<?xml version="1.0"?>
<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom" xml:lang="ja">
		<id>http://www.19721108.net/wiki/api.php?action=feedcontributions&amp;feedformat=atom&amp;user=Ad19721114</id>
		<title>19721108 - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
		<link rel="self" type="application/atom+xml" href="http://www.19721108.net/wiki/api.php?action=feedcontributions&amp;feedformat=atom&amp;user=Ad19721114"/>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E7%89%B9%E5%88%A5:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E8%A8%98%E9%8C%B2/Ad19721114"/>
		<updated>2026-09-22T09:30:47Z</updated>
		<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
		<generator>MediaWiki 1.26.0</generator>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B411%E6%9C%8811%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%97%A5%EF%BC%89_%E4%BE%9B%E8%BF%B0%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8A%E6%98%8E%E3%82%89%E3%81%8B%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%AE%E7%B5%8C%E7%B7%AF%E3%80%82%E7%9B%A3%E7%A6%81%E8%87%B4%E6%AD%BB%E7%BD%AA%E3%81%A7%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E6%B4%BE4%E4%BA%BA%E8%B5%B7%E8%A8%B4&amp;diff=1220</id>
		<title>1973年11月11日（日） 供述により明らかになった事件の経緯。監禁致死罪で革マル派4人起訴</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B411%E6%9C%8811%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%97%A5%EF%BC%89_%E4%BE%9B%E8%BF%B0%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8A%E6%98%8E%E3%82%89%E3%81%8B%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%AE%E7%B5%8C%E7%B7%AF%E3%80%82%E7%9B%A3%E7%A6%81%E8%87%B4%E6%AD%BB%E7%BD%AA%E3%81%A7%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E6%B4%BE4%E4%BA%BA%E8%B5%B7%E8%A8%B4&amp;diff=1220"/>
				<updated>2026-09-19T06:48:15Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:勾留中の佐竹実の供述によって川口君の死に至る経緯が明らかになり、事件に直接関わった村上文男、武原光志、佐竹実、阿波崎文雄の4人が監禁致死で起訴された。田中敏夫は、事件現場にいなかったとして処分保留になった。佐竹は自己批判書を取調官に提出し、自供に至る心境の変化を明らかにするとともに、党派間の暴力行使の中止を訴えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【1年目の自供】'''&lt;br /&gt;
:監禁致死容疑で逮捕、取り調べを受けていた元一文自治会書記長の佐竹実が川口君殺害を自供した。&lt;br /&gt;
:自供によると、革マル派は対立する中核派とのセクト争いから、昨年11月8日午後2時頃、文学部構内で友人と立話をしていた川口君を「お前は中核派のスパイだろう」と佐竹ら5人が文学部127番教室に連行、村上らの指導でイスにしばりつけたうえ鉄パイプで殴るけるのリンチを加え死亡させた。&lt;br /&gt;
:佐竹は、10月21日に逮捕されて以来完黙を続けてきたが、8日を前にした週明けに革マル派の弁護士を解任、8日の東京地裁での拘留理由開示の公判も辞退して自供を始めた。&lt;br /&gt;
:これによってすでに逮捕されている二文自治会元委員長の村上文男ら3人の起訴もほぼ確実になり、指名手配中の一文自治会前組織部長の後藤隆洋ら6人の逮捕に捜査の的が絞られることとなった。&lt;br /&gt;
:自供に至る経緯については『内ゲバ～公安記者メモから』（滝田洋・磯村淳夫著）に詳しい。&lt;br /&gt;
:「自己批判書の日付けが、死者・川口の一周忌の翌日ということは、警視庁公安部（あるいは東京地検公安部）が“一周忌”のチャンスをとらえ、加害者・佐竹に精神的攻めを加えた結果とも見られる。佐竹をはじめ川口君事件被疑者に対し警視庁公安部は、カラーの遺体写真をも眼前に突きつけ、日夜の調べ（攻め）を強行した。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【川口サトさんのコメント】'''&lt;br /&gt;
:「被告たちが遅まきながらでも、自分たちがやったことが間違っていたと自己批判したことはうれしい。これをきっかけに、ほかの活動家の人たちも、運動の中から暴力を締め出すよう努力してほしい。大三郎が死んでまる一年たった今は、被告たちに対して憎しみより、むしろ被告たちの母親に対する同情の念の方が強い。」（1973年11月12日付読売新聞）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【監禁致死罪】'''&lt;br /&gt;
:東京地検は当初殺人罪の適用を検討したが、川口君の死に慌てていたという証言があったことから、川口君を殺すつもりはなかったと判断し、監禁致死罪を適用した。また、警視庁は「逮捕監禁致死罪」で逮捕したが、東京地検は川口君を長時間におよび教室に閉じ込めたことから「監禁致死罪」に当たるとして逮捕罪を省いた。なお、逮捕罪とは、他人の両手両足を捕らえた場合など、短時間の拘束に対して適用される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【元一文自治会委員長の関与】'''&lt;br /&gt;
:当時の一文自治会委員長・田中敏夫については事件への関与が認められなかった。&lt;br /&gt;
:「東京地検は、監禁致死容疑で警視庁が逮捕した元早大一文自治会委員長・田中敏夫（24）を12日夕、処分保留のまま釈放した。田中は川口君事件の指揮、命令をした疑いがあるとされ、10月22日に逮捕されたが、事件に関与しなかったという見方が強くなったため釈放となった。田中は、別の内ゲバ事件で横浜刑務所に服役中に川口君事件で逮捕されたので、釈放と同時に身柄は再び同刑務所に移された。」（1973年11月13日毎日新聞）&lt;br /&gt;
:1973年11月12日付読売新聞によれば、田中は佐竹に先立って11月7日に自己批判書を書き、転向を表明した。&lt;br /&gt;
:「田中の自己批判書はさる7日、『川口君事件に対する私の態度と反省』と題して書いたもので『暴力の行使は人間性を腐敗させる』など、佐竹とほぼ同じ内容。田中は事件当時の早大革マル派の最高幹部だが、組織との関係について『学生運動から足を洗う』と述べているという。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マルの対応】'''&lt;br /&gt;
:こうした自己批判への革マル派の対応は、前出の『内ゲバ～』に詳しい。すなわち、党派的に対応したというのである。「公安当局の弾圧のもとで、暴力一般を否定するというブルジョア的人間観を注入されこれを粉砕しえず、そうすることによって裏切り者となった」（革マル派機関紙『共産主義者』32号）と批判した。革マルにとっては、川口君事件そのものが党派闘争の論理と倫理の破綻を意味するものだっただけに、佐竹の自己批判書に対しても組織的な危機として捉えた。同じく中核派も「佐竹・田中は留置場以外に安全なところはないと観念し警察に保護を申し出た。だがこれは転向でも何でもない。佐竹の脱落にさいしての論理は革マルの“党派闘争の論理と倫理”なるものと寸分違わない」（中核派機関紙『前進』660号）と批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:対立する両派に共通するのは、この自己批判は権力に屈した脱落であり裏切りであって、闘争そのものへ向けられた批判ではないという認識である。すべては対権力との問題であり、党派の論理そのものは間違っていないとしている。&lt;br /&gt;
:革マル派はどのような行動に出たか、佐竹への論告求刑を報じる翌1974年6月28日の読売新聞には次のような記述がある。&lt;br /&gt;
:「革マル派から見れば、佐竹は裏切り者。山形県の親元や佐竹の弁護を受け持った大山英雄弁護士のもとにはいやがらせの電話が続いた。このため、裁判所側も佐竹の安全を考え、公判期日や使用法廷は報道関係者にも“完全黙秘”という気のつかいよう。万一に備えて法廷の看守を増やし、本来なら法廷で当事者と打ち合わせて決める次回期日も『追って指定』に切り替えたほか、両親など情状証人4人の尋問も公判期日外に非公開で行った。」&lt;br /&gt;
:そうした措置にもかかわらず、初公判の時には、東京拘置所から護送車が着くと学生風の男3人がつきまとい、法廷にも十数人が現れて、被告席の佐竹をやじり倒したという。&lt;br /&gt;
:（資料：『内ゲバ～公安記者メモから』滝田洋・磯村淳夫著）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【佐竹実　自己批判書】'''&lt;br /&gt;
: 「川口君を死に追いやった本人として、そして当時一文自治会の書記長をやっていた責任ある者として、私が完黙をやめ私の社会的責任を明らかにする心境になったのは、以下の理由によるものです。&lt;br /&gt;
: それは彼の死に直接関係した私が、自己の社会的責任を明らかにすることによって、故川口君の冥福を心から祈ると同時に、川口君のお母さんに深く謝罪したいと考えたからです。さらに、現在の党派関係の異常性とそこにおける暴力的衝突を見るにつけ、かかる現状を深く憂い、二度とこのような不幸な事態がおこらないよう強く切望しているためでもあります。&lt;br /&gt;
: 私は川口君の問題を真剣に考えている全ての人々に次のことを強く訴えたいのです。&lt;br /&gt;
:現段階の党派闘争は明らかに異常といえます。このような現状の中で、党派闘争に暴力を持ち込むことに関して、真剣に慎重に再検討して欲しいのです。暴力の行使に際限はありません。そしてその結果は予測をはるかに越えるものがあります。&lt;br /&gt;
: 現に私は川口君を死に追いやろうなどとは、もちろん夢にも考えていませんでした。しかし結果はあまりにも悲惨なものでした。私は、私と同世代の人間的にも未熟な若い人々が暴力を行使することになれてしまうことが最も恐ろしいのです。傷つけ、傷つけられることを厭わない人間になることが真の勇気ではないと思います。人間の生の尊厳なくして人間の解放はないはずです。今こそ、この原点に立ち帰るべきです。&lt;br /&gt;
: 確かに、現在の党派関係と党派闘争を正常に戻すことは非常に困難なことでしょう。容易にできる問題ではないと思います。それは大きな努力が必要でしょう。しかし誰かがやらなければなりません。私はそのことを、川口君の問題を真剣に考えている全ての人々にやり遂げて欲しいのです。私の犯したような重大な過ちが再びおこらないことを強く切望するからです。社会の矛盾を変革するために自己犠牲的な活動を展開している人々が、お互いを傷つけあうことほど不幸なことはないと考えるからです。&lt;br /&gt;
: 現在、私は川口君という将来ある一人の青年を死に追いやってしまった自己の人間的未熟を痛切に反省し、あわせて川口君の霊が安らかならんことを祈っています。&lt;br /&gt;
:::川口君、そして川口君のお母さん、ほんとうにすみませんでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::昭和48年11月9日　　　　　　佐竹実（母印）」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B410%E6%9C%886%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89%E7%89%9B%E8%BE%BC%E5%85%AC%E4%BC%9A%E5%A0%82%E3%81%A7%E3%80%8C10.6%E6%A2%81%E6%94%BF%E6%98%8E%E4%B8%89%E5%91%A8%E5%BF%8C%E8%BF%BD%E6%82%BC%E9%9B%86%E4%BC%9A%E3%80%8D%E9%96%8B%E5%82%AC&amp;diff=1219</id>
		<title>1973年10月6日（土）牛込公会堂で「10.6梁政明三周忌追悼集会」開催</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B410%E6%9C%886%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89%E7%89%9B%E8%BE%BC%E5%85%AC%E4%BC%9A%E5%A0%82%E3%81%A7%E3%80%8C10.6%E6%A2%81%E6%94%BF%E6%98%8E%E4%B8%89%E5%91%A8%E5%BF%8C%E8%BF%BD%E6%82%BC%E9%9B%86%E4%BC%9A%E3%80%8D%E9%96%8B%E5%82%AC&amp;diff=1219"/>
				<updated>2026-09-19T06:46:37Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:10.6集会実行委員会の呼びかけで「10.6梁政明反日抗議焼身自殺三周忌追悼集会」が牛込公会堂で開かれ200名が参集した。集会は二部構成で、第一部では実行委員会が基調報告を行い、第二部では特別公演があった。実行委員会は、70年10月6日の山村君の死、そして72年11月8日に再び川口君という犠牲者を生み出すことになった「早稲田の日常」を問い直し、それと対決していくことを呼びかけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【早稲田の日常を問い直す】'''&lt;br /&gt;
:早稲田キャンパス184号は、正式報道としてではなく、会員の書いた断章としてこの集会の記事を掲載している。掲載に至る経緯として事前に10.6実行委からの集会アピールの掲載を拒否した旨が併記されており、山村＝梁君の〈死〉を政治的に利用することを是としない編集部の姿勢がうかがえる。&lt;br /&gt;
	&lt;br /&gt;
:「牛込公会堂で10月６日『10.6梁政明反日抗議焼身自殺三周忌追悼集会』が『10.6集会実行委員会』主催により、早大生を中心に約200名の参加で行なわれた。（中略）山村政明＝梁政明君は70年10月6日未明、早稲田大学文学部側の穴八幡境内で、日本社会及び早大の情況を激しく糾弾する『抗議嘆願書』を残して焼身自殺をした。当時、第二文学部2年、25歳だった。」&lt;br /&gt;
:続く「抗議・嘆願書」の抜き書きの後に「私が在日朝鮮人の問題を思う時に～」に始まる記述があり、日常生活の中で実際に関わりがないとどうしても在日朝鮮人の問題を実相として把握することができず、隔絶感を感じてしまう。そして人は、その日常生活外での出来事に動かされない、と記している。さらに続けて「私達が川口君の死に衝撃を受けたのは、それがまさしく自らの日常性の中での出来事であったからだ」とある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:追悼集会に向けて16ページの基調報告が10.6集会実行委員会から、呼びかけのビラが同委員会と中国研究会から出されている。&lt;br /&gt;
:実行委による呼びかけのビラには次のようにある。&lt;br /&gt;
:「11.8一周忌を2ヶ月後に迎えるにあたって私たちは、11.8とそれが生み出された日常とは何であったのか、という問いを私たち自身に、多くの学友に、そして友人の皆さんに投げかけなければならないと思うのです。そのことを通してのみ、川口君虐殺を生み出して来た早稲田の日常～血の支配の検証が成されるのであり、川口君の死に更に次の死を重ねることを拒否する私たちの思想が創り上げられていくのではないでしょうか。私たちはこの作業の一つとして川口君の死の2年前の10月6日、早大二文当局と革マル派への抗議嘆願書を残して抗議の焼身自殺をしていった梁＝山村＝政明君の死の意味を検証していかなければならないということを提起したいと思うのです。なぜならば、私たちの多くが川口君の死を通じてのみ初めて言葉を交わし、出逢い、結ばれて今日に至っているように、あの70年10月6日、早大管理支配体制＝早大当局と革マルによる二重の支配と抑圧、そして民族差別の只中で鮮烈な炎に身を包み孤絶の中で死んでいった梁君の、その死の代償と引き替えに立ち上がった多くの人々が、何ゆえに沈黙をしていったのか、ということを問わずして虐殺の日常の検証は空語に等しいと確認するからであります。言いかえるならば、梁君の死から川口君の死へと貫かれていた2年間における私たちの沈黙こそが11.8を生み出した根拠であると考えるのです。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:中国研究会のビラは、山村君の死をめぐる背景について次のように言及している。&lt;br /&gt;
