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		<title>19721108 - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<updated>2026-05-15T09:42:04Z</updated>
		<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
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		<title>1972年11月</title>
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				<updated>2025-06-26T03:06:20Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[1972年11月8日（水）一文2J川口大三郎君が自治会室に拉致される]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月9日（木）東大病院構内で川口君の遺体発見]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月10日（金）村井資長総長、川口君の通夜に5分間出席]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月11日（土）川口君葬儀。本部でリンチ殺人糾弾集会]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月13日（月）徹夜の糾弾集会]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月14日（火）機動隊によって革マル救出。クラス討論連絡会議発足]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月15日（水）大隈銅像前で3回目の糾弾集会。再び機動隊導入]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月16日（木）一文「クラス討論連絡会議」主催の学生集会]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月17日（金）川口君追悼学生葬に4000人]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月18日（土）文学部181教室で糾弾集会。馬場前委員長等が確約書に署名]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月20日（月）一文で授業再開。10日ぶりに革マルがデモ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月21日（火）一文学部長等9名が辞任。村井総長が弔慰金のカンパを募る]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月22日（水）政経学部で400人が学生集会]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月24日（金）文学部28日、政経学部30日、学大の日程決まる]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月25日（土）革マル派が一・二文クラ討連リーダーに自己批判要求]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月27日（月）一文学大前夜、当局・革マルの妨害]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月28日（火）当局・革マルの妨害を跳ね除け、一文・社学学生大会成立]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月29日（水）教育学部学生大会成立]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月30日（木）政経学部学生大会成立]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

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		<title>1972年11月30日（木）政経学部学生大会成立</title>
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				<updated>2025-06-26T03:03:39Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: Ad19721114 がページ「1972年11月30日（木）政経学部生大会成立」を「1972年11月30日（木）政経学部学生大会成立」に移動しました&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:大学当局はロックアウトを解除したが、教職員による検問を実施。学生に学生証の提示を求めた。正門前には機動隊の特殊車両が並び200人が待機した。午後3時から10号館で開かれた政経学部学生大会では、革マル系、民青系両執行部を否認し、新たに26人の暫定執行部を選出した。2時間遅れで午後8時からの二文学生大会も定足数に達し、臨執を選出して深夜に散会した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::◎大学当局はロックアウト解除の新聞広告を掲載。チラシを配布して検問体制となるが、他大学生の革マルも構内出入りは自由だった。&lt;br /&gt;
::◎政治経済学部学生大会が10号館109大教室で行われ、クラ討連議案書を賛成1660（総数2,071）で採択。26名の暫定執行部を選出した。&lt;br /&gt;
::◎川口サトさんが政経学大を防衛する学生に「学園の自由を」と訴えた。&lt;br /&gt;
::■革マルが2J級友2名に暴行を加えた。&lt;br /&gt;
::17:00　一・二文連合臨時教授会・教員会で小山宙丸教授を中心に「学生自治会問題検討委員会」が発足。&lt;br /&gt;
::20:00　第二文学部学生大会は667名（定足数300）が出席して開催される。臨執を選出し、革マル派執行部をリコール確認した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【当局の新聞広告】'''&lt;br /&gt;
:「早稲田大学の学生諸君へ&lt;br /&gt;
:本日は、平常通り授業を行ないます。&lt;br /&gt;
:ただし、学外者の立入りを禁止しますので、本部および文学部の構内に&lt;br /&gt;
:入る際は、学生証の提示を求めますから、学生証を必ず持参して下さい。&lt;br /&gt;
:なお、本部構内への出入りは正門のみとします。&lt;br /&gt;
:昭和47年11月30日　早稲田大学」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【当局の配ったチラシ】'''&lt;br /&gt;
:「本日は平常通り授業を行ないますが、ここ一両日の状態からみて、学外者の&lt;br /&gt;
:構内における行動が目立っています。本30日（木）もなお混乱が予想されます&lt;br /&gt;
:ので、一時、特に許可された者以外の学外者の入構を禁止します。&lt;br /&gt;
:本大学学生諸君は本部および文学部の構内に入る際、学生証の提示を求めます&lt;br /&gt;
:ので協力して下さい。&lt;br /&gt;
:なお、本部構内への出入りは正門のみとします。&lt;br /&gt;
::昭和47年11月30日　早稲田大学」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

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		<title>1972年11月30日（木）政経学部生大会成立</title>
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				<updated>2025-06-26T03:03:39Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: Ad19721114 がページ「1972年11月30日（木）政経学部生大会成立」を「1972年11月30日（木）政経学部学生大会成立」に移動しました&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;#転送 [[1972年11月30日（木）政経学部学生大会成立]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

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		<title>川口君とJ組のこと 第一文学部2年J組 M・W</title>
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				<updated>2025-05-09T02:48:56Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:★川口君とJ組のこと&lt;br /&gt;
:都内の女子高を出た私にとって、早稲田大学に入ったことは人生初のカルチャーショックだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:入学式の日、一同が教室に会して自己紹介。やけに落ち着いた10歳年上、「高校は出ていません」と強面の大検、一浪は当たり前、二浪、三浪、他大学の中退も数人いた。すでに世間の波にもまれ、いっぱしの面構えである。そんな中で、嬉しいような困ったような顔をしているのは現役組で、いかにも新入生という感じだった。その種々雑多な人の集まりと、教室の机に並べられた誕生会のようなショートケーキとコーラ（だったと人は言うのだが…）の組み合わせが、今でも違和感として残っている。あれは自治会からの差し入れだったと後から聞いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:川口君は現役組だった。伊東高校出身の同級生も一緒だった。当時はまだ男子の学生服姿が多く、クラスにも数人いた。最初の頃は、川口君も制服姿だったように思う。そのうち、Gパンに下駄もしくはスニーカー（当時はズック？）でやってくるようになった。授業の始まっている教室に下駄音高く入ってきたのを教師に咎められ、さっと裸足になって、脱いだ下駄を手に教壇まで出席票をもらいに行ったのは、川口君だったかもう一人の下駄男だったか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:学費を自分で稼いでいたこともあって、川口君はいつもバイトで忙しそうだった。ただクラス討論の時にはいて、率直な意見を言った。クラス委員選挙の時に自治会派の立候補者に「×」を付けたエピソードは、多くのクラスメートが記憶している。とくに狭山裁判には関心が深く、Jの仲間と切ったビラをクラスで配っていた。別のルートで狭山裁判の支援をしている同級生と議論をしたり、クラスに呼びかけて、有志と東京高裁まで出かけていったりもした。社会問題に関心がある正義漢という印象だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Jというクラスについて言えば、真面目に授業にだけ出て帰る勉強組と、授業も出るけれどお茶ぐらいなら付き合う中間派、代返頼りのサボリ組といった具合の約60人。年齢的には一浪、二浪が多く、男女では女子が12人と少なかった。自分のことに話を戻せば、世間知らず丸出しで「狭山事件って何？」と思いながらも、熱心に語る川口君や同級生の話を聞くうちに、部落差別がごく身近な問題であったことを知り、無関心で過ごしてきたことを恥ずかしく思った。これまで読んでいた本など本のうちに入らないということが何よりの驚きで、追いつきたい一心で高橋和巳の『わが解体』を読んだりもした。授業は退屈、ちっとも頭に入らない。女子高出の学力では歯が立たないと諦め半分、すっかり勉強への興味がなくなり、中間派からたちまちのうちにサボリ組へ転向した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:クラスにはすでに高校時代に学生運動を経験した人もいたし、「あいつは民青だ」と言われている人もいたが、クラス討論で多少議論にはなっても、意見が一致すれば狭山裁判の集会へ一緒に行くような、平穏なクラスだった。自治会からのオルグが来た時も、党派への敵対というよりは、論点を巡っての議論になったように思う。川口君の他にもはっきり意見を述べる人間は何人かいたが、運動家というほどのことはなく、狭山裁判にしろ、基地闘争にしろ、当時の社会問題にきちんと向き合っていくべきだという人間が多かった。逆に党派色を伺わせる人間は、よほどのことがないと口を開かなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1年の冬休みには、本庄の宿泊所で合宿をした。一応のテーマは学費値上げ反対闘争。勉強組は来なかったけれど、中間派とサボリ組が10数人集まって、よく話し、よく飲んだ。川口君も合宿に参加して、大いに語り、飲んでいた。色白の川口君は今で言えば歌舞伎顔。お酒が入ると目の縁が赤くなり「お前なぁ」と声も大きくなる。女の子に話す時は真っ赤になるくせに、男同士だと威勢がよかった。男女混合の気安さもあって、合宿の時は川口君との言葉のやり取りも多かった。この時だったか、資金集めの相談をしたのは。Jは、2年続けて入試の時に合否電報をみんなでやって、けっこう活動資金を集めたのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:記憶の中に、クラスの数人と一緒に穴八幡から文学部を眺めていた風景がある。そこには川口君もいた。天気のいい暖かい日だった。授業が休講になったのだろうか、みんなのんびりしていた。川口君とN君と3人で上野の博物館へ一緒に行ったこともあった。すっかり忘れていたのだが、川口君が恐竜の骨格標本を見てたいそう喜んではしゃいでいたとN君から聞いて、少しずつ思い出した。バイトに忙しい川口君にも、そうした学生らしい時間があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:★11月8日からのJ組&lt;br /&gt;
:11月8日は、学校の近くまで行っていたけれど、一文には行かなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:翌9日、昼前にN君から「川口が革マルに拉致されて、昨日は家へ帰っていないらしい」という電話があった。正午を待ってNHKのニュースを見ると、画面に川口君の顔写真が出て「東大構内でパジャマ姿の男性の死体が発見され、早稲田大学在学の川口大三郎君であることが確認された」と報じられた。すでに昼過ぎに革マル幹部が記者会見を開き「川口君は中核派スパイだった」と発表していたことは、学校に着いてから知った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:2時からの授業は杉本先生の中国語だったが、先生の許可を得て、授業はクラス討論へと変わった。「川口は中核じゃなかった！」「なぜだ？」「どうすればいい？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:8日の午後、中庭で拉致の現場を目撃したクラスメートがいた。自治会室まで行って川口君を連れ戻そうとして、革マルに追い返されたうえに殴られたクラスメートもいた。事実関係を明らかにしようと話し合っていたその最中に、「話を聞いてほしい」と革マル数人がやってきた。「お前達の話など聞く必要はない」「いや、聞いてくれ」「帰れ!」と、教室の入口で押し問答となったが、革マルは強引に入ろうとはせず、そのまま引き下がった。Jの一人として川口君が狙われたなら、他のメンバーも危ないのではないかという意見も出て、夕刻、教室から集団で下校し、新宿の喫茶店で引き続き話し合いをした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:翌日10日からは、クラスメートの知人の家を借りて、学校へはレポを送り、ビラを切り、高田馬場での情宣活動を始めた。10日には川口君の通夜、11日には告別式が行われたので、参列組と留守番組に分かれ、留守番組は学生葬に向けての追悼文の原案を書いた。このアジトのおかげでJの活動ができた。レポセンにもなり、会議もでき、ビラも切れた。学内ではどこも安全が保障されていなかったし、最初の3日間をJが無事に乗り切れたのは、このアジトがあったからだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:最初のビラはB5判で「川口を返せ！」の見出しと、「川口君は中核派ではなかった！」と、スパイの汚名を晴らし、自治会革マル派を糾弾する内容だった。週明けの13日午前中、高田馬場でビラ撒きをした。11日に本部で一文自治会の田中委員長の糾弾集会があったが、まだ一文構内で「２J」の署名入りのビラを単独で配るには危険が多かった。喫茶店を連絡先に、本部と一文の革マルの動きをレポしながら短時間で撒いた。時系列資料によれば、同じ13日に、一文と教育の有志が革マル派糾弾集会結集への呼び掛けのビラを配ったとある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:何がJを突き動かしていたかと言えば、それは怒りだった。クラスメートを殺されたことそれ自体よりも、川口君に「中核派」というレッテルを貼ったことに対して怒っていた。教育の15号館、政経の4号館と、一文の拠点が移るのと一緒にJも移動したが、勉強組の女子が一文の革マルの動きを見に行ってくれたこともあり、何らかの形で協力してくれる人も多かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:協力といえば、父兄の一人が数カ月にわたってJと行動を共にしていた。元新聞記者で、16日にJの有志が私学会館で行った記者会見を設定したのもその人だった。ネタになりそうな匂いをかぎつけたのか、単に娘の身を案じていただけなのか、今もってわからないが、当時は「話のわかる大人」として周囲にも受け入れられていた。この記者会見には10人近いクラスメートが出て「川口君が中核派でないこと」「革マル派糾弾」を訴えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Jが言いたかったのは、川口君が中核派ではなかったこと、そして、それを口実に拉致監禁そして殺害した革マル派にその罪を認めさせることだった。稚拙な言い方をすれば、「悪いことをしたと認め、きちんと謝れ」ただそれだけだった。毎日がめまぐるしく変化し、これまで話したこともない人たちと一緒に議論し、行動し、隊列を組んで文学部へ入ろうとして門扉に阻まれ、革マルに押し返された。気がつけば、臨時執行部選出、自治委員選と、「自治会再建」へと大きく運動の舵が切られていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:★1973年〜現在&lt;br /&gt;
:40年経って、クーデルカの写真展でプラハに侵攻したソ連軍の戦車の前に座り込む市民の写真を見た。圧倒的な戦力の前に肉体はあまりに無力なのだが、人々の顔には静かに迫る怒りと深い悲しみがある。その写真を見て、本部で開かれた徹夜集会を思い出した。壇上で沈黙し続ける革マルへ対する怒り。どんな問いかけに対しても無言を通し続けるその背景にある組織力。どんな理論が、人をして他者を死に至らしめるほどの力を持つのか、行動を正当化する方便を生み出すのか。その理不尽さへ対する怒りは今なおある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:その後のことは、時系列の整理の際に明らかになっていた通りである。とはいっても、私自身は、翌73年の4月までしか参加していない。連日の終電帰りと外泊で、預けられていた親戚との間で揉め、家出同然に飛び出し、付き合っていた同級生の家へ転がり込んだ。仕送りを止められ、アルバイトの掛け持ち暮らしとなった。学校のことも考えられず、財布の中の小銭を数える毎日だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:学校に戻ったのは、1年後の74年４月。JのF君が「もう大丈夫だから戻ってこい」と、バイト先まで来てくれたのがきっかけとなった。すでに押しかけ同棲は破綻し、父に頭を下げて仕送りを再開してもらってはいたが、先のことは何も考えていなかった。ただ、その年の年賀状にあった「せっかく入った大学なのだから卒業だけはするように」という伯父の一言に動いた心があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:１年ぶりにスロープを上るのは怖かった。初日はF君が待っていてくれて、一緒に行った記憶がある。革マルの検問で「お前何しに来た」と絡まれたのを、「うるさい、授業に来たののどこが悪い。通せ」と言い返してくれた。当然のように一般教養の単位は足りず、１年がかりでようやく専攻へ上がったが成績不良で希望の日本史へは行けず、人文と文芸の二者択一となり文芸へ行った。実のところ、この学校へ戻ってからの日々は一番苦しかった。川口君の死によって盛り上がった運動は跡形もなく、革マルが何事もなかったように跋扈している。ゼミの同級は、入学式の時に情宣に入った行動委のメンバーに「帰れ！」を連呼した、まるっきりルーツの違う人種。すでにJの同級生たちは卒業していて、行動委系の顔見知りもまったく見かけない。唯一の救いは、一文前の喫茶店「あかね」に行けば他学部の顔見知りやJの留年組に会えたことだった。何を話したということはなかったけれど、かつて仲間だったというある種の安心感があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:40年経って一文で11.8の会を持つようになって思うのは、当時、私たちは「何をしたかったのか」「振り上げた手をどこへ打ち下ろそうとしていたのか」ということ。革マル派に、そして大学当局に運動を阻止され、散り散りになってなお、その手を振り上げたまま生きてきたのではなかったか。会の今後を話し合う時もまだ、振り上げた手の行く先が見えていない、そんな気がしてならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:自分史的な観点から言えば、73年春から極めて個人的な理由で戦線を離脱したことを悔いている。川口君に対して、虐殺糾弾の闘争を最後まで全うできなかったことを申し訳なく思っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:そしてもう一つ、ずっと考えていることがある。私たちは入学以来、立て看の並ぶスロープを上り、ビラを手に押しつけられ、トラメガの演説（？）を聞かされ、「全学連」と書かれたヘルメット姿を毎日見ているうちに「これが大学なんだ」といつの間にか思うようになった。そして、日常化したその風景の中に川口君の命を失った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:もし、自分が拉致の現場にいたらどうしていたか。川口君を取り戻そうと、必死になってあらゆる努力をしただろうか。それだけの危機感を持っていただろうか。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

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		<title>川口君とJ組のこと 第一文学部2年J組 M・W</title>
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				<updated>2025-05-09T02:48:21Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:★川口君とJ組のこと&lt;br /&gt;
:都内の女子高を出た私にとって、早稲田大学に入ったことは人生初のカルチャーショックだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:入学式の日、一同が教室に会して自己紹介。やけに落ち着いた10歳年上、「高校は出ていません」と強面の大検、一浪は当たり前、二浪、三浪、他大学の中退も数人いた。すでに世間の波にもまれ、いっぱしの面構えである。そんな中で、嬉しいような困ったような顔をしているのは現役組で、いかにも新入生という感じだった。その種々雑多な人の集まりと、教室の机に並べられた誕生会のようなショートケーキとコーラ（だったと人は言うのだが…）の組み合わせが、今でも違和感として残っている。あれは自治会からの差し入れだったと後から聞いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:川口君は現役組だった。伊東高校出身の同級生も一緒だった。当時はまだ男子の学生服姿が多く、クラスにも数人いた。最初の頃は、川口君も制服姿だったように思う。そのうち、Gパンに下駄もしくはスニーカー（当時はズック？）でやってくるようになった。授業の始まっている教室に下駄音高く入ってきたのを教師に咎められ、さっと裸足になって、脱いだ下駄を手に教壇まで出席票をもらいに行ったのは、川口君だったかもう一人の下駄男だったか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:学費を自分で稼いでいたこともあって、川口君はいつもバイトで忙しそうだった。ただクラス討論の時にはいて、率直な意見を言った。クラス委員選挙の時に自治会派の立候補者に「×」を付けたエピソードは、多くのクラスメートが記憶している。とくに狭山裁判には関心が深く、Jの仲間と切ったビラをクラスで配っていた。別のルートで狭山裁判の支援をしている同級生と議論をしたり、クラスに呼びかけて、有志と東京高裁まで出かけていったりもした。社会問題に関心がある正義漢という印象だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Jというクラスについて言えば、真面目に授業にだけ出て帰る勉強組と、授業も出るけれどお茶ぐらいなら付き合う中間派、代返頼りのサボリ組といった具合の約60人。年齢的には一浪、二浪が多く、男女では女子が12人と少なかった。自分のことに話を戻せば、世間知らず丸出しで「狭山事件って何？」と思いながらも、熱心に語る川口君や同級生の話を聞くうちに、部落差別がごく身近な問題であったことを知り、無関心で過ごしてきたことを恥ずかしく思った。これまで読んでいた本など本のうちに入らないということが何よりの驚きで、追いつきたい一心で高橋和巳の『わが解体』を読んだりもした。授業は退屈、ちっとも頭に入らない。女子高出の学力では歯が立たないと諦め半分、すっかり勉強への興味がなくなり、中間派からたちまちのうちにサボリ組へ転向した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:クラスにはすでに高校時代に学生運動を経験した人もいたし、「あいつは民青だ」と言われている人もいたが、クラス討論で多少議論にはなっても、意見が一致すれば狭山裁判の集会へ一緒に行くような、平穏なクラスだった。自治会からのオルグが来た時も、党派への敵対というよりは、論点を巡っての議論になったように思う。川口君の他にもはっきり意見を述べる人間は何人かいたが、運動家というほどのことはなく、狭山裁判にしろ、基地闘争にしろ、当時の社会問題にきちんと向き合っていくべきだという人間が多かった。逆に党派色を伺わせる人間は、よほどのことがないと口を開かなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1年の冬休みには、本庄の宿泊所で合宿をした。一応のテーマは学費値上げ反対闘争。勉強組は来なかったけれど、中間派とサボリ組が10数人集まって、よく話し、よく飲んだ。川口君も合宿に参加して、大いに語り、飲んでいた。色白の川口君は今で言えば歌舞伎顔。お酒が入ると目の縁が赤くなり「お前なぁ」と声も大きくなる。女の子に話す時は真っ赤になるくせに、男同士だと威勢がよかった。男女混合の気安さもあって、合宿の時は川口君との言葉のやり取りも多かった。この時だったか、資金集めの相談をしたのは。Jは、2年続けて入試の時に合否電報をみんなでやって、けっこう活動資金を集めたのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:記憶の中に、クラスの数人と一緒に穴八幡から文学部を眺めていた風景がある。そこには川口君もいた。天気のいい暖かい日だった。授業が休講になったのだろうか、みんなのんびりしていた。川口君とN君と3人で上野の博物館へ一緒に行ったこともあった。すっかり忘れていたのだが、川口君が恐竜の骨格標本を見てたいそう喜んではしゃいでいたとN君から聞いて、少しずつ思い出した。バイトに忙しい川口君にも、そうした学生らしい時間があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:★11月8日からのJ組&lt;br /&gt;
:11月8日は、学校の近くまで行っていたけれど、一文には行かなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:翌9日、昼前にN君から「川口が革マルに拉致されて、昨日は家へ帰っていないらしい」という電話があった。正午を待ってNHKのニュースを見ると、画面に川口君の顔写真が出て「東大構内でパジャマ姿の男性の死体が発見され、早稲田大学在学の川口大三郎君であることが確認された」と報じられた。すでに昼過ぎに革マル幹部が記者会見を開き「川口君は中核派スパイだった」と発表していたことは、学校に着いてから知った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:2時からの授業は杉本先生の中国語だったが、先生の許可を得て、授業はクラス討論へと変わった。「川口は中核じゃなかった！」「なぜだ？」「どうすればいい？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:8日の午後、中庭で拉致の現場を目撃したクラスメートがいた。自治会室まで行って川口君を連れ戻そうとして、革マルに追い返されたうえに殴られたクラスメートもいた。事実関係を明らかにしようと話し合っていたその最中に、「話を聞いてほしい」と革マル数人がやってきた。「お前達の話など聞く必要はない」「いや、聞いてくれ」「帰れ!」と、教室の入口で押し問答となったが、革マルは強引に入ろうとはせず、そのまま引き下がった。Jの一人として川口君が狙われたなら、他のメンバーも危ないのではないかという意見も出て、夕刻、教室から集団で下校し、新宿の喫茶店で引き続き話し合いをした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:翌日10日からは、クラスメートの知人の家を借りて、学校へはレポを送り、ビラを切り、高田馬場での情宣活動を始めた。10日には川口君の通夜、11日には告別式が行われたので、参列組と留守番組に分かれ、留守番組は学生葬に向けての追悼文の原案を書いた。このアジトのおかげでJの活動ができた。レポセンにもなり、会議もでき、ビラも切れた。学内ではどこも安全が保障されていなかったし、最初の3日間をJが無事に乗り切れたのは、このアジトがあったからだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:最初のビラはB5判で「川口を返せ！」の見出しと、「川口君は中核派ではなかった！」と、スパイの汚名を晴らし、自治会革マル派を糾弾する内容だった。週明けの13日午前中、高田馬場でビラ撒きをした。11日に本部で一文自治会の田中委員長の糾弾集会があったが、まだ一文構内で「２J」の署名入りのビラを単独で配るには危険が多かった。喫茶店を連絡先に、本部と一文の革マルの動きをレポしながら短時間で撒いた。時系列資料によれば、同じ13日に、一文と教育の有志が革マル派糾弾集会結集への呼び掛けのビラを配ったとある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:何がJを突き動かしていたかと言えば、それは怒りだった。クラスメートを殺されたことそれ自体よりも、川口君に「中核派」というレッテルを貼ったことに対して怒っていた。教育の15号館、政経の4号館と、一文の拠点が移るのと一緒にJも移動したが、勉強組の女子が一文の革マルの動きを見に行ってくれたこともあり、何らかの形で協力してくれる人も多かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:協力といえば、父兄の一人が数カ月にわたってJと行動を共にしていた。元新聞記者で、16日にJの有志が私学会館で行った記者会見を設定したのもその人だった。ネタになりそうな匂いをかぎつけたのか、単に娘の身を案じていただけなのか、今もってわからないが、当時は「話のわかる大人」として周囲にも受け入れられていた。この記者会見には10人近いクラスメートが出て「川口君が中核派でないこと」「革マル派糾弾」を訴えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Jが言いたかったのは、川口君が中核派ではなかったこと、そして、それを口実に拉致監禁そして殺害した革マル派にその罪を認めさせることだった。稚拙な言い方をすれば、「悪いことをしたと認め、きちんと謝れ」ただそれだけだった。毎日がめまぐるしく変化し、これまで話したこともない人たちと一緒に議論し、行動し、隊列を組んで文学部へ入ろうとして門扉に阻まれ、革マルに押し返された。気がつけば、臨時執行部選出、自治委員選と、「自治会再建」へと大きく運動の舵が切られていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:★1973年~現在&lt;br /&gt;
:40年経って、クーデルカの写真展でプラハに侵攻したソ連軍の戦車の前に座り込む市民の写真を見た。圧倒的な戦力の前に肉体はあまりに無力なのだが、人々の顔には静かに迫る怒りと深い悲しみがある。その写真を見て、本部で開かれた徹夜集会を思い出した。壇上で沈黙し続ける革マルへ対する怒り。どんな問いかけに対しても無言を通し続けるその背景にある組織力。どんな理論が、人をして他者を死に至らしめるほどの力を持つのか、行動を正当化する方便を生み出すのか。その理不尽さへ対する怒りは今なおある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:その後のことは、時系列の整理の際に明らかになっていた通りである。とはいっても、私自身は、翌73年の4月までしか参加していない。連日の終電帰りと外泊で、預けられていた親戚との間で揉め、家出同然に飛び出し、付き合っていた同級生の家へ転がり込んだ。仕送りを止められ、アルバイトの掛け持ち暮らしとなった。学校のことも考えられず、財布の中の小銭を数える毎日だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:学校に戻ったのは、1年後の74年４月。JのF君が「もう大丈夫だから戻ってこい」と、バイト先まで来てくれたのがきっかけとなった。すでに押しかけ同棲は破綻し、父に頭を下げて仕送りを再開してもらってはいたが、先のことは何も考えていなかった。ただ、その年の年賀状にあった「せっかく入った大学なのだから卒業だけはするように」という伯父の一言に動いた心があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:１年ぶりにスロープを上るのは怖かった。初日はF君が待っていてくれて、一緒に行った記憶がある。革マルの検問で「お前何しに来た」と絡まれたのを、「うるさい、授業に来たののどこが悪い。通せ」と言い返してくれた。当然のように一般教養の単位は足りず、１年がかりでようやく専攻へ上がったが成績不良で希望の日本史へは行けず、人文と文芸の二者択一となり文芸へ行った。実のところ、この学校へ戻ってからの日々は一番苦しかった。川口君の死によって盛り上がった運動は跡形もなく、革マルが何事もなかったように跋扈している。ゼミの同級は、入学式の時に情宣に入った行動委のメンバーに「帰れ！」を連呼した、まるっきりルーツの違う人種。すでにJの同級生たちは卒業していて、行動委系の顔見知りもまったく見かけない。唯一の救いは、一文前の喫茶店「あかね」に行けば他学部の顔見知りやJの留年組に会えたことだった。何を話したということはなかったけれど、かつて仲間だったというある種の安心感があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:40年経って一文で11.8の会を持つようになって思うのは、当時、私たちは「何をしたかったのか」「振り上げた手をどこへ打ち下ろそうとしていたのか」ということ。革マル派に、そして大学当局に運動を阻止され、散り散りになってなお、その手を振り上げたまま生きてきたのではなかったか。会の今後を話し合う時もまだ、振り上げた手の行く先が見えていない、そんな気がしてならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:自分史的な観点から言えば、73年春から極めて個人的な理由で戦線を離脱したことを悔いている。川口君に対して、虐殺糾弾の闘争を最後まで全うできなかったことを申し訳なく思っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:そしてもう一つ、ずっと考えていることがある。私たちは入学以来、立て看の並ぶスロープを上り、ビラを手に押しつけられ、トラメガの演説（？）を聞かされ、「全学連」と書かれたヘルメット姿を毎日見ているうちに「これが大学なんだ」といつの間にか思うようになった。そして、日常化したその風景の中に川口君の命を失った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:もし、自分が拉致の現場にいたらどうしていたか。川口君を取り戻そうと、必死になってあらゆる努力をしただろうか。それだけの危機感を持っていただろうか。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B411%E6%9C%8811%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%90%9B%E8%91%AC%E5%84%80%E3%80%82%E6%9C%AC%E9%83%A8%E3%81%A7%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%81%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E7%B3%BE%E5%BC%BE%E9%9B%86%E4%BC%9A&amp;diff=916</id>
		<title>1972年11月11日（土）川口君葬儀。本部でリンチ殺人糾弾集会</title>
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				<updated>2022-03-30T05:00:16Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:川口君の葬儀（密葬）が行われた。革マルは記者会見で馬場素明委員長の辞任を発表。昼前には本部大隈銅像前に「11.8に関する声明」と大書した立て看を出し、「スパイ行為に対する原則的な自己批判の闘い」と自己を正当化するアジ演説を繰り返した。これに気づいた民青と一般学生が革マルを取り囲み、その討論の輪が広がって「リンチ殺人糾弾集会」へと発展。2000人の学生が見守るなか、田中敏夫全学中央自治会委員長を仮設の演壇に上げ、4項目の確認書への署名を要求したが田中委員長は拒否。午後8時、集会は解散した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:: 9:00　葬儀が行われ、浅井一文学部長と学生生活課長とが出席する。&lt;br /&gt;
::11:30　ヘルメット姿の革マル10数名がベニヤ板20枚に大書した「11.8事件に関する声明」を据付ける。マイクで看板の内容と同じアジ演説を行う革マル派を一般学生が囲み、あちこちに討論の輪ができる。&lt;br /&gt;
::15:00　2000人に膨れあがった学生は仮設の演壇を作り田中敏夫全中自委員長を囲んで”リンチ殺人糾弾集会”となる。「4項目の確認書」が出されたが、田中は署名を拒否した。&lt;br /&gt;
::15:50　当局は以降の授業を休講とし、マイクで「早期解散」を呼びかけ17:00以降をロックアウトに。&lt;br /&gt;
::18:00　革マルは「権力との緊張」を理由に第一学生学館に逃げ込み、学生は学館を取り巻いたが午後8時頃には解散した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マルの声明文】'''&lt;br /&gt;
:「この過程（注・戦車阻止総決起集会）において、われわれは、中核派学生、川口大三郎君の文学部構内でのスパイ活動を摘発した。『反革命・革マル殲滅』なるものを戦略的課題にまでまつりあげ、われわれをはじめとする全学連への敵対的行為のみを自己目的化し、それを終始一貫してとりつづけてきた中核派のスパイ活動を川口君は担っていたのだからである。それゆえ、われわれは当然にも誠実な自己批判を川口君に要求した。その結果、彼はスパイ活動の事実を認めた。したがってわれわれはさらに、彼が自己のスパイ活動の反動性を主体的に反省することを追及したのであった。この過程において、われわれの全く予期せぬ不測の事態が生じた。（中略）11.8事件という形で中核派学生の犯罪行為に対する自己批判要求の闘いにおける限界であるとはいえ、しかしかかる犯罪行為に対する原則的な自己批判の要求は全く正当であり、それだけでなく腐敗する中核派学生の一掃をめざした思想的＝組織的闘いは、我々にとって緊要性を一層増しているといわなければならない。いやこの行為に示された限界性を我々自身がのりこえ、この思想的＝組織的闘いの質的高度化させることこそが、すべての諸君に対するわれわれの真の意味での自己批判であるとかんがえる。」（早稲田キャンパス第167号）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マルの「正当性」の根拠について】'''&lt;br /&gt;
:「集会では、具体的な議事の進行に伴って、『中核派の学生なら殺してもかまわないのか！』『これからもリンチをやるのは正しいというのか！』といった一般学生の怒号や詰問が革マル派に対して浴びせられていた。われわれは当面、革マル派の川口君に対するリンチ行為そのものの『正当性』の根拠となっている事実関係を把握していない以上、客観的に川口君という個人が革マル派にとってどのような位置にいたかということは判断できないが、実際にリンチ行為によってもたらされた川口君の死という事実がある以上、革マル派には、リンチ行為を行なうに際して持っていた事実判断と正当性の基準を、あくまで大衆的に明らかにする義務があると考える。」（早稲田キャンパス第167号）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
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				<updated>2022-03-30T04:54:49Z</updated>
		
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&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:川口君の葬儀（密葬）が行われた。革マルは記者会見で馬場素明委員長の辞任を発表。昼前には本部大隈銅像前に「11.8に関する声明」と大書した立て看を出し、「スパイ行為に対する原則的な自己批判の闘い」と自己を正当化するアジ演説を繰り返した。これに気づいた民青と一般学生が革マルを取り囲み、その討論の輪が広がって「リンチ殺人糾弾集会」へと発展。2000人の学生が見守るなか、田中敏夫全学中央自治会委員長を仮設の演壇に上げ、4項目の確認書への署名を要求したが田中委員長は拒否。午後8時、集会は解散した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:: 9:00　葬儀が行われ、浅井一文学部長と学生生活課長とが出席する。&lt;br /&gt;
::11:30　ヘルメット姿の革マル10数名がベニヤ板20枚に大書した「11.8事件に関する声明」を据付ける。マイクで看板の内容と同じアジ演説を行う革マル派を一般学生が囲み、あちこちに討論の輪ができる。&lt;br /&gt;
::15:00　2000人に膨れあがった学生は仮設の演壇を作り田中敏夫全中自委員長を囲んで”リンチ殺人糾弾集会”となる。「4項目の確認書」が出されたが、田中は署名を拒否した。&lt;br /&gt;
::15:50　当局は以降の授業を休講とし、マイクで「早期解散」を呼びかけ17:00以降をロックアウトに。&lt;br /&gt;
::18:00　革マルは「権力との緊張」を理由に第一学生学館に逃げ込み、学生は学館を取り巻いたが午後8時頃には解散した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マルの声明文】'''&lt;br /&gt;
:「この過程（注・戦車阻止総決起集会）において、われわれは、中核派学生、川口大三郎君の文学部構内でのスパイ活動を摘発した。『反革命・革マル殲滅』なるものを戦略的課題にまでまつりあげ、われわれをはじめとする全学連への敵対的行為のみを自己目的化し、それを終始一貫してとりつづけてきた中核派のスパイ活動を川口君は担っていたのだからである。それゆえ、われわれは当然にも誠実な自己批判を川口君に要求した。その結果、彼はスパイ活動の事実を認めた。したがってわれわれはさらに、彼が自己のスパイ活動の反動性を主体的に反省することを追及したのであった。この過程において、われわれの全く予期せぬ不測の事態が生じた。（中略）11.8事件という形で中核派学生の犯罪行為に対する自己批判要求の闘いにおける限界であるとはいえ、しかしかかる犯罪行為に対する原則的な自己批判の要求は全く正当であり、それだけでなく腐敗する中核派学生の一掃をめざした思想的＝組織的闘いは、我々にとって緊要性を一層増しているといわなければならない。いやこの行為に示された限界性を我々自身がのりこえ、この思想的＝組織的闘いの質的高度化させることこそが、すべての諸君に対するわれわれの真の意味での自己批判であるとかんがえる。」（早稲田キャンパス第167号）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マルの「正当性」の根拠について】'''&lt;br /&gt;
:「集会では、具体的な議事の進行に伴って、『中核派の学生なら殺してもかまわないのか！』『これからもリンチをやるのは正しいというのか！』といった一般学生の怒号や詰問が革マル派に対して浴びせれられていた。われわれは当面、革マル派の川口君に対するリンチ行為そのものの『正当性』の根拠となっている事実関係を把握していない以上、客観的に川口君という個人が革マル派にとってどのような位置にいたかということは判断できないが、実際にリンチ行為によってもたらされた川口君の死という事実がある以上、革マル派には、リンチ行為を行なうに際して持っていた事実判断と正当性の基準を、あくまで大衆的に明らかにする義務があると考える。」（早稲田キャンパス第167号）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

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		<title>「川口君のくやしさ、苦痛を私たち自身のものとして」（早大2J）</title>
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				<updated>2021-12-01T02:09:45Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:昨年（昭47）11月8日、革マルによりリンチの末、虐殺されてしまった川口大三郎君。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:あとわずかの日々で一周忌を迎えようとしている今日、私がいまだに深く心に残り、永久に忘れることのできない当日の印象は、俗っぽい言い方だが、「いい奴は、本当に早く死（殺）ぬものだなぁ」と、しみじみ考えさせられたことである。そして、その後の早稲田における運動経過を見ると、私は、革マルに対して、明日を思うことによる、ある種の絶望感と腹立たしい怒りを覚えます。それは「数時間に及ぶ陰惨なリンチ虐殺」「その後の革マルのデマと居直り」「新自治会員に対する無差別鉄パイプテロ」「当局と革マルの癒着に怒った学友に対する下宿テロ」「革マルによる川口君追悼集会」などです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「ヨー！」。川口君の朝の出会い。ラフな軽装でいて、センスのよい、いつも明るい人柄だった川口君。&lt;br /&gt;
:彼の入学時の印象は、何か庶民的な旧制学生気質みたいなものにあこがれているようだった。話しかけてみると、やはり「早稲田精神昂揚会」に入部していた。また、彼は、政治面、文化面にも強い関心と熱意をもっていました。それが将来のジャーナリストとしてのもう一方の「早稲田大学学生新聞会」への入部だったのです。&lt;br /&gt;
:彼は、入学当時、庶民的な学生気質で、自分に誠実さ、人間味を養い、自分の考える方向でジャーナリストとしての仕事を責任をもってやりたかったのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:私は、その後、川口君を「明るく、親しみのわく、希望に燃えた若者」「アルバイトしながら、毎日、元気に登校してくる意志の強い彼」として、親しい友人の一人になりました。川口君の、正義感が人一倍強い純粋な性質は、私だけでなく、クラスはもちろん川口君を知る人なら、だれでも認めるものです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:ある日、いつものように学校の授業終了後、喫茶店で雑談しているとき、「今、オレ学生新聞に入部しているが、合宿にも行ったが、キリスト教的な宗教面が強いんだ。宗教としてはよいんだが、全く個人としての社会的な行動性のないのが間違っていると思うんだ。この新聞会も、政治的な問題には全くタッチせず、文化面だけなんだよ。特に、新聞会の人の紹介で、原理研の世界基督教統一神霊協会の合宿に行ったが、宗教としては誤っていないと思うが、ただ神様について論じていても社会問題は何も解決しないと思うんだ。それを論じている間にも、部落問題、沖縄問題による犠牲者が続出しているのだから、犠牲者の気持ちを理解し、それを広く社会に呼びかけ、その力でもって、根本的に解決するように行動を起こさねばいけないと思う。君はどう考えるか」という内容を述べたことを記憶しているが。&lt;br /&gt;
:私は「もちろん、川口の意見には賛成であるが、学生新聞会って勝共系じゃないのか。ある先輩に聞いたのだけれど、はっきりしたことじゃないか」と言いました。&lt;br /&gt;
:すると彼は、「そうだとすると、俺と考え方が違うな。俺も将来、ジャーナリストになりたいため、新聞会に入部して、その方面の学習をするつもりだったが、よく考えてみることにするよ」と述べたことも、はっきり覚えています。その後、7月下旬頃、新聞会にはもう出入りしていなかったようでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:彼は、入学時から、ヒマがあればアルバイトをし、そのアルバイトで親からの負担をなくし、又、自分の好きな登山用具などを神田、早稲田近辺のスポーツ屋で買物などをし、よく私もつき合わせられました。「◯月◯日から一週間～岳に登るんだ。かせがなきゃ」。彼の山好きはクラスで有名で、登校するときは「山と渓谷」という雑誌を必ずたずさえていました。&lt;br /&gt;
:私が、ある日「『山』もいいけれど、社会的、政治的なこととは両立しないんじゃないか」と彼に言ったことがあるが。&lt;br /&gt;
:彼曰く、「君は『山』が何者かわかっておらん。広大で、美しい無限の自然、それは厳しいものなのだ。そんな山を見、一歩一歩すすんでゆく自分が、ひどくちっぽけであり、同時に自分の存在、自分の義務、責任といったものが、はっきり自覚できるんだ。たしかに君の言ったことはわかるが、そのためにも俺はもっともっと強くならなければならないのだ」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:夏休みは勿論、彼は、日さえ空いていれば大体アルバイトである。土木関係のアルバイトのため、車の免許証もとり、親戚の家で年間を通じて仕事をやり、学校と両立させていました。精いっぱいアルバイトをし、精いっぱい「山」に登り、登校し、同時に他の人々の気持を充分理解し、その社会的な己の責任というものを決して忘れたことのなかった川口君。&lt;br /&gt;
:「働いている人が一番きれいなのだ。一生懸命生きようとしている人がきれいなのだ。だから、働く人の社会にしなければならない。これが本当のきれいな社会なのだ。そこには、同時に人間的な相互の連帯、思いやり、愛が生まれるのだ。そこには、人間同士の差別、抑圧、疎外も生まれないんだ」とも述べていました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:こういった川口君に大きく問題となったのが、昭和47年（川口君1年生）1月、2月、3月の来年度入学者からの学費値上げ反対闘争であった。&lt;br /&gt;
:この問題で、彼は、クラス討論をすすんで呼びかけ、&lt;br /&gt;
:「当局の無責任な学費値上げは、学生、父兄にますます負担をかけることになる。これは教育の機会均等からも大きな誤りであり、昔のように『金持ち』でなけりゃ、大学へ行き学問ができなくなり、大学の社会性からも大きな問題である。学問をしたい者は、だれでも大学で学べ、大学をもっと大衆的なものにしなければならない。当局が『赤字』であるとするなら、その事実を明らかにするべきだ。たとえ『赤字』だから止むを得ないというわけでもないが、とにかく我々１年J組としては、クラスで仕事を分担して、その値上げの背景をしらべ上げ、それをもって大学当局を追及すべきである」という提案をしました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::もちろん、川口君の提案は可決され、クラス全体で各調査をはじめることになった。&lt;br /&gt;
::それを少し述べますと、&lt;br /&gt;
::1.本庄セミナーへ行き、そこに広々とした早稲田大学の敷地があることを知り、その近所の不動産屋をたずね、その時価をきき、その総額を計算した班。&lt;br /&gt;
::2.各大学を訪れ、各大学の経理調査をし、年齢別、教授給料をも調べ、各大学の出費の比較を行なった班。&lt;br /&gt;
::3.中教審路線の教育構想とその権力のねらいを調べる班。&lt;br /&gt;
::4.学費値上げと社会的諸物価とのつり合いに関する経済資料作成班など。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:その後、各班の調査結果をもちより、数度のクラス討論を行ないました。その間に、大学当局による大衆団交が、大隈講堂で行なわれました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:このことに関して、クラス及び川口君の結論は、「この授業料値上げは、イデオロギー闘争ではない。私たち自身の問題であり、大学の今後の方向性、大学の社会的あり方にもかかわる重大な問題である。大衆団交における革マル系は、何ら具体的な調査、事実を示さず、ただ白紙撤回のみ叫んでも空叫びで、団交においては無意味である。この問題は、私たち自身に大きく関係してくるもので、その大切な団交において各クラス、各サークルでの討論の結果を発表し、当局を追及していかねばならないものである。会場の前壇を革マルが占拠し、早稲田の学生の意見を発表させることすらなく、革マルだけの団交に終ったようである。私たちのクラスの成果はもちろん、他のクラス、サークルの統一声明すら何も発表できず、当局に、真に我々早大生の声を聞かせることができなかった。こういった革マル式団交では、絶対に勝利できない。以上の原因で団交は敗北してしまったが、私たちは、今年入学してくる1年生に強くよびかけ、多くの学友の力で闘い、勝利するまでがんばろう」という主旨の内容であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:また、川口君はこの問題に関して「早稲田精神昂揚会」においても、ただ一人、先輩達に反論している事実があります。これは、彼が喫茶店で私に述べたものです。&lt;br /&gt;
:「本当の早稲田精神とは、早稲田大学にあるのではなく、早稲田という長く人々に浸透し、つくり上げられた人間味、泥臭さにあるのであり、それは、そこに集い、学び、己の中に浸透したものである。だからこの授業料値上げは、早稲田を「ぼっちゃん学校」にしてしまい、真に学問をしたいという人々が早稲田に集まらなくなる。そこにおいては、全く早稲田精神は撲滅してしまう」と、一人で反論し「本当に早稲田を慕っているなら、値上げされても金に関係なく入学してくるものだ」という先輩たちに対抗したのであった。&lt;br /&gt;
:その後、彼は「ある言葉」を私に述べ、退部しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:川口君をはじめ、私たちのクラスは全員2年生に進級しました。&lt;br /&gt;
:2年生以後の川口君は、老人問題、身体障害者問題、狭山差別問題という社会における疎外・差別というものに強い関心をもちはじめました。それは、川口君の呼びかけで、この種のクラス討論が多くなり、特に「狭山差別裁判」に対して熱心な意見を述べていました。&lt;br /&gt;
:「狭山裁判により、無実の人、石川さんが部落民だというだけで死刑にされようとしている。この差別問題は、同情で何も解決できず、それではますます差別を生む結果になる。私たちの『内なる差別観念』をはっきり見つけ出し、それと闘っていかなければならない。まず、この顕著な例として、狭山裁判の歴史と現代の経過をB君に説明してもらって、私たちの中の差別というものを、日常の言葉・動作の中に追及してみよう」という主旨の提案を行った。&lt;br /&gt;
:また、川口君は老人問題、身体障害者問題についても現状を訴え、理路整然と熱意ある態度で、クラスの人たちに問題を提起しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:己の生活と学業を両立させ、社会に負けることなく独力でがんばり、しかも、人間に対しての愛は決してゆらぐことなく、絶えず「社会的、又、すべてのものから疎外・抑圧されている人たちの気持は、自分がその人の気持になってみようとしなければわからない」という一本の信条みたいなものが、川口君の体中に深く流れていたようです。&lt;br /&gt;
:即ち彼は、この私たちの身近な差別の実態の一つを狭山裁判に見、クラスに、即ち大学という広場にもち帰り、大学の社会的な存在意義と現代における歪曲性、偏狭性を大学という大衆に問い直そうとしたのである。このことが、川口君の場合、同時に自己に対する検証、内なる潜在的差別意識への闘い、革命だったのだろうと考えます。&lt;br /&gt;
:この時分の川口君は、「狭山差別裁判」の公判闘争には、個人で参加していました。純粋で、人一倍正義感の強い川口君にとって、この狭山裁判は許せなかったのでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:2年の夏休み。&lt;br /&gt;
:彼には、「山」という友と、アルバイトが毎日で、土木関係の仕事で汗びっしょりでした。でも彼は、夏休み明けには、元気な明るい表情で登校してきました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:10月に入り、私たちのクラスでは、いろんな社会問題についての討論会をおこないました。川口君ももちろん出席し、誠意ある態度で問題点を的確に指摘してきました。彼の意見はクラス全体でも、全面的に支持されました。&lt;br /&gt;
:10月中旬頃、大学近くの喫茶店で川口君と談笑しているとき、「11月10日～11月20日頃まで、クラスのC君と一緒に『山』へ登るんだ」と言っていました。&lt;br /&gt;
:そのような彼、その彼が……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:11月8日、正午すぎに登校して文学部キャンパスにある部室前で談笑しているとき、数人の革マル自治会執行部により、自治会室に拉致されたのです。&lt;br /&gt;
:翌朝、東大病院の前に50数カ所に及ぶ青じみた痕跡を身体中に残し放置されていたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:詳しい事実は11.8の事実経過に詳しく記せられています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:このような残虐な殺し方をした革マル。&lt;br /&gt;
:死を覚悟しながら自分の意志を主張しつづけた川口君！　このデマとギマンに満ちた革マルが、なんとハレンチにも「11.8川口君追悼集会」なるものを行なおうとしています。卑劣きわまりないリンチでなぶり殺し、何ら正当性のない革マルが、一周忌で川口君が再びよみがえるという日、川口君を虐殺した手で「川口君追悼集会」をやるというのである。&lt;br /&gt;
:「川口君を何度殺すつもりなのか。差別をにくみ、人間の解放をめざし闘おうとしていた川口君にとって、革マルにより殺害されるといったことが、どんなにくやしく、むなしかったであろうか。この川口君を、又もや殺す気なのであろうか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:私は、彼の友人として、又、彼が正義であるとして、このハレンチきわまりない追悼集会と革マルの政治主義を許すことができないという怒りが、私の胸につき上げてきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:まだ「川口君という人間」を描き足りませんが、「山をこよなく愛した川口君という20才の若者」を的確に理解され、川口君のくやしさ、苦痛を私たち自身のものとして受け入れ、正義ある、人間味のある連帯を寄せられるよう訴えます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::         （「声なき絶叫」掲載）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

