学部の学生数千人を集めて再び糾弾集会を開いて、同夜は大学周辺に泊まり込み、28日は文学部キャンパスにすわりこんで革マルの襲撃を阻止する方針を立てている。（1972年11月27日付毎日新聞より）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-cGhoSjhmZEVZVUE/view?usp=sharing 六学部で臨時執行部選出　早稲田キャンパス新聞72年11月25日付]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B411%E6%9C%8813%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%89%E5%BE%B9%E5%A4%9C%E3%81%AE%E7%B3%BE%E5%BC%BE%E9%9B%86%E4%BC%9A&amp;diff=138</id>
		<title>1972年11月13日（月）徹夜の糾弾集会</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B411%E6%9C%8813%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%89%E5%BE%B9%E5%A4%9C%E3%81%AE%E7%B3%BE%E5%BC%BE%E9%9B%86%E4%BC%9A&amp;diff=138"/>
				<updated>2017-04-29T01:25:32Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:早朝、2J有志が高田馬場駅頭でビラを配布。一文、教育でも、革マル批判、集会結集への呼び掛け等のビラ登場。一文では朝から数クラスで討論が行われ、当局は14時以降を休講にした。昼頃、自主議長団によって開かれた本部集会に一文から田中敏夫全中自委員長等6人の革マルを連行、「川口君追悼集会」となった。事実経過究明に黙秘する革マルを3000人が囲み、徹夜で集会を貫徹した。当局は、一･二文自治会三役7名の処分を決定した他、「不祥事に関する総長声明」を発表した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::早朝　2Ｊ級友はクラス決議にもとづき高田馬場駅でビラ配りを決行する。&lt;br /&gt;
::◎一文、教育等のクラス有志がビラを配布し、集会への結集を呼びかける。クラス討論も行われ、文学部は14:00以降を休講に。&lt;br /&gt;
::◎一・二文連合臨時教授会・教員会が行われ、自治会執行機関の活動停止と自治会室の使用禁止、自治会三役7名の処分などを決定する。&lt;br /&gt;
::::::除籍　　 　　　　 第一文学部自治会委員長　　　田中敏夫&lt;br /&gt;
:::::::同　　　　　　第二文学部自治会委員長　　　若林民生&lt;br /&gt;
::::::停学（無期） 　　 第一文学部自治会副委員長　　大岩圭之介&lt;br /&gt;
:::::::同　　　　　　第二文学部自治会副委員長　　金子賢治&lt;br /&gt;
:::::::同　　　　　　第二文学部自治会副委員長　　武原光志&lt;br /&gt;
:::::::同　　　　　　第一文学部自治会書記長　　　佐竹　実&lt;br /&gt;
::::::復籍を認めない  　 第二文学部自治会書記長　　　竹内政行&lt;br /&gt;
::◎大学当局は、村井資長総長名で声明（「11.13声明」）を公表した&lt;br /&gt;
::正午頃　自主議長団（11日の集会後、有志で結成）主催の集会が開かれ、本部での「川口君追悼集会」に。革マルは文学部中庭で「11.8の事態に関する態度表明全学集会」を開催。&lt;br /&gt;
::14:00　本部での集会は11日の倍近い人数となり、田中委員長らに糾弾が続いたが、革マルは黙りこくるばかり。川口君のスパイ活動とされる根拠を示すこと、各学部自治会・文連・早稲田祭実行委員会の執行部辞任を要求して革マルとの押し問答が続くなかで「六項目決議」を確認した。&lt;br /&gt;
::■革マルは「権力との緊張関係」「高度な政治力学における特殊な問題」として川口君のスパイ行為に関する事実の内容は明かせないとしながら「スパイ行為の事実を完全に立証、川口君の手になるメモを証拠物件として把握している」が同様の理由から大衆的には明かせないとした。&lt;br /&gt;
::◎大学当局は21:00以降、集会解散・閉門の警告を繰り返したが、0時を過ぎても2000人以上の学生が残り、徹夜で集会を貫徹する.。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【3000人の見守る前で】'''&lt;br /&gt;
:昼頃から本部で、有志によって結成された議長団による集会が開かれた。文学部で集会を開いていた全中自の田中敏夫委員長を含む6人を連れてきて壇上にあげ、「川口君をスパイだとする証拠の提示」「自治会執行部、文連常任委、早稲田祭実行委の辞任」を求めて回答を迫った。参加者からも次々に発言があったが、セクト色の濃い発言には「帰れ、帰れ」のコールがあがった。川口君の同級生も壇上に上がり、上半身裸になって「真実を明らかにしてほしい」と訴えた。&lt;br /&gt;
:夜になって田中委員長は「川口君のスパイ行為の事実を完全に立証・裏付ける川口君の書いたメモを証拠物件として把握しているが、権力との緊張関係と高度の政治力学における特殊な問題として公開することはできない」と発言した。&lt;br /&gt;
:大学当局の再三の集会解散の警告にもかかわらず、深夜を過ぎても2000人が座り込みを続けていたが、翌14日午前7時45分、大学当局は「生命の危険」を理由に機動隊に出動を要請。田中委員長以下6名は、集会に残った400人の目の前で機動隊に救出される結果となった。&lt;br /&gt;
:この集会に集まった各学部の有志によって学部間のクラス討論連絡会議が結成されるとともに、事実経過の究明、執行部のリコールなど「六項目決議」を確認した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【証言】'''&lt;br /&gt;
:「いちばん私が頭に来たのは、革マルが川口を中核派のスパイだと言ったこと。これは死んだ人に対する屈辱的な言葉です。とんでもないことだと思った。私の戦略としては、向こうの土俵に乗ってしまったら絶対に革マルにやられてしまう。あの連中は頭もいいししたたかだから、なかなか責めきれない。このままではダメだと思った。川口が肉体的なリンチを受けた訳だから、もし良心の呵責があればこたえるだろうと思って、上半身だけだったけれど、私は裸になった。ここで、このまま寒さで死んでもいいやっていう気持ちでやっていた。それが良いか悪いかはわかりません」（一文2J）&lt;br /&gt;
:「みんな機動隊が革マルを逮捕しに来たと思ったから、逆にみんなは革マルを守ろうとした」（法学部）※&lt;br /&gt;
:「まだ革マルとの緊張関係まだそれほどなかったし、われわれも同じ学生同士というある程度の信頼感があった。それが後々革マルによって裏切られていった訳だが」（一文1年）※&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::※この部分は2014.7.9.の集まりの発言から。キャンパス新聞に載ったHさんの発言とそれを補足するTさんの発言の再録。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-R2E0bTNWTGkzWUk/view?usp=sharing　連日、糾弾集会続く　72年11月10日付早稲田キャンパス新聞（発行は11月下旬と思われる）]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B412%E6%9C%8818%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%89%E4%B8%80%E6%96%87%E8%87%A8%E5%9F%B7%E3%83%BB%E8%A1%8C%E5%8B%95%E5%A7%94%EF%BD%A5%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B9%E6%9C%89%E5%BF%97%E3%81%8C%E5%86%AC%E6%9C%9F%E5%90%88%E5%AE%BF&amp;diff=137</id>
		<title>1972年12月18日（月）一文臨執・行動委･クラス有志が冬期合宿</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B412%E6%9C%8818%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%89%E4%B8%80%E6%96%87%E8%87%A8%E5%9F%B7%E3%83%BB%E8%A1%8C%E5%8B%95%E5%A7%94%EF%BD%A5%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B9%E6%9C%89%E5%BF%97%E3%81%8C%E5%86%AC%E6%9C%9F%E5%90%88%E5%AE%BF&amp;diff=137"/>
				<updated>2017-04-29T00:48:02Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:千葉県・岩井の民宿で、一文臨執・行動委･クラス有志が集まって2泊3日で冬期合宿を行った。11.8以降の動きと自治再建運動の中間総括、そして1月からの運動方針が話し合われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::◎「越冬体制」となり、様々な活動や提案がなされる。&lt;br /&gt;
::◎臨執、行動委（準）、クラス有志が参加して合宿が行われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【街頭カンパのビラ】'''&lt;br /&gt;
:12月17日の日付で「早稲田大学第一文学部学生自治会臨時執行部」名で「早稲田の斗いに支援を！」のビラが配られた。学外への呼びかけになっているが、革マルの妨害を受けずにビラを配れたのだろうか。詳細は不明。&lt;br /&gt;
:「全ての労働者、学生、市民の皆さん！&lt;br /&gt;
:11月8日、私達の学友川口大三郎君が革マル派の陰惨なリンチによって虐殺されてから私達は革マル派を糾弾し、一人の人間の命の尊さや一人の人間の苦悩を大切にした運動を創っていこうとしています。（中略）&lt;br /&gt;
:私達には何もありません。金もありません。印刷機さえロクなものはありません。自治会室もありません。あるのはただ強固な全学友の力だけです。私達は今全く新しい自治会を創るために真剣に討論を深め、闘いをすすめています。私達の闘いは今後も更に続くでしょう。私達は皆さんの圧倒的な支援の声とカンパを求め、ここに集っています。共に話し合い、そして私達への理解と支援をお願いします。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【一文１Tの冬休み】'''&lt;br /&gt;
:「12月13日。馬場の“白ゆり”に集まる。そこでは主に“学習会でどのようなことをやるか”“これからの運動の組織”の２点について話し合われた。席上H君より行動委員会を設けることへの提起があった。&lt;br /&gt;
:12月15日。クラス協議会が開かれK君が出席。&lt;br /&gt;
:12月16日。第1回学習会が開かれる。出席者7人。学習会というよりも討論会になってしまったけれども、個人個人の様々な意見、新たな方向性への展望が聞かれた。&lt;br /&gt;
:12月23日。出席者6人。自治会執行部は百花斉放・百家争鳴を保証するような形。最大公約数としての立場をとるべき。主人公は大学生･自治会員＝我々である。自治会運動の空洞化の上に立つエセ自治会運動。セクト的価値観の押しつけ。&lt;br /&gt;
:1月7日。白ゆり。行動委の性格の明確化。臨執支持という立場に立つならば、それを積極的に支持する行動委。“核”としての行動委。」&lt;br /&gt;
:（一文有志の記録より）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-UDlzTk4tbUxiN1U/view?usp=sharing 革マルー当局に抗して更なる前進を！　一文臨時執行部]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-RU5qdHRPZUYtQ0k/view?usp=sharing 規約改正委員会創出に向けて!　一文臨時執行部]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-ZkRhRE9ucWhkSm8/view?usp=sharing 臨執声明　一文自治会臨時執行委員会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-VGFSODhHcjAyUjQ/view?usp=sharing 全てのクラスで自主的・独創的運動の創出を]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-Q2xjRXlSMEl6Vnc/view?usp=sharing 11.8サークル連絡会議からの活動報告とアッピール！ 12月25日付]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:＊12月末頃と思われる資料＊&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-V3V0NzdEelN3OFE/view?usp=sharing 我々は断固主張する　一文執行委員会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-RVUtRzhIVXI0T0U/view?usp=sharing 第一文学部自治会　仮規約]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-SHY1SkJManNkMTA/view?usp=sharing 討議資料　自治会と自治委員選挙の考え方（A4青焼）]&lt;br /&gt;
　&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B412%E6%9C%888%E6%97%A5%EF%BC%88%E9%87%91%EF%BC%89%E3%80%8C%E5%AF%92%E3%81%84%E5%86%AC%E3%82%92%E8%B6%8A%E3%81%99%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E5%A4%A7%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%80%8D%E9%96%8B%E5%82%AC%E3%80%82%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%92%E5%8B%9F%E3%82%8B&amp;diff=136</id>
		<title>1972年12月8日（金）「寒い冬を越すための大コンサート」開催。カンパを募る</title>
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				<updated>2017-04-29T00:37:06Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:「早稲田をナカナカ卒業できないやつの会」の呼びかけで、あがた森魚、頭脳警察、山下洋輔トリオ＋１他の出演で「寒い冬を越すための大コンサート」が開かれた。当初は午後２時から大隈講堂での開催予定だったが、当局の妨害（？）によって文学部181教室に場所を変えて行われた。同時刻、村井総長は事件後２回目となる記者会見に臨み「マンモス化の中では学生との直接対話はできぬ」と発言した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【その日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::◎革マルの占領下にある文学部構内には隊列を組まないと入れず、クラス討論もままならない状態が続く。&lt;br /&gt;
::15:20　丸の内、野村ビル7階「永楽俱楽部」で村井総長、清水司常任理事、浜田健三秘書室長3名が記者会見を行う。&lt;br /&gt;
::夕刻　「寒い冬を越すための大コンサート」が文学部181教室で開催される。“早稲田をなかなか卒業できないやつの会”が主催し、山下洋輔トリオ＋１、頭脳警察、あがた森魚ほかが出演。入場料は闘争資金カンパとなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【「寒い冬を越すための大コンサート」のビラから】'''&lt;br /&gt;
:「このかけがえのない運動を時とともにタダ同然で『冬』に売り渡すことは決して出来ない。僕達自身の手で寒い冬を越そうではないか。越冬資金のためのカンパを集中しよう。すべての学友の、この大コンサートへの参加を呼びかける。１人１人の先を自分たち１人１人で購うために」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【〈早稲田をナカナカ卒業できないやつの会〉の呼びかけ】'''&lt;br /&gt;
:コンサートに先立って、コンサートを企画した〈早稲田をナカナカ卒業できないやつの会〉からの「『落とし穴』におちないために」というビラが配られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「『落とし穴』におちないために&lt;br /&gt;
:ぼくたちはいま冬だ。この数日をとおして確かめ合ってきた『きみ』との熱い&lt;br /&gt;
:熱いはじめての出会い、それがいま、すこしずつ〈ほんとに少しずつだが〉冷え&lt;br /&gt;
:ようとしている。川口君のお母さんが心配したように。&lt;br /&gt;
:『革マルも、当局も、冬休みを待っているのです』。&lt;br /&gt;
:連帯と団結、という代りに、ぼくたちは『きみ』との熱い出会い、という。そ&lt;br /&gt;
:して思い出そう、この出会いを、ぼくたちは川口君の死によって購ったのだ、と&lt;br /&gt;
:いうことを。&lt;br /&gt;
:そうだ、ぼくたちは『きみ』との熱いあつい出会いをはぐくんでいく斗いを、&lt;br /&gt;
:ながく続けてゆかなくてはならない。川口君の死をぼくたちが忘れないかぎり。&lt;br /&gt;
:ながい斗いをささえるために、カネがいる。考えたくないことだが、タイホ&lt;br /&gt;
:（不当にも）される人や、ケガをする人の出る可能性に、ぼくたちは備えておか&lt;br /&gt;
:なくてはならない。ビラ一枚をだすにもカネがいる。&lt;br /&gt;
:そして、そのカネは、ぼくたちが、きみが、身銭をきるほかにない。&lt;br /&gt;
:すこし財布をひらいてくれないか。&lt;br /&gt;
:ぼくたちは、みんなの身銭を集めるために、休み前、７日を目標に、何ご&lt;br /&gt;
:とかを起こそうとする。&lt;br /&gt;
:::::みんな、それに集まってくれ！&lt;br /&gt;
:きみとの熱い出会いを、川口君の死によって購ったものをはぐくんでゆくために。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::::::::::〈呼びかけ者〉&lt;br /&gt;
::::::::::::早稲田をナカナカ卒業できないやつの会」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【人は集まるだろうか…】'''&lt;br /&gt;
:コンサートの防衛、他学部の支援等に備えて行動隊も集結。一文1年生のクラスでは午前10時から有志が情宣へ…。&lt;br /&gt;
:「12月8日、朝からうすら寒かった。４号館ロビー、10時、Nさんと会う。OとKが来る。４人。きょうのコンサートの行動隊。クラスの他の人間が居ないのでこの４名。10時半頃からビラ配情宣。11時50分頃まで正門のあたりでまく。途中でZのビラまき隊20人位。終えて4号館に戻る。コンサートの防衛任務。果たして人が集まるかどうか危惧の念を抱く。&lt;br /&gt;
:マイクロバスで楽器を持って来てステージにそれを運び込む。山下洋輔tr.、あがた森魚、頭脳警察。バンドマン役。1時55分頃、人間を入れ始める。人はまあまあかなり集まる。あがた森魚が終る頃、本部でZが妨害行動、破壊策動をしているという情報。防衛隊、あわてて本部に向かう。４号館ロビーに結集後、22号館の社学自治委員選挙支援に向かう。20人位。階段のところにZ数人追い出して301教室へ。入ると選挙やってない。就職説明会なるものをやっている。全くナンセンス。選挙支援にいったのに何をしに行ったのか全くわからない。&lt;br /&gt;