:「在日朝鮮人、梁政明のその死は、革マル系と日共＝民青系の相互糾弾ーー革マルのデマキャンペーン〈山村は、民青が入管闘争をやらなかったので…〉と、民青のマスコミと迎合した“反暴力キャンペーン”〈抗議・嘆願書の、彼が在日朝鮮人であることに関する部分を切り棄てて利用する等〉ーーという『政治的評価』がなされていった。そして何よりも彼の死に対して決起せんとした学友たちも、自らの生のなかで、その死を埋葬し得なかった。梁政明の死は風化させられていった。何よりも我々自身の手で…。（中略）我々は72.11.8、2人目の死、川口大三郎を準備していたのだ。70.10.6から72.11.8に登りつめた約2年間の、この〈早稲田なるもの〉の、その意味を問い続け、それと内的に対決することが、死を背負った我々の生の課題であろう。」&lt;br /&gt;
:10.6集会準備委員会名で出された集会に向けた匿名の在日朝鮮人の呼びかけビラには、山村君の死から川口君の死へ至るつながりが記されている。&lt;br /&gt;
:「梁政明の生と死、希求と絶望の闘いと死が、川口大三郎の死の代償を通して開始された闘いの中にこそ内在化され、継承されようとした時、風化せしめられ切り捨てられてきた『過去』を、現実の生きる者たちの胸の中に奪い返しうる。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【山村＝梁政明君の死】'''&lt;br /&gt;
:基調報告には、1970年当時の早稲田キャンパスに掲載された山村君に関する記事が引用されている。&lt;br /&gt;
:「山村君（二文）焼身自殺。6日未明、文学部側の穴八幡境内で、本学の一人の在日朝鮮人（日本籍）が、焼身自殺をとげた。山村政明（梁政明）君、第二文学部2年、25歳。在日朝鮮人としての境遇と、革マルの暴力支配、及び当局への『抗議書』を残して。」&lt;br /&gt;
:「山村君の追悼集会に800名～民青が主催。7日、山村君追悼集会が本部前において、12時と6時から、一法学友会、教育・社会自治会、二文民主化会議の主催で行なわれた。特に夕方6時からの集会には800名ほどの学生が参加し、山村君の死を悼んだ。革マルの暴力支配を許さない、早稲田の杜から革マルを追放する等確認していった。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:山村君は山口県出身。在日朝鮮人二世として生まれ９歳の時帰化。1964年高卒で就職した後、文学を志して67年早稲田大学第一文学部入学。この間生活は苦しく、学資や生活費を得るために様々な職業についた。キリスト教に近づいたのもこの頃である。68年二文に転部、自治会活動に積極的に参加するようになる。69年には二文有志連合の代表として学生大会の議長に４回選出された。当時二文では革マルが自治会を支配下に置こうとして、それに反対する学生を暴力的に排除していた。キリスト教徒として一般学生・民青と共に非暴力の立場に立った山村君も、学校内で数十回に及ぶ暴力を受けた。暴力による怪我や仲間の離反による失意、そして生活苦に追い込まれた山村君は、70年10月6日未明、在日朝鮮人に対する民族差別、そして早稲田における革マルの暴力と学校当局の無関心に抗議して焼身自殺を選んだ。抗議嘆願書には詳細が綴られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【山村君の抗議嘆願書から】'''&lt;br /&gt;
:山村君は「在日朝鮮人の存在そのものが歴史の非条理だ」とし、自分の意志ではなかったものの、自民族と祖国を裏切って日本籍に帰化したことは「苦悩を倍増すること以外の何物でもない」と記す。&lt;br /&gt;
:そうした山村君が、早稲田大学に入学しそこで見聞きし体験したことは何だったのか。&lt;br /&gt;
:「私は、学問、真理の探求を志して、早大に入学した。しかし、そこで見い出したものは、反動国家権力、独占資本に迎合した非人間教育でしかなかった。私は、何人かの勇気ある仲間たちと共に、学園変革の闘いに参加していった。そのため、反動教授の指弾を受け、反民主主義、反革命、暴力学生集団革マルの数度にわたるテロ、リンチにより、幾度か傷つき、登校の自由は奪われ、生活の破壊、挫折を余儀なくさせられた。&lt;br /&gt;
:私と同様に革マルの学園暴力支配により、退学に追いこまれつつある学友は少なからぬ数にのぼる。彼らの多くは、貧しい家庭環境に育ち、血のにじむ努力を積み重ねてこの学園に入学してきた。学園における目に余る不正矛盾に抗して立ち上り、闘いを敢行した故に、弾圧を受け、学生としての諸権利を抹殺されている彼らの心中は悲憤やるかたないものがある。&lt;br /&gt;
:死を前にした私が、最も切実に望むのは、次のことである。革マルの暴力支配と、大学当局の冷淡な措置により、経済的困窮の中で留年、退学に追いこまれながら苦闘を続けている学友たちに、明るい光のさすことである。彼らが暴力支配による身体生命の危険、経済的な生活破算から免がれ、学生としての正当な権利を回復することである。&lt;br /&gt;
:二文のすべての教職員の方々。及び学生諸君。彼らの正当な闘いに理解と支援を与えて欲しい。暴力を一掃し、よりよき学園を建設していって欲しい。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:山村君が列挙した訴えは以下の通り。&lt;br /&gt;
:一、反動的文教政策糾弾！&lt;br /&gt;
:一、早大は、自民党・独占資本追従の反動的立場を脱し、建学の精神を復活せよ！&lt;br /&gt;
:一、学園から不当な暴力を一掃せよ！&lt;br /&gt;
:一、反民主主義、反革命・暴力学生集団革マルを自治会執行部からリコールせよ！&lt;br /&gt;
:一、革マルは反動勢力の手先としてのハレンチなテロ、リンチ、窃盗行為及び、民主的学生運動への分裂、破壊策動を、厳重に自己批判し、真の革命勢力の立場、人民大衆の立場に転換、依拠せよ！&lt;br /&gt;
:一、二文当局は、奨学金、カリキュラム、学生生活全般において、勤労学生の権利拡大を保障せよ。一文への腰かけとしての二文の性格を再考せよ！&lt;br /&gt;
:一、二文の全学友及び教職員に訴える。事なかれ主義を脱して、一人一人が不正、矛盾との対決に立ち上って欲しい。昨年の自治会民主化闘争の盛り上りを想起して欲しい。学友が自覚して立ち上り、連帯して闘うことのみが、暴力の一掃、自治会民主化、学園改革への道を開くだろう。&lt;br /&gt;
:一、日米安保条約廃棄！&lt;br /&gt;
:一、自民党腐敗政権打倒！&lt;br /&gt;
:一、米国の極東軍事支配を許すな！&lt;br /&gt;
:一、日本独占資本のアジア経済侵略を許すな！&lt;br /&gt;
:一、独占資本解体！　ブルジョア抑圧階級打倒！&lt;br /&gt;
:一、南北朝鮮の自主的平和的統一実現！&lt;br /&gt;
:一、在日朝鮮人の民主的民族権利の弾圧を許すな！&lt;br /&gt;
:一、金嬉老同胞の法廷闘争断固支持！&lt;br /&gt;
:一、日本軍国主義復活の道を断て！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1Ug6lkCQy4CB3VkZCHjyDULJy86bGKYcf/view?usp=sharing  山村政明ー呪われた歴史の残滓がこの体内に]『戦後青春への挽歌』（村上也寸志著　亜紀書房）より　&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1B8hmY_Uh9aTIlFCqBdy2J0iu6FZ2e_lx/view?usp=sharing　梁政明反日抗議自殺3周年忌追悼集会への呼びかけ]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1XmmIGTlgqkZV9yYKtvwfmJJ0BmzIFpBW/view?usp=sharing長征　梁政明反日抗議焼身自殺3周年忌追悼集会への呼びかけ　早大中国研究会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1tp-PCFJYL91ODrG5fsAcAXmt3WknCjVB/view?usp=sharing 梁政明反日抗議焼身自殺3周年忌追悼集会への呼びかけ　10・6集会実行委員会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1YDBzPWqG1SuBvARD5UH33DhQpeqS8KN3/view?usp=sharing 怒りを糧に　10・6集会実行委員会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1WdGqovvg_2FK5QnDSjCU4oLJu3wHiora/view?usp=sharing 基調報告　早大10・6集会実行委員会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1UGSeUz121IhMOSzLTzPGQhtAUVJwYUhK/view?usp=sharing　怒りを糧に　10・6集会実行委員会総括]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B47%E6%9C%8816%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%895.17%E8%A2%AB%E5%91%8A2%E5%90%8D%E3%81%AE%E7%AC%AC1%E5%9B%9E%E5%85%AC%E5%88%A4%E3%80%82&amp;diff=1218</id>
		<title>1973年7月16日（月）5.17被告2名の第1回公判。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B47%E6%9C%8816%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%895.17%E8%A2%AB%E5%91%8A2%E5%90%8D%E3%81%AE%E7%AC%AC1%E5%9B%9E%E5%85%AC%E5%88%A4%E3%80%82&amp;diff=1218"/>
				<updated>2026-09-14T09:03:20Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:5.17総長団交の折逮捕された被告2名への第1回公判が開かれた。凶器準備集合罪で逮捕したものの、同罪での起訴が不可能だとわかると、罪状を軽犯罪法違反としての起訴となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【5.17被告2名の第1回公判】'''&lt;br /&gt;
:5.17総長団交開催をめぐる混乱の中で、凶器準備集合罪の現行犯として逮捕された2名（社会科学部常任委Kさんと教育学部クラス団実委Sさん）に対する第1回公判が、東京簡易裁判所で開かれた。当初2人は凶器準備集合罪の現行犯として逮捕されたものの、取り調べに対して完黙を貫いたため裏付けがとれず、軽犯罪法違反として起訴されたものである。&lt;br /&gt;
:公判後の総括集会では、被告の一人から「多くの学友の結集を求める」とのアピールがあり、この裁判を「早大闘争」の本質を問う裁判闘争にまで発展させねばならないという決意が示された。&lt;br /&gt;
:この裁判を報じた早稲田キャンパス182号には「この裁判が始まったことにより『早大闘争』に新しい要素が加わったといえる」という一文が見える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1YmVbttj6Dd48E_IX7sDeltHZXfY1K07n/view?usp=sharing 5・17被告団からの声明]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8&amp;diff=1217</id>
		<title>メインページ</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8&amp;diff=1217"/>
				<updated>2026-09-14T09:01:58Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: /* 川口大三郎が逝ったあの日、あなたはどこにいたか */&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;strong&amp;gt;[http://www.19721108.net/ 19721108.net]&amp;lt;/strong&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 川口大三郎が逝ったあの日、あなたはどこにいたか==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
1972年11月８日木曜日午後、早稲田大学第一文学部２年Ｊ組川口大三郎君が自治会室に拉致監禁され、翌朝、東大病院構内で死体となって発見された。そして９日以降、川口君の真相を究明し、自治会を僭称する党派を糾弾する声が全学であがり、真の学生自治確立をめざして早大解放闘争が巻き起こった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:どのような情況が川口君を死に至らしめたのか、そして何故に早大解放闘争は解体せざるを得なかったのか…このサイトは、当時の報道、ビラ、証言によってその真実を明らかにする試みである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
[[川口大三郎リンチ殺害事件の全貌]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[文字が記憶する川口大三郎]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月8日以前]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年12月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年1月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年2月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年3月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年4月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年5月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年6月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年7月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年9月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年10月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年11月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
[[仲間たちの思い]]&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
[[寄せられた記録と記憶、感想]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B46%E6%9C%8830%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E7%B3%BB%E6%96%87%E9%80%A3%E7%B7%8F%E4%BC%9A%E3%82%92%E7%B2%89%E7%A0%95%E3%80%82%E3%82%B5%E9%80%A3%E3%81%A8%E6%96%B0%E5%9F%B7%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E7%A5%AD%E5%AE%9F%E8%A1%8C%E5%A7%94%E7%B5%90%E6%88%90%E3%80%82&amp;diff=1216</id>
		<title>1973年6月30日（土）革マル系文連総会を粉砕。サ連と新執による早稲田祭実行委結成。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B46%E6%9C%8830%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E7%B3%BB%E6%96%87%E9%80%A3%E7%B7%8F%E4%BC%9A%E3%82%92%E7%B2%89%E7%A0%95%E3%80%82%E3%82%B5%E9%80%A3%E3%81%A8%E6%96%B0%E5%9F%B7%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E7%A5%AD%E5%AE%9F%E8%A1%8C%E5%A7%94%E7%B5%90%E6%88%90%E3%80%82&amp;diff=1216"/>