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		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E3%80%8C%E3%83%9C%E3%82%B5%E3%83%9C%E3%82%B5%E3%81%AE%E9%AB%AA%E3%81%AB%E3%80%81G%E3%83%91%E3%83%B3%E3%80%81T%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%84%E3%80%81%E3%82%B2%E3%82%BF%E3%81%AE%E9%9F%B3%E3%82%82%E9%AB%98%E3%81%8F%E3%81%B2%E3%81%B3%E3%81%8B%E3%81%9B%E3%81%AA%E3%81%8C%E3%82%89%E3%80%8D%EF%BC%88%E6%97%A9%E5%A4%A72J%EF%BC%89&amp;diff=913</id>
		<title>「ボサボサの髪に、Gパン、Tシャツ、ゲタの音も高くひびかせながら」（早大2J）</title>
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				<updated>2021-12-01T02:04:29Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:満面に屈たくのない笑みを浮かべて、ひときわ明るく振るまっていた川口大三郎……彼の顔が私の脳裏をかすめ、そして、去っていき、うすぼんやりとした輪郭が目の前に現われたかと思うと、又、次第に遠ざかっていく。そして、一年半有余の短い期間に起こったような出来事－－彼とともに飲み、遊び、語った経験が－－、断片的に思い起こされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:私が、彼の存在を認識したのは、最初のクラス・コンパの時だった。コンパの酒に物足りなさを感じた私は、数人連れ添って新宿へ行き、肩を組みあい、歌とは言い難き蛮声をあげながら、一軒の飲み屋で二次会を催した。私が腰を落ちつけ、安酒を飲んでいると、私の目の前で、色白の滅法威勢のいい男が大声でわめき散らしながら、酒をあおっている。「飲みっぷりがいいなあ。もう一パイ」と煽ると、ますます勢いづいて飲みだし、「お前もまあ一パイ」と返盃する。そんな調子であるから全く泥酔し、ヘドを吐き、友人宅で前後不覚に眠りこんでしまった。この痛快な男こそ、川口大三郎君である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:酒を媒体とし、知己となり得た彼と私は、その後も度々酒席をともにした。私は、無類の酒好きで、宵闇せまれば、酒が恋しくなるのだが、彼も私と大同小異であり、ヒマと金さえあれば飲み歩いたような気もする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:彼のけれん味のない飲みっぷりと、豊富な話題は酒席を和ませ、酒をおいしくさせたし、お互いに腹を割って話し合い、時には罵倒し合うことによって絆を太くしていったように思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:人間を、その活動性で大別すると、動的人間と静的人間に分けられると思うが、彼は間違いなく動的人間であろう。片時もじっとしていられないらしく、四六時中サッカーボールをけっていた。というよりも、ボールと戯れていた。技術的には全くお粗末で不格好なのだが、明るい陽ざしをうけて、汗をたらたら流しながらボールを追い、ボールと戯れる彼の姿は、スポーツマンのもつすがすがしさを感じさせ、何ともいえない爽快さがあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:明朗快活な好青年という印象をうける彼だが、彼の明るさの中には、少しもうわついたものを持ち含んでいなかった。奨学金と日曜、休暇中のアルバイトで生活費、学費を捻出していた彼に、そんな甘さが入り込むスキはなかった。逆境を克服するたくましい精神力……明るさとともに強さを持った男なのだが、そういう人間にありがちな独善性を見せない謙虚さと包容力を兼ねそなえた不思議な？男であった。こう書き立てると、彼が完全無欠な人間のように思われるかも知れない。しかし、人間の長所は、裏を返せば短所になる場合が多く、完全無欠な人間など存在するはずはないのである。が、彼の死後、親しい友人と生前の彼について、あれこれ回想し合う中で、「はたして川口の欠点は、何だろう」と問いかけると、一様に首をかしげ、結局は「見あたらない」という結論に達してしまう。私たちの彼に対する理解・認識が充分でなく、皮層的な面しか捉えていないのかも知れないが……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:だれにでも笑顔で接し、自然を愛し、山を愛した彼が、何よりも憎み、怒ったのが人間差別である。差別、とりわけ部落差別問題には深い関心を示し、懸命に学習し、活動した。クラスにおいてもクラス討論を呼びかけたり、資料を提供したりして、積極的にとり組んでいた。一度くいついたら離さない粘っこさと、自分の信念を曲げない意志強さ、そして人間差別を許せない純粋さが彼の言動の中に脈打っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:しかし、一面彼は、無類のお祭り騒ぎ好きであった。私とともにクラス「コンパ委員」を自認しており、クラス・コンパの幹事をやり、最初から最後まで騒ぎっ放し、うたいっ放しという有様である。又、早慶戦にも仲間と度々応援に行き、新宿で大いに飲み、大いに騒いだものである。思えば、彼と最後に酒をくみ交わしたのが、昨秋（47年）の早慶戦第3戦の時である。優勝という大魚を逃した口惜しさを吐き出すように、「カジシャー（鍛冶舎＝早大の主力打者）」と大声で怒鳴りながら新宿の街を歩いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:又、たいへん冒険好きな面があり、「シルクロードをジープで走破するぞ」とか、「アマゾンの奥地を探検したい」などといっては、我々をびっくりさせた。冒険の話をするとき、彼の目に口に体に、青春のエネルギーの無限の噴出を希求する鬱勃たるパトスがあふれ出るのが、ひしひしと感じられた。彼の行動力と計画性をもってすれば、実現不可能な夢では決してなかったと思うだけに……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:川口大三郎君、ボサボサの髪に、Gパン、Tシャツ、ゲタの音も高くひびかせながら私の前に現われ、そして去っていった君。自ら「早稲田の住人」と称し、早稲田をこよなく愛するが故に、否定的現状を憂い、嘆いていた君。自己を鋭く見つめながらも精いっぱいのびのび生きていた君。君の肉体はズタズタにされ、君の生命は齢20にして断ち切られ、君の未知なる無限の可能性は無と化したけれども、君の残した無形の精神的遺産は、私たちが永久に継承し、維持し、発展させていくであろう。生前、私たちに語りかけた君の思想が、君の声が、いま私たちの中にこだまする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:川口大三郎よ、すばらしき朋友よ、安らかに眠り給え。&lt;br /&gt;
::     （「声なき絶叫」掲載）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

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		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E3%80%8C%E3%81%82%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%AB%E6%98%8E%E3%82%8B%E3%81%8F%E3%81%A6%E3%80%81%E3%82%BF%E3%83%95%E3%81%A7%E3%82%B5%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%AA%E3%81%97%E3%81%9F%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E3%82%92%E6%AE%BA%E3%81%97%E3%81%9F%E3%82%84%E3%81%A4%E3%81%AF%E8%A8%B1%E3%81%9B%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%8D%EF%BC%88%E6%97%A9%E5%A4%A72J%EF%BC%89&amp;diff=912</id>
		<title>「あんなに明るくて、タフでサッパリした川口を殺したやつは許せない」（早大2J）</title>
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				<updated>2021-12-01T02:03:06Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:川口の顔と名前が一致したのは、一年生の半ばを過ぎてからだった。川口とは飲んだこともないし、一緒にどこかへ遊びに出かけたこともなかった。ただ、川口と僕が共に関心を持っていた部落問題、とりわけ狭山差別裁判を通じて接近しただけだった。川口と僕は部落解放運動の捉え方、狭山差別裁判糾弾の戦略の問題等で意見はかなり異なったし、対立もした。けれど、今、それはそれとして共に闘った中での川口らしいエピソードを話してみたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:川口が、狭山差別裁判の公判闘争へ参加したのは去年の2月からだったと思う。2月、4月、6月、7月、8月、9月と闘争に参加し、11月の「一定段階の勝利」の最中、革マルに虐殺された。いつだったか、川口がデモの指揮をしたことがある。暑い日だった。デモの隊列はわずか10人足らず。それでも川口は一所懸命指揮をした。100人、200人といった大隊列の合い間をぬって、我らが隊列は走り回った。川口は山男でタフガイだからいいが、我々は途中で息切れがしたり、腰が痛くなったりでヒイヒイ言いつつ、川口の指揮でデモり続けた。あんな走りづめのデモ指揮をやれるのは川口ぐらいだったろう。川口は闘争の時は厳しい。「デモはつらい。けれど獄中の石川氏はもっと、もっとつらいんだ」そう言う川口は厳しかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:6月公判闘争だったと思う。公判が午前中で終わり、闘争も早く終わり、川口と僕、そしてあと数人で総括なるものをやっていた。土曜の午後。場所は日比谷公園。我々の円陣の周囲にもアベックが増えてきた。総括を終えたあと、やおら川口のリードでシュプレヒコールをやった。アベックの連中驚いていたが、おかまいなしにやってのけた。そしてインター、ワルシャワ労働歌を歌って我々も解散した。川口は少しも恥かしがらずアベック達の真ん中でリードし続けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:川口がいなかったら誰もそんなことをしなかったろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:川口はエネルギッシュに活動した。川口が狭山闘争に関わり出してから、革マルに虐殺されるまで10ヶ月にも満たない。川口はその10ヶ月足らずを狭山闘争に捧げた。徹夜でパンフを作りもした。学習もした。他の闘争にも参加した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:江戸時代、部落民一人の生命は平民の7分の1とされた例がある。川口は、この事実を本で読んでおこった。本当に、心から川口はおこった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:72年11月。狭山闘争が「一定段階の勝利」を得、まさにこれからという時、川口は革マルに虐殺された。川口を虐殺する理由がどこにあったのだ。中核派のスパイだとか、いいかげんにしろ。「革命的マルクス主義」がどうとかこうとか、口先の小むつかしいことは知らない。僕は川口を虐殺した革マルを何時までも怨み続ける。暴力に表面は屈しても、必ず革マルを怨みぬく。あんなに明るくて、タフでサッパリした川口を殺したやつは許せない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:嗚呼　友愛の熱き血を&lt;br /&gt;
:結ぶ我らが団結の&lt;br /&gt;
:力はやがて憂いなき&lt;br /&gt;
:全人類の祝福を&lt;br /&gt;
:飾る未来の建設に&lt;br /&gt;
:殉義の星と輝かん&lt;br /&gt;
::（解放歌7節）&lt;br /&gt;
:※運動中50年間歌われ続けた唄&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:川口が虐殺されて1年たつ今秋、狭山公判は再開される。川口は狭山闘争勝利の報を今か今かと待っていることだろう。&lt;br /&gt;
::      （伊東高校山岳部OB会発行「川口大三郎遺稿集」掲載）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

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		<title>「息子を惨殺した犯人へ憎しみをこめて綴る…」（母）</title>
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				<updated>2021-12-01T02:00:17Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:（前略）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:9年前、夫が膵臓ガンで他界してから、私は3人の子供たちを、伊東市の競輪場の会計の仕事と、保険の外交の二つの仕事で育ててきました。私は、知らぬ人の前で話をするのがキライな性質で、保険の外交は4年ぐらいで辞めましたが、競輪の会計の仕事は今年で19年になります。（注：月に1週間働いて2万円）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:正式にどこかへ勤めれば収入はいいのですが、それでは子供を見る時間がないし、子供たちが学校へ行っている間、仕事をしたかったからです。姉の三枝子が高校2年、兄の正人が中3、大三郎が小学校6年生という、いちばんむずかしい年ごろでした。しかし、私は貧しくても、片親だけでも、明るく育てたかったのです。&lt;br /&gt;
:で、〈らしく主義〉を教育方針にしました。男は男らしく、女は女らしくがいちばん大事だと、子供たちに言って聞かせたのです。大三郎にも、“男らしく、男がいったん口から出した以上、責任をもて”、“〈らしく〉の本分を守りなさい”というのが私の口ぐせでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:そうした甲斐もあってか、あの子は一口に言えば、骨のある明治の人間のように育ちました。いえ、育ったように見えました。義理、人情を重んじ、情緒豊かで、先生や目上の人への態度も、現代っ子の多いこの世の中には珍しく折り目正しい子でした。要領よく世の中を泳ぐのはきらいな子でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:…私たち夫婦が伊東にきたのは、終戦の半年前、それまで住んでいた東京の家が戦災で焼けたからでした。伊東は子供を育てるのに格好の自然がありましたが、文化の面では比較的遅れていました。&lt;br /&gt;
:ですから、私は大三郎には幼いころから東京のY M C Aで水泳を習わせたり、市谷のユースホステルに泊まることを教えたりしました。ユースホステルでは母と子は別々に寝なければならないし、自立心を養う点でいい訓練になると思ったからです。&lt;br /&gt;
:3人の子供はどの子もかわいいけれども、大ちゃん（注：大三郎君）とは趣味が同じで、よく気が合いました。成長してからは、親子というより、一個の人間として、友だちのような関係だったと思います。あの子は小学生のころ、勉強のほうはいつも首席でしたが体が弱く、それが心配で、運動をさせるため、よく山へ連れて行きました。“踊り子コース”や伊豆の山などいっしょに歩いたものです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:中学に入るとバレーボールを始め、それからカゼひとつ引かなくなりました。友だちが多く、色白なものですから“ダイコン”とアダ名で呼ばれていました。県立伊東高校へ進み、3年間無遅刻。高校ではもっぱら山登りで、山岳部の部長をしていました。3年生になってはじめて受験勉強らしいものをはじめました。いつも明るくワアワア騒いでいて、ガリ勉じゃなかったのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:早稲田大学の文学部を選んだのは、ジャーナリストになって、ペンの力で社会の悪と闘おうと思ったからでした。高校の担任の先生が慶応出身で、慶応へ行けとすすめられたのですが、慶応はブルジョア学校だし、国立大学を出ても、オレは官僚になるのはイヤだからと言って、早大出身者にジャーナリストが多いのに目をつけ、早稲田精神にほれて入学したのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:早大へ入るときも、「私立は金がかかるけど、早稲田でもいいか。お母さん、入学金だけ出しておくれ」って気を使う子でした。この夏帰省したときも大学の授業料の請求書をみて「それちょうだいよ。ボク、金を貯めてあるんだよ」と、そんなお金が無いくせに、私に心配をかけないように言うんです。大学へは川崎の姉の家に下宿して通っていました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:三枝子の嫁ぎ先が土建屋なものですから、トラックの運転をしてアルバイトしていました。それと、育英会、駿河銀行の奨学金を学費に当てていたのです。&lt;br /&gt;
:大ちゃんは、ヒマができると、アルバイトして山へ行っていました。死ぬ数日前、「11月11日ごろ、天城へ友だち3人連れてゆくから寄るよ」と、電話があったばかりでしたのに……。10月23日から3日間帰省したとき、たまたま兄姉3人が集まったのです。そのとき、大ちゃんは、「母さん、黒ビールなら飲めるだろう」と、伊東の街で買って来て、親子4人で12時過ぎまで騒ぎました。それが最後になりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1カ月前、あの子が山からくれた絵ハガキがあります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「前略。オフクロ様。&lt;br /&gt;
:お宅の息子さんは、今、北アルプスに来ております。&lt;br /&gt;
:上高地、小梨平キャンプ場にて、これを書いています。&lt;br /&gt;
:なんせ、窮屈でして、文字も乱雑になりますが、御了承下さい。&lt;br /&gt;
:そのうち、帰るかもしれないからヨロシク。&lt;br /&gt;
:まあ、とにかく、行って来らあ。では、しばしの間、バイバイ。&lt;br /&gt;
:　　追伸&lt;br /&gt;
:　今日は非常にブラックが旨い。ウイー！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:　川口サト様&lt;br /&gt;
:　トラ子&lt;br /&gt;
:　チビタン子&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:小梨平にて　やくざな息子より」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:あの日以来、何回読み直したことでしょう。そのたびに幼い日の大ちゃんが思い出されて、ひとり泣くのです。&lt;br /&gt;
:棺の中に横たわっていた大ちゃんの顔には、解剖で縫合された傷あとが生々しく残っていました。あの明るい笑顔はもう見られない。こんな残酷なことがあるでしょうか。&lt;br /&gt;
:明るい子でした。家へ帰るとお風呂に入ってハナ歌で“人生劇場”を歌っていました。天地真理の愛くるしい顔が好きだったようです。「そのうちオフクロがビックリするようないい娘を連れてくるよ」と、私を笑わせていました。帰省するたびに「“オバンツ”（注：伊豆の方言でおばあさんのこと）がグズグズいうから面倒みてやらねばならん」といって、女手ではできない家の修理や、茶の木の手入れをよくしてくれました。縁側の日なたで、好きな本をよく読んでいました。北杜夫や新田次郎の小説や、「山と渓谷」などが愛読書でした。この前、帰って来たときは、私に「これ読んだら」と、北山修の『戦争を知らない子供たち』を置いて行きました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:あの子は、動物をかわいがるやさしい子でした。また“長いものに巻かれろ、クサイものにはフタ”というのが大きらいでした。早大に入ってから原爆被災者の話などについて、よく話し、「自分だけが幸福になっても、ダメなんだよ、もっと多くの人が幸せにならなくては……母さん、もう少し目ざめなければならんよ」と、言うようになりました。が、あの子に関しては、何一つ心配がありませんでした。&lt;br /&gt;
:姉の三枝子も、「大ちゃんは、私の弟だけれど、内心尊敬していたし、どこか寄りかかっていた感じ」というくらい、シンのしっかりしていた子でしたから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:ジャーナリスト志望だった大三郎は、入学後まもなく「早稲田学生新聞」に入りました。46年6月5日付の“学生新聞”にあの子の早慶戦観戦記がのっています。&lt;br /&gt;
::「若き血も、完全燃焼しないままもえつきてしまった…。&lt;br /&gt;
::たそがれせまるなか、友と肩を組んで校歌を歌う。そこには“ワセダ”があり、“伝統”が生きている…」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:でも、あの子が、あんなに若き情熱を燃やした早大も、2年生になってから、学内の暴力の存在を知って、急速に失望していったようです。そのうちに「大学なんて、どこでも同じだよ」と言いだしました。大学の友だちにはキャンパスの芝生の上に寝ころがって&lt;br /&gt;
:「魚屋かスシ屋にでもなりたい」と、もらしていたそうです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:それでも、私には心配をかけまいと思ってか“大学が暴力の巣だ”とは言いませんでした。&lt;br /&gt;
:私は、暴力が渦巻く内情を余りにも知らなすぎました。そんなことが初めからわかっていれば、息子がどんなに志望しても、早大にはやりませんでしたのに…。&lt;br /&gt;
:いちばん、くやしいのは、あの子が新聞で“中核派のスパイ”だと報道されたことです。私の息子は、一般学生も証明しているように、完全なノン・セクトです。ただ、正義感の強い大ちゃんのことだから、言論の自由ということで、自分の思うことを主張していたのだと思います。&lt;br /&gt;
:“革マル”が、中核派のスパイだと睨んだのは、平和運動、原爆被災などをあの子がやっていたからでしょう。それが、この問題にあまり熱心でない“革マル”の怒りを買ったのでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「大三郎君を“中核派”の同盟員に誘ったけど、なかなか首をタテに振らなかった。もし、入っていたら、われわれの力で保護できたものを…」&lt;br /&gt;
:お通夜の席で“中核派”の人が、こう言うのです。&lt;br /&gt;
:いまさら何を言ったって息子は帰ってきません。それより“中核”だ、“革マル”だと、大三郎の死を政治団体に利用してほしくない気持ちでいっぱいです。&lt;br /&gt;
:かりに、早大から“革マル”を追い出しても、それに代わるものが来ては同じです。それでは、暴力を憎んでいた大三郎の主旨に反します。大学は静かに学問するところ。どだい、人間の命を大切にできないものが、世の中を変革するなどというのが、おかしいのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::「教室を見にいったが、何の異状もなかった。だから、大学の上層部はこんなことになるとは思っても見なかった…今後は、こういうことを起こしません」&lt;br /&gt;
::－－どんな理由があって、自治会室には学校側が入れないのですか。&lt;br /&gt;
::「自治会室には入れないことになっているんです」&lt;br /&gt;
::－－それでは、自治会室の中で何があってもわからないのですか。&lt;br /&gt;
::「何もしないでいたのではなく“革マル”のピケ隊がいて入れなかった…」&lt;br /&gt;
:これは、お通夜の席に見えた、早稲田の村井総長と私とのやりとりです。で、これだけ言うと、総長はわずか5分間でそそくさと帰られました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:大学当局は、問題を“学生の自治”で逃げようとしている。しかし、その後、一般学生に“革マル派”の学生が取り囲まれると、大学当局は“革マル”の救出に乗り出したりしています。まったく矛盾した話です。&lt;br /&gt;
:暴力－－といっても、だんだん話を聞いていくと、私たちの考えているような暴力ではないではないですか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:少しでも“革マル”の批判をすると、部屋をメチャクチャにこわす、リンチをする、あげくの果ては、殺人までおかす……こんな残酷な事件が、学校の外で起きたのではなく、学問の場で行なわれているのです。&lt;br /&gt;
:それを大事な子弟をあずかる大学当局が放置してきたと言われても仕方がないではありませんか。私は、何かわからない怒りで、胸の中がたぎるような思いでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:もし、大学当局が、あくまで、大三郎の死は、内ゲバだから……という片づけかたをするのなら、息子の死をウヤムヤにすることなく、私は、大学当局を訴えるつもりです。&lt;br /&gt;
:学校内部には、いろいろ複雑な問題もありましょうが、単に、理事者や2人の文学部長が辞任して片づく問題ではないでしょう。あくまで、大学当局、その最高責任者である総長に責任ある釈明を求めます。（後略）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::      （女性自身1972年12月9日号P143～147掲載）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

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		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E6%96%87%E5%AD%97%E3%81%8C%E8%A8%98%E6%86%B6%E3%81%99%E3%82%8B%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%A4%A7%E4%B8%89%E9%83%8E&amp;diff=903</id>
		<title>文字が記憶する川口大三郎</title>
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				<updated>2021-11-30T02:17:14Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
[[はじめに]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
●川口大三郎の思い●&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
[[◇山よ、早稲田よ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[◇日記（1971年4月）]]&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
[[◇活動]]&lt;br /&gt;
::早慶戦観戦記&lt;br /&gt;
::早稲田原理研の修練会に参加して&lt;br /&gt;
::地方文化研究部発起&lt;br /&gt;
::コンパのお知らせ&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
[[◇年譜]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
●川口大三郎を語る●&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[大ちゃんはいつも明るい元気な、人様に好かれる人間だった」（母）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「胸を張って『大三郎は真の男だった』と言える」（母）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「息子を惨殺した犯人へ憎しみをこめて綴る…」（母）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「大ちゃんの遺志どおりに、一日もはやく暴力のない大学になってほしい」（姉）]]&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「悔しいなあ。あんないい奴が死ぬなんて。まだ俺には信じられない」（伊東高校山岳部OB）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「早稲田をこよなく愛し、自ら“早稲田の住人”と称した彼」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「あんなに明るくて、タフでサッパリした川口を殺したやつは許せない」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「ボサボサの髪に、Gパン、Tシャツ、ゲタの音も高くひびかせながら」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「あいつは素直に物を考え、自分の足でたしかめて物を言うやつだ」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「川口君のくやしさ、苦痛を私たち自身のものとして」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「2Jの級友達の怒りの激しさが、彼の信望を語っていよう」（早大一文中国語担当）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「彼独自の早稲田魂は永遠に都の西北早稲田の杜に生き続ける」（早稲田精神昂揚会）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「故川口君の当新聞会活動について」（早稲田学生新聞会）]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E6%96%87%E5%AD%97%E3%81%8C%E8%A8%98%E6%86%B6%E3%81%99%E3%82%8B%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%A4%A7%E4%B8%89%E9%83%8E&amp;diff=902</id>
		<title>文字が記憶する川口大三郎</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
[[はじめに]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
●川口大三郎の思い●&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
[[◇山よ、早稲田よ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[◇日記（1971年4月）]]&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
[[◇活動]]&lt;br /&gt;
::早慶戦観戦記&lt;br /&gt;
::早稲田原理研の修練会に参加して&lt;br /&gt;
::地方文化研究部発起&lt;br /&gt;
::コンパのお知らせ&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
[[◇年譜]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
●川口大三郎を語る●&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「大ちゃんはいつも明るい元気な、人様に好かれる人間だった」（母）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「胸を張って『大三郎は真の男だった』と言える」（母）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「息子を惨殺した犯人へ憎しみをこめて綴る…」（母）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「大ちゃんの遺志どおりに、一日もはやく暴力のない大学になってほしい」（姉）]]&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「悔しいなあ。あんないい奴が死ぬなんて。まだ俺には信じられない」（伊東高校山岳部OB）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「早稲田をこよなく愛し、自ら“早稲田の住人”と称した彼」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「あんなに明るくて、タフでサッパリした川口を殺したやつは許せない」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「ボサボサの髪に、Gパン、Tシャツ、ゲタの音も高くひびかせながら」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「あいつは素直に物を考え、自分の足でたしかめて物を言うやつだ」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「川口君のくやしさ、苦痛を私たち自身のものとして」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「2Jの級友達の怒りの激しさが、彼の信望を語っていよう」（早大一文中国語担当）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「彼独自の早稲田魂は永遠に都の西北早稲田の杜に生き続ける」（早稲田精神昂揚会）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「故川口君の当新聞会活動について」（早稲田学生新聞会）]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

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		<title>文字が記憶する川口大三郎</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E6%96%87%E5%AD%97%E3%81%8C%E8%A8%98%E6%86%B6%E3%81%99%E3%82%8B%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%A4%A7%E4%B8%89%E9%83%8E&amp;diff=901"/>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
[[はじめに]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
●川口大三郎の思い●&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
[[◇山よ、早稲田よ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[◇日記（1971年4月）]]&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
[[◇活動]]&lt;br /&gt;
::早慶戦観戦記&lt;br /&gt;
::早稲田原理研の修練会に参加して&lt;br /&gt;
::地方文化研究部発起&lt;br /&gt;
::コンパのお知らせ&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
[[◇年譜]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
●川口大三郎を語る●&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[大ちゃんはいつも明るい元気な、人様に好かれる人間だった」（母）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「胸を張って『大三郎は真の男だった』と言える」（母）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「息子を惨殺した犯人へ憎しみをこめて綴る…」（母）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「大ちゃんの遺志どおりに、一日もはやく暴力のない大学になってほしい」（姉）]]&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「悔しいなあ。あんないい奴が死ぬなんて。まだ俺には信じられない」（伊東高校山岳部OB）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「早稲田をこよなく愛し、自ら“早稲田の住人”と称した彼」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「あんなに明るくて、タフでサッパリした川口を殺したやつは許せない」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「ボサボサの髪に、Gパン、Tシャツ、ゲタの音も高くひびかせながら」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「あいつは素直に物を考え、自分の足でたしかめて物を言うやつだ」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「川口君のくやしさ、苦痛を私たち自身のものとして」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「2Jの級友達の怒りの激しさが、彼の信望を語っていよう」（早大一文中国語担当）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「彼独自の早稲田魂は永遠に都の西北早稲田の杜に生き続ける」（早稲田精神昂揚会）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「故川口君の当新聞会活動について」（早稲田学生新聞会）]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