:ベランダにいると40人位の部隊が駆けてくる。Zだという声で２階から３階への途中でバリケードを築こうとするが、不完全なため簡単にZに蹴破られる。ぼくは踊場の少し上の階段まで行って全く孤立。Zにかこまれて、誰かの「やっちまえ」という声とともに数人にかこまれ、なぐられ、けられ、机のおいてある片スミへ追いやられる。一人でいたため手だしが全く出来ず、それがかえって幸いして、途中で「やめろ」という声とともにほって置かれる。Zはまったく知らない奴ばかり。社学の教室へ乱入。結局、就職説明会流会。バカバカしい。アホらしい。全く。社学の選管、一体全体何をやっているんだ。仕方なしに４号館に引き揚げる。&lt;br /&gt;
:4号館に引き揚げて少したつと、Zがシュプレヒコールあげて隊列組んで40～60人位でデモって来て突入しようとする。第1回目はたいしたことなく無事切り抜ける。15分位してまた来る。こんどは今までやらなかった窓ガラスまでレンガや石、竹、ゲバ棒で割って、メチャクチャになる。よくケガをしなかった。中の人間、皆、討ち死に覚悟。緊急に協議した結果、北側から逃げることにして、8時40分頃逃げる。なんて奴らだ。夜になるとジキル博士とハイド氏の如く変身して極めて凶暴になる、Zの奴らは。（一文有志の記録から）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【1972年12月8日付毎日新聞夕刊より】'''&lt;br /&gt;
:「8日、キャンパスで『寒い冬を越すための大コンサート』が開かれた。“早大からなかなか卒業できない人々の会”の企画。一枚500円の入場券で、学生層に人気を持つあがた森魚、「頭脳警察」などのフォーク・グループがノー･ギャラで出演し、収益金はソックリ資金に。11日からは冬休みに入り、アルバイト・シーズンとなるので男子学生は“土方組合”女子学生は“ウエートレス組合”に結集する。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【村井総長の記者会見に対する新聞各社の反応】'''&lt;br /&gt;
:2回目となる村井総長の記者会見に対し新聞各社は4段見出しで大きく取り扱った。各社の見出しとリード文からは、大学当局の姿勢への評価が伺える。&lt;br /&gt;
:●1972年12月9日付朝日新聞&lt;br /&gt;
:見出し「早大村井総長が会見。マンモス大の苦悩浮彫りに。『直接対話できぬ』　4万学生に“お手上げ”」&lt;br /&gt;
:リード「11日からの冬休み入りが自治会再建運動の動向にとって一つのフシとみられている早大で、8日、村井資長総長が記者会見で当面の考え方を述べるとともに、大学当局もリンチ事件後初めて一連の問題に対する公式見解を文書にまとめた。同総長は学生4万人の早大の現状を『どうしようもないマンモス化』と述べ、本質的な改造がない限り根本的な解決はむずかしい、と訴えた。公式見解では、現在の自治会再建運動はまだ学生の総意を代表していないとの見方をほのめかし、反革マルの学生たちと大きなへだたりをみせた。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●1972年12月9日付毎日新聞&lt;br /&gt;
:見出し「『今は学生と会わぬ』早大総長“正常化”への苦悩語る」&lt;br /&gt;
:リード「革マル派によるリンチ殺人事件からちょうど1カ月。早稲田大学では燃え上がった“暴力追放”の声をバックに新しい学生自治会を求める学生の苦しい歩みが、革マル派の抵抗の中で続いている。&lt;br /&gt;
:学生の間には総長との“対話”を求める声も強く、告示を出すだけで積極的に話合おうとしない大学当局への批判も日増しに高まっているが、そうした批判の矢おもてに立つ村井資長早大総長は8日午後、東京・大手町の丸の内野村ビルで事件後二度目の記者会見を行ない、・暴力追放で盛上がった学生の気持ちを受けとめ、学園正常化につとめたい・学部段階を飛越しての全学団交にはいまのところ出るつもりはない・セクトがあっても自由な議論のできる“開かれたセクト”でなければならない――など、1時間50分にわたって見解や心境を明らかにした。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●1972年12月9日付読売新聞&lt;br /&gt;
:見出し「苦悩の顔みせ　早大総長やっと会見。学生との対話考えている」&lt;br /&gt;
:リード「村井資長・早大総長は、8日午後、学外で記者会見し、揺れ動く学園正常化への対応の仕方、新生自治会についての考え、学生との話し合いなど当面する諸問題について率直に意見を述べた。このなかで、同総長は・政経、一文など6学部で結成された新執行部や臨時執行部は、将来、新生自治会をつくる一つの機関として認める方向で検討する・学園正常化については、当面、暴力の排除に努力するが、ゆくゆくは学生一人一人の自由が尊重される秩序ある環境づくりを目ざす・団交はいま考えていないが、いずれ学部ごとに学生との静かな対話ができる場を設定したうえで考慮する――などを明らかにした。しかし、さしあたっての事態収拾策については依然手探り状態にあることをさらけ出すなど、マンモス大学・早稲田の悩める姿そのままに苦悩の色も隠し切れなかった。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【大学当局の公式見解】'''&lt;br /&gt;
;※ 引用にするかリンクにするか要検討&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-WHNIdDhHYkluaFU/view?usp=sharing 自治委員選出を通して各クラスを組織せよ！！ 第一文学部臨執声明No11]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-Vnp4dmE3a25MU3M/view?usp=sharing 寒い冬を越すための大コンサート（仮称）]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-dGp6aVN4S3YzZmc/view?usp=sharing 当局の不当な対応を許さない]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

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		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B412%E6%9C%8812%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B9%E5%8D%94%E8%AD%B0%E4%BC%9A%E3%81%A7%E3%80%8C9%E5%8E%9F%E5%89%87%E3%80%8D%E3%82%92%E7%A2%BA%E8%AA%8D&amp;diff=135</id>
		<title>1972年12月12日（火）クラス協議会で「9原則」を確認</title>
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				<updated>2017-04-29T00:34:36Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:冬休みを前に一文ではクラス協議会で「９原則」を確認。こうした臨執の方針に対して一文行動委は引き続き自治委員選挙のみでは自治会再建は語れないとして疑問を投げかけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:◎一文クラス協議会が行われ「9原則」が提起される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【第一文クラス協議会「９原則」】'''&lt;br /&gt;
:1. セクトの存在は認めるが、セクト主義的ひき回しは一切認めない&lt;br /&gt;
:2. 革マル派のセクト主義に対して、我々は大衆的な運動・団結をもって彼らの論理と組織を糾弾していくのであり又、そうでしかあり得ない&lt;br /&gt;
:3. 我々はセクトに所属している人間というだけで、その人の主張を無視してはならない。我々は具体的な事実、主張の下に初めて批判を行なっていくべきである&lt;br /&gt;
:4. 意見の違いは大衆的な討論の場で克服していく努力をする&lt;br /&gt;
:5. 我々の運動の質・形態・思想は常に運動の中から生み出され大衆的に確認していかねばならない&lt;br /&gt;
:6. 我々は個人の、クラスの、サークルの自主的・自立的な闘いを促し、又その場を保障していく&lt;br /&gt;
:7. 我々は、我々の自主的活動に対しての一切の介入弾圧を許さない&lt;br /&gt;
:8. 運動の方向性は常に様々な意識、様々な現実をもつ学生を考慮し、決して一人一人の人間性を無視してはならない&lt;br /&gt;
:9. 我々の手で我々の創造的な自治会運動を創り上げる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【一文行動委のビラ「我々の運動にとって自治員選とは何か」】'''&lt;br /&gt;
:「我々は11.28の学生大会において、ようやく革マル執行部のリコールと臨執の選出を克ち取った。即ち、我々の運動は確かに革マル執行部をリコールし得たが、それに代わり得る運動の内実と方向性をいまだ克ち取っていないということを確認しなければならない。臨執や協議会の不十分性は、我々の運動総体の弱さの表現なのである。&lt;br /&gt;
:革マルに対して我々が克ち取ったこの最低限の態勢を、いかにして強化し、実質的な運動を構築していくのか。このことが今まさに問われているのであって、規約レベルの形式的・制度的保証が問題なのでは断じてない。我々の運動の当面の主力を自治員選に注ぐことはむしろ、我々の闘争の発展、我々内部の矛盾の展開を押し止める以外の何ものでもない。&lt;br /&gt;
:学生諸君！　我々のこれまでの運動は何によって保証されてきたのか。それは、我々一人一人が、何ら外的なものに依拠せず、誰にも委ねることなく、自らの責任において、自らの言葉と行動によって運動を貫徹してきたからではなかったのか？　我々の意志を、我々以外の何ものかに反映させるのではなく、我々自身が問題の解決にあたらねばならないのだ。我々は、我々の自治会を当局に認めてもらうのではない。規約レベル――当局との“交渉”レベルの『正式』な自治会など我々の運動とは無縁だ。（団交は、我々にとって闘争なのだ！）&lt;br /&gt;
:自治員選の問題でしか我々の自治会再建運動を語れない我々の無能さ、怠惰――それこそ川口君虐殺を生みだしたのではなかったのか！（自治会費――カネに頼ってしか運動できないのか）&lt;br /&gt;
:当局に対する満腔の怒りを対当局団交に結集し、実質的な討論・運動を断固押し進めよ！&lt;br /&gt;
:学友諸君！　我々はできないことをやらなければならないのだ！　一文行動委員会」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-X1d4ZWMtMGFITHM/view?usp=sharing 現状分析､総括をふまえての行動方針]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-Mno4OTJtYXQ3dU0/view?usp=sharing 我々の運動にとって自治委選とは何か  一文行動委員会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-UXpXaDltUHlodEE/view?usp=sharing 一文自治会運動のさらなる発展のために　日文四年行動委員会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-akNDV2MyOWdvR1k/view?usp=sharing 早稲田の闘いに支援を！ 早稲田大学第一文学部学生自治会臨時執行部]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-Q3RMLWZfTmY5dnc/view?usp=sharing 事実経過　11/8から12/7まで]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8&amp;diff=134</id>
		<title>メインページ</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8&amp;diff=134"/>
				<updated>2017-04-26T20:29:45Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;strong&amp;gt;[http://www.19721108.net/ 19721108.net]&amp;lt;/strong&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 川口大三郎が逝ったあの日、あなたはどこにいたか==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1972年1972年11月８日木曜日午後、早稲田大学第一文学部２年Ｊ組川口大三郎君が自治会室に拉致監禁され、翌朝、東大病院構内で死体となって発見された。そして９日以降、川口君の真相を究明し、自治会を僭称する党派を糾弾する声が全学であがり、真の学生自治確立をめざして早大解放闘争が巻き起こった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:どのような情況が川口君を死に至らしめたのか、そして何故に早大解放闘争は解体せざるを得なかったのか…このサイトは、当時の報道、ビラ、証言によってその真実を明らかにする試みである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
[[1972年11月8日以前]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年12月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年1月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年2月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年3月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年4月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年5月]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B412%E6%9C%8818%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%89%E4%B8%80%E6%96%87%E8%87%A8%E5%9F%B7%E3%83%BB%E8%A1%8C%E5%8B%95%E5%A7%94%EF%BD%A5%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B9%E6%9C%89%E5%BF%97%E3%81%8C%E5%86%AC%E6%9C%9F%E5%90%88%E5%AE%BF&amp;diff=133</id>
		<title>1972年12月18日（月）一文臨執・行動委･クラス有志が冬期合宿</title>
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				<updated>2017-04-12T08:33:14Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:千葉県・岩井の民宿で、一文臨執・行動委･クラス有志が集まって2泊3日で冬期合宿を行った。11.8以降の動きと自治再建運動の中間総括、そして1月からの運動方針が話し合われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::◎「越冬体制」となり、様々な活動や提案がなされる。&lt;br /&gt;
::◎臨執、行動委（準）、クラス有志が参加して合宿が行われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【街頭カンパのビラ】'''&lt;br /&gt;
:12月17日の日付で「早稲田大学第一文学部学生自治会臨時執行部」名で「早稲田の斗いに支援を！」のビラが配られた。学外への呼びかけになっているが、革マルの妨害を受けずにビラを配れたのだろうか。詳細は不明。&lt;br /&gt;
:「全ての労働者、学生、市民の皆さん！&lt;br /&gt;
:11月8日、私達の学友川口大三郎君が革マル派の陰惨なリンチによって虐殺されてから私達は革マル派を糾弾し、一人の人間の命の尊さや一人の人間の苦悩を大切にした運動を創っていこうとしています。（中略）&lt;br /&gt;
:私達には何もありません。金もありません。印刷機さえロクなものはありません。自治会室もありません。あるのはただ強固な全学友の力だけです。私達は今全く新しい自治会を創るために真剣に討論を深め、闘いをすすめています。私達の闘いは今後も更に続くでしょう。私達は皆さんの圧倒的な支援の声とカンパを求め、ここに集っています。共に話し合い、そして私達への理解と支援をお願いします。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【一文１Tの冬休み】'''&lt;br /&gt;
:「12月13日。馬場の“白ゆり”に集まる。そこでは主に“学習会でどのようなことをやるか”“これからの運動の組織”の２点について話し合われた。席上H君より行動委員会を設けることへの提起があった。&lt;br /&gt;
:12月15日。クラス協議会が開かれK君が出席。&lt;br /&gt;
:12月16日。第1回学習会が開かれる。出席者7人。学習会というよりも討論会になってしまったけれども、個人個人の様々な意見、新たな方向性への展望が聞かれた。&lt;br /&gt;
:12月23日。出席者6人。自治会執行部は百花斉放・百家争鳴を保証するような形。最大公約数としての立場をとるべき。主人公は大学生･自治会員＝我々である。自治会運動の空洞化の上に立つエセ自治会運動。セクト的価値観の押しつけ。&lt;br /&gt;
:1月7日。白ゆり。行動委の性格の明確化。臨執支持という立場に立つならば、それを積極的に支持する行動委。“核”としての行動委。」&lt;br /&gt;
:（一文有志の記録より）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-UDlzTk4tbUxiN1U/view?usp=sharing 革マルー当局に抗して更なる前進を！　一文臨時執行部]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-RU5qdHRPZUYtQ0k/view?usp=sharing 規約改正委員会創出に向けて!　一文臨時執行部]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-ZkRhRE9ucWhkSm8/view?usp=sharing 臨執声明　一文自治会臨時執行委員会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-Q2xjRXlSMEl6Vnc/view?usp=sharing 11.8サークル連絡会議からの活動報告とアッピール！ 12月25日付]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

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		<title>1972年12月12日（火）クラス協議会で「9原則」を確認</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:冬休みを前に一文ではクラス協議会で「９原則」を確認。こうした臨執の方針に対して一文行動委は引き続き自治委員選挙のみでは自治会再建は語れないとして疑問を投げかけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:◎一文クラス協議会が行われ「9原則」が提起される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【第一文クラス協議会「９原則」】'''&lt;br /&gt;
:1. セクトの存在は認めるが、セクト主義的ひき回しは一切認めない&lt;br /&gt;
:2. 革マル派のセクト主義に対して、我々は大衆的な運動・団結をもって彼らの論理と組織を糾弾していくのであり又、そうでしかあり得ない&lt;br /&gt;