				<updated>2026-09-09T09:00:34Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:行動委の部隊と革マルが衝突。革マルの文連総会は中止となった。また、サ連と新執による73年早稲田祭実行委員会が正式に発足した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:◎武装した叛旗派、反帝学評、行動委（ノンヘル）が3号館付近に集結。&lt;br /&gt;
:■11号館地下から革マル60名が鉄パイプで突入したが、追い散らされて11号館に逃げ込む。予定されていた革マル系文連総会を武装衝突で中止にさせる。&lt;br /&gt;
:◎73年度早稲田祭実行委結成集会（サ連、新執系）が11号館前で開催され、正式に発足。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マル文連総会を粉砕】'''&lt;br /&gt;
:「6月30日、本部構内において革マル派学生と行動委・反帝学評・共産同叛旗派学生との間に衝突があり、20名余りの重軽傷が出た。そのため午後からの授業は中止となり全学ロックアウトとなった。この日は文連総会が予定されており、その文連総会をめぐり、総会を粉砕しようとする行動委と、防衛しようという革マル派との間の衝突は当然予想されていた。12時頃から鉄パイプで武装した行動委40名、反帝学評60名、共産同叛旗20名の学生が3号館周辺に集結しているところに、11号館地下にいた革マル派学生約60名が鉄パイプでもって突入してきて数分間の乱闘の後、革マル派は分散され、11号館に逃げ込み、11号館に内バリを築き中にたてこもった。11号館にたてこもった革マル派を追って、反帝学評などが4階まで追いつめ、中にいた十余名の革マル派学生に負傷者が出た。この間、一文、二文、政経、教育各執行部、11.8C連によって組織されていた早稲田祭実行委（準）が正式に早稲田祭実行委員会で発足された。しかし、学内で情宣もできないという現状の中でどのように各サークル・クラスをまとめていくかというのが今後の課題となろう。このような学内の情勢に対し当局は、11時50分政経学部、しばらくして商学部が休講となり、1時全学休講、ロックアウトの措置をとった。」（早稲田キャンパス181号より）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:毎日新聞夕刊では「早大また内ゲバ」の2段見出しで次のように報じられた。「30日午後零時半ごろ、東京都新宿区戸塚町の早大本部4号館前で、革マル派学生約40人と青ヘルメットの反革マル派約50人が鉄パイプでなぐり合い、双方で11人のけが人が出た。早大ではこの日、革マル派が主導権を握っている文連総会が予定され、反革マル派も本部構内で集会を開いたため、両派が衝突したとみている。衝突は約20分間続き、革マル派は学外へ逃げたが、反革マル派は革マル派が残した旗に火をつけるなどして11号館前で気勢を上げた。大学側は本部構内への立入りを禁止、午後の講義を中止した。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【早稲田祭に向けて】'''&lt;br /&gt;
:11号館前で集会が開かれ、5月30日に、11.8サークル連絡会議（サ連）を中心に結成された73年早稲田祭実行委員会準備会が、一文、二文、政経、教育各学部の各執行部の参加を得て正式に結成された。&lt;br /&gt;
:5月に出されたサ連による事前の招請文では、第16回（69年）以降の実行委員会を批判。「革マルが4年間行ってきたような自分達だけで実行委を結成し、参加諸団体は参加とは名ばかりの場を利用するという形態を拒否する」「実行委員会の原則に立って各参加団体が対等の立場で実行委を構成し、参加諸団体の討論の深化により早稲田祭の方向を決定し早稲田祭の基調を作っていく」と決意を述べている。&lt;br /&gt;
:すでに革マルは5月10日に解散総会を開いて第19回早稲田祭実行委員会を解散し選挙管理委員会を選出、5月29日には結成集会において第20回早稲田祭実行委員会を正式に発足させた。その後発行された早稲田祭新聞には「民青を支持するものも『行動委員会』を支持するものも革マル派を支持するものも、分け隔てなく参加する全早大生の統一的早稲田祭を提起するものである」と主旨が記されている。&lt;br /&gt;
:これらの動きに対して法学部自治会執行部の民青は、態度を明確にしていなかった。その後法学部で早稲田祭実行委員会が結成されたのは7月3日で、次のような主旨が示された。&lt;br /&gt;
:「実行委編成の方針としては、法学部を中心に11.8以後形成された7学部新執行部を結集するとしている。また各サークルに対しては、『サークル代表は文連の不正常な状態、未組織サークルが多数存在することなどから、参加サークルの結集のもとにサークル実行委員会を結成し、そのなかで互選により代表委員を選出する』としている。」（早稲田キャンパス182号）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:革マルと早稲田祭に関してその後の動きを追うと、1994年に杜撰な運営方法に対して大学側から指摘があったにもかかわらず改善されず、1997年8月の臨時学部長会議で早稲田祭実行委員会と革マル派の癒着と資金の横流しが問題となり、早稲田祭の中止が決定された。以降2001年まで開催されなかった。このことは新聞にも報じられ、「構内入場に際しパンフレット購入（400円）が課せられたこと」「決算報告が曖昧であったこと」の2点が問題とされた。2000年になってようやく広研（編註：広告研究会）、放送研究会、雄弁会他を中心に“新生早稲田祭したくスタッフ”による「早稲田白書」がまとめられ、開催への一歩が踏み出された。白書の中では、早稲田祭が中止に追い込まれた原因として「開催自体が目的化してしまった」ことがあげられた。「早稲田祭とは何か」「その存在意義とは何か」「なぜ早稲田に学園祭が必要なのか」といった根本的な問いがないがしろにされてきたというのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:さらに早稲田大学広報課発行の『早稲田ウイークリー』は1998年4月9日号から4回連続で早稲田祭を特集し、中止から再生までの軌跡を検証している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1973年当時のパンフレット代は200円（未確認）であったが、その収入が党派にとって貴重な資金源だったであろうことは想像に難くない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1JMf8MUjSNTq7rrLVJ3TzcZMxIiHGHpDs/view?usp=sharing 革マルの早稲田祭ねつ造に対する糾弾声明]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B45%E6%9C%8829%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89_%E4%BB%96%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%A8%E3%81%AE%E5%85%B1%E9%97%98%E3%82%92%E8%A6%96%E9%87%8E%E3%81%AB%E5%85%A5%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%83%AC%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%81%AE%E5%87%BA%E3%81%9FWAC%E7%B7%8F%E4%BC%9A%E3%80%82&amp;diff=1215</id>
		<title>1973年5月29日（火） 他大学との共闘を視野に入れたレジュメの出たWAC総会。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B45%E6%9C%8829%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89_%E4%BB%96%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%A8%E3%81%AE%E5%85%B1%E9%97%98%E3%82%92%E8%A6%96%E9%87%8E%E3%81%AB%E5%85%A5%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%83%AC%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%81%AE%E5%87%BA%E3%81%9FWAC%E7%B7%8F%E4%BC%9A%E3%80%82&amp;diff=1215"/>
				<updated>2026-09-09T08:55:55Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:政経、教育、一文、法の各学部の行動委を連合したWACの総会が開かれた。詳細は不明だが、残されたレジュメには「全都、全国の支援共闘」という文言が加わっており、運動の局面に変化があったことがうかがわれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:■革マル、第20回早稲田祭実行委員会、結成集会。&lt;br /&gt;
:◎WAC総会。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【WAC総会へ向けてのレジュメ】'''&lt;br /&gt;
:WAC総会のために準備されたレジュメが2つ残されている。一文行動委連合（準）によるものと早大反帝学生評議会によるものである。&lt;br /&gt;
:要約するとおおよそ次のような内容である。&lt;br /&gt;
:★一文行動委は、現状を、執行部、団実、行動委等で活動しようとする部分と、授業に埋没するいわゆる一般学生とに分断されており、その原因は、革マルによって活動が停止状態にあるためとした。それを打開するための手段は学内に結集空間の確保であるとし、学部・全学的課題として以下の項目を列挙した。&lt;br /&gt;
::・再団交（6月下旬）&lt;br /&gt;
::・学生大会→ストライキ（条件と期日の設定）&lt;br /&gt;
::・当局糾弾の実力行動&lt;br /&gt;
::・自治委員選、三役公選&lt;br /&gt;
::・早稲田祭実行委結成（四月祭総括、文連解放）&lt;br /&gt;
::・学内の共闘関係&lt;br /&gt;
::・全都、全国の支援共闘関係の点検整理&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:★反帝学評は、4月は鉄パイプテロなど革マルの出方に規定された展開となり、5月こそが総長団交等、当局との対決点を鮮明にする闘いの出発点となった総括し、6月以降の方針として「革マル、当局への反撃」「『早稲田解放闘争第三次早大闘争』の本格的構築」「一周忌のための陣形を作り上げる」の3つをあげた。そのための実行項目は次の通り。&lt;br /&gt;
::・自治会選挙→闘う執行部の確立&lt;br /&gt;
::・サークル・早稲田祭実行委結成&lt;br /&gt;
::・学大〜スト貫徹〜団交実現&lt;br /&gt;
::・号館自主管理（夜間ロックアウト粉砕）&lt;br /&gt;
::・早大支援共闘（全都、全国）&lt;br /&gt;
::・6.15実行委&lt;br /&gt;
::・学内拠点を確保し革マルへの攻勢を　学内制圧&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:そもそもWACの前身は、政経学部のPAC、文学部のLAC、教育学部のEAC、法学部のJACなど各学部に作られた行動委※で、それを統合したのが早大行動委WACである。その主な構成員は、在校生および二次闘争からの復帰組で、革マルによる攻撃に対抗する防衛を役割とした。&lt;br /&gt;
:ことに4月以降、個人攻撃も含め過激になった革マルの武装攻撃に対して、情宣、学大などで登場する際には、行動委に周囲を守られないと執行部は一文キャンパスに足を踏み入れることもかなわなくなった。まだ1月の段階ではヘルメットの着用をめぐる意見の食い違いもあったが、鉄パイプによる攻撃が日常化するに及んで、ほとんど議論の余地はなくなった。さらに、二次闘争の世代にとって武装は既成事実であり、そこへ背後の党派の支援が加わるとなれば、さらに本格化、先鋭化が進むことは必然だった。&lt;br /&gt;
:そうした旧世代の影響の色濃い武装闘争へ傾斜していく一方で、独自の防衛部隊を作る動きもあった。20名ほどの集団で、独自の武装訓練等を行い、一文キャンパスへの復帰を果たすことを目論んで活動した記録が残っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::※「行動委員会」を最初に組織したのは川口君のいた２Jで、行動委員会の定義を「一党一派に属するものではなく、クラス討論に参加する者、この問題について考え、何らかの行動をしようとする者の全てが委員会のメンバーであり、刻々と変化する状況に応じて、クラスの行動方針を決定していくという基本点をふまえた活動体」としている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1oQqrAcYkT-6MajibnJ2PlX5wSmufD2K3/view?usp=sharing WAC総会に向けて（一文行動委連合(準)）]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1Kk53BtvH7IaKa430l_gKRZ3HnueO-ie_/view?usp=sharing 5.29WAC総会に向けて（早大反帝学生評議会）  その1]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1h7X7ecMiIOMaHonE4zoranDaCi-lfcWE/view?usp=sharing 5.29WAC総会に向けて（早大反帝学生評議会 その2]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1GKcWsa_i8gW6Y7SDUC3_j9ROa3smyu65/view?usp=sharing 5.29WAC総会に向けて（早大反帝学生評議会  その3]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B45%E6%9C%8818%E6%97%A5%EF%BC%88%E9%87%91%EF%BC%89_%E6%9D%91%E4%BA%95%E7%B7%8F%E9%95%B7%E3%81%8C%E3%80%81%E3%82%BB%E3%82%AF%E3%83%88%E9%96%93%E6%8A%97%E4%BA%89%E3%81%A8%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E3%82%92%E9%81%BA%E6%86%BE%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E5%A3%B0%E6%98%8E%E3%82%92%E7%99%BA%E8%A1%A8%E3%80%82&amp;diff=1214</id>
		<title>1973年5月18日（金） 村井総長が、セクト間抗争と暴力を遺憾とする声明を発表。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B45%E6%9C%8818%E6%97%A5%EF%BC%88%E9%87%91%EF%BC%89_%E6%9D%91%E4%BA%95%E7%B7%8F%E9%95%B7%E3%81%8C%E3%80%81%E3%82%BB%E3%82%AF%E3%83%88%E9%96%93%E6%8A%97%E4%BA%89%E3%81%A8%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E3%82%92%E9%81%BA%E6%86%BE%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E5%A3%B0%E6%98%8E%E3%82%92%E7%99%BA%E8%A1%A8%E3%80%82&amp;diff=1214"/>
				<updated>2026-09-09T08:48:11Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:団交中止に関して、村井資長総長が声明を発表。セクト間抗争と暴力は大学崩壊を招くと、教職員および学生に再考を促した。昼過ぎには一文中庭にいた革マル十数人に青ヘルメット、鉄パイプで武装した反帝学評40名が殴りかかり、革マル二人が頭を割られ重傷、一人が軽傷を負った。さらに青ヘル部隊は学館に向かい内部にいた革マルと乱闘。同時刻、別の青ヘル60名が3号館前でビラを配布中の革マルに襲いかかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【村井総長「誠に遺憾」と声明発表】'''&lt;br /&gt;
:17日の団交中止に関して村井総長が声明を発表した。&lt;br /&gt;
:「私は、この大学混迷のときに、話し合い集会をもって反省と新たな前進への転機を求めようとした。それにもかかわらず、その機が熟さず、かえって不測の混乱が予想されるに至り、集会を取り止めにせざるを得なかったことを悲しみ、また、集会を取り止めたことが、却って学生諸君の中に大学への不信の念を生み出したのであれば、誠に遺憾である。私は、その不明の謗りを甘んじて受けるものである。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:16日の団交中止発表以来、大学当局には積極的に話し合いを求める姿勢があるとする言い回しが頻出するようになる。&lt;br /&gt;