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		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E6%96%87%E5%AD%97%E3%81%8C%E8%A8%98%E6%86%B6%E3%81%99%E3%82%8B%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%A4%A7%E4%B8%89%E9%83%8E&amp;diff=900</id>
		<title>文字が記憶する川口大三郎</title>
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				<updated>2021-11-30T02:06:53Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
[[はじめに]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
●川口大三郎の思い●&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
[[◇山よ、早稲田よ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[◇日記（1971年4月）]]&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
[[◇活動]]&lt;br /&gt;
::早慶戦観戦記&lt;br /&gt;
::早稲田原理研の修練会に参加して&lt;br /&gt;
::地方文化研究部発起&lt;br /&gt;
::コンパのお知らせ&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
[[◇年譜]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
●川口大三郎を語る●&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「大ちゃんはいつも明るい元気な、人様に好かれる人間だった」（母）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「胸を張って『大三郎は真の男だった』と言える」（母）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「息子を惨殺した犯人へ憎しみをこめて綴る…」（母）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「大ちゃんの遺志どおりに、一日もはやく暴力のない大学になってほしい」（姉）]]&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「悔しいなあ。あんないい奴が死ぬなんて。まだ俺には信じられない」（伊東高校山岳部OB）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「早稲田をこよなく愛し、自ら“早稲田の住人”と称した彼」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「あんなに明るくて、タフでサッパリした川口を殺したやつは許せない」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「ボサボサの髪に、Gパン、Tシャツ、ゲタの音も高くひびかせながら」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「あいつは素直に物を考え、自分の足でたしかめて物を言うやつだ」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「川口君のくやしさ、苦痛を私たち自身のものとして」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「2Jの級友達の怒りの激しさが、彼の信望を語っていよう」（早大一文中国語担当）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「彼独自の早稲田魂は永遠に都の西北早稲田の杜に生き続ける」（早稲田精神昂揚会）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「故川口君の当新聞会活動について」（早稲田学生新聞会）]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>川口大三郎リンチ殺害事件の全貌</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''◆川口大三郎リンチ殺害事件の全貌◆'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1972年11月8日、一文２年J組の川口大三郎が文学部構内で革マル派に拉致され、長時間に及ぶリンチを受けて殺害された。ここでは、当時の新聞記事およびその後の出版物を元に、事件とそれに関わった犯人についてまとめた。不明な点も多いが、50年経って知るところのできる事件の全貌である。なお、記載に当たっては当時新聞に報道された氏名をそのまま使用した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1972年11月8日（水）&lt;br /&gt;
::◎14時過ぎ　川口大三郎は文学部構内で革マル派自治会役員らにより自治会室へ拉致される。のちに、一文構内で行われた相模原補給廠からの戦車搬出阻止集会へのスパイ活動を自己批判させるためと革マル派は発表したが、実際に集会が開かれたのは18時過ぎからだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1972年11月9日（木）&lt;br /&gt;
::◎午前6時過ぎ　本郷の東大付属病院敷地内で男性の遺体が発見される。&lt;br /&gt;
:::遺体は血のついていないパジャマ姿で足裏が汚れていないため、他所で殺害されて運ばれたものと推測され、警視庁公安一課は本富士署に捜査本部を設置した。&lt;br /&gt;
:::早朝に、川口が帰宅していないことを知った2J級友から110番通報があったこと、および牛込署から二文教務主任への問い合わせの電話で、前日に革マル派が起こした拉致・監禁事件が発覚した。川口は姉の嫁ぎ先に寄宿していたが、その姉が確認し、遺体が川口大三郎であることが判明した。&lt;br /&gt;
::◎12時30分　馬場素明（24）革マル派全学連委員長（一文4年）は新大久保の三福会館で記者会見を開き、米軍戦車搬出阻止集会へのスパイ活動を追及するなかで「突然ショック的状況を起こし死に至った」と公表した。&lt;br /&gt;
::◎昼すぎに2J級友により遺体が川口大三郎であることが確定された。また、殺害場所が文学部構内であることも確認された。&lt;br /&gt;
::◎午後　東大法医学教室で遺体の解剖検証がなされる。全身に無数にある傷は皮下出血の幅が広く、丸太棒か角材で殴られたもの。先の尖ったもので引っ掻かれた形跡も。両手首、上腕、太ももに紐で縛られた跡。強打されたため体全体が細胞破壊を起こしてのショック死。胃の内容物の分析から8日21時から23時の間に殺されたと推定。心臓の様子からは、瀕死の状態まで傷めつけた後に、人工呼吸して蘇生させようとしたのではないかと推測された。&lt;br /&gt;
::◎24時より翌朝5時まで文学部構内105教室、127～130教室で現場検証が行われた。128室はコンクリート床が畳2枚分程きれいに洗い流されていたが、床や机、椅子など10カ所からルミノール反応があり、かなり大量の出血があった様子がうかがえた。127室にもルミノール反応があり、押収品は13件、86点で角材やバット、衣類など。（後に衣類は川口大三郎のものではないと判明した。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::【補足】11月10日以降、新聞各紙は犯人の特定にやっきとなり、関わった人数や、氏名の頭文字が紙面に踊るようになる。しかし、見張り役を立て、窓ガラスに新聞紙を貼り巡らした密室でなされた犯行のうえに物証がほとんど残されていなかったこと、また、自治会室へと拉致したグループ、暴行を加え殺害したグループ、遺体を搬出したグループと役割が分担されていたことなどから、殺害に関与した実行行為者の個人名を特定することは極めて困難だった。このように、拉致した者とリンチ（殺害）した者とで役割分担していたことからも、綿密な計画性と彼らが如何に“この手のこと”に熟知していたかをうかがい知ることができよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:☆毎日新聞11月12日付&lt;br /&gt;
::見出し：三班編成でリンチ&lt;br /&gt;
::本文：早大生、川口大三郎君（20）リンチ殺人事件の元富士署捜査本部は11日夜までにリンチに加わった「革マル派防衛隊」約20人は“身柄拘束”“リンチ”“死体処理”の3班を編成して行動していたことをつきとめた。（中略）身柄拘束班は同文学部三年、G（24）ら4人で（中略）自己批判を迫るねらいで、8日、文学部校庭でGが川口君を呼びとめ、他の3人が前から引っ張って127番教室に連れ込んだ。つぎにK（24）らリンチ班10数人が、イスに川口君をしばりつけたうえ鉄パイプ、角材などでなぐった。その間、身柄拘束班のGらは一般学生に犯行を気づかれないよう、教室入口で見張りをしていた。ところが、川口君が仮死状態になったので、そのころ同構内で開催中の米軍戦車輸送阻止集会に参加していたA（19）ら3人で新たに処理班を編成した。このためAらは当初の予定の同夜の相模原闘争には参加せず、G、Kら身柄拘束、リンチ班のメンバーが横浜市内のノースピア入口の集会に加わった。Aらは川口君の死がはっきりしたため、同派の茶色っぽい乗用車（註：車種等に関しては73年12月21日読売記事を参照）で、都内のアジトに連れて行き、遺体を裸にして傷跡をふいたあと、パジャマと真新しいパンツをはかせ東大付属病院前で捨てた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:11月11日（土）&lt;br /&gt;
::馬場素明は2回目の記者会見を行って革マル派全学連委員長を辞任する旨を発表するが、同時に、殺害犯を「絶対に権力側には渡さない」と強調した。同様に、田中敏夫全学中央自治会（兼一文自治会）委員長も毎日新聞の取材に応じて「権力との闘いに敗れたことになり、自己批判した意味がなくなるので、犯人を自首させることは考えていない」と断言した（11月22日付朝刊にインタビュー記事掲載）。&lt;br /&gt;
::11月23日付朝日新聞では、革共同革マル派学生組織委員会の責任者で最高幹部の一人、土門肇こと根本仁がインタビューに答えて「言うことをきかない子どものおしりをたたいて誤りをさとらせるのと同じだ」と暴力行使の不可避を述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::【補足】いずれも、彼らの言う「党派闘争の論理と倫理」が、革マル派という閉ざされた集団でのみ通用するものでしかないことを示す発言だが、そんな理屈が早稲田大学という空間では普遍的真理としてまかり通る現実に早大生は直面させられた。彼らがどれほど「反スタ」を謳おうとも、そこにはスターリン主義的な、己の正当性を示すために歴史を改竄するというご都合主義が存在し、その組織も彼ら自身もスターリン主義（者）そのものであることを示している。そして、そんな彼らを増長させたのは、彼らの存在を暴力装置として許した大学当局だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1972年11月13日（月）&lt;br /&gt;
::文学部当局による、自治会執行機関の活動停止と自治会室の使用禁止、そして自治会三役処分が行われる。&lt;br /&gt;
::●田中敏夫	　第一文学部自治会委員長	除籍&lt;br /&gt;
::●若林民生	　第二文学部自治会委員長	除籍&lt;br /&gt;
::●大岩圭之介 第一文学部自治会副委員長	停学（無期）&lt;br /&gt;
::●金子賢治	　第二文学部自治会副委員長	停学（無期）&lt;br /&gt;
::●武原光志	　第二文学部自治会副委員長	停学（無期）&lt;br /&gt;
::●佐竹実	　第一文学部自治会書記長	停学（無期）&lt;br /&gt;
::●竹内政行	　第二文学部自治会書記長	復籍を認めず（学費未納で抹籍済）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1972年12月5日（火）&lt;br /&gt;
::友人（2J級友）への暴行などの容疑で阿波崎文雄(25)、村上文男(24)､近藤隆史(24)､武原光志(21)､佐竹実(22)以上5名が指名手配される。自治会室前および「テレ研」部室に押しかけての暴力行為と「記念会堂」裏での傷害の容疑。殺人に直接結びつく証拠が得られなかったため、まずは、事実関係が明らかになった、川口の級友への暴力行為などに絞っての指名手配となり、不法監禁のみに関与した者への逮捕状請求は見送られた。阿波崎が傷害と暴力行為、他の4人は暴力行為の容疑。&lt;br /&gt;
::[指名手配]&lt;br /&gt;
::●阿波崎文雄　一文4年　　　　　　　　　一文自治会会計部長 傷害、暴力行為&lt;br /&gt;
::●村上文男　　元早大生（1971年除籍）  元二文自治会委員長 暴力行為&lt;br /&gt;
::●近藤隆史　　二文4年　　　　　　　　　元二文自治会委員長、全中自中執 暴力行為&lt;br /&gt;
::●武原光志　　二文2年（無期停学中）　　二文自治会副委員長 暴力行為&lt;br /&gt;
::●佐竹実　　　一文3年（無期停学中）　　一文自治会書記長   暴力行為&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::革マル派による証拠隠滅に関しては、阿波崎ら5名の指名手配を報じた12月6日付朝日新聞に「11月9日午後3時過ぎ、殺害現場の早大自治会室から凶器とみられる鉄パイプを運び出す革マル派活動家」とキャプションが付けられた写真が大きく掲載されている。また、12月5日付読売新聞には「逃走中の数人の親元へ友人と名乗る男から『お宅の息子さんは殺人事件とは関係ない。警察がうるさいので安全な場所にかくまっている。心配しないでいてほしい』と電話連絡」があったと記されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1972年12月11日（月）&lt;br /&gt;
::手配中の近藤隆史と武原光志が、第一学生会館から文学部へのデモの途中路上で逮捕される。洗面道具・着替えを入れた風呂敷包みを持っており、計画的に逮捕されたもので妨害もなし。逮捕は革マル組織からの110番通報によるものだった。&lt;br /&gt;
::[逮捕]&lt;br /&gt;
::●近藤隆史&lt;br /&gt;
::●武原光志&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1972年12月13日（水）&lt;br /&gt;
::近藤と武原は完全黙秘のまま東京地検に身柄送検される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1972年12月29日（金）&lt;br /&gt;
::拘置満了日。東京地検は近藤、武原2名を級友への暴力行為で身柄拘置のまま起訴した。2人は黙秘を続けており、1月早々には保釈決定が下りる見通しとなる。&lt;br /&gt;
::[起訴]&lt;br /&gt;
::●近藤隆史	暴力行為&lt;br /&gt;
::●武原光志	暴力行為&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1973年1月28日（日）&lt;br /&gt;
::同じく、手配中の阿波崎、村上、佐竹が、革マル組織からの110番通報により横須賀市の臨海公園「空母ミッドウェー寄港阻止集会」で逮捕される。&lt;br /&gt;
::横須賀署員が駆けつけて任意同行するも、黙秘・指紋採取拒否のため、警視庁公安一課職員が確認して逮捕。近藤、武原の完黙が成功したことで自信を深めたためか、歯ブラシなど身の回り品を持っており、前回と同じく計画的に逮捕されたもの。&lt;br /&gt;
::[逮捕]&lt;br /&gt;
::●阿波崎文雄&lt;br /&gt;
::●村上文男&lt;br /&gt;
::●佐竹実&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1973年2月19日（月）&lt;br /&gt;
::東京地検は阿波崎文雄を傷害罪で、村上文男を暴力行為で起訴（保釈）。&lt;br /&gt;
::佐竹実は「現場には居たが暴行参加を裏付ける証拠が得られなかった」と容疑不十分で不起訴処分。&lt;br /&gt;
::近藤、武原と同じく、阿波崎、村上、佐竹も完全黙秘を続けた。&lt;br /&gt;
::[起訴]&lt;br /&gt;
::●阿波崎文雄 傷害罪&lt;br /&gt;
::●村上文男	暴力行為&lt;br /&gt;
::[不起訴]&lt;br /&gt;
::●佐竹実&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::【補足】警察による自白を狙っての逮捕は失敗に終わった。物証はほとんどなく、級友への暴行容疑による「別件逮捕」も、被疑者たちの完全黙秘により川口大三郎殺害に結び付けることはできなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1973年2月22日(木）&lt;br /&gt;
::田中敏夫(24)収監される。&lt;br /&gt;
::1971年秋に反帝学評との抗争による凶器準備集合罪で逮捕・起訴され懲役8カ月の判決を受けた後控訴していたが、2月14日、高裁で控訴棄却となったため収監された。田中は川口大三郎殺害には関知していないと言っていたが、警視庁公安部は被疑者の一人とみて、新宿区弁天町の自宅を「被疑者不詳、不法監禁、殺人、死体遺棄」の容疑で家宅捜索した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1973年3月28日(水）&lt;br /&gt;
::革マル派全学連前委員長（11月10日に引責辞任）馬場素明(25)を立川署と警視庁公安部は逮捕した。容疑は、3月25日、自衛隊本隊移駐阻止集会の立川市曙町で起きた反帝学評との抗争事件での凶器準備集合罪と暴力行為の疑い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::【補足】田中も馬場も、逮捕の要件は反帝学評との抗争によるもので、国家権力との衝突が理由ではない。ここにも、革マル派の唱えた「戦闘」性というものが対党派に向いており、対国家権力ではなかったことがうかがえる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1973年5月下旬&lt;br /&gt;
::11.8当日リンチ殺害に関与したと推定される田中公郎、若林民生、後藤隆洋、水津則子ら革マル派メンバーの文学部構内への復帰が目撃されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1973年7月6日（金）&lt;br /&gt;
::警視庁公安部は、専修大学生・山代康裕（21）を暴力行為の疑いで逮捕。6月13日20時頃、文学部正門前で2J級友（11月8日当日に川口大三郎を連れ戻そうとして暴行を受け、これまで裁判に証人として出廷してきた）にさらなる暴行を加えた容疑。暴行に加わったのは3名で、矢郷順一（一文）も含まれる。彼らは級友を革マル派が拠点とした第一学生会館がある方向に拉致しようとしたが、幸いにも逃れることができた。しかし、この事件が影響して級友は次の公判を欠席した。&lt;br /&gt;
::[逮捕]&lt;br /&gt;
::●山代康裕	暴力行為&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1973年9月18日（火）&lt;br /&gt;
::田中角栄首相は閣議で「早大リンチ殺人の犯人検挙はまだか」と異例の質問を江崎国家公安委員長に対して行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1973年10月20日（土）&lt;br /&gt;
::未明、革マル派は全国12箇所で中核派拠点を襲撃する（第2次中核村襲撃）。この際、襲撃側の若林民生（二文自治会元委員長、11/13処分対象者＝除籍）が逮捕、勾留される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::【補足】ただし、この時点では若林の川口大三郎殺害への関与は判明していない。（1974年4月22日参照）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1973年10月21日（日）&lt;br /&gt;
::国際反戦デーのこの日、川口大三郎監禁致死の容疑で、村上文男(25)、武原光志(23)、佐竹実(23)、以上3名が宮下公園で、阿波崎文雄(26)が自宅にて逮捕される。服役中の田中敏夫(24)にも逮捕状が執行され、翌22日、別件で服役中の横浜刑務所内で逮捕される。&lt;br /&gt;
::級友への暴行で保釈中の近藤隆史(24)元二文委員長以外に、水津則子(23) 一文文化厚生部長、後藤隆洋(25)一文組織部長、矢郷順一(25)、緑川茂樹(22)、他1名、計6名にも逮捕状。&lt;br /&gt;
::東京新聞および産経新聞によれば、別事件で逮捕された革マル派の者の中に川口大三郎殺害に関する供述をした者がいて、逮捕・指名手配に結びついたという。&lt;br /&gt;
::[逮捕]&lt;br /&gt;
::●村上文男	監禁致死&lt;br /&gt;
::●武原光志	監禁致死&lt;br /&gt;
::●佐竹実	監禁致死&lt;br /&gt;
::●田中敏夫	監禁致死&lt;br /&gt;
::[逮捕状]&lt;br /&gt;
::●近藤隆史	監禁致死&lt;br /&gt;
::●水津則子	監禁致死&lt;br /&gt;
::●後藤隆洋	監禁致死&lt;br /&gt;
::●矢郷順一	監禁致死&lt;br /&gt;
::●緑川茂樹	監禁致死&lt;br /&gt;
::●他1名	監禁致死&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1973年10月31日（水）&lt;br /&gt;
::近藤、後藤、水津、矢郷が公開指名手配される。&lt;br /&gt;
::[指名手配]&lt;br /&gt;
::●近藤隆史	監禁致死&lt;br /&gt;
::●水津則子	監禁致死&lt;br /&gt;
::●後藤隆洋	監禁致死&lt;br /&gt;
::●矢郷順一	監禁致死&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1973年11月8日（木）&lt;br /&gt;
::川口大三郎虐殺一周忌。拘留期限を目前にして田中と佐竹が自供を始める。取り調べは苛烈で、川口大三郎の撲殺遺体のカラー写真を眼前に突き付けて自白を迫ったと言われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1973年11月11日（日）&lt;br /&gt;
::村上文男、武原光志、佐竹実、阿波崎文雄の4人が川口大三郎への監禁致死で起訴される。&lt;br /&gt;
::田中敏夫は、犯行への参加や指示・命令した証拠がないため処分保留になったが「一人の命を奪ってしまったことを一生かけて償っていく。二度と学生運動はしない」と転向表明をした。&lt;br /&gt;
::佐竹は自己批判書を取調官に提出。リンチの模様について絵をかいて説明するなど詳しく自供したが、遺体の運搬については「自分は関係しなかった」と言っている。&lt;br /&gt;
::[起訴]&lt;br /&gt;
::●村上文男	監禁致死&lt;br /&gt;
::●武原光志	監禁致死&lt;br /&gt;
::●佐竹実	監禁致死&lt;br /&gt;
::●阿波崎文雄 監禁致死&lt;br /&gt;
::[処分保留]&lt;br /&gt;
::●田中敏夫&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::【佐竹実　自己批判書】※&lt;br /&gt;
::川口君を死に追いやった本人として、そして当時一文自治会の書記長をやっていた責任ある者として、私が完黙（註．完全黙秘）をやめ、私の社会的責任を明らかにする心境になったのは、以下の理由によるものです。&lt;br /&gt;
::それは彼の死に直接関係した私が、自己の社会的責任を明らかにすることによって、故川口君の冥福を心から祈ると同時に、川口君のお母さんに深く謝罪したいと考えたからです。さらに、現在の党派関係の異常性とそこにおける暴力的衝突を見るにつけ、かかる現状を深く憂い、二度とこのような不幸な事態がおこらないよう強く切望しているためでもあります。&lt;br /&gt;
::私は川口君の問題を真剣に考えている全ての人々に次のことを強く訴えたいのです。&lt;br /&gt;
::現段階の党派関係は明らかに異常といえます。このような現状の中で、党派闘争に暴力を持ち込むことに関して、真剣に慎重に再検討して欲しいのです。暴力の行使に際限はありません。そしてその結果は予測をはるかに越えるものがあります。&lt;br /&gt;
::現に私は川口君を死に追いやろうなどとは、もちろん夢にも考えていませんでした。しかし結果はあまりにも悲惨なものでした。私は、私と同世代の人間的にも未熟な若い人々が暴力を行使することになれてしまうことが最も恐ろしいのです。傷つけ、傷つけられることを厭わない人間になることが真の勇気ではないと思います。人間の生の尊厳なくして人間の解放はないはずです。今こそ、この原点に立ち帰るべきです。&lt;br /&gt;
::確かに、現在の党派関係と党派闘争を正常に戻すことは非常に困難なことでしょう。容易にできる問題ではないと思います。それには大きな努力が必要でしょう。しかし誰かがやらなければなりません。私はそのことを、川口君の問題を真剣に考えている全ての人々にやり遂げて欲しいのです。私の犯したような重大な過ちが再びおこらないことを強く切望するからです。社会の矛盾を変革するために自己犠牲的な活動を展開している人々が、お互いを傷つけあうことほど不幸なことはないと考えるからです。&lt;br /&gt;
::現在、私は川口君という将来ある一人の青年を死に追いやってしまった自己の人間的未熟を痛切に反省し、あわせて川口君の霊が安らかならんことを祈っています。&lt;br /&gt;
::川口君、そして川口君のお母さん、ほんとうにすみませんでした。&lt;br /&gt;
:::　　昭和48年11月9日　　　　佐竹実　　母印&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:::※三一書房『内ゲバ』より引用。一部を修正。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::【補足】党派抗争での暴力を根絶したいという佐竹の願いは叶うことはなかった。革マル派は「公安当局の弾圧のもとで、暴力一切を否定するというブルジョア的人間観を注入されこれを粉砕し得ず、そうすることによって裏切り者となった」（『共産主義者』32号、木曾淳士こと黒田寛一）としか反応しなかった。彼らの佐竹への対応は後記の74年6月28日付読売新聞記事を参照されたい。また、これ以降20世紀末までに、党派抗争による死者が100名を超えたという厳然たる事実がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1973年11月12日（月）&lt;br /&gt;
::警視庁公安部は村上文男、武原光志、若林民生を暴力行為と傷害の疑いで再逮捕する。容疑は1972年10月17日21:00、早大文学部34号館253教室に早大社会科学部3年A君（21）を連れ込み「おまえも共青（日本共産主義青年同盟）だろう。自己批判しろ」と言って、殴る傘で突くなどして15日間のケガをさせたというもの。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1973年12月16日（日）&lt;br /&gt;
::佐竹の自供などから、警視庁公安部は、小石中也（22）（一文）ら6名を監禁致死容疑で全国に指名手配した（指名手配者は計12名に）。&lt;br /&gt;
::[指名手配]&lt;br /&gt;
::●小石中也（一文）ら6名 監禁致死&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1973年12月21日（金）&lt;br /&gt;
::拉致・殺害当日の深夜に目撃された、遺体の搬送に使われたと思われるオレンジ色の自動車は、革マル派活動家が所有する46年式のマツダ・ロータリークーペと特定された。（読売新聞12月21日付夕刊）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1974年1月29日（火）&lt;br /&gt;
::警視庁特捜本部は、監禁致死容疑でさらに4名を公開指名手配した（毎日新聞）。&lt;br /&gt;
::[指名手配]&lt;br /&gt;
::●内堀真也	監禁致死&lt;br /&gt;
::●田中公郎	監禁致死&lt;br /&gt;
::●桶谷成行	監禁致死&lt;br /&gt;
::●柘植隆治	監禁致死&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1974年3月19日&lt;br /&gt;
::東京地裁荻原昌三郎裁判長は2J級友への暴行事件で、阿波崎文雄に懲役1年、村上文男に懲役10ヵ月、武原光志に懲役8ヵ月（求刑：各懲役1年）の判決を下し、3名は控訴した。公判では、傍聴席を他大学生と思われる革マル多数が占拠し、刺すような目つきで証言する被害者を睨んだという。堪らずに級友の一人は、加害者の特定をする際に「知りません。忘れました」と証言した。なお、近藤隆史は公判に出廷せず、逃亡を続けている。&lt;br /&gt;
::[判決]&lt;br /&gt;
::●阿波崎文雄 懲役1年&lt;br /&gt;
::●村上文男	懲役10ヵ月&lt;br /&gt;
::●武原光志	懲役8ヵ月&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1974年4月22日（月）&lt;br /&gt;
::警視庁公安部は若林民生（27）二文自治会元委員長を川口大三郎への逮捕監禁、傷害致死の疑いにより東京拘置所内で逮捕した。&lt;br /&gt;
::また同容疑で、池松恒美（23）一文自治会元情宣部長、緑川茂樹（23）一文自治会元常任委員、新井直樹（27）元日大文理学部生の3名を指名手配した。（なお、緑川には前年10月21日に逮捕状が執行されている）&lt;br /&gt;
::5月10日、若林は監禁致死罪で起訴される。&lt;br /&gt;
::[逮捕・起訴]&lt;br /&gt;
::●若林民生	逮捕監禁 傷害致死&lt;br /&gt;
::[指名手配]&lt;br /&gt;
::●池松恒美	逮捕監禁 傷害致死&lt;br /&gt;
::●緑川茂樹	逮捕監禁 傷害致死&lt;br /&gt;
::●新井直樹	逮捕監禁 傷害致死&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1974年5月13日（火）&lt;br /&gt;
::馬場素明は、革マル派非公然軍事組織「特別行動隊」を率いて法政大学前に中核派を急襲し、前迫勝士（革共同東京東部地区委員長）を殺害する。指名手配されるも4年後の1978年5月18日現在、逃亡中（その後については不明）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::【補足】かつての革マル派全学連委員長も、出身母体が起こした事件の責任を取らされて汚れ役を押しつけられたのか。あるいは、もし自ら志願しての行動だったとしたら、彼にとって1972年11月18日文学部181教室での「暴力非行使」確約書への署名はどんな意味を持っていたのだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1974年6月28日（金）&lt;br /&gt;
::佐竹実、懲役7年を求刑される。妨害を避けるため裁判は極秘とされたが、佐竹の“転向”に対する革マル派の反応は厳しいものだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::☆読売新聞6月28日付夕刊&lt;br /&gt;
::見出し：川口大三郎リンチ殺人“極秘公判”で求刑&lt;br /&gt;
::　　　　注目の佐竹七年　転向声明の“報復”恐れ&lt;br /&gt;
::本文：（前略）監禁、傷害致死、傷害罪に問われた早大第一文学部自治会書記長、佐竹実（23）の論告求刑公判（第3回公判）が28日、東京地裁刑事13部（石田穣一裁判長）で開かれ、検察側から懲役7年の求刑があった。ところが、この日、公判が開かれたことは外部には一切秘密。佐竹が革マル派から転向したためで、佐竹自身も、同派の報復を恐れ「自分はどうなってもいい。家族にだけは危害を加えないでほしい」と訴えているという。&lt;br /&gt;
::この事件は犯行現場が“密室”状態の教室だったため、捜査が難航。事件から約1年後の昨年10月になって、警視庁に逮捕された佐竹が転向を表明、その供述からようやく事件の全容が解明され、佐竹ら5名が起訴に持ち込まれた。&lt;br /&gt;
::佐竹は、この時、「川口大三郎のめい福を祈るとともに、川口大三郎のお母さんに深く謝罪したい。暴力の行使には際限がなく、その結果は予測をはるかに越える」と内ゲバ横行を憎む自己批判書を書き、裁判も一人だけ分離を希望して、初公判から起訴事実をほぼ全面的に認めた。&lt;br /&gt;
::しかし、革マル派から見れば、佐竹は裏切り者。山形県の親元や佐竹の弁護を受け持った大山秀雄弁護士のもとにはいやがらせの電話が続いた。このため、裁判所側も佐竹の安全を考え、公判期日や使用法廷は報道関係者にも“完全黙秘”という気のつかいよう。万一に備えて法廷の看守を増やし、本来なら法廷で当事者と打ち合わせて決める次回期日も「追って措定」に切り替えたほか、両親など情状証人4人の尋問も公判期日外に非公開で行った。&lt;br /&gt;
::それでもさる3月の初公判の時には、どこで察知したか、東京拘置所から佐竹を乗せた護送車が東京地裁に着くと、学生風の男が3人つきまとい、法廷にも10数人が現れ、被告席の佐竹をヤジリ倒した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1974年７月31日(水）&lt;br /&gt;
::起訴された革マル派5被告の内ただ一人分離裁判を受けていた佐竹実(23)に対し、東京地裁刑事13部で石田穣一裁判長は、監禁・傷害致死傷害罪で懲役5年（求刑：同7年）を言い渡した。判決文は大学当局の責任にも触れており、各紙も見出しに「早大の責任も指摘」（毎日新聞）、「大学の事なかれ主義もしかる」（読売新聞）とそれぞれ記している。&lt;br /&gt;
::[判決]&lt;br /&gt;
::●佐竹実 監禁・傷害致死 懲役5年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::☆朝日新聞7月31日付夕刊&lt;br /&gt;
::「本件は被害者を中核派と思いこみ、一方的に大勢で暴行の限りをつくしたせい惨なリンチであり、暴力にマヒした革マル派の組織的な犯行というべきだ。いわば、起こるべくして起こった事件で、単なる偶発的な犯行とみることはできない。しかし、被告はその後、心境に変化をきたし、捜査当局に犯行を自供するとともに革マル派と手を切り、続発する内ゲバに歯止めをかけたいとの気持になっていること、大学当局が事後に適切な措置をとっていれば、被害者の死は防げたと思われること、など情状を考慮して懲役5年の刑を決めた。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::☆毎日新聞7月31日付夕刊&lt;br /&gt;
::「川口君が中核派に関係していないのに、関係していると誤認し密室に監禁し、自分の思いどおりの返答がえられないとみるや、川口君の弁解には一切耳を傾けず、大勢で暴行し死に至らしめたものである。これは討論に名を借りたリンチにほかならなかった。川口君には落度はなく学内で起こったこの事件は戦りつを感じさせる。」しかし「被告は現在、暴力行為を反省し革マル派から離脱した。内ゲバ事件に歯止めをかけたいとし川口君事件の全容を捜査当局に供述した。川口君事件にも積極的に関与したのでなく幹部の指示に従ったものだ。」「大学当局が適切な措置をしていれば川口君の死という事態は防げたのではないか。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::☆読売新聞7月31日付夕刊&lt;br /&gt;
::「暴力にマヒし切った革マル派の組織的犯罪であり、自派を絶対視して反対勢力に対しては、暴力に訴えていくかぎり起こるべくして起こった事件といえる。」「事件を早くから察知していた大学当局が適切な措置をとっていれば、川口君の死は防げたかもしれない。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1975年2月12日(水）&lt;br /&gt;
::金子賢治（二文元副委員長、11.13三役被処分者）を原宿署は殺人未遂、凶器準備集合罪などで再逮捕する。1973年11月26日、渋谷区代々木で中核派活動家とその妻を5人で鉄パイプ襲撃し、1カ月の重傷を負わせて逃げた疑い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1975年2月19日(水）&lt;br /&gt;
::東京高裁刑事4部で佐竹実の控訴審判決。寺尾正二裁判長は控訴を棄却。刑が確定した。&lt;br /&gt;
::同刑事2部で阿波崎、村上、武原の川口大三郎級友への暴力事件控訴審判決。横川敏雄裁判長はそれぞれを減刑に処した。&lt;br /&gt;
::[判決]&lt;br /&gt;
::●阿波崎文雄 懲役8ヵ月&lt;br /&gt;
::●村上文男	懲役6ヵ月&lt;br /&gt;
::●武原光志	懲役6ヵ月&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1976年3月19日（金）&lt;br /&gt;
::川口大三郎への監禁、傷害致死などの罪に問われていた早大第一・第二文学部自治会元幹部4名に対する判決公判が東京地裁刑事10部で開かれ、佐々木史朗裁判長は以下の判決を言い渡した。&lt;br /&gt;
::元二文自治会委員長・村上文男(27)に懲役8年（求刑：懲役10年）、同・若林民生(28)に懲役6年（求刑：懲役8年）、元同自治会副委員長・武原光志(25)には監禁と傷害致死幇助で懲役3年6ヵ月（求刑：懲役5年）、元一文自治会会計部長・阿波崎文雄(28)に監禁罪（傷害致死を除く）で懲役2年（求刑：懲役5年）。武原、阿波崎は川口大三郎殺害には直接関与せずと判断された。また、村上、若林、武原には72年10月17日の共青学生への暴行が併審されたが、いずれも控訴した。&lt;br /&gt;
::[判決]&lt;br /&gt;
::●村上文男	懲役8年&lt;br /&gt;
::●若林民生	懲役6年&lt;br /&gt;
::●武原光志	懲役3年6ヵ月&lt;br /&gt;
::●阿波崎文雄 懲役2年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:◆それから後の事件関係者の動向&lt;br /&gt;
::【村上文男】&lt;br /&gt;
::『梯明秀との対決』（1979年7月1日、こぶし書房）を刊行する。革マル組織から“一部の未熟な仲間”と切り捨てられた当事者の村上文男の弁明。府中刑務所内での心情を綴った「あとがきにかえて」部分にも川口大三郎殺害への反省の記述はない。黒田寛一は『共産主義者』23号で “未熟な部分”を「同時に指導部の未熟性の一表現でもある」と擁護した。殺害の直後には組織から“未熟”と否定された者が、こぶし書房から著書を刊行できたのは、これが理由ではないだろうか。つまり、川口大三郎リンチ殺人は決して未熟な“部分”が引き起こしたものではなく、革マル派という組織そのものによる犯罪だったということだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::【竹内政行】&lt;br /&gt;
::1998年1月7日、非公然アジト「豊玉アジト」が摘発され、「神戸連続児童殺傷（酒鬼薔薇聖斗）事件」に関して検事調書を盗んだ事件他で革マル派活動家1名逮捕、17名が指名手配された中に竹内政行（元二文書記長で11.13被処分者）が含まれる。彼は2005年11月30日、警視庁に出頭し、窃盗と建造物侵入容疑で逮捕される。&lt;br /&gt;
::桶谷成行もこの事件に関与したようで、2004年に裁判にかけられた記録が残されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::【水津則子】&lt;br /&gt;
::2000年2月8日、水津則子（49）は他4名とともに警察無線傍受の疑いで指名手配される。「浦安アジト」で警視庁無線を傍受し、交信内容を練馬アジトに通報していた疑い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::【大岩圭之介】&lt;br /&gt;
::第一文学部自治会副委員長として11.13に無期停学の処分を受けるも、革マル派として活動を継続。その後は海外に逃亡し、帰国して「辻 信一」の名前で表現活動を続けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:◆川口大三郎虐殺に関与したとして指名手配・逮捕・起訴された者の氏名&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::判例：×は実刑&lt;br /&gt;
::　　　△は指名手配（逮捕状執行）されるも逃亡&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::×　村上文男	二文&lt;br /&gt;
::×　若林民生	二文 （11.13三役被処分者）&lt;br /&gt;
::×　佐竹実	一文　（11.13三役被処分者）&lt;br /&gt;
::×　武原光志	二文 （11.13三役被処分者）&lt;br /&gt;
::×　阿波崎文雄	一文&lt;br /&gt;
::処分保留　田中敏夫	一文 （11.13三役被処分者）&lt;br /&gt;
::△　近藤隆史	二文&lt;br /&gt;
::△　後藤隆洋	一文&lt;br /&gt;
::△　池松恒美	一文&lt;br /&gt;
::△　緑川茂樹	一文&lt;br /&gt;
::△　矢郷順一	一文&lt;br /&gt;
::△　水津則子	一文&lt;br /&gt;
::△　田中公郎	一文&lt;br /&gt;
::△　小石中也	一文&lt;br /&gt;
::△　桶谷成行	法&lt;br /&gt;
::△　内堀真也	政経&lt;br /&gt;
::△　新井直樹	日大&lt;br /&gt;
::△　柘植隆治	明学&lt;br /&gt;
::△（氏名不明4or5名）&lt;br /&gt;
::以上、直接関与した者としてわかっているのは22もしくは23名。うち逮捕・起訴・判決・収監された者は5名のみ。他の動向は不明。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::【補足1】以上が「事件」に関与した全員とは思われない。佐竹の供述には、遺体の処理・運搬に携わった者の氏名は含まれていない。上掲の20数名の以外にも、拉致から遺体破棄までには、革マル派上部団体の幹部等が関わっていたことは想像に難くない。なお、黒田寛一は、1996年10月に革共同（革マル派）議長を辞任し、2006年に死去した（享年78）。&lt;br /&gt;
::2015年に刊行された『革マル派五十年の軌跡（第2巻）』には「総決起集会の会場に結集しつつある過程で川口大三郎君のスパイ活動が摘発されたのであった。彼は中核派学生活動家の一人として一貫して中核派の活動を現実に担い、また当日は総決起集会の周辺において結集過程のスパイ行為をおこなっていたのである」と中央学生組織委員会による1972年11月11日付とされる文章を引用し、川口大三郎スパイ説を喧伝し続けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::【補足2】川口大三郎が中核派のスパイだったとする革マルの主張は、党派闘争という文脈で語ることによって、死に至る拉致監禁を正当化するために後から貼られたレッテルである。川口は72年4月以降、ごく短期間早稲田の中核派フラクションで行われていた学習会に参加していたが、夏には連絡を拒否していたという。72年11月当時、川口が中核派と繋がりがなかったことは、家族や級友、そして中核派フラクションの責任者によって証言されている。また、後日の事実確認によって、11.8当日に関する革マルの主張が時間的に矛盾することが明らかになっている。&lt;br /&gt;
::それにも関わらず、11.8以降中核派は、機関紙「前進」で「川口君はこの春以降、わが全学連の戦列で一貫して戦闘的に闘い抜いてきた」（1972年11月20日付第610号）と、川口の死を自派の党利党略に利用した。革マルもまた「川口君の死を深く反省し、直ちに自己批判したわれわれこそ追悼の資格がある」と一周忌に声明を出すなど、川口の死を他党派排除の口実にすることをためらわなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::【補足3】その後、党派間抗争、とくに革マルと中核の勢力争いは熾烈を極め殺し合いの様を呈するようになる。学生運動史などでは、川口の死を抗争の一人目の犠牲者として位置づけており、あたかも川口が党派に属していたがゆえに殺されたと言わんばかりの記載もある。しかし実際は、革マルが早稲田大学内での支配強化を図る過程で、ノンポリながらクラス討論などで目立つ言動の多い川口に目をつけ、計画的に拉致し暴行することによって脅し、活動を抑制しようとして死に至らしめたのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::【補足4】川口が早稲田の中核派フラクションに顔を見せていた当時、同じく一文ロシア語クラスの1年生がフラクションに参加していた。革マル系文連傘下の「漫画研究会」に属していたこの人物は、後に革マル派のスパイであったことが中核派によって明らかになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:◆その後の大学当局と革マル&lt;br /&gt;
::革マルの利益のためばかりでなく、大学当局にとっては学園の“正常化”を装うために強行された1973年の第20回「早稲田祭」だったが、その後も「早稲田祭実行委員会」を隠れ蓑にした革マルによって1996年の第43回まで継続した。しかしながら、学生はもちろんのこと教職員であっても入場券代わりのパンフレットを購入しない限り期間中はキャンパスに入れないという異常事態を招いた革マルの横暴ぶりを、さすがに大学当局も看過できなくなったようで、不正経理を理由に1997年以降、早稲田祭は中止となった。この時、当局が持ち出したのが1973年に締結された『早稲田祭実施にあたっての五原則』だった。&lt;br /&gt;
::また、1995年には「商学部自治会」を非公認とし、1998年には「文連（文化団体連合会）」常任委員会への便宜供与を中止。1999年には「早稲田大学新聞会」の大学公認サークルとしての承認を取り消し、2000年には文連加盟サークルへの補助金（1サークル当たり年間35万円）の支給を中止した。さらに2005年3月になって、社会科学部自治会の公認および便宜供与を廃止した。&lt;br /&gt;
::早稲田祭および文連への利益供与や商学部・社会科学部の自治会費名目によって、90年代には年間2億円もの金が大学から革マルに流れていたとのことだが、ようやく革マルとの腐れ縁が切れたのは、実に川口大三郎の死から31年4ヵ月の時が経過した後のことだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:◆総長と11.8&lt;br /&gt;
::「俺は早稲田が好きだ」と言っていた川口大三郎が早稲田に入学した時の総長は、第10代に当たる村井資長だった。村井は、第一早稲田高等学院を経て早稲田大学理工学部応用化学科を卒業。修士課程、博士課程を修了してのち、助手、専任講師、助教授を経て1954年教授に就任。学部長、教務部長、常任理事を歴任後1970年から1978年に第10代総長を務めた。総長としては、早稲田大学100周年記念事業として、新キャンパス造成、新学部設置計画を推進した。&lt;br /&gt;
::1998年、村井は自伝ともいえる『早稲田の杜は生きている――村井資長の証言』を出版した。その中で学生運動について「強い同志的結束を持つ学生集団間で仇敵のように憎しみあい、傷つけあうことは断じて許されることではありません。ガンジーの〈霊の力、真理の力に立つ非暴力、不服従〉こそ大学に相応しい学生運動の一つの指針ではないでしょうか」という記述のあと次のように続けている。「ところが、昭和47年（1972）年11月、文学部の学生、川口大三郎君がセクト間抗争の巻き添えにあって、学内で虐殺されるという事件が起きた。これを機に各学部の自治会再建運動が沸き起こり、学内は再び紛争の嵐の中にたたきこまれたのである。講義中の私が、突然教室に入ってきた黒ヘルの集団に拉致され、断交を要求されるということもあった。私は、学生たちと対決する姿勢では問題は少しも解決しないことに確信を持っていたので、できる限り話し合おうとした。学生たちが、自らの学内の平静を求めた結果、川口君事件に端を発した学内の嵐は、翌年秋には静かになったのである。この頃の教授会、学部長会はいつもまるで眠っているようなものであった。何を提案しても賛成もしなければ、反対もしない。長い紛争に学内全体が疲れ切っていたのだ。」&lt;br /&gt;
::その後村井は、大隈講堂での統一協会会長の久保木修己による講演会を許したり（1974年11月）、「川口記念セミナーハウス」建設をめぐって自らの所有する土地の提供を申し出るなど早大原理研究会と親密な関わりを持ったが、やがて決別して1978年に「原理運動を憂慮する会」を結成し、その世話人となった。同年発行の『週刊ポスト』の記事に関して統一協会から名誉毀損で訴えられたが、1986年の一審で原告（統一協会）の請求が棄却されるも1988年に二審で和解。1992年は『週刊文春』掲載の手記で再び訴えられて8年の裁判を経て和解した。なお、この和解については統一協会側の資料に依っており実態は不明である。2006年没（享年96歳）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:参考資料：&lt;br /&gt;
::◎各紙縮刷版、国会図書館所蔵マイクロフィルム&lt;br /&gt;
::◎『内ゲバ』滝川洋、磯村淳夫 共著 三一書房1975年刊&lt;br /&gt;
::◎『警察白書』各年度版&lt;br /&gt;
::※指名手配等の日時は新聞によって異なる場合がある。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B45%E6%9C%8816%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%B0%B4%EF%BC%89_%E5%85%A8%E5%AD%A6%E5%9B%A3%E5%AE%9F%E5%A7%94%EF%BC%88%E6%BA%96%EF%BC%89%E7%B5%90%E6%88%90%E3%80%82%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%AF%E6%B7%B7%E4%B9%B1%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%87%B8%E5%BF%B5%E3%82%92%E7%90%86%E7%94%B1%E3%81%AB%E7%B7%8F%E9%95%B7%E5%9B%A3%E4%BA%A4%E4%B8%AD%E6%AD%A2%E3%82%92%E7%99%BA%E8%A1%A8%E3%80%82&amp;diff=867</id>
		<title>1973年5月16日（水） 全学団実委（準）結成。当局は混乱への懸念を理由に総長団交中止を発表。</title>
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				<updated>2021-10-08T02:23:07Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:セクト間抗争の激化、団実委は学生の代表とは認められない等の理由をあげ、当局は17日の全学総長団交の中止を発表した。これによって5.8の村井総長の確約書は反故となった。かつて早大一次闘争時にも大濱総長（54－66）が団交をボイコットしており、時間を経ても、学生に対する当局の姿勢に変化がないことが実証された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:◎全学団交実行委員会（準）結成。&lt;br /&gt;
:政経執行委、一文執行委、教育執行委、二文臨執、政経団実委（準）、一文団実委、教育団実委、二文団実委、社学団実委（準）、理工団実委（準）、サークル団実委（準）&lt;br /&gt;
:●15:30　大学当局は学内６カ所掲示版に「学生諸君へ」5.17団交確約破棄を掲示。&lt;br /&gt;
:◎一文、48年度自治委員総会を告示。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【当局による団交中止の発表】'''&lt;br /&gt;
:当局は、全学集会（全学団交）の中止を発表。総長自らが署名した確約が破棄された。&lt;br /&gt;
:「学生諸君へ&lt;br /&gt;
::大学は、全学的集会をもつべく、鋭意・検討を重ね、17日を期して努力してきたが、数日来の学内の状況をかえりみるとき、セクト間の抗争がきわめてはげしく、もし今の時点で集会をもつならば、大混乱が起きることは明白であり、状況によっては、人命にもかかわる事態が発生しかねない。&lt;br /&gt;
::右の状況から、予定していた全学集会は、これを取り止める。&lt;br /&gt;
::もとより大学は、全学的に多くの学生諸君が出席し、かつ、秩序が保たれ、ルールが守られるなら、集会をもつことにやぶさかでないことを重ねて表明する。&lt;br /&gt;
::昭和48年5月16日&lt;br /&gt;
::早稲田大学」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:当局は、「全学的集会をもつべく、鋭意・検討を重ね、17日を期して努力してきた」というが、具体的にどのような努力をしたのか。&lt;br /&gt;
:全学集会の主体は、当局ではなく、手段はともかく総長の確約を取り付けた学生（団実委他）にある。それを「予定していた」と、さも積極的に開こうとしていたのが当局であるかのような書きぶりは、まったくの欺瞞である。さらに、人命に関わるかもしれない事態を傍観していたのは当局であり、あらかじめ暴力～混乱～集会中止の筋書きが、KK（革マル、権力）との間で出来上がっていたことが推測される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:後日、凶器準備集合罪に問われた団実委メンバーの裁判記録では、当時の学内状況および団交中止に至る経緯に関して次のように言及している。&lt;br /&gt;
:「同年5月8日理学部（原文ママ）の教室で講義中の村井総長を一部の学生らが本校舎8号館301番教室に連行して、いわゆる団体交渉を行い、その結果同総長において来る同月17日再度の団体交渉に応ずる旨の確約書に署名捺印したことは、さきにも述べたとおりであるが、この件について、同月14日、大学当局が『総長が講義中一方的に拉致されたということについては遺憾であるが、学生らが集会をもちたいということを強く希望していることはわかったから、それは実現したいと思っている』という趣旨の告示を行い、あたかも前期確約書の内容を追認したかのごとく思われる見解を表明したというのに、その翌々日の同月16日には、にわかに前記のとおり『セクト間の抗争がはげしく、今の時点で集会をもつと大混乱のおきることが予想される』との理由で、5月17日の集会をとりやめる旨の告示が出されたということについては、その間における当局側の学内情勢の把握による判断の結果であるとは察せられるが、少なくとも外見上はいささか奇異の感を禁じ得ないものがあるといわざるを得ない。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:また、当局の背景を伺わせる記述もある。&lt;br /&gt;
:「関係学生の代表らは5月10日以降大学当局者側との間に数次の会合をかさねて、右大衆団交を行う場所の決定等細目についての打ち合わせを行ったが、その点についての当局側からの確答が得られないばかりか、かえって『5月17日に団交をやったら学校をつぶしてしまうというようなことを革マル派の学生が言っているから、大混乱が起きるよ。君らもけがをするかもしれないから、いっそ団交を止めるということにしたらどうだろう』などという消極的な意見が当局側から出されるなどして、決着のつかないままに日を過ごしているうちにその集会の予定されていた右5月17日の前日である5月16日になって、突如『セクト間の抗争はげしく、もし今の時点で集会をもつと、大混乱のおきることが予想される。』との理由で5月17日の集会をとりやめる旨の告示が出されたので、これを知った前記準備会の責任者が、大学当局に対して電話で総長が団交で確約したにもかかわらず、そのような告示で一方的にこれを破棄するのは許されない旨の抗議を申し入れたがこれについてはもはや話合いの余地なしとして拒否されてしまった。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【団交中止の理由】'''&lt;br /&gt;
:16日夕刻、押村襄常任理事が記者会見を行い、団交中止の理由として「行動委学生との話し合いにおいて議題や団交の方法について意見が一致しなかった」「15日に開かれた革マル派の全国集会には900人が参加。この人数で団交が実力粉砕されれば大混乱となる」「行動委系の全学団交実行委は、全学生を代表しているとはいえない」との3点を挙げた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【村井総長の談話】'''&lt;br /&gt;
:団交中止の発表を受けて村井総長は次のような談話を発表した。&lt;br /&gt;
:「授業中の教員を不法に連れ去ることは容認出来ないが、理性による対話を確立しようと努力して来ているので、全学的集会への参加を決意した。現実には力の論理を信じる学生セクトが横行していることは誠に不幸なことだ。話し合いの場をもって反省と前進を求めようとしたが、それが時期を得ず不可能であることを知らされた。」（1973年5月17日付毎日新聞）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【毎日新聞による解説】'''&lt;br /&gt;
:1973年5月17日付毎日新聞は8段抜きで「早大の団交中止」を報じた。その中の「解説」は当時の状況を次のように分析している。&lt;br /&gt;
:「当局による団交の中止は17日の“混乱”を避けたものの、紛争のいっそうの長期化を決定的にし、セクト間の対立をさらに深めた。&lt;br /&gt;
:8日の総長断交以来、総長を学生の前に引出し団交を確約させた黒ヘルグループの行動委は、反革マル派のなかでの主導権を得たように思えた。しかし各学部反革マル執行部の態度は、政経、一・二文、教育の4学部臨時執行部がこれを支持したが、民青系の法学部自治会は『全学の支持を得ていない』として団交を認めず、同学部と社会科学部の臨時執行部も態度を保留した。&lt;br /&gt;
:一方、団交実力粉砕を叫ぶ革マル派は15日の『小選挙区制反対』の全国動員で900人が構内に集まって勢力を誇示。これが『団交を開けば大混乱になる』と大学当局に恐怖感を与えた。&lt;br /&gt;
:“一般学生”の自治会再建への動きはセクト間の争いに反発を感じながらも、大学との接触の場を求める気持が強かっただけに、当局の団交破棄はこうした一般学生の反発を買い、やがては当局への不信感が『なにをやってもダメ』という無関心に変化しそう。結局、総長の“約束”は、混乱に輪をかけただけといえる。（荻野祥三記者）」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【団交中止その後】'''&lt;br /&gt;
:それまで大学当局による「管理支配体制」と呼ばれていたものは、大学当局が、革マル派自治会を承認することによって、革マルを通して学生の活動を牽制、抑圧する支配構造であった。ところが、14日の集会実施の告示から15日の集会中止の告示においては、その間わずか一昼夜と、当局の翻意はあまりに唐突であった。前出の裁判記録の中でも、突然の団交中止の告示は「いささか奇異の感を禁じ得ない」と、当該の裁判官が発言している。あくまで推測の域は出ないが、14日から15日にかけて、当局と革マルの間で、それまでの力関係を逆転するような事態が発生したのではないか。諜報活動に長けた革マルによる当局への脅し、あるいは暴力を背景にした恫喝等によって、当局が団交の中止表明に追い込まれた可能性は想像に難くない。また、この年の第20回早稲田祭が革マル主催で行われたこと、さらにそれが1996年の第43回まで続き、90年代には年間2億円が大学当局から革マルへ渡ったと言われるなど、長年にわたり早稲田大学は革マルの資金源となったのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1q3ZyLpiKtzJ53W-BkKpLp78M51OVifbC/view?usp=sharing 5.17裁判記録]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

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		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B411%E6%9C%8819%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%89%E3%80%8C%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E7%A5%AD%E4%B8%AD%E6%AD%A2%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%8C%E5%85%A8%E5%AD%A6%E7%B7%8F%E9%95%B7%E5%9B%A3%E4%BA%A4%E3%81%AE%E5%86%8D%E9%96%8B%E3%80%8D%E3%82%92%E5%91%BC%E3%81%B3%E3%81%8B%E3%81%91%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8%E5%8D%A0%E6%8B%A0%E3%80%8214%E4%BA%BA%E9%80%AE%E6%8D%95&amp;diff=866</id>
		<title>1973年11月19日（月）「早稲田祭中止」と「全学総長団交の再開」を呼びかけ図書館占拠。14人逮捕</title>
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				<updated>2021-10-04T05:17:19Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:午後８時過ぎ、トラックで乗り付けた14人が図書館に入り中から封鎖、「早稲田祭中止」と「総長団交実施」を求めて抗議活動を展開した。しかし、大学当局は機動隊を要請。午後11時過ぎ、14人は不退去罪で逮捕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【11月19日午後8時】'''&lt;br /&gt;
:早稲田キャンパス新聞185号は次のように報じた。&lt;br /&gt;
:「11月19日夜8時頃、行動委系学生14名が、本部構内の図書館に突入、占拠した。図書館の内側から鍵をかけ閉じ込もってアジテーションをしたり、蔵書を投げるなどして抗議した。図書館占拠という手段に訴えた要求項目は、『虐殺者の祭典・早稲田祭を即時中止せよ！』『早大当局者・村井総長は、5.17団交からの逃亡を自己批判しただちに全学団交に出席せよ！』である。大学当局は、同夜11時頃一部学生が図書館を不法占拠したとの理由により、機動隊の出動を要請、結局、図書館を占拠した学生は、14名全員、『不退去罪』で逮捕された。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:読売新聞は翌11月20日の朝刊に、「早大で図書館ジャック『祭』中止など要求し攻防４時間、本投げ抵抗14人逮捕」の見出し付きで写真入り6段抜きで報じた。&lt;br /&gt;
:「19日午後８時ごろ、東京・新宿の早大（村井資長学長）で、黒ヘルメットの学生14、５人が正門から構内に侵入した。学生らは正門わきの図書館（一部７階建）にたてこもり、屋上からマイクで、大学に対し、早稲田祭の中止と総長団交を要求、これに対し大学側は『学外に出なさい』と再三にわたり警告、警視庁機動隊と戸塚署員約100人も学内外に待機した。だが、学生らは、屋上から図書館の本を投げたりして抵抗、このため同9時すぎ、大学の了解を得て機動隊員が図書館に入り、20日午前零時ごろ。4階の書庫に閉じこもっていた学生ら14人を不法退去で逮捕した。（後略）」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:朝日新聞は同11月20日の朝刊に「黒ヘル14人を逮捕　早大図書館に乱入」の見出しで「19日午後7時半ごろ、東京都新宿区の早稲田大学3号館前に、黒ヘルメットの男たちがレンタカーで乗りつけ、同館内の図書館にはいり、ドアをしめて中にたてこもった。大学側は再三構外へ出るよう警告したが聞きいれられないため、機動隊約100人が出動、ドアをこじあけ中にいた14人を不退去の現行犯で逮捕した。戸塚署で調べているが、22日から始まる早稲田祭に反発する過激派が気勢を上げたらしい」とのベタ記事で、また毎日新聞も同日の朝刊に「図書館占拠し蔵書を投げる　早大で14人逮捕」と見出しを付けたベタ記事で「19日午後8時ごろ、大学祭を3日後に控えた早大で、黒ヘルメット姿の学生数人が、職員らの制止を振り切って同大本部構内の図書館にはいり、中にいた学生を追い出して内側から鍵をかけて占拠した。閉じこもった学生たちは屋上に備えつけたマイクで大学祭（22日～26日）の中止と総長団交を大学側に要求した。これに対し大学当局は同9時過ぎ学外退去を命じたが、学生たちは応ぜず、屋上から蔵書などを投げ捨て抵抗の構えを見せた。大学からの要請で同11時15分、戸塚署員と警視庁機動隊が出動し学生14人を不退去罪で逮捕」と報じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【全員に告ぐ、全員に告ぐ】'''&lt;br /&gt;
:逮捕後組織された救援会のパンフレットに、図書館占拠の際に出たビラが残されている。&lt;br /&gt;
:●全員に告ぐ、全員に告ぐ、全員に告ぐ－－我々は虐殺者の中枢を占拠した●&lt;br /&gt;
::　川口君虐殺徹底糾弾　虐殺者の杜を占拠せよ&lt;br /&gt;
::　虐殺者の祭典：早稲田祭を怒りをもって粉砕せよ&lt;br /&gt;
::　総長村井の5.17団交からの逃亡糾弾！　全学総長団交へ出てこい&lt;br /&gt;
::　当局-革マル-民青（民青・日共教職組）の三位一体となった早大管理支配体制解体&lt;br /&gt;
:「一年たった今、激烈をきわめた我々の闘いは終息したかにみえる。だが何も変わらなかったのか。〈早大管理支配体制〉は不抜のまま強力に転生したのか。その如何を知らねばならぬ今こそ、表面的な平穏さの裏に進行する支配と反抗のせめぎあいの実相に眼を開けて迫れ。そこに虐殺者たちの薄氷を踏むような窮状と、早大学生大衆の叛乱の確かな手応えを感じうるだろう。&lt;br /&gt;
:……すべての友よ！絶望はまだあまりにも早すぎる。我々はまだうちのめされていないし、敵は弱っている。確信をもって闘いを持続せよ！冬の11月を熱の叛乱の中に焼き尽くすべく、敵のド肝をぬく闘いを準備せよ！闘いに着手し、叛乱を拡大せよ！&lt;br /&gt;
:……最後に我々は、我々のこの闘いが広汎な学友の共感と共にあることを確信し、それ故に、早大4万学生大衆の名をもって、以下のことを要求するものである。&lt;br /&gt;
:◇虐殺者の祭典・早稲田祭をただちに中止せよ！&lt;br /&gt;
:◇早大当局者・村井総長は5.17団交からの逃亡を自己批判し、ただちに全学団交に出席せよ！&lt;br /&gt;
:そして全学友に呼びかける。希望をもって闘いを持続せよ！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●虐殺者への抵抗戦を希望を持って持続せよ！●&lt;br /&gt;
:「困難な抵抗戦を強いられている早大4万の友よ、だが希望と確信をもってこの闘いを持続せよ。行為の確かさが結びつけた我々の共同性を闘いの具体性の中に爆発させよ。もはや言葉をもてあそぶことはいらない。ふてぶてしく、したたかに、ただ黙々と実践せよ。実践の共有、行為の共同性としてのみ我々の闘いは可視化され、更に広大な叛乱へ注ぎ込まれるのだ。&lt;br /&gt;
:……鉄パイプをくぐりぬけ、背後から回り込む敵をけちらし、時の風化作用を拒否し、怒りすら凍てつくような極寒を耐えぬいている友よ、更に更に確信を深め抵抗戦に着手せよ！我々は虐殺の日常へは二度と戻らない。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●川口はもう帰らない。こんな早稲田ならつぶれてしまえ。●&lt;br /&gt;
:「権力・革マルの邪悪な爪に追われた窮鳥たちが今日、あらんかぎりの力をもって敵の心臓部に喰らいついた。窮鳥たちに向けて不当な攻撃がしかけられるとき、彼らはさらに力をふりしぼって敵の心臓を確実に喰い破るであろう。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●行動は開始された。われらが怒りよ、早稲田を焼き尽くせ。●&lt;br /&gt;
:「きょうの我々の行動はやむにやまれぬ思いからであり、早大4万学生大衆が心中密かに望んでいた直接行動であったと確信している。我々は、いっさいの政治党派の介入を拒否しつつ、川口君虐殺を真に糾弾するひとりの無党派学生大衆としてこの突出した行動に着手した。学生大衆自身の自衛武装の第一歩がここに印されたのだ。このビラを手にした君も立ちあがってほしい！学友たちが慣れない武器を手にして、身体生命の危機を犯して行動を開始していることを真摯に思ってほしい！そして今、できることから、できることだけは、行動をもって始めてほしい。機動隊・革マルの武装制圧の中で、キャンパスで安全な空間といえば、大学の死活のかかった『財産』の内部と早大4万学生大衆の海の中にしかない。我々の行動について、革マルの縄張りや、大学の『財産』を奪い取ろうとしているなどという馬鹿げた妄想は決してしないでほしい。我々は、総長団交の即時開催と『革マル祭』の即時中止を要求する。もし大学当局が川口君虐殺と革マルのテロ・リンチの責任を回避し、機動隊を導入するならば、我々の身体生命の危機を含めて大学にとって最悪の事態が起きることを警告し、4万学生大衆の行動が一刻も早くくることを信じている。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●“信じてくれ、僕は逆さに吊るされ殺された”（ハンガリアの笑い）●&lt;br /&gt;
::　ワセダの擬制「戦闘的」「民主的」両派粉砕！&lt;br /&gt;
::　底辺からの自立した抵抗戦をもって「ワセダの日常」を寸断せよ！&lt;br /&gt;
::　ワセダ祭阻止！総長団交勝利！早大管理支配体制粉砕！&lt;br /&gt;
:「まさしく『宗教』は阿片である。倒錯したクロカン哲学の観念的疎外物である宗派の自己運動。その荒廃した党派闘争至上主義の教条が、数百を超える革マルの下部活動家をかくまで長きにわたって、いかなる疑念をも押さえつけて酔わせ盲従させてきたのだから。……この1年間の革マルの主張が、デマと嘘と恫喝に過ぎなかったことが、一文SとTの2名の自己批判書であまりにも見事に明らかになったではないか。だが、彼らも気づくのがあまりにも遅すぎた信仰の犠牲者だったのだ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:これらのビラは早大11.19図書館占拠闘争救援会による「獄中同志奪還のためのカンパ要請趣意書」に詳しい。また救援会による「パンフ作成にあたって」では、この占拠闘争の概略にふれ次のように述べている。&lt;br /&gt;
:「図書館を自らの存在の一切を賭けて占拠し、革マル祭の中止と、5.17全学団交からの逃亡糾弾＝再度の全学総長団交を要求した闘いは11月19日決行された。早稲田の血に汚れた杜が解放されて我々のものになるのか、虐殺者達の擬制の抑圧の杜として再び回帰していくのか、11.19闘争の戦士たちはするどく全ての早大生に問うている。突出した抵抗戦に対して早大当局は、この戦いが根源的であるが故に、自らの存在根拠としてある〈管理〉牙をむき出し、国家権力＝機動隊を導入し、14名の戦士たちを不当にも権力に売り渡し、闘いを闇から闇に葬り去らんとしたのだった。我々はこの図書館占拠闘争が、昨秋11.8以降の早大闘争のさまざまな過程の中で獲得した、自立せる内発性と戦闘性を評価し、不当にも獄中につながれ、獄中においても闘いを貫徹している14名の戦士たちを救援すべく救援会を組織した。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【図書館占拠に至るまで】'''&lt;br /&gt;
:図書館占拠では、P A C（政経学部行動委）とサ連で活動した早大二次闘争の経験者がまとめ役であり、リーダー的存在であった。当時を語った談話で図書館占拠に至るまでの経緯を次のように語っている。項目別に整理抜粋した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●大学当局への思い&lt;br /&gt;
:川口君は結局、ロックアウトの状況下で殺されているわけですよね。大学当局がロックアウトをやっているなかで、革マルが学内にいてリンチをやっているのだから、大学の責任は重いと思う。革マルがやってきたことを許した責任というのは、全部大学側にあるのです。川口君が死に至った理由というのはそれ以外にない。革マルは悪い。だけど、大学はもっと悪いと思っています。村井総長はたしかにお飾りなのかもしれないけれど、大学のトップとしては、少なくとも学生に対して何らかの謝罪を公の場でなすべきだった。だから、あるべき大学の秩序を奪った大学当局に対して僕らは団交を求めていったわけです。単に謝れということではなくて、それを生み出してきた日常性みたいなものに対して抗議するという意味で団交を求めたと思っています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●5.8団交&lt;br /&gt;
:はじめは理工にルートがあるから「やりましょうか」「いいね」みたいな話から始まった。本当は1週間前にやる予定だったのが、人数が集まらなくてやめました。前日は東大の三鷹寮に泊まり込んで部隊編成というか、役割分担をした。僕は車で理工に行って総長を建物の前で受け取って、それ以降の責任を持つことになっていた。総長を乗せた車と部隊が並走して本部まで来て、部隊がバリケードをどかして北門からそのまま構内に突っ込んだ。総長を8号館に連れていって座らせ、僕がアジった。実際の団交の司会進行は、団交実行委員会にやってもらった。始まったら学生が集まってきた（編注：新聞では3000人位とある）。あの時、革マルは文学部に部隊をかき集めていた。こちらは学生がいっぱい来ているから襲われる心配はなかったけれど、とりあえず革マルは部隊を文学部に溜めていた。革マルもどうしたらいいかわからなかったと思う。団交の中身については、極端に言うと「やりましょうか」と言って「いいですよ」みたいな軽いノリで、あまり深く考えていなかった。団交実行委員会の方で考えていたのかどうか。総長を引っ張り出して、大衆の前でいろいろ疑問を解消して、最低でも謝ってもらいたいなというふうには思っていましたけれど。（編注：5.17団交の確約を反故にされたことを受けて）あの状態でそのまま続けた方が良かったという意見もある。だけど、まぁ、しょうがないな～という感じもある。やっぱり大学当局を信じすぎたところがあるのかな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●発想の元&lt;br /&gt;
:この話の始まりは8月の末くらい。6月のゲバルト（編注：6.4の革マルと衝突で勝利したことを指す。勝利したが、学内に拠点がないので優勢を保持できなかった。）の反省があり、何をもって闘わなくちゃならないかを考えたら、徹夜集会や1.19、総長団交みたいに軸があれば学生が集められる。革マルは人が集まる機会を閉ざしているから、人さえ集められれば、確率的にも物理的にも私たちが勝てるというふうに考えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●人集め&lt;br /&gt;
:後退局面なので個別に話した。団交なんかの時は「みんなでやりましょう」って言えば「みんなでやりましょう」なんですが、後退局面で負け続けているような状況になると、「やりませんか」と言って個々に説明しないと無理なんです。そうなるとどうしても情報が漏れる。それが党派に漏れちゃって、党派と交渉しなければならなくなった。交渉には一切関わらなかったけれど、党派との約束なんかもしなくちゃならない。そうなると期日も限られてきますよね。当日、学内で部隊を待機させていた党派があったけれど、15人だった。それぐらいの人数だったらこちらでも集めるのは難しくない。人数の話ではないんですよ、早稲田でやっていくためには。だからあまり党派とはやりたくなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●メンバーの顔ぶれ&lt;br /&gt;
:政経行動委（P A C）を中心にしたメンバー構成になりました。半分以上が政経、あとは一文、教育、社学です。人数も多くなかったから、政経とそれ以外に分けて分担してオルグしました。（編注：政経8人、一文3人、教育2人、社学1人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●実行期日&lt;br /&gt;
:やると決めた11.19は、早稲田祭を中止させるリミットに近かった。目標としてはもっと早い時間、昼間のうちにやるつもりだったけれど遅くなった。集合場所の明大の生田がロックアウトだった。青解が封鎖していたの。それで遅くなった。いろいろ調べて、図書館に入りやすい時間帯があることがわかっていて、昼を外すと少し遅くなる。期日を延ばすという選択肢はなかったから、結局ああいう結果になったんですけれど。意図としては、学生を集めてやればなんとかなるかなと、それ以上のことはあまり考えていなかった。こういう形で人を溜めてやるような形の闘争をやろうとしたものだから、外にも人を確保しておかなければならない。そうした人員もいました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【証言】'''&lt;br /&gt;
:「たぶん前日だったと思うのですが『トラメガがない』という電話を受けて、慌てて秋葉原に走りました。とにかくお金がない時期で、居合わせた3人で出し合って小型のトラメガと予備の乾電池1組しか買えませんでした。どこで誰に手渡したか覚えていません。また、立てこもり計画には参加しませんでしたが、三段式の鉄パイプを提供した当事者としては責任もあり、私たちのグループの一員を一般学生のふりをさせて図書館に潜ませておきました。『突入しました』という報告を聞いたのを覚えています。」（一文2年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【1976年１月26日】'''&lt;br /&gt;
:図書館占拠闘争の裁判は76年1月26日に結審した。判決は罰金刑1万円。検事の求刑は懲役1年であった。この判決について公判を支えてきた図書館占拠闘争公判対策委員会は「裁判所の『判決』は、弁護団、『被告』団の執拗な反証展開によって、早大当局の川口君虐殺事件以降の無為無策を認めつつも、『建造物侵入』なる罪名を容認する立場を一貫して堅持しているのである」とした。公判では、早稲田管理支配体制の実態を訴え続け、村井総長の喚問も実現したが、問題の核心に触れる判決は引き出せなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1UJ3LwNWDpAPD1vu__l_Mi7mqU9jOs7wP/view?usp=sharing 蝶のように舞い　蜂のように刺せ－図書館闘争11戦士　遂に公判廷に登場]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/13V4xF3nMEBOl9BY4oxQ-tjnxkYLHyHOv/view?usp=sharing 獄中同志奪還！　無名大衆の自立的抵抗運動の火柱で早大管理支配体制を解体せよ]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1QbMoqQyN-qmr0bf1iFsdtS-_E8NpWSZC/view?usp=sharing 獄中同志奪還のためのカンパ趣意書]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1W44j5Kya-jyl7KXCpYmp6C4LX7YFpQV-/view?usp=sharing 救援会通信　号外]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/13_e_v7V-JMQ129bWlI6u5AyfzE-kDOj0/view?usp=sharing 光る風　冒頭陳述集　その2]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/17Rdvxwzp_hKtD_qurU0UCr9-BpriILFe/view?usp=sharing 「光る風」改題　若きサンキュロット]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1yCAEakpFbFWAcpF7KTVm3xn6uMMRcQAh/view?usp=sharing サンキュロット　第9号]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B411%E6%9C%8820%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89_%E6%94%BF%E7%B5%8C%E3%83%BB%E6%95%99%E8%82%B2%E3%83%BB%E8%A1%8C%E5%8B%95%E5%A7%94%E3%81%8C%E6%9C%AC%E9%83%A8%E3%81%A7%E9%9B%86%E4%BC%9A%E3%80%82%E3%80%8C%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E7%A5%AD%E4%B8%AD%E6%AD%A2%E3%80%8D%E3%82%92%E8%A8%B4%E3%81%88%E3%82%8B&amp;diff=865</id>
		<title>1973年11月20日（火） 政経・教育・行動委が本部で集会。「早稲田祭中止」を訴える</title>
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				<updated>2021-10-04T03:14:48Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:政経と教育自治会100名は正門前通りをデモ行進し機動隊と対峙。図書館前では行動委に叛旗、戦旗が加わり、構内にあった革マル派の早稲田祭の大看板など約10枚を次々に壊し、図書館前広場に積み上げ火をつけた。この間、一般学生も1000人以上が集まって成行きを見守った&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【図書館占拠翌朝】'''&lt;br /&gt;
:図書館占拠の翌朝、本部構内は騒然とした様相を呈した。早稲田キャンパス185号の記事を追うと次のようになる。なお、当初の計画では、図書館占拠に呼応する形で集会が予定されていたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●革マル&lt;br /&gt;
:20日午前10時頃から、革マル派学生百余名は、学内で集会・デモを始め、その後昼過ぎ頃11号館へたてこもった模様であった。&lt;br /&gt;
:●行動委系&lt;br /&gt;
:教育学部自治会を中心とした行動委系学生は、1時頃から大隈講堂前に結集し始め、２時頃、約70名がデモ隊列を作り、正門から構内に突入し、銅像前で集会を行ったり、『早稲田解放、革マル粉砕』をさけんでデモを行ったりした。この集会では主に、革マル早稲田祭への批判及び不参加の態度表明や、前日の図書館占拠学生に対しての不当逮捕糾弾や、当局の自治会不承認・革マル早稲田祭承認に対する態度糾弾が為された。&lt;br /&gt;
:●法学部自治会・民青系&lt;br /&gt;
:法学部自治会、民青系を中心とする学生は、正午頃から8号館で集会を開き、その後、文学部構内へデモ隊列を組んで移動した。文学部で設けられた集会は、多数の一般学生を含んで行われ、約1500名の数に達した。&lt;br /&gt;
:●行動委系&lt;br /&gt;
:2時頃、正門を通過した行動委系学生が銅像前で集会を開くのと機を一にして、文学部での集会を終えた学生はデモ隊列を組んで南門から本部構内にはいり、学内は集会やデモ隊、それを傍観する一般学生などで騒然とした。&lt;br /&gt;
:●当局&lt;br /&gt;
:この間、当局は『授業のさまたげになる』として『デモ集会の学生解散、一般学生の傍観禁止』する旨の学内放送を再三流したが、事態はさらに流動化した。&lt;br /&gt;
:●行動委系＋叛旗＋戦旗&lt;br /&gt;
:図書館前では、行動委系の学生に叛旗派、戦旗派学生も加わって、革マル系のタテ看を破壊、放火した。&lt;br /&gt;
:●政経＋教育&lt;br /&gt;
:一方、政経自治会を中心としたデモ隊列は、教育自治会を中心とした行動委系学生と合流し、約百余名で正門から学外へ出て正門前通りをデモした。&lt;br /&gt;
:●機動隊&lt;br /&gt;
:午後3時過ぎ、機動隊はデモ隊を『規制』にかかったため学生と衝突、デモ隊は解散させられて、騒然とした事態は自然に解消していった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:以上の記述の最後に早稲田キャンパス185号はこの事態を「早稲田祭に焦点を合わせて引き起こされたものである」とし「早稲田における自治会・文化団体連合会を基盤とした革マル派の制度的在り方に対する疑問は、急速にその輪を拡大」し、その流れの中において「11.8以来、一連の流動過程は数多くの衝突を経、夏期休暇以来、学内には再び表面的平静が支配的となった。19、20両日は突発的ではあるが、昨年以来の流動の一環として位置するものである」とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:毎日新聞は次のように報じた。&lt;br /&gt;
:「早稲田祭前に反対派が暴れる－－22日からの『早稲田祭』の開催をめぐって学生の対立が続いている早大で20日午後、早稲田祭に反対する学生二派が集会を開き、一部は革マル派の立看板を燃やすなどして暴れ、学生4人が逮捕された。同日正午すぎ、学生約500人が本部前に集まり『革マルが主催する早稲田祭を大学当局は中止せよ』と叫んでデモ行進した。一方、これとは別に午後3時半ごろ、反革マル派約60人が図書館や本部校舎のガラス窓をたたき割ったり、革マル派が立てた早稲田祭の立看板に火をつけるなどして気勢を揚げた。このあと学外に出て、警戒していた機動隊と小ぜり合いとなり、学生3人が公務執行妨害で逮捕、また、5月8日、村井資長総長を強制的に学生の集会に連れ出し手配されていた政経学部2年生、A（当時19歳）も逮捕された。」（1973年11月21日付毎日新聞）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B410%E6%9C%8822%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%895.17%E8%A2%AB%E5%91%8A%E5%9B%A3%E7%AC%AC3%E5%9B%9E%E5%85%AC%E5%88%A4%E3%81%A7%E8%A3%81%E5%88%A4%E9%95%B7%E3%81%8C%E6%A4%9C%E5%AF%9F%E5%81%B4%E3%81%AB%E8%B5%B7%E8%A8%B4%E7%90%86%E7%94%B1%E3%81%AE%E9%87%88%E6%98%8E%E3%82%92%E8%A6%81%E6%B1%82&amp;diff=864</id>
		<title>1973年10月22日（月）5.17被告団第3回公判で裁判長が検察側に起訴理由の釈明を要求</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B410%E6%9C%8822%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%895.17%E8%A2%AB%E5%91%8A%E5%9B%A3%E7%AC%AC3%E5%9B%9E%E5%85%AC%E5%88%A4%E3%81%A7%E8%A3%81%E5%88%A4%E9%95%B7%E3%81%8C%E6%A4%9C%E5%AF%9F%E5%81%B4%E3%81%AB%E8%B5%B7%E8%A8%B4%E7%90%86%E7%94%B1%E3%81%AE%E9%87%88%E6%98%8E%E3%82%92%E8%A6%81%E6%B1%82&amp;diff=864"/>
				<updated>2021-10-04T03:10:09Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:5.17被告団第3回公判が開かれた。裁判では、凶器準備集合罪の現行犯で逮捕したものの起訴の罪状は軽犯罪法違反であったことから、逮捕の妥当性が問われていた。前回に続いて逮捕の状況を明らかにすべく2名の証人が証言したが、明らかな食い違いが見られた。裁判長は検察側に、起訴事由を明らかにするよう釈明を求めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【検察側に異例の釈明要求…5.17被告団第3回公判】'''&lt;br /&gt;
:5.17被告団第3回公判は当初9月16日に行われる予定だったが、被告の一人が三越襲撃事件で不当逮捕され22日間勾留されたため延期された。この日は、凶器準備集合罪で逮捕時の状況をめぐって被告人二人を逮捕した金子・鈴木両証人の証言を中心に進められた。&lt;br /&gt;
:鈴木証人によると、二人を凶器準備集合罪で逮捕した理由は「鉄パイプを所持」「革マル粉砕を叫んでいた」「当日反革マル派が革マル派を攻撃するという情報があった」とした。しかしこれらは、凶器準備集合罪の条項にある「共同して第三者に危害を加える目的」に該当する具体的な事例を明らかにするものではなく、前回の萩原証人の発言と同じく曖昧な証言に終始した。また、位置的・時間的確認においては金子・鈴木両証人の証言に食い違いが見られ、逮捕の不当性がさらに浮き彫りになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:最後に、裁判官から検察側に2点についての釈明要求がなされた。&lt;br /&gt;
:1. 凶準の現行犯で逮捕しながら「正当な理由」の不充分性を認め撤回した姿勢は、消極的意味か、積極的意味か明らかにせよ。&lt;br /&gt;
:2. 軽犯罪法適用の妥当性について釈明せよ。&lt;br /&gt;
:この釈明要求は裁判としては異例ともいえるもの。この要求に対して検察官は、次回の公判までに文書で提出するとした。&lt;br /&gt;
:（早稲田キャンパス184号）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