:3. 我々はセクトに所属している人間というだけで、その人の主張を無視してはならない。我々は具体的な事実、主張の下に初めて批判を行なっていくべきである&lt;br /&gt;
:4. 意見の違いは大衆的な討論の場で克服していく努力をする&lt;br /&gt;
:5. 我々の運動の質・形態・思想は常に運動の中から生み出され大衆的に確認していかねばならない&lt;br /&gt;
:6. 我々は個人の、クラスの、サークルの自主的・自立的な闘いを促し、又その場を保障していく&lt;br /&gt;
:7. 我々は、我々の自主的活動に対しての一切の介入弾圧を許さない&lt;br /&gt;
:8. 運動の方向性は常に様々な意識、様々な現実をもつ学生を考慮し、決して一人一人の人間性を無視してはならない&lt;br /&gt;
:9. 我々の手で我々の創造的な自治会運動を創り上げる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【一文行動委のビラ「我々の運動にとって自治員選とは何か」】'''&lt;br /&gt;
:「我々は11.28の学生大会において、ようやく革マル執行部のリコールと臨執の選出を克ち取った。即ち、我々の運動は確かに革マル執行部をリコールし得たが、それに代わり得る運動の内実と方向性をいまだ克ち取っていないということを確認しなければならない。臨執や協議会の不十分性は、我々の運動総体の弱さの表現なのである。&lt;br /&gt;
:革マルに対して我々が克ち取ったこの最低限の態勢を、いかにして強化し、実質的な運動を構築していくのか。このことが今まさに問われているのであって、規約レベルの形式的・制度的保証が問題なのでは断じてない。我々の運動の当面の主力を自治員選に注ぐことはむしろ、我々の闘争の発展、我々内部の矛盾の展開を押し止める以外の何ものでもない。&lt;br /&gt;
:学生諸君！　我々のこれまでの運動は何によって保証されてきたのか。それは、我々一人一人が、何ら外的なものに依拠せず、誰にも委ねることなく、自らの責任において、自らの言葉と行動によって運動を貫徹してきたからではなかったのか？　我々の意志を、我々以外の何ものかに反映させるのではなく、我々自身が問題の解決にあたらねばならないのだ。我々は、我々の自治会を当局に認めてもらうのではない。規約レベル――当局との“交渉”レベルの『正式』な自治会など我々の運動とは無縁だ。（団交は、我々にとって闘争なのだ！）&lt;br /&gt;
:自治員選の問題でしか我々の自治会再建運動を語れない我々の無能さ、怠惰――それこそ川口君虐殺を生みだしたのではなかったのか！（自治会費――カネに頼ってしか運動できないのか）&lt;br /&gt;
:当局に対する満腔の怒りを対当局団交に結集し、実質的な討論・運動を断固押し進めよ！&lt;br /&gt;
:学友諸君！　我々はできないことをやらなければならないのだ！　一文行動委員会」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-X1d4ZWMtMGFITHM/view?usp=sharing 現状分析､総括をふまえての行動方針]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-Mno4OTJtYXQ3dU0/view?usp=sharing 我々の運動にとって自治委選とは何か  一文行動委員会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-UXpXaDltUHlodEE/view?usp=sharing 一文自治会運動のさらなる発展のために　日文四年行動委員会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-akNDV2MyOWdvR1k/view?usp=sharing 早稲田の闘いに支援を！ 早稲田大学第一文学部学生自治会臨時執行部]&lt;/div&gt;</summary>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:冬休みを前に一文ではクラス協議会で「９原則」を確認。こうした臨執の方針に対して一文行動委は引き続き自治委員選挙のみでは自治会再建は語れないとして疑問を投げかけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:◎一文クラス協議会が行われ「9原則」が提起される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【第一文クラス協議会「９原則」】'''&lt;br /&gt;
:1. セクトの存在は認めるが、セクト主義的ひき回しは一切認めない&lt;br /&gt;
:2. 革マル派のセクト主義に対して、我々は大衆的な運動・団結をもって彼らの論理と組織を糾弾していくのであり又、そうでしかあり得ない&lt;br /&gt;
:3. 我々はセクトに所属している人間というだけで、その人の主張を無視してはならない。我々は具体的な事実、主張の下に初めて批判を行なっていくべきである&lt;br /&gt;
:4. 意見の違いは大衆的な討論の場で克服していく努力をする&lt;br /&gt;
:5. 我々の運動の質・形態・思想は常に運動の中から生み出され大衆的に確認していかねばならない&lt;br /&gt;
:6. 我々は個人の、クラスの、サークルの自主的・自立的な闘いを促し、又その場を保障していく&lt;br /&gt;
:7. 我々は、我々の自主的活動に対しての一切の介入弾圧を許さない&lt;br /&gt;
:8. 運動の方向性は常に様々な意識、様々な現実をもつ学生を考慮し、決して一人一人の人間性を無視してはならない&lt;br /&gt;
:9. 我々の手で我々の創造的な自治会運動を創り上げる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【一文行動委のビラ「我々の運動にとって自治員選とは何か」】'''&lt;br /&gt;
:「我々は11.28の学生大会において、ようやく革マル執行部のリコールと臨執の選出を克ち取った。即ち、我々の運動は確かに革マル執行部をリコールし得たが、それに代わり得る運動の内実と方向性をいまだ克ち取っていないということを確認しなければならない。臨執や協議会の不十分性は、我々の運動総体の弱さの表現なのである。&lt;br /&gt;
:革マルに対して我々が克ち取ったこの最低限の態勢を、いかにして強化し、実質的な運動を構築していくのか。このことが今まさに問われているのであって、規約レベルの形式的・制度的保証が問題なのでは断じてない。我々の運動の当面の主力を自治員選に注ぐことはむしろ、我々の闘争の発展、我々内部の矛盾の展開を押し止める以外の何ものでもない。&lt;br /&gt;
:学生諸君！　我々のこれまでの運動は何によって保証されてきたのか。それは、我々一人一人が、何ら外的なものに依拠せず、誰にも委ねることなく、自らの責任において、自らの言葉と行動によって運動を貫徹してきたからではなかったのか？　我々の意志を、我々以外の何ものかに反映させるのではなく、我々自身が問題の解決にあたらねばならないのだ。我々は、我々の自治会を当局に認めてもらうのではない。規約レベル――当局との“交渉”レベルの『正式』な自治会など我々の運動とは無縁だ。（団交は、我々にとって闘争なのだ！）&lt;br /&gt;
:自治員選の問題でしか我々の自治会再建運動を語れない我々の無能さ、怠惰――それこそ川口君虐殺を生みだしたのではなかったのか！（自治会費――カネに頼ってしか運動できないのか）&lt;br /&gt;
:当局に対する満腔の怒りを対当局団交に結集し、実質的な討論・運動を断固押し進めよ！&lt;br /&gt;
:学友諸君！　我々はできないことをやらなければならないのだ！　一文行動委員会」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-X1d4ZWMtMGFITHM/view?usp=sharing 現状分析､総括をふまえての行動方針]&lt;br /&gt;
:https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-Mno4OTJtYXQ3dU0/view?usp=sharing 我々の運動にとって自治委選とは何か  一文行動委員会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-UXpXaDltUHlodEE/view?usp=sharing 一文自治会運動のさらなる発展のために　日文四年行動委員会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-akNDV2MyOWdvR1k/view?usp=sharing 早稲田の闘いに支援を！ 早稲田大学第一文学部学生自治会臨時執行部]&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>1972年12月9日（土）越冬への組織化始まる</title>
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				<updated>2017-04-12T08:20:30Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:一文の自治委員選は、革マルの妨害によってなかなか進まず、冬休みは目前となった。カンパ頼りの資金調達には限界があることから、休み中に稼ごうと、行動委が「土方組合」「ウエイトレス組合」参加への呼びかけを行った。一方で、自治委員選挙を進めるための選挙管理委員会が組織されたが、しだいにそうした臨執の動きと行動委との間に相違が生じるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::◎ 一文、自治委員選挙のため選挙管理委員会が発足し、越冬体制への準備。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【第一文学部臨執声明No.11より】'''&lt;br /&gt;
:12月8日付の臨執声明No.11では「自治委員選出を通して各クラスを組織せよ!!　――来春早々自治委員選挙を行なう態勢を整えよ――」と題して次のように呼びかけている。&lt;br /&gt;
:「臨執は一文全学友に提起する。&lt;br /&gt;
:来春早々に、闘う態勢を強固に固め、その態勢を前提として、クラスから自治委員の選出を始めてほしい。同時に、新自治会へのビジョンの論議を冬季においても継承し、さらに、選出された新自治委員も全力をあげてこの論議を推進せねばならない。&lt;br /&gt;
:新自治委員の任務は、規約改正を始めとする新自治会の組織的確立をかちとることであり、また同時に、対革マル・対当局として鮮明になっていった我々の闘いを、全学をあげて指導していくことである。&lt;br /&gt;
:現在我々内部で起っている路線上の対立は新自治委員の選出においても充分に論議することで止揚してゆかねばならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:◎選管は、クラス選挙を管理防衛する使命をおび、各クラスから推進（原文ママ）された者を臨執が任命する。被選挙権は有さない。選挙規定は別に選管が定める。&lt;br /&gt;
:◎冬季体制&lt;br /&gt;
:・各クラス毎に、活動者（この闘いに積極的に参加する者）名簿をつくり、臨執に提出する（連絡用）。&lt;br /&gt;
:・各クラスごとに在京者委員会をつくり、迅速な召集の連絡網をつくる。そのもとで、可能な限り規約改正を始めとするすべての論議をクラス独自で推進する。&lt;br /&gt;
:◎1／8総決起集会“さあまた始めよう”&lt;br /&gt;
:闘いは終りはしない。否、ようやくその端緒についたばかりである。一切の唆巡（原文ママ）と無関心を捨てより極限的に政治性を内包することこそが長い闘いの保障なのである。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【一文行動委のビラ】'''&lt;br /&gt;
:自治委員選挙の推進を打ち出した臨執の方針に対し、一文行動委からは、「越冬体制の組織化」を呼びかけるビラが出た。&lt;br /&gt;
:「クラス委選の前提として、そのクラスでの過去一カ月の徹底的な総括が必要である。それを抜きにした形でのクラス委選は、革マルとの非妥協的斗いに勝利する事は、不可能である。問題は、はっきりしている。ただ、我々全自治会員の総決起で、革マルを放逐する事である。それ以外に自治会再建はあり得ない。&lt;br /&gt;
:革マルとの対峙を、一文行動委をはじめにした部分にまかせて、その間、クラ協を開く事は、我々自身の逃亡を示している。このような会議の即時撤回を我々は要求し、更に団結することを呼びかける。CC協のメンバーの『総長断交なんて、バカバカしい』という発言は、川口君の死への革マル的冷淡さの一端である（彼自身は、自己批判したが…）。我々はこのような否定的な現状を克服せねばならないのだ。」&lt;br /&gt;
:また、この中には、資金調達のための「土方組合ミーティング」への招請の記載もある。当時、新大久保の職安前には、早朝からその日の働き口を求めて人が集まっていた。工事現場などでの肉体労働はきつかったが、学生アルバイトよりも日当は良かったので、冬休み中働いて運動資金を作ろうという呼びかけだった。&lt;br /&gt;
:「土方組合・冬期合宿に結集せよ！　我々は自身の斗いを、一文総体の闘いとして共有化する事が必要である。我々は、平時の一年分を一カ月で成し遂げる事が必要である。あらゆる情熱をただ一点川口君虐殺徹底糾弾に向け、様々の我々の生をただこの一点に全面的に注ぎ込もうではないか！　この冬、一文行動委と共に学び、働き、語り、大いなる生を創造し、共有しようではないか！　最後まで斗おうではないか！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-WXJKNGRab0xzNXM/view?usp=sharing 自治委員会総会に圧倒的に勝利  政経自治会執行部]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-SUFFem9nSG9iRXM/view?usp=sharing 越冬体制の組織化を開始せよ 一文行動委]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-dE53eDF6M2NodXc/view?usp=sharing 長征5号  人民､ただ人民だけが歴史を創造する原動力である 中国研究会]&lt;/div&gt;</summary>
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	<entry>
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		<title>1972年12月9日（土）越冬への組織化始まる</title>
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				<updated>2017-04-12T08:20:17Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:一文の自治委員選は、革マルの妨害によってなかなか進まず、冬休みは目前となった。カンパ頼りの資金調達には限界があることから、休み中に稼ごうと、行動委が「土方組合」「ウエイトレス組合」参加への呼びかけを行った。一方で、自治委員選挙を進めるための選挙管理委員会が組織されたが、しだいにそうした臨執の動きと行動委との間に相違が生じるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::◎ 一文、自治委員選挙のため選挙管理委員会が発足し、越冬体制への準備。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【第一文学部臨執声明No.11より】'''&lt;br /&gt;
:12月8日付の臨執声明No.11では「自治委員選出を通して各クラスを組織せよ!!　――来春早々自治委員選挙を行なう態勢を整えよ――」と題して次のように呼びかけている。&lt;br /&gt;
:「臨執は一文全学友に提起する。&lt;br /&gt;
:来春早々に、闘う態勢を強固に固め、その態勢を前提として、クラスから自治委員の選出を始めてほしい。同時に、新自治会へのビジョンの論議を冬季においても継承し、さらに、選出された新自治委員も全力をあげてこの論議を推進せねばならない。&lt;br /&gt;
:新自治委員の任務は、規約改正を始めとする新自治会の組織的確立をかちとることであり、また同時に、対革マル・対当局として鮮明になっていった我々の闘いを、全学をあげて指導していくことである。&lt;br /&gt;
:現在我々内部で起っている路線上の対立は新自治委員の選出においても充分に論議することで止揚してゆかねばならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:◎選管は、クラス選挙を管理防衛する使命をおび、各クラスから推進（原文ママ）された者を臨執が任命する。被選挙権は有さない。選挙規定は別に選管が定める。&lt;br /&gt;
:◎冬季体制&lt;br /&gt;
:・各クラス毎に、活動者（この闘いに積極的に参加する者）名簿をつくり、臨執に提出する（連絡用）。&lt;br /&gt;
:・各クラスごとに在京者委員会をつくり、迅速な召集の連絡網をつくる。そのもとで、可能な限り規約改正を始めとするすべての論議をクラス独自で推進する。&lt;br /&gt;
:◎1／8総決起集会“さあまた始めよう”&lt;br /&gt;
:闘いは終りはしない。否、ようやくその端緒についたばかりである。一切の唆巡（原文ママ）と無関心を捨てより極限的に政治性を内包することこそが長い闘いの保障なのである。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【一文行動委のビラ】'''&lt;br /&gt;
:自治委員選挙の推進を打ち出した臨執の方針に対し、一文行動委からは、「越冬体制の組織化」を呼びかけるビラが出た。&lt;br /&gt;
:「クラス委選の前提として、そのクラスでの過去一カ月の徹底的な総括が必要である。それを抜きにした形でのクラス委選は、革マルとの非妥協的斗いに勝利する事は、不可能である。問題は、はっきりしている。ただ、我々全自治会員の総決起で、革マルを放逐する事である。それ以外に自治会再建はあり得ない。&lt;br /&gt;
:革マルとの対峙を、一文行動委をはじめにした部分にまかせて、その間、クラ協を開く事は、我々自身の逃亡を示している。このような会議の即時撤回を我々は要求し、更に団結することを呼びかける。CC協のメンバーの『総長断交なんて、バカバカしい』という発言は、川口君の死への革マル的冷淡さの一端である（彼自身は、自己批判したが…）。我々はこのような否定的な現状を克服せねばならないのだ。」&lt;br /&gt;
:また、この中には、資金調達のための「土方組合ミーティング」への招請の記載もある。当時、新大久保の職安前には、早朝からその日の働き口を求めて人が集まっていた。工事現場などでの肉体労働はきつかったが、学生アルバイトよりも日当は良かったので、冬休み中働いて運動資金を作ろうという呼びかけだった。&lt;br /&gt;
:「土方組合・冬期合宿に結集せよ！　我々は自身の斗いを、一文総体の闘いとして共有化する事が必要である。我々は、平時の一年分を一カ月で成し遂げる事が必要である。あらゆる情熱をただ一点川口君虐殺徹底糾弾に向け、様々の我々の生をただこの一点に全面的に注ぎ込もうではないか！　この冬、一文行動委と共に学び、働き、語り、大いなる生を創造し、共有しようではないか！　最後まで斗おうではないか！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-WXJKNGRab0xzNXM/view?usp=sharing 自治委員会総会に圧倒的に勝利  政経自治会執行部]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-SUFFem9nSG9iRXM/view?usp=sharing 越冬体制の組織化を開始せよ 一文行動委]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-dE53eDF6M2NodXc/view?usp=sharing 長征5号  人民､ただ人民だけが歴史を創造する原動力である 中国研究会]&lt;br /&gt;
:[&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B412%E6%9C%888%E6%97%A5%EF%BC%88%E9%87%91%EF%BC%89%E3%80%8C%E5%AF%92%E3%81%84%E5%86%AC%E3%82%92%E8%B6%8A%E3%81%99%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E5%A4%A7%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%80%8D%E9%96%8B%E5%82%AC%E3%80%82%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%92%E5%8B%9F%E3%82%8B&amp;diff=128</id>