:一方で、「暴力の否定と排除」に努めていることを強調しながら、革マル派の動きと川口君事件をきっかけに始まった運動を「力の論理」として押さえ込もうという意図が露骨になってくる。&lt;br /&gt;
:「この間、大学は一貫して暴力の否定と排除につとめ、これに代る理性への信頼を基調とした人間関係、集団関係の確立について、およばずながら努力しつづけてきた。しかしながら、いまなお、『力の論理』を信奉する学生セクトによる暴力が横行し、人身傷害行為が続発していることは許すことのできない不幸な事態といわなければならない。いま学園は、自治会問題をめぐって、セクト間や、セクトに属さぬ学生をもまきこんだ暴力がまかりとおり、理性による対話の場が極めて成り立ち難い状況におかれている。暴力を肯定すれば、理性が失なわれ、大学は崩壊への道をたどるほかはない。大学正常化への道は、学生間は勿論のこと、学生と学部教授会、あるいは大学当局との相互理解によってのみ切り開かれるのである。（中略）学園における各学部の自治会問題には、学外者を含むセクト間の抗争が非常に大きな影響を与えているということを、学園の全員が再認識してもらいたい。そして、その認識の上にたって、問題解決への道がいかにけわしいものであるか、また、果してその道がどこに求められるべきかを、真剣に考えられんことを切に期待するものである。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:少なくとも5月17日の時点までは、鉄パイプを使った無差別襲撃等の暴力の行使は革マル派による一方的なものであった。しかしながら、事実はそうであったにもかかわらず、総長をはじめとする大学当局の発言では、あたかも暴力行使が双方からあったかのように表現されている。故意に歪曲されていたと推測する根拠は、警備を依頼された現場の警察官の証言による。5月17日に逮捕された被告の裁判記録には、以下のような証言があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:検察官側の証人である萩原寅次は「革マル派と反革マル派のトラブルは、当時（昭和48年5月8日当時）連日のように続いた」「5月の連休が明けたころからトラブルが続いており、革マル派が集まっているところに反革マル派が押しかけたということもあったようです」「現実に（革マル派側に）負傷者も出ています」と述べ、また金子幸雄は「昨年（昭和47年）11月以降、早稲田大学構内で革マル派、反革マル派両派の内ゲバがあって、そのたびに警戒配備に出動し、その際両派の衝突を実際に見ている」「反革マル派学生が革マル派学生に対して攻撃をかけたということを聞いている。革マル派学生を（原文ママ）反革マル派とが、主導権を握る為には生命を辞さないという意気込みで、互いにやっていると聞いている。そういうことは、去年11月ころから今年にかけてしょっちゅうでした。反革マル派が革マル粉砕ということはよく言っていた」「竹竿や旗竿を持って追いかけまわしているのは見ました」と供述。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:また、5月17日に関しては、昭和48年5月16日、前記のとおり翌17日に予定されていた村井総長と学生らとの集会をやめる旨を発表したのを契機として、これに不満の念を抱く反革マル派の学生らが、その17日に革マル派に対して攻撃を加えるおそれがあるという情報が入ったので、そのような情勢に対処するため、所轄戸塚警察署においては即日同署に「現場警備本部を設置し、署長松浦洋治が本部長となって部隊の編成を行ない、警戒警備の体制を整えた」と、当日の警備が革マル派を反革マル派の攻撃から守るために行われたという、驚くべき証言になっている。前述の警官2名の供述にも「あったようです」「聞いている」と伝聞情報に基づく認識が示されており、ここでは「情報が入った」とされている。誰によって提供された情報なのか。当時、「KK（警察＝革マル）連合」「KKT（警察＝革マル＝当局）連合」という表現が揶揄的に使われていたが、事実はもっと根深いつながりだったようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【セクト間抗争の背景】'''&lt;br /&gt;
:たしかにこの時期になると行動委系の黒ヘルに混じって赤ヘル、青ヘルが散見されるようになった。11.8を端緒として始まった自治会再建運動の支援の立場をとる彼等は、第二次早稲田闘争を経験した、ある意味筋金入りの闘士であった。数において優勢だった革マルの前に旗をたたみ姿を消していた数年間を経て再び学内に登場することは、直接的な衝突のあるなしにかかわらず、彼等にとっては実戦であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:5.17を前に叛旗が作成した討論資料には、当局に対する告発が並ぶ。&lt;br /&gt;
:「大学当局は、『今回の事件を契機として盛り上がった学生諸君の自治会再建への意欲を尊重し、真に全学生の総意を反映する自治会再建へ向って、学生諸君ひとりひとりが真摯な努力を積み重ねてゆくことを心から期待するものである』という〈たてまえ〉と国家権力＝機動隊の導入による闘争の直接的な圧殺、試験強行、ロックアウトによる学生の分断、新自治会の未承認（結果的にあるいは意図的にカクマルを擁護している）等々による現実の大衆M（編注：運動）の高揚を何としても圧殺し、収拾したいという〈ほんね〉の使い分けを駆使しつつ、大学秩序の『正常化』＝支配を貫徹せんとしている。（中略）大学当局＝村井は、川口君虐殺への『重大な意味を深く理解し』『暴力の否定』を強調し、これまでカクマルとゆ着し、カクマルの暴力を黙認してきたことの責任を一切回避し自己批判もせず清算し、自らの手を汚すことなく、権力＝機動隊の導入をカクマルに対してではなく、大衆運動の圧殺のためにのみ導入し、文字通り最も悪質な暴力を行使している。ここに我々は戦後民主主義者の理念の虚妄性と現実過程における取捨の論理＝プラグマティズムの暴力的な貫徹の姿を見ることができる。」&lt;br /&gt;
:また、反帝学評が「5.30革マル全関東総力動員100を早稲田で撃滅！」のビラには「我々は5月30日、この間早大解放闘争に敵対してきた革マル派の最後に残った全関東動員の宗派部隊100名を、早大本部構内での正規軍戦をもって粉砕した」とし、さらに「この闘いこそは我々の手によって切り拓かれた『革マルの敵対の実力粉砕を通しての早稲田解放』の展望を、日共＝民青の敵対と中核派の完全逃亡の中、鮮明に突き出すと同時に、日本学生運動の階級的統一を成し遂げる最良最強の部隊の何たるかをも、全人民の前に明らかにした」と続く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:後日「文責T」の署名で出された「早稲田を叛乱の炎で蔽い尽くし、虚飾の碧雲を深紅に染めよ！」と題したビラには「党派による軍事力代行」の文言が見える。&lt;br /&gt;
:「4月4日に始まる革マルの一連の武装襲撃に対して何ら軍事的観点からの反撃態勢を構築し得なかったWACの部隊は、5月8日の『総長』団交以後、革マルの密集したテロの前に学内活動の放棄を余儀なくされていた。そして17日の『総長』再団交へ登りつめる過程は、実行部隊の形成をほとんど語ることなく、形成を整えるためや必然性のないスケジュールの設定によって貴重な時間が無駄に費やされていった。すでに4月21日の一文学生大会の防衛が社青同解放派と共産同叛旗派の党派部隊によってその軍事力を代行されていたことの否定的意味とそれを克服する展望がこのとき最も切実に問われていたにもかかわらず、誰もそのことに答えることができなかったのである。17日夕方近く、弾圧のすきをくぐって大隈講堂前に結集したWACを中心とする隊列は、本部突入直後、待ち構えた革マル全国かき集め部隊の襲撃の前に蹴散らされ、再びは本部に入らなかった。圧倒的な数の学友を結集させたにもかかわらずすでにWACの部隊は崩壊しており、その弱体を決定的な段階で露呈する結果になったのである。このときすでにWACはその任務を終えたのであり、これ以降WACは党派の諸君に主導権を握られ、運動全体にとって桎梏物に成り下がって行くのである。」&lt;br /&gt;
:また、この日あった反帝学評による革マル襲撃に関しては「18日の社青同解放派による革マル奇襲は、WACの軍事的弱体を見限っての行動であっただろう」としている。&lt;br /&gt;
:当局が、セクト間抗争を強調する一方で、新自治会を目指す運動の中にも、支援する党派に対する抵抗感と依存せざるを得ない無力感が交錯していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1esxZyJKfCeTOQqITSv_5r5n_KeMb1L9x/view?usp=sharing 早稲田を叛乱の炎で覆い尽くし、虚飾の碧雲を深紅に染めよ！]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1K6r6n0FRQHyhKR66fjUiqf6oKCSkQumn/view?usp=sharing 文学部一人一人の学友に訴える]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1xDIvwP-quq6niHcaipl20rg-uOj_BKG0/view?usp=sharing 総長団交勝利的に克ちとれ！]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B45%E6%9C%8819%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89_%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%A6%A8%E5%AE%B3%E3%81%A7%E4%B8%80%E6%96%87%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%B9%E3%81%AB%E5%85%A5%E3%82%8C%E3%81%9A%E3%80%82%E5%BD%93%E9%9D%A2%E3%81%AE%E6%8B%A0%E7%82%B9%E7%A2%BA%E4%BF%9D%E3%81%8C%E8%AA%B2%E9%A1%8C%E3%81%AB%E3%80%82&amp;diff=1213</id>
		<title>1973年5月19日（土） 革マルの妨害で一文キャンパスに入れず。当面の拠点確保が課題に。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B45%E6%9C%8819%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89_%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%A6%A8%E5%AE%B3%E3%81%A7%E4%B8%80%E6%96%87%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%B9%E3%81%AB%E5%85%A5%E3%82%8C%E3%81%9A%E3%80%82%E5%BD%93%E9%9D%A2%E3%81%AE%E6%8B%A0%E7%82%B9%E7%A2%BA%E4%BF%9D%E3%81%8C%E8%AA%B2%E9%A1%8C%E3%81%AB%E3%80%82&amp;diff=1213"/>
				<updated>2026-09-09T08:32:59Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:午前8時、革マル派40名が「小選挙区制粉砕、緊急ストライキ」を叫んでスロープの上に机・椅子でバリケードを築いた。実質上の検問体制により構内に入れないメンバーは、本部を拠点に、情宣活動の準備、会議等を行った。革マルの暴力的敵対に対し、武装による自衛やレジスタンスを呼びかけるビラも見られるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【拠点確保という課題】'''&lt;br /&gt;
:一文における活動の問題点は、門衛前を通りスロープあるいはその脇の階段以外に学内に入る道筋がないことだった。革マルは、学内外の勢力を寄せ集め、スロープの上にバリケードを築き、狭めた入口で実質的な検問を行った。これによって新執行部、行動委、団実委等のメンバーは構内に入れず情宣活動に支障が出ると同時に、クラス討論で発言するメンバーにとっても圧力となった。時には小競り合いとなったが、当局は傍観を決め込むだけだった。&lt;br /&gt;
:全学団交実行委のビラには、「4－6－8全学の各号館、文学部キャンパスを自らの手で奪還し、自主管理し、逃亡せんとする村井を実力で引きずり出そう！」とある。また、「方針提起」（文責L）と題したビラにも「当面学内拠点（4、16、8各号館）を実力で維持し、革マルをして学館－11号館に封じ込め、ゲリラ戦（レポ狩り）、投石戦を開始しよう。そうしたレジスタンスMを背景に、5月下旬学生大会を克ち取り、6月総反撃を開始しよう」とあり、文学部をはじめとする各学部の運動拠点が本部の4、16、8号館であったことがわかる。&lt;br /&gt;
:本部から文学部キャンパスへ移動する場合は、8号館脇の門から馬場下への坂道を上るか、16号館から西門を出て早稲田通りを馬場下に下る2つの道筋がある。直接の衝突はなくても互いの動きには目が離せず、本部と文学部キャンパス間ではレポの行き来が激しかった。「方針提起」にあるゲリラ戦とは「革マルを見たらすぐ通報し、石を投げること」とある。さらに各クラス単位で情宣隊、RC（レポセン）、救対、武装行動隊、読書会等の設置ならびにクラスごと、地域ごとに集団で行動することを提案している。&lt;br /&gt;
:実際に翌週5月24日には、高田馬場駅前で情宣中の一文執行部のメンバーが革マル20名に襲撃されている。（早稲田キャンパス178号）特定の個人あるいはクラス、グループへの攻撃はしだいに苛烈になり、行動範囲が限られるばかりでなく身の危険も伴うようになった。&lt;br /&gt;
:5月27日に早慶戦の開かれた明治神宮で配られた一文執行委員会、団交実行委員会連名のビラには、その状況が次のように書かれている。&lt;br /&gt;
:「一貫して居直り続け、暴力的敵対にのみ延命の道を見出している革マルは、4月・5月と『統一行動』の名の下に鉄パイプによるテロを再び開始し、全治1ヶ月の重傷を負った執行委員長樋田君を始めとして多くの学友を傷つけています。さらに5月19日には文学部にバリケードを築き、学友を検問するという追いつめられた自らの本性を暴露しているのです。そういう状況の中で、昨年11月28日の学生大会の圧倒的な学友の意志を受けつぐ執行委員会の学友達は、文学部キャンパスでの活動を充分に行い得ていません。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【6月に向けて】'''&lt;br /&gt;
:早慶戦で配られたビラの見出しは、「革マルのテロを突破し、6月総攻撃へ！」である。また、同時期に一文自治会執行委員会と一文団交実行委員会連名でだされたビラにも「6月総攻撃を準備しよう」とある。&lt;br /&gt;
:展望の前提としてあるのは「全学団交実行委員会を軸に、当面学内での活動拠点を実力で維持し抜き（4、8、16各号館）、革マルとの対峙状況を作り出し、文学部での徹底したレジスタンスを貫徹する」ことであり「5月下旬学生大会の勝利」であった。6月の課題としてあげられているのは「国家権力の攻撃に対して反撃する」「全学総長団交を実現する」「73年度早稲田祭実行委員会を結成する」「自治委員選挙〜新執行部樹立」の4点である。&lt;br /&gt;
:この4点を実現するために何をなすべきかについては、「各クラスの連絡態勢を今一度点検し、各クラスから行動隊を必ず出そう」と提起している。また、この中では「持久戦〜レジスタンスを貫徹する」という表現が使われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【暴力について】'''&lt;br /&gt;
:この連名のビラには、18日の革マルと反帝学評との衝突について次のような「追記」がされている。&lt;br /&gt;
:「5月18日の事態について。まず基本的に我々とは関係のないこと、そして我々の運動の原則とは逸脱していることを確認しよう。勿論我々は革マルに対して一文のキャンパスを暴力的に制圧されているという現状を踏まえるならば、自らの運動は自らで守り抜く、一人に対するテロは全員に対するテロと見なすという立場から、最低限自らの命を守るため、革マルの情宣集会を一切許さないという立場から、大衆的な暴力的な反撃を展開する必要があることは言うまでもない。僕たちは一般的に暴力を否定しない。軽々しく暴力追放などという遠ぼえなど言わない。今、暴力は復権されなければならない。強いられた存在の一つの行動様式として、暴力＝肉体性の発現はあるのだから、そういう行為は、共同性の一形態であるだろう。」&lt;br /&gt;
:この意味するところは、執行部主体の活動における暴力（編註：武装による自衛、あるいは革マルに対する反撃）は、運動を推進するためには必要であるとする意志の表明であった。&lt;br /&gt;
:一方で、一文学生自治会執行委員会の名前によるビラには、暴力を防ぐことへの言及が頻出するようにもなった。&lt;br /&gt;
:「文学部一人一人の学友に訴える」と題したビラには「我々の大学を暴力のない真に自由な学園にするために闘い続けなければならない」として次の5項目をあげている。&lt;br /&gt;
::1．キャンパス内等で、学友が革マル派学生に囲まれた場合、最低限見守っていること。そして暴力的事態を未然に防ぐこと。&lt;br /&gt;
::2．一人一人の学友をクラスで暴力から守ること。&lt;br /&gt;
::3．クラス討論で様々な内部の問題、矛盾を積極的に話し合うこと。&lt;br /&gt;
::4．鉄パイプを見つけた場合は、すぐに8号館に通報して欲しい。&lt;br /&gt;