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		<title>1973年10月22日（月）5.17被告団第3回公判で裁判長が検察側に起訴理由の釈明を要求</title>
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				<updated>2021-10-04T03:09:16Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:5.17被告団第3回公判が開かれた。裁判では、凶器準備集合罪の現行犯で逮捕したものの起訴の罪状は軽犯罪法違反であったことから、逮捕の妥当性が問われていた。前回に続いて逮捕の状況を明らかにすべく2名の証人が証言したが、明らかな食い違いが見られた。裁判長は検察側に、起訴事由を明らかにするよう釈明を求めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【検察側に異例の釈明要求…5.17被告団第3回公判】'''&lt;br /&gt;
:5.17被告団第3回公判は当初9月16日に行われる予定だったが、被告の一人が三越襲撃事件で不当逮捕され22日間勾留されたため延期された。この日は、凶器準備集合罪で逮捕時の状況をめぐって被告人二人を逮捕した金子・鈴木両証人の証言を中心に進められた。&lt;br /&gt;
:鈴木証人によると、二人を凶器準備集合罪で逮捕した理由は「鉄パイプを所持」「革マル粉砕を叫んでいた」「当日反革マル派が革マル派を攻撃するという情報があった」とした。しかしこれらは、凶器準備集合罪の条項にある「共同して第三者に危害を加える目的」に該当する具体的な事例を明らかにするものではなく、前回の萩原証人の発言と同じく曖昧な証言に終始した。また、位置的・時間的確認においては金子・鈴木両証人の証言に食い違いが見られ、逮捕の不当性がさらに浮き彫りになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:最後に、裁判官から検察側に2点についての釈明要求がなされた。&lt;br /&gt;
:1. 凶準の現行犯で逮捕しながら「正当な理由」の不充分性を認め撤回した姿勢は、消極的意味か、積極的意味か明らかにせよ。&lt;br /&gt;
:2. 軽犯罪法適用の妥当性について釈明せよ。&lt;br /&gt;
:この釈明要求は裁判としては異例ともいえるもの。この要求に対して検察官は、次回の公判までに文書で提出するとした。&lt;br /&gt;
::（資料：早稲田キャンパス184号）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

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		<title>1973年10月11日（木）大学当局が革マルの早稲田祭実行委員会との間で5原則を確認し、早稲田祭の開催を決定</title>
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				<updated>2021-10-04T03:06:29Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:73年度早稲田祭を実施するにあたって教職員と学生代表（＝革マル）とで構成する早稲田祭委員会が開かれ、席上「早稲田祭実施にあたっての5原則」が確認される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【早稲田祭委員会】'''&lt;br /&gt;
:早稲田祭開催にあたっては、学生代表の団体と教職員の代表による早稲田祭委員会が結成され運営に当たることになっていた。この年73年には、第19回早稲田祭実行委員会（革マル）、法学部早稲田祭実行委員会（民青）、73年早稲田祭実行委員会（サ連、各学部新執行部）の3つが学生団体として結成されていた。&lt;br /&gt;
:しかるにこの日、当局代表は革マルの実行委と早稲田祭委員会を開き、早稲田祭実施に当たっての5原則を確認した。&lt;br /&gt;
:1.「早稲田祭」は学生の課外活動の成果を示し、学生相互の精神的交流を深めるための全学的な祭典である。&lt;br /&gt;
:2.「早稲田祭」は、教職員・学生の代表によって構成される「早稲田祭委員会」の指導のもとに、学生が自主的にこれを実施運営するものである。&lt;br /&gt;
:3.「早稲田祭」は、学生全体のために開かれ、奉仕すべきものであって、一部の学生集団の意向に従属すべきものではない。&lt;br /&gt;
:4.「早稲田祭」の実施運営にあたる「早稲田祭実行委員会」は、「早稲田祭」の趣旨を実現する責任をもち、運営の全般について公正であり、かつすべての参加団体に対して中立である。&lt;br /&gt;
:5.「早稲田祭実行委員会」は「早稲田祭」終了後に、収支決算について「早稲田祭委員会」に対して報告し、その承認を得てこれを公表するものとする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:これを受けて13日には大学当局が「早稲田祭の実施について」の告示を出した。その中で実施決定に至る経緯についてふれ「昨今の大学の内外における一部の学生集団間の対立抗争の激しい中で、本年度の『早稲田祭』を実施することについては、大学内外の注目が集まり、批判の的ともなっていることを率直に認めなければならない。また、実施によって学生集団間の対立をかえって激化させるのではないかとの危惧がもたれるのも当然かもしれない。このような状況にかんがみて、大学としては、『早稲田祭』本来の趣旨と、学内の平穏な秩序の維持という2つの観点から、事態の推移を見守り、態度を今日まで留保して来たのである」と自らの立場を説明した。さらに「その間に、慣例に従って教職員と学生の代表により構成された本年度の『早稲田祭委員会』は、協議の結果、左記の事項（前掲の5原則）について確認する旨の合意を得た。大学としてはこのような確認事項が『早稲田祭』の実際の運営にあたる『早稲田祭実行委員会』の手によって厳密に実施されることを期待し、ここにあえて中止の措置を取らないことを決定した」と述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:ここで疑問に思われるのは、3つの学生団体が結成されていたにもかかわらず、なぜ当局が革マルの第19回早稲田祭実行委員会と早稲田祭委員会（教員代表15名と学生代表15名で構成）をもちえたかということである。代表と認める基準は何だったのか。選ぶにあたってきちんとした選考は行われたのか。双方のご都合主義だったのか。当局としては、「紛争校指定」を避けるために学内正常化を図る姿勢を示す必要があったのではないかとも考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:というのも、これに先立つ６月30日に法学部学長名で、法学部自治会（民青）から出された公開質問状に次のように回答しているのである。&lt;br /&gt;
:「早稲田祭実行委員会の選出方法については成文の規定がないようなので、仮に慣習規定によって行うことが正当であるとしても、その選出方法が定期的な直接選挙あるいは間接選挙でないかぎりは、任期中の実質的な信任の状況というものが問題となってくる余地はある。従来の慣行により選出されたといわれている現在の実行委員会が、はたしておおかたの信任を受けていると判断されるのか、受けていないと判断されるのか、その判断をするのは大学当局であるとしても、信任するのかしないのかを明確にするのは学生諸君にほかならない。（中略）」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:続けて法学部自治会と実行委の関係について次のように述べている。&lt;br /&gt;
:「法学部自治会が、過去に早稲田祭に参加する意志があったにもかかわらず参加できなかった場合があるとすれば、『全学的な祭り』の趣旨からして遺憾であったと考える。（中略）早稲田祭は全学的規模のお祭りであるから、『第20回早稲田祭法学部実行委員会』が結成されても、それだけでは学部で承認するとか、しないとかの問題は起こっていないと考える。この種の各学部の実行委員会を含む、早稲田祭実行に関する新たな機構が全学的に、つまり早稲田祭委員会その他の全学的機関によって承認されてはじめて、その一環としての法学部実行委員会が公的なものになると解すべきであろう。」&lt;br /&gt;
:選挙による選出でない場合は学生による信任の如何が問題になるとの見解。公開質問状の詳細は不明だが、何を根拠に早稲田祭実行委員会（革マル）を正当な学生の代表として認めるのかを問うたのではないかと推測される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【理工学部では】'''&lt;br /&gt;
:本部と文学部キャンパスを会場とする早稲田祭に対して、西早稲田キャンパスの理工学部では理工系企画を中心にした理工展が1950年代から独自に開かれている。この年、理工学部では早稲田祭委員会に先立つ10月１日に理工展開催に向けて告示を出した。その趣旨は、前年の川口君の事件は痛恨事でありいまだ精神的には喪中であるとし、そうした時にするべきは、大学本来のあり方、大学祭のあり方を反省することであるとした。理工展の本来の姿は日常的な研究の成果を公開する場であるから、その核心を生かす場としての理工展としようという呼びかけになっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「理工学部学生諸君へ&lt;br /&gt;
:　秋も深まると共に、早稲田祭、理工展の時期が近づいてきました。例年今ごろは各学科を中心に、理工展の準備が熱心に進められている頃です。しかし、今年の事情が昨年までと全く違っていることについては多くの言葉を費す必要もないでしょう。大学の内外で流血、殺人事件が頻発していることは御承知の通りであり、とりわけ早稲田大学関係者全員にとって昨年11月8日の川口君事件は忘れようとして忘れられない痛恨事であります。いわば、われわれはみな精神的には今なお喪中にあるのだといえるでしょう。&lt;br /&gt;
:　今年の理工展について考える場合、私達はわれわれがおかれているこの現実的、精神的な状況を深く省みないわけにはゆきません。この困難で、不幸な環境の中で、われわれにできること、またなすべきことは何でしょうか。それはおそらく大学本来のあり方、従って、真の大学祭のあり方がどのようなものであるかを自ら問いつめ、そのあるべき姿に照らして理工展のあり方を真摯に反省するということでしょう。とかく、われわれの日常生活はもとより、大学における諸々の行事にしても、習慣や惰性におし流され、いままでのしきたりを踏んでゆくことが安易で安全な方法として選ばれ勝ちであります。この惰性の中で、人々は善意を抱きながらも本来の志から離れた所に流されていて、そのことにまた気づいていないこともしばしばありうることです。今、私たちはこの惰性を断ち切る機会に直面しております。川口君の死は、今年が昨年の安易な延長線上にありえないことを痛切に教えるものでありましょう。&lt;br /&gt;
:　理工展本来の姿は、その歴史に照らし、その目的に徴して、学生諸君の日常的な研究の成果を公開する場であります。したがってそれは学科展中心に構成され、教職員、交友、学生一体となって盛りあげてゆくべきもので、その他の要素は付随的、装飾的なものに過ぎないといえます。理工展の、他のもろもろの大学祭と異なる、また早稲田祭とも異なる、本質と歴史はこの点にあります。私たちは同じユニバーシティの一員として、頑なに理工展の特殊性のみを固執するものではありません。早稲田祭との協力関係も、できる限り密にしてゆくことはいうまでもありません。しかし、今、大学がおかれている困難な情勢を乗りこえるには、右顧左眄せず、その重要な核心のみを生かすべく努力しなければならない時であります。&lt;br /&gt;
:　われわれが理工展の本質を見逃さない限り、たとえ旧来の形式と異なったものであっても、その本旨を生かす形、時、場所は十分見出せる筈であります。学生諸君が理工展をめざして積み上げてきた研究や実験や調査はそれ自体貴重なものであります。そのような努力はこれからも続けていただきたいと思います。私達もそのような成果が大きくふくらんでゆく時、それを発表し、公表するチャンスは必ず見出しうるものと確信致しております。&lt;br /&gt;
::　　昭和48年10月1日　&lt;br /&gt;
::　　早稲田大学理工学部&lt;br /&gt;
::　　学生担当教務主任　河原 宏&lt;br /&gt;
::　　同　　　　副主任　平田 彰」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B45%E6%9C%8818%E6%97%A5%EF%BC%88%E9%87%91%EF%BC%89_%E6%9D%91%E4%BA%95%E7%B7%8F%E9%95%B7%E3%81%8C%E3%80%81%E3%82%BB%E3%82%AF%E3%83%88%E9%96%93%E6%8A%97%E4%BA%89%E3%81%A8%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E3%82%92%E9%81%BA%E6%86%BE%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E5%A3%B0%E6%98%8E%E3%82%92%E7%99%BA%E8%A1%A8%E3%80%82&amp;diff=861</id>
		<title>1973年5月18日（金） 村井総長が、セクト間抗争と暴力を遺憾とする声明を発表。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B45%E6%9C%8818%E6%97%A5%EF%BC%88%E9%87%91%EF%BC%89_%E6%9D%91%E4%BA%95%E7%B7%8F%E9%95%B7%E3%81%8C%E3%80%81%E3%82%BB%E3%82%AF%E3%83%88%E9%96%93%E6%8A%97%E4%BA%89%E3%81%A8%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E3%82%92%E9%81%BA%E6%86%BE%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E5%A3%B0%E6%98%8E%E3%82%92%E7%99%BA%E8%A1%A8%E3%80%82&amp;diff=861"/>
				<updated>2021-10-04T02:49:12Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:団交中止に関して、村井総長が遺憾とする声明を発表。セクト間抗争と暴力は大学崩壊を招くと、教職員および学生に再考を促した。昼過ぎには一文中庭に居た革マル十数人に青ヘルメット、鉄パイプで武装した反帝学評40名が殴りかかり、革マル二人が頭を割られ重傷、一人が軽傷を負った。さらに青ヘル部隊は学館に向かい内部にいた革マルと乱闘。同時刻、別の青ヘル60名が3号館前でビラを配布中の革マルに襲いかかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【村井総長「誠に遺憾」と声明発表】'''&lt;br /&gt;
:17日の団交中止に関して村井総長が声明を発表した。&lt;br /&gt;
:「私は、この大学混迷のときに、話し合い集会をもって反省と新たな前進への転機を求めようとした。それにもかかわらず、その機が熟さず、かえって不測の混乱が予想されるに至り、集会を取り止めざるを得なかったことを悲しみ、また、集会を取り止めたことが、却って学生諸君の中に大学への不信の念を生み出したのであれば、誠に遺憾である。私は、その不明の謗りを甘んじて受けるものである。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:16日の団交中止発表以来、大学当局には積極的に話し合いを求める姿勢があるとする言い回しが頻出するようになる。&lt;br /&gt;
:一方で、「暴力の否定と排除」に努めていることを強調しながら、革マル派の動きと川口君事件をきっかけに始まった運動を「力の論理」として押さえ込もうという意図が露骨になってくる。&lt;br /&gt;
:「この間、大学は一貫して暴力の否定と排除につとめ、これに代わる理性への信頼を基調とした人間関係、集団関係の確立について、およばずながら努力しつづけてきた。しかしながら、いまなお、「力の論理」を信奉する学生セクトによる暴力が横行し、人身傷害行為が続発していることは許すことのできない不幸な事態といわなければならない。いま学園は、自治会問題をめぐって、セクト間や、セクトの属さぬ学生をもまきこんだ暴力がまかりとおり、理性による対話の場が極めて成り立ち難い状況におかれている。暴力を肯定すれば、理性が失われ、大学は崩壊への道をたどるほかはない。大学正常化への道は、学生間は勿論のこと、学生と学部教授会、あるいは大学当局との相互理解によってのみ切り開かれるのである。（中略）学園における各学部の自治会問題には、学外者を含むセクト間の抗争が非常に大きな影響を与えているということを、学園の全員が再認識してもらいたい。そして、その認識の上にたって、問題解決への道がいかにけわしいものであるか、また、果してその道がどこに求められるべきかを、真剣に考えられんことを切に期待するものである。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:少なくとも5月17日の時点までは、鉄パイプを使った無差別襲撃等の暴力の行使は革マル派による一方的なものであった。しかしながら、事実はそうであったにもかかわらず、総長をはじめとする大学当局の発言では、あたかも暴力行使が双方からあったかのように表現されている。故意に歪曲されていたと推測する根拠は、警備を依頼された現場の警察官の証言による。5月17日に逮捕された被告の裁判記録には、以下のような証言があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:検察官側の証人である萩原寅次は『革マル派と反革マル派のトラブルは、当時（昭和48年5月8日当時）連日のように続いた』『5月の連休が明けたころからトラブルが続いており、革マル派が集まっているところに反革マル派が押しかけたということもあったようです』『現実に（革マル派側に）負傷者も出ています。』と述べ、また金子幸雄は『昨年（昭和47年）11月以降、早稲田大学構内で革マル派、反革マル派両派の内ゲバがあって、そのたびに警戒配備に出動し、その際両派の衝突を実際に見ている』『反革マル派学生が革マル派学生に対して攻撃をかけたということを聞いている。革マル派学生を（原文ママ）反革マル派とが、主導権を握る為には生命を辞さないという意気込みで、互いにやっていると聞いている。そういうことは、去年11月ころから今年にかけてしょっちゅうでした。反革マル派が革マル粉砕ということはよく言っていた』『竹竿や旗竿を持って追いかけまわしているのは見ました』と供述。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:また、5月17日に関しては、昭和48年5月16日、前記のとおり翌17日に予定されていた村井総長と学生らとの集会をやめる旨を発表したのを契機として、これに不満の念を抱く反革マル派の学生らが、その17日に革マル派に対して攻撃を加えるおそれがあるという情報が入ったので、そのような情勢に対処するため、所轄戸塚警察署においては即日同署に「現場警備本部を設置し、署長松浦洋治が本部長となって部隊の編成を行ない、警戒警備の体制を整えた」と、当日の警備が革マル派を反革マル派の攻撃から守るために行われたという、驚くべき証言になっている。前述の警官2名の供述にも「あったようです」「聞いている」と伝聞情報に基づく認識が示されており、ここでは「情報が入った」とされている。誰によって提供された情報なのか。当時、「KK（警察＝革マル）連合」「KKT（警察＝革マル＝当局）連合」という表現が揶揄的に使われていたが、事実はもっと根深いつながりだったようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【セクト間抗争の背景】'''&lt;br /&gt;
:たしかにこの時期になると行動委系の黒ヘルに混じって赤ヘル、青ヘルが散見されるようになった。11.8を端緒として始まった自治会再建運動の支援の立場をとる彼等は、第二次早稲田闘争を経験した、ある意味筋金入りの闘士であった。数において優勢だった革マルの前に旗をたたみ姿を消していた数年間を経て再び学内に登場することは、直接的な衝突のあるなしにかかわらず、彼等にとっては実戦であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:5.17を前に叛旗が作成した討論資料には、当局に対する告発が並ぶ。&lt;br /&gt;
:「大学当局は、『今回の事件を契機として盛り上がった学生諸君の自治会再建への意欲を尊重し、真に全学生の総意を反映する自治会再建へ向って、学生諸君ひとりひとりが真摯な努力を積み重ねてゆくことを心から期待するものである』という〈たてまえ〉と国家権力＝機動隊の導入による闘争の直接的な圧殺、試験強行、ロックアウトによる学生の分断、新自治会の未承認（結果的にあるいは意図的にカクマルを擁護している）等々による現実の大衆Mの高揚を何としても圧殺し、収拾したいという〈ほんね〉の使い分けを駆使しつつ、大学秩序の『正常化』＝支配を貫徹せんとしている。（中略）大学当局＝村井は、川口君虐殺への『重大な意味を深く理解し』『暴力の否定』を強調し、これまでカクマルとゆ着し、カクマルの暴力を黙認してきたことの責任を一切回避し自己批判もせず清算し、自らの手を汚すことなく、権力＝機動隊の導入をカクマルに対してではなく、大衆運動の圧殺のためにのみ導入し、文字通り最も悪質な暴力を行使している。ここに我々は戦後民主主義者の理念の虚妄性と現実過程における取捨の論理＝プラグマティズムの暴力的な貫徹の姿を見ることができる。」&lt;br /&gt;
:また、反帝学評が「5.30革マル全関東総力動員100を早稲田で撃滅！」のビラには「我々は5月30日、この間早大解放闘争に敵対してきた革マル派の最後に残った全関東動員の宗派部隊100名を、早大本部構内での正規軍戦をもって粉砕した」とし、さらに「この闘いこそは我々の手によって切り拓かれた『革マルの敵対の実力粉砕を通しての早稲田解放』の展望を、日共＝民青の敵対と中核派の完全逃亡の中、鮮明に突き出すと同時に、日本学生運動の階級的統一を成し遂げる最良最強の部隊の何たるかをも、全人民の前に明らかにした」と続く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:後日「文責T」の署名で出された「早稲田を叛乱の炎で蔽い尽くし、虚飾の碧雲を深紅に染めよ！」と題したビラには「党派による軍事力代行」の文言が見える。&lt;br /&gt;
:「4月4日に始まる革マルの一連の武装襲撃に対して何ら軍事的観点からの反撃態勢を構築し得なかったWACの部隊は、5月8日の『総長』団交以後、革マルの密集したテロの前に学内活動の放棄を余儀なくされていた。そして17日の『総長』再団交へ登りつめる過程は、実行部隊の形成をほとんど語ることなく、形成を整えるためや必然性のないスケジュールの設定によって貴重な時間が無駄に費やされていった。すでに4月21日の一文学生大会の防衛が社青同解放派と共産同叛旗派の党派部隊によってその軍事力を代行されていたことの否定的意味とそれを克服する展望がこのとき最も切実に問われていたにもかかわらず、誰もそのことに答えることができなかったのである。17日夕方近く、弾圧のすきをくぐって大隈講堂前に結集したWACを中心とする隊列は、本部突入直後、待ち構えた革マル全国かき集め部隊の襲撃の前に蹴散らされ、再びは本部に入らなかった。圧倒的な数の学友を結集させたにもかかわらずすでにWACの部隊は崩壊しており、その弱体を決定的な段階で露呈する結果になったのである。このときすでにWACはその任務を終えたのであり、これ以降WACは党派の諸君に主導権を握られ、運動全体にとって桎梏物に成り下がって行くのである。」&lt;br /&gt;
:また、この日あった反帝学評による革マル襲撃に関しては「18日の社青同解放派による革マル奇襲は、WACの軍事的弱体を見限っての行動であっただろう」としている。&lt;br /&gt;
:当局が、セクト間抗争を強調する一方で、新自治会を目指す運動の中にも、支援する党派に対する抵抗感と依存せざるを得ない無力感が交錯していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【一文執行委員会の呼びかけ】'''&lt;br /&gt;
:「現状において文学部キャンパスにおけるビラ撒きなど情宣活動が極度に不足している。その主な原因は、中心になって運動を支えてきたクラスの学友が自由に文学部に入れないことにある。中心になってきたクラス、学友は、革マルの鉄パイプの中を文学部キャンパスに行く＊＊努力している。我々の運動は皆でやっていく運動だということをふまえ、全ての学友諸君に次の具体的行動を＊＊した。&lt;br /&gt;
::１）キャンパス等で学友が革マル派学生に囲まれた場合、最低限度見守っていること。そして暴力的事態を未然に防ぐこと&lt;br /&gt;
::２）一人一人の学友をクラスで暴力から守ること。&lt;br /&gt;
::３）クラス討論で様々な内部の問題、矛盾を積極的に話し合うこと&lt;br /&gt;
::４）鉄パイプ等を見つけた場合は、すぐ8号館に通報して欲しい&lt;br /&gt;
::５）10時以降、授業の前に8号館にクラスに撒くビラを取りに来て欲しいということ。」&lt;br /&gt;
:このビラの最後は、「我々の運動は党派闘争ではない。文学部一人一人の学友の力で、文学部を自由の場に解放していくための運動である。各々できる範囲でやっていこう」と結ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1esxZyJKfCeTOQqITSv_5r5n_KeMb1L9x/view?usp=sharing 早稲田を叛乱の炎で覆い尽くし、虚飾の碧雲を深紅に染めよ！]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1K6r6n0FRQHyhKR66fjUiqf6oKCSkQumn/view?usp=sharing 文学部一人一人の学友に訴える]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1xDIvwP-quq6niHcaipl20rg-uOj_BKG0/view?usp=sharing 総長団交勝利的に克ちとれ！]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B45%E6%9C%8815%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89_%E5%85%A8%E5%9B%BD%E5%8B%95%E5%93%A1%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E6%B4%BE%E3%81%AE%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E7%9A%84%E6%95%B5%E5%AF%BE%E8%A1%8C%E5%8B%95%E6%BF%80%E5%8C%96%E3%80%82&amp;diff=860</id>
		<title>1973年5月15日（火） 全国動員による革マル派の暴力的敵対行動激化。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B45%E6%9C%8815%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89_%E5%85%A8%E5%9B%BD%E5%8B%95%E5%93%A1%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E6%B4%BE%E3%81%AE%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E7%9A%84%E6%95%B5%E5%AF%BE%E8%A1%8C%E5%8B%95%E6%BF%80%E5%8C%96%E3%80%82&amp;diff=860"/>
				<updated>2021-10-04T02:45:11Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:革マル派は全国動員をかけ、本部で500名規模の集会を持った。総長団交を目前にした新執行部、団実委への牽制であり暴力的敵対である。集会は17日まで3日間にわたった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【一連の暴力行為】'''&lt;br /&gt;
:17日の全学総長団交に向け各学部で新執行部を中心に機運が高まる一方で、それを阻止しようとする革マルの暴力的敵対行動も苛烈になってきた。&lt;br /&gt;
:15日には大学当局が「一連の暴力行為について」と題する告示を掲示。3件の暴力行為を告発した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::1.11日（金）12時半すぎ、政経学部の学生集会を開こうとして8号館に集まっていた集団約80人に対し、革マル派の集団約30人が隠し持っていた鉄パイプで殴りかかり、数人の負傷者を出した。&lt;br /&gt;
::2.12日（土）18時頃、8号館周辺に散在していた革マル派と思われる者約100人が、突然8号館ラウンジにいた反革マル系の集団に襲いかかり、前日同様に隠し持っていた鉄パイプでこれらの者を乱打し、約10人の負傷者を出した。&lt;br /&gt;
::3.14日（月）には、11時半頃から20時頃の間に、16号館・14号館周辺、8号館内、23号館前で、特定の学生を狙い打ちする革マル派によると思われる暴力行為が5件発生した。そのため、頭部裂傷・身体打撲などの負傷者が数人出た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:当局は、「このような一連の暴力行為は、日増しに募っているセクト間の抗争によるものであり」として「従来まで最小限の手段で秩序の維持に当たってきたが、このような状況が続くかぎり、これを一層強化することが不可避になると判断せざるをえない」と、警告を発した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:しかしながら、加害者が革マル派であるとする一方で、「暴力行為を行った者は、本学の学生のみであるかどうかも疑わしい」と留保した。また、無差別な一般学生への襲撃であったにもかかわらず、襲われた学生は「反革マル派の集団」「特定の学生」と歪曲して、あたかも党派間の抗争であるかのように偽装した。これは川口君が虐殺された時以来の当局の一貫した論法で、大学の外に「セクト間の抗争」という現象があり、それが学内に持ち込まれたことによって、大学当局もまた被害者であるとすることで責任を回避しつつ、学内の混乱を強調している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:早稲田キャンパス178号の「日誌」によれば、5月に入ってからの学内での暴力行為は次のようである。&lt;br /&gt;
::5.12　早慶連帯集会。夕刻、革マル派50名が8号館ラウンジに乱入。法商研究棟側の出口より脱出した学生を革マル派別動隊50名が襲撃し、20数名重軽傷。&lt;br /&gt;
::5.14　法学部学生集会。革マル派8・16・22号館に波状襲撃。一文樋田委員長重傷。&lt;br /&gt;
::5.15　革マル派本部前において5.15集会。1600名。&lt;br /&gt;
::5.17　地下鉄早稲田駅に到着した団実委他200名に対し機動隊が暴行を加え、外濠公園まで連行。午後4時頃、大隈講堂前で抗議デモを行った同部隊に対し革マル派は鉄パイプで襲撃し、10数名重軽傷。学外に逃れた行動委に機動隊が襲いかかり7名を逮捕。これを見た学生約1000名が機動隊に投石。&lt;br /&gt;
::5.18　文学部中庭、第一学館、本部前にいた革マル派学生を社青同解放派が襲撃。十余名重軽傷。&lt;br /&gt;
::5.24　革マル派20名が高田馬場で情宣中の一文執行委他を襲撃。&lt;br /&gt;
::5.25　行動委30名、ブント叛旗派80名、社青同解放派90名が本部構内でそれぞれ集会・デモ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B45%E6%9C%8815%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89_%E5%85%A8%E5%9B%BD%E5%8B%95%E5%93%A1%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E6%B4%BE%E3%81%AE%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E7%9A%84%E6%95%B5%E5%AF%BE%E8%A1%8C%E5%8B%95%E6%BF%80%E5%8C%96%E3%80%82&amp;diff=859</id>
		<title>1973年5月15日（火） 全国動員による革マル派の暴力的敵対行動激化。</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:革マル派は全国動員をかけ、本部で500名規模の集会を持った。総長団交を目前にした新執行部、団実委への牽制であり暴力的敵対である。集会は17日まで3日間にわたった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【一連の暴力行為】'''&lt;br /&gt;
:17日の全学総長団交に向け各学部で新執行部を中心に機運が高まる一方で、それを阻止しようとする革マルの暴力的敵対行動も苛烈になってきた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:15日には大学当局が「一連の暴力行為について」と題する告示を掲示。3件の暴力行為を告発した。&lt;br /&gt;
:「1.11日（金）12時半すぎ、政経学部の学生集会を開こうとして8号館に集まっていた集団約80人に対し、革マル派の集団約30人が隠し持っていた鉄パイプで殴りかかり、数人の負傷者を出した。&lt;br /&gt;
::2.12日（土）18時頃、8号館周辺に散在していた革マル派と思われる者約100人が、突然8号館ラウンジにいた反革マル系の集団に襲いかかり、前日同様に隠し持っていた鉄パイプでこれらの者を乱打し、約10人の負傷者を出した。&lt;br /&gt;
::3.14日（月）には、11時半頃から20時頃の間に、16号館・14号館周辺、8号館内、23号館前で、特定の学生を狙い打ちする革マル派によると思われる暴力行為が5件発生した。そのため、頭部裂傷・身体打撲などの負傷者が数人出た。」&lt;br /&gt;
:当局は、「このような一連の暴力行為は、日増しに募っているセクト間の抗争によるものであり」として「従来まで最小限の手段で秩序の維持に当たってきたが、このような状況が続くかぎり、これを一層強化することが不可避になると判断せざるをえない」と、警告を発した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:しかしながら、加害者が革マル派であるとする一方で、「暴力行為を行った者は、本学の学生のみであるかどうかも疑わしい」と留保した。また、無差別な一般学生への襲撃であったにもかかわらず、襲われた学生は「反革マル派の集団」「特定の学生」と歪曲して、あたかも党派間の抗争であるかのように偽装した。これは川口君が虐殺された時以来の当局の一貫した論法で、大学の外に「セクト間の抗争」という現象があり、それが学内に持ち込まれたことによって、大学当局もまた被害者であるとすることで責任を回避しつつ、学内の混乱を強調している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:早稲田キャンパス178号の「日誌」によれば、5月に入ってからの学内での暴力行為は次のようである。&lt;br /&gt;
::5.12　早慶連帯集会。夕刻、革マル派50名が8号館ラウンジに乱入。法商研究棟側の出口より脱出した学生を革マル派別動隊50名が襲撃し、20数名重軽傷。&lt;br /&gt;
::5.14　法学部学生集会。革マル派8・16・22号館に波状襲撃。一文樋田委員長重傷。&lt;br /&gt;
::5.15　革マル派本部前において5.15集会。1600名。&lt;br /&gt;
::5.17　地下鉄早稲田駅に到着した団実委他200名に対し機動隊が暴行を加え、外濠公園まで連行。午後4時頃、大隈講堂前で抗議デモを行った同部隊に対し革マル派は鉄パイプで襲撃し、10数名重軽傷。学外に逃れた行動委に機動隊が襲いかかり7名を逮捕。これを見た学生約1000名が機動隊に投石。&lt;br /&gt;
::5.18　文学部中庭、第一学館、本部前にいた革マル派学生を社青同解放派が襲撃。十余名重軽傷。&lt;br /&gt;
::5.24　革マル派20名が高田馬場で情宣中の一文執行委他を襲撃。&lt;br /&gt;
::5.25　行動委30名、ブント叛旗派80名、社青同解放派90名が本部構内でそれぞれ集会・デモ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>1973年5月15日（火） 全国動員による革マル派の暴力的敵対行動激化。</title>
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&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:革マル派は全国動員をかけ、本部で500名規模の集会を持った。総長団交を目前にした新執行部、団実委への牽制であり暴力的敵対である。集会は17日まで3日間にわたった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【一連の暴力行為】'''&lt;br /&gt;
:17日の全学総長団交に向け各学部で新執行部を中心に機運が高まる一方で、それを阻止しようとする革マルの暴力的敵対行動も苛烈になってきた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:15日には大学当局が「一連の暴力行為について」と題する告示を掲示。3件の暴力行為を告発した。&lt;br /&gt;
::「1．11日（金）12時半すぎ、政経学部の学生集会を開こうとして8号館に集まっていた集団約80人に対し、革マル派の集団約30人が隠し持っていた鉄パイプで殴りかかり、数人の負傷者を出した。&lt;br /&gt;
::2．12日（土）18時頃、8号館周辺に散在していた革マル派と思われる者約100人が、突然8号館ラウンジにいた反革マル系の集団に襲いかかり、前日同様に隠し持っていた鉄パイプでこれらの者を乱打し、約10人の負傷者を出した。&lt;br /&gt;
::3．14日（月）には、11時半頃から20時頃の間に、16号館・14号館周辺、8号館内、23号館前で、特定の学生を狙い打ちする革マル派によると思われる暴力行為が5件発生した。そのため、頭部裂傷・身体打撲などの負傷者が数人出た。」&lt;br /&gt;
:当局は、「このような一連の暴力行為は、日増しに募っているセクト間の抗争によるものであり」として「従来まで最小限の手段で秩序の維持に当たってきたが、このような状況が続くかぎり、これを一層強化することが不可避になると判断せざるをえない」と、警告を発した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:しかしながら、加害者が革マル派であるとする一方で、「暴力行為を行った者は、本学の学生のみであるかどうかも疑わしい」と留保した。また、無差別な一般学生への襲撃であったにもかかわらず、襲われた学生は「反革マル派の集団」「特定の学生」と歪曲して、あたかも党派間の抗争であるかのように偽装した。これは川口君が虐殺された時以来の当局の一貫した論法で、大学の外に「セクト間の抗争」という現象があり、それが学内に持ち込まれたことによって、大学当局もまた被害者であるとすることで責任を回避しつつ、学内の混乱を強調している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:早稲田キャンパス178号の「日誌」によれば、5月に入ってからの学内での暴力行為は次のようである。&lt;br /&gt;
::5.12　早慶連帯集会。夕刻、革マル派50名が8号館ラウンジに乱入。法商研究棟側の出口より脱出した学生を革マル派別動隊50名が襲撃し、20数名重軽傷。&lt;br /&gt;
::5.14　法学部学生集会。革マル派8・16・22号館に波状襲撃。一文樋田委員長重傷。&lt;br /&gt;
::5.15　革マル派本部前において5.15集会。1600名。&lt;br /&gt;
::5.17　地下鉄早稲田駅に到着した団実委他200名に対し機動隊が暴行を加え、外濠公園まで連行。午後4時頃、大隈講堂前で抗議デモを行った同部隊に対し革マル派は鉄パイプで襲撃し、10数名重軽傷。学外に逃れた行動委に機動隊が襲いかかり7名を逮捕。これを見た学生約1000名が機動隊に投石。&lt;br /&gt;
::5.18　文学部中庭、第一学館、本部前にいた革マル派学生を社青同解放派が襲撃。十余名重軽傷。&lt;br /&gt;
::5.24　革マル派20名が高田馬場で情宣中の一文執行委他を襲撃。&lt;br /&gt;
::5.25　行動委30名、ブント叛旗派80名、社青同解放派90名が本部構内でそれぞれ集会・デモ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
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	<entry>
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		<title>1973年5月14日（月） 法学部の学生集会で総長団交の可否をめぐって討論。一文樋田委員長が革マルに襲われる</title>
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				<updated>2021-10-04T02:40:16Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
法学部学生集会では、5.17総長団交をめぐって、確約に至る手段を認められないとする執行部に対し行動委が対案を提出し、1年生を中心にこの機会を有効に使うべきだという意見が多く、加熱した討論が繰りひろげられた。出入りが多く定足数を下回ったため、学生集会となった。また、夜には、集会に出た一文の樋田委員長が会場の外で革マルの待ち伏せに遭い、重傷を負うという事態が発生した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:◎一文2年生連絡協議会（仮称）を8号館ロビーで開催。&lt;br /&gt;
:◎22号館で法学部学生集会1730名（定足数2000名）。&lt;br /&gt;
:◎一文樋田委員長が襲われ重傷、書類等も盗まれる。&lt;br /&gt;
:■革マル4、8、16、22号館に７回の波状攻撃。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【1年生の発言が目立った法学部学生集会】'''&lt;br /&gt;
:この日予定されていた法学部学生大会は、1730名が参加したものの定足数2000名には至らず、学生集会となった。この日の議題は、翌15日からの4日間ストをはじめ、17日の総長団交参加への可否などであった。集会で5.17総長団交参加のアピールを終えた一文執行委の樋田委員長が、革マル派の暴行により負傷したとの一報が入るなど、緊迫した空気の中で討論が続けられ、7時間後の9時過ぎ、5項目の大会決議を上げて集会は終わった。&lt;br /&gt;
:集会の詳細について早稲田キャンパス178号には次のようにある。&lt;br /&gt;
:「集会は、5.8以降の一連の学生大会のうちで一番多くの学生を結集したものとして、8日当日に早くも5.8団交は形式性を欠き正式なものとして認められないと『スジ』論を全面に押し出していた法学部執行部に対して、対案書を出していた行動委がどう対応し、それに学生がどう反応していくかを一つの回転軸として進んでいった。&lt;br /&gt;
:まず、論議に先立つ議長団選出では、全部で6名が立候補し、投票に持ち込まれたが、開票の結果、執行委、行動委が各1名ずつ、他に女子1名がそれぞれ仮議長団（学生大会成立後、慣例で自動的に議長団となる）として選出された。&lt;br /&gt;
:この日の討論の中では、1年生の数クラスの学生が発言に立ち、（中略）イキサツはともかくとして、克ち取られた一つの成果として8日の団交を確認し、5.17団交を当局の責任追及の場として積極的に利用していくとする声が多数を占めた。&lt;br /&gt;
:一方、これに対して執行部側は、『5.8団交はカッコつき団交であり、学生の中の一部が、学生無視の態度をとりつづけてきた当局と交わしたボス交であり、執行部はこれを正式団交とは認めない』という5月8日からの原則論をタテにして『われわれは、この間、正式に成立した自治会を含む7学部自治会連合名で総長団交を追求していく』と説得に努めたが、1年生を中心とする多くは、これは原則論であり『スジ』論だとして、執行部の態度に柔軟性を求める方向に傾いていった。&lt;br /&gt;
:（中略）&lt;br /&gt;
:全体として特徴的だったのは、比較的に『政治的無関心』とされている法学部において、1年生の意見が数多く出され、“1年生集会”と思わせるほど活発に発言したことだった。&lt;br /&gt;
:（後略）」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:午後1時過ぎ始まった集会は、最高時1730名を数えたが、中途退出者が多く、集会決議採択時には四百数十名となった。採決された集会決議は、「小選挙区制、筑波法案に反対し、田中内閣がファッショ的暴挙によって自民党独裁を狙うことを断固として阻止するために総力をあげて奮闘する。社共公等18団体が呼びかける5.15、5.18－19の三派にわたる統一行動に合流しよう」「総長団交に法学部総力をあげて結集し、勝ち取ろう」「団交の内容を討論し、クラス団実委、学年、学部団実委を創出しよう」「再度、5.18に学生大会を開催しよう」の4項目で、「5.8団交を認めない」「執行部の自己批判を求める」の2項目は否決された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:なお、この記事の中で、1月に実施されたアンケートに触れた部分がある。1年10組が776名の1年生を対象に行った大学の自治や法学部自治会についてのもので、詳細は割愛されたものの、「執行部の支持率15％、不支持41％、無関心28％」との数字が掲載されている。アンケート結果はパンフで配布されたとあるが、原本は見つかっていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【法学部行動委】'''&lt;br /&gt;
:後日、法学部の行動委だったメンバーが当時の状況について、次のように語った。&lt;br /&gt;
:「法学部では、民青系のクラス連絡会議が成立しており、何かやろうとする時には、民青を通さないと声が上げられない状態でした。それに飽き足らないメンバーが、独自に行動委員会に結集しました。メンバーは一番多い頃で25～26人位でした。メンバー構成は、全共闘を経験した人たちが4人、党派の人が1人、その下に早大ベ平連系の人たちが７～８人、残りがクラス連絡会議で飽き足らない72年入学の1年生で10人前後いました。73年の新入生も５～６人が加入しましたが、残ったのは1人でした。&lt;br /&gt;
:8号館地下は特殊な場所で、赤軍系から何から種々雑多な人間がそこにはいました。ボクシングクラブなどと勝手な名前を付けて部落研なども部室を持っていて、各党派のメンバーが出入りしていました。8地下はいわば旧全共闘系のたまり場でした。その雰囲気がそのまま行動委員会にもあって、党派は絶対に嫌ということはなかったですね。&lt;br /&gt;
:法学部の場合、クラス活動家というのがいないんですよ。民青が嫌だったら行動委かサ連へ行けということになる。中間帯がない。積極的に勧誘しようがない。クラス情宣へ行くのは12月までで、これ以降は行っても無意味だからクラスには行かない。旗だけは目立つようにでかいのを作ったけれど、主に他学部の学大の支援に回るというのがほとんどだった。&lt;br /&gt;
:キャンパスに入れなくなった73年5月以降は、連日三鷹寮への泊まり込みを繰り返していました。最初は泊まるのが10人ぐらいいるんですよ。それがしだいに5人ぐらいに減っていくんですね。『きつい』と言い始めて、『（革マルに）撃沈されたら休める』と冗談を言い合っていました。革マルの喉元に刺さったトゲみたいに居続けてやろうというのが、5月に大衆団交に負けてからのぼくらの励みのようなことでした。最後は疲れ切ったというのが、正直なところです。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【一文樋田委員長遭難】'''&lt;br /&gt;
:夜8時頃、学生集会で連帯のアピールを終えた一文の樋田委員長が22号館を出た所で革マル派の集団に襲われ、顔や足に重傷を負うという事件が発生した。翌日の一文執行委員会有志のビラによれば事実経過は以下の様である。&lt;br /&gt;
:「昨日19時45分頃、樋田委員長は法学部の学生大会において法学部の学友に団交参加へのアピールをした後、22号館の前を4人の学友と共に歩いていました。それを見つけた革マルは『樋田だ！樋田を狙え！』と叫びながらきわめて計画的に委員長を取り囲み、なぐりかかり、押し倒し、うずくまったところを足で蹴とばし、下半身を鉄パイプで乱打するなど、非人間的で野蛮なテロルを行ないました。その結果樋田委員長は頭こそなぐられなかったものの、現在半身不随で入院、全治2～3週間という傷を負わされました。」&lt;br /&gt;
:別の書記局のビラには、襲った革マルは20名で、樋田委員長の左目、右足、顔面が血まみれになったとある。また、襲撃の指揮を執ったのは早大の革マルで、実行部隊は他大学の革マルだったとの本人の証言がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1YxkrdK_e1f0hjW8MC8ZtdOpRKukADqAP/view?usp=sharing 樋田委員長重傷！]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1LGsiIXW81EomRR47f9lVFCxeCxIkKYF9/view?usp=sharing 革マルのテロルを許すな！]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B45%E6%9C%889%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%B0%B4%EF%BC%89%E5%9B%A3%E4%BA%A4%E3%82%92%E5%B7%A1%E3%82%8B%E6%AD%A3%E7%B5%B1%E6%80%A7%E3%81%AE%E8%B3%9B%E5%90%A6%E3%80%82%E4%B8%80%E6%96%87%E7%B7%8F%E9%95%B7%E5%9B%A3%E4%BA%A4%E5%AE%9F%E8%A1%8C%E5%A7%94%E3%82%92%E7%B5%90%E6%88%90%E3%80%82&amp;diff=856</id>
		<title>1973年5月9日（水）団交を巡る正統性の賛否。一文総長団交実行委を結成。</title>
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				<updated>2021-10-04T02:36:25Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:5.17総長団交の確約は取り付けたものの、そこに至る授業中の総長を本部に連行するなどの手段に関しては、賛否が大きく分かれた。また、団交そのものに対する準備が新執行部側に不十分であるという指摘もあった。しかしながら、革マル派の巻き返しによって停滞を余儀なくされている状況を打開する手立てとして、団交を肯定的にとらえる意見が大勢を占めた。一文では、執行部内の意見の相違を踏まえ、執行委の有志と団実委のメンバーによって「5.17全学総長団交一文実行委員会」の結成が提案され、これを受けて、執行部も全学総長団交に参加することを決定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:◎一文、自治委員協議会。5/8の総括と5/17に向けての運動方針案を協議。結果、一文執行部も5.17全学総長団交に参加と決定。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【団交に向け一文実行委員会の結成】'''&lt;br /&gt;
:一文自治会執行委員会の有志と団交実行委員会とが連名で「5.17全学総長団交一文実行委員会」の結成を呼びかけた。&lt;br /&gt;
:「5.17総長団交こそは、我々の闘いに決定的な飛躍をもたらすであろう」として、一文での態勢固めのためを目的として実行委員会を結成するとしている。それはまた「停滞を打破し一層の大衆化への契機となる」ことであり「闘いを閉鎖化する傾向＝闘いの代行化を取り除く」ことであるとしている。&lt;br /&gt;
:実行委員会の実効性については、自治会執行委員会とクラスから選出された自治委員会による組織は代行化の弊害を生むことから、「最大限広汎な学友によって担われる実行委という大衆的共闘機関の創出こそが最も強力」だとしている。さらにこうした大衆機関は、困難な状況下にある文学部においてとりわけ必要であるとし、「革マルの暴力的抑制下にあって、クラス活動はもとよりキャンパスに入ることもおぼつかないという文学部で、クラス・個人に分断されんとしている闘いを結合し発展させていくためには、もはや形式的な団結の象徴である執行委員会だけでは決定的に不充分である」とその理由を述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【5.8『総長』団交への批判】'''&lt;br /&gt;
:実行委員会のビラは、5.8『総長』団交をようやく克ち取ったえがたい成果であるとし、批判の声に対し「否」を表明している。そこに散見する批判の声を拾うと…「団交は時期尚早である」「5.8団交のやり方が問題である」「5.8団交には大衆運動の原則から逸脱するような問題点がある」「一部の集団とのボス交である」「一部の集団のルール無視・分断行為」「要求項目が確認されていない」「団交への準備ができていない」。&lt;br /&gt;
:5.8『総長』団交については、5月9日付朝日新聞に「関係者の見方」として次のような解説が載った。&lt;br /&gt;
:「各学部の反革マルの自治会は『反民青、反革マル』を叫び、黒ヘルメットをかぶって革マル派との武力対決も止むなしとする行動委員会に対し『要求、原則で一致でき、セクトの引回しをしない限り、行動も統一できる』としてきたが、8日の団交は、行動委に対する評価でかなりのとまどいも表面化した。&lt;br /&gt;
:行動委を支持する第一文学部の新執行部のある役員は『とにかく川口君虐殺以来、ずっと逃げ回っていた村井を、学生の前へ引出したことは評価できる。方法が社会常識的でないからといって、統一行動ができないのはおかしい』といった。しかし、『われわれは体制がつくる既成事実を粉砕しなければならないと同時に、われわれの運動内部での“既成事実”に対しても、警戒すべきだと思う。要求が一致しているからといって、村井を連れてきたから一緒に行動しようでは、簡単にのるわけにいかない。あくまで大衆的な意思一致があるべきだった』とする政経学部のある学生の意見が、学生たちの一般的な考えのようだった。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【哲学4年のクラ討報告】'''&lt;br /&gt;
:5.8『総長』団交をどのように考えるか、一文哲学4年は「クラ討報告」のビラを出した。このクラス討論は、在籍者17名中9名の参加による。&lt;br /&gt;
:5.8団交に関するクラスとしての一致点は「執行部の下に位置づけられている特別委員会である一文団実委が自治会執行部の確認なしに勝手な行動をしたことは当然批判されなければいけない」というもので「各学部執行部は一貫して総長団交を要求したのに、それには何ら応えることなく、全学団実委なる実体のない私的機関に確約するとは、明らかに自治会無視、学生団結に対する分断策動である」「しかし、実際、総長が出てくることを約束させたことは成果である。それを積極的に利用すべきである。この機会をとりにがすと次にそういう機会を望むことはむずかしい」等の意見が付記されている。&lt;br /&gt;
:5.17団交については「基本的に政経執行部が出した5原則の方向で、しかも各クラス・専修から団行委を選出し、執行部が責任をもって団交代表団を組織すべきである」という一致点が確認されたが、一・二文、教育、政経、法、社学の各自治会連合の主催する団交に総長を出席させるのが望ましいが、実際には実現は困難だとした。そのうえで5.17団交への出席の是非については、「総長が確約した相手は全学団実委（準）という実体のないものである以上、自治会が無条件で参加することは無原則的である。独自に全学と協議して団交を追求すべきだ。自分も5.17に参加しない」が5名という結果であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【団交へ向けての議論】'''&lt;br /&gt;
:「個人ビラ　文責＝Y」の署名のある「連日開かれている会議の不毛な論議に対して一言口をはさみたいと思う。」という書き出しのビラが残っている。そこには「執行委か団実委かというような対立、執行委が団実委の上にあるとかないとか、また、前者が後者に入るとか入らないとか」といった不毛な論議が3日間にわたって続いていたことが記されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:どのような内容だったのか、なにゆえにそれほど論議を必要としたのか。『一文有志の記録』にその一部が記録されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:委員長;8日の行動は大衆的ではない。現在的には総長団交は無理。時期尚早。全学的取り組みの困難さ。文学部の遅れ。自治委員総会で課題を明確化し、やるかやらないかを決定する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:N：正式に参加しないのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:委員長：全学団実委に参加するかどうかを論議していく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:W：いかにクラスを再編していくか、全学友が結集できる軸としての総長団交に。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:？： 全学の協力は当然であるが、学生自治会として取り組むべきである。全学団交実行委員会の性格は不明確であり、そこへ参加する根拠も不明確だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:日史：（村井総長を理工学部から）連れてきたことは問題。クラ討、自治委員総会、学生大会、総長団交へと闘争態勢を固めることが急務。総長団交を軸にして、クラスの再編、強化を。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:K：17日はどうするのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:委員長：延期。僕達のやり方を追求していく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:日史：総長のつかまえ方に我々の限界があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:2J：我々の機動的なクラス活動の手足になるのがAC（行動委）である。執行委は、なぜ「管理支配体制」なのか、問題提起すべきである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:委員長：一点突破、全面展開式では、課題は不明確、不鮮明だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:2J：決戦団交ではない、一つの契機としての総長団交であるべきだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:？：獲得目標が不明確だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:2J：まだ大衆的な議論が巻き起こっていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:教育：1週間ぐらいで大衆的に運動が組織し得るかは否定的だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:2T：執行部が参加しない限り団交は形成されない。2000名以上の大衆の意志をどうするか。状況に押され続けている。状況を設定しなければ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:委員長：怒りだけでは動けない。具体的に何を課題としうるか。11.13-14と同じ地平では運動は進められない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:2J：5.17団交が、何故に、どうしていけないのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:委員長：やり方に問題。不充分性残るが、それは克服しつつ、一点に集中していくのではおかしい。「やれる」「しようがない」では運動は進められない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:2J：場が設定されて、執行部の立場もルールもわかるけれど、統一スローガンを基盤として闘えるのではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:？：決裂の場合、何が起こるかわからない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1S：獲得課題は？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:日史：単に承認運動ではない。早稲田解放である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:？：2000人の追求の末に署名。総長団交の中身は？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:委員長：ピンチにならなければ頭は回らない。執行部の提起によって下からの討論が可能になる。一文の独自性を積極的に運動にする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Y-a：総長団交要求という点では一致している。8日のような状態で糾弾は当然。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:2H：状況は煮つまっていない。何を変えていくのか、決裂した場合、研究棟封鎖を出来る意思一致もない。何年かかるかわからないけれどもやっていかなくてはいけない。17日は最終決戦ではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Y-b：現在の段階で何をなすべきか、どういう方向性を持った運動をつくっていくべきか。…総長団交をしなくてはならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:？：何を突き詰めていくのか。一文学部団交はできない。試験に対応しきれない。実行委員会のあり方、規約→自治会運動の方向性、早稲田をどう変えていくのかを捉えた場合の柱。（原文は「幹」）やり方の点検、創出。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:委員長：5.17に日時が決まっており、加わっていくなかで創出していくしかない。克服していく課題は多すぎる。全学的な連絡体制（構築？）に全力を尽くす。課題を追求するだけではダメ。今回（8日）のやり方はまずい。パターン化してはいけない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:※「教育」とあるのは専修かと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