		<title>1972年12月8日（金）「寒い冬を越すための大コンサート」開催。カンパを募る</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B412%E6%9C%888%E6%97%A5%EF%BC%88%E9%87%91%EF%BC%89%E3%80%8C%E5%AF%92%E3%81%84%E5%86%AC%E3%82%92%E8%B6%8A%E3%81%99%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E5%A4%A7%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%80%8D%E9%96%8B%E5%82%AC%E3%80%82%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%92%E5%8B%9F%E3%82%8B&amp;diff=128"/>
				<updated>2017-04-12T08:15:47Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:「早稲田をナカナカ卒業できないやつの会」の呼びかけで、あがた森魚、頭脳警察、山下洋輔トリオ＋１他の出演で「寒い冬を越すための大コンサート」が開かれた。当初は午後２時から大隈講堂での開催予定だったが、当局の妨害（？）によって文学部181教室に場所を変えて行われた。同時刻、村井総長は事件後２回目となる記者会見に臨み「マンモス化の中では学生との直接対話はできぬ」と発言した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【その日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::◎革マルの占領下にある文学部構内には隊列を組まないと入れず、クラス討論もままならない状態が続く。&lt;br /&gt;
::15:20　丸の内、野村ビル7階「永楽俱楽部」で村井総長、清水司常任理事、浜田健三秘書室長3名が記者会見を行う。&lt;br /&gt;
::夕刻　「寒い冬を越すための大コンサート」が文学部181教室で開催される。“早稲田をなかなか卒業できないやつの会”が主催し、山下洋輔トリオ＋１、頭脳警察、あがた森魚ほかが出演。入場料は闘争資金カンパとなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【「寒い冬を越すための大コンサート」のビラから】'''&lt;br /&gt;
:「このかけがえのない運動を時とともにタダ同然で『冬』に売り渡すことは決して出来ない。僕達自身の手で寒い冬を越そうではないか。越冬資金のためのカンパを集中しよう。すべての学友の、この大コンサートへの参加を呼びかける。１人１人の先を自分たち１人１人で購うために」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【〈早稲田をナカナカ卒業できないやつの会〉の呼びかけ】'''&lt;br /&gt;
:コンサートに先立って、コンサートを企画した〈早稲田をナカナカ卒業できないやつの会〉からの「『落とし穴』におちないために」というビラが配られた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「『落とし穴』におちないために&lt;br /&gt;
:ぼくたちはいま冬だ。この数日をとおして確かめ合ってきた『きみ』との熱い&lt;br /&gt;
:熱いはじめての出会い、それがいま、すこしずつ〈ほんとに少しずつだが〉冷え&lt;br /&gt;
:ようとしている。川口君のお母さんが心配したように。&lt;br /&gt;
:『革マルも、当局も、冬休みを待っているのです』。&lt;br /&gt;
:連帯と団結、という代りに、ぼくたちは『きみ』との熱い出会い、という。そ&lt;br /&gt;
:して思い出そう、この出会いを、ぼくたちは川口君の死によって購ったのだ、と&lt;br /&gt;
:いうことを。&lt;br /&gt;
:そうだ、ぼくたちは『きみ』との熱いあつい出会いをはぐくんでいく斗いを、&lt;br /&gt;
:ながく続けてゆかなくてはならない。川口君の死をぼくたちが忘れないかぎり。&lt;br /&gt;
:ながい斗いをささえるために、カネがいる。考えたくないことだが、タイホ&lt;br /&gt;
:（不当にも）される人や、ケガをする人の出る可能性に、ぼくたちは備えておか&lt;br /&gt;
:なくてはならない。ビラ一枚をだすにもカネがいる。&lt;br /&gt;
:そして、そのカネは、ぼくたちが、きみが、身銭をきるほかにない。&lt;br /&gt;
:すこし財布をひらいてくれないか。&lt;br /&gt;
:ぼくたちは、みんなの身銭を集めるために、休み前、７日を目標に、何ご&lt;br /&gt;
:とかを起こそうとする。&lt;br /&gt;
:::::みんな、それに集まってくれ！&lt;br /&gt;
:きみとの熱い出会いを、川口君の死によって購ったものをはぐくんでゆくために。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::::::::::〈呼びかけ者〉&lt;br /&gt;
::::::::::::早稲田をナカナカ卒業できないやつの会」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【人は集まるだろうか…】'''&lt;br /&gt;
:コンサートの防衛、他学部の支援等に備えて行動隊も集結。一文1年生のクラスでは午前10時から有志が情宣へ…。&lt;br /&gt;
:「12月8日、朝からうすら寒かった。４号館ロビー、10時、Nさんと会う。OとKが来る。４人。きょうのコンサートの行動隊。クラスの他の人間が居ないのでこの４名。10時半頃からビラ配情宣。11時50分頃まで正門のあたりでまく。途中でZのビラまき隊20人位。終えて4号館に戻る。コンサートの防衛任務。果たして人が集まるかどうか危惧の念を抱く。&lt;br /&gt;
:マイクロバスで楽器を持って来てステージにそれを運び込む。山下洋輔tr.、あがた森魚、頭脳警察。バンドマン役。1時55分頃、人間を入れ始める。人はまあまあかなり集まる。あがた森魚が終る頃、本部でZが妨害行動、破壊策動をしているという情報。防衛隊、あわてて本部に向かう。４号館ロビーに結集後、22号館の社学自治委員選挙支援に向かう。20人位。階段のところにZ数人追い出して301教室へ。入ると選挙やってない。就職説明会なるものをやっている。全くナンセンス。選挙支援にいったのに何をしに行ったのか全くわからない。&lt;br /&gt;
:ベランダにいると40人位の部隊が駆けてくる。Zだという声で２階から３階への途中でバリケードを築こうとするが、不完全なため簡単にZに蹴破られる。ぼくは踊場の少し上の階段まで行って全く孤立。Zにかこまれて、誰かの「やっちまえ」という声とともに数人にかこまれ、なぐられ、けられ、机のおいてある片スミへ追いやられる。一人でいたため手だしが全く出来ず、それがかえって幸いして、途中で「やめろ」という声とともにほって置かれる。Zはまったく知らない奴ばかり。社学の教室へ乱入。結局、就職説明会流会。バカバカしい。アホらしい。全く。社学の選管、一体全体何をやっているんだ。仕方なしに４号館に引き揚げる。&lt;br /&gt;
:4号館に引き揚げて少したつと、Zがシュプレヒコールあげて隊列組んで40～60人位でデモって来て突入しようとする。第1回目はたいしたことなく無事切り抜ける。15分位してまた来る。こんどは今までやらなかった窓ガラスまでレンガや石、竹、ゲバ棒で割って、メチャクチャになる。よくケガをしなかった。中の人間、皆、討ち死に覚悟。緊急に協議した結果、北側から逃げることにして、8時40分頃逃げる。なんて奴らだ。夜になるとジキル博士とハイド氏の如く変身して極めて凶暴になる、Zの奴らは。（一文有志の記録から）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【1972年12月8日付毎日新聞夕刊より】'''&lt;br /&gt;
:「8日、キャンパスで『寒い冬を越すための大コンサート』が開かれた。“早大からなかなか卒業できない人々の会”の企画。一枚500円の入場券で、学生層に人気を持つあがた森魚、「頭脳警察」などのフォーク・グループがノー･ギャラで出演し、収益金はソックリ資金に。11日からは冬休みに入り、アルバイト・シーズンとなるので男子学生は“土方組合”女子学生は“ウエートレス組合”に結集する。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【村井総長の記者会見に対する新聞各社の反応】'''&lt;br /&gt;
:2回目となる村井総長の記者会見に対し新聞各社は4段見出しで大きく取り扱った。各社の見出しとリード文からは、大学当局の姿勢への評価が伺える。&lt;br /&gt;
:●1972年12月9日付朝日新聞&lt;br /&gt;
:見出し「早大村井総長が会見。マンモス大の苦悩浮彫りに。『直接対話できぬ』　4万学生に“お手上げ”」&lt;br /&gt;
:リード「11日からの冬休み入りが自治会再建運動の動向にとって一つのフシとみられている早大で、8日、村井資長総長が記者会見で当面の考え方を述べるとともに、大学当局もリンチ事件後初めて一連の問題に対する公式見解を文書にまとめた。同総長は学生4万人の早大の現状を『どうしようもないマンモス化』と述べ、本質的な改造がない限り根本的な解決はむずかしい、と訴えた。公式見解では、現在の自治会再建運動はまだ学生の総意を代表していないとの見方をほのめかし、反革マルの学生たちと大きなへだたりをみせた。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●1972年12月9日付毎日新聞&lt;br /&gt;
:見出し「『今は学生と会わぬ』早大総長“正常化”への苦悩語る」&lt;br /&gt;
:リード「革マル派によるリンチ殺人事件からちょうど1カ月。早稲田大学では燃え上がった“暴力追放”の声をバックに新しい学生自治会を求める学生の苦しい歩みが、革マル派の抵抗の中で続いている。&lt;br /&gt;
:学生の間には総長との“対話”を求める声も強く、告示を出すだけで積極的に話合おうとしない大学当局への批判も日増しに高まっているが、そうした批判の矢おもてに立つ村井資長早大総長は8日午後、東京・大手町の丸の内野村ビルで事件後二度目の記者会見を行ない、・暴力追放で盛上がった学生の気持ちを受けとめ、学園正常化につとめたい・学部段階を飛越しての全学団交にはいまのところ出るつもりはない・セクトがあっても自由な議論のできる“開かれたセクト”でなければならない――など、1時間50分にわたって見解や心境を明らかにした。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●1972年12月9日付読売新聞&lt;br /&gt;
:見出し「苦悩の顔みせ　早大総長やっと会見。学生との対話考えている」&lt;br /&gt;
:リード「村井資長・早大総長は、8日午後、学外で記者会見し、揺れ動く学園正常化への対応の仕方、新生自治会についての考え、学生との話し合いなど当面する諸問題について率直に意見を述べた。このなかで、同総長は・政経、一文など6学部で結成された新執行部や臨時執行部は、将来、新生自治会をつくる一つの機関として認める方向で検討する・学園正常化については、当面、暴力の排除に努力するが、ゆくゆくは学生一人一人の自由が尊重される秩序ある環境づくりを目ざす・団交はいま考えていないが、いずれ学部ごとに学生との静かな対話ができる場を設定したうえで考慮する――などを明らかにした。しかし、さしあたっての事態収拾策については依然手探り状態にあることをさらけ出すなど、マンモス大学・早稲田の悩める姿そのままに苦悩の色も隠し切れなかった。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【大学当局の公式見解】'''&lt;br /&gt;
;※ 引用にするかリンクにするか要検討&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-WHNIdDhHYkluaFU/view?usp=sharing 自治委員選出を通して各クラスを組織せよ！！ 第一文学部臨執声明No11]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-Vnp4dmE3a25MU3M/view?usp=sharing 寒い冬を越すための大コンサート（仮称）]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B412%E6%9C%887%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%A8%EF%BC%89%E4%B8%80%E6%96%87%E8%87%A8%E5%9F%B7%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E8%87%AA%E4%B8%BB%E7%AE%A1%E7%90%86%E7%B6%9A%E8%A1%8C%E3%80%82%E6%94%BF%E7%B5%8C%E5%AD%A6%E9%83%A8%E3%81%A7%E6%96%B0%E5%9F%B7%E8%A1%8C%E9%83%A8%E7%99%BA%E8%B6%B3&amp;diff=127</id>
		<title>1972年12月7日（木）一文臨執による自主管理続行。政経学部で新執行部発足</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B412%E6%9C%887%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%A8%EF%BC%89%E4%B8%80%E6%96%87%E8%87%A8%E5%9F%B7%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E8%87%AA%E4%B8%BB%E7%AE%A1%E7%90%86%E7%B6%9A%E8%A1%8C%E3%80%82%E6%94%BF%E7%B5%8C%E5%AD%A6%E9%83%A8%E3%81%A7%E6%96%B0%E5%9F%B7%E8%A1%8C%E9%83%A8%E7%99%BA%E8%B6%B3&amp;diff=127"/>
				<updated>2017-04-12T08:11:55Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:川口君の死から1ヵ月。一文臨執がバリ封によってキャンパスでの活動をかろうじて保持する一方で、本部では、教育学部に続いて政経学部が自治委員総会を開き、新執行部を選出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::◎一文臨執が自主管理闘争を続行する。&lt;br /&gt;
::16:00　政経学部、自治委員総会が行われ101人が出席して、正式に執行部20名を選出。&lt;br /&gt;
::◎サ連を中心に、村井総長を捕捉すべく1号館に突入するも逃走される。&lt;br /&gt;
::◎当局は村井総長名で「学生諸君へ」書状を作成し、翌日配布した。&lt;br /&gt;
::20:00　二文教務主任、二文学生大会（11.30）に関する報告書を次期役職者に申し送る旨を約束した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【一文臨執による「昨日の事態について」臨執声明No.９】'''&lt;br /&gt;
:「我々は昨日、午前８時30分頃、第一文学部に登場し、文学部202～209教室に結集した。するとあの革マルは、我々の居た教室に暴力的に侵入せんとし、それを我々が阻止すると、ドアを、たたく、けるの妨害にでてきた。我々は、先日28日の学生大会を圧倒的に勝ち取り、旧執行部をリコールし、臨執を選出して議案書に（判読不能）自治活動を展開している。しかしながら学友諸君、臨執を先頭とする主要なメンバーに対して革マルは、この間我々の自治活動へのデマ・ケチつけを『討論』という名で行なうことをもって、一切の文学部での情宣等の活動を一切、妨害、圧殺してきた。&lt;br /&gt;
:我々は、あまりにも当然な文学部での情宣、クラス討論が保障されていないという情況を突破すべく、やむを得ず、バリケードという形で臨執の活動とクラ討の保証を克ちとらんとしたのだ。それに対しても革マルは入口に常に数名を配置し、協議会・クラ討へ結集せんとする学友に敵対してきた。その為、結果的にクラ討は、その内部では数クラスしかなし得なかったことは認めなければならない。&lt;br /&gt;
:しかしながら学友諸君、これだけは確認して欲しい。それは極めて異常な形でではあれ、あの自主管理によって少数ではあるがクラ討が一切の妨害なしに行なわれ、マイク情宣が、そして協議会が、文学部構内で始めてもたれたことである。」&lt;br /&gt;
'''【政経学部で新執行部は発足】'''&lt;br /&gt;
:政経学部では本部３号館104教室で、午後４時からクラス委員総会が開かれた。総数240人のクラス委員のうち定足数の80人を超える101人が出席して成立した。後日配られたビラには、政経自治会執行部の名前で「自治委員総会を圧倒的に勝利！　新執行部体制確立す！　クラス活動の前進は、自治会活動の前進だ！」の大見出しが並んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「『革マル追放』の自治会臨時執行部選出は“魔女狩り”さながらと思われる厳しいものだった。立候補者を一括採択した学部が多かった中で、政経学部は一人一人会場の学生の挙手で決めた。直接選挙で一見民主的だが、候補者が学年、氏名を名乗り、考え方を述べるたびにものすごいヤジと怒号。『お前は民青じゃないか』『ノンセクト・ラジカル反対』『世界観をいえよ』あるクラスでは、候補者が『反革マル　反民青　反当局』のプラカードをかかげて登場し、ぐるぐる四方に見せて身のあかしを立てたりした。候補者の中には『どのセクトでもいいじゃないか』『世界観まで問われることはない』と“挑戦”した者もいたが『バカヤロ、そんなら出るな』とヤジリ倒され、大半落選した。」（1972年12月8日付毎日新聞夕刊）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【「カギ握る」とされた一般学生は…新聞記事から】'''&lt;br /&gt;
:川口君の死から1ヵ月。新聞各社の記事にも、11.8以降の動きをまとめる内容が目立った。1972年12月8日付朝日新聞では「早大リンチ事件から1ヵ月」という横見出しに「自治会正常化　カギ握る一般学生　まだまだ根強い革マル派　なりゆきまかせの大学側」の３本見出しを立てた囲み記事が載った。その中で「早慶戦」とくくって次のような記述がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「セクトによる自治会の私物化を許すな――大シュプレヒコール、歓声、拍手。学生大会は熱気にあふれた。が、この盛上がりがどこまで定着できるか。当初から一まつの不安もまつわりついていた。『単に、早慶戦で早稲田が勝ったような気分の学生も多い』（ある一文の臨執）。こんご、地道な活動が続かなければ、一部の革マル派に牛耳られてきた自治会の体質は改められないのだが。&lt;br /&gt;
:5日の全学集会。集まった約1500人のうち、500人は隊列から一歩離れ、遠巻きにした格好。2対1の微妙な“断層”がうかがわれた。&lt;br /&gt;
:革マル派執行部の『戦闘的自治会』にイヤ気がさしていた学生、政治闘争には無関心だった層が、『反暴力』では結集した。だが、全学4万を超えるマンモス集団。とくに3、4年生は語学のクラスがなくなり、お互いの連絡もとりにくい。いきおい一群のリーダーの顔ぶれは固まる傾向もある。アジ演のオクターブもあがる。それがまた、セクトアレルギーの学生たちの足を遠ざけるようだ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マルに対して“反革マル”というくくり】'''&lt;br /&gt;
:この頃から新自治会設立に動く学生を“反革マル”とする表記が出てくる。「第一文学部自治会臨時執行部（反革マル）」（1972年12月6日付毎日新聞夕刊）にはじまり、同紙の「再建へ活発な動き」という囲み記事（1972年12月8日付毎日新聞）では“革マル学生”“反革マル学生”という対立軸でそれぞれの1ヵ月の動きをまとめている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:同じ12月8日付毎日新聞夕刊３面の「キャンパスに冬いつまで」という特集にも“反革マル”の文字が目立つ。&lt;br /&gt;