::5．10時以後、授業の前に8号館にクラスに撒くビラを取りに来て欲しい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1cYBan0dCHQm66O5lXpaoenaXm07py9Ck/view?usp=sharing 方針提起]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1YgomSCN-yiFbVf6NG10qwYVq3Si3bIIZ/view?usp=sharing 革マルのテロを突破し、6月総反撃へ]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1DUX8kMcxYejjYqB6Wm3G3w-UTUGKTjfW/view?usp=sharing 6月総反撃を準備しよう]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/160LWihMkqe_JyLxIjxQUue6yP6tGt428/view?usp=sharing 全力で＜虐殺＞を断罪せよ！]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B45%E6%9C%8819%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89_%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%A6%A8%E5%AE%B3%E3%81%A7%E4%B8%80%E6%96%87%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%B9%E3%81%AB%E5%85%A5%E3%82%8C%E3%81%9A%E3%80%82%E5%BD%93%E9%9D%A2%E3%81%AE%E6%8B%A0%E7%82%B9%E7%A2%BA%E4%BF%9D%E3%81%8C%E8%AA%B2%E9%A1%8C%E3%81%AB%E3%80%82&amp;diff=1212</id>
		<title>1973年5月19日（土） 革マルの妨害で一文キャンパスに入れず。当面の拠点確保が課題に。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B45%E6%9C%8819%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89_%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%A6%A8%E5%AE%B3%E3%81%A7%E4%B8%80%E6%96%87%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%B9%E3%81%AB%E5%85%A5%E3%82%8C%E3%81%9A%E3%80%82%E5%BD%93%E9%9D%A2%E3%81%AE%E6%8B%A0%E7%82%B9%E7%A2%BA%E4%BF%9D%E3%81%8C%E8%AA%B2%E9%A1%8C%E3%81%AB%E3%80%82&amp;diff=1212"/>
				<updated>2026-09-09T08:31:59Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:午前8時、革マル派40名が「小選挙区制粉砕、緊急ストライキ」を叫んでスロープの上に机・椅子でバリケードを築いた。実質上の検問体制により構内に入れないメンバーは、本部を拠点に、情宣活動の準備、会議等を行った。革マルの暴力的敵対に対し、武装による自衛やレジスタンスを呼びかけるビラも見られるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【拠点確保という課題】'''&lt;br /&gt;
:一文における活動の問題点は、門衛前を通りスロープあるいはその脇の階段以外に学内に入る道筋がないことだった。革マルは、学内外の勢力を寄せ集め、スロープの上にバリケードを築き、狭めた入口で実質的な検問を行った。これによって新執行部、行動委、団実委等のメンバーは構内に入れず情宣活動に支障が出ると同時に、クラス討論で発言するメンバーにとっても圧力となった。時には小競り合いとなったが、当局は傍観を決め込むだけだった。&lt;br /&gt;
:全学団交実行委のビラには、「4－6－8全学の各号館、文学部キャンパスを自らの手で奪還し、自主管理し、逃亡せんとする村井を実力で引きずり出そう！」とある。また、「方針提起」（文責L）と題したビラにも「当面学内拠点（4、16、8各号館）を実力で維持し、革マルをして学館－11号館に封じ込め、ゲリラ戦（レポ狩り）、投石戦を開始しよう。そうしたレジスタンスMを背景に、5月下旬学生大会を克ち取り、6月総反撃を開始しよう」とあり、文学部をはじめとする各学部の運動拠点が本部の4、16、8号館であったことがわかる。&lt;br /&gt;
:本部から文学部キャンパスへ移動する場合は、8号館脇の門から馬場下への坂道を上るか、16号館から西門を出て早稲田通りを馬場下に下る2つの道筋がある。直接の衝突はなくても互いの動きには目が離せず、本部と文学部キャンパス間ではレポの行き来が激しかった。「方針提起」にあるゲリラ戦とは「革マルを見たらすぐ通報し、石を投げること」とある。さらに各クラス単位で情宣隊、RC（レポセン）、救対、武装行動隊、読書会等の設置ならびにクラスごと、地域ごとに集団で行動することを提案している。&lt;br /&gt;
:実際に翌週5月24日には、高田馬場駅前で情宣中の一文執行部のメンバーが革マル20名に襲撃されている。（早稲田キャンパス178号）特定の個人あるいはクラス、グループへの攻撃はしだいに苛烈になり、行動範囲が限られるばかりでなく身の危険も伴うようになった。&lt;br /&gt;
:5月27日に早慶戦の開かれた明治神宮で配られた一文執行委員会、団交実行委員会連名のビラには、その状況が次のように書かれている。&lt;br /&gt;
:「一貫して居直り続け、暴力的敵対にのみ延命の道を見出している革マルは、4月・5月と『統一行動』の名の下に鉄パイプによるテロを再び開始し、全治1ヶ月の重傷を負った執行委員長樋田君を始めとして多くの学友を傷つけています。さらに5月19日には文学部にバリケードを築き、学友を検問するという追いつめられた自らの本性を暴露しているのです。そういう状況の中で、昨年11月28日の学生大会の圧倒的な学友の意志を受けつぐ執行委員会の学友達は、文学部キャンパスでの活動を充分に行い得ていません。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【6月に向けて】'''&lt;br /&gt;
:早慶戦で配られたビラの見出しは、「革マルのテロを突破し、6月総攻撃へ！」である。また、同時期に一文自治会執行委員会と一文団交実行委員会連名でだされたビラにも「6月総攻撃を準備しよう」とある。&lt;br /&gt;
:展望の前提としてあるのは「全学団交実行委員会を軸に、当面学内での活動拠点を実力で維持し抜き（4、8、16各号館）、革マルとの対峙状況を作り出し、文学部での徹底したレジスタンスを貫徹する」ことであり「5月下旬学生大会の勝利」であった。6月の課題としてあげられているのは「国家権力の攻撃に対して反撃する」「全学総長団交を実現する」「73年度早稲田祭実行委員会を結成する」「自治委員選挙〜新執行部樹立」の4点である。&lt;br /&gt;
:この4点を実現するために何をなすべきかについては、「各クラスの連絡態勢を今一度点検し、各クラスから行動隊を必ず出そう」と提起している。また、この中では「持久戦〜レジスタンスを貫徹する」という表現が使われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【暴力について】'''&lt;br /&gt;
:この連名のビラには、18日の革マルと反帝学評との衝突について次のような「追記」がされている。&lt;br /&gt;
:「5月18日の事態について。まず基本的に我々とは関係のないこと、そして我々の運動の原則とは逸脱していることを確認しよう。勿論我々は革マルに対して一文のキャンパスを暴力的に制圧されているという現状を踏まえるならば、自らの運動は自らで守り抜く、一人に対するテロは全員に対するテロと見なすという立場から、最低限自らの命を守るため、革マルの情宣集会を一切許さないという立場から、大衆的な暴力的な反撃を展開する必要があることは言うまでもない。僕たちは一般的に暴力を否定しない。軽々しく暴力追放などという遠ぼえなど言わない。今、暴力は復権されなければならない。強いられた存在の一つの行動様式として、暴力＝肉体性の発現はあるのだから、そういう行為は、共同性の一形態であるだろう。」&lt;br /&gt;
:この意味するところは、執行部主体の活動における暴力（編註：武装による自衛、あるいは革マルに対する反撃）は、運動を推進するためには必要であるとする意志の表明であった。&lt;br /&gt;
:一方で、一文学生自治会執行委員会の名前によるビラには、暴力を防ぐことへの言及が頻出するようにもなった。&lt;br /&gt;
:「文学部一人一人の学友に訴える」と題したビラには「我々の大学を暴力のない真に自由な学園にするために闘い続けなければならない」として次の5項目をあげている。&lt;br /&gt;
::1．キャンパス内等で、学友が革マル派学生に囲まれた場合、最低限見守っていること。そして暴力的事態を未然に防ぐこと。&lt;br /&gt;
::2．一人一人の学友をクラスで暴力から守ること。&lt;br /&gt;
::3．クラス討論で様々な内部の問題、矛盾を積極的に話し合うこと。&lt;br /&gt;
::4．鉄パイプを見つけた場合は、すぐに8号館に通報して欲しい。&lt;br /&gt;
::5．10時以後、授業の前に8号館にクラスに撒くビラを取りに来て欲しい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1cYBan0dCHQm66O5lXpaoenaXm07py9Ck/view?usp=sharing 方針提起]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1YgomSCN-yiFbVf6NG10qwYVq3Si3bIIZ/view?usp=sharing 革マルのテロを突破し、6月総反撃へ]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1DUX8kMcxYejjYqB6Wm3G3w-UTUGKTjfW/view?usp=sharing 6月総反撃を準備しよう]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/160LWihMkqe_JyLxIjxQUue6yP6tGt428/view?usp=sharing 全力で＜虐殺＞を弾劾せよ！]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B45%E6%9C%8818%E6%97%A5%EF%BC%88%E9%87%91%EF%BC%89_%E6%9D%91%E4%BA%95%E7%B7%8F%E9%95%B7%E3%81%8C%E3%80%81%E3%82%BB%E3%82%AF%E3%83%88%E9%96%93%E6%8A%97%E4%BA%89%E3%81%A8%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E3%82%92%E9%81%BA%E6%86%BE%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E5%A3%B0%E6%98%8E%E3%82%92%E7%99%BA%E8%A1%A8%E3%80%82&amp;diff=1211</id>
		<title>1973年5月18日（金） 村井総長が、セクト間抗争と暴力を遺憾とする声明を発表。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B45%E6%9C%8818%E6%97%A5%EF%BC%88%E9%87%91%EF%BC%89_%E6%9D%91%E4%BA%95%E7%B7%8F%E9%95%B7%E3%81%8C%E3%80%81%E3%82%BB%E3%82%AF%E3%83%88%E9%96%93%E6%8A%97%E4%BA%89%E3%81%A8%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E3%82%92%E9%81%BA%E6%86%BE%E3%81%A8%E3%81%99%E3%82%8B%E5%A3%B0%E6%98%8E%E3%82%92%E7%99%BA%E8%A1%A8%E3%80%82&amp;diff=1211"/>
				<updated>2026-09-09T08:30:59Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:団交中止に関して、村井資長総長が声明を発表。セクト間抗争と暴力は大学崩壊を招くと、教職員および学生に再考を促した。昼過ぎには一文中庭にいた革マル十数人に青ヘルメット、鉄パイプで武装した反帝学評40名が殴りかかり、革マル二人が頭を割られ重傷、一人が軽傷を負った。さらに青ヘル部隊は学館に向かい内部にいた革マルと乱闘。同時刻、別の青ヘル60名が3号館前でビラを配布中の革マルに襲いかかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【村井総長「誠に遺憾」と声明発表】'''&lt;br /&gt;
:17日の団交中止に関して村井総長が声明を発表した。&lt;br /&gt;
:「私は、この大学混迷のときに、話し合い集会をもって反省と新たな前進への転機を求めようとした。それにもかかわらず、その機が熟さず、かえって不測の混乱が予想されるに至り、集会を取り止めにせざるを得なかったことを悲しみ、また、集会を取り止めたことが、却って学生諸君の中に大学への不信の念を生み出したのであれば、誠に遺憾である。私は、その不明の謗りを甘んじて受けるものである。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:16日の団交中止発表以来、大学当局には積極的に話し合いを求める姿勢があるとする言い回しが頻出するようになる。&lt;br /&gt;
:一方で、「暴力の否定と排除」に努めていることを強調しながら、革マル派の動きと川口君事件をきっかけに始まった運動を「力の論理」として押さえ込もうという意図が露骨になってくる。&lt;br /&gt;
:「この間、大学は一貫して暴力の否定と排除につとめ、これに代る理性への信頼を基調とした人間関係、集団関係の確立について、およばずながら努力しつづけてきた。しかしながら、いまなお、『力の論理』を信奉する学生セクトによる暴力が横行し、人身傷害行為が続発していることは許すことのできない不幸な事態といわなければならない。いま学園は、自治会問題をめぐって、セクト間や、セクトに属さぬ学生をもまきこんだ暴力がまかりとおり、理性による対話の場が極めて成り立ち難い状況におかれている。暴力を肯定すれば、理性が失なわれ、大学は崩壊への道をたどるほかはない。大学正常化への道は、学生間は勿論のこと、学生と学部教授会、あるいは大学当局との相互理解によってのみ切り開かれるのである。（中略）学園における各学部の自治会問題には、学外者を含むセクト間の抗争が非常に大きな影響を与えているということを、学園の全員が再認識してもらいたい。そして、その認識の上にたって、問題解決への道がいかにけわしいものであるか、また、果してその道がどこに求められるべきかを、真剣に考えられんことを切に期待するものである。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:少なくとも5月17日の時点までは、鉄パイプを使った無差別襲撃等の暴力の行使は革マル派による一方的なものであった。しかしながら、事実はそうであったにもかかわらず、総長をはじめとする大学当局の発言では、あたかも暴力行使が双方からあったかのように表現されている。故意に歪曲されていたと推測する根拠は、警備を依頼された現場の警察官の証言による。5月17日に逮捕された被告の裁判記録には、以下のような証言があった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:検察官側の証人である萩原寅次は「革マル派と反革マル派のトラブルは、当時（昭和48年5月8日当時）連日のように続いた」「5月の連休が明けたころからトラブルが続いており、革マル派が集まっているところに反革マル派が押しかけたということもあったようです」「現実に（革マル派側に）負傷者も出ています」と述べ、また金子幸雄は「昨年（昭和47年）11月以降、早稲田大学構内で革マル派、反革マル派両派の内ゲバがあって、そのたびに警戒配備に出動し、その際両派の衝突を実際に見ている」「反革マル派学生が革マル派学生に対して攻撃をかけたということを聞いている。革マル派学生を（原文ママ）反革マル派とが、主導権を握る為には生命を辞さないという意気込みで、互いにやっていると聞いている。そういうことは、去年11月ころから今年にかけてしょっちゅうでした。反革マル派が革マル粉砕ということはよく言っていた」「竹竿や旗竿を持って追いかけまわしているのは見ました」と供述。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:また、5月17日に関しては、昭和48年5月16日、前記のとおり翌17日に予定されていた村井総長と学生らとの集会をやめる旨を発表したのを契機として、これに不満の念を抱く反革マル派の学生らが、その17日に革マル派に対して攻撃を加えるおそれがあるという情報が入ったので、そのような情勢に対処するため、所轄戸塚警察署においては即日同署に「現場警備本部を設置し、署長松浦洋治が本部長となって部隊の編成を行ない、警戒警備の体制を整えた」と、当日の警備が革マル派を反革マル派の攻撃から守るために行われたという、驚くべき証言になっている。前述の警官2名の供述にも「あったようです」「聞いている」と伝聞情報に基づく認識が示されており、ここでは「情報が入った」とされている。誰によって提供された情報なのか。当時、「KK（警察＝革マル）連合」「KKT（警察＝革マル＝当局）連合」という表現が揶揄的に使われていたが、事実はもっと根深いつながりだったようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【セクト間抗争の背景】'''&lt;br /&gt;