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		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B45%E6%9C%889%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%B0%B4%EF%BC%89%E5%9B%A3%E4%BA%A4%E3%82%92%E5%B7%A1%E3%82%8B%E6%AD%A3%E7%B5%B1%E6%80%A7%E3%81%AE%E8%B3%9B%E5%90%A6%E3%80%82%E4%B8%80%E6%96%87%E7%B7%8F%E9%95%B7%E5%9B%A3%E4%BA%A4%E5%AE%9F%E8%A1%8C%E5%A7%94%E3%82%92%E7%B5%90%E6%88%90%E3%80%82&amp;diff=855</id>
		<title>1973年5月9日（水）団交を巡る正統性の賛否。一文総長団交実行委を結成。</title>
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				<updated>2021-10-04T02:35:37Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:5.17総長団交の確約は取り付けたものの、そこに至る授業中の総長を本部に連行するなどの手段に関しては、賛否が大きく分かれた。また、団交そのものに対する準備が新執行部側に不十分であるという指摘もあった。しかしながら、革マル派の巻き返しによって停滞を余儀なくされている状況を打開する手立てとして、団交を肯定的にとらえる意見が大勢を占めた。一文では、執行部内の意見の相違を踏まえ、執行委の有志と団実委のメンバーによって「5.17全学総長団交一文実行委員会」の結成が提案され、これを受けて、執行部も全学総長団交に参加することを決定した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:◎一文、自治委員協議会。5/8の総括と5/17に向けての運動方針案を協議。結果、一文執行部も5.17全学総長団交に参加と決定。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【団交に向け一文実行委員会の結成】'''&lt;br /&gt;
:一文自治会執行委員会の有志と団交実行委員会とが連名で「5.17全学総長団交一文実行委員会」の結成を呼びかけた。&lt;br /&gt;
:「5.17総長団交こそは、我々の闘いに決定的な飛躍をもたらすであろう」として、一文での態勢固めのためを目的として実行委員会を結成するとしている。それはまた「停滞を打破し一層の大衆化への契機となる」ことであり「闘いを閉鎖化する傾向＝闘いの代行化を取り除く」ことであるとしている。&lt;br /&gt;
:実行委員会の実効性については、自治会執行委員会とクラスから選出された自治委員会による組織は代行化の弊害を生むことから、「最大限広汎な学友によって担われる実行委という大衆的共闘機関の創出こそが最も強力」だとしている。さらにこうした大衆機関は、困難な状況下にある文学部においてとりわけ必要であるとし、「革マルの暴力的抑制下にあって、クラス活動はもとよりキャンパスに入ることもおぼつかないという文学部で、クラス・個人に分断されんとしている闘いを結合し発展させていくためには、もはや形式的な団結の象徴である執行委員会だけでは決定的に不充分である」とその理由を述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【5.8『総長』団交への批判】'''&lt;br /&gt;
:実行委員会のビラは、5.8『総長』団交をようやく克ち取ったえがたい成果であるとし、批判の声に対し「否」を表明している。そこに散見する批判の声を拾うと…「団交は時期尚早である」「5.8団交のやり方が問題である」「5.8団交には大衆運動の原則から逸脱するような問題点がある」「一部の集団とのボス交である」「一部の集団のルール無視・分断行為」「要求項目が確認されていない」「団交への準備ができていない」。&lt;br /&gt;
:5.8『総長』団交については、5月9日付朝日新聞に「関係者の見方」として次のような解説が載った。&lt;br /&gt;
:「各学部の反革マルの自治会は『反民青、反革マル』を叫び、黒ヘルメットをかぶって革マル派との武力対決も止むなしとする行動委員会に対し『要求、原則で一致でき、セクトの引回しをしない限り、行動も統一できる』としてきたが、8日の団交は、行動委に対する評価でかなりのとまどいも表面化した。&lt;br /&gt;
:行動委を支持する第一文学部の新執行部のある役員は『とにかく川口君虐殺以来、ずっと逃げ回っていた村井を、学生の前へ引出したことは評価できる。方法が社会常識的でないからといって、統一行動ができないのはおかしい』といった。しかし、『われわれは体制がつくる既成事実を粉砕しなければならないと同時に、われわれの運動内部での“既成事実”に対しても、警戒すべきだと思う。要求が一致しているからといって、村井を連れてきたから一緒に行動しようでは、簡単にのるわけにいかない。あくまで大衆的な意思一致があるべきだった』とする政経学部のある学生の意見が、学生たちの一般的な考えのようだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【哲学4年のクラ討報告】'''&lt;br /&gt;
:5.8『総長』団交をどのように考えるか、一文哲学4年は「クラ討報告」のビラを出した。このクラス討論は、在籍者17名中9名の参加による。&lt;br /&gt;
:5.8団交に関するクラスとしての一致点は「執行部の下に位置づけられている特別委員会である一文団実委が自治会執行部の確認なしに勝手な行動をしたことは当然批判されなければいけない」というもので「各学部執行部は一貫して総長団交を要求したのに、それには何ら応えることなく、全学団実委なる実体のない私的機関に確約するとは、明らかに自治会無視、学生団結に対する分断策動である」「しかし、実際、総長が出てくることを約束させたことは成果である。それを積極的に利用すべきである。この機会をとりにがすと次にそういう機会を望むことはむずかしい」等の意見が付記されている。&lt;br /&gt;
:5.17団交については「基本的に政経執行部が出した5原則の方向で、しかも各クラス・専修から団行委を選出し、執行部が責任をもって団交代表団を組織すべきである」という一致点が確認されたが、一・二文、教育、政経、法、社学の各自治会連合の主催する団交に総長を出席させるのが望ましいが、実際には実現は困難だとした。そのうえで5.17団交への出席の是非については、「総長が確約した相手は全学団実委（準）という実体のないものである以上、自治会が無条件で参加することは無原則的である。独自に全学と協議して団交を追求すべきだ。自分も5.17に参加しない」が5名という結果であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【団交へ向けての議論】'''&lt;br /&gt;
:「個人ビラ　文責＝Y」の署名のある「連日開かれている会議の不毛な論議に対して一言口をはさみたいと思う。」という書き出しのビラが残っている。そこには「執行委か団実委かというような対立、執行委が団実委の上にあるとかないとか、また、前者が後者に入るとか入らないとか」といった不毛な論議が3日間にわたって続いていたことが記されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:どのような内容だったのか、なにゆえにそれほど論議を必要としたのか。『一文有志の記録』にその一部が記録されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:委員長;8日の行動は大衆的ではない。現在的には総長団交は無理。時期尚早。全学的取り組みの困難さ。文学部の遅れ。自治委員総会で課題を明確化し、やるかやらないかを決定する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:N：正式に参加しないのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:委員長：全学団実委に参加するかどうかを論議していく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:W：いかにクラスを再編していくか、全学友が結集できる軸としての総長団交に。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:？： 全学の協力は当然であるが、学生自治会として取り組むべきである。全学団交実行委員会の性格は不明確であり、そこへ参加する根拠も不明確だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:日史：（村井総長を理工学部から）連れてきたことは問題。クラ討、自治委員総会、学生大会、総長団交へと闘争態勢を固めることが急務。総長団交を軸にして、クラスの再編、強化を。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:K：17日はどうするのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:委員長：延期。僕達のやり方を追求していく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:日史：総長のつかまえ方に我々の限界があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:2J：我々の機動的なクラス活動の手足になるのがAC（行動委）である。執行委は、なぜ「管理支配体制」なのか、問題提起すべきである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:委員長：一点突破、全面展開式では、課題は不明確、不鮮明だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:2J：決戦団交ではない、一つの契機としての総長団交であるべきだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:？：獲得目標が不明確だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:2J：まだ大衆的な議論が巻き起こっていない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:教育：1週間ぐらいで大衆的に運動が組織し得るかは否定的だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:2T：執行部が参加しない限り団交は形成されない。2000名以上の大衆の意志をどうするか。状況に押され続けている。状況を設定しなければ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:委員長：怒りだけでは動けない。具体的に何を課題としうるか。11.13-14と同じ地平では運動は進められない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:2J：5.17団交が、何故に、どうしていけないのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:委員長：やり方に問題。不充分性残るが、それは克服しつつ、一点に集中していくのではおかしい。「やれる」「しようがない」では運動は進められない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:2J：場が設定されて、執行部の立場もルールもわかるけれど、統一スローガンを基盤として闘えるのではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:？：決裂の場合、何が起こるかわからない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1S：獲得課題は？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:日史：単に承認運動ではない。早稲田解放である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:？：2000人の追求の末に署名。総長団交の中身は？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:委員長：ピンチにならなければ頭は回らない。執行部の提起によって下からの討論が可能になる。一文の独自性を積極的に運動にする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Y-a：総長団交要求という点では一致している。8日のような状態で糾弾は当然。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:2H：状況は煮つまっていない。何を変えていくのか、決裂した場合、研究棟封鎖を出来る意思一致もない。何年かかるかわからないけれどもやっていかなくてはいけない。17日は最終決戦ではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Y-b：現在の段階で何をなすべきか、どういう方向性を持った運動をつくっていくべきか。…総長団交をしなくてはならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:？：何を突き詰めていくのか。一文学部団交はできない。試験に対応しきれない。実行委員会のあり方、規約→自治会運動の方向性、早稲田をどう変えていくのかを捉えた場合の柱。（原文は「幹」）やり方の点検、創出。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:委員長：5.17に日時が決まっており、加わっていくなかで創出していくしかない。克服していく課題は多すぎる。全学的な連絡体制（構築？）に全力を尽くす。課題を追求するだけではダメ。今回（8日）のやり方はまずい。パターン化してはいけない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:※「教育」とあるのは専修かと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B45%E6%9C%888%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89_%E8%AC%9B%E7%BE%A9%E4%B8%AD%E3%81%AE%E6%9D%91%E4%BA%95%E7%B7%8F%E9%95%B7%E3%82%92%E6%9C%AC%E9%83%A8%E3%81%B8%E9%80%A3%E8%A1%8C%E3%80%825.17%E5%9B%A3%E4%BA%A4%E3%81%AE%E7%A2%BA%E7%B4%84%E6%9B%B8%E3%82%92%E5%8F%96%E3%82%8A%E4%BB%98%E3%81%91%E3%82%8B%E3%80%82&amp;diff=854</id>
		<title>1973年5月8日（火） 講義中の村井総長を本部へ連行。5.17団交の確約書を取り付ける。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B45%E6%9C%888%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89_%E8%AC%9B%E7%BE%A9%E4%B8%AD%E3%81%AE%E6%9D%91%E4%BA%95%E7%B7%8F%E9%95%B7%E3%82%92%E6%9C%AC%E9%83%A8%E3%81%B8%E9%80%A3%E8%A1%8C%E3%80%825.17%E5%9B%A3%E4%BA%A4%E3%81%AE%E7%A2%BA%E7%B4%84%E6%9B%B8%E3%82%92%E5%8F%96%E3%82%8A%E4%BB%98%E3%81%91%E3%82%8B%E3%80%82&amp;diff=854"/>
				<updated>2021-10-04T02:33:00Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:行動委と団実委のメンバーが、理工学部で講義中の村井総長を本部8号館へ連行。6時間に及ぶ押し問答の末、村井総長は5.17に全学団交を開催する趣旨の確約書に署名した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:11:00　理工学部54号館404教室で講義中の村井資長総長を連行。&lt;br /&gt;
:12:00　8号館301教室で川口君殺害後初めての総長団交が「全学団交実行委準備会」の名で3,000名の学友のもとに行われた。&lt;br /&gt;
:18:00　「17日に全学再団交を開く」と確約書に署名したため、約6時間で終わった。&lt;br /&gt;
:◎一文当局は試験を強行（5/7～5/12）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【村井総長との直談判】'''&lt;br /&gt;
:1973年5月8日付朝日新聞夕刊は「村井総長を連去る」の4段見出しで次のように報じた。&lt;br /&gt;
:「8日午前10時半すぎ、東京都新宿区西大久保4丁目早大理工学部54号館404教室で講義をしていた村井資長総長は、突然白覆面姿で押入ってきた学生十数人に取囲まれ、そのまま入口に待たせてあった車で約2キロ離れた同区戸塚町1丁目の同大本部8号館（法学部）前に連行された。&lt;br /&gt;
:村井総長は同教室で午前10時から化学工業論の講義をしており、受講生は約20人いたが、あっという間の出来事で何もすることができなかった、という。&lt;br /&gt;
:午前11時すぎ8号館入口前に連れてこられた村井総長は、黒ヘルメット白覆面姿の二人の学生に両腕をかかえられて立たされた。周囲を数十人の学生が取囲み『リンチ殺人事件後なぜ学生の前に出なかったか』『自治会を承認しろ』などと叫んで、雨中の糾弾集会を始めた。その周りをさらに約500人の学生が取巻いた。&lt;br /&gt;
:教職員が直ちに非常召集され、約50人が成行きを見守ったが、正午前村井総長は学生たちに8号館301教室に連込まれた。&lt;br /&gt;
:戸塚署は、村井総長を連行したのは反革マル系の各学部行動委員会のメンバーとみている。&lt;br /&gt;
:なお警視庁機動隊300人が出動、同大南門付近に待機して情勢を見守った。（後略）」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:同紙翌5月9日付朝刊。&lt;br /&gt;
:「川口君リンチ殺人事件から半年目に当たる8日、早大で反革マルの各学部行動委員会のメンバーが講義中の村井総長を連行して開いた“全学総長団交”は、本部8号館301教室に学生約1500人を集めて続けられたが、同午後6時前、村井総長が『17日に全学再団交を開く』と文書で確約したため、約6時間で終った。」&lt;br /&gt;
:確約書については次のように書かれている。&lt;br /&gt;
:「午後5時すぎ、学生側は（1）17日正午から記念会堂または安倍球場で再団交を開く（2）総長は自分が出席するほか、他の理事、学部長らに出席するよう働きかける、などを内容とする確約書を書くように要求、村井総長は『時間を3時間に限るなど、ルールを守ってほしい』と条件を出したが入れられず、確約書に署名した。」&lt;br /&gt;
:村井総長との交渉については5月9日付毎日新聞に次のようにある。&lt;br /&gt;
:「ハプニング団交の会場となった法学部8号館301教室は、午後2時すぎには約1500人の学生でぎっしり埋まった。学生たちは『川口君の虐殺を招いたのは大学当局が革マルを利用していたため』と総長の責任を追及。さらに機動隊導入、ロックアウトを自己批判せよと迫ったが、村井総長は拒否。学生たちは『革マル派を追放して各学部に生まれた新執行部を、ただちに認めろ』とつめ寄ったが村井総長は応じなかった。」&lt;br /&gt;
:村井総長に関する記述は毎日新聞に詳しく、午後3時半には医師も待機する状況になったが、村井総長は「これまで文書でしか学生と接触してこなかったことを反省している」として話し合いを続行したこと、また、帰宅後のインタビューでは「教室から連行されたときは、一言も口をきくまいと思っていた。しかし、壇上で学生の顔を見ているうちに考えが変わった。私を連れ出した一部の学生とは違う。川口君の死をきっかけに学園から暴力をなくそうと願いながら、自治会再建のあり方に悩んでいる顔だ。総長として何か答えなければいけないと思った」と、連行時の心境にふれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【壇上で用意された確約書】'''&lt;br /&gt;
:ようやく実現した村井総長との直接交渉。交渉の結果を明文化するために、加熱した教室の騒音の中、行動委のメンバーの手で確約書が書き上げられた。&lt;br /&gt;
:「確約書&lt;br /&gt;
:私は本日の団交をふまえ、より多くの学生とも話し合いたいので、5月17日正午より記念会堂または安倍球場において、全学大衆団交に、全理事、学生部長および各学部長と協議のうえ、あるいは私個人として、必ず出席することをここに確認する。&lt;br /&gt;
:さらに当日は全学休講とすることを学部長会議で協議、要請する。議長は全学団交実行委員会準備会が決定することとする。&lt;br /&gt;
:右確約します。&lt;br /&gt;
::::::　　　　　　　　村井資長&lt;br /&gt;
::1973年5月8日&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:全学団交実行委員会準備会代表者殿&lt;br /&gt;
:更に、当日の団交については、事前に新聞等により、全学生に通知することを確約する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::全学団交実行委員会準備会&lt;br /&gt;
::::::　　　　　代表　○○○○&lt;br /&gt;
::::::　　　　　　　　村井資長」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【団交確約の勝利】'''&lt;br /&gt;
:翌日の一文団交委員会のビラには「5.17全学『総長』団交確約の勝利」という見出しで次のようにある。&lt;br /&gt;
:「5.8『総長』団交がいかなる経過で実現されたかが今は問題なのではない。最も重要なことは、『総長』村井が我々の糾弾のあまりに正統な、それ故に×理的な追求の前に、ついに我々の闘いの正統性を彼の責任において認め、また結集した二千名の学友に対し、それ故にその背景にひかえる早大4万の学友に対し、はっきりと5.17全学『総長』団交を確約したことである。村井『総長』は、あの不幸な11月8日以来半年にわたって我々の前から逃亡しつづけたことを自己批判し、ついに折しも川口君虐殺から半周年にあたる昨日に、全学友の前に登場することを確約書をもって誓ったのである。5月17日、この日こそが我々が待ちに待った、そして我々の闘いがついに克ち取った早大当局との決着を問う日として決定されたのだ。」&lt;br /&gt;
:5月17日に向けたスケジュールも示された。&lt;br /&gt;
::5/10　商学部学生大会&lt;br /&gt;
::5/11　政経学部学生大会&lt;br /&gt;
::5/12　全都交流集会（慶應大その他）&lt;br /&gt;
::5/14　法学部学生大会&lt;br /&gt;
::5/15　全学総決起集会&lt;br /&gt;
::5/17　全学「総長」団交（記念会堂）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1MQlD8X0O8XKUFYGUVOzJ0ceR3HbIC1qW/view?usp=sharing 5.17全学総長団交勝利・1文実行委員会形成の呼びかけ]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/187y_vJpjKjDUVPVr6GE3f6F4CxAY5Ae7/view?usp=sharing 諸君！事態は新聞で見たとおりだ！]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/14XjjeZytPg2aLqZrOzvO7QvHIa8glhBz/view?usp=sharing 1文哲学科4年　クラ討報告]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1sSlxzwqhyQ9RjSfqjqjs_VMoMGsT_OdJ/view?usp=sharing 総長団交への大衆的展開こそが全てである]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1howGnpc8_Jp11b1ymuP0ajdl9n9NSHRg/view?usp=sharing 総長確認書]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B44%E6%9C%8824%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%8C21%E6%97%A5%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81%E3%82%92%E3%80%8C%E9%A8%92%E4%B9%B1%E3%81%A8%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E8%A1%8C%E7%82%BA%E3%80%8D%E3%81%A8%E5%91%8A%E7%A4%BA%E3%80%82&amp;diff=853</id>
		<title>1973年4月24日（火）当局が21日の概要を「騒乱と暴力行為」と告示。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B44%E6%9C%8824%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%8C21%E6%97%A5%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81%E3%82%92%E3%80%8C%E9%A8%92%E4%B9%B1%E3%81%A8%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E8%A1%8C%E7%82%BA%E3%80%8D%E3%81%A8%E5%91%8A%E7%A4%BA%E3%80%82&amp;diff=853"/>
				<updated>2021-10-04T02:27:42Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:大学当局は21日の事態を「騒乱と暴力行為」として自治会活動から逸脱した行為として自省を求める内容の告示を出した。また政経学部は告示で、新執行部に対し、当局が確認済みの学部投票の実績をもとに学友会選挙の実施と学友会委員会の組織をするよう促した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:◎一文、自治委員協議会。三年生協議会。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【当局による21日の概要】'''&lt;br /&gt;
:大学当局は「21日の事件の概要について」と題して、「当日の事実経過とこれに対処した大学の姿勢を正確に学生諸君に伝えることによって、このような騒乱と暴力行為の横行がもはや自治会活動と何らのつながりも持たないものであることを明らかにし、過激な行動をとった学生諸君に強く反省を求めたいと思います」とした。時系列で当日の学内の動きを記述したうえで「大学は、今回の事態を今後ますます激化しかねない暴力横行への警鐘として受けとめ、あるべき道筋からそれてしまった学生自治会再建問題を理性と対話の中に引き戻すよう重ねて努力したいと思います」とした。&lt;br /&gt;
:この日、当局が把握していた事態とそれに対しての対応は以下の通りである。&lt;br /&gt;
::1．開門後まもなく学外者が大部分と思われる反帝学評の集団約200人が本部構内に侵入し、青ヘルメット、覆面を着用した後、10号館などから無断で机、椅子などを運び出し、10号館と11号館、11号館と7号館の間の通路にバリケードを築き、旗竿などを多数林立させて集会、デモを始めました。（中略）大学は学外者と思われる集団が凶器を所持して校内に侵入し、そのためセクト間で衝突する危険が強まったこと、一般学生の巻き添えが懸念されたこと、大学の授業を可能なかぎり確保する必要があったことなどの事情から、ただちに本部構内の各門で教職員数人ずつが状況の連絡、通報など監視、警戒する体制をとるとともに、10時30分過ぎには次の掲示を出しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::「学生諸君へ&lt;br /&gt;
::今朝8時頃、他大学学生と思われる反帝系学生集団約200名がヘルメット・覆面・竹竿を所持し、構内に侵入した。&lt;br /&gt;
::このようなことは、大学としては、当然容認することはできない。&lt;br /&gt;
::速やかに退去することを警告しているが、本大学学生諸君は慎重に行動されることを望む。&lt;br /&gt;
::昭和48年4月21日　　　　　　　　早稲田大学」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::2．10時過ぎから、8号館およびその周辺で、法学部自治会系と行動委間、反帝系と革マル派間それぞれ数人ずつが口論、小ぜり合いを始め、また、11時30分近くから3号館前で黒ヘルを含む行動委の集団約100人が集会をもち、学内は次第に緊張の度を増しました。黒ヘルと青ヘルの集団に向けて「ヘルメットをかぶっている学生集団はデモをやめ、集団を解き、すみやかに退去するよう」繰り返し放送しました。（中略）度重なる大学の警告を彼等は容易に聞こうとはしませんでした。およそ学問の府の秩序は、大学自治の精神に照らすと、理性と対話、説得と警告を根幹とし、またそれを限度としなければなりません。これが聞き入れられないときは、大学の自治は崩壊に瀕することになり、まことに悲しむべき事態といえましょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::3．文学部構内では12時過ぎから集会がもたれましたが、革マル派の妨害で学生大会が開けず、文学部に集まった学生の一団約300人は、14時過ぎ本部構内15号館に会場を移し、入口に机、椅子などでバリケードを築きました。17時頃になって、ヘルメット、竹竿など所持の革マル派約70人が本部構内に入り、15号館前で黒ヘルグループと対峙しました。まもなく15号館から放水が始まり、革マル派はバリケードをはずしにかかるとともに、双方が竹竿、鉄パイプで突き合いを始めました。上からは机、灰皿などが投げられ、下からは投石などでこれに応戦、約20分続きました。その後、マイク合戦に映り、19時近くに一連の騒ぎはようやくおさまりました。（中略）今回の事件で、大学が最も心配した人身事故がなかったことはせめても不幸中の幸いでした。しかし、乱闘の場となった15号館は見るも無惨に破壊されました。まとめたところによると、（中略）損害額は、実に500万円に達します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【政経学部当局の考える正常な状態とは】'''&lt;br /&gt;
:政経学部では、ストによって前年度の学年末試験が延期されたままであった。また、学生投票によって学友会（＝自治会）再建は決定されたものの、（革マルの妨害によって）学友会委員の選挙～学友会委員会の発足のプロセスに至らず足踏み状態だった。&lt;br /&gt;
:4月24日付の告示の中で当局は、この状況を次のように表現した。&lt;br /&gt;
:「現実の再建活動は、一つの事件をきっかけにして起こったために、排除された派閥が、他学部学生などの応援をえて、失地の快復などを試みるようになると、混乱がおこり、前進が止まった。ところが臨時執行部は、この一頓挫を、学部当局・大学当局の反動的弾圧的対応にもとづくものであるとし、予め示した条件に従うことをやめ、全く新たな新自治会を設立するのだと言い、「1．新自治会の即時無条件承認、自治会費凍結即時解除」「2．3号館地下、4号館の管理運営権を学生の手に」「3．11.27、11.17告示白紙撤回」「4．今後一切の学生処分を行わない確約」「5．総長団交要請の確約」「6．機動隊導入自己批判」「7．負傷者の補償」の7項目を掲げて、学部に迫ってきた。そしてこれらの要求の全面貫徹のためとして、学年末試験の時期を含む2～4月の間にわたり試験粉砕ストを行ない、臨時執行部のなかの一部派閥は、もしも学部が教場試験を強行するなら、暴力をもってこれが実施を不可能にするとまで広言している。（中略）学部は学友会再建のための条項に従って手続きが進められてきたことを認め、学部全学生の過半数が、現在行われている学友会再建運動に賛同し、これの達成実現を支持していることを、さきの学生投票の結果を点検することによって確認した。残るは第五項（編註：学友会選挙および学友会委員会の組織）だけなのである。なぜ示された手続きに従って、さらに進もうとしないのか。なぜ新自治会の即時無条件承認などと言いだすのか、理解に苦しむというほかない。すでに述べたとおり、学年末試験の実施と学友会再建のこととは、おのずから別のことであって、両者を結びつけようとするところに無理と飛躍がある。このことに関して正常な状態とは何かといえば、だから、二つを切り離して、純粋な再建運動を、いままで積み上げたところを足場に、臨時執行部が着実に前進するようになることであると考える。」&lt;br /&gt;
:なお、当局の示した5項目は次の通りである。&lt;br /&gt;
:（1）学友会再建のための学生大会の召集は、学部在籍学生の3分の1以上の署名による要求に基づいておこなわれる。&lt;br /&gt;
:（2）学生大会は、学部在籍学生の5分の1以上の出席によって成立する。&lt;br /&gt;
:（3）学生大会で、学友会再建を学生投票に付することを、出席学生の過半数で決議する。&lt;br /&gt;
:（4）学生投票による学友会再建の決定は、学部在籍学生の過半数の無記名投票と有効投票の過半数の同意によっておこなわれる。&lt;br /&gt;
:（5）以上のような手続を経て学友会の再建が決定された場合、学友会会則に定める手続に準拠して学友会選挙を実施し、これによって選出された委員によって学友会委員会が組織され、ここに学友会が正式に再発足することになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:同告示は、「3年生以下の学年末試験については、正常な状態のもとで実施したいので、4月以降までこれを延期する旨の決定を行ってから、2ヵ月をこえた。以後、学内には混乱がつづき、現在も正常な状態とは言えない。」という書き出しで始まり、前半には暴力についての言及がある。曰く「まず、暴力追放運動のことである。事件の責任を自認した革マル派が、相かわらずゲバ棒を振う集団行動を続けたことは言うまでもなく悪い。けれども、暴力に報いるに暴力をもってするのは、自家撞着であろう。だから、これに対抗して立上った学生諸君のなかに、自分たちのほうから暴力をしかける武装集団が生まれたのも、遺憾至極であった。どんなに正当な理由があるにしても、静穏であるべき学内に暴力をもちこむことは、主張がどうあろうと絶対に許されるべきことではない。（中略）それなら大学は、この状態をなくすためになにをしたか、そのつど告示を出して、集団の暴力行為を非難するだけだったではないか、と問う者がいる。だが大学に、これ以上のなにができたであろうか。大学は暴力に対して無力であり、無力であることに誇りを感じている」。そして、1969年の10.27告示、1972年の11.17告示は「こうした暴力の日常化を予防するために公示された」ものであるとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B44%E6%9C%8824%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%8C21%E6%97%A5%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81%E3%82%92%E3%80%8C%E9%A8%92%E4%B9%B1%E3%81%A8%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E8%A1%8C%E7%82%BA%E3%80%8D%E3%81%A8%E5%91%8A%E7%A4%BA%E3%80%82&amp;diff=852</id>
		<title>1973年4月24日（火）当局が21日の概要を「騒乱と暴力行為」と告示。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B44%E6%9C%8824%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%8C21%E6%97%A5%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81%E3%82%92%E3%80%8C%E9%A8%92%E4%B9%B1%E3%81%A8%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E8%A1%8C%E7%82%BA%E3%80%8D%E3%81%A8%E5%91%8A%E7%A4%BA%E3%80%82&amp;diff=852"/>
				<updated>2021-10-04T02:25:55Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:大学当局は21日の事態を「騒乱と暴力行為」として自治会活動から逸脱した行為として自省を求める内容の告示を出した。また政経学部は告示で、新執行部に対し、当局が確認済みの学部投票の実績をもとに学友会選挙の実施と学友会委員会の組織をするよう促した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:◎一文、自治委員協議会。三年生協議会。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【当局による21日の概要】'''&lt;br /&gt;
:大学当局は「21日の事件の概要について」と題して、「当日の事実経過とこれに対処した大学の姿勢を正確に学生諸君に伝えることによって、このような騒乱と暴力行為の横行がもはや自治会活動と何らのつながりも持たないものであることを明らかにし、過激な行動をとった学生諸君に強く反省を求めたいと思います」とした。時系列で当日の学内の動きを記述したうえで「大学は、今回の事態を今後ますます激化しかねない暴力横行への警鐘として受けとめ、あるべき道筋からそれてしまった学生自治会再建問題を理性と対話の中に引き戻すよう重ねて努力したいと思います」とした。&lt;br /&gt;
:この日、当局が把握していた事態とそれに対しての対応は以下の通りである。&lt;br /&gt;
:1．開門後まもなく学外者が大部分と思われる反帝学評の集団約200人が本部構内に侵入し、青ヘルメット、覆面を着用した後、10号館などから無断で机、椅子などを運び出し、10号館と11号館、11号館と7号館の間の通路にバリケードを築き、旗竿などを多数林立させて集会、デモを始めました。（中略）大学は学外者と思われる集団が凶器を所持して校内に侵入し、そのためセクト間で衝突する危険が強まったこと、一般学生の巻き添えが懸念されたこと、大学の授業を可能なかぎり確保する必要があったことなどの事情から、ただちに本部構内の各門で教職員数人ずつが状況の連絡、通報など監視、警戒する体制をとるとともに、10時30分過ぎには次の掲示を出しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「学生諸君へ&lt;br /&gt;
:今朝8時頃、他大学学生と思われる反帝系学生集団約200名がヘルメット・覆面・竹竿を所持し、構内に侵入した。&lt;br /&gt;
:このようなことは、大学としては、当然容認することはできない。&lt;br /&gt;
:速やかに退去することを警告しているが、本大学学生諸君は慎重に行動されることを望む。&lt;br /&gt;
:昭和48年4月21日　　　　　　　　早稲田大学」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:2．10時過ぎから、8号館およびその周辺で、法学部自治会系と行動委間、反帝系と革マル派間それぞれ数人ずつが口論、小ぜり合いを始め、また、11時30分近くから3号館前で黒ヘルを含む行動委の集団約100人が集会をもち、学内は次第に緊張の度を増しました。黒ヘルと青ヘルの集団に向けて「ヘルメットをかぶっている学生集団はデモをやめ、集団を解き、すみやかに退去するよう」繰り返し放送しました。（中略）度重なる大学の警告を彼等は容易に聞こうとはしませんでした。およそ学問の府の秩序は、大学自治の精神に照らすと、理性と対話、説得と警告を根幹とし、またそれを限度としなければなりません。これが聞き入れられないときは、大学の自治は崩壊に瀕することになり、まことに悲しむべき事態といえましょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:3．文学部構内では12時過ぎから集会がもたれましたが、革マル派の妨害で学生大会が開けず、文学部に集まった学生の一団約300人は、14時過ぎ本部構内15号館に会場を移し、入口に机、椅子などでバリケードを築きました。17時頃になって、ヘルメット、竹竿など所持の革マル派約70人が本部構内に入り、15号館前で黒ヘルグループと対峙しました。まもなく15号館から放水が始まり、革マル派はバリケードをはずしにかかるとともに、双方が竹竿、鉄パイプで突き合いを始めました。上からは机、灰皿などが投げられ、下からは投石などでこれに応戦、約20分続きました。その後、マイク合戦に映り、19時近くに一連の騒ぎはようやくおさまりました。（中略）今回の事件で、大学が最も心配した人身事故がなかったことはせめても不幸中の幸いでした。しかし、乱闘の場となった15号館は見るも無惨に破壊されました。まとめたところによると、（中略）損害額は、実に500万円に達します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【政経学部当局の考える正常な状態とは】'''&lt;br /&gt;
:政経学部では、ストによって前年度の学年末試験が延期されたままであった。また、学生投票によって学友会（＝自治会）再建は決定されたものの、（革マルの妨害によって）学友会委員の選挙～学友会委員会の発足のプロセスに至らず足踏み状態だった。&lt;br /&gt;
:4月24日付の告示の中で当局は、この状況を次のように表現した。&lt;br /&gt;
:「現実の再建活動は、一つの事件をきっかけにして起こったために、排除された派閥が、他学部学生などの応援をえて、失地の快復などを試みるようになると、混乱がおこり、前進が止まった。ところが臨時執行部は、この一頓挫を、学部当局・大学当局の反動的弾圧的対応にもとづくものであるとし、予め示した条件に従うことをやめ、全く新たな新自治会を設立するのだと言い、「1．新自治会の即時無条件承認、自治会費凍結即時解除」「2．3号館地下、4号館の管理運営権を学生の手に」「3．11.27、11.17告示白紙撤回」「4．今後一切の学生処分を行わない確約」「5．総長団交要請の確約」「6．機動隊導入自己批判」「7．負傷者の補償」の7項目を掲げて、学部に迫ってきた。そしてこれらの要求の全面貫徹のためとして、学年末試験の時期を含む2～4月の間にわたり試験粉砕ストを行ない、臨時執行部のなかの一部派閥は、もしも学部が教場試験を強行するなら、暴力をもってこれが実施を不可能にするとまで広言している。（中略）学部は学友会再建のための条項に従って手続きが進められてきたことを認め、学部全学生の過半数が、現在行われている学友会再建運動に賛同し、これの達成実現を支持していることを、さきの学生投票の結果を点検することによって確認した。残るは第五項（編註：学友会選挙および学友会委員会の組織）だけなのである。なぜ示された手続きに従って、さらに進もうとしないのか。なぜ新自治会の即時無条件承認などと言いだすのか、理解に苦しむというほかない。すでに述べたとおり、学年末試験の実施と学友会再建のこととは、おのずから別のことであって、両者を結びつけようとするところに無理と飛躍がある。このことに関して正常な状態とは何かといえば、だから、二つを切り離して、純粋な再建運動を、いままで積み上げたところを足場に、臨時執行部が着実に前進するようになることであると考える。」&lt;br /&gt;
:なお、当局の示した5項目は次の通りである。&lt;br /&gt;
:（1）学友会再建のための学生大会の召集は、学部在籍学生の3分の1以上の署名による要求に基づいておこなわれる。&lt;br /&gt;
:（2）学生大会は、学部在籍学生の5分の1以上の出席によって成立する。&lt;br /&gt;
:（3）学生大会で、学友会再建を学生投票に付することを、出席学生の過半数で決議する。&lt;br /&gt;
:（4）学生投票による学友会再建の決定は、学部在籍学生の過半数の無記名投票と有効投票の過半数の同意によっておこなわれる。&lt;br /&gt;
:（5）以上のような手続を経て学友会の再建が決定された場合、学友会会則に定める手続に準拠して学友会選挙を実施し、これによって選出された委員によって学友会委員会が組織され、ここに学友会が正式に再発足することになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:同告示は、「3年生以下の学年末試験については、正常な状態のもとで実施したいので、4月以降までこれを延期する旨の決定を行ってから、2ヵ月をこえた。以後、学内には混乱がつづき、現在も正常な状態とは言えない。」という書き出しで始まり、前半には暴力についての言及がある。曰く「まず、暴力追放運動のことである。事件の責任を自認した革マル派が、相かわらずゲバ棒を振う集団行動を続けたことは言うまでもなく悪い。けれども、暴力に報いるに暴力をもってするのは、自家撞着であろう。だから、これに対抗して立上った学生諸君のなかに、自分たちのほうから暴力をしかける武装集団が生まれたのも、遺憾至極であった。どんなに正当な理由があるにしても、静穏であるべき学内に暴力をもちこむことは、主張がどうあろうと絶対に許されるべきことではない。（中略）それなら大学は、この状態をなくすためになにをしたか、そのつど告示を出して、集団の暴力行為を非難するだけだったではないか、と問う者がいる。だが大学に、これ以上のなにができたであろうか。大学は暴力に対して無力であり、無力であることに誇りを感じている」。そして、1969年の10.27告示、1972年の11.17告示は「こうした暴力の日常化を予防するために公示された」ものであるとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B44%E6%9C%8810%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%AE%E4%BB%A3%E3%80%85%E6%9C%A8%E9%A7%85%E8%A5%B2%E6%92%83%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8A%E4%B8%89%E5%AD%A6%E9%83%A8%E3%81%AE%E5%AD%A6%E7%94%9F%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E6%B5%81%E4%BC%9A%E3%80%82&amp;diff=851</id>
		<title>1973年4月10日（火）革マルの代々木駅襲撃により三学部の学生大会流会。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B44%E6%9C%8810%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%AE%E4%BB%A3%E3%80%85%E6%9C%A8%E9%A7%85%E8%A5%B2%E6%92%83%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8A%E4%B8%89%E5%AD%A6%E9%83%A8%E3%81%AE%E5%AD%A6%E7%94%9F%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E6%B5%81%E4%BC%9A%E3%80%82&amp;diff=851"/>
				<updated>2021-10-04T02:19:39Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:学大開催を前に、代々木駅に集合した各学部のメンバーを武装した革マル派が襲撃。10数名が負傷し、三学部で予定されていた学大は流会となった。一文執行部は、午後3時に8号館で学生集会を開き400名が結集。「4.4、4.10連続鉄パイプ襲撃徹底糾弾」他の集会決議を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:■代々木駅西口改札口に集結していた政経、一文、二文の学生に革マル50名が鉄パイプで襲撃、負傷者多数。予定された各学部学生大会は流会に。&lt;br /&gt;
:◎8号館301教室で一文自治会執行委主催の学生集会400名参加、以下の集会決議をした。&lt;br /&gt;
::・川口君虐殺徹底糾弾&lt;br /&gt;
::・4/4/、4/10連続鉄パイプ襲撃徹底糾弾&lt;br /&gt;
::・革マルの常任委僭称粉砕&lt;br /&gt;
::・革マルの統一学大策動粉砕&lt;br /&gt;
::・四月祭勝利、自主管理闘争貫徹&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【代々木駅午前8時15分】'''&lt;br /&gt;
:この日、午前の政経、午後の一文・二文の学生大会を前に、各学部のメンバーは代々木駅に結集してから大学に向かい、革マルの妨害を突破する計画だった。ところが、どこからか情報が漏れ、代々木駅に集まったメンバーに革マルが襲いかかった。&lt;br /&gt;
:「代々木駅構内に、4月10日午前8時15分頃、当日予定されていた一文、二文、政経、教育（原文ママ）の各学部学生大会開催のため結集中の各学部学生約50人に対し、革マル派は鉄パイプで武装して襲撃を行った。革マル派は逃げおくれた学生（主要に女子）、あるいはたおれている学生の頭部を中心に乱打し、また駅の構外にも待ち伏せており、無差別に逃げる学生を襲った。そのため、10数名の負傷者が出るなどして付近は混乱し、逃げおくれた学生の中から警官に連行される者も出た。」（1973年4月10日付早稲田キャンパス176号／一部表記修正）&lt;br /&gt;
:朝日新聞夕刊には襲撃の模様が詳しい。&lt;br /&gt;
:「10日午前8時15分ごろ、東京都渋谷区代々木一丁目の国鉄代々木駅西口改札口の内側ホールに集まっていた約50人の学生グループに、ホームから木刀を持った約30人の学生風グループがかん声をあげてなぐりかかって乱闘になり、改札口付近にいたグループのうち2、3人が頭などに軽いけがをした。原宿署は現場付近にいた4人を任意同行して調べているが「早大の学生大会に行くところだ」というだけで、いずれも住所、氏名を黙秘している。この日、早大では第一文学部、政経、教育（原文ママ）の三学部で革マルと反革マルの両派が学生大会を呼びかけているところから、同署はこれに関係あるのではないか、とみている。」（1973年4月10日付朝日新聞夕刊）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:また、後日の新執行部による「新入生連帯基調」のビラには次のような記述がある「明らかに革マルは計画的に、中心的なメンバーを狙いうちしたのであり、また11.8以前とその暴力的本質は何一つ変わっていないことが明らかになった。我々は限りなく寛容でありたいと思う。しかし、革マルが川口君虐殺を実践的に何一つ自己批判せず、さらに居直りのためにはテロ・リンチをも辞さないのだという、手段を選ばぬ『強盗の論理と倫理』を行使してくる限り、彼らを絶対に許すことはできない。川口君虐殺に対する一抹の呵責の念すら持ち合わせていない虐殺者＝革マルによって流された多くの血を、我々は何としてでも彼らにつぐなわせねばならないだろう。」そして最後は「4.4、4.10鉄パイプ襲撃を、11.8川口君虐殺、1.19無差別テロと共に忘れるな！　反撃を準備せよ！」と結ばれている。&lt;br /&gt;
::編註：この日学生大会が予定されていたのは一文・二文・政経の3学部。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【「激怒！」のビラ】'''&lt;br /&gt;
:新2Dクラスからは「激怒！」と大書されたビラが出された。&lt;br /&gt;
:「みなさん、目を大きく開き、耳をすませて、この事実に注目してほしい！　4月10日8時すぎ、学生大会実施のため代々木駅で集まっていた我々は、他大学の見たこともないような革マル派の鉄パイプ部隊に襲われた。彼らは、ホーム側からおそい、改札口のすぐ外にも、駅付近のガードにも待ち伏せて、逃げまどうボクらに鉄パイプでおそってきた。彼らは顔をひきつらせ、声をうわずらせ、その行為は、まさにテロ集団のそれであった。代々木駅付近はパニック状態となり、級友のY君ともチリヂリになり、安全を確認するすべもなく、ボクらは不安を抱きながら、夜電話で彼の負傷を知る。（中略）この無差別テロが決してY君だけでなく、ボクら一人ひとりに向けられて振り下ろされたものであることを、ハッキリ確認しよう。革マルの無差別テロはエスカレートしている。怒りを組織せよ！団結せよ！革マル徹底糾弾！革マル派のペテン的統一行動を拒否せよ！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【学大は中止に】'''&lt;br /&gt;
:襲撃後の様子について1973年4月10日付早稲田キャンパス176号の記事は次のように記す。「この襲撃は当日第一文学部に於いて開催を予定されていた学生大会を巡って、『統一学大』を主張する革マル派が、自治会系の学生の登場を阻止する目的で、組織的計画的に行われたものと考えられる。その後、四散した学生は午後3時頃、ようやく早大構内に入り、8号館で行われていた各学部集会に合流した。8号館301教室では一文自治会執行委主催の学生集会が開かれ、のべ400人が結集した。『川口君虐殺糾弾』『4.4　4.10鉄パイプ襲撃徹底糾弾』『革マル派の常任委僭称粉砕』『革マル派の統一学大策動粉砕』『四月祭勝利、自主管理闘争貫徹』などの集会決議をあげた。その後、同教室で全学の学生500名で『全学4.10テロ糾弾集会』が開かれ、続いて文学部キャンパスにデモ隊列が向かったが、機動隊に阻止された。一方文学部構内では統一行動・統一学大実行委（革マル派系）主催の学生集会が開かれ、394人が結集したと発表された。また第二文学部でも同様に学生集会が午後5時半より開かれ、126人が結集したと発表されている。なお、この日昼頃、『代々木駅早朝テロ糾弾』の集会を15号館で開こうとした学生に革マル派が介入し、集会は開かれなかった。またこの日に予定されていた学生大会は、自治会系、革マル派系共に定足数に達せず、そのため両者は共に4月中に再び学生大会の開催を予定している。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【翌4.11の執行委員会のビラから】'''&lt;br /&gt;
:「一文執行委は直接本部に結集してきた学友等と連絡をとった結果、革マル派のテロ専門・外人部隊が学内に数多く存在し（一文構内120名、文連120名、14号館30名、15号館30名）、彼らが全員鉄パイプなどで武装していることを確認した。このため、残念ながら一文構内で学大を追求することを断念し、午後3時から本部8号館301教室において学大への結集を呼びかけた。その結果、情宣の不足（一文において全くビラまきなどできなかったことなど）にもかかわらず約300名以上（5時段階253名在席）をかちとって、学生集会として6つの決議案と1つの補足決議案を圧倒的多数を持って採決していった。その後5時半、約400の隊列をもってデモンストレーションにうつったが、機動隊の規制にはばまれ。一文キャンパスには近づけなかった。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1Dx1EnxxhdCmoZB0uUDbbD7k6cLRO3NPW/view?usp=sharing  4/10革マルによる早朝テロ徹底糾弾！　4.10学生集会決議要項　一文自治会執行委員会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1D4MvEBuXSrNf2mqyLGI7CGjRwafPw-4S/view?usp=sharing  激怒　旧1D]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1IAURHQTy20HMPVnwLpjctd7ja7R5c142/view?usp=sharing  4/10学生大会議案書　一文執行委員会]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B44%E6%9C%883%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89%E6%AC%BA%E7%9E%9E%E3%81%AB%E6%BA%80%E3%81%A1%E3%81%9F%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%80%8C%E7%B5%B1%E4%B8%80%E8%A1%8C%E5%8B%95%E3%80%8D%E3%81%AE%E5%91%BC%E3%81%B3%E3%81%8B%E3%81%91%E3%80%82&amp;diff=850</id>