:「学生運動のメッカといわれるだけあって、革マル批判の火の手が上がったのをきっかけに、第四インター、反帝学評、赤色戦線、勝共連合、などのもろもろのセクトが一斉に動き出した。各学部臨執のメンバーもノンポリ、ベ平連、ブント、全共闘と色とりどり。“反革マル”で結束し『絶対にセクトの自治会私物化を許さない』と叫ぶ。」&lt;br /&gt;
:「『テロられる！』。反革マル運動を進める学生たちは、革マル派が積極的討論と叫ぶ個人的つるし上げを何より警戒している。キャンパスを革マルの白ヘルメットがデモると、一人歩きの臨執メンバーはさっと姿をくらます。夜はほとんど集団行動をとり、他大学の学生寮に泊まり込む。」&lt;br /&gt;
:「意気ごみはすさまじいのだが、ノンセクトと小党乱立の反革マル派の弱みは、資金不足。革マルとの“たたかい”でペンキ、ザラ紙、ガリ版、旗布と際限もなく金が出て行く。全学臨執連絡会議の持金はカンパで集めた5万円ナリだけで、とても足りない。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-MUNtVW9nMXRRTTQ/view?usp=sharing 昨日の事態に関して明らかにし､今後の闘いへの総結集を呼びかける 第一文学部臨執声明No9]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-NGxaRFFzWmhVRHM/view?usp=sharing 専修のみなさんヘ  一文三年有志]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B412%E6%9C%889%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89%E8%B6%8A%E5%86%AC%E3%81%B8%E3%81%AE%E7%B5%84%E7%B9%94%E5%8C%96%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8B&amp;diff=126</id>
		<title>1972年12月9日（土）越冬への組織化始まる</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B412%E6%9C%889%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89%E8%B6%8A%E5%86%AC%E3%81%B8%E3%81%AE%E7%B5%84%E7%B9%94%E5%8C%96%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8B&amp;diff=126"/>
				<updated>2017-04-12T08:10:15Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:一文の自治委員選は、革マルの妨害によってなかなか進まず、冬休みは目前となった。カンパ頼りの資金調達には限界があることから、休み中に稼ごうと、行動委が「土方組合」「ウエイトレス組合」参加への呼びかけを行った。一方で、自治委員選挙を進めるための選挙管理委員会が組織されたが、しだいにそうした臨執の動きと行動委との間に相違が生じるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::◎ 一文、自治委員選挙のため選挙管理委員会が発足し、越冬体制への準備。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【第一文学部臨執声明No.11より】'''&lt;br /&gt;
:12月8日付の臨執声明No.11では「自治委員選出を通して各クラスを組織せよ!!　――来春早々自治委員選挙を行なう態勢を整えよ――」と題して次のように呼びかけている。&lt;br /&gt;
:「臨執は一文全学友に提起する。&lt;br /&gt;
:来春早々に、闘う態勢を強固に固め、その態勢を前提として、クラスから自治委員の選出を始めてほしい。同時に、新自治会へのビジョンの論議を冬季においても継承し、さらに、選出された新自治委員も全力をあげてこの論議を推進せねばならない。&lt;br /&gt;
:新自治委員の任務は、規約改正を始めとする新自治会の組織的確立をかちとることであり、また同時に、対革マル・対当局として鮮明になっていった我々の闘いを、全学をあげて指導していくことである。&lt;br /&gt;
:現在我々内部で起っている路線上の対立は新自治委員の選出においても充分に論議することで止揚してゆかねばならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:◎選管は、クラス選挙を管理防衛する使命をおび、各クラスから推進（原文ママ）された者を臨執が任命する。被選挙権は有さない。選挙規定は別に選管が定める。&lt;br /&gt;
:◎冬季体制&lt;br /&gt;
:・各クラス毎に、活動者（この闘いに積極的に参加する者）名簿をつくり、臨執に提出する（連絡用）。&lt;br /&gt;
:・各クラスごとに在京者委員会をつくり、迅速な召集の連絡網をつくる。そのもとで、可能な限り規約改正を始めとするすべての論議をクラス独自で推進する。&lt;br /&gt;
:◎1／8総決起集会“さあまた始めよう”&lt;br /&gt;
:闘いは終りはしない。否、ようやくその端緒についたばかりである。一切の唆巡（原文ママ）と無関心を捨てより極限的に政治性を内包することこそが長い闘いの保障なのである。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【一文行動委のビラ】'''&lt;br /&gt;
:自治委員選挙の推進を打ち出した臨執の方針に対し、一文行動委からは、「越冬体制の組織化」を呼びかけるビラが出た。&lt;br /&gt;
:「クラス委選の前提として、そのクラスでの過去一カ月の徹底的な総括が必要である。それを抜きにした形でのクラス委選は、革マルとの非妥協的斗いに勝利する事は、不可能である。問題は、はっきりしている。ただ、我々全自治会員の総決起で、革マルを放逐する事である。それ以外に自治会再建はあり得ない。&lt;br /&gt;
:革マルとの対峙を、一文行動委をはじめにした部分にまかせて、その間、クラ協を開く事は、我々自身の逃亡を示している。このような会議の即時撤回を我々は要求し、更に団結することを呼びかける。CC協のメンバーの『総長断交なんて、バカバカしい』という発言は、川口君の死への革マル的冷淡さの一端である（彼自身は、自己批判したが…）。我々はこのような否定的な現状を克服せねばならないのだ。」&lt;br /&gt;
:また、この中には、資金調達のための「土方組合ミーティング」への招請の記載もある。当時、新大久保の職安前には、早朝からその日の働き口を求めて人が集まっていた。工事現場などでの肉体労働はきつかったが、学生アルバイトよりも日当は良かったので、冬休み中働いて運動資金を作ろうという呼びかけだった。&lt;br /&gt;
:「土方組合・冬期合宿に結集せよ！　我々は自身の斗いを、一文総体の闘いとして共有化する事が必要である。我々は、平時の一年分を一カ月で成し遂げる事が必要である。あらゆる情熱をただ一点川口君虐殺徹底糾弾に向け、様々の我々の生をただこの一点に全面的に注ぎ込もうではないか！　この冬、一文行動委と共に学び、働き、語り、大いなる生を創造し、共有しようではないか！　最後まで斗おうではないか！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-WXJKNGRab0xzNXM/view?usp=sharing 自治委員会総会に圧倒的に勝利  政経自治会執行部]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B412%E6%9C%887%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%A8%EF%BC%89%E4%B8%80%E6%96%87%E8%87%A8%E5%9F%B7%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E8%87%AA%E4%B8%BB%E7%AE%A1%E7%90%86%E7%B6%9A%E8%A1%8C%E3%80%82%E6%94%BF%E7%B5%8C%E5%AD%A6%E9%83%A8%E3%81%A7%E6%96%B0%E5%9F%B7%E8%A1%8C%E9%83%A8%E7%99%BA%E8%B6%B3&amp;diff=125</id>
		<title>1972年12月7日（木）一文臨執による自主管理続行。政経学部で新執行部発足</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B412%E6%9C%887%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%A8%EF%BC%89%E4%B8%80%E6%96%87%E8%87%A8%E5%9F%B7%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E8%87%AA%E4%B8%BB%E7%AE%A1%E7%90%86%E7%B6%9A%E8%A1%8C%E3%80%82%E6%94%BF%E7%B5%8C%E5%AD%A6%E9%83%A8%E3%81%A7%E6%96%B0%E5%9F%B7%E8%A1%8C%E9%83%A8%E7%99%BA%E8%B6%B3&amp;diff=125"/>
				<updated>2017-04-12T08:08:25Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:川口君の死から1ヵ月。一文臨執がバリ封によってキャンパスでの活動をかろうじて保持する一方で、本部では、教育学部に続いて政経学部が自治委員総会を開き、新執行部を選出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::◎一文臨執が自主管理闘争を続行する。&lt;br /&gt;
::16:00　政経学部、自治委員総会が行われ101人が出席して、正式に執行部20名を選出。&lt;br /&gt;
::◎サ連を中心に、村井総長を捕捉すべく1号館に突入するも逃走される。&lt;br /&gt;
::◎当局は村井総長名で「学生諸君へ」書状を作成し、翌日配布した。&lt;br /&gt;
::20:00　二文教務主任、二文学生大会（11.30）に関する報告書を次期役職者に申し送る旨を約束した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【一文臨執による「昨日の事態について」臨執声明No.９】'''&lt;br /&gt;
:「我々は昨日、午前８時30分頃、第一文学部に登場し、文学部202～209教室に結集した。するとあの革マルは、我々の居た教室に暴力的に侵入せんとし、それを我々が阻止すると、ドアを、たたく、けるの妨害にでてきた。我々は、先日28日の学生大会を圧倒的に勝ち取り、旧執行部をリコールし、臨執を選出して議案書に（判読不能）自治活動を展開している。しかしながら学友諸君、臨執を先頭とする主要なメンバーに対して革マルは、この間我々の自治活動へのデマ・ケチつけを『討論』という名で行なうことをもって、一切の文学部での情宣等の活動を一切、妨害、圧殺してきた。&lt;br /&gt;
:我々は、あまりにも当然な文学部での情宣、クラス討論が保障されていないという情況を突破すべく、やむを得ず、バリケードという形で臨執の活動とクラ討の保証を克ちとらんとしたのだ。それに対しても革マルは入口に常に数名を配置し、協議会・クラ討へ結集せんとする学友に敵対してきた。その為、結果的にクラ討は、その内部では数クラスしかなし得なかったことは認めなければならない。&lt;br /&gt;
:しかしながら学友諸君、これだけは確認して欲しい。それは極めて異常な形でではあれ、あの自主管理によって少数ではあるがクラ討が一切の妨害なしに行なわれ、マイク情宣が、そして協議会が、文学部構内で始めてもたれたことである。」&lt;br /&gt;
'''【政経学部で新執行部は発足】'''&lt;br /&gt;
:政経学部では本部３号館104教室で、午後４時からクラス委員総会が開かれた。総数240人のクラス委員のうち定足数の80人を超える101人が出席して成立した。後日配られたビラには、政経自治会執行部の名前で「自治委員総会を圧倒的に勝利！　新執行部体制確立す！　クラス活動の前進は、自治会活動の前進だ！」の大見出しが並んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「『革マル追放』の自治会臨時執行部選出は“魔女狩り”さながらと思われる厳しいものだった。立候補者を一括採択した学部が多かった中で、政経学部は一人一人会場の学生の挙手で決めた。直接選挙で一見民主的だが、候補者が学年、氏名を名乗り、考え方を述べるたびにものすごいヤジと怒号。『お前は民青じゃないか』『ノンセクト・ラジカル反対』『世界観をいえよ』あるクラスでは、候補者が『反革マル　反民青　反当局』のプラカードをかかげて登場し、ぐるぐる四方に見せて身のあかしを立てたりした。候補者の中には『どのセクトでもいいじゃないか』『世界観まで問われることはない』と“挑戦”した者もいたが『バカヤロ、そんなら出るな』とヤジリ倒され、大半落選した。」（1972年12月8日付毎日新聞夕刊）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【「カギ握る」とされた一般学生は…新聞記事から】'''&lt;br /&gt;
:川口君の死から1ヵ月。新聞各社の記事にも、11.8以降の動きをまとめる内容が目立った。1972年12月8日付朝日新聞では「早大リンチ事件から1ヵ月」という横見出しに「自治会正常化　カギ握る一般学生　まだまだ根強い革マル派　なりゆきまかせの大学側」の３本見出しを立てた囲み記事が載った。その中で「早慶戦」とくくって次のような記述がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「セクトによる自治会の私物化を許すな――大シュプレヒコール、歓声、拍手。学生大会は熱気にあふれた。が、この盛上がりがどこまで定着できるか。当初から一まつの不安もまつわりついていた。『単に、早慶戦で早稲田が勝ったような気分の学生も多い』（ある一文の臨執）。こんご、地道な活動が続かなければ、一部の革マル派に牛耳られてきた自治会の体質は改められないのだが。&lt;br /&gt;
:5日の全学集会。集まった約1500人のうち、500人は隊列から一歩離れ、遠巻きにした格好。2対1の微妙な“断層”がうかがわれた。&lt;br /&gt;
:革マル派執行部の『戦闘的自治会』にイヤ気がさしていた学生、政治闘争には無関心だった層が、『反暴力』では結集した。だが、全学4万を超えるマンモス集団。とくに3、4年生は語学のクラスがなくなり、お互いの連絡もとりにくい。いきおい一群のリーダーの顔ぶれは固まる傾向もある。アジ演のオクターブもあがる。それがまた、セクトアレルギーの学生たちの足を遠ざけるようだ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マルに対して“反革マル”というくくり】'''&lt;br /&gt;
:この頃から新自治会設立に動く学生を“反革マル”とする表記が出てくる。「第一文学部自治会臨時執行部（反革マル）」（1972年12月6日付毎日新聞夕刊）にはじまり、同紙の「再建へ活発な動き」という囲み記事（1972年12月8日付毎日新聞）では“革マル学生”“反革マル学生”という対立軸でそれぞれの1ヵ月の動きをまとめている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:同じ12月8日付毎日新聞夕刊３面の「キャンパスに冬いつまで」という特集にも“反革マル”の文字が目立つ。&lt;br /&gt;
:「学生運動のメッカといわれるだけあって、革マル批判の火の手が上がったのをきっかけに、第四インター、反帝学評、赤色戦線、勝共連合、などのもろもろのセクトが一斉に動き出した。各学部臨執のメンバーもノンポリ、ベ平連、ブント、全共闘と色とりどり。“反革マル”で結束し『絶対にセクトの自治会私物化を許さない』と叫ぶ。」&lt;br /&gt;
:「『テロられる！』。反革マル運動を進める学生たちは、革マル派が積極的討論と叫ぶ個人的つるし上げを何より警戒している。キャンパスを革マルの白ヘルメットがデモると、一人歩きの臨執メンバーはさっと姿をくらます。夜はほとんど集団行動をとり、他大学の学生寮に泊まり込む。」&lt;br /&gt;
:「意気ごみはすさまじいのだが、ノンセクトと小党乱立の反革マル派の弱みは、資金不足。革マルとの“たたかい”でペンキ、ザラ紙、ガリ版、旗布と際限もなく金が出て行く。全学臨執連絡会議の持金はカンパで集めた5万円ナリだけで、とても足りない。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-MUNtVW9nMXRRTTQ/view?usp=sharing 昨日の事態に関して明らかにし､今後の闘いへの総結集を呼びかける 第一文学部臨執声明No9]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B412%E6%9C%886%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%B0%B4%EF%BC%89%E4%B8%80%E6%96%87%E8%87%A8%E5%9F%B7%E3%81%8C%E6%BC%94%E7%BF%92%E5%AE%A4%E3%82%92%E3%83%90%E3%83%AA%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%89%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E8%87%AA%E4%B8%BB%E7%AE%A1%E7%90%86&amp;diff=124</id>
		<title>1972年12月6日（水）一文臨執が演習室をバリケードによる自主管理</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B412%E6%9C%886%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%B0%B4%EF%BC%89%E4%B8%80%E6%96%87%E8%87%A8%E5%9F%B7%E3%81%8C%E6%BC%94%E7%BF%92%E5%AE%A4%E3%82%92%E3%83%90%E3%83%AA%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%89%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E8%87%AA%E4%B8%BB%E7%AE%A1%E7%90%86&amp;diff=124"/>
				<updated>2017-04-12T08:06:28Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:本部キャンパスに間借り状態で活動を続けていた一文臨時執行部が行動委とともに一文キャンパスに入り、202～209教室を自主管理し、各教室を臨執、行動委、クラ連などに振り分けた。この際、革マルによる妨害を防ぐため、教室前の通路の両端をバリケードで封鎖した。前日の学部団交によって出された全学団交の要請に対し村井総長は、各部自治会が正常な状態でないことを理由に拒否を表明。教育学部ではクラス委員総会を開催、臨執に代わって三役3名と常任委員10名からなる新しい執行部が正式に発足した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::9:00　一文臨執はバリケード自主管理闘争を行い、201～209演習室を臨執・情宣・行動隊・クラス討論連絡会議などに振り分けた。文学部キャンパスは“拠点”死守を狙う革マルの支配が続き、臨執は本部キャンパスに間借り状態が続く。&lt;br /&gt;
::10:00　一・二文教授会・教員会では11.28学生大会に関する報告がなされた。&lt;br /&gt;
::10:30　学部長懇談会で村井資長は前日の一文団交で要求された総長団交を拒否した。&lt;br /&gt;
::15:00　教育学部クラス委員総会が開催され、革マルの妨害をはねのけて、クラス委員126名（定員193、定足数65）の参加で臨執に代って三役3名と常任委員10人からなる新執行部を選出した。&lt;br /&gt;
::◎村井総長は伊東市の川口サトさんを訪ね、弔意文と弔慰金500万円および醵出者名簿を渡した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【第一文学部臨執声明No.7　12月6日】'''&lt;br /&gt;