:たしかにこの時期になると行動委系の黒ヘルに混じって赤ヘル、青ヘルが散見されるようになった。11.8を端緒として始まった自治会再建運動の支援の立場をとる彼等は、第二次早稲田闘争を経験した、ある意味筋金入りの闘士であった。数において優勢だった革マルの前に旗をたたみ姿を消していた数年間を経て再び学内に登場することは、直接的な衝突のあるなしにかかわらず、彼等にとっては実戦であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:5.17を前に叛旗が作成した討論資料には、当局に対する告発が並ぶ。&lt;br /&gt;
:「大学当局は、『今回の事件を契機として盛り上がった学生諸君の自治会再建への意欲を尊重し、真に全学生の総意を反映する自治会再建へ向って、学生諸君ひとりひとりが真摯な努力を積み重ねてゆくことを心から期待するものである』という〈たてまえ〉と国家権力＝機動隊の導入による闘争の直接的な圧殺、試験強行、ロックアウトによる学生の分断、新自治会の未承認（結果的にあるいは意図的にカクマルを擁護している）等々による現実の大衆M（編注：運動）の高揚を何としても圧殺し、収拾したいという〈ほんね〉の使い分けを駆使しつつ、大学秩序の『正常化』＝支配を貫徹せんとしている。（中略）大学当局＝村井は、川口君虐殺への『重大な意味を深く理解し』『暴力の否定』を強調し、これまでカクマルとゆ着し、カクマルの暴力を黙認してきたことの責任を一切回避し自己批判もせず清算し、自らの手を汚すことなく、権力＝機動隊の導入をカクマルに対してではなく、大衆運動の圧殺のためにのみ導入し、文字通り最も悪質な暴力を行使している。ここに我々は戦後民主主義者の理念の虚妄性と現実過程における取捨の論理＝プラグマティズムの暴力的な貫徹の姿を見ることができる。」&lt;br /&gt;
:また、反帝学評が「5.30革マル全関東総力動員100を早稲田で撃滅！」のビラには「我々は5月30日、この間早大解放闘争に敵対してきた革マル派の最後に残った全関東動員の宗派部隊100名を、早大本部構内での正規軍戦をもって粉砕した」とし、さらに「この闘いこそは我々の手によって切り拓かれた『革マルの敵対の実力粉砕を通しての早稲田解放』の展望を、日共＝民青の敵対と中核派の完全逃亡の中、鮮明に突き出すと同時に、日本学生運動の階級的統一を成し遂げる最良最強の部隊の何たるかをも、全人民の前に明らかにした」と続く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:後日「文責T」の署名で出された「早稲田を叛乱の炎で蔽い尽くし、虚飾の碧雲を深紅に染めよ！」と題したビラには「党派による軍事力代行」の文言が見える。&lt;br /&gt;
:「4月4日に始まる革マルの一連の武装襲撃に対して何ら軍事的観点からの反撃態勢を構築し得なかったWACの部隊は、5月8日の『総長』団交以後、革マルの密集したテロの前に学内活動の放棄を余儀なくされていた。そして17日の『総長』再団交へ登りつめる過程は、実行部隊の形成をほとんど語ることなく、形成を整えるためや必然性のないスケジュールの設定によって貴重な時間が無駄に費やされていった。すでに4月21日の一文学生大会の防衛が社青同解放派と共産同叛旗派の党派部隊によってその軍事力を代行されていたことの否定的意味とそれを克服する展望がこのとき最も切実に問われていたにもかかわらず、誰もそのことに答えることができなかったのである。17日夕方近く、弾圧のすきをくぐって大隈講堂前に結集したWACを中心とする隊列は、本部突入直後、待ち構えた革マル全国かき集め部隊の襲撃の前に蹴散らされ、再びは本部に入らなかった。圧倒的な数の学友を結集させたにもかかわらずすでにWACの部隊は崩壊しており、その弱体を決定的な段階で露呈する結果になったのである。このときすでにWACはその任務を終えたのであり、これ以降WACは党派の諸君に主導権を握られ、運動全体にとって桎梏物に成り下がって行くのである。」&lt;br /&gt;
:また、この日あった反帝学評による革マル襲撃に関しては「18日の社青同解放派による革マル奇襲は、WACの軍事的弱体を見限っての行動であっただろう」としている。&lt;br /&gt;
:当局が、セクト間抗争を強調する一方で、新自治会を目指す運動の中にも、支援する党派に対する抵抗感と依存せざるを得ない無力感が交錯していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【一文執行委員会の呼びかけ】'''&lt;br /&gt;
:「現状において文学部キャンパスにおけるビラ撒きなど情宣活動が極度に不足している。その主な原因は、中心になって運動を支えてきたクラスの学友が自由に文学部に入れないことにある。中心になってきたクラス、学友は、革マルの鉄パイプの中を文学部キャンパスに行く▲▲努力している。我々の運動は皆でやっていく運動だということをふまえ、全ての学友諸君に次の具体的行動を▲▲した。（▲▲は判読不能）&lt;br /&gt;
::１）キャンパス等で学友が革マル派学生に囲まれた場合、最低限度見守っていること。そして暴力的事態を未然に防ぐこと&lt;br /&gt;
::２）一人一人の学友をクラスで暴力から守ること。&lt;br /&gt;
::３）クラス討論で様々な内部の問題、矛盾を積極的に話し合うこと&lt;br /&gt;
::４）鉄パイプ等を見つけた場合は、すぐ8号館に通報して欲しい&lt;br /&gt;
::５）10時以降、授業の前に8号館にクラスに撒くビラを取りに来て欲しいということ。」&lt;br /&gt;
:このビラの最後は、「我々の運動は党派闘争ではない。文学部一人一人の学友の力で、文学部を自由の場に解放していくための運動である。各々できる範囲でやっていこう」と結ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1esxZyJKfCeTOQqITSv_5r5n_KeMb1L9x/view?usp=sharing 早稲田を叛乱の炎で覆い尽くし、虚飾の碧雲を深紅に染めよ！]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1K6r6n0FRQHyhKR66fjUiqf6oKCSkQumn/view?usp=sharing 文学部一人一人の学友に訴える]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1xDIvwP-quq6niHcaipl20rg-uOj_BKG0/view?usp=sharing 総長団交勝利的に克ちとれ！]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B45%E6%9C%8810%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%A8%EF%BC%89%E5%95%86%E5%AD%A6%E9%83%A8%E5%AD%A6%E7%94%9F%E9%9B%86%E4%BC%9A%E3%80%82%E4%B8%80%E6%96%87%E8%87%AA%E6%B2%BB%E5%A7%94%E5%93%A1%E5%8D%94%E8%AD%B0%E4%BC%9A%E3%81%A7%E7%B7%8F%E9%95%B7%E5%9B%A3%E4%BA%A4%E3%81%A8%E8%87%AA%E6%B2%BB%E5%A7%94%E5%93%A1%E9%81%B8%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%97%E3%81%A6%E8%A8%8E%E8%AD%B0%E3%80%82&amp;diff=1210</id>
		<title>1973年5月10日（木）商学部学生集会。一文自治委員協議会で総長団交と自治委員選に関して討議。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B45%E6%9C%8810%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%A8%EF%BC%89%E5%95%86%E5%AD%A6%E9%83%A8%E5%AD%A6%E7%94%9F%E9%9B%86%E4%BC%9A%E3%80%82%E4%B8%80%E6%96%87%E8%87%AA%E6%B2%BB%E5%A7%94%E5%93%A1%E5%8D%94%E8%AD%B0%E4%BC%9A%E3%81%A7%E7%B7%8F%E9%95%B7%E5%9B%A3%E4%BA%A4%E3%81%A8%E8%87%AA%E6%B2%BB%E5%A7%94%E5%93%A1%E9%81%B8%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%97%E3%81%A6%E8%A8%8E%E8%AD%B0%E3%80%82&amp;diff=1210"/>
				<updated>2026-09-09T08:26:05Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:一文では自治委員協議会で、5.17総長団交へ向けて、各クラスから選出された委員による実体のある全学団交実行委員会の結成が話し合われた。また、新年度を迎え、新執行部選出の前提となる自治員選の実施も提案されたが、その後の経過については不明である。一文キャンパスでは、情宣ばかりでなくクラス討論も革マルによる妨害を受け、クラスの意志一致を図る機会が得がたくなってきていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:◎商学部学生大会（自治会費横流し糾弾）10号館109教室で予定も、革マルが内バリを築いたため8号館301教室に変更。定足数に達せず学生集会200名。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【商学部学生大会は学生集会に】'''&lt;br /&gt;
:この日予定されていた商学部学生大会は、革マルの妨害によって会場の変更を余儀なくされ、定足数に満たず学生集会となった。「早稲田キャンパス」177号によると集会では、商学部当局が凍結していた自治会費を革マル派常任委員会の請求に基づき支払ったという自治会費問題についての発言があり、今後これを「自治会費横流し」問題として取り上げていくことが決められた（5月7日を参照）。また、商学部の学部団交実現のため、各クラスから1名以上の実行委員選出他、17日の団交までに再度学生大会を開く旨の付帯決議が採択された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【自治委員協議会】'''&lt;br /&gt;
:5.17団交に向け、一文では各クラスの意見を集約するための自治委員協議会が開かれた。『一文有志の記録』によれば、参加したのは1年生13クラス、2年生12クラス、3年専修5（編註：いずれも旧学年）であった。ここでも5.8『総長』団交を実施した「全学団交実行委員会」の実体、存立基盤が問題となった。協議会では、5つの原則を確認した上で団交に参加する趣旨の決定がされた。&lt;br /&gt;
::1．学大等による大衆的な団実委の結成&lt;br /&gt;
::2．各クラスから1名の団交実行委員を選出&lt;br /&gt;
::3．各執行部、団実委で話し合い、全学団交実現に関する要求項目、運営方法について協議し、意志一致をする（5.17にはこだわらない）&lt;br /&gt;
::4．以上の点を守ることにより、各学部自治会の闘いを踏まえ、全ての自治会の確認の下に行う&lt;br /&gt;
::5．5.8団交の主催が全学団交実行委という実体のない名称を使用し、準備について大衆的な確認をとらなかったことを自己批判すること&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【自治委員選挙の実施】'''&lt;br /&gt;
:新学期を迎え、新執行部にとって在校生と新入生を自治会員として組織するための自治委員の選出は急務であった。自らが定めた9原則においても、当局の要求である5原則においても、新執行部は、クラスの総意を代表する自治委員によって選出されることとなっていたからである。ちなみに各クラスで自治委員選が成立するためには、成員数の過半数超の定足数を満たすことが要件となっていた。たとえば、成員数62の新2年D組では定足数32、成員数36の新2年J組では定足数19であった。&lt;br /&gt;
:自治委員選に先立って1月23日の一文学生大会で可決された仮規約に基づいて選挙管理委員を公募する趣旨のビラが残っている。仮規約によれば、選挙管理委員会は各クラス・専修1名を原則として20名で構成され、正副委員長各1名、書記2名を置く。また、他の一切の役職（たとえば自治委員）を兼任することはできないとされている。公募のビラには「選管委員は自治委員に立候補できないので、その点をよく考慮した上、クラス・専修ごとに選出してください」という付記がある。また、文学部キャンパスの出入りが事実上不可能だったことから選管事務所は暫定的に8号館ラウンジとされた。&lt;br /&gt;
:しかしながら、混乱を極めた文学部で選挙管理委員会が設けられ、自治委員が選出されたかを検証できる資料は見当たらない。ただ、自治委員協議会が開かれていることから、選挙は可能な限りにおいて実施され、クラス委員が選出されていたものと推測される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【クラス討論の呼びかけ】'''&lt;br /&gt;
:5.17を前に、一文新2年生の討論集会が呼びかけられた。8号館ロビーに集合とあることから、一文キャンパスでの活動が難しかったことがうかがえる。&lt;br /&gt;
:テーマの1つは5.17団交の要求課題の決定、さらに当局による試験攻勢に対する取り組みの2つであった。&lt;br /&gt;
:「去年来の私達の願望であった総長団交が5月17日に設定された。問題もあろうが、私達の要求課題をクラス討論やこの集会等で練りに練って臨む必要がある。そして5.17以降も私達の要求貫徹まで何度も討論を重ね、再団交、再々団交を設定していかなければならない。」&lt;br /&gt;
:試験については、「5月7日学部団交を貫徹できず、なし崩し的に試験強行を受け入れるような状況に陥ってしまった。そこにおいてあくまでも試験攻勢に抗（しようと）した人と消極的ながら試験を受け入れた人との分断状況。（ほとんどのクラスにおいては全員受験もしくは全員ボイコットして延期のどちらか）」であったため「分断しつつあるクラスを早急にクラス討論等によって再建しなければならない。自治会やその他の組織においても基礎になり根底になるのはクラスや専修であり、クラス・専修から自治会運動を推進していくのだ」と、クラスの重要性を強調している。&lt;br /&gt;
:新年度を迎え、旧2年生は仮進級とはいえ各専修へと分散し、事実上それまで活動の母体となっていたクラスは解体した。これによって、新1年生への情宣活動をはじめ運動を中心となって推し進めるなど、新2年生が担うべき課題は増した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1TUNSMtAAbE7yJ00nJJJ2YOSAgqNDEpRX/view?usp=sharing 一文自治会昭和48年度選挙管理委員公募]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1ph9ifVPfqCQugIJU_oRLeyVqYGbeqYWR/view?usp=sharing 一文2年生討論の輪を！]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B45%E6%9C%882%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%B0%B4%EF%BC%89_%E4%B8%80%E6%96%87%E3%81%AE%E5%AD%A6%E9%83%A8%E5%9B%A3%E4%BA%A4%E3%81%AB%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%A6%A8%E5%AE%B3%E3%80%82%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%AF7%E6%97%A5%E3%81%AE%E5%86%8D%E5%9B%A3%E4%BA%A4%E3%82%92%E7%A2%BA%E7%B4%84%E3%80%82&amp;diff=1209</id>
		<title>1973年5月2日（水） 一文の学部団交に革マルの妨害。当局は7日の再団交を確約。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B45%E6%9C%882%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%B0%B4%EF%BC%89_%E4%B8%80%E6%96%87%E3%81%AE%E5%AD%A6%E9%83%A8%E5%9B%A3%E4%BA%A4%E3%81%AB%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%A6%A8%E5%AE%B3%E3%80%82%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%AF7%E6%97%A5%E3%81%AE%E5%86%8D%E5%9B%A3%E4%BA%A4%E3%82%92%E7%A2%BA%E7%B4%84%E3%80%82&amp;diff=1209"/>
				<updated>2026-09-09T08:23:00Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:一文で開かれた学部団交の会場に革マル20名が乱入。議事が混乱する中で、7日の再団交開催と7日からの試験延期へ向けての“努力”が確約された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:◎一文181教室で学部団交集会500名。（4.21学生大会の決議による）&lt;br /&gt;