		<title>1973年4月3日（火）欺瞞に満ちた革マルによる「統一行動」の呼びかけ。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B44%E6%9C%883%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89%E6%AC%BA%E7%9E%9E%E3%81%AB%E6%BA%80%E3%81%A1%E3%81%9F%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%80%8C%E7%B5%B1%E4%B8%80%E8%A1%8C%E5%8B%95%E3%80%8D%E3%81%AE%E5%91%BC%E3%81%B3%E3%81%8B%E3%81%91%E3%80%82&amp;diff=850"/>
				<updated>2021-10-04T02:13:24Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:新入生を迎えた文学部キャンパスではリコールされた革マル派自治会の巻き返しが始まった。「一文自治会常任委員会」のビラが公然と配られ、「統一行動」の呼びかけが繰り返し耳に入るようになった。さも常任委員会と執行委員会の2つの自治会があるように見せかけて新入生を自陣に取り込もうとする企みである。一方で当局は、執行委員会に対して自治会承認のための5原則を提示し、その実現を求めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:◎教育学部入学式。常任委員会は団交要求を掲げ介入。式は中止となる。&lt;br /&gt;
:●大学院、専攻科の入学式は中止。&lt;br /&gt;
:■革マルによる「統一行動」４原則の呼びかけが始まる→「安易に統一行動を分断することは許されない」という恫喝付きで。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【自治会の主導権】'''&lt;br /&gt;
:朝日新聞は3日の記事で、前日の入学式の中止、高田馬場駅での革マルと中核の衝突は、今後に続く早大の“混迷の季節”を象徴していると書いた。&lt;br /&gt;
:「セクト中心の自治会と思想、行動の自由、自治会運動の理念と大学当局の姿勢…。約5ヵ月にわたる運動の中でも、これらは解決のメドのつかない課題として新学期に持越されてきた。新入生1万556人からどちらがより多くの支持を得るかは革マル派、反革マル自治会双方にとって大きな意味を持ち、また貴重な“戦力”になる可能性を持つ。クラス編成やガイダンスを利用した双方のオルグ活動は活発となり、自治会の主導権をめぐる争いは激化するとみられている。反革マルの学生は自治会無条件承認、総長団交開催を要求して年末試験ボイコットのストライキを続けてきた。政経、教育、一文の三学部は、延期中の学年末試験を4月中に実施する構えだが、これらの学部の反革マル自治会は要求が入れられない限り闘いの姿勢を変えないとしており、ここにも混乱の芽はある。一方、革マル派は相変らず『闘う自治会』を主張し、自派の各学部自治会を死守するという。一部には新入生のなかにかなりの活動家が含まれているとのうわさもある。」（1973年4月3日付朝日新聞夕刊）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【2つの自治会】'''&lt;br /&gt;
:入学式が終わり、新入生の姿が学内に定着するのと時を同じくして、「統一行動」を呼びかける「一文自治会常任委」のビラが出回るようになった。曰く「反戦・反基地の闘い、春闘・国鉄スト支援そして政府自民党の『筑波法案』立法化・早大当局の学生管理強化に反対する早大全学の統一した力の結集を」克ち取るために「全ての闘う部分の統一行動を、全自治会員の手で実現していかなければならない」とある。&lt;br /&gt;
:これは、11月にリコールされた革マルによる一文自治会常任委員会が、新学期の混乱に乗じて勢力を巻き返そうとした策動であった。さらに11.8後に選ばれた新執行部（樋田委員長）に対しても「不当な敵対行為を続けている『自治会執行委員会』を自称する諸君に対しても、自治会問題を踏み絵としない統一行動を呼びかけるものである」としている。すなわち、反戦・反基地の大義のために自治会の主導権争いを中断し、統一組織として行動しようという呼びかけは、員数拡大を目的とした欺瞞に満ちた取込作戦以外の何物でもない。新入生に「自治会常任委員会」と「自治会執行委員会」を混同するよう仕向けることで、4.10に予定されていた学生大会に向けての新執行部の情宣を妨害し、勢力の拡大を抑制することが目的だったと思われる。&lt;br /&gt;
:これに対し新執行部は、川口君虐殺事件に関与した革マルの常任委員会はすでに11.28学生大会においてリコールされていることを再度周知し、革マル派がいかにも2つの自治会があるように印象づけようとしていることは許しがたいと表明した。&lt;br /&gt;
:後日、２Tの有志から「新入生諸君だまされてはいけない！」と題したビラが出された。「新入生諸君、だまされてはいけない。これは君達の前で君達をエジキにせんと目論んだコッケイなしかし悪質な茶番なのだ。4月以前を知っている者には見えすぎるほど見えすいた茶番なのだ。誰でもいい、2年生以上の者にきいてみたまえ。どちらが本当のことを言っているかが判るだろう。（中略）今文学部は革マルオンパレードである。そしてそれには〈4.10統一学大〉と書いてあるだろう。〈統一〉にはわれわれ〈悪質ノンセクト〉も入れてくださるそうだが、われわれにとって殺人集団との〈統一〉など思いもよらぬことである。そもそも4.10学大はわれわれが設定し、会場の181教室もわれわれが借りたものである。（事務所にでも行って聞いてみたまえ。）その学大に対し常任委＝革マルは、4月になってからあたかも自分達が開くかのように〈テロつき統一〉を看板にして統一学大を打ち出してきたのである。（中略）彼らがいくら『相模原』や『横須賀』や『労働支援』などの看板をデッチ上げようと、自らの自治会員を虐殺し、鉄パイプで殴りかかる彼らに、その資格は一片たりともありはしない。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【自治会員証の配布】'''&lt;br /&gt;
:さらに驚くべきことに、この革マル「常任委員会」は、新入生に対し「自治会員証」を配布した。従来は学生大会に出席した折、学生証の表示によって投票用紙とともに配布されるという慣例であったが、それを無視してあたかも「常任委員会」が正統な自治会であるかのように印象づける行為であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【一文当局からの五原則要求】'''&lt;br /&gt;
:“2つの自治会”と呼応するタイミングで4月2日には一文・二文教授会・教員会の名前で「学生自治会のあり方について一応の見解をまとめた」として、以下の五原則が提示された。&lt;br /&gt;
::（1）新執行部が、学生大会決定事項につき、学部投票の方法で、学部自治会員過半数の支持を確認すること。&lt;br /&gt;
::（2）クラス委員（自治会委員）選出のための公正な選挙管理委員会の設置。&lt;br /&gt;
::（3）選挙期間・方式等をあらかじめ明示した上での、クラス委員選挙、及び公開の開票。&lt;br /&gt;
::（4）クラス委員総会において多数の支持をえた執行部の選出。&lt;br /&gt;
::（5）執行部による、全自治会員の総意を常時反映しうるような自治会規約案の提示と、その全自治会員による絶対多数による承認。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:なお、この告示は「新入生諸君へ」となっており、在学生が「暴力排除・学生自治の問題」に積極的に取り組んでいる折から、「新入生諸君の健全な自治会再建への努力を期待してやまない」と結ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:これに対して一文自治会執行委員会（樋田委員長）は「自治会再建『五原則』は誰のためか」と題したビラのなかで、「学生自治の原則は、その構成員である学生自らが、その自主的な自治活動のなかで創り出し確認していくものであって、教授会が学生自治の原則をうんぬんすることをわれわれは断じて許すことができない」と、すでに自治会の原則として知性とモラルを尽くして作り上げた「九原則」（1972年12月12日を参照）を打ち出していると反論した。&lt;br /&gt;
:「われわれの創る自治会は、すべての学生の創意による自治活動を保障し、共同の努力によって新たな価値の創造を図り、学生の利益を守る自治会である」とし「われわれは〈九原則〉のうえにしっかりと立ち、学部当局に対して学生の利益を守るために断固闘うことをすべての自治会員のまえに誓うものである」と宣言した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/15rfzpXM3RRryz0y9qZKYzGNxbC8zLFBG/view?usp=sharing　学友諸君だまされてはいけない！　一文2T有志]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1pdjyKjnmmfONGlIVBFW4S1VCCsO2R4V7/view?usp=sharing　4月10日一文学生大会に向けて　一文自治会執行委（樋田委員長）]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1D4MvEBuXSrNf2mqyLGI7CGjRwafPw-4S/view?usp=sharing  自治会再建「五原則」とは何か、誰のためか　一文執行委員会]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B43%E6%9C%8813%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89%E4%BA%8C%E6%96%87%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%8C%E8%87%AA%E6%B2%BB%E4%BC%9A%E6%89%BF%E8%AA%8D%E3%81%AE%E6%9D%A1%E4%BB%B6%E3%82%92%E6%8F%90%E7%A4%BA%E3%80%82%E6%95%99%E8%82%B2%E3%81%A7%E3%81%AF%E6%95%99%E5%A0%B4%E8%A9%A6%E9%A8%93%E5%8F%96%E3%82%8A%E6%AD%A2%E3%82%81%E3%80%82&amp;diff=849</id>
		<title>1973年3月13日（火）二文当局が自治会承認の条件を提示。教育では教場試験取り止め。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B43%E6%9C%8813%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89%E4%BA%8C%E6%96%87%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%8C%E8%87%AA%E6%B2%BB%E4%BC%9A%E6%89%BF%E8%AA%8D%E3%81%AE%E6%9D%A1%E4%BB%B6%E3%82%92%E6%8F%90%E7%A4%BA%E3%80%82%E6%95%99%E8%82%B2%E3%81%A7%E3%81%AF%E6%95%99%E5%A0%B4%E8%A9%A6%E9%A8%93%E5%8F%96%E3%82%8A%E6%AD%A2%E3%82%81%E3%80%82&amp;diff=849"/>
				<updated>2021-10-04T02:08:37Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:2月10日に学部団交で学部長の新執行部承認の確約書を取り付けた二文の臨時執行部に対し学部当局は、クラス委員による執行部選出等の条件を提示した。また、波状ストに入った教育学部では、4年生の教場試験をレポート提出に切り替える旨の発表があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:◎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【執行部の選出方法】'''&lt;br /&gt;
:二文当局が示した執行部選出の方法は次の通りである。（※2月10日の記事にも掲載）&lt;br /&gt;
:①新執行部が、学生大会決定事項につき、学部投票等の方法で、学部自治会員過半数の支持を確認すること。&lt;br /&gt;
:②クラス委員（自治会委員）選出のための公正な選挙管理委員会の設置。&lt;br /&gt;
:③選挙期間・方式等をあらかじめ明示した上でのクラス在籍者過半数が出席することを条件とするクラス委員選挙及び公開の開票。&lt;br /&gt;
:④クラス委員総会において多数の支持をえた執行部の選出。&lt;br /&gt;
:⑤執行部による、全自治会員の総意を常時反映しうるような自治会規約案の提示と、その全自治会員の絶対多数による承認。&lt;br /&gt;
:この方式は、在校生によって選ばれたクラス委員による投票等の代行を前提としたもので、11.8以前に革マルが握っていた第一・第二文学部、商学部、社会科学部は、選挙方法に不明な点があったものの、この条件に沿った自治委員選挙を経て選出された執行部であった。&lt;br /&gt;
:学内の状況については、「革マルは自治会・文連私物化とそれをテコとした『イデ闘』『恫喝』『テロ・リンチ』の手段により、全ての闘う部分、あるいは革マルの論理と相容れない部分に対しては『反自治会活動』『反文連活動』のレッテルを貼り、自らの圧殺行為を正当化し、当局の学内管理抑圧体制を維持せんとする学内機動隊の役割を担ってきた。早大で一人の学友が殺されたことは、69年以降一切の反対勢力を暴力的に圧殺し、そのことによって自らの『党派的』拡大を目論んできた革マルのファッショ的支配が当局の管理抑圧体制には何ら手を触れることなく、学内においては戦術的な左翼性を誇示してきた早大の否定的状況から必然的に引き起こされてきたものである。そうであるが故に革マルがいくら『戦闘的自治会』『闘う文連』を誇示しようが、それらは革マルの活動以外は一切否定し、あまつさえ革マルの党派的分断や囲い込みを前提とする一切の他の運動の学内登場や情宣を暴力的に圧殺することによって、またその『戦闘性』の主観性は誰の目にも破産してしまっているのである。」（初出：「革マル文連を粉砕し統一文連創出を～」）と、1974年4月19日付で教育学部学生自治会旧執行委員会有志が出した『我々は早大教育学部自治会執行委員会の解散をもって君に連帯する！』に記されている。&lt;br /&gt;
:教育学部では、1月23日に教育学生自治会常任委員会（永井委員長）を自治問題について話し合う唯一の機関と認めると専任教員会が発表したが、その後、新年度に再選出された執行部を承認するという、いわゆる「2.22」見解によって承認への条件を強化したという経緯があった。&lt;br /&gt;
:さて、当局の承認条件に対して二文の臨時執行部がどのように対応したかについての詳細は資料がないため不明である。ただ、前出の『我々は～』の中に次の記載がある。「各学部が新自治会執行部を選出していく中で、二文（特に革マルの支配が強かった）では闘いを自治会運動として集約していくことに対する疑問が噴出する中で意図的に新執へ移行しなかった。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【なぜ自治会運動だったのか】'''&lt;br /&gt;
:川口君の死によって学内に広がった革マル自治会排撃の動きはまた、新たな自治会創設という問題を提起した。&lt;br /&gt;
:「72年11～12月期の川口君虐殺に対する連続的な大衆反乱は、自らの運命は自らの手で切り拓いていくという直接行動として（文字通り一切の代行主義を排して）表現されていった。そして、そうした一切の代行主義を排したところで成り立つ緊張の中にこそ、既成自治会が持つ中央委員会方式※としての負の側面（ポツダム自治会の執行部選挙に数十名の代議員をオルグして勝利し、その『形式的な権力』を有効に使って学生大衆を左翼化あるいは自己の党派の下へ結集させようとするそうした活動形態）を止揚する萌芽があったし、それは文字通り革マル全学連『自治会大衆』運動の破産宣告」でもあった。そこからどこへ向かうのか…。「共同しての闘う集団の編成への模索」だと前出の『我々は～』は続ける。「日共＝民青をも含めて自治会機構を私物化し『みんなの代表』面をする者への即時的な苛立ちをバネとしながら、何から何を何処へ向けて解放するのかという闘いのイメージの曖昧さと、現実の側からくる活動資金源や活動空間としての革マル自治会（文連も）を粉砕することが革マルの存在基盤を奪うことになるという発想の相互瞞着の中で、それは自治会運動として立てられていった。このことは、前者の闘いのイメージの曖昧さは闘う主体の弱さであり、（中略）早大管理・支配体制を語る時の〈革マル―当局―私たち自身〉の『私たち自身』を厳しく問題にすることであるということと、後者の革マルの存在基盤を奪うことについては、革マル自治会（文連）を否定し我々の自治会を作るという、機構や形式を我々の側に獲得すると立てることが、主体の弱さの克服を外的なものの中に視てしまい、自らの自らに対する格闘を放棄してしまうという傾向を持たざるを得ない。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:※ここでいう中央委員会方式とは、自治会が機構的に学生大会＝最高決定機関-自治会員-クラス自治委員-自治委員総会-常任（執行）委員会-三役という代行制度をその本質として内にもっているということであり、60年安保以降の革マル、日共＝民青を頂点とした党派自治会運動においてはこうした機構が党派的に利用される結果、大衆運動の発展を逆に阻害してしまった。（「『我々は早大教育学部自治会執行委員会の解散をもって君に連帯する！』より）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B41%E6%9C%8827%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89%E4%B8%80%E6%96%87%E3%81%A7%E6%96%B0%E5%9F%B7%E8%A1%8C%E9%83%A8%E9%81%B8%E5%87%BA%E3%80%82%E6%94%BF%E7%B5%8C%E3%81%AF%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%B3%A21%E9%80%B1%E9%96%93%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%B8&amp;diff=848</id>
		<title>1973年1月27日（土）一文で新執行部選出。政経は第二波1週間ストへ</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B41%E6%9C%8827%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89%E4%B8%80%E6%96%87%E3%81%A7%E6%96%B0%E5%9F%B7%E8%A1%8C%E9%83%A8%E9%81%B8%E5%87%BA%E3%80%82%E6%94%BF%E7%B5%8C%E3%81%AF%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%B3%A21%E9%80%B1%E9%96%93%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%B8&amp;diff=848"/>
				<updated>2021-10-04T01:53:08Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;【概要】&lt;br /&gt;
:一文で自治委員総会が開かれ15人の新執行部を選出。第二波1週間ストライキ、1.30学生大会の開催などが決議された。政経学部では自治委員総会で第二波1週間ストライキを決議した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【この日のできごと】&lt;br /&gt;
:14:00	一文、自治委員総会を37クラス、各クラス自治委員65人で開催し、臨時執行部に代えて15人の新執行部を選出。29日からの期末試験阻止のための第 2波1週間ストライキと三役処分の白紙撤回および1.30学生大会開催を決議した。&lt;br /&gt;
:◎団交実行委員会（準）の結成。&lt;br /&gt;
:◎政経学部で3回目の自治委員総会が行われ、第2波1週間ストライキを決議した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【1.27 一文自治委員総会議案書には】&lt;br /&gt;
:一文自治委員総会は議案書の序章「総会の持つ意義は何か」、第一章「ストライキ闘争中間総括」、第二章「学部団交勝利に向けて」、第三章「新執行部選出」に従って議事が進められた。&lt;br /&gt;
:ストの中間総括では次のような課題が指摘されている。&lt;br /&gt;
:「革マル派の今までのバリストとは打って変わった大衆的な結集と教室自主管理による生活空間の獲得→クラス討論、自主ゼミとしても…正に闘いは深化されている！　だがしかし、我々は次の二つの問題点を指摘しなければならない。まず第一に1/25、1/26に見られた〈早＊＊ピケ---二文連帯〉態勢のソシキ化の不充分＊＊である。これについては、すべてのクラス・専修で文字通りネトライキを許さないものとして、具体的な動員を克ち取っていく必要があっただろう。それは、1/23学生大会の議案書に盛り込まれていたように、スト実の結成として実現されるべきである。更に、ストライキ中のクラス討論等の活動を恒常的に行なう為にも、クラス・専修単位での教室の自主管理を再度確認する必要があるだろう。&lt;br /&gt;
:第二に我々の闘いの内実の豊富化である。クラス討論の＊＊、試験→レポート化を克ち取り共同でその課題に取り組む〈共同研究〉、クラス団交、上＊＊、自主ゼミ、合同討論会等が例として挙げられる。&lt;br /&gt;
:すべてのクラス・専修で創意と工夫を駆使し、今までの革マル＊＊自治会私物化反対派狩りによる抑圧と屈辱の日常性を解体し、自発性に基づく生活空間の＊＊を克ち取ろう。」（＊＊部分は判読不能）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:学部団交での要求項目としては次の8点が提起された。&lt;br /&gt;
:1．11/14・15そして1月の機動隊導入・学生逮捕を自己批判し、今後一切機動隊を入れないことを確約せよ！&lt;br /&gt;
:2．本総会で確立される執行部を一文自治会の唯一の正式執行機関であることを即時無条件で認めよ！&lt;br /&gt;
:3．自治会室を即時無条件に解放せよ！&lt;br /&gt;
:4．自治会費凍結を即時無条件に解除せよ！&lt;br /&gt;
:5．責任転嫁としての「三役処分」を撤回せよ！&lt;br /&gt;
:6．10.27、11.17 告示を白紙撤回せよ！&lt;br /&gt;
:7．教授会として村井「総長」が全学生の前に出ることを決議せよ！&lt;br /&gt;
:8．自主管理貫徹を承認せよ！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:団交に当たっては、各クラス・専修から1名を選んで団交実行委員会を結成し 1.29の団交に対応することとしている。団交交渉において当局が不誠実な対応、反動的な対応をした場合には「1/30学生大会の場で、第二波自治会権奪還、団交勝利のストライキも辞さない」としている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【一文臨執による会計報告】&lt;br /&gt;
:1.27現在までの運動は、クラス・街頭・個人のカンパによって支えられてきた。臨執による会計報告では、カンパによる収入は11月4万2730 円、12月7万3943円、1月5万3758円で合計17万431円。支出は情宣活動、救対カンパ、活動費などで合計13万9980円となっている。12月8日付の毎日新聞にも「意気ごみはすさまじいのだが、ノンセクトと小党乱立の反革マル派の弱みは、資金不足」と書かれた。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
【リンク】&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=1HLdzQf-nKyAF8JsmgfcPw78iskFla_r- 自治委員総会に勝利せよ]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=1qIRidUIROOV4HvGUq7rsCalVmdSS6hNX 自治委員総会議案書]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=1NzdqKNdTcobh6qKVxL5rSTE8chMpbu2h 会計報告]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=1Bcp3XUF7BZ3spUy9KN9SdEWtR-XUtn5w 第一文学部自治会仮規約]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B41%E6%9C%8827%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89%E4%B8%80%E6%96%87%E3%81%A7%E6%96%B0%E5%9F%B7%E8%A1%8C%E9%83%A8%E9%81%B8%E5%87%BA%E3%80%82%E6%94%BF%E7%B5%8C%E3%81%AF%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%B3%A21%E9%80%B1%E9%96%93%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%B8&amp;diff=847</id>
		<title>1973年1月27日（土）一文で新執行部選出。政経は第二波1週間ストへ</title>
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				<updated>2021-10-04T01:52:49Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;【概要】&lt;br /&gt;
:一文で自治委員総会が開かれ15人の新執行部を選出。第二波1週間ストライキ、1.30学生大会の開催などが決議された。政経学部では自治委員総会で第二波1週間ストライキを決議した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【この日のできごと】&lt;br /&gt;
:14:00	一文、自治委員総会を37クラス、各クラス自治委員65人で開催し、臨時執行部に代えて15人の新執行部を選出。29日からの期末試験阻止のための第 2波1週間ストライキと三役処分の白紙撤回および1.30学生大会開催を決議した。&lt;br /&gt;
:◎団交実行委員会（準）の結成。&lt;br /&gt;
:◎政経学部で3回目の自治委員総会が行われ、第2波1週間ストライキを決議した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【1.27 一文自治委員総会議案書には】&lt;br /&gt;
:一文自治委員総会は議案書の序章「総会の持つ意義は何か」、第一章「ストライキ闘争中間総括」、第二章「学部団交勝利に向けて」、第三章「新執行部選出」に従って議事が進められた。&lt;br /&gt;
:ストの中間総括では次のような課題が指摘されている。&lt;br /&gt;
:「革マル派の今までのバリストとは打って変わった大衆的な結集と教室自主管理による生活空間の獲得→クラス討論、自主ゼミとしても…正に闘いは深化されている！　だがしかし、我々は次の二つの問題点を指摘しなければならない。まず第一に1/25、1/26に見られた〈早＊＊ピケ---二文連帯〉態勢のソシキ化の不充分＊＊である。これについては、すべてのクラス・専修で文字通りネトライキを許さないものとして、具体的な動員を克ち取っていく必要があっただろう。それは、1/23学生大会の議案書に盛り込まれていたように、スト実の結成として実現されるべきである。更に、ストライキ中のクラス討論等の活動を恒常的に行なう為にも、クラス・専修単位での教室の自主管理を再度確認する必要があるだろう。&lt;br /&gt;
:第二に我々の闘いの内実の豊富化である。クラス討論の＊＊、試験→レポート化を克ち取り共同でその課題に取り組む〈共同研究〉、クラス団交、上＊＊、自主ゼミ、合同討論会等が例として挙げられる。&lt;br /&gt;
すべてのクラス・専修で創意と工夫を駆使し、今までの革マル＊＊自治会私物化反対派狩りによる抑圧と屈辱の日常性を解体し、自発性に基づく生活空間の＊＊を克ち取ろう。」（＊＊部分は判読不能）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:学部団交での要求項目としては次の8点が提起された。&lt;br /&gt;
:1．11/14・15そして1月の機動隊導入・学生逮捕を自己批判し、今後一切機動隊を入れないことを確約せよ！&lt;br /&gt;
:2．本総会で確立される執行部を一文自治会の唯一の正式執行機関であることを即時無条件で認めよ！&lt;br /&gt;
:3．自治会室を即時無条件に解放せよ！&lt;br /&gt;
:4．自治会費凍結を即時無条件に解除せよ！&lt;br /&gt;
:5．責任転嫁としての「三役処分」を撤回せよ！&lt;br /&gt;
:6．10.27、11.17 告示を白紙撤回せよ！&lt;br /&gt;
:7．教授会として村井「総長」が全学生の前に出ることを決議せよ！&lt;br /&gt;
:8．自主管理貫徹を承認せよ！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:団交に当たっては、各クラス・専修から1名を選んで団交実行委員会を結成し 1.29の団交に対応することとしている。団交交渉において当局が不誠実な対応、反動的な対応をした場合には「1/30学生大会の場で、第二波自治会権奪還、団交勝利のストライキも辞さない」としている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【一文臨執による会計報告】&lt;br /&gt;
:1.27現在までの運動は、クラス・街頭・個人のカンパによって支えられてきた。臨執による会計報告では、カンパによる収入は11月4万2730 円、12月7万3943円、1月5万3758円で合計17万431円。支出は情宣活動、救対カンパ、活動費などで合計13万9980円となっている。12月8日付の毎日新聞にも「意気ごみはすさまじいのだが、ノンセクトと小党乱立の反革マル派の弱みは、資金不足」と書かれた。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
【リンク】&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=1HLdzQf-nKyAF8JsmgfcPw78iskFla_r- 自治委員総会に勝利せよ]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=1qIRidUIROOV4HvGUq7rsCalVmdSS6hNX 自治委員総会議案書]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=1NzdqKNdTcobh6qKVxL5rSTE8chMpbu2h 会計報告]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=1Bcp3XUF7BZ3spUy9KN9SdEWtR-XUtn5w 第一文学部自治会仮規約]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B41%E6%9C%8827%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89%E4%B8%80%E6%96%87%E3%81%A7%E6%96%B0%E5%9F%B7%E8%A1%8C%E9%83%A8%E9%81%B8%E5%87%BA%E3%80%82%E6%94%BF%E7%B5%8C%E3%81%AF%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%B3%A21%E9%80%B1%E9%96%93%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%B8&amp;diff=846</id>
		<title>1973年1月27日（土）一文で新執行部選出。政経は第二波1週間ストへ</title>
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				<updated>2021-10-04T01:51:22Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;【概要】&lt;br /&gt;
:一文で自治委員総会が開かれ15人の新執行部を選出。第二波1週間ストライキ、1.30学生大会の開催などが決議された。政経学部では自治委員総会で第二波1週間ストライキを決議した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【この日のできごと】&lt;br /&gt;
:14:00	一文、自治委員総会を37クラス、各クラス自治委員65人で開催し、臨時執行部に代えて15人の新執行部を選出。29日からの期末試験阻止のための第 2波1週間ストライキと三役処分の白紙撤回および1.30学生大会開催を決議した。&lt;br /&gt;
:◎団交実行委員会（準）の結成。&lt;br /&gt;
:◎政経学部で3回目の自治委員総会が行われ、第2波1週間ストライキを決議した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【1.27 一文自治委員総会議案書には】&lt;br /&gt;
:一文自治委員総会は議案書の序章「総会の持つ意義は何か」、第一章「ストライキ闘争中間総括」、第二章「学部団交勝利に向けて」、第三章「新執行部選出」に従って議事が進められた。&lt;br /&gt;
ストの中間総括では次のような課題が指摘されている。&lt;br /&gt;
:「革マル派の今までのバリストとは打って変わった大衆的な結集と教室自主管理による生活空間の獲得→クラス討論、自主ゼミとしても…正に闘いは深化されている！　だがしかし、我々は次の二つの問題点を指摘しなければならない。まず第一に1/25、1/26に見られた〈早＊＊ピケ---二文連帯〉態勢のソシキ化の不充分＊＊である。これについては、すべてのクラス・専修で文字通りネトライキを許さないものとして、具体的な動員を克ち取っていく必要があっただろう。それは、1/23学生大会の議案書に盛り込まれていたように、スト実の結成として実現されるべきである。更に、ストライキ中のクラス討論等の活動を恒常的に行なう為にも、クラス・専修単位での教室の自主管理を再度確認する必要があるだろう。&lt;br /&gt;
:第二に我々の闘いの内実の豊富化である。クラス討論の＊＊、試験→レポート化を克ち取り共同でその課題に取り組む〈共同研究〉、クラス団交、上＊＊、自主ゼミ、合同討論会等が例として挙げられる。&lt;br /&gt;
すべてのクラス・専修で創意と工夫を駆使し、今までの革マル＊＊自治会私物化反対派狩りによる抑圧と屈辱の日常性を解体し、自発性に基づく生活空間の＊＊を克ち取ろう。」（＊＊部分は判読不能）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:学部団交での要求項目としては次の8点が提起された。&lt;br /&gt;
:1．11/14・15そして1月の機動隊導入・学生逮捕を自己批判し、今後一切機動隊を入れないことを確約せよ！&lt;br /&gt;
:2．本総会で確立される執行部を一文自治会の唯一の正式執行機関であることを即時無条件で認めよ！&lt;br /&gt;
:3．自治会室を即時無条件に解放せよ！&lt;br /&gt;
:4．自治会費凍結を即時無条件に解除せよ！&lt;br /&gt;
:5．責任転嫁としての「三役処分」を撤回せよ！&lt;br /&gt;
:6．10.27、11.17 告示を白紙撤回せよ！&lt;br /&gt;
:7．教授会として村井「総長」が全学生の前に出ることを決議せよ！&lt;br /&gt;
:8．自主管理貫徹を承認せよ！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:団交に当たっては、各クラス・専修から1名を選んで団交実行委員会を結成し 1.29の団交に対応することとしている。団交交渉において当局が不誠実な対応、反動的な対応をした場合には「1/30学生大会の場で、第二波自治会権奪還、団交勝利のストライキも辞さない」としている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【一文臨執による会計報告】&lt;br /&gt;
:1.27現在までの運動は、クラス・街頭・個人のカンパによって支えられてきた。臨執による会計報告では、カンパによる収入は11月4万2730 円、12月7万3943円、1月5万3758円で合計17万431円。支出は情宣活動、救対カンパ、活動費などで合計13万9980円となっている。12月8日付の毎日新聞にも「意気ごみはすさまじいのだが、ノンセクトと小党乱立の反革マル派の弱みは、資金不足」と書かれた。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
【リンク】&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=1HLdzQf-nKyAF8JsmgfcPw78iskFla_r- 自治委員総会に勝利せよ]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=1qIRidUIROOV4HvGUq7rsCalVmdSS6hNX 自治委員総会議案書]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=1NzdqKNdTcobh6qKVxL5rSTE8chMpbu2h 会計報告]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=1Bcp3XUF7BZ3spUy9KN9SdEWtR-XUtn5w 第一文学部自治会仮規約]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B41%E6%9C%8823%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89%E4%B8%80%E6%96%87%E3%81%A7%E5%AD%A6%E7%94%9F%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E3%81%8C%E9%96%8B%E3%81%8B%E3%82%8C%E3%82%8B&amp;diff=845</id>
		<title>1973年1月23日（火）一文で学生大会が開かれる</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B41%E6%9C%8823%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89%E4%B8%80%E6%96%87%E3%81%A7%E5%AD%A6%E7%94%9F%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E3%81%8C%E9%96%8B%E3%81%8B%E3%82%8C%E3%82%8B&amp;diff=845"/>
				<updated>2021-10-04T01:45:47Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
【概要】&lt;br /&gt;
:午後2時から181教室で開かれた一文学生大会は定足数を満たし成立。 臨執の議案書に沿って討論が進められ、臨執の提起した「試験強行阻止、1週間ストライキ」が賛成多数で採決された。教育学部では自治委員総会が、二文では学生大会が、それぞれ開催された。一方、商学部と法学部では学期末試験が予定通り行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【この日のできごと】&lt;br /&gt;
:◎法・商学部は学年末試験2日目。本部、文学部で厳重な当局と機動隊とによる検問体制が敷かれる。&lt;br /&gt;
:14:00一文臨執主催の学生大会が開催され、1,489人（注．1,526 名＝有志ノート）の圧倒的結集。181教室の壇上には「団交要求、試験強行阻止」の横断幕。臨執が提案した「仮規約」の採択は投票総数907、賛成791、反対８、保留81、棄権18、無効9、議場委任218で可決。同じく「行動提起（試験強行阻止、1週間ストライキ）」に対しては投票総数760、賛成504、修正案(2F)85、保留127、棄権31、無効13、議場委任729 で可決。 期末試験ボイコット、革マルの二重自治会策動粉砕、自治委員選挙貫徹などを目標にスト入りする。&lt;br /&gt;
:◎教育学部では自治委員総会。規約をほぼ原案通りに可決した。&lt;br /&gt;
:◎第二文学部学生大会では、各クラスの決議でそれぞれが独自にスト態勢に入ることを確認した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【1･23 一文学生大会スローガン】&lt;br /&gt;
:☆革マルによる川口君虐殺糾弾！&lt;br /&gt;
:革マルの「二重自治会策動」粉砕！「常任委」僭称粉砕！&lt;br /&gt;
:革マル別動隊＝「11月会」を解体せよ！&lt;br /&gt;
:文学部キャンパス・文連（学館）解放！&lt;br /&gt;
:☆早稲田管理支配体制粉砕！早大解放！&lt;br /&gt;
:一文自治会を即時無条件に承認せよ!&lt;br /&gt;
:自治会室奪還！&lt;br /&gt;
:自治会費凍結即時解除！&lt;br /&gt;
:ギマン的三役処分白紙撤回！一切の学生処分を許すな！&lt;br /&gt;
:10.27、11.17 告示白紙撤回！&lt;br /&gt;
:第一、第二学館、各号館（ラウンジ、地下サークル部室）管理・運営権 奪還！&lt;br /&gt;
:試験強行による斗争収集策動を許すな！&lt;br /&gt;
:☆自立した自治会運動を創出せよ! &lt;br /&gt;
:☆クラス.サークルから自立した運動創出を！&lt;br /&gt;
:自治会建設勝利!&lt;br /&gt;
:自治会規約制定を克ち取れ!&lt;br /&gt;
:クラス行動隊を創出せよ！&lt;br /&gt;
:セクトによる自治会私物化を許すな！&lt;br /&gt;
:☆政経と連帯して一週間ストを闘うぞ！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【1･23 学生大会議案書】&lt;br /&gt;
:学生大会には12ページにおよぶ議案書が準備され、議事はこの議案書に沿って進行した。「1．早大解放・自治会再建の斗いの本質とは何か！」「2． 早大一文の管理支配体制をうち倒そう！」「3．臨時執行部活動報告」「4． 我々の運動総括---問題提起」「5．暫定規約細則」「6．行動方針」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【新聞報道では】&lt;br /&gt;
:「1月23日午後2時20分、学生大会成立の定足数（会員の1/5）に達し2時30分、一文学生大会が暫定規約第4条により臨執の召集で開催された。まず議長団6名が選出され、臨執の議案書と一文非暴力推進協議会（勝共連合系）の対案が提出された。そして臨執の議案書によって討論が行なわれ、一文行動委・各クラス・専修の発言ののち、質疑応答が行なわれ、臨執提起の仮規約の採決が行なわれた。投票総数907、賛成791、反対8、保留81、無効9、議場委任218により、投票総数の2/3を賛成が上まわった為、仮規約は決議された。&lt;br /&gt;
:その後臨執の行動提起（試験阻止。文学部一週間スト貫徹）についての討議が行なわれた。2F有志の一週間スト反対意見、1H、2P 等のスト支持の意見が出されたあと、採決が行われた。&lt;br /&gt;
投票総数760、原案（臨執）賛成504、修正案（2F 有志）賛成85、保留127、棄権31、無効13、議場委任729で文学部一週間ストは 採決された。&lt;br /&gt;
その後翌日のピケストに関する行動方針が確認され散会した。」（早稲田キャンパス第173号）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「混乱がつづく早稲田大学は、23日午後2時すぎから第一文学部で臨時執行部主催の学生大会が開かれ、同学部の学年末試験のはじまる24日から一週間のストライキにはいり、試験をボイコットすることを決めた。ストライキによる試験ボイコットは政経学部に続いて二番目で、一文のストライキ入りにより、二文の試験実施もむずかしくなりそうだ。これに対し学部当局は試験実施の態度を変えていないので、再び機動隊導入による混乱が避けられないとみられている。&lt;br /&gt;
:一文の学生大会には1489人が参加し①革マル派の二重自治会策動粉砕②自治委員選挙貫徹などを目標にスト入りするという臨執提案を賛成多数で決めた。臨執では「学生によるピケで革マル派、大学当局の弾圧に対抗し、自治委員選出、自治委員総会をスト期間中に行う」といっており、学部団交も計画している」（1973年1月24日付朝日新聞）	&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【一文有志の記録から】&lt;br /&gt;
:「午前中。文学部へ数人で情宣にいくも、授業は数教室、人は全くいず閑散としている。これで人数が集まるのかと非常に心配となる。4号館を11時半頃出る。3、40人。カクマルの奴ら、笑って見ている。とても学大など開ける筈はないだろうと。1 時過ぎから人はどんどんふえて、あっという間に1000 名を突破する。1526名。圧倒的結集のもとに議案書が提出され、1 週間ストが採決される。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【24日の行動委のビラ】&lt;br /&gt;
:「（前略）我々はこの成果をもって24日早朝からストライキに突入し、部分バリケード、ピケットをもって貫徹した。試験強行をなさんとした当局は、我々の断乎とした斗いにあわてふためき、無能さをさらけだして、試験を一週間のばさざるを得ないところまで追いつめたのだ。我々は当局を追撃して、川口君虐殺、そして我々の闘いへの圧殺策動の一切を自己批判させ、我々の斗いを全面的に認めさせよう。学友諸君、我々の新執行部樹立の斗いは今一歩のところまで前進してきている。革マルの自治会僭称を完膚なきまで粉砕し、自治委員総会を克ち取り、新執行部を樹立しよう。あらゆる条件を我々は手中にしているのだ。&lt;br /&gt;
:それに恐怖する革マルはと言えば、我々の1.8、1.13、1.16そして19日の闘いとそれに続く闘いにちぢみあがり、どうにかこうにか26日に文学部キャンパスにおいてエセ『全学連』政治集会を開催することによって我々の闘いに敵対せんとし、おどろくべきことにストライキ破壊!!をなさんとしている。我々は決してこのことを許してはならない。ストライキ貫徹の斗いの中で、自治委員総会をなしとげ、革マルの醜悪な敵対を粉砕せよ。川口君を虐殺し、今また多くの学友から血を奪いさった革マルを許さず、早稲田大学全学友の手で、居直りと延命策動を粉砕せよ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【リンク】&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=1tR0-cxSzQS5VTMWR54vqn4VUlKb5WHhB 緊急アピール　全ての学友は１．２３学生大会に結集せよ　第一文学部臨時執行部]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=1AcyEhsudtx0mz1XO1XhGwtFSk28PH5_A 学生大会スローガン]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=16VdnjYu_wkTQrnzh0lomGJpUkhaXd_3Z 1.23学生大会議案書　第一文学部学生自治会臨時執行委員会]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B41%E6%9C%8823%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89%E4%B8%80%E6%96%87%E3%81%A7%E5%AD%A6%E7%94%9F%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E3%81%8C%E9%96%8B%E3%81%8B%E3%82%8C%E3%82%8B&amp;diff=844</id>
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				<updated>2021-10-04T01:44:52Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
【概要】&lt;br /&gt;
:午後2時から181教室で開かれた一文学生大会は定足数を満たし成立。 臨執の議案書に沿って討論が進められ、臨執の提起した「試験強行阻止、1週間ストライキ」が賛成多数で採決された。教育学部では自治委員総会が、二文では学生大会が、それぞれ開催された。一方、商学部と法学部では学期末試験が予定通り行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【この日のできごと】&lt;br /&gt;
:◎法・商学部は学年末試験2日目。本部、文学部で厳重な当局と機動隊とによる検問体制が敷かれる。&lt;br /&gt;
:14:00一文臨執主催の学生大会が開催され、1,489人（注．1,526 名＝有志ノート）の圧倒的結集。181教室の壇上には「団交要求、試験強行阻止」の横断幕。臨執が提案した「仮規約」の採択は投票総数907、賛成791、反対８、保留81、棄権18、無効9、議場委任218で可決。同じく「行動提起（試験強行阻止、1週間ストライキ）」に対しては投票総数760、賛成504、修正案(2F)85、保留127、棄権31、無効13、議場委任729 で可決。 期末試験ボイコット、革マルの二重自治会策動粉砕、自治委員選挙貫徹などを目標にスト入りする。&lt;br /&gt;
:◎教育学部では自治委員総会。規約をほぼ原案通りに可決した。&lt;br /&gt;
:◎第二文学部学生大会では、各クラスの決議でそれぞれが独自にスト態勢に入ることを確認した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【1･23 一文学生大会スローガン】&lt;br /&gt;
:☆革マルによる川口君虐殺糾弾！&lt;br /&gt;
:革マルの「二重自治会策動」粉砕！「常任委」僭称粉砕！&lt;br /&gt;
:革マル別動隊＝「11月会」を解体せよ！&lt;br /&gt;
:文学部キャンパス・文連（学館）解放！&lt;br /&gt;
:☆早稲田管理支配体制粉砕！早大解放！&lt;br /&gt;
:一文自治会を即時無条件に承認せよ!&lt;br /&gt;
:自治会室奪還！&lt;br /&gt;
:自治会費凍結即時解除！&lt;br /&gt;
:ギマン的三役処分白紙撤回！一切の学生処分を許すな！&lt;br /&gt;
:10.27、11.17 告示白紙撤回！&lt;br /&gt;
:第一、第二学館、各号館（ラウンジ、地下サークル部室）管理・運営権 奪還！&lt;br /&gt;
:試験強行による斗争収集策動を許すな！&lt;br /&gt;
:☆自立した自治会運動を創出せよ! &lt;br /&gt;
:☆クラス.サークルから自立した運動創出を！&lt;br /&gt;
:自治会建設勝利!&lt;br /&gt;
:自治会規約制定を克ち取れ!&lt;br /&gt;
:クラス行動隊を創出せよ！&lt;br /&gt;
:セクトによる自治会私物化を許すな！&lt;br /&gt;
:☆政経と連帯して一週間ストを闘うぞ！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【1･23 学生大会議案書】&lt;br /&gt;
:学生大会には12ページにおよぶ議案書が準備され、議事はこの議案書に沿って進行した。「1．早大解放・自治会再建の斗いの本質とは何か！」「2． 早大一文の管理支配体制をうち倒そう！」「3．臨時執行部活動報告」「4． 我々の運動総括---問題提起」「5．暫定規約細則」「6．行動方針」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【新聞報道では】&lt;br /&gt;
:「1月23日午後2時20分、学生大会成立の定足数（会員の1/5）に達し2時30分、一文学生大会が暫定規約第4条により臨執の召集で開催された。まず議長団6名が選出され、臨執の議案書と一文非暴力推進協議会（勝共連合系）の対案が提出された。そして臨執の議案書によって討論が行なわれ、一文行動委・各クラス・専修の発言ののち、質疑応答が行なわれ、臨執提起の仮規約の採決が行なわれた。投票総数907、賛成791、反対8、保留81、無効9、議場委任218により、投票総数の2/3を賛成が上まわった為、仮規約は決議された。&lt;br /&gt;
その後臨執の行動提起（試験阻止。文学部一週間スト貫徹）についての討議が行なわれた。2F有志の一週間スト反対意見、1H、2P 等のスト支持の意見が出されたあと、採決が行われた。&lt;br /&gt;
投票総数760、原案（臨執）賛成504、修正案（2F 有志）賛成85、保留127、棄権31、無効13、議場委任729で文学部一週間ストは 採決された。&lt;br /&gt;
その後翌日のピケストに関する行動方針が確認され散会した。」（早稲田キャンパス第173号）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「混乱がつづく早稲田大学は、23日午後2時すぎから第一文学部で臨時執行部主催の学生大会が開かれ、同学部の学年末試験のはじまる24日から一週間のストライキにはいり、試験をボイコットすることを決めた。ストライキによる試験ボイコットは政経学部に続いて二番目で、一文のストライキ入りにより、二文の試験実施もむずかしくなりそうだ。これに対し学部当局は試験実施の態度を変えていないので、再び機動隊導入による混乱が避けられないとみられている。&lt;br /&gt;
一文の学生大会には1489人が参加し①革マル派の二重自治会策動粉砕②自治委員選挙貫徹などを目標にスト入りするという臨執提案を賛成多数で決めた。臨執では「学生によるピケで革マル派、大学当局の弾圧に対抗し、自治委員選出、自治委員総会をスト期間中に行う」といっており、学部団交も計画している」（1973年1月24日付朝日新聞）	&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【一文有志の記録から】&lt;br /&gt;
:「午前中。文学部へ数人で情宣にいくも、授業は数教室、人は全くいず閑散としている。これで人数が集まるのかと非常に心配となる。4号館を11時半頃出る。3、40人。カクマルの奴ら、笑って見ている。とても学大など開ける筈はないだろうと。1 時過ぎから人はどんどんふえて、あっという間に1000 名を突破する。1526名。圧倒的結集のもとに議案書が提出され、1 週間ストが採決される。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【24日の行動委のビラ】&lt;br /&gt;
:「（前略）我々はこの成果をもって24日早朝からストライキに突入し、部分バリケード、ピケットをもって貫徹した。試験強行をなさんとした当局は、我々の断乎とした斗いにあわてふためき、無能さをさらけだして、試験を一週間のばさざるを得ないところまで追いつめたのだ。我々は当局を追撃して、川口君虐殺、そして我々の闘いへの圧殺策動の一切を自己批判させ、我々の斗いを全面的に認めさせよう。学友諸君、我々の新執行部樹立の斗いは今一歩のところまで前進してきている。革マルの自治会僭称を完膚なきまで粉砕し、自治委員総会を克ち取り、新執行部を樹立しよう。あらゆる条件を我々は手中にしているのだ。&lt;br /&gt;
それに恐怖する革マルはと言えば、我々の1.8、1.13、1.16そして19日の闘いとそれに続く闘いにちぢみあがり、どうにかこうにか26日に文学部キャンパスにおいてエセ『全学連』政治集会を開催することによって我々の闘いに敵対せんとし、おどろくべきことにストライキ破壊!!をなさんとしている。我々は決してこのことを許してはならない。ストライキ貫徹の斗いの中で、自治委員総会をなしとげ、革マルの醜悪な敵対を粉砕せよ。川口君を虐殺し、今また多くの学友から血を奪いさった革マルを許さず、早稲田大学全学友の手で、居直りと延命策動を粉砕せよ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【リンク】&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=1tR0-cxSzQS5VTMWR54vqn4VUlKb5WHhB 緊急アピール　全ての学友は１．２３学生大会に結集せよ　第一文学部臨時執行部]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=1AcyEhsudtx0mz1XO1XhGwtFSk28PH5_A 学生大会スローガン]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=16VdnjYu_wkTQrnzh0lomGJpUkhaXd_3Z 1.23学生大会議案書　第一文学部学生自治会臨時執行委員会]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