:当日臨執名で配られたビラには「文学部校舎内のバリケードについて」と題して、「この3日間、我々臨執は文学部キャンパスに入って活動しようとしたが、革マルの暴力的妨害によってできなかった。そこで臨執は非常手段としてやむを得ず202～209教室を確保し、我々一文自治会の仮本部とした。この本部を防衛し、更にクラス討論の発展のためにできる限りクラス毎でこの仮本部に詰めてほしい。この教室での授業を大歓迎します。教授と共に我々の仮自治会室を守ろう！」と書かれていた。また、自主管理した教室は、209臨執、208情宣、207行動隊、206・205・1年クラ討、204･203・2年、202・3、4年及び行動隊に割り振られた。革マルの妨害はなはだしく、討論ができたクラスは予想より少なかったが、臨執が初めて一文キャンパスで活動できた記念すべき日でもあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【村井総長は全学団交への出席を拒否】'''&lt;br /&gt;
:「革マル派によるリンチ殺人事件をめぐって学生側から全学団交集会を求められていた早大の村井総長は六日、全学臨時執行部連絡会議に対し『現時点では要求に応じられない』と回答した。&lt;br /&gt;
:早大当局はこの日午前10時半からの学部長懇談会で、この問題を検討したが、・各学部の自治会が正常な状態でない現在、団交要求は受けるべきでない・各学部を飛び越えて大学のトップによる団交は適当でない、などの結論を出したという。&lt;br /&gt;
:これに対し全学臨時執行部側は七日、報告会を開き、改めて大学当局に抗議するかまえ。」（1972年12月7日付朝日新聞）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【バリ封に関する新聞報道】'''&lt;br /&gt;
:臨執による教室の自主管理について、12月6日付毎日新聞夕刊には「『臨執』がバリケード　“認知”迫り自治会室設置」という見出しで次のような記事が掲載された。&lt;br /&gt;
:「早大当局に“認知”を求めている第一文学部自治会臨時執行部（反革マル）は6日、同学部教室の一部をバリケード封鎖し、仮自治会室とした。&lt;br /&gt;
:午前九時、臨執のメンバー約50人は、同学部2階に並ぶ演習室202～209号室の8教室前の廊下の両端をイスや机でバリケード封鎖し、各教室を臨執、情宣、行動隊、クラス討論連絡会議などの部屋にふり分けた。（中略）革マル派は「不当占拠だ。自治会はわれわれ以外ない」と攻撃したが、混乱はなかった。&lt;br /&gt;
:この封鎖は5日夜の浅井邦二一文学部長との団交で臨執への自治会室解放、自治会費支払いを拒否されたため。&lt;br /&gt;
:臨執は同日、クラス委員選挙を公示、すぐ各クラスで投票を進める手はずだったが、準備が間に合わず、7日以降に延期した。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【12月6日付当局告示'''&lt;br /&gt;
:「学生諸君へ&lt;br /&gt;
:11月8日の事件発生以来、不測の事態も十分に予想される流動的な状況と判断されたため、いまだ公開の席で、学生諸君への学部責任者からの説明を行なっていなかったが、学部は、学部と学生との相互信頼にもとづく平静な雰囲気での集会に出席して、学生諸君と話し合うことを拒むものではない。昨12月5日の学生集会に出席したのは、そのような考えにもとづく。&lt;br /&gt;
:しかしながら、昨日午後４時頃、一団の学生が第一文学部臨時執行部の名で学部代表者の学生集会への出席を求めてきたおりに、教授会会場への立入り、スピーカーを用いての議事妨害、窓ガラスの破損等の威圧的な強要行為があった。学部はかかる行為を決して容認するものではなく、再びこのような行為をくり返すことのないよう厳に戒めたい。&lt;br /&gt;
:今後とも、暴力の根絶、学内の正常化を進めて行く上で、学生諸君の良識ある判断と行動とを期待する。&lt;br /&gt;
::昭和47年12月6日&lt;br /&gt;
::第一・第二文学部教授会・教員会」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【証言】'''&lt;br /&gt;
:&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【教育学部で正式執行部が発足】'''&lt;br /&gt;
:11月29日の学生大会で既成自治会をリコール、臨執を選出していた教育学部では、午後２時から16号館106教室で自治委員総会を開催した。総数195人のクラス委員のうちすでに132人が選出されており、そのうちの124人が出席した。ヘルメットの革マル派約50人が「総会粉砕」を叫んで押しかけて、会場は緊迫した空気だった。&lt;br /&gt;
:議事の進行は、以下の通り。&lt;br /&gt;
:「総会はまず、3人の議長を選出したあと、臨時執行部代表から議案書に基づいて、これまでの活動報告、自治会運動の将来の方針、自治会規約改正問題などが提起され、熱心な討論が続いた。とくに規約改正については、今後自治会内に規約改正委員会を設置、規約が本当に学生の総意を反映できるよう検討することになった。&lt;br /&gt;
:11日からの冬休みには、“越冬体制”をとって、各クラスに世話人を置き、革マル派の攻撃など、どのような事態にも、対応できるようにすることなどが確認された。また『一党一派による自治活動の私物化、セクト主義にあくまで反対する』などのスローガンも採択した。&lt;br /&gt;
:最後に、自治会議長1人、同副委員長2人、同常任委員10人を選出し、早大8学部中6学部でスタートした臨時執行部の中で初めて、革マル派を追放し、セクトに支配されない正式な自治会執行部が誕生した。&lt;br /&gt;
:なお、政経学部はきょう7日、社会科学部も8日、クラス委員総会を開き、臨時執行部を解消、新執行部をスタートさせる予定。」（1972年12月７日付毎日新聞）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-dGk0empUVVd3X3M/view?usp=sharing 第一文学部臨執声明No7文学部校舎内のバリケードについて  一文臨時執行委員会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-R0NINTB5QlAzS0k/view?usp=sharing 1 2. 5一文団交の『勝利』に踏まえ､全学団交をかちとろう！  第一文学部臨執声明No8]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

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		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B412%E6%9C%885%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89%E3%80%8C%E7%B7%8F%E9%95%B7%E5%9B%A3%E4%BA%A4%E8%A6%81%E6%B1%82%E5%85%A8%E5%AD%A6%E7%B7%8F%E6%B1%BA%E8%B5%B7%E9%9B%86%E4%BC%9A%E3%80%8D%E3%81%AB1000%E4%BA%BA%E7%B5%90%E9%9B%86&amp;diff=123</id>
		<title>1972年12月5日（火）「総長団交要求全学総決起集会」に1000人結集</title>
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				<updated>2017-04-12T08:01:59Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:午後、図書館前で「総長団交要求全学総決起集会」が開催された。一文では浅井邦夫第一文学部長、新保昇一学生担当教務主任、野口洋二同副主任の出席により学部団交を実現。最後に「総長に全学団交出席を要請する」という確約書に浅井学部長がサインした。革マルの巻き返し激しく、日中臨執メンバーは一文構内に入れず。クラス委員の選出にも遅れが出る。この日、傷害と暴力行為の容疑で革マル４人に逮捕状が出た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::13:00　学生大会で成立した各学部の臨時執行部を公認しない当局に対して図書館前で「総長団交」要求全学総決起集会が1000名の結集で行われる。大学側は要求を拒否した。&lt;br /&gt;
::昼過ぎ　一文・二文連合定例教授会・教員会開催中の情報を入手した一文臨執は、学生集会への出席を要請。&lt;br /&gt;
::17:00 一文で初めての学部団交を実現。学生1000人が181教室に結集する。浅井邦二第一文学部長、新保昇一学生担当教務主任、野口洋二同副主任が出席。野口教務副主任は11月8日については「結果として判断を誤った」と認めたが、学部長以下は11.28学生大会の「意義を認める」と繰り返すだけ。&lt;br /&gt;
::22:05　「総長に全学団交出席要請をする」という確約書への回答期限を12月6日昼までとして、浅井学部長は署名した。&lt;br /&gt;
::■革マル派は「11.8問題の否定的教訓にふまえ、革命的学生運動を推進せよ」と「解放」12／5号に革共同革マル派中央学生組織委員会名で主張を掲載した 。&lt;br /&gt;
::■阿波崎文雄(25)、村上文男(24)､近藤隆史(24)､武原光志(21)､佐竹実(22)5名に逮捕状が執行される。阿波崎が2J級友への傷害と暴力行為、他の4人は暴力行為の容疑。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【一文の学部団交で読み上げられた当局告示】'''&lt;br /&gt;
:「学生諸君へ&lt;br /&gt;
:今回の川口君の不幸な事件以来、文学部は学生の総意を反映しうるような学生自治のあり方について、われわれの立場からの検討を続けている。しかし、学部長及び学部教授会・教員会の考え方が、現在必ずしも正確に諸君に伝わっていないので、次のことを明らかにしたい。&lt;br /&gt;
:文学部は、つねに学生自治会の正常な発展を望みこれを禁止する意図は全く持っていない。従って、正常な自治会活動に対する学生諸君の熱意に期待しており、その具体的なあらわれとしての11月28日の集会の意義を十分に尊重する立場に立っていることはいうまでもない。われわれは、その集会の性格について慎重に検討するとともに、学生諸君の今後の着実な努力の積み重ねを見守っている。&lt;br /&gt;
:なお、学部は、今回の事件の今日までの経過及び措置について教授会･教員会の見解を明らかにし、近く学生諸君に配布するつもりである。学生諸君のこの問題についての建設的な検討を期待し、ともに暴力の根絶に努力したい。&lt;br /&gt;
::昭和47年12月5日&lt;br /&gt;
::第一・第二文学部教授会・教員会」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【文学部団交での当局側の発言】'''&lt;br /&gt;
:団交の席上浅井邦二学部長は学生大会の承認に関して「11月28日の“学生集会”の意義を十分評価する。学部投票で過半数の支持を得、執行部が正式にスタートすれば、承認にやぶさかでない」と述べたが、キャンパスへの機動隊導入については「機動隊導入は総長が学生の生命の安全を考え決定した。私はこれを支持しただけだ」と、権限があくまで総長にあると主張した。&lt;br /&gt;
:川口君が連れ去られた11月8日に級友からの通報を受けて127教室へ行った野口洋二学生担当教務副主任は、「見に行ったが、何も見えなかった。しかし結果的に私は判断を誤った」と述べた。判断を誤ったことは謝罪に当たらないのだろうか。（以上、各発言は1972年12月6日付毎日新聞より引用）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【確約書の内容】'''&lt;br /&gt;
:５時間に及んだ団交の末、浅井学部長は村井総長に団交出席を要請する旨の確約書にサインした。&lt;br /&gt;
:「文学部長の私は、村井総長が全学生の前に出て見解を表明することを必要と認めます。その為に文学部長として村井総長に冬休み前の全学団交（集会）への出席を今日中に要請します。その全学団交に私は参加します。&lt;br /&gt;
:私は全学団交（集会）への総長と私の（判読不能）までに回答します。&lt;br /&gt;
:（判読不能）と場所において大衆的に行なう。&lt;br /&gt;
:全学団交の日時・場所については全学の臨執会議に一任します。&lt;br /&gt;
::47年12月5日　浅井邦二（著名）」（第一文学部臨執声明No.８より）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【臨執による総括】'''&lt;br /&gt;
:12月12日に出された臨執からのビラには学部団交後の経緯がまとめられている。&lt;br /&gt;
:「さて、12月5日文学部団交は、その要求が各クラスで十分議論されていなかった限界性にもかかわらず、一つの問題点が明確になりました。我々臨執は当局に対して正式に会見を申し入れしたにもかかわらず、拒否されたこと。その為我々は千人もの学友の力でもって団交申し入れを克ちとりました。ところが団交の際、学部長の発言は我々の自立をめざす闘いへの敵対以外の何ものでもありません。すなはち『自治会を認める、認めないは学生自身の問題である』と言いながら、『学生大会を始めとするこの間の動きの意義は認めるが学生大会・臨執は認めない』等の発言はどう考えても革マル派と同じ居直りと問題のすり替えではないだろうか。我々は当局のこの様な敵対に対して断固戦いを継続し、自治会室の解放、自治会費凍結解除、学生自治権の獲得を闘い取っていくつもりです。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-SGItZnY2aERwc1E/view?usp=sharing 当局の不当な対応を我々は許さない！ 一文臨時執行委員会]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B412%E6%9C%884%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%89%E5%85%A8%E5%AD%A6%E9%83%A8%E8%87%A8%E5%9F%B7%E9%80%A3%E7%B5%A1%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E7%99%BA%E8%B6%B3%E3%80%82%E7%88%B6%E6%AF%8D%E6%9C%89%E5%BF%97%E3%81%8C%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%B8%E8%A6%81%E6%9C%9B%E6%9B%B8%E6%8F%90%E5%87%BA&amp;diff=122</id>
		<title>1972年12月4日（月）全学部臨執連絡会議発足。父母有志が当局へ要望書提出</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B412%E6%9C%884%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%89%E5%85%A8%E5%AD%A6%E9%83%A8%E8%87%A8%E5%9F%B7%E9%80%A3%E7%B5%A1%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E7%99%BA%E8%B6%B3%E3%80%82%E7%88%B6%E6%AF%8D%E6%9C%89%E5%BF%97%E3%81%8C%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%B8%E8%A6%81%E6%9C%9B%E6%9B%B8%E6%8F%90%E5%87%BA&amp;diff=122"/>
				<updated>2017-04-12T03:00:21Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】 '''&lt;br /&gt;
:各学部臨執、政経学部暫定執行部、法学部自治会、理工学部代表、サ連で構成する全学部臨執連絡会議が発足した。午後には「早大に子供を通学させている父母有志」30名が大隈庭園完之荘で清水司常任理事、竹内常行理事の２人と会見し、事件に対する大学の対応について説明を求めたが、具体的な回答は得られなかった。同席した川口サトさんにも「申し訳ない」を繰り返しただけだった。この日も臨執等への革マルの妨害活動多発。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】 '''&lt;br /&gt;
::◎全学部臨執連絡会議が発足する。各学部臨執、政経暫定執行部、法自、理工代表、サ連で構成。&lt;br /&gt;
::◎「早大に子供を通学させている父母有志」30名が理事2名と会見。川口サトさんも位牌を持って参加するが、教授会の自主性や学部と本部との特殊な関係を繰り返すだけで、具体的な回答はなかった。&lt;br /&gt;
::■革マルはビラまきやクラス討論破壊等々あらゆる妨害活動を繰り返した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【父母の会見】'''&lt;br /&gt;
:午後２時から大隈庭園完之荘で開かれた父母の有志と当局側の理事２人による会見では、父母等が「なぜ学園内で殺人事件が起こったか」「暴力一掃に当局はどんな措置をとるか」「当局の責任はないのか」について説明を求めたのに対し、「私（清水理事）も大学も今回の事件に驚いている」「全教職員が（正常化に）努力している」「社会に不安を与えたことを痛感している」と、これまでの説明を繰り返したに止まった。父母からの「もっと具体的に」「大学はドロをかぶる気でやれ」という声に対しても、教授会の自主性や学部と大学の特殊な関係などを語るのみ。「息子をなくした母親に大学はどんな償いをしてくれるのか」というサトさんには２人とも涙を流して「申し訳ない」を繰り返したが、具体的なことについては何一つ答えなかった。（1972年12月4日付朝日新聞より）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【臨執への当局の対応】'''&lt;br /&gt;
:11.28に開かれた学生大会において選出された臨時執行部は、一文当局に対し、学生大会成立を承認するよう会見を求めて交渉したが、臨執の要請は拒否された。臨執名による「当局の不当な対応を我々は許さない!!」と題されたビラにその経緯が書き残されている。&lt;br /&gt;
:「12.1　学大報告書を学部長・委員会（11.30に設立された『自治問題研究委員会』のこと）宛に各一通を渡し、同時に署名用紙（コピー）を渡した。新保教務主任に、臨執として当局に正式に会見要請。&lt;br /&gt;
:新保助教授&lt;br /&gt;
::『会うか会わぬかは、教授会の決定によるのですぐ答えられぬし、委員会についても性格がはっきりしていないので答えられない』。&lt;br /&gt;
:12.2　新保助教授、学部長に対して非公式に会見を要請&lt;br /&gt;
:12.4　12.2の回答&lt;br /&gt;
:::会見は拒否する。&lt;br /&gt;
:::1．教授会は現在、明日の教授会に忙殺されている&lt;br /&gt;
:::2．学部長以下、現三役は既に辞意を表明しており、15日の新三役任命まで暫定的な事務をとっているにすぎない。&lt;br /&gt;
::::この段階で諸君と会見しても建設的な討論は行なわれないだろう。平穏な討論ができるとは思えない」。&lt;br /&gt;
:この後、ビラは次のような言葉で結ばれている。&lt;br /&gt;
:「以上述べてきたように、大学当局は闘う学友の意志をこの間一貫して無視し続け、許しがたい対応に終始している。一文当局者は革マルと同じような言いまわしを使って1500の圧倒的学友を一堂に結集して勝ちとられた11.28学生大会を認めようとしない。&lt;br /&gt;
:そして、我々の正統な団交要求に対してかたくなに拒否しているのだ。彼らは前自治会三役の処分を『励行』することで社会的体裁を保とうとしたが、決起した学友の糾弾の矛先はたやすくかわせるものではない。我々は当局の学生自治への介入を粉砕し、新自治会承認、自治会費凍結解除を勝ちとるまで当局に対する追及の手をゆるめてはいけない。&lt;br /&gt;
:革マルの政治支配を巧みに利用し、学園管理体制を貫徹させてきた当局こそは、川口君を虐殺し去った陰の下手人なのだということを我々は決して忘れてはならない。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-bmlQZzdtQmpoOWM/view?usp=sharing 一文2Gクラス決議]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-TDZvcHI1WlZhdFE/view?usp=sharing  12/5へ‥全学団交へ第一文学部臨執]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>1972年12月4日（月）全学部臨執連絡会議発足。父母有志が当局へ要望書提出</title>