:■革マル20名が現れ、マイクを奪いコードを引きちぎるなどの妨害。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【一文で学部団交】'''&lt;br /&gt;
:「5月2日、文学部での学生大会の決議をふまえ、文学部181教室において一文執行委員は団交追求の集会を約500名の結集で開いた。これに対して革マル派20名が現われ、双方でマイクの取り合いがあった。3時過ぎ、五十嵐、柴田両教授を含む3名の教授が姿を現した。新執側は3名の教授を取り囲み、『ここに来た資格は』などと質問していると、一たん壇上を降りていた革マル派十数名が、再び壇上に上がり、新執側とこぜり合いを繰り返した。また新執側は五十嵐教授に『学部長の出席する団交』の確約を迫ったが、五十嵐教授は『努力する』とのみ答えた。その後新執側は壇上に座り込んだが、革マル派の妨害にあい、文学部キャンパスを離れ、8号館へ向い総括集会を持ち解散した。」（早稲田キャンパス177号）&lt;br /&gt;
:これまで団交には、学部を代表してメッセンジャー的役割の「十人委員会」が登場してきたが、この日は、学生担当ですらない五十嵐教授他が登壇。五十嵐教授が確約した内容は「5月7日に再び学部団交を持つこと」「7日の試験については延期する方向で努力する」の2点であった。詳細については、4日に予備折衝が予定された。（『一文有志の記録』から）&lt;br /&gt;
:これまで3回にわたる一文団交の概要は次の通り。&lt;br /&gt;
::12.5	浅井邦二学部長（当時）に対し、川口君虐殺の責任追及と11.13告示等への自己批判要求を行う。明快な発言はなく、学部団交・総長団交の確約はしたものの反故となった。&lt;br /&gt;
::1.29	学部長の代わりに十人委員会が登場し、団交を説明集会と称し、学部投票の条件を持ち出すなど、（学生）自治活動への介入の意図を露骨に示した。&lt;br /&gt;
::2.5	またもや登場した十人委員会は、学生が要求した6項目に対してなんら誠実な回答をしなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【文学部当局の功罪】'''&lt;br /&gt;
:団交に向けた一文団実委のビラには、11.8当日、川口君の拉致現場に出向きながらも革マルの前に為す術のなかった大学当局に対し「『平穏な』キャンパスで革マルの『常任委』によるテロ・リンチが日常茶飯事であったことを熟知していながら、そこから限りない恩恵を受けていた教授会の学生管理を徹底的に糾弾しなければならない。11.8川口君虐殺に対する教授会の一つの回答は、11.13告示という学生自治活動への露骨な介入・弾圧であった。革マルのテロ支配に補完された学生管理支配をしく当局こそが川口君虐殺の共犯者であることを隠蔽し、自らの責任を第三者面してのがれようとしている当局＝教授会を許すことはできない」と、その姿勢を糾弾した。11.13告示とは、自治会執行機関停止、自治会費凍結、自治会室閉鎖、三役処分をいい、いずれも革マル常任委に関わる処分であり、当局は「当分の間の措置」としていたが、実際にはそのまま継続され、新執行部の活動を制限するものとなった。&lt;br /&gt;
:加えて、冬休み、春休み、入試、期末試験等の学事日程を楯に、新執行部成立への五条件、十人委員会等をもって糾弾の矛先をかわし続けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1veL79vyq5F23PNBPuPEO_lReZ-aP5pJi/view?usp=sharing  5.2教授会団交に勝利せよ！]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B45%E6%9C%8829%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89_%E4%BB%96%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%A8%E3%81%AE%E5%85%B1%E9%97%98%E3%82%92%E8%A6%96%E9%87%8E%E3%81%AB%E5%85%A5%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%83%AC%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%81%AE%E5%87%BA%E3%81%9FWAC%E7%B7%8F%E4%BC%9A%E3%80%82&amp;diff=1199</id>
		<title>1973年5月29日（火） 他大学との共闘を視野に入れたレジュメの出たWAC総会。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B45%E6%9C%8829%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89_%E4%BB%96%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%A8%E3%81%AE%E5%85%B1%E9%97%98%E3%82%92%E8%A6%96%E9%87%8E%E3%81%AB%E5%85%A5%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%83%AC%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%81%AE%E5%87%BA%E3%81%9FWAC%E7%B7%8F%E4%BC%9A%E3%80%82&amp;diff=1199"/>
				<updated>2026-09-04T12:12:55Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:政経、教育、一文、法の各学部の行動委を連合したWACの総会が開かれた。詳細は不明だが、残されたレジュメには「全都、全国の支援共闘」という文言が加わっており、運動の局面に変化があったことがうかがわれる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:■革マル、第20回早稲田祭実行委員会、結成集会。&lt;br /&gt;
:◎WAC総会。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【WAC総会へ向けてのレジュメ】'''&lt;br /&gt;
:WAC総会のために準備されたレジュメが2つ残されている。一文行動委連合（準）によるものと早大反帝学生評議会によるものである。&lt;br /&gt;
:要約するとおおよそ次のような内容である。&lt;br /&gt;
:★一文行動委は、現状を、執行部、団実、行動委等で活動しようとする部分と、授業に埋没するいわゆる一般学生とに分断されており、その原因は、革マルによって活動が停止状態にあるためとした。それを打開するための手段は学内に結集空間の確保であるとし、学部・全学的課題として以下の項目を列挙した。&lt;br /&gt;
::・再団交（6月下旬）&lt;br /&gt;
::・学生大会→ストライキ（条件と期日の設定）&lt;br /&gt;
::・当局糾弾の実力行動&lt;br /&gt;
::・自治委員選、三役公選&lt;br /&gt;
::・早稲田祭実行委結成（四月祭総括、文連解放）&lt;br /&gt;
::・学内の共闘関係&lt;br /&gt;
::・全都、全国の支援共闘関係の点検整理&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:★反帝学評は、4月は鉄パイプテロなど革マルの出方に規定された展開となり、5月こそが総長団交等、当局との対決点を鮮明にする闘いの出発点となった総括し、6月以降の方針として「革マル、当局への反撃」「『早稲田解放闘争第三次早大闘争』の本格的構築」「一周忌のための陣形を作り上げる」の3つをあげた。そのための実行項目は次の通り。&lt;br /&gt;
::・自治会選挙→闘う執行部の確立&lt;br /&gt;
::・サークル・早稲田祭実行委結成&lt;br /&gt;
::・学大〜スト貫徹〜団交実現&lt;br /&gt;
::・号館自主管理（夜間ロックアウト粉砕）&lt;br /&gt;
::・早大支援共闘（全都、全国）&lt;br /&gt;
::・6.15実行委&lt;br /&gt;
::・学内拠点を確保し革マルへの攻勢を　学内制圧&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:そもそもWACの前身は、政経学部のPAC、文学部のLAC、教育学部のEAC、法学部のJACなど各学部に作られた行動委※で、それを統合したのが早大行動委WACである。その主な構成員は、在校生および二次闘争からの復帰組で、革マルによる攻撃に対抗する防衛を役割とした。&lt;br /&gt;
:ことに4月以降、個人攻撃も含め過激になった革マルの武装攻撃に対して、情宣、学大などで登場する際には、行動委に周囲を守られないと執行部は一文キャンパスに足を踏み入れることもかなわなくなった。まだ1月の段階ではヘルメットの着用をめぐる意見の食い違いもあったが、鉄パイプによる攻撃が日常化するに及んで、ほとんど議論の余地はなくなった。さらに、二次闘争の世代にとって武装は既成事実であり、そこへ背後の党派の支援が加わるとなれば、さらに本格化、先鋭化が進むことは必然だった。&lt;br /&gt;
:そうした旧世代の影響の色濃い武装闘争へ傾斜していく一方で、独自の防衛部隊を作る動きもあった。20名ほどの集団で、独自の武装訓練等を行い、一文キャンパスへの復帰を果たすことを目論んで活動した記録が残っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::※「行動委員会」を最初に組織したのは川口君のいた２Jで、行動委員会の定義を「一党一派に属するものではなく、クラス討論に参加する者、この問題について考え、何らかの行動をしようとする者の全てが委員会のメンバーであり、刻々と変化する状況に応じて、クラスの行動方針を決定していくという基本点をふまえた活動体」としている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1oQqrAcYkT-6MajibnJ2PlX5wSmufD2K3/view?usp=sharing WAC総会に向けて]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1Kk53BtvH7IaKa430l_gKRZ3HnueO-ie_/view?usp=sharing 各学部行動委ー団実ー自治会　合同フラク  その1]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1h7X7ecMiIOMaHonE4zoranDaCi-lfcWE/view?usp=sharing 各学部行動委ー団実ー自治会　合同フラク  その2]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1GKcWsa_i8gW6Y7SDUC3_j9ROa3smyu65/view?usp=sharing 各学部行動委ー団実ー自治会　合同フラク  その3]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B45%E6%9C%8819%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89_%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%A6%A8%E5%AE%B3%E3%81%A7%E4%B8%80%E6%96%87%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%B9%E3%81%AB%E5%85%A5%E3%82%8C%E3%81%9A%E3%80%82%E5%BD%93%E9%9D%A2%E3%81%AE%E6%8B%A0%E7%82%B9%E7%A2%BA%E4%BF%9D%E3%81%8C%E8%AA%B2%E9%A1%8C%E3%81%AB%E3%80%82&amp;diff=1198</id>
		<title>1973年5月19日（土） 革マルの妨害で一文キャンパスに入れず。当面の拠点確保が課題に。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B45%E6%9C%8819%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89_%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%A6%A8%E5%AE%B3%E3%81%A7%E4%B8%80%E6%96%87%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%B9%E3%81%AB%E5%85%A5%E3%82%8C%E3%81%9A%E3%80%82%E5%BD%93%E9%9D%A2%E3%81%AE%E6%8B%A0%E7%82%B9%E7%A2%BA%E4%BF%9D%E3%81%8C%E8%AA%B2%E9%A1%8C%E3%81%AB%E3%80%82&amp;diff=1198"/>
				<updated>2026-09-04T12:05:35Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:午前8時、革マル派40名が「小選挙区制粉砕、緊急ストライキ」を叫んでスロープの上に机・椅子でバリケードを築いた。実質上の検問体制により構内に入れないメンバーは、本部を拠点に、情宣活動の準備、会議等を行った。革マルの暴力的敵対に対し、武装による自衛やレジスタンスを呼びかけるビラも見られるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【拠点確保という課題】'''&lt;br /&gt;
:一文における活動の問題点は、門衛前を通りスロープあるいはその脇の階段以外に学内に入る道筋がないことだった。革マルは、学内外の勢力を寄せ集め、スロープの上にバリケードを築き、狭めた入口で実質的な検問を行った。これによって新執行部、行動委、団実委等のメンバーは構内に入れず情宣活動に支障が出ると同時に、クラス討論で発言するメンバーにとっても圧力となった。時には小競り合いとなったが、当局は傍観を決め込むだけだった。&lt;br /&gt;
:全学団交実行委のビラには、「4－6－8全学の各号館、文学部キャンパスを自らの手で奪還し、自主管理し、逃亡せんとする村井を実力で引きずり出そう！」とある。また、「方針提起」（文責L）と題したビラにも「当面学内拠点（4、16、8各号館）を実力で維持し、革マルをして学館－11号館に封じ込め、ゲリラ戦（レポ狩り）、投石戦を開始しよう。そうしたレジスタンスMを背景に、5月下旬学生大会を克ち取り、6月総反撃を開始しよう」とあり、文学部をはじめとする各学部の運動拠点が本部の4、16、8号館であったことがわかる。&lt;br /&gt;
:本部から文学部キャンパスへ移動する場合は、8号館脇の門から馬場下への坂道を上るか、16号館から西門を出て早稲田通りを馬場下に下る2つの道筋がある。直接の衝突はなくても互いの動きには目が離せず、本部と文学部キャンパス間ではレポの行き来が激しかった。「方針提起」にあるゲリラ戦とは「革マルを見たらすぐ通報し、石を投げること」とある。さらに各クラス単位で情宣隊、RC（レポセン）、救対、武装行動隊、読書会等の設置ならびにクラスごと、地域ごとに集団で行動することを提案している。&lt;br /&gt;
:実際に翌週5月24日には、高田馬場駅前で情宣中の一文執行部のメンバーが革マル20名に襲撃されている。（早稲田キャンパス178号）特定の個人あるいはクラス、グループへの攻撃はしだいに苛烈になり、行動範囲が限られるばかりでなく身の危険も伴うようになった。&lt;br /&gt;
:5月27日に早慶戦の開かれた明治神宮で配られた一文執行委員会、団交実行委員会連名のビラには、その状況が次のように書かれている。&lt;br /&gt;
:「一貫して居直り続け、暴力的敵対にのみ延命の道を見出している革マルは、4月・5月と『統一行動』の名の下に鉄パイプによるテロを再び開始し、全治1ヶ月の重傷を負った執行委員長樋田君を始めとして多くの学友を傷つけています。さらに5月19日には文学部に:バリケードを築き、学友を検問するという追いつめられた自らの本性を暴露しているのです。そういう状況の中で、昨年11月28日の学生大会の圧倒的な学友の意志を受けつぐ執行委員会の学友達は、文学部キャンパスでの活動を充分に行い得ていません。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【6月に向けて】'''&lt;br /&gt;
:早慶戦で配られたビラの見出しは、「革マルのテロを突破し、6月総攻撃へ！」である。また、同時期に一文自治会執行委員会と一文団交実行委員会連名でだされたビラにも「6月総攻撃を準備しよう」とある。&lt;br /&gt;
:展望の前提としてあるのは「全学団交実行委員会を軸に、当面学内での活動拠点を実力で維持し抜き（4、8、16各号館）、革マルとの対峙状況を作り出し、文学部での徹底したレジスタンスを貫徹する」ことであり「5月下旬学生大会の勝利」であった。6月の課題としてあげられているのは「国家権力の攻撃に対して反撃する」「全学総長団交を実現する」「73年度早稲田祭実行委員会を結成する」「自治委員選挙〜新執行部樹立」の4点である。&lt;br /&gt;
:この4点を実現するために何をなすべきかについては、「各クラスの連絡態勢を今一度点検し、各クラスから行動隊を必ず出そう」と提起している。また、この中では「持久戦〜レジスタンスを貫徹する」という表現が使われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【暴力について】'''&lt;br /&gt;