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		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B41%E6%9C%8823%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89%E4%B8%80%E6%96%87%E3%81%A7%E5%AD%A6%E7%94%9F%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E3%81%8C%E9%96%8B%E3%81%8B%E3%82%8C%E3%82%8B&amp;diff=843</id>
		<title>1973年1月23日（火）一文で学生大会が開かれる</title>
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				<updated>2021-10-04T01:42:57Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
【概要】&lt;br /&gt;
:午後2時から181教室で開かれた一文学生大会は定足数を満たし成立。 臨執の議案書に沿って討論が進められ、臨執の提起した「試験強行阻止、1週間ストライキ」が賛成多数で採決された。教育学部では自治委員総会が、二文では学生大会が、それぞれ開催された。一方、商学部と法学部では学期末試験が予定通り行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【この日のできごと】&lt;br /&gt;
:◎　法・商学部は学年末試験2日目。本部、文学部で厳重な当局と機動隊とによる検問体制が敷かれる。&lt;br /&gt;
:14:00一文臨執主催の学生大会が開催され、1,489人（注．1,526 名＝有志ノート）の圧倒的結集。181教室の壇上には「団交要求、試験強行阻止」の横断幕。臨執が提案した「仮規約」の採択は投票総数907、賛成791、反対８、保留81、棄権18、無効9、議場委任218で可決。同じく「行動提起（試験強行阻止、1週間ストライキ）」に対しては投票総数760、賛成504、修正案(2F)85、保留127、棄権31、無効13、議場委任729 で可決。 期末試験ボイコット、革マルの二重自治会策動粉砕、自治委員選挙貫徹などを目標にスト入りする。&lt;br /&gt;
:◎　教育学部では自治委員総会。規約をほぼ原案通りに可決した。&lt;br /&gt;
:◎　第二文学部学生大会では、各クラスの決議でそれぞれが独自にスト態勢に入ることを確認した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【1･23 一文学生大会スローガン】&lt;br /&gt;
☆革マルによる川口君虐殺糾弾！&lt;br /&gt;
革マルの「二重自治会策動」粉砕！「常任委」僭称粉砕！&lt;br /&gt;
革マル別動隊＝「11月会」を解体せよ！&lt;br /&gt;
文学部キャンパス・文連（学館）解放！&lt;br /&gt;
☆早稲田管理支配体制粉砕！早大解放！&lt;br /&gt;
一文自治会を即時無条件に承認せよ!&lt;br /&gt;
自治会室奪還！&lt;br /&gt;
自治会費凍結即時解除！&lt;br /&gt;
ギマン的三役処分白紙撤回！一切の学生処分を許すな！&lt;br /&gt;
10.27、11.17 告示白紙撤回！&lt;br /&gt;
第一、第二学館、各号館（ラウンジ、地下サークル部室）管理・運営権 奪還！&lt;br /&gt;
試験強行による斗争収集策動を許すな！&lt;br /&gt;
☆自立した自治会運動を創出せよ! &lt;br /&gt;
☆クラス.サークルから自立した運動創出を！&lt;br /&gt;
自治会建設勝利!&lt;br /&gt;
自治会規約制定を克ち取れ!&lt;br /&gt;
クラス行動隊を創出せよ！&lt;br /&gt;
セクトによる自治会私物化を許すな！&lt;br /&gt;
☆政経と連帯して一週間ストを闘うぞ！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【1･23 学生大会議案書】&lt;br /&gt;
学生大会には12ページにおよぶ議案書が準備され、議事はこの議案書に沿って進行した。「1．早大解放・自治会再建の斗いの本質とは何か！」「2． 早大一文の管理支配体制をうち倒そう！」「3．臨時執行部活動報告」「4． 我々の運動総括---問題提起」「5．暫定規約細則」「6．行動方針」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【新聞報道では】&lt;br /&gt;
「1月23日午後2時20分、学生大会成立の定足数（会員の1/5）に達し2時30分、一文学生大会が暫定規約第4条により臨執の召集で開催された。まず議長団6名が選出され、臨執の議案書と一文非暴力推進協議会（勝共連合系）の対案が提出された。そして臨執の議案書によって討論が行なわれ、一文行動委・各クラス・専修の発言ののち、質疑応答が行なわれ、臨執提起の仮規約の採決が行なわれた。投票総数907、賛成791、反対8、保留81、無効9、議場委任218により、投票総数の2/3を賛成が上まわった為、仮規約は決議された。&lt;br /&gt;
その後臨執の行動提起（試験阻止。文学部一週間スト貫徹）についての討議が行なわれた。2F有志の一週間スト反対意見、1H、2P 等のスト支持の意見が出されたあと、採決が行われた。&lt;br /&gt;
投票総数760、原案（臨執）賛成504、修正案（2F 有志）賛成85、保留127、棄権31、無効13、議場委任729で文学部一週間ストは 採決された。&lt;br /&gt;
その後翌日のピケストに関する行動方針が確認され散会した。」（早稲田キャンパス第173号）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「混乱がつづく早稲田大学は、23日午後2時すぎから第一文学部で臨時執行部主催の学生大会が開かれ、同学部の学年末試験のはじまる24日から一週間のストライキにはいり、試験をボイコットすることを決めた。ストライキによる試験ボイコットは政経学部に続いて二番目で、一文のストライキ入りにより、二文の試験実施もむずかしくなりそうだ。これに対し学部当局は試験実施の態度を変えていないので、再び機動隊導入による混乱が避けられないとみられている。&lt;br /&gt;
一文の学生大会には1489人が参加し①革マル派の二重自治会策動粉砕②自治委員選挙貫徹などを目標にスト入りするという臨執提案を賛成多数で決めた。臨執では「学生によるピケで革マル派、大学当局の弾圧に対抗し、自治委員選出、自治委員総会をスト期間中に行う」といっており、学部団交も計画している」（1973年1月24日付朝日新聞）	&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【一文有志の記録から】&lt;br /&gt;
「午前中。文学部へ数人で情宣にいくも、授業は数教室、人は全くいず閑散としている。これで人数が集まるのかと非常に心配となる。4号館を11時半頃出る。3、40人。カクマルの奴ら、笑って見ている。とても学大など開ける筈はないだろうと。1 時過ぎから人はどんどんふえて、あっという間に1000 名を突破する。1526名。圧倒的結集のもとに議案書が提出され、1 週間ストが採決される。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【24日の行動委のビラ】&lt;br /&gt;
「（前略）我々はこの成果をもって24日早朝からストライキに突入し、部分バリケード、ピケットをもって貫徹した。試験強行をなさんとした当局は、我々の断乎とした斗いにあわてふためき、無能さをさらけだして、試験を一週間のばさざるを得ないところまで追いつめたのだ。我々は当局を追撃して、川口君虐殺、そして我々の闘いへの圧殺策動の一切を自己批判させ、我々の斗いを全面的に認めさせよう。学友諸君、我々の新執行部樹立の斗いは今一歩のところまで前進してきている。革マルの自治会僭称を完膚なきまで粉砕し、自治委員総会を克ち取り、新執行部を樹立しよう。あらゆる条件を我々は手中にしているのだ。&lt;br /&gt;
それに恐怖する革マルはと言えば、我々の1.8、1.13、1.16そして19日の闘いとそれに続く闘いにちぢみあがり、どうにかこうにか26日に文学部キャンパスにおいてエセ『全学連』政治集会を開催することによって我々の闘いに敵対せんとし、おどろくべきことにストライキ破壊!!をなさんとしている。我々は決してこのことを許してはならない。ストライキ貫徹の斗いの中で、自治委員総会をなしとげ、革マルの醜悪な敵対を粉砕せよ。川口君を虐殺し、今また多くの学友から血を奪いさった革マルを許さず、早稲田大学全学友の手で、居直りと延命策動を粉砕せよ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【リンク】&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=1tR0-cxSzQS5VTMWR54vqn4VUlKb5WHhB 緊急アピール　全ての学友は１．２３学生大会に結集せよ　第一文学部臨時執行部]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=1AcyEhsudtx0mz1XO1XhGwtFSk28PH5_A 学生大会スローガン]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=16VdnjYu_wkTQrnzh0lomGJpUkhaXd_3Z 1.23学生大会議案書　第一文学部学生自治会臨時執行委員会]&lt;/div&gt;</summary>
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				<updated>2021-10-04T01:42:22Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
【概要】&lt;br /&gt;
:午後2時から181教室で開かれた一文学生大会は定足数を満たし成立。 臨執の議案書に沿って討論が進められ、臨執の提起した「試験強行阻止、1週間ストライキ」が賛成多数で採決された。教育学部では自治委員総会が、二文では学生大会が、それぞれ開催された。一方、商学部と法学部では学期末試験が予定通り行われた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【この日のできごと】&lt;br /&gt;
:◎　法・商学部は学年末試験2日目。本部、文学部で厳重な当局と機動隊とによる検問体制が敷かれる。&lt;br /&gt;
14:00一文臨執主催の学生大会が開催され、1,489人（注．1,526 名＝有志ノート）の圧倒的結集。181教室の壇上には「団交要求、試験強行阻止」の横断幕。臨執が提案した「仮規約」の採択は投票総数907、賛成791、反対８、保留81、棄権18、無効9、議場委任218で可決。同じく「行動提起（試験強行阻止、1週間ストライキ）」に対しては投票総数760、賛成504、修正案(2F)85、保留127、棄権31、無効13、議場委任729 で可決。 期末試験ボイコット、革マルの二重自治会策動粉砕、自治委員選挙貫徹などを目標にスト入りする。&lt;br /&gt;
:◎　教育学部では自治委員総会。規約をほぼ原案通りに可決した。&lt;br /&gt;
:◎　第二文学部学生大会では、各クラスの決議でそれぞれが独自にスト態勢に入ることを確認した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【1･23 一文学生大会スローガン】&lt;br /&gt;
☆革マルによる川口君虐殺糾弾！&lt;br /&gt;
革マルの「二重自治会策動」粉砕！「常任委」僭称粉砕！&lt;br /&gt;
革マル別動隊＝「11月会」を解体せよ！&lt;br /&gt;
文学部キャンパス・文連（学館）解放！&lt;br /&gt;
☆早稲田管理支配体制粉砕！早大解放！&lt;br /&gt;
一文自治会を即時無条件に承認せよ!&lt;br /&gt;
自治会室奪還！&lt;br /&gt;
自治会費凍結即時解除！&lt;br /&gt;
ギマン的三役処分白紙撤回！一切の学生処分を許すな！&lt;br /&gt;
10.27、11.17 告示白紙撤回！&lt;br /&gt;
第一、第二学館、各号館（ラウンジ、地下サークル部室）管理・運営権 奪還！&lt;br /&gt;
試験強行による斗争収集策動を許すな！&lt;br /&gt;
☆自立した自治会運動を創出せよ! &lt;br /&gt;
☆クラス.サークルから自立した運動創出を！&lt;br /&gt;
自治会建設勝利!&lt;br /&gt;
自治会規約制定を克ち取れ!&lt;br /&gt;
クラス行動隊を創出せよ！&lt;br /&gt;
セクトによる自治会私物化を許すな！&lt;br /&gt;
☆政経と連帯して一週間ストを闘うぞ！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【1･23 学生大会議案書】&lt;br /&gt;
学生大会には12ページにおよぶ議案書が準備され、議事はこの議案書に沿って進行した。「1．早大解放・自治会再建の斗いの本質とは何か！」「2． 早大一文の管理支配体制をうち倒そう！」「3．臨時執行部活動報告」「4． 我々の運動総括---問題提起」「5．暫定規約細則」「6．行動方針」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【新聞報道では】&lt;br /&gt;
「1月23日午後2時20分、学生大会成立の定足数（会員の1/5）に達し2時30分、一文学生大会が暫定規約第4条により臨執の召集で開催された。まず議長団6名が選出され、臨執の議案書と一文非暴力推進協議会（勝共連合系）の対案が提出された。そして臨執の議案書によって討論が行なわれ、一文行動委・各クラス・専修の発言ののち、質疑応答が行なわれ、臨執提起の仮規約の採決が行なわれた。投票総数907、賛成791、反対8、保留81、無効9、議場委任218により、投票総数の2/3を賛成が上まわった為、仮規約は決議された。&lt;br /&gt;
その後臨執の行動提起（試験阻止。文学部一週間スト貫徹）についての討議が行なわれた。2F有志の一週間スト反対意見、1H、2P 等のスト支持の意見が出されたあと、採決が行われた。&lt;br /&gt;
投票総数760、原案（臨執）賛成504、修正案（2F 有志）賛成85、保留127、棄権31、無効13、議場委任729で文学部一週間ストは 採決された。&lt;br /&gt;
その後翌日のピケストに関する行動方針が確認され散会した。」（早稲田キャンパス第173号）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「混乱がつづく早稲田大学は、23日午後2時すぎから第一文学部で臨時執行部主催の学生大会が開かれ、同学部の学年末試験のはじまる24日から一週間のストライキにはいり、試験をボイコットすることを決めた。ストライキによる試験ボイコットは政経学部に続いて二番目で、一文のストライキ入りにより、二文の試験実施もむずかしくなりそうだ。これに対し学部当局は試験実施の態度を変えていないので、再び機動隊導入による混乱が避けられないとみられている。&lt;br /&gt;
一文の学生大会には1489人が参加し①革マル派の二重自治会策動粉砕②自治委員選挙貫徹などを目標にスト入りするという臨執提案を賛成多数で決めた。臨執では「学生によるピケで革マル派、大学当局の弾圧に対抗し、自治委員選出、自治委員総会をスト期間中に行う」といっており、学部団交も計画している」（1973年1月24日付朝日新聞）	&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【一文有志の記録から】&lt;br /&gt;
「午前中。文学部へ数人で情宣にいくも、授業は数教室、人は全くいず閑散としている。これで人数が集まるのかと非常に心配となる。4号館を11時半頃出る。3、40人。カクマルの奴ら、笑って見ている。とても学大など開ける筈はないだろうと。1 時過ぎから人はどんどんふえて、あっという間に1000 名を突破する。1526名。圧倒的結集のもとに議案書が提出され、1 週間ストが採決される。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【24日の行動委のビラ】&lt;br /&gt;
「（前略）我々はこの成果をもって24日早朝からストライキに突入し、部分バリケード、ピケットをもって貫徹した。試験強行をなさんとした当局は、我々の断乎とした斗いにあわてふためき、無能さをさらけだして、試験を一週間のばさざるを得ないところまで追いつめたのだ。我々は当局を追撃して、川口君虐殺、そして我々の闘いへの圧殺策動の一切を自己批判させ、我々の斗いを全面的に認めさせよう。学友諸君、我々の新執行部樹立の斗いは今一歩のところまで前進してきている。革マルの自治会僭称を完膚なきまで粉砕し、自治委員総会を克ち取り、新執行部を樹立しよう。あらゆる条件を我々は手中にしているのだ。&lt;br /&gt;
それに恐怖する革マルはと言えば、我々の1.8、1.13、1.16そして19日の闘いとそれに続く闘いにちぢみあがり、どうにかこうにか26日に文学部キャンパスにおいてエセ『全学連』政治集会を開催することによって我々の闘いに敵対せんとし、おどろくべきことにストライキ破壊!!をなさんとしている。我々は決してこのことを許してはならない。ストライキ貫徹の斗いの中で、自治委員総会をなしとげ、革マルの醜悪な敵対を粉砕せよ。川口君を虐殺し、今また多くの学友から血を奪いさった革マルを許さず、早稲田大学全学友の手で、居直りと延命策動を粉砕せよ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
【リンク】&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=1tR0-cxSzQS5VTMWR54vqn4VUlKb5WHhB 緊急アピール　全ての学友は１．２３学生大会に結集せよ　第一文学部臨時執行部]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=1AcyEhsudtx0mz1XO1XhGwtFSk28PH5_A 学生大会スローガン]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=16VdnjYu_wkTQrnzh0lomGJpUkhaXd_3Z 1.23学生大会議案書　第一文学部学生自治会臨時執行委員会]&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>1973年1月22日（月）政経執行部が3号館を封鎖。機動隊出動で逮捕者15人</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:当局は検問体制で試験を強行。正門前には機動隊も待機した。政経学部執行部の50人が3号館に入り内側からバリケードで封鎖。当局は機動隊を導入し封鎖を解除。機動隊による暴行への抗議に対して学部事務局は「試験場確保のため」と強硬な態度。その後、総長室のある1号館に学生が入った時点でふたたび機動隊が出動。15人が逮捕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::◎機動隊監視体制のもとで、法学部と商学部の期末試験が実施される。&lt;br /&gt;
::■試験会場の見回りをした大学職員が3号館と11号館から革マルのものとみられる鉄パイプ200本とカシ棒100本を発見した。&lt;br /&gt;
::8:20	政経学部自治会執行部50名が固まって登校し、3号館入口にバリケードを築いたため当局は機動隊に出動を要請。100人の機動隊員が学生を追出し封鎖を解除した。抗議する学生は図書館前で集会、2000人規模に。1号館になだれ込み、一部の学生は4階総長室まで駆け上がり、職員と小競合いとなる。その直後に二度目の機動隊導入（事前警告なし）。機動隊200名は建造物侵入、暴力行為で学生15名を逮捕した。&lt;br /&gt;
::15:00	昼前姿を見せなかった革マルは他大学生数十人が旗竿を持って検問を突破、11号館地下に。その後100人が武装して大隈像前で集会。機動隊は学生を追い散らすだけで革マルはその脇でゆうゆうとデモを繰返し、夜に入ってその数は400名に膨れあがった。&lt;br /&gt;
::◎二文、自治委員選挙をクラス単位の防衛体制で貫徹、革マルの妨害をはねのけた。&lt;br /&gt;
::◎教育、クラス委員総会を開催。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【2回目の機動隊出動】'''&lt;br /&gt;
:「午前中の機動隊導入に怒った政経学部自治会執行委員の学生らは、午後になっても図書館前で糾弾集会を続け、参加学生は2000人にふくれ上がった。学生たちは政経学部3号館前にいた教授二十数人を次々に集会の演壇にあげ『導入をどう思うか』と迫った。&lt;br /&gt;
:教授らは『機動隊は学部、教授会の頭越しに導入されたもので、くわしいことは聞いていない』と答えた。このため学生は渡辺真一学生部長の出席を求めて追及したが、同学生部長も『試験を受けたい学生がいたため』を繰返しノラリクラリの態度を続けた。&lt;br /&gt;
:学生たちは同学部長を演壇から降ろし、デモの隊列に入れて本部一号館まで連れ出し『村井、保田は出て来い』とシュプレヒコールを繰返し、一部の学生は4階総長室までかけ上がり、職員と小ぜり合いした。&lt;br /&gt;
:午後4時過ぎ、同学生部長のつるし上げに見切りをつけ、約100人が『機動隊導入を許さない』『村井総長は団交に応じろ』と叫びながら、本部一号館になだれ込んだ。そこへ大学側の要請で機動隊約200人が突入、学生15人を暴力行為、建造物侵入などの現行犯で逮捕した。&lt;br /&gt;
:再度の機動隊突入で、3000人以上の学生が1号館と3号館の間の通路に座り込んだり、機動隊へ投石が続けられ、機動隊は同4時50分、学外へ退去した。&lt;br /&gt;
:騒然とした空気のなかで法、商学部の試験は予定どおり行なわれたが、政経学部は22、23日の試験を中止と決定、24日以降は再協議することになった。」（1973年1月23日付毎日新聞）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日革マルは…】'''&lt;br /&gt;
:「一方、革マル派は昼前はほとんど姿を見せなかった。午後3時ごろになって都内の他大学の同派学生数十人が竹ざおを持って検問を突破、11号館（商学部）地下に入った。居合わせた学生たちは検問に立っている教職員に『なぜ入れた』と激しく抗議する一幕もあった。その後革マルは早大の同派学生と合流。約100人がヘルメットをかぶり、旗ざおを持って武装、 大隈銅像前で集会を開いた。しかし、機動隊は1号館にいた反革マルの学生を追い散らすだけで、革マル派はその脇でゆうゆうとデモを繰返した。 同派は夜にはいって他大学からの応援部隊を加え約400人にふくれ上がった。」（1973年1月23日付朝日新聞）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【『一文有志の記録』から】'''&lt;br /&gt;
:「政経一週間スト初日。昼ごろ本部に来ると、朝9時にマルキが3号館に入ったとのこと。パクられたのは居なかったが、メチャクチャなことをやる。教授は誰も知らなかったなどという。16号館でクラス討論。夕方3時20分頃再度マルキが1号館に入る。（15名逮捕−−後できく。不法侵入、暴力行為--こんな不当なことがあるか。）政経の諸君はM君（注：原文は本名）を先頭に坐り込んで抗議する。Zは大隈像のまわりを完全武装してただグルグルと回るだけ。突っ込むかと思うと、やらず、さっとひく。真に権力と斗っているのは誰かということがはっきりとわかる。カクマルの権力との緊張関係なるものがいかにデタラメかということがわかる。4時頃マルキはひいていく。正門と東門から入る。政経の抗議、糾弾のデモ隊、全学を埋め尽くす。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【週刊新潮1973年2月8日号の見出しには…】'''&lt;br /&gt;
:渡辺真一学生部長を先頭にしたデモの様子は、毎日新聞、産経新聞等に写真付きで掲載された。後日、1973年2月8日号の「週刊新潮」は「この学生たちに一生ついてまわる『早大学生部長吊し上げ』の新聞記事」という見出しで特集を組んだ。覆面などで顔を隠さなかった学生たちの心情と怒りを理解できない記事のスタンスはその前文からも伺える。&lt;br /&gt;
:「デモに引きずり込まれまいとしてガンバる学生部長を、寄ってたかって引き回す学生たち。その学生たちの平然たる顔、顔、顔。−−去る1月23日の各紙朝刊は、紛争中の早稲田大学について、きわめて衝撃的な写真を一斉に掲げた。殺人やリンチが横行する“都の西北”では、師弟関係の喪失、不信、断絶を物語る場面など、もう珍しくないのかもしれない。が、この異常事態を異常とも感じていないがごとき学生たち。その表情がかくも鮮明にとらえられたのも、学園の“荒廃”が、それだけ日常化した からであろう。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B411%E6%9C%8822%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%A8%EF%BC%89_%E6%A9%9F%E5%8B%95%E9%9A%8A%E8%AD%A6%E6%88%92%E3%81%AE%E3%82%82%E3%81%A8%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E7%A5%AD%E9%96%8B%E5%82%AC%E3%80%82%E6%95%A3%E7%99%BA%E7%9A%84%E3%81%AB%E5%8F%8D%E5%AF%BE%E8%A1%8C%E5%8B%95%E7%99%BA%E7%94%9F&amp;diff=820</id>
		<title>1973年11月22日（木） 機動隊警戒のもと早稲田祭開催。散発的に反対行動発生</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B411%E6%9C%8822%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%A8%EF%BC%89_%E6%A9%9F%E5%8B%95%E9%9A%8A%E8%AD%A6%E6%88%92%E3%81%AE%E3%82%82%E3%81%A8%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E7%A5%AD%E9%96%8B%E5%82%AC%E3%80%82%E6%95%A3%E7%99%BA%E7%9A%84%E3%81%AB%E5%8F%8D%E5%AF%BE%E8%A1%8C%E5%8B%95%E7%99%BA%E7%94%9F&amp;diff=820"/>
				<updated>2021-09-04T01:53:57Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:第20回早稲田祭「現代―この腐朽せるものに変革の斧を！」308サークルが参加（主催者発表）。訪れる学生はまばら。実行委側の準備も遅れ、雰囲気はいま一つ盛り上がらない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【22～26日、早稲田祭開催される】'''&lt;br /&gt;
:「恒例の早稲田祭が、11月22日から26日まで5日間の期間で開催された。この間、若干の波乱が見られたが、早稲田祭は技術的運営上、一応成功裡に終わったと言ってもよかろう。」（早稲田キャンパス185号）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●1973年11月22日付朝日新聞夕刊&lt;br /&gt;
:「厳戒の中、早稲田祭始まる―学生の姿まばら　機動隊300人」「主催者の早稲田祭実行委員会の発表では、今回参加したサークルは308団体。しかし『実行委が革マル派に支配されている』とする反革マル派は『革マル祭は許せず、参加も約200団体にすぎない』として粉砕を叫んでいた。こうした背景を検討した結果、大学当局は10月12日の理事会で『大学祭終了後、収支決算を全学生に公表する』など5項目の条件付きで実行委の開催を認めた。22日朝、本部キャンパスには各サークルの看板や出店などが並び、音楽も流れたが、訪れる学生はまばら。20日午後、反革マル派が図書館前広場で看板に火をつける騒ぎもあって実行委側の準備も遅れ、ふん囲気はいま一つ盛り上がらなかった。正午ごろ、本部正門前に法学部自治会学生ら約100人が集まり、『川口君虐殺事件を思い出そう』と演説をはじめた。実行委側がこれを止めようとしてはげしい口論になり、一瞬緊張した。学生らは『オリの（編注：革マル監視下の）早稲田祭はボイコットする』と気勢をあげ、実行委側とにらみあいを続けた。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●1973年11月22日付毎日新聞夕刊&lt;br /&gt;
:「厳戒の中“早稲田祭”開く」「開催をめぐって学生の対立が続いていた『早稲田祭』が22日から東京・新宿の同大学で始まった。ことしで20回目を迎える『早稲田祭』は、主催者の実行委員会が革マル系のため『リンチ・セクトの祭典を許すな』という反革マル派学生の反対が強く、一時は開催が危ぶまれていた。例年より３週間遅れて開催が決まったあとも学内では反対派のデモや集会が続き、警視庁はこの日、機動隊員ら300人で警戒に当たった。午前中は学生の姿もまばらだった。」&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
:●1973年11月24日付毎日新聞&lt;br /&gt;
:「“早稲田祭”の中、乱暴」「23日午後2時10分ごろ、東京新宿区戸塚町の早大正門から鉄パイプを持った学生約50人が乱入、前日から開かれている“早稲田祭”の立看板2枚を壊したあと、キャンパスを走り抜け、正門と反対側の西門近くでプログラムを売っていた学生3人を鉄パイプで殴って、1週間から10日のケガをさせて逃げた。そのうち3人は間もなく警戒中の戸塚署員らに暴力行為などの現行犯で逮捕されたが、“早稲田祭”に来ていた約4500人の見学者は騒ぎをア然と見守っていた。戸塚署では、革マル派の実行委員会に対する反革マル派の妨害とみている。また同2時半ごろ、同大近くの早稲田通りで煙が出ているボストンバッグが見つかり、同署は爆発物の恐れもあるとして警視庁爆発物処理班に連絡、現場近くの交通を約30分しゃ断して撤収した。24日、中身を検査する。」&lt;br /&gt;
:これについては11月27日付朝日新聞に次のような後追い記事が出た。&lt;br /&gt;
:「早大内ゲバで捜査」「早稲田祭をめぐる内ゲバ事件を捜査している警視庁公安部は27日朝、反帝学評の事務所の東京都渋谷区道玄坂2丁目、阿部ビル内『教育学園ジャーナル社』、同『現代社』の2カ所を凶器準備集合、建造物不法侵入、暴力行為の疑いで捜査、鉄パイプなど39点を押収した。容疑は、23日午後2時すぎ『早稲田祭粉砕』をねらう反帝学評系の活動家約50人が鉄パイプで武装、新宿区戸塚町の早大本部構内に突入して、革マル系の早稲田祭実行委員数人に暴行を加えた疑い。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●1973年11月24日付朝日新聞&lt;br /&gt;
:「火炎ビン11本　大学祭の早大で見つかる」「24日午前7時ごろ、東京都新宿区戸塚町、早稲田大学本部3号館4階読書室の入り口付近で、ビニール製黒ボストンバッグと紙袋の中に火炎ビン11本が入れてあるのを大学職員がみつけ、戸塚署に届けた。早大では22日から早稲田祭が始まっている。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●1973年11月26日付朝日新聞&lt;br /&gt;
:「大隈講堂でボヤ　早稲田祭に反革マル派いやがらせ」「25日午後3時10分ごろ、東京都新宿区戸塚町、早稲田大学大隈講堂で、早稲田祭の行事としてニューオルリンズ・ジャズクラブが演奏をしていたところ、演壇に向かって後ろから2、3列目の座席付近に置いてあった段ボール箱が突然、燃え始めた。約200人の聴衆がすぐ気付いたので、イス5、6個をこがしただけで消しとめた。段ボールは縦29センチ、横22センチ、奥行き9センチ。中にガソリンか灯油をしみこませたボロ布が入れられ、ハトロン紙の導火線がつけられて包装されていた。講堂左側の後部座席付近にも同じ箱が2個置いてあり、戸塚署は早稲田祭を『革マル祭』と批判する反革マル学生のいやがらせとみている。この騒ぎで演奏会は中止された。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B411%E6%9C%8819%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%89%E3%80%8C%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E7%A5%AD%E4%B8%AD%E6%AD%A2%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%8C%E5%85%A8%E5%AD%A6%E7%B7%8F%E9%95%B7%E5%9B%A3%E4%BA%A4%E3%81%AE%E5%86%8D%E9%96%8B%E3%80%8D%E3%82%92%E5%91%BC%E3%81%B3%E3%81%8B%E3%81%91%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8%E5%8D%A0%E6%8B%A0%E3%80%8214%E4%BA%BA%E9%80%AE%E6%8D%95&amp;diff=819</id>
		<title>1973年11月19日（月）「早稲田祭中止」と「全学総長団交の再開」を呼びかけ図書館占拠。14人逮捕</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B411%E6%9C%8819%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%89%E3%80%8C%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E7%A5%AD%E4%B8%AD%E6%AD%A2%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%8C%E5%85%A8%E5%AD%A6%E7%B7%8F%E9%95%B7%E5%9B%A3%E4%BA%A4%E3%81%AE%E5%86%8D%E9%96%8B%E3%80%8D%E3%82%92%E5%91%BC%E3%81%B3%E3%81%8B%E3%81%91%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8%E5%8D%A0%E6%8B%A0%E3%80%8214%E4%BA%BA%E9%80%AE%E6%8D%95&amp;diff=819"/>
				<updated>2021-09-04T01:48:44Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:午後８時過ぎ、トラックで乗り付けた14人が図書館に入り中から封鎖、「早稲田祭中止」と「総長団交実施」を求めて抗議活動を展開した。しかし、大学当局は機動隊を要請。午後11時過ぎ、14人は不退去罪で逮捕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【11月19日午後8時】'''&lt;br /&gt;
:早稲田キャンパス新聞185号は次のように報じた。&lt;br /&gt;
:「11月19日夜8時頃、行動委系学生14名が、本部構内の図書館に突入、占拠した。図書館の内側から鍵をかけ閉じ込もってアジテーションをしたり、蔵書を投げるなどして抗議した。図書館占拠という手段に訴えた要求項目は、『虐殺者の祭典・早稲田祭を即時中止せよ！』『早大当局者・村井総長は、5.17団交からの逃亡を自己批判しただちに全学団交に出席せよ！』である。大学当局は、同夜11時頃一部学生が図書館を不法占拠したとの理由により、機動隊の出動を要請、結局、図書館を占拠した学生は、14名全員、『不退去罪』で逮捕された。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:読売新聞は翌11月20日の朝刊に、「早大で図書館ジャック『祭』中止など要求し攻防４時間、本投げ抵抗14人逮捕」の見出し付きで写真入り6段抜きで報じた。&lt;br /&gt;
:「19日午後８時ごろ、東京・新宿の早大（村井資長学長）で、黒ヘルメットの学生14、５人が正門から構内に侵入した。学生らは正門わきの図書館（一部７階建）にたてこもり、屋上からマイクで、大学に対し、早稲田祭の中止と総長団交を要求、これに対し大学側は『学外に出なさい』と再三にわたり警告、警視庁機動隊と戸塚署員約100人も学内外に待機した。だが、学生らは、屋上から図書館の本を投げたりして抵抗、このため同9時すぎ、大学の了解を得て機動隊員が図書館に入り、20日午前零時ごろ。4階の書庫に閉じこもっていた学生ら14人を不法退去で逮捕した。（後略）」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:朝日新聞は同11月20日の朝刊に「黒ヘル14人を逮捕　早大図書館に乱入」の見出しで「19日午後7時半ごろ、東京都新宿区の早稲田大学3号館前に、黒ヘルメットの男たちがレンタカーで乗りつけ、同館内の図書館にはいり、ドアをしめて中にたてこもった。大学側は再三構外へ出るよう警告したが聞きいれられないため、機動隊約100人が出動、ドアをこじあけ中にいた14人を不退去の現行犯で逮捕した。戸塚署で調べているが、22日から始まる早稲田祭に反発する過激派が気勢を上げたらしい」とのベタ記事で、また毎日新聞も同日の朝刊に「図書館占拠し蔵書を投げる　早大で14人逮捕」と見出しを付けたベタ記事で「19日午後8時ごろ、大学祭を3日後に控えた早大で、黒ヘルメット姿の学生数人が、職員らの制止を振り切って同大本部構内の図書館にはいり、中にいた学生を追い出して内側から鍵をかけて占拠した。閉じこもった学生たちは屋上に備えつけたマイクで大学祭（22日～26日）の中止と総長団交を大学側に要求した。これに対し大学当局は同9時過ぎ学外退去を命じたが、学生たちは応ぜず、屋上から蔵書などを投げ捨て抵抗の構えを見せた。大学からの要請で同11時15分、戸塚署員と警視庁機動隊が出動し学生14人を不退去罪で逮捕」と報じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【全員に告ぐ、全員に告ぐ】'''&lt;br /&gt;
:逮捕後組織された救援会のパンフレットに、図書館占拠の際に出たビラが残されている。&lt;br /&gt;
:●全員に告ぐ、全員に告ぐ、全員に告ぐ－－我々は虐殺者の中枢を占拠した●&lt;br /&gt;
::　川口君虐殺徹底糾弾　虐殺者の杜を占拠せよ&lt;br /&gt;
::　虐殺者の祭典：早稲田祭を怒りをもって粉砕せよ&lt;br /&gt;
::　総長村井の5.17団交からの逃亡糾弾！　全学総長団交へ出てこい&lt;br /&gt;
::　当局-革マル-民青（民青・日共教職組）の三位一体となった早大管理支配体制解体&lt;br /&gt;
:「一年たった今、激烈をきわめた我々の闘いは終息したかにみえる。だが何も変わらなかったのか。〈早大管理支配体制〉は不抜のまま強力に転生したのか。その如何を知らねばならぬ今こそ、表面的な平穏さの裏に進行する支配と反抗のせめぎあいの実相に眼を開けて迫れ。そこに虐殺者たちの薄氷を踏むような窮状と、早大学生大衆の叛乱の確かな手応えを感じうるだろう。&lt;br /&gt;
:……すべての友よ！絶望はまだあまりにも早すぎる。我々はまだうちのめされていないし、敵は弱っている。確信をもって闘いを持続せよ！冬の11月を熱の叛乱の中に焼き尽くすべく、敵のド肝をぬく闘いを準備せよ！闘いに着手し、叛乱を拡大せよ！&lt;br /&gt;
:……最後に我々は、我々のこの闘いが広汎な学友の共感と共にあることを確信し、それ故に、早大4万学生大衆の名をもって、以下のことを要求するものである。&lt;br /&gt;
:◇虐殺者の祭典・早稲田祭をただちに中止せよ！&lt;br /&gt;
:◇早大当局者・村井総長は5.17団交からの逃亡を自己批判し、ただちに全学団交に出席せよ！&lt;br /&gt;
:そして全学友に呼びかける。希望をもって闘いを持続せよ！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●虐殺者への抵抗戦を希望を持って持続せよ！●&lt;br /&gt;
:「困難な抵抗戦を強いられている早大4万の友よ、だが希望と確信をもってこの闘いを持続せよ。行為の確かさが結びつけた我々の共同性を闘いの具体性の中に爆発させよ。もはや言葉をもてあそぶことはいらない。ふてぶてしく、したたかに、ただ黙々と実践せよ。実践の共有、行為の共同性としてのみ我々の闘いは可視化され、更に広大な叛乱へ注ぎ込まれるのだ。&lt;br /&gt;
:……鉄パイプをくぐりぬけ、背後から回り込む敵をけちらし、時の風化作用を拒否し、怒りすら凍てつくような極寒を耐えぬいている友よ、更に更に確信を深め抵抗戦に着手せよ！我々は虐殺の日常へは二度と戻らない。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●川口はもう帰らない。こんな早稲田ならつぶれてしまえ。●&lt;br /&gt;
:「権力・革マルの邪悪な爪に追われた窮鳥たちが今日、あらんかぎりの力をもって敵の心臓部に喰らいついた。窮鳥たちに向けて不当な攻撃がしかけられるとき、彼らはさらに力をふりしぼって敵の心臓を確実に喰い破るであろう。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●行動は開始された。われらが怒りよ、早稲田を焼き尽くせ。●&lt;br /&gt;
:「きょうの我々の行動はやむにやまれぬ思いからであり、早大4万学生大衆が心中密かに望んでいた直接行動であったと確信している。我々は、いっさいの政治党派の介入を拒否しつつ、川口君虐殺を真に糾弾するひとりの無党派学生大衆としてこの突出した行動に着手した。学生大衆自身の自衛武装の第一歩がここに印されたのだ。このビラを手にした君も立ちあがってほしい！学友たちが慣れない武器を手にして、身体生命の危機を犯して行動を開始していることを真摯に思ってほしい！そして今、できることから、できることだけは、行動をもって始めてほしい。機動隊・革マルの武装制圧の中で、キャンパスで安全な空間といえば、大学の死活のかかった『財産』の内部と早大4万学生大衆の海の中にしかない。我々の行動について、革マルの縄張りや、大学の『財産』を奪い取ろうとしているなどという馬鹿げた妄想は決してしないでほしい。我々は、総長団交の即時開催と『革マル祭』の即時中止を要求する。もし大学当局が川口君虐殺と革マルのテロ・リンチの責任を回避し、機動隊を導入するならば、我々の身体生命の危機を含めて大学にとって最悪の事態が起きることを警告し、4万学生大衆の行動が一刻も早くくることを信じている。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●“信じてくれ、僕は逆さに吊るされ殺された”（ハンガリアの笑い）●&lt;br /&gt;
::　ワセダの擬制「戦闘的」「民主的」両派粉砕！&lt;br /&gt;
::　底辺からの自立した抵抗戦をもって「ワセダの日常」を寸断せよ！&lt;br /&gt;
::　ワセダ祭阻止！総長団交勝利！早大管理支配体制粉砕！&lt;br /&gt;
:「まさしく『宗教』は阿片である。倒錯したクロカン哲学の観念的疎外物である宗派の自己運動。その荒廃した党派闘争至上主義の教条が、数百を超える革マルの下部活動家をかくまで長きにわたって、いかなる疑念をも押さえつけて酔わせ盲従させてきたのだから。……この1年間の革マルの主張が、デマと嘘と恫喝に過ぎなかったことが、一文SとTの2名の自己批判書であまりにも見事に明らかになったではないか。だが、彼らも気づくのがあまりにも遅すぎた信仰の犠牲者だったのだ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:これらのビラは早大11.19図書館占拠闘争救援会による「獄中同志奪還のためのカンパ要請趣意書」に詳しい。また救援会による「パンフ作成にあたって」では、この占拠闘争の概略にふれ次のように述べている。&lt;br /&gt;
:「図書館を自らの存在の一切を賭けて占拠し、革マル祭の中止と、5.17全学団交からの逃亡糾弾＝再度の全学総長団交を要求した闘いは11月19日決行された。早稲田の血に汚れた杜が解放されて我々のものになるのか、虐殺者達の擬制の抑圧の杜として再び回帰していくのか、11.19闘争の戦士たちはするどく全ての早大生に問うている。突出した抵抗戦に対して早大当局は、この戦いが根源的であるが故に、自らの存在根拠としてある〈管理〉牙をむき出し、国家権力＝機動隊を導入し、14名の戦士たちを不当にも権力に売り渡し、闘いを闇から闇に葬り去らんとしたのだった。我々はこの図書館占拠闘争が、昨秋11.8以降の早大闘争のさまざまな過程の中で獲得した、自立せる内発性と戦闘性を評価し、不当にも獄中につながれ、獄中においても闘いを貫徹している14名の戦士たちを救援すべく救援会を組織した。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【図書館占拠に至るまで】'''&lt;br /&gt;
:図書館占拠では、P A C（政経学部行動委）とサ連で活動した早大二次闘争の経験者がまとめ役であり、リーダー的存在であった。当時を語った談話で図書館占拠に至るまでの経緯を次のように語っている。項目別に整理抜粋した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●大学当局への思い&lt;br /&gt;
:川口君は結局、ロックアウトの状況下で殺されているわけですよね。大学当局がロックアウトをやっているなかで、革マルが学内にいてリンチをやっているのだから、大学の責任は重いと思う。革マルがやってきたことを許した責任というのは、全部大学側にあるのです。川口君が死に至った理由というのはそれ以外にない。革マルは悪い。だけど、大学はもっと悪いと思っています。村井総長はたしかにお飾りなのかもしれないけれど、大学のトップとしては、少なくとも学生に対して何らかの謝罪を公の場でなすべきだった。だから、あるべき大学の秩序を奪った大学当局に対して僕らは団交を求めていったわけです。単に謝れということではなくて、それを生み出してきた日常性みたいなものに対して抗議するという意味で団交を求めたと思っています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●5.8団交&lt;br /&gt;
:はじめは理工にルートがあるから「やりましょうか」「いいね」みたいな話から始まった。本当は1週間前にやる予定だったのが、人数が集まらなくてやめました。前日は東大の三鷹寮に泊まり込んで部隊編成というか、役割分担をした。僕は車で理工に行って総長を建物の前で受け取って、それ以降の責任を持つことになっていた。総長を乗せた車と部隊が並走して本部まで来て、部隊がバリケードをどかして北門からそのまま構内に突っ込んだ。総長を8号館に連れていって座らせ、僕がアジった。実際の団交の司会進行は、団交実行委員会にやってもらった。始まったら学生が集まってきた（編注：新聞では3000人位とある）。あの時、革マルは文学部に部隊をかき集めていた。こちらは学生がいっぱい来ているから襲われる心配はなかったけれど、とりあえず革マルは部隊を文学部に溜めていた。革マルもどうしたらいいかわからなかったと思う。団交の中身については、極端に言うと「やりましょうか」と言って「いいですよ」みたいな軽いノリで、あまり深く考えていなかった。団交実行委員会の方で考えていたのかどうか。総長を引っ張り出して、大衆の前でいろいろ疑問を解消して、最低でも謝ってもらいたいなというふうには思っていましたけれど。（編注：5.17団交の確約を反故にされたことを受けて）あの状態でそのまま続けた方が良かったという意見もある。だけど、まぁ、しょうがないな～という感じもある。やっぱり大学当局を信じすぎたところがあるのかな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●発想の元&lt;br /&gt;
:この話の始まりは8月の末くらい。6月のゲバルト（編注：6.4の革マルと衝突で勝利したことを指す。勝利したが、学内に拠点がないので優勢を保持できなかった。）の反省があり、何をもって闘わなくちゃならないかを考えたら、徹夜集会や1.19、総長団交みたいに軸があれば学生が集められる。革マルは人が集まる機会を閉ざしているから、人さえ集められれば、確率的にも物理的にも私たちが勝てるというふうに考えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●人集め&lt;br /&gt;