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				<updated>2017-04-12T02:58:24Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】 '''&lt;br /&gt;
:各学部臨執、政経学部暫定執行部、法学部自治会、理工学部代表、サ連で構成する全学部臨執連絡会議が発足した。午後には「早大に子供を通学させている父母有志」30名が大隈庭園完之荘で清水司常任理事、竹内常行理事の２人と会見し、事件に対する大学の対応について説明を求めたが、具体的な回答は得られなかった。同席した川口サトさんにも「申し訳ない」を繰り返しただけだった。この日も臨執等への革マルの妨害活動多発。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】 '''&lt;br /&gt;
::◎全学部臨執連絡会議が発足する。各学部臨執、政経暫定執行部、法自、理工代表、サ連で構成。&lt;br /&gt;
::◎「早大に子供を通学させている父母有志」30名が理事2名と会見。川口サトさんも位牌を持って参加するが、教授会の自主性や学部と本部との特殊な関係を繰り返すだけで、具体的な回答はなかった。&lt;br /&gt;
::■革マルはビラまきやクラス討論破壊等々あらゆる妨害活動を繰り返した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【父母の会見】'''&lt;br /&gt;
:午後２時から大隈庭園完之荘で開かれた父母の有志と当局側の理事２人による会見では、父母等が「なぜ学園内で殺人事件が起こったか」「暴力一掃に当局はどんな措置をとるか」「当局の責任はないのか」について説明を求めたのに対し、「私（清水理事）も大学も今回の事件に驚いている」「全教職員が（正常化に）努力している」「社会に不安を与えたことを痛感している」と、これまでの説明を繰り返したに止まった。父母からの「もっと具体的に」「大学はドロをかぶる気でやれ」という声に対しても、教授会の自主性や学部と大学の特殊な関係などを語るのみ。「息子をなくした母親に大学はどんな償いをしてくれるのか」というサトさんには２人とも涙を流して「申し訳ない」を繰り返したが、具体的なことについては何一つ答えなかった。（1972年12月4日付朝日新聞より）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【臨執への当局の対応】'''&lt;br /&gt;
:11.28に開かれた学生大会において選出された臨時執行部は、一文当局に対し、学生大会成立を承認するよう会見を求めて交渉したが、臨執の要請は拒否された。臨執名による「当局の不当な対応を我々は許さない!!」と題されたビラにその経緯が書き残されている。&lt;br /&gt;
:「12.1　学大報告書を学部長・委員会（11.30に設立された『自治問題研究委員会』のこと）宛に各一通を渡し、同時に署名用紙（コピー）を渡した。新保教務主任に、臨執として当局に正式に会見要請。&lt;br /&gt;
:新保助教授&lt;br /&gt;
::『会うか会わぬかは、教授会の決定によるのですぐ答えられぬし、委員会についても性格がはっきりしていないので答えられない』。&lt;br /&gt;
:12.2　新保助教授、学部長に対して非公式に会見を要請&lt;br /&gt;
:12.4　12.2の回答&lt;br /&gt;
:::会見は拒否する。&lt;br /&gt;
:::1．教授会は現在、明日の教授会に忙殺されている&lt;br /&gt;
:::2．学部長以下、現三役は既に辞意を表明しており、15日の新三役任命まで暫定的な事務をとっているにすぎない。&lt;br /&gt;
::::この段階で諸君と会見しても建設的な討論は行なわれないだろう。平穏な討論ができるとは思えない」。&lt;br /&gt;
:この後、ビラは次のような言葉で結ばれている。&lt;br /&gt;
:「以上述べてきたように、大学当局は闘う学友の意志をこの間一貫して無視し続け、許しがたい対応に終始している。一文当局者は革マルと同じような言いまわしを使って1500の圧倒的学友を一堂に結集して勝ちとられた11.28学生大会を認めようとしない。&lt;br /&gt;
:そして、我々の正統な団交要求に対してかたくなに拒否しているのだ。彼らは前自治会三役の処分を『励行』することで社会的体裁を保とうとしたが、決起した学友の糾弾の矛先はたやすくかわせるものではない。我々は当局の学生自治への介入を粉砕し、新自治会承認、自治会費凍結解除を勝ちとるまで当局に対する追及の手をゆるめてはいけない。&lt;br /&gt;
:革マルの政治支配を巧みに利用し、学園管理体制を貫徹させてきた当局こそは、川口君を虐殺し去った陰の下手人なのだということを我々は決して忘れてはならない。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-bmlQZzdtQmpoOWM/view?usp=sharing 一文2Gクラス決議]&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>1972年12月2日（金）一文でクラス協議会発足。一文行動委員会結成</title>
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				<updated>2017-04-12T02:55:49Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:一文では、引き続き臨執が教務主任と学部長に非公式の会見を要請する一方で、各クラス２名の代表からなるクラス協議会を発足し、自治会の体制作りに着手した。また、激しさを増した革マルの反撃姿勢に抗すべく一文行動委員会を結成、個人テロ等への備えを固めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::◎一文、各クラス2名の代表によるクラス協議会が発足する。&lt;br /&gt;
::■革マルは反撃姿勢を強めて、学生大会中傷ビラを配布し、個人テロで敵対する。&lt;br /&gt;
::◎この個人テロに備えて、一文行動委員会（準備会）を結成する。（各学部で行動委の結成が進む）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【「クラス協議会創設へ」一文臨執声明No.２より】'''&lt;br /&gt;
:12月1日付第一文学部臨時執行部声明No.２では「『クラス協議会』を創設し、自治会再建の巨歩を推し進めよう！」と題して各クラス、各専修より２名の協議会委員の選出を呼びかけている。&lt;br /&gt;
:「この協議会は今後我々の新自治会建設への闘いの展望とそのヴィジョンの一切を論議し、全学友の意志を結実するものとして欠くことのできぬ役割を担っていくものである」とし、「『我々の自治会』がいかなるものであり、そしていかの造られるのか、その具体性の方へ議論を進めよう！」としている。また、この日の声明で、「革マルのデマとテロル攻撃の恒常的反撃体制（一文行動隊）を創設しよう！」とも呼びかけている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【一文行動委員会結成に向けて】'''&lt;br /&gt;
:学生大会で臨執を選出したものの、集会妨害、中傷ビラ、個人的恫喝など、日ごとに革マルの反撃が暴力化し、一文では、臨執が構内に入ることが困難な日が続くようになった。そこで、臨執の防衛を含め新自治会の立ち上げを本格化するための行動委員会結成への動きが３、４年生を中心に高まった。&lt;br /&gt;
:一文日本史３年行動委員会準備会のビラには、行動委の定義が次のように記されている。&lt;br /&gt;
:「行動委員会とは、個々人の主体的な決意を基＊とし“自立・創意・連合”の原則によって各人の、各クラスの闘いとエネルギーを能動的に機動的に結合してゆく連動体である。全てのクラス･サークルで行動委員会を創出し臨執を守り、臨執の闘いを実体的に保＊し、共に闘いを進めてゆかねばならない。&lt;br /&gt;
:何度でも云う。我々の闘いは生み落されたばかりであり我々の前途には想像を絶する困難が待ちかまえているのだ、革マルは我々が考えている以上に狡猾であり我々の未熟な闘いに比してはるかに政治技術において、組織力においてすぐれているのだ。革マルの組織をあげた（途中判読不能）反撃、学校当局との闘いをも組織しての自治＊＊＊への闘いの中で新自治会＊の防衛を全学友のクラスの団結中に一般化してしまう＊＊は、闘いの困難さと緊急さに対して余りにも無知であり、無責任であり、無力であると云わねばならない。」（＊は不明文字）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-cC1lR0pqQ0RkSnc/view?usp=sharing 態度表明　早大社会問題研究会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-SVZfWFJNTTYyaFk/view?usp=sharing 川口君は見ているぞ！　一文2J行動委員会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-bmZrMi03X3lxUDA/view?usp=sharing 一文臨執声明No4学大の成功を新たな自治会運動の息吹に！]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

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		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B412%E6%9C%882%E6%97%A5%EF%BC%88%E9%87%91%EF%BC%89%E4%B8%80%E6%96%87%E3%81%A7%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B9%E5%8D%94%E8%AD%B0%E4%BC%9A%E7%99%BA%E8%B6%B3%E3%80%82%E4%B8%80%E6%96%87%E8%A1%8C%E5%8B%95%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A%E7%B5%90%E6%88%90&amp;diff=119</id>
		<title>1972年12月2日（金）一文でクラス協議会発足。一文行動委員会結成</title>
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				<updated>2017-04-12T02:54:08Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:一文では、引き続き臨執が教務主任と学部長に非公式の会見を要請する一方で、各クラス２名の代表からなるクラス協議会を発足し、自治会の体制作りに着手した。また、激しさを増した革マルの反撃姿勢に抗すべく一文行動委員会を結成、個人テロ等への備えを固めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::◎一文、各クラス2名の代表によるクラス協議会が発足する。&lt;br /&gt;
::■革マルは反撃姿勢を強めて、学生大会中傷ビラを配布し、個人テロで敵対する。&lt;br /&gt;
::◎この個人テロに備えて、一文行動委員会（準備会）を結成する。（各学部で行動委の結成が進む）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【「クラス協議会創設へ」一文臨執声明No.２より】'''&lt;br /&gt;
:12月1日付第一文学部臨時執行部声明No.２では「『クラス協議会』を創設し、自治会再建の巨歩を推し進めよう！」と題して各クラス、各専修より２名の協議会委員の選出を呼びかけている。&lt;br /&gt;
:「この協議会は今後我々の新自治会建設への闘いの展望とそのヴィジョンの一切を論議し、全学友の意志を結実するものとして欠くことのできぬ役割を担っていくものである」とし、「『我々の自治会』がいかなるものであり、そしていかの造られるのか、その具体性の方へ議論を進めよう！」としている。また、この日の声明で、「革マルのデマとテロル攻撃の恒常的反撃体制（一文行動隊）を創設しよう！」とも呼びかけている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【一文行動委員会結成に向けて】'''&lt;br /&gt;
:学生大会で臨執を選出したものの、集会妨害、中傷ビラ、個人的恫喝など、日ごとに革マルの反撃が暴力化し、一文では、臨執が構内に入ることが困難な日が続くようになった。そこで、臨執の防衛を含め新自治会の立ち上げを本格化するための行動委員会結成への動きが３、４年生を中心に高まった。&lt;br /&gt;
:一文日本史３年行動委員会準備会のビラには、行動委の定義が次のように記されている。&lt;br /&gt;
:「行動委員会とは、個々人の主体的な決意を基＊とし“自立・創意・連合”の原則によって各人の、各クラスの闘いとエネルギーを能動的に機動的に結合してゆく連動体である。全てのクラス･サークルで行動委員会を創出し臨執を守り、臨執の闘いを実体的に保＊し、共に闘いを進めてゆかねばならない。&lt;br /&gt;
:何度でも云う。我々の闘いは生み落されたばかりであり我々の前途には想像を絶する困難が待ちかまえているのだ、革マルは我々が考えている以上に狡猾であり我々の未熟な闘いに比してはるかに政治技術において、組織力においてすぐれているのだ。革マルの組織をあげた（途中判読不能）反撃、学校当局との闘いをも組織しての自治＊＊＊への闘いの中で新自治会＊の防衛を全学友のクラスの団結中に一般化してしまう＊＊は、闘いの困難さと緊急さに対して余りにも無知であり、無責任であり、無力であると云わねばならない。」（＊は不明文字）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-cC1lR0pqQ0RkSnc/view?usp=sharing 態度表明　早大社会問題研究会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-SVZfWFJNTTYyaFk/view?usp=sharing 川口君は見ているぞ！　一文2J行動委員会]&lt;/div&gt;</summary>
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				<updated>2017-04-12T02:52:20Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:一文では、引き続き臨執が教務主任と学部長に非公式の会見を要請する一方で、各クラス２名の代表からなるクラス協議会を発足し、自治会の体制作りに着手した。また、激しさを増した革マルの反撃姿勢に抗すべく一文行動委員会を結成、個人テロ等への備えを固めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::◎一文、各クラス2名の代表によるクラス協議会が発足する。&lt;br /&gt;
::■革マルは反撃姿勢を強めて、学生大会中傷ビラを配布し、個人テロで敵対する。&lt;br /&gt;
::◎この個人テロに備えて、一文行動委員会（準備会）を結成する。（各学部で行動委の結成が進む）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【「クラス協議会創設へ」一文臨執声明No.２より】'''&lt;br /&gt;
:12月1日付第一文学部臨時執行部声明No.２では「『クラス協議会』を創設し、自治会再建の巨歩を推し進めよう！」と題して各クラス、各専修より２名の協議会委員の選出を呼びかけている。&lt;br /&gt;
:「この協議会は今後我々の新自治会建設への闘いの展望とそのヴィジョンの一切を論議し、全学友の意志を結実するものとして欠くことのできぬ役割を担っていくものである」とし、「『我々の自治会』がいかなるものであり、そしていかの造られるのか、その具体性の方へ議論を進めよう！」としている。また、この日の声明で、「革マルのデマとテロル攻撃の恒常的反撃体制（一文行動隊）を創設しよう！」とも呼びかけている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【一文行動委員会結成に向けて】'''&lt;br /&gt;
:学生大会で臨執を選出したものの、集会妨害、中傷ビラ、個人的恫喝など、日ごとに革マルの反撃が暴力化し、一文では、臨執が構内に入ることが困難な日が続くようになった。そこで、臨執の防衛を含め新自治会の立ち上げを本格化するための行動委員会結成への動きが３、４年生を中心に高まった。&lt;br /&gt;
:一文日本史３年行動委員会準備会のビラには、行動委の定義が次のように記されている。&lt;br /&gt;
:「行動委員会とは、個々人の主体的な決意を基＊とし“自立・創意・連合”の原則によって各人の、各クラスの闘いとエネルギーを能動的に機動的に結合してゆく連動体である。全てのクラス･サークルで行動委員会を創出し臨執を守り、臨執の闘いを実体的に保＊し、共に闘いを進めてゆかねばならない。&lt;br /&gt;
:何度でも云う。我々の闘いは生み落されたばかりであり我々の前途には想像を絶する困難が待ちかまえているのだ、革マルは我々が考えている以上に狡猾であり我々の未熟な闘いに比してはるかに政治技術において、組織力においてすぐれているのだ。革マルの組織をあげた（途中判読不能）反撃、学校当局との闘いをも組織しての自治＊＊＊への闘いの中で新自治会＊の防衛を全学友のクラスの団結中に一般化してしまう＊＊は、闘いの困難さと緊急さに対して余りにも無知であり、無責任であり、無力であると云わねばならない。」（＊は不明文字）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-cC1lR0pqQ0RkSnc/view?usp=sharing 態度表明　早大社会問題研究会]&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>1972年12月１日（木）商・法で学生大会。法学部は定足数不足で学生集会に</title>
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				<updated>2017-04-12T02:50:38Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:午後、商学部と法学部の学生大会が開かれる。革マルによる執行部体制だった商学部でも学大開催へ2200の署名が集まり、学生大会には1600名の学生が結集。革マル派執行部をリコールし、臨執22名を選出した。法学部では11.24の学生大会が文学部クラ討連支援で中断したため再開の形となった。1500名が結集したにもかかわらず民青執行部がリコールされかかったため、執行部はわずか10名の定足数不足を理由にして学生集会とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::13:00　商学部学生大会は10号館109教室に1600名余が結集(署名2200名)して開催された。革マル執行部をリコールし、クラス委員会の解散を決議。臨時執行部22名を承認・決議したが、革マルのシンパ4、5名が含まれた模様。商学部当局はこれまで通り革マル系執行部を公認。&lt;br /&gt;
::14:00　法学部学生大会22号館301教室で再開（11.24中断のため）されるも、1500名の結集で定足数に達せず「学生集会」となる。民青執行部がリコールされそうになったため、10名の不足を理由に。&lt;br /&gt;
::◎一文臨執は11.28学生大会に関する報告書と議案書、署名用紙（コピー）を提出し、新保教務主任に学部長との会見を要請する。（翌日、新保教授は浅井学部長に非公式に会見を要請するも、当局は拒否回答）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【商学部学生大会臨執には革マルシンパも】'''&lt;br /&gt;
:「商学部学生は午後3時半から約1600人が出席して10号館で開かれたが、同学部自治会は革マル派が執行部をにぎる最後の拠点で、革マルシンパとみられるグループの抵抗が目立った。同学部の大会定足数は、大学当局が決めた在籍者数（6000人）の『3分の2』と、現執行部が主張する「3分の1」の二とおりの規約があり、この日の参加者はいずれの規約をも満たさなかった。しかし『3分の2』は大学側の押付けだと否認。あくまで『3分の1』の規約を守ろうとする革マル派らしいグループの主張をも」実際の登校者数からみて現実的でない』として退けた。結局緊急動議で5分の1を定足数とする決議を採択“大会成立”を宣言した。&lt;br /&gt;