:後退局面なので個別に話した。団交なんかの時は「みんなでやりましょう」って言えば「みんなでやりましょう」なんですが、後退局面で負け続けているような状況になると、「やりませんか」と言って個々に説明しないと無理なんです。そうなるとどうしても情報が漏れる。それが党派に漏れちゃって、党派と交渉しなければならなくなった。交渉には一切関わらなかったけれど、党派との約束なんかもしなくちゃならない。そうなると期日も限られてきますよね。当日、学内で部隊を待機させていた党派があったけれど、15人だった。それぐらいの人数だったらこちらでも集めるのは難しくない。人数の話ではないんですよ、早稲田でやっていくためには。だからあまり党派とはやりたくなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●メンバーの顔ぶれ&lt;br /&gt;
:政経行動委（P A C）を中心にしたメンバー構成になりました。半分以上が政経、あとは一文、教育、社学です。人数も多くなかったから、政経とそれ以外に分けて分担してオルグしました。（編注：政経8人、一文3人、教育2人、社学1人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●実行期日&lt;br /&gt;
:やると決めた11.19は、早稲田祭を中止させるリミットに近かった。目標としてはもっと早い時間、昼間のうちにやるつもりだったけれど遅くなった。集合場所の明大の生田がロックアウトだった。青解が封鎖していたの。それで遅くなった。いろいろ調べて、図書館に入りやすい時間帯があることがわかっていて、昼を外すと少し遅くなる。期日を延ばすという選択肢はなかったから、結局ああいう結果になったんですけれど。意図としては、学生を集めてやればなんとかなるかなと、それ以上のことはあまり考えていなかった。こういう形で人を溜めてやるような形の闘争をやろうとしたものだから、外にも人を確保しておかなければならない。そうした人員もいました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【証言】'''&lt;br /&gt;
:「たぶん前日だったと思うのですが『トラメガがない』という電話を受けて、慌てて秋葉原に走りました。とにかくお金がない時期で、居合わせた3人で出し合って小型のトラメガと予備の乾電池1組しか買えませんでした。どこで誰に手渡したか覚えていません。また、立てこもり計画には参加しませんでしたが、三段式の鉄パイプを提供した当事者としては責任もあり、私たちのグループの一員を一般学生のふりをさせて図書館に潜ませておきました。『突入しました』という報告を聞いたのを覚えています。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【1976年１月26日】'''&lt;br /&gt;
:図書館占拠闘争の裁判は76年1月26日に結審した。判決は罰金刑1万円。検事の求刑は懲役1年であった。この判決について公判を支えてきた図書館占拠闘争公判対策委員会は「裁判所の『判決』は、弁護団、『被告』団の執拗な反証展開によって、早大当局の川口君虐殺事件以降の無為無策を認めつつも、『建造物侵入』なる罪名を容認する立場を一貫して堅持しているのである」とした。公判では、早稲田管理支配体制の実態を訴え続け、村井総長の喚問も実現したが、問題の核心に触れる判決は引き出せなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1UJ3LwNWDpAPD1vu__l_Mi7mqU9jOs7wP/view?usp=sharing 蝶のように舞い　蜂のように刺せ－図書館闘争11戦士　遂に公判廷に登場]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/13V4xF3nMEBOl9BY4oxQ-tjnxkYLHyHOv/view?usp=sharing 獄中同志奪還！　無名大衆の自立的抵抗運動の火柱で早大管理支配体制を解体せよ]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1QbMoqQyN-qmr0bf1iFsdtS-_E8NpWSZC/view?usp=sharing 獄中同志奪還のためのカンパ趣意書]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1W44j5Kya-jyl7KXCpYmp6C4LX7YFpQV-/view?usp=sharing 救援会通信　号外]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/13_e_v7V-JMQ129bWlI6u5AyfzE-kDOj0/view?usp=sharing 光る風　冒頭陳述集　その2]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/17Rdvxwzp_hKtD_qurU0UCr9-BpriILFe/view?usp=sharing 「光る風」改題　若きサンキュロット]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1yCAEakpFbFWAcpF7KTVm3xn6uMMRcQAh/view?usp=sharing サンキュロット　第9号]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B411%E6%9C%888%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%A8%EF%BC%89_%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%90%9B%E4%B8%80%E5%91%A8%E5%BF%8C%E3%80%82%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%AF%E5%85%A8%E5%AD%A6%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%88&amp;diff=818</id>
		<title>1973年11月8日（木） 川口君一周忌。大学当局は全学ロックアウト</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B411%E6%9C%888%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%A8%EF%BC%89_%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%90%9B%E4%B8%80%E5%91%A8%E5%BF%8C%E3%80%82%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%AF%E5%85%A8%E5%AD%A6%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%88&amp;diff=818"/>
				<updated>2021-09-01T02:41:04Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
::◎当局は全学ロックアウトを強行。&lt;br /&gt;
::◎当局の許可のもと、革マルは大隈講堂前で「川口君追悼集会」を開催。主催は全学中央自治会。&lt;br /&gt;
::◎各学部自治会執行部と行動委は追悼集会を行おうとするも機動隊と衝突。外堀公園まで数回強制連行される。&lt;br /&gt;
::◎法学部自治会他の学生たち600人が新宿区体育館で集会を開き「暴力追放」などを決議。&lt;br /&gt;
::◎早大サークル連合（原理研）主催の追悼集会が新宿区百人町の三福会館で行われ、母親サトさんが参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【一周忌の追悼集会】'''&lt;br /&gt;
:「8日、早稲田大学では午前中から各派の追悼集会が開かれた。内ゲバを恐れた大学当局はこの日全学をロックアウトしたが、集会は大隈講堂をはじめ大学周辺で開かれ、機動隊員600人が警戒した。」（1973年11月8日付夕刊毎日新聞）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:早稲田キャンパス185号には次のようにある。&lt;br /&gt;
:●革マル派が大隈講堂前で追悼集会&lt;br /&gt;
:さて11月8日は早朝からの機動隊による厳戒体制の下に始まり、8時過ぎから大隈講堂前に結集した革マル派を取り囲むようにして、また大学周辺やその交差点、また地下鉄出口などに、機動隊・装甲車が配置された。革マル派は当日大学構内で『川口君追悼』集会を行なう予定であったが、ロックアウトのため大隈講堂前での集会を申請し、当局はその申請許可を下ろしており、革マル派は約500名でそこでの集会・デモを繰り返した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●機動隊の規制で外堀公園へ&lt;br /&gt;
:一方自治会系では、当局のロックアウトに抗議し、〈川口君追悼集会〉を行なおうとする学生千余名が早大正門前通りに集まり、集会・デモが行なわれ、早大周辺から学生を排除しようと規制する機動隊と学生との間に投石・衝突があり、多くの学生が四ツ谷駅前の外堀公園まで規制・連行された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●外堀公園の集会&lt;br /&gt;
:外堀公園では集会が行なわれ、教育・政経・一文自治会等からの発言を受けたのち、『再度早稲田に進撃し、我々の手で川口君追悼集会を』との呼びかけの下にデモ隊列が組まれ、公園の出口を固める機動隊と激しく衝突した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●箱根山の集会&lt;br /&gt;
:箱根山では一文自治会（有志）の呼びかけで第四インターを含む約400名の学生が4時頃から集会を行ない、その後高田馬場駅近くの公園まで、川口君の遺影を先頭にデモが行なわれ、途中文学部正門前で献花がなされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【川口サトさんの言葉】'''&lt;br /&gt;
:川口君の母親サトさんは、新宿区新大久保の三福会館で午後3時半から開かれた早大サークル連合（早稲田精神昂揚会、早稲田学生新聞他）が主催する追悼式に出席した。&lt;br /&gt;
:席上サトさんは約500人の参加者に向かって「大学の大隈講堂で式をしたかった。きょう一日だけでもセクト間の争いがやめられたら…」と語った。さらに「母親の悲しみを繰り返したくない」という願いを込めて計画中のセミナーハウスにふれ、神奈川県藤沢市に総工費6000万円で建設を計画しており、4700万円の寄付を得ていること、また、大学からの見舞金500万円を元に早大サークル連合会と協力して作るもので、学生たちの「いこいの家」にしたいと述べた。&lt;br /&gt;
:集会後には「大三郎は早稲田を自由な学校にしようと願いながら殺されたのに、１年たったいまでも暴力が絶えない。そのうえ息子を殺した革マル派が自分の宣伝に集会を開くなど許せないことばかり。暴力はたくさんです」とコメントした。（1973年11月9日付毎日新聞、同読売新聞）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【加害者革マルによる追悼】'''&lt;br /&gt;
:この日、当局の許可を得て大隈講堂前の集会を開いた革マルは、追悼集会を開くについて次のような主張を明らかにした。（1973年11月8日付毎日新聞）&lt;br /&gt;
:「川口君の死を深く反省し、直ちに自己批判したわれわれこそ追悼の資格があり、川口君の死を利用する他セクトの追悼集会を否定するためにも開く。」（井上精人早大全中自執行委員）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【新聞による分析】'''&lt;br /&gt;
:1973年11月8日付毎日新聞は、一周忌を迎えた早稲田の状況を次のように書いた。&lt;br /&gt;
:「『革マル追放』『ものが自由にいえる新しい自治会を』－－革マルのリンチ殺人事件に怒り、キャンパスをゆるがす喚声と拍手でスタートしたこの運動は、完全に破産したようだ。大学当局の公認を得た新自治会は一つもなく、革マル系の商学部、民青系の法学部両自治会が前の形で残っているだけ。」&lt;br /&gt;
:破産の原因としては「戦術をめぐって分裂、過激派セクトとシンパは武闘に走った。革マル派はこのはみ出した部分を徹底的にたたいた」とする。この部分には革マル追及の中心人物だったA君の「革マルのテロ、リンチはノンポリにまで及び、革マル追及に少しでもかかわった者は大学に来られなくなった」というコメントが続く。&lt;br /&gt;
:「全学的には革マル派が完全に勢力を盛り返し再び地盤を築いたことを大学当局も認めている」とあることから「革マル追放」「新自治会建設」を中心にした運動の「破産」という表現が導き出されたことが推測される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【大学周辺では】'''&lt;br /&gt;
:革マルとそれに対抗する学生、そして規制する機動隊と、大学周辺は騒然とした空気に包まれた。すでに前日７日には新宿区教育委員会から「危険が予想される学校は校長の判断で授業を打ち切ってもよい」という通達がされており、戸塚第一、戸塚第二、西戸山の各小学校は午前中で授業を打ち切り、早稲田小、西戸山中でも午後の授業の一部を打ち切った。早大正門近くの鶴巻小では、学校の要請で迎えに来た親に防空頭巾をかぶせられる子供もいた。（1973年11月9日付毎日新聞）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1kPmwmNcLZRoZ4yJ5vpLay-LS_JvW5MZC/view?usp=sharing 11・8本部前集会を貫徹しよう　自治会ニュース]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1pc89x52DtKm9WboLyeHdKuGxknc4tbIN/view?usp=sharing 11.8川口君虐殺1周忌追悼集会を早大全学・全国学友の総決起でかちとろう]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B411%E6%9C%884%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%97%A5%EF%BC%89_%E5%87%BA%E8%BA%AB%E5%9C%B0%E3%81%AE%E4%BC%8A%E6%9D%B1%E5%B8%82%E3%81%A7%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%90%9B%E3%81%AE%E4%B8%80%E5%91%A8%E5%BF%8C%E6%B3%95%E8%A6%81&amp;diff=817</id>
		<title>1973年11月4日（日） 出身地の伊東市で川口君の一周忌法要</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B411%E6%9C%884%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%97%A5%EF%BC%89_%E5%87%BA%E8%BA%AB%E5%9C%B0%E3%81%AE%E4%BC%8A%E6%9D%B1%E5%B8%82%E3%81%A7%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%90%9B%E3%81%AE%E4%B8%80%E5%91%A8%E5%BF%8C%E6%B3%95%E8%A6%81&amp;diff=817"/>
				<updated>2021-09-01T02:32:04Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:実家近くの伊東市新井・宝専寺で川口君の一周忌法要が営まれた。席上母親のサトさんから、寄せられた寄附金でセミナーハウスを建設する計画が発表された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【一周忌の法要で発表された川口記念館建設】'''&lt;br /&gt;
:8日を前に、川口君の実家のある静岡県伊東市で一周忌の法要が営まれた。1973年11月5日付の毎日新聞によれば、その席で川口サトさんは「香典と同級生らが集めた寄付金が4700万円になった。学生が学生運動や学問で疲れた頭をいやし、二度と大三郎のような犠牲者を出さないためのセミナーハウス“川口記念館”を来年9月完成予定で、神奈川県内に建てる計画を進めています」と語った。さらに記事は「サトさんは昨年12月、大三郎君の所属した同大新聞（編注：早稲田学生新聞＝原理研）部員、大江益夫君（24）にセミナー建設計画を初めて打ち明けた。今年8月になって、大江君の呼びかけに賛成した同部員25人が全国の主要都市にちらばり、非暴力と川口記念館の建設を街頭でアピール、資金カンパと署名運動を続けた。この結果、全国で48万人の人たちがこの趣旨に賛成、4200万円が集まった」と続き、村井資長総長もこのセミナー建設に土地を提供することを報じるとともに次のような総長コメントを載せた。「サトさんのお気持ちをくんで、私有地を提供することにした。今後、財団法人としての組織づくりが課題だが、私がクリスチャンである以上、キリスト教精神をいかした施設にしたい。完成後は、早大だけでなく幅広い利用を呼びかける。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:村井総長が提供するとしたのは神奈川県中郡大磯町に所有する約1650平方メートルの土地。この時点では翌年1974年2月着工、9月完成予定との計画だった。しかし、紆余曲折を経て静岡県韮山町（現：伊豆の国市）竣工したのは1975年6月であった。その後も、登記に関して原理研と村井総長の間に問題が生じるなど、セミナーハウスはおよそサトさんの願いとは相反する道をたどることになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【川口君と早稲田学生新聞】'''&lt;br /&gt;
:川口君はジャーナリスト志望だった。入学式後、居並ぶサークルの新入生勧誘の声に足を止めたのは早稲田学生新聞のブースだった。この早稲田学生新聞は原理研の組織で、サークル活動に言寄せて構成員の獲得を図っていた。&lt;br /&gt;
:71年6月5日付第9号には川口大三郎と署名のある早慶戦の観戦記が掲載されているが、その後は活動していない。&lt;br /&gt;
:しかし、川口君の死後、早稲田学生新聞のメンバーは川口君の学友と名乗って母親のサトさんを訪れ、巧みに取り入ったのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B410%E6%9C%8822%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%895.17%E8%A2%AB%E5%91%8A%E5%9B%A3%E7%AC%AC3%E5%9B%9E%E5%85%AC%E5%88%A4%E3%81%A7%E8%A3%81%E5%88%A4%E9%95%B7%E3%81%8C%E6%A4%9C%E5%AF%9F%E5%81%B4%E3%81%AB%E8%B5%B7%E8%A8%B4%E7%90%86%E7%94%B1%E3%81%AE%E9%87%88%E6%98%8E%E3%82%92%E8%A6%81%E6%B1%82&amp;diff=816</id>
		<title>1973年10月22日（月）5.17被告団第3回公判で裁判長が検察側に起訴理由の釈明を要求</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B410%E6%9C%8822%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%895.17%E8%A2%AB%E5%91%8A%E5%9B%A3%E7%AC%AC3%E5%9B%9E%E5%85%AC%E5%88%A4%E3%81%A7%E8%A3%81%E5%88%A4%E9%95%B7%E3%81%8C%E6%A4%9C%E5%AF%9F%E5%81%B4%E3%81%AB%E8%B5%B7%E8%A8%B4%E7%90%86%E7%94%B1%E3%81%AE%E9%87%88%E6%98%8E%E3%82%92%E8%A6%81%E6%B1%82&amp;diff=816"/>
				<updated>2021-08-30T02:55:05Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:5.17被告団第3回公判が開かれた。裁判では、凶器準備集合罪の現行犯で逮捕したものの起訴の罪状は軽犯罪法違反であったことから、逮捕の妥当性が問われていた。前回に続いて逮捕の状況を明らかにすべく2名の証人が証言したが、明らかな食い違いが見られた。裁判長は検察側に、起訴事由を明らかにするよう釈明を求めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【検察側に異例の釈明要求…5.17被告団第3回公判】'''&lt;br /&gt;
:5.17被告団第3回公判は当初9月16日に行われる予定だったが、被告の一人が三越襲撃事件で不当逮捕され22日間勾留されたため延期された。この日は、凶器準備集合罪で逮捕時の状況をめぐって被告人二人を逮捕した金子・鈴木両証人の証言を中心に進められた。&lt;br /&gt;
:鈴木証人によると、二人を凶器準備集合罪で逮捕した理由は「鉄パイプを所持」「革マル粉砕を叫んでいた」「当日反革マル派が革マル派を攻撃するという情報があった」とした。しかしこれらは、凶器準備集合罪の条項にある「共同して第三者に危害を加える目的」に該当する具体的な事例を明らかにするものではなく、前回の萩原証人の発言と同じく曖昧な証言に終始した。また、位置的・時間的確認においては金子・鈴木両証人の証言に食い違いが見られ、逮捕の不当性がさらに浮き彫りになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:最後に、裁判官から検察側に2点についての釈明要求がなされた。&lt;br /&gt;
:1. 凶準の現行犯で逮捕しながら「正当な理由」の不充分性を認め撤回した姿勢は、消極的意味か、積極的意味か明らかにせよ。&lt;br /&gt;
:2. 軽犯罪法適用の妥当性について釈明せよ。&lt;br /&gt;
:この釈明要求は裁判としては異例ともいえるもの。この要求に対して検察官は、次回の公判までに文書で提出するとした。&lt;br /&gt;
:: （早稲田キャンパス184号）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B410%E6%9C%8811%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%A8%EF%BC%89%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%8C%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E7%A5%AD%E5%AE%9F%E8%A1%8C%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%96%93%E3%81%A75%E5%8E%9F%E5%89%87%E3%82%92%E7%A2%BA%E8%AA%8D%E3%81%97%E3%80%81%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E7%A5%AD%E3%81%AE%E9%96%8B%E5%82%AC%E3%82%92%E6%B1%BA%E5%AE%9A&amp;diff=815</id>
		<title>1973年10月11日（木）大学当局が革マルの早稲田祭実行委員会との間で5原則を確認し、早稲田祭の開催を決定</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B410%E6%9C%8811%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%A8%EF%BC%89%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%8C%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E7%A5%AD%E5%AE%9F%E8%A1%8C%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A%E3%81%A8%E3%81%AE%E9%96%93%E3%81%A75%E5%8E%9F%E5%89%87%E3%82%92%E7%A2%BA%E8%AA%8D%E3%81%97%E3%80%81%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E7%A5%AD%E3%81%AE%E9%96%8B%E5%82%AC%E3%82%92%E6%B1%BA%E5%AE%9A&amp;diff=815"/>
				<updated>2021-08-30T02:49:52Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:73年度早稲田祭を実施するにあたって教職員と学生代表（＝革マル）とで構成する早稲田祭委員会が開かれ、席上「早稲田祭実施にあたっての5原則」が確認される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【早稲田祭委員会】'''&lt;br /&gt;
:早稲田祭開催にあたっては、学生代表の団体と教職員の代表による早稲田祭委員会が結成され運営に当たることになっていた。この年73年には、第19回早稲田祭実行委員会（革マル）、法学部早稲田祭実行委員会（民青）、73年早稲田祭実行委員会（サ連、各学部新執行部）の3つが学生団体として結成されていた。&lt;br /&gt;
:しかるにこの日、当局代表は革マルの実行委と早稲田祭委員会を開き、早稲田祭実施に当たっての5原則を確認した。&lt;br /&gt;
:1．「早稲田祭」は学生の課外活動の成果を示し、学生相互の精神的交流を深めるための全学的な祭典である。&lt;br /&gt;
:2．「早稲田祭」は、教職員・学生の代表によって構成される「早稲田祭委員会」の指導のもとに、学生が自主的にこれを実施運営するものである。&lt;br /&gt;
:3．「早稲田祭」は、学生全体のために開かれ、奉仕すべきものであって、一部の学生集団の意向に従属すべきものではない。&lt;br /&gt;
:4．「早稲田祭」の実施運営にあたる「早稲田祭実行委員会」は、「早稲田祭」の趣旨を実現する責任をもち、運営の全般について公正であり、かつすべての参加団体に対して中立である。&lt;br /&gt;
:5．「早稲田祭実行委員会」は「早稲田祭」終了後に、収支決算について「早稲田祭委員会」に対して報告し、その承認を得てこれを公表するものとする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:これを受けて13日には大学当局が「早稲田祭の実施について」の告示を出した。その中で実施決定に至る経緯についてふれ「昨今の大学の内外における一部の学生集団間の対立抗争の激しい中で、本年度の『早稲田祭』を実施することについては、大学内外の注目が集まり、批判の的ともなっていることを率直に認めなければならない。また、実施によって学生集団間の対立をかえって激化させるのではないかとの危惧がもたれるのも当然かもしれない。このような状況にかんがみて、大学としては、『早稲田祭』本来の趣旨と、学内の平穏な秩序の維持という2つの観点から、事態の推移を見守り、態度を今日まで留保して来たのである」と自らの立場を説明した。さらに「その間に、慣例に従って教職員と学生の代表により構成された本年度の『早稲田祭委員会』は、協議の結果、左記の事項（前掲の5原則）について確認する旨の合意を得た。大学としてはこのような確認事項が『早稲田祭』の実際の運営にあたる『早稲田祭実行委員会』の手によって厳密に実施されることを期待し、ここにあえて中止の措置を取らないことを決定した」と述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:ここで疑問に思われるのは、3つの学生団体が結成されていたにもかかわらず、なぜ当局が革マルの第19回早稲田祭実行委員会と早稲田祭委員会（教員代表15名と学生代表15名で構成）をもちえたかということである。代表と認める基準は何だったのか。選ぶにあたってきちんとした選考は行われたのか。双方のご都合主義だったのか。当局としては、「紛争校指定」を避けるために学内正常化を図る姿勢を示す必要があったのではないかとも考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:というのも、これに先立つ６月30日に法学部学長名で、法学部自治会（民青）から出された公開質問状に次のように回答しているのである。&lt;br /&gt;
:「早稲田祭実行委員会の選出方法については成文の規定がないようなので、仮に慣習規定によって行うことが正当であるとしても、その選出方法が定期的な直接選挙あるいは間接選挙でないかぎりは、任期中の実質的な信任の状況というものが問題となってくる余地はある。従来の慣行により選出されたといわれている現在の実行委員会が、はたしておおかたの信任を受けていると判断されるのか、受けていないと判断されるのか、その判断をするのは大学当局であるとしても、信任するのかしないのかを明確にするのは学生諸君にほかならない。（中略）」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:続けて法学部自治会と実行委の関係について次のように述べている。&lt;br /&gt;
:「法学部自治会が、過去に早稲田祭に参加する意志があったにもかかわらず参加できなかった場合があるとすれば、『全学的な祭り』の趣旨からして遺憾であったと考える。（中略）早稲田祭は全学的規模のお祭りであるから、『第20回早稲田祭法学部実行委員会』が結成されても、それだけでは学部で承認するとか、しないとかの問題は起こっていないと考える。この種の各学部の実行委員会を含む、早稲田祭実行に関する新たな機構が全学的に、つまり早稲田祭委員会その他の全学的機関によって承認されてはじめて、その一環としての法学部実行委員会が公的なものになると解すべきであろう。」&lt;br /&gt;
:選挙による選出でない場合は学生による信任の如何が問題になるとの見解。公開質問状の詳細は不明だが、何を根拠に早稲田祭実行委員会（革マル）を正当な学生の代表として認めるのかを問うたのではないかと推測される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【理工学部では】'''&lt;br /&gt;
:本部と文学部キャンパスを会場とする早稲田祭に対して、西早稲田キャンパスの理工学部では理工系企画を中心にした理工展が1950年代から独自に開かれている。この年、理工学部では早稲田祭委員会に先立つ10月１日に理工展開催に向けて告示を出した。その趣旨は、前年の川口君の事件は痛恨事でありいまだ精神的には喪中であるとし、そうした時にするべきは、大学本来のあり方、大学祭のあり方を反省することであるとした。理工展の本来の姿は日常的な研究の成果を公開する場であるから、その核心を生かす場としての理工展としようという呼びかけになっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「理工学部学生諸君へ&lt;br /&gt;
:　秋も深まると共に、早稲田祭、理工展の時期が近づいてきました。例年今ごろは各学科を中心に、理工展の準備が熱心に進められている頃です。しかし、今年の事情が昨年までと全く違っていることについては多くの言葉を費す必要もないでしょう。大学の内外で流血、殺人事件が頻発していることは御承知の通りであり、とりわけ早稲田大学関係者全員にとって昨年11月8日の川口君事件は忘れようとして忘れられない痛恨事であります。いわば、われわれはみな精神的には今なお喪中にあるのだといえるでしょう。&lt;br /&gt;
:　今年の理工展について考える場合、私達はわれわれがおかれているこの現実的、精神的な状況を深く省みないわけにはゆきません。この困難で、不幸な環境の中で、われわれにできること、またなすべきことは何でしょうか。それはおそらく大学本来のあり方、従って、真の大学祭のあり方がどのようなものであるかを自ら問いつめ、そのあるべき姿に照らして理工展のあり方を真摯に反省するということでしょう。とかく、われわれの日常生活はもとより、大学における諸々の行事にしても、習慣や惰性におし流され、いままでのしきたりを踏んでゆくことが安易で安全な方法として選ばれ勝ちであります。この惰性の中で、人々は善意を抱きながらも本来の志から離れた所に流されていて、そのことにまた気づいていないこともしばしばありうることです。今、私たちはこの惰性を断ち切る機会に直面しております。川口君の死は、今年が昨年の安易な延長線上にありえないことを痛切に教えるものでありましょう。&lt;br /&gt;
:　理工展本来の姿は、その歴史に照らし、その目的に徴して、学生諸君の日常的な研究の成果を公開する場であります。したがってそれは学科展中心に構成され、教職員、交友、学生一体となって盛りあげてゆくべきもので、その他の要素は付随的、装飾的なものに過ぎないといえます。理工展の、他のもろもろの大学祭と異なる、また早稲田祭とも異なる、本質と歴史はこの点にあります。私たちは同じユニバーシティの一員として、頑なに理工展の特殊性のみを固執するものではありません。早稲田祭との協力関係も、できる限り密にしてゆくことはいうまでもありません。しかし、今、大学がおかれている困難な情勢を乗りこえるには、右顧左眄せず、その重要な核心のみを生かすべく努力しなければならない時であります。&lt;br /&gt;
:　われわれが理工展の本質を見逃さない限り、たとえ旧来の形式と異なったものであっても、その本旨を生かす形、時、場所は十分見出せる筈であります。学生諸君が理工展をめざして積み上げてきた研究や実験や調査はそれ自体貴重なものであります。そのような努力はこれからも続けていただきたいと思います。私達もそのような成果が大きくふくらんでゆく時、それを発表し、公表するチャンスは必ず見出しうるものと確信致しております。&lt;br /&gt;
::　　昭和48年10月1日　&lt;br /&gt;
::　　早稲田大学理工学部&lt;br /&gt;
::　　学生担当教務主任　河原 宏&lt;br /&gt;
::　　同　　　　副主任　平田 彰」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B410%E6%9C%886%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89%E7%89%9B%E8%BE%BC%E5%85%AC%E4%BC%9A%E5%A0%82%E3%81%A7%E3%80%8C10.6%E6%A2%81%E6%94%BF%E6%98%8E%E4%B8%89%E5%91%A8%E5%BF%8C%E8%BF%BD%E6%82%BC%E9%9B%86%E4%BC%9A%E3%80%8D%E9%96%8B%E5%82%AC&amp;diff=814</id>
		<title>1973年10月6日（土）牛込公会堂で「10.6梁政明三周忌追悼集会」開催</title>
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				<updated>2021-08-29T02:31:52Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:10.6集会実行委員会の呼びかけで「10.6梁政明反日抗議焼身自殺三周忌追悼集会」が牛込公会堂で開かれ200名が参集した。集会は二部構成で、第一部では実行委員会が基調報告を行い、第二部では特別公演があった。実行委員会は、70年10月6日の山村君の死、そして72年11月8日に再び川口君という犠牲者を生み出すことになった「早稲田の日常」を問い直し、それと対決していくことを呼びかけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【早稲田の日常を問い直す】'''&lt;br /&gt;
:早稲田キャンパス184号は、正式報道としてではなく、会員の書いた断章としてこの集会の記事を掲載している。掲載に至る経緯として事前に10.6実行委からの集会アピールの掲載を拒否した旨が併記されており、山村＝梁君の〈死〉を政治的に利用することを是としない編集部の姿勢がうかがえる。&lt;br /&gt;
	&lt;br /&gt;
:「牛込公会堂で10月６日『10.6梁政明反日抗議焼身自殺三周忌追悼集会』が『10.6集会実行委員会』主催により、早大生を中心に約200名の参加で行なわれた。（中略）山村政明＝梁政明君は70年10月6日未明、早稲田大学文学部側の穴八幡境内で、日本社会及び早大の状況を激しく糾弾する『抗議嘆願書』を残して焼身自殺をした。当時、第二文学部2年、25歳だった。」&lt;br /&gt;
:続く「抗議・嘆願書」の抜き書きの後に「私が在日朝鮮人の問題を思う時に～」に始まる記述があり、日常生活の中で実際に関わりがないとどうしても在日朝鮮人の問題を実相として把握することができず、隔絶感を感じてしまう。そして人は、その日常生活外での出来事に動かされない、と記している。さらに続けて「私達が川口君の死に衝撃を受けたのは、それがまさしく自らの日常性の中での出来事であったからだ」とある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:追悼集会に向けて16ページの基調報告が10.6集会実行委員会から、呼びかけのビラが同委員会と中国研究会から出されている。&lt;br /&gt;
:実行委による呼びかけのビラには次のようにある。&lt;br /&gt;
:「11.8一周忌を2ヶ月後に迎えるにあたって私たちは、11.8とそれが生み出された日常とは何であったのか、という問いを私たち自身に、多くの学友に、そして友人の皆さんに投げかけなければならないと思うのです。そのことを通してのみ、川口君虐殺を生み出して来た早稲田の日常～血の支配の検証が成されるのであり、川口君の死に更に次の死を重ねることを拒否する私たちの思想が創り上げられていくのではないでしょうか。私たちはこの作業の一つとして川口君の死の2年前の10月6日、早大二文当局と革マル派への抗議・嘆願書を残して抗議の焼身自殺をしていった梁＝山村＝政明君の死の意味を検証していかなければならないということを提起したいと思うのです。なぜならば、私たちの多くが川口君の死を通じてのみ初めて言葉を交わし、出逢い、結ばれて今日に至っているように、あの70年10月6日、早大管理支配体制＝早大当局と革マルによる二重の支配と抑圧、そして民族差別の只中で鮮烈な炎に身を包み孤絶の中で死んでいった梁君の、その死の代償と引き換えに立ち上がった多くの人々が、何ゆえに沈黙していったのか、ということを問わずして虐殺の日常の検証は空語に等しいと確認するからであります。言いかえるならば、梁君の死から川口君の死へと貫かれていた2年間における私たちの沈黙こそが11.8を生み出した根拠であると考えるのです。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:中国研究会のビラは、山村君の死をめぐる背景について次のように言及している。&lt;br /&gt;
:「在日朝鮮人、梁政明のその死は、革マル系と日共～民青系の相互糾弾～～革マルのデマキャンペーン〈山村は、民青が入管闘争をやらなかったので…〉と、民青のマスコミと迎合した“反暴力キャンペーン”〈抗議・嘆願書の、彼が在日朝鮮人であることに関する部分を切り棄てて利用する等〉～～という『政治的評価』がなされていった。そして何よりも彼の死に対して決起せんとした学友たちも、自らの生のなかで、その死を埋葬し得なかった。梁政明の死は風化させられていった。何よりも我々自身の手で…。（中略）我々は72．11.8、2人目の死、川口大三郎を準備していたのだ。70.10.6から73.11.8に登りつめた約2年間の、この〈早稲田なるもの〉の、その意味を問い続け、それと内的に対決することが、死を背負った我々の生の課題であろう。」&lt;br /&gt;
:10.6集会準備委員会名で出された集会に向けた匿名の在日朝鮮人の呼びかけビラには、山村君の死から川口君の死へ至るつながりが記されている。&lt;br /&gt;
:「梁政明の生と死、希求と絶望の闘いと死が、川口大三郎の死の代償を通して開始された闘いの中にこそ内在化され、継承されようとした時、風化せしめられ切り捨てられてきた『過去』を、現実の生きる者たちの胸の中に奪い返しうる。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【山村＝梁政明君の死】'''&lt;br /&gt;
:基調報告には、1970年当時の早稲田キャンパスに掲載された山村君に関する記事が引用されている。&lt;br /&gt;
:「山村君（二文）焼身自殺。6日未明、文学部側の穴八幡境内で、本学の一人の在日朝鮮人（日本籍）が、焼身自殺をとげた。山村政明（梁政明）君、第二文学部2年、25歳。在日朝鮮人としての境遇と、革マルの暴力支配、及び当局への『抗議書』を残して。（以下、抗議・嘆願書全文）」&lt;br /&gt;
:「山村君の追悼集会に800名～民青が主催。7日、山村君追悼集会が本部前において、12時と6時から、一法学友会、教育・社会自治会、二文民主化会議の主催で行なわれた。特に夕方6時からの集会には800名ほどの学生が参加し、山村君の死を悼んだ。革マルの暴力支配を許さない、早稲田の杜から革マルを追放する等確認していった。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:山村君は山口県出身。在日朝鮮人二世として生まれ９歳の時帰化。1964年高卒で就職した後、文学を志して67年早稲田大学第一文学部入学。この間生活は苦しく、学資や生活費を得るために様々な職業についた。キリスト教に近づいたのもこの頃である。68年二文に転部、自治会活動に積極的に参加するようになる。69年には二文有志連合の代表として学生大会の議長に４回選出された。当時二文では革マルが自治会を支配下に置こうとして、それに反対する学生を暴力的に排除していた。キリスト教徒として一般学生・民青と共に非暴力の立場に立った山村君も、学校内で数十回に及ぶ暴力を受けた。暴力による怪我や仲間の離反による失意、そして生活苦に追い込まれた山村君は、70年10月6日未明、在日朝鮮人に対する民族差別、そして早稲田における革マルの暴力と学校当局の無関心に抗議して焼身自殺を選んだ。抗議・嘆願書には詳細が綴られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【山村君の抗議・嘆願書から】'''&lt;br /&gt;
:山村君は「在日朝鮮人の存在そのものが歴史の非条理だ」とし、自分の意志ではなかったものの、自民族と祖国を裏切って日本籍に帰化したことは「苦悩を倍増すること以外の何ものでもない」と記す。&lt;br /&gt;
:そうした山村君が、早稲田大学に入学しそこで見聞きし体験したことは何だったのか。&lt;br /&gt;
:「私は、学問、真理の探究を志して、早大に入学した。しかし、そこで見い出したものは、反動国家権力、独占資本に迎合した非人間教育でしかなかった。私は何人かの勇気ある仲間たちと共に、学園変革の闘いに参加していった。そのため、反動教授の指弾を受け、反民主主義、反革命、暴力学生集団革マルの数度にわたるテロ、リンチ等により、いく度か傷つき、登校の自由は奪われ、生活の破算、挫折を余儀なくさせられた。&lt;br /&gt;
:私と同様に革マルの学園暴力支配により、退学に追いこまれつつある学友は少なからぬ数にのぼる。彼らの多くは、貧しい家庭環境に育ち、血のにじむ努力を積み重ねてこの学園に入学してきた。学園における目に余る不正矛盾に抗して立ち上り、闘いを敢行した故に、弾圧を受け、学生としての諸権利を抹殺されている彼らの心中は悲憤やるかたないものがある。&lt;br /&gt;
:死を目前にした私が、最も切実に望むのは、次のことである。革マルの暴力支配と、大学当局の冷淡な措置により、経済的困窮の中で留年、退学に追いこまれながら苦闘を続けている学友たちに明るい光のさすことである。彼らが、暴力支配による身体生命の危険、経済的な生活破算から免がれ、学生としての正当な権利を回復することである。&lt;br /&gt;
:二文のすべての教職員の方々、及び学生諸君、彼らの正当な闘いに理解と支援を与えて欲しい。暴力を一掃し、よりよき学園を建設していって欲しい。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:山村君が列挙した訴えは以下の通り。&lt;br /&gt;
:一、反動的文教政策糾弾！&lt;br /&gt;
:一、早大は、自民党、独占資本追従の反動的立場を脱し、建学の精神を復活せよ！&lt;br /&gt;
:一、学園から不当な暴力を一掃せよ！&lt;br /&gt;
:一、反民主主義、反革命、暴力学生集団革マルを自治会執行部からリコールせよ！&lt;br /&gt;
:一、革マルは反動勢力の手先としてのハレンチなテロ、リンチ、窃盗行為及び、民主的学生運動への分裂、破壊策動を、厳重に自己批判し、真の革命勢力の立場、人民大衆の立場に転換、依拠せよ！&lt;br /&gt;
:一、二文当局は、奨学金、カリキュラム、学生生活全般において、勤労学生の権利拡大を保障せよ。一文への腰かけとしての二文の性格を再考せよ！&lt;br /&gt;
:一、二文の全学友及び教職員に訴える。事なかれ主義を脱して、一人一人が不正、矛盾との対決に立ち上って欲しい。昨年の自治会民主化闘争の盛り上がりを想起して欲しい。学友が自覚して立ち上り、連帯して闘うことのみが、暴力の一掃、自治会民主化、&lt;br /&gt;
::   学園改革への道を開くだろう。&lt;br /&gt;
:一、日米安保条約廃棄！&lt;br /&gt;
:一、自民党腐敗政権打倒！&lt;br /&gt;
:一、米国の極東軍事支配を許すな！&lt;br /&gt;
:一、日本独占資本のアジア経済侵略を許すな！&lt;br /&gt;
:一、独占資本解体！　ブルジョア抑圧階級打倒！&lt;br /&gt;
:一、南北朝鮮の自主的平和的統一実現！&lt;br /&gt;
:一、在日朝鮮人の民主的民族権利の弾圧を許すな！&lt;br /&gt;
:一、金嬉老同胞の法廷闘争断固支持！&lt;br /&gt;
:一、日本軍国主義復活の道を断て！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1Ug6lkCQy4CB3VkZCHjyDULJy86bGKYcf/view?usp=sharing  山村政明ー呪われた歴史の残滓がこの体内に]『戦後青春への挽歌』（村上也寸志著　亜紀書房）より　&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1B8hmY_Uh9aTIlFCqBdy2J0iu6FZ2e_lx/view?usp=sharing　梁政明反日抗議自殺3周年忌追悼集会への呼びかけ]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1XmmIGTlgqkZV9yYKtvwfmJJ0BmzIFpBW/view?usp=sharing長征　梁政明反日抗議焼身自殺3周年忌追悼集会への呼びかけ　早大中国研究会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1tp-PCFJYL91ODrG5fsAcAXmt3WknCjVB/view?usp=sharing 梁政明反日抗議焼身自殺3周年忌追悼集会への呼びかけ　10・6集会実行委員会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1YDBzPWqG1SuBvARD5UH33DhQpeqS8KN3/view?usp=sharing 怒りを糧に　10・6集会実行委員会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1WdGqovvg_2FK5QnDSjCU4oLJu3wHiora/view?usp=sharing 基調報告　早大10・6集会実行委員会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1UGSeUz121IhMOSzLTzPGQhtAUVJwYUhK/view?usp=sharing　怒りを糧に　10・6集会実行委員会総括]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

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