:主催者側はこの決議の根拠があいまいであることを認めており（注）、革マル派は規約不履行を理由に大会不成立を主張するものとみられる。&lt;br /&gt;
:また臨時執行部22人を選出したが、立候補制にしたため全学議長団などによると、革マルシンパとみられる者も4、5人含まれているという。今後、クラス委員の選出などで、他学部と違い商学部臨時執行部の運営は難航が予想される。」（1972年12月2日付毎日新聞）&lt;br /&gt;
::（注：昭和44年、4000名出席の学生大会で定足数を３分の１以上に変更。『早稲田キャンパス』168号）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【「川口君のお母さんを囲む父母の会」開かれる】'''&lt;br /&gt;
:教育学部の父兄の呼びかけで、川口君のお母さんを囲む父母の会が、１日夜、川口サトさんを迎え千代田区の主婦会館で開かれ、15人の父兄が集まった。出席した父兄は、「息子や娘を安心して通わせられる学園に……」と、村井資長総長に面会を求め、責任を追及することになった。４日午後１時に大隈銅像前に、川口君の事件に関心を持つ早大生の父母にできるだけ多く集まってもらうよう呼びかけることが決まったが、すでに参加の意思を明らかにしている父母は50人以上とのこと。席上川口サトさんは「大三郎が殺されたことに対して大学が私に謝罪したのは、通夜の席での村井総長の簡単なあいさつだけ」と言い、「大三郎が殺されたことに、大学は本心から責任と痛みを感じているのかどうか、同じ親の立場で大学に聞いて下さい。私はいまの大学のやり方は信用できないし、その無責任さは許せません」と訴えた。（1972年12月2日付朝日新聞より）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-RElKVGxKbWxkU00/view?usp=sharing 第一文学部臨執声明No2「クラス協議会」を創設し、自治会再建への巨歩を推し進めよう！ 第一文学部臨時執行委員会]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B411%E6%9C%8828%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%83%BB%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%A6%A8%E5%AE%B3%E3%82%92%E8%B7%B3%E3%81%AD%E9%99%A4%E3%81%91%E3%80%81%E4%B8%80%E6%96%87%E3%83%BB%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E5%AD%A6%E7%94%9F%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E6%88%90%E7%AB%8B&amp;diff=116</id>
		<title>1972年11月28日（火）当局・革マルの妨害を跳ね除け、一文・社学学生大会成立</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B411%E6%9C%8828%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%83%BB%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%A6%A8%E5%AE%B3%E3%82%92%E8%B7%B3%E3%81%AD%E9%99%A4%E3%81%91%E3%80%81%E4%B8%80%E6%96%87%E3%83%BB%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E5%AD%A6%E7%94%9F%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E6%88%90%E7%AB%8B&amp;diff=116"/>
				<updated>2017-04-12T02:49:08Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:早朝の革マル突入によってロックアウトとなった文学部キャンパス。正門前に集まった1500人の学生は本部へ移動し、教育学部15号館402教室で学生大会を開催。定足数880名を満たす1400名余の参加を得て正式に学生大会は成立した。対案の取り扱いに手間取ったものの、賛成1369票でクラ討連議案書を可決。この結果、議案書に記載された代表9人による臨時執行部が発足。引き続いて、革マル執行部、全自治委員のリコールの採決が行われ、全員挙手で賛成。会場は拍手と歓声でわいた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::◎早朝、文学部当局はロックアウト告示するも「大会粉砕」を叫ぶ革マル300人は文学部構内に侵入。一文学生は本部キャンパスに移動して他学部による「一文学大支援」集会に加わり、学生大会開催阻止を企てる革マルとの激しいもみ合いが続いた。&lt;br /&gt;
::13:30　15号館401-2教室で第一文学部学生大会を開始、他学部生2500人も支援のため校舎の周りを取り囲む。会場入口で学生証や定期券などの提示を求めて厳重なチェック。1200人分の席は満席で通路にまで溢れる。クラス討論連絡会議より議案書を提出。一文非暴力推進協議会（原理研）より対案提出があって混乱する。&lt;br /&gt;
::14:00　途中経過者1255名で学生大会成立（定足数880名）の報告がある。&lt;br /&gt;
::15:30　自治会再建までの臨時執行部（臨執）の設置、リコール条項の新設など暫定規約7条を1398名の圧倒的多数の賛成で採択。革マル派執行部全員をリコールし、各学年からクラス討論連絡会議のリーダーを中心に臨時執行部9人を選出した。&lt;br /&gt;
::17:00　社会科学部学生大会を15号館102教室で開催。636名で議案書を採決し、臨時執行部を選出した。&lt;br /&gt;
::◎清水司理事は記者会見して「一文学生大会はあくまでも集会であって認めない」との判断。&lt;br /&gt;
::■革マル前川健全学連委員長代行と秦全中自代表は、第一学館で「規約無視のデッチ上げ大会」「大会は民青の陰謀」などと記者会見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【ドキュメント「一文学生大会」】'''&lt;br /&gt;
:7時45分頃、“Z”の部隊300ほど文学部構内に入る。8時になると待っていたように当局はロックアウト。正門に行くと、長谷川良一先生、こっちを見つけて「まあまあ」なんて言っている。実にナンセンス。学校側のやる事なんてそんな事。23、4人結集する。それ程集まるなんて予想外。とことこ本部に行く。“Z”は１号館で集会。我々1Tはプラカードを作って4号館ロビーに結集。政経･法・商・教育の諸君が学内をデモ行進している。ものすごい数、すごい数。革命前夜みたいな雰囲気。1000や2000はいるだろう。4号館ロビーからなかなか出ない。ギッシリつまり、皆、緊張しきっている。緊張している中にもゆとり。ロビーに坐り込んで話なんかしたり、歌を唄ったりする。700人から800人はいるだろう。&lt;br /&gt;
:11時・11時半頃、隊列･スクラムを組んでクラス単位にまとまり、出ていく。4号館から出て６列隊列。途中で“Z”の隊列とすれ違う。ハタを中途半端に出していたためにやぶかれる。全部もっていかれなかったのがせめてもの幸。本部前に行って坐り込み。皆デモなんか大部分の人初めてなんだろうけれど実によくやる。女の子まで坐り込む。まわりを他の学部諸君、防衛してくれる。そこに突如“Z”がつっ込んで来る。およそ200位。一度はね返されて、次には演壇を狙う。猛然とおし返す。圧倒的な結集力によって打ち破る。正門から押し出す。断固として押し出す。スクラムの途中が切れて4、5人後ろがいなくなる。まったくそんなことではどうしようもない。そんなことでは先が思いやられる。主力部分は演壇前、いちばん前、スクラム組んで坐り込む。Ｋ君が指名されて前に行ってマイクでしゃべる。後ろの方で「さすが中国語」とか言う声が聞こえる。&lt;br /&gt;
:文学部はロックアウト、22号館か8号館か、使える教室がどこにあるか全くわからない。法科ではやりたくない。出来ればどこか他の場所で……、“Z”を追い出して会場を見つける。15号館の大教室が使えるという情報が入る。クラスごと隊列組んだまま駆足で他学部の手拍子に送られて、いちばん奥の15号館まで行く。&lt;br /&gt;
:15号館の402教室。階段を上りながらホッとする。会場が見つからないんではないかと思われていただけに安心。会場に入る。２Ｔの後ろ、いちばん前の方。議案書が配られる。けさ6時半まで徹夜して出来上がったという。説明し終えると、一文非暴力推進協議会なるもの（後で勝共連合と判明）が議案書を配る。そこで説明させるかどうかで紛糾。議長の司会のまずさ、不慣れさも手伝ってかなり混乱。議案書どちらをとるかを採決すれば良い、それで済む問題なのだ。かなり紛糾。外では“Z”が迫っている。１時半頃から始まって3時をまわる。3時半頃やっと採決する。途中でデントウが消されたり、妨害があり、大学側は本部もロックアウトしたと宣言する。ナンセンス。&lt;br /&gt;
:3時40分頃、議案書採決する。1400名余出席、1369名賛成。かなり暗くなるも紙吹雪がまい、シュプレヒコール、バンザイ、拍手が入乱れる。シュプレヒコールの後、隊列を組んで外に出る。拍手で迎えられ、1号館での報告集会。“Z”の妨害を排除し、歓びに満ちた集会。その後、学内デモを繰りひろげる。1Tクラスも先頭に立ってデモをする。その後、社学の学生大会を支援するため、教育学部の下の空地に坐り込む。肉マンetc.の差入。階段にバリケードを組む。うまく教えてくれる人がいる。青会（ママ　編注「青解」）の生き残りとか。クラスで個別デモやる。これ程1Tがやるとは正直言って思わなかった。闘争は団結をかたくする。もの凄いクラスのまとまり。団結。半分は女の子なのに、極めて戦闘的にデモンストレーションを貫徹する。まだまだやるぞ。断固闘うぞ。“1Tは自治会の先頭に立って闘うぞ”。&lt;br /&gt;
:1T独自でデモをやったりもする。大分人間が欠けていなくなるが、それでもかなりやる。社学の学大が7時半に終わり、8時頃解散する。（一文有志の記録から）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【浅井邦二第一文学部長「大会認めぬ」とコメント】'''&lt;br /&gt;
:文学部をロックアウトした後、浅井邦二第一文学部長は記者会見で「開門前から他大学も含む革マル派約300人が門を乗り越えて構内に入った。一応退去させたが、再び乱入する場合も考えられるので、一般学生との衝突を避けるために立ち入り禁止にした」と語った。さらに学生大会については、「大学として『署名が1300で全体（4300人）の総意を反映しているとはみられない』『大会に至る過程が短期間で、内容がよくわからない』などの理由から、「学生大会」として認められないとの見解を明らかにした。（1972年11月28日付毎日新聞夕刊より）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-NkhGM3llTmQyY1U/view?usp=sharing 暫定規約　 11. 28一文学生大会で決定のもの]&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>1972年11月24日（金）文学部28日、政経学部30日、学大の日程決まる</title>
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				<updated>2017-04-12T02:44:47Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721119: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:本部で全学集会が開かれ「「革マル糾弾」「11.17告示の白紙撤回」「村井総長は全学団交に出席し責任を明らかにせよ」などを決議し、午後には記者会見で「文学部では28日、政経学部では30日に学生大会を開き、革マル執行部をリコールする」と発表した。文学部では革マルによる「処分撤回、弾圧粉砕」の集会が開かれており、本部から帰った文学部クラ討連のメンバーと小競り合いになった。その後、本部からの応援部隊と革マルとの間に揉み合いが繰り返され、最後はゴボウ抜きで革マルは学外に押し出された。また、この日は法学部で学生大会が開かれ、「革マル追放」を決議した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::正午すぎ　本部図書館前に各学部の学生500人が集まり全学部連絡会議主催の集会が行われ「11.24アピール」（「革マル糾弾」「11.17告示の白紙撤回」「全学団交を要求」）を決議する。&lt;br /&gt;
::◎法学部で学生大会が開催されるが、下記の革マル派との対峙で中止となる。&lt;br /&gt;
::◎文学部ではクラ討連を中心とする学生2000人と革マルとの実力対峙が発生する。混乱の最中、2J級友の一人がたまりかねて田中敏夫を殴打する。田中は病院で受診後帰宅するも、その後再来院して自ら入院を求めた。これについて革マル派は、頭部のケガと恣意的な重体説を流布した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【田中前委員長負傷の真相】'''&lt;br /&gt;
:文学部での混乱の最中に、革マルの田中敏夫前委員長がケガをして東京女子医大病院へ入院するという事態が起こった。「この衝突で田中委員長が負傷、東京女子医大病院で治療を受けた。同病院の話によると、田中委員長はいったん帰宅したが、午後8時50分『頭が痛い』とふたたび来院、検査したところ後頭部を打った模様なので同夜は入院した」（1972年11月25日付毎日新聞）」。さらに翌25日には新宿・三福会館で記者会見を開き「田中敏夫早大自治会委員長の24日の負傷は、暴力否定といっている民青系学生の反暴力が政治的なものであることを示すもので、今後民青系に対して自己批判を要求、抗議を続ける。暴力による解決はできないという認識はあり、基本的には一般学生との話合いを前提としているが、一部のセクトが規約を無視して学生大会を開こうとする以上は、対決する」（1972年11月26日付朝日新聞）&lt;br /&gt;
:こうした革マルの情報操作に対し、12月に入り2J11.8行動委員会から経緯を明らかにした「『田中君負傷事件』について」と題したビラが出された。&lt;br /&gt;
:「去る11月24日、文学部中庭では、他大学の学生を導入したカクマル※派の集会が持たれていました。そのカクマル派を同じ時中庭集会を持っていた学生が排除するときに生じた混乱で、田中元委員長を殴ったのは、2J11.8行動委のメンバーS君でした。S君は、川口君と特に親しかった友人であり、川口君が虐殺されたことに対し、またカクマル派の「自己批判」たるものが川口君の「スパイ行為」たるものの論拠を次々にすりかえていること、事実の一切を「権力との緊張関係」という理由のもとに隠蔽し続けることに対し、腹の底より怒っていたのです。&lt;br /&gt;
:24日の夕刻、中庭階段付近で早大カクマル派の責任者、田中元委員長を見つけたS君は「おまえらはそれでも自己反省しているのか」と言って田中元委員長に近づき、「殴らせろ！」と直接田中元委員長に言いました。そしてS君は田中元委員長のメガネをカクマル派幹部Ｍ氏に渡し、「殴るぞ！」といい、うなずいた田中元委員長のあごにアッパーを一発さく裂させたのです。田中元委員長は腰を浮かし、ひざからその場にくずれたのであります。そしてその後救急車が来るまでも田中元委員長は、平常通りの会話をしていました。しかるにその後、カクマル派の情宣ビラでは、田中元委員長の頭蓋骨骨折を大きく報道したため、S君は「頭を打ったはずはない」と確信を持ちながらも女子医大に見舞に行きました。詳しく症状を知ろうとしたけれども、田中元委員長との面会を断られ、そのまま帰らざるをえませんでした。そして後日、S君が彼個人の怒り、固い決意の下、田中元委員長を負傷させた事実を明らかにするため、警察に行ってもよいと申し出たところ、カクマル派幹部氏は、数回にわたり「自首だけはしないでくれ」とS君に念を押したのです。&lt;br /&gt;
:しかし、カクマル派は、その後2J11.8行動委への中傷を繰り返し、それを政治的に利用して、一文学生の総意で勝ちとられた私たちの学生大会及び臨執を無効にせんとしています。2J11.8行動委員会は、以上のＳ君の自ら語った『田中元委員長負傷事件』の真相を学友の前に明らかにします。&lt;br /&gt;
:（中略）&lt;br /&gt;
:S君の行動は、11.8川口君虐殺に対する怒りから発したものであり、カクマル派ひとりひとりが自分の言葉で虐殺に対する自己批判をすることがすべての前提であることを再確認しようではありませんか。私たちは、今までの運動の原点に戻り、虐殺に対する怒りを、更に深め、組織化していかなければならないことを、再度全学友に呼びかけるものです。（72.12.4）」&lt;br /&gt;
:※「革マル」を「カクマル」と」表記するのは中核派に限られたことではなく、当時では一般的であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【新聞の見た早稲田】'''&lt;br /&gt;
:1972年11月25日付の朝日新聞に「新しい自治会像どう見つける。革マル派糾弾だけでは実らぬ」という中見出しで解説が載った。&lt;br /&gt;
:「リンチ殺人事件をきっかけに始まった早大の自治会改革運動は全学に広がっている。しかし、望まれる自治会の具体的イメージについては、各学部で運動を進めている学生の間で必ずしも明確にとらえられているわけではなく、革マル派執行部がリコール運動に応じようとしないことも含めて、新たな自治会“創造”の前途にはまだ難しさが見られるようだ。&lt;br /&gt;
:現在、文学部では革マル派執行部のリコール運動を続けているクラス討論連絡会議などのリーダーは、これまでの文学部自治会の状況を「革マル派による武力制圧」としてとらえている。しかし、革マル派に対する警戒心が、一方で他セクトによる介入を極度に警戒する態度をも生み、新しい自治会の展望も「自治会とは何か、から出発する」といったところにとどまっている。&lt;br /&gt;
:こうした傾向は、民青系、革マル系がそれぞれ執行部を持つ“二重構造”の政経、教育、社会科学などの学部でも根強くみられ、22日の政経学部集会でも「革マル派執行部の存在を認めない」に並んで「民青系執行部も直ちに解散せよ」が決議された。&lt;br /&gt;
:政経、教育両学部と第一文学部は、27日以降30日までにそれぞれ学生大会を開き、執行部の“一元化”を進めることになっているが、学生大会で何をどうするのかといった点になると、とたんに焦点がぼやけてくる。&lt;br /&gt;
:各学部でこれまで行われたクラス討論の中では、自治会無用論から三役公選論などまで立場の違いからくる意見が次々に出され、集約がむずかしいという声も聞かれる。自治会運動を「暴力のない」とか「われわれ自身の」とか抽象的な言葉で論じているのが現段階で、具体的な運動方針が出せるかどうかは学生大会までの議論の深まり具合だといえる。&lt;br /&gt;
:一方、こうした動きに対して革マル派は「現在のリコール運動は自治会規約と手続きを無視している」「民青系など他セクトの乗取り策である」とし、連日集会を開いて巻返しに転じてきた。&lt;br /&gt;
:その巻返しは、いまのところ、たいした効果をあげているとはみえない。しかし、一つのセクトに偏らない新しい自治会の形成は、革マル派執行部の糾弾だけでなく、進んで自治会の正常なあり方や、どういう活動をしてゆくのかという具体的なイメージを打出せるかどうかにかかっているといえる。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-VlB1andqNjBwU0k/view?usp=sharing 学生大会開催･リコール運動推進に向けて！（馬場確約書） クラス討論連絡会議]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-VGdtSzRodjVudlU/view?usp=sharing すべての闘う学友は行動委へ結集せよ！　仏文行動委 表面]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/0B2a-TK72_cq-SWNVRDREa25pVWM/view?usp=sharing すべての闘う学友は行動委へ結集せよ！　仏文行動委 裏面]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721119</name></author>	</entry>

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