:この連名のビラには、18日の革マルと反帝学評との衝突について次のような「追記」がされている。&lt;br /&gt;
:「5月18日の事態について。まず基本的に我々とは関係のないこと、そして我々の運動の原則とは逸脱していることを確認しよう。勿論我々は革マルに対して一文のキャンパスを暴力的に制圧されているという現状を踏まえるならば、自らの運動は自らで守り抜く、一人に対するテロは全員に対するテロと見なすという立場から、最低限自らの命を守るため、革マルの情宣集会を一切許さないという立場から、大衆的な暴力的な反撃を展開する必要があることは言うまでもない。僕たちは一般的に暴力を否定しない。軽々しく暴力追放などという遠ぼえなど言わない。今、暴力は復権されなければならない。強いられた存在の一つの行動様式として、暴力＝肉体性の発現はあるのだから、そういう行為は、共同性の一形態であるだろう。」&lt;br /&gt;
:この意味するところは、執行部主体の活動における暴力（編註：武装による自衛、あるいは革マルに対する反撃）は、運動を推進するためには必要であるとする意志の表明であった。&lt;br /&gt;
:一方で、一文学生自治会執行委員会の名前によるビラには、暴力を防ぐことへの言及が頻出するようにもなった。&lt;br /&gt;
:「文学部一人一人の学友に訴える」と題したビラには「我々の大学を暴力のない真に自由な学園にするために闘い続けなければならない」として次の5項目をあげている。&lt;br /&gt;
::1．キャンパス内等で、学友が革マル派学生に囲まれた場合、最低限見守っていること。そして暴力的事態を未然に防ぐこと。&lt;br /&gt;
::2．一人一人の学友をクラスで暴力から守ること。&lt;br /&gt;
::3．クラス討論で様々な内部の問題、矛盾を積極的に話し合うこと。&lt;br /&gt;
::4．鉄パイプを見つけた場合は、すぐに8号館に通報して欲しい。&lt;br /&gt;
::5．10時以後、授業の前に8号館にクラスに撒くビラを取りに来て欲しい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1cYBan0dCHQm66O5lXpaoenaXm07py9Ck/view?usp=sharing 方針提起]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1YgomSCN-yiFbVf6NG10qwYVq3Si3bIIZ/view?usp=sharing 革マルのテロを突破し、6月総反撃へ]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1DUX8kMcxYejjYqB6Wm3G3w-UTUGKTjfW/view?usp=sharing 6月総反撃を準備しよう]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/160LWihMkqe_JyLxIjxQUue6yP6tGt428/view?usp=sharing 全力で＜虐殺＞を弾劾せよ！]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B45%E6%9C%8819%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89_%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%A6%A8%E5%AE%B3%E3%81%A7%E4%B8%80%E6%96%87%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%B9%E3%81%AB%E5%85%A5%E3%82%8C%E3%81%9A%E3%80%82%E5%BD%93%E9%9D%A2%E3%81%AE%E6%8B%A0%E7%82%B9%E7%A2%BA%E4%BF%9D%E3%81%8C%E8%AA%B2%E9%A1%8C%E3%81%AB%E3%80%82&amp;diff=1197</id>
		<title>1973年5月19日（土） 革マルの妨害で一文キャンパスに入れず。当面の拠点確保が課題に。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B45%E6%9C%8819%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89_%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%A6%A8%E5%AE%B3%E3%81%A7%E4%B8%80%E6%96%87%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%B9%E3%81%AB%E5%85%A5%E3%82%8C%E3%81%9A%E3%80%82%E5%BD%93%E9%9D%A2%E3%81%AE%E6%8B%A0%E7%82%B9%E7%A2%BA%E4%BF%9D%E3%81%8C%E8%AA%B2%E9%A1%8C%E3%81%AB%E3%80%82&amp;diff=1197"/>
				<updated>2026-09-04T11:57:54Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:午前8時、革マル派40名が「小選挙区制粉砕、緊急ストライキ」を叫んでスロープの上に机・椅子でバリケードを築いた。実質上の検問体制により構内に入れないメンバーは、本部を拠点に、情宣活動の準備、会議等を行った。革マルの暴力的敵対に対し、武装による自衛やレジスタンスを呼びかけるビラも見られるようになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【拠点確保という課題】'''&lt;br /&gt;
:一文における活動の問題点は、門衛前を通りスロープあるいはその脇の階段以外に学内に入る道筋がないことだった。革マルは、学内外の勢力を寄せ集め、スロープの上にバリケードを築き、狭めた入口で実質的な検問を行った。これによって新執行部、行動委、団実委等のメンバーは構内に入れず情宣活動に支障が出ると同時に、クラス討論で発言するメンバーにとっても圧力となった。時には小競り合いとなったが、当局は傍観を決め込むだけだった。&lt;br /&gt;
:全学団交実行委のビラには、「4-16-8全学の各号館、文学部キャンパスを自らの手で奪還し、自主管理し、逃亡せんとする村井を実力で引きずり出そう！」とある。また、「方針提起」（文責L）と題したビラにも「当面学内拠点（4、16、8各号館）を実力で維持し、革マルをして学館－11号館に封じ込め、ゲリラ戦（レポ狩り）、投石戦を開始しよう。そうしたレジスタンスMを背景に、5月下旬学生大会を克ち取り、6月総反撃を開始しよう」とあり、文学部をはじめとする各学部の運動拠点が本部の4、16、8号館であったことがわかる。&lt;br /&gt;
:本部から文学部キャンパスへ移動する場合は、8号館脇の門から馬場下への坂道を上るか、16号館から西門を出て早稲田通りを馬場下に下る2つの道筋がある。直接の衝突はなくても互いの動きには目が離せず、本部と文学部キャンパス間ではレポの行き来が激しかった。「方針提起」にあるゲリラ戦とは「革マルを見たらすぐ通報し、石を投げること」とある。さらに各クラス単位で情宣隊、RC（レポセン）、救対、武装行動隊、読書会等の設置ならびにクラスごと、地域ごとに集団で行動することを提案している。&lt;br /&gt;
:実際に翌週5月24日には、高田馬場駅前で情宣中の一文執行部のメンバーが革マル20名に襲撃されている。（早稲田キャンパス178号）特定の個人あるいはクラス、グループへの攻撃はしだいに苛烈になり、行動範囲が限られるばかりでなく身の危険も伴うようになった。&lt;br /&gt;
:5月27日に早慶戦の開かれた明治神宮で配られた一文執行委員会、団交実行委員会連名のビラには、その状況が次のように書かれている。&lt;br /&gt;
:「一貫して居直り続け、暴力的敵対にのみ延命の道を見出している革マルは、4月・5月と『統一行動』の名の下に鉄パイプによるテロを再び開始し、全治1ヶ月の重傷を負った執行委員長樋田君を始めとして多くの学友を傷つけています。さらに5月19日には文学部に:バリケードを築き、学友を検問するという追いつめられた自らの本性を暴露しているのです。そういう状況の中で、昨年11月28日の学生大会の圧倒的な学友の意志を受けつぐ執行委員会の学友達は、文学部キャンパスでの活動を充分に行い得ていません。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【6月に向けて】'''&lt;br /&gt;
:早慶戦で配られたビラの見出しは、「革マルのテロを突破し、6月総攻撃へ！」である。また、同時期に一文自治会執行委員会と一文団交実行委員会連名でだされたビラにも「6月総攻撃を準備しよう」とある。&lt;br /&gt;
:展望の前提としてあるのは「全学団交実行委員会を軸に、当面学内での活動拠点を実力で維持し抜き（4、8、16各号館）、革マルとの対峙状況を作り出し、文学部での徹底したレジスタンスを貫徹する」ことであり「5月下旬学生大会の勝利」であった。6月の課題としてあげられているのは「国家権力の攻撃に対して反撃する」「全学総長団交を実現する」「73年度早稲田祭実行委員会を結成する」「自治委員選挙〜新執行部樹立」の4点である。&lt;br /&gt;
:この4点を実現するために何をなすべきかについては、「各クラスの連絡態勢を今一度点検し、各クラスから行動隊を必ず出そう」と提起している。また、この中では「持久戦〜レジスタンスを貫徹する」という表現が使われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【暴力について】'''&lt;br /&gt;
:この連名のビラには、18日の革マルと反帝学評との衝突について次のような「追記」がされている。&lt;br /&gt;
:「5月18日の事態について。まず基本的に我々とは関係のないこと、そして我々の運動の原則とは逸脱していることを確認しよう。勿論我々は革マルに対して一文のキャンパスを暴力的に制圧されているという現状を踏まえるならば、自らの運動は自らで守り抜く、一人に対するテロは全員に対するテロと見なすという立場から、最低限自らの命を守るため、革マルの情宣集会を一切許さないという立場から、大衆的な暴力的な反撃を展開する必要があることは言うまでもない。僕たちは一般的に暴力を否定しない。軽々しく暴力追放などという遠ぼえなど言わない。今、暴力は復権されなければならない。強いられた存在の一つの行動様式として、暴力＝肉体性の発現はあるのだから、そういう行為は、共同性の一形態であるだろう。」&lt;br /&gt;
:この意味するところは、執行部主体の活動における暴力（編註：武装による自衛、あるいは革マルに対する反撃）は、運動を推進するためには必要であるとする意志の表明であった。&lt;br /&gt;
:一方で、一文学生自治会執行委員会の名前によるビラには、暴力を防ぐことへの言及が頻出するようにもなった。&lt;br /&gt;
:「文学部一人一人の学友に訴える」と題したビラには「我々の大学を暴力のない真に自由な学園にするために闘い続けなければならない」として次の5項目をあげている。&lt;br /&gt;
::1．キャンパス内等で、学友が革マル派学生に囲まれた場合、最低限見守っていること。そして暴力的事態を未然に防ぐこと。&lt;br /&gt;
::2．一人一人の学友をクラスで暴力から守ること。&lt;br /&gt;
::3．クラス討論で様々な内部の問題、矛盾を積極的に話し合うこと。&lt;br /&gt;
::4．鉄パイプを見つけた場合は、すぐに8号館に通報して欲しい。&lt;br /&gt;
::5．10時以後、授業の前に8号館にクラスに撒くビラを取りに来て欲しい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1cYBan0dCHQm66O5lXpaoenaXm07py9Ck/view?usp=sharing 方針提起]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1YgomSCN-yiFbVf6NG10qwYVq3Si3bIIZ/view?usp=sharing 革マルのテロを突破し、6月総反撃へ]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1DUX8kMcxYejjYqB6Wm3G3w-UTUGKTjfW/view?usp=sharing 6月総反撃を準備しよう]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/160LWihMkqe_JyLxIjxQUue6yP6tGt428/view?usp=sharing 全力で＜虐殺＞を弾劾せよ！]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B44%E6%9C%882%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%89%E5%85%A5%E5%AD%A6%E5%BC%8F%E3%80%82%E7%B7%8F%E9%95%B7%E5%9B%A3%E4%BA%A4%E8%A6%81%E6%B1%82%E3%81%AF%E6%9E%9C%E3%81%9F%E3%81%9B%E3%81%9A%E6%96%B0%E5%85%A5%E7%94%9F%E3%81%A8%E8%A8%8E%E8%AB%96%E9%9B%86%E4%BC%9A%E3%82%92%E6%8C%81%E3%81%A4%E3%80%82&amp;diff=1196</id>
		<title>1973年4月2日（月）入学式。総長団交要求は果たせず新入生と討論集会を持つ。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B44%E6%9C%882%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%89%E5%85%A5%E5%AD%A6%E5%BC%8F%E3%80%82%E7%B7%8F%E9%95%B7%E5%9B%A3%E4%BA%A4%E8%A6%81%E6%B1%82%E3%81%AF%E6%9E%9C%E3%81%9F%E3%81%9B%E3%81%9A%E6%96%B0%E5%85%A5%E7%94%9F%E3%81%A8%E8%A8%8E%E8%AB%96%E9%9B%86%E4%BC%9A%E3%82%92%E6%8C%81%E3%81%A4%E3%80%82&amp;diff=1196"/>
				<updated>2026-09-04T11:43:36Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:本部前で4.2新入生連帯全学総決起集会の後、入学式の開かれる記念会堂がある一文キャンパスへ向かう。途中、前方にいたヘルメット部隊が機動隊によって鶴巻公園へ誘導されたが、規制を振り切って記念会堂へ。壇上の村井総長に団交を迫ろうとしたが阻まれ、目的は果たせなかった。新入生から「帰れ」の声を浴びながらも、説得を続けるうちに新入生からも発言があり、討論の輪が広がった。革マルはヘルメット姿で “闘う自治会”を打ち出して新歓集会。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:◎入学式。総長団交要求には失敗するも、一部新入生との連帯集会。&lt;br /&gt;
:■革マルはヘルメット姿で「新入生連帯総決起集会」。相変わらず「闘う自治会」を主張。理工学部に鉄パイプ武装部隊200名を待機させる。&lt;br /&gt;
:■午前11時過ぎ、地下鉄東西線高田馬場駅の構内で集会中の中核派を革マル派が襲う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【4.2新入生連帯全学総決起集会～入学式】'''&lt;br /&gt;
:●黒ヘル＆ノンヘル混合&lt;br /&gt;
::前日開かれた4.1全学集会で正式に結成された4.2集会実行委員会の主催、全学団交実行委員会の呼び掛けによる新入生連帯全学総決起集会が、午前10時から本部図書館前で開かれた。集会に参加したのは、一文・政経・教育の各自治会（二文はオブザーバー参加）、一文・二文・政経・法・教育・社学の各行動委員会、一文・二文団交実行委員会、政経・教育のスト団交実行委員会、11.8サークル連絡会議で、新執行部系のノンヘルと実行委系の黒ヘルの混合部隊であった。&lt;br /&gt;
::入学式介入の目標が（1）当局を糾弾し村井総長に全学団交の確約を迫る（2）新入生に川口君虐殺の真相とその後の運動を報告し新入生との連帯を図るという2点であることを確認。旗ザオを含めた黒ヘル90人の第一集団に続いて黒ヘル80人の第二集団、ノンヘル80人の第三集団がデモ隊列を組み一文キャンパスの記念会堂に向かった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●機動隊の規制&lt;br /&gt;
::体育局〜馬場下〜正門一帯合わせて約25台の装甲車および4台の放水車その他小型車多数。&lt;br /&gt;
::文学部に向かうデモ隊は馬場下で機動隊の規制によって進行を阻まれ、舗道に押し上げられた黒ヘルの第一・第二集団は、機動隊に挟まれたサンドイッチ状態で鶴巻公園まで連れて行かれた。黒ヘルに続いて記念会堂に向かっていたノンヘルの第三集団は、隊列を解いて機動隊の規制を逃れ文学部キャンパスに到着。記念会堂前で新入生への情宣を行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●革マルの動き&lt;br /&gt;
::9時半過ぎから「新入生連帯総決起集会」を開き、「一文常任委」の名前で「第一文学部及び早大全学の全ての自治会諸団体に統一行動の実現を呼びかける」と題したビラを配布した。集まったのは、他大学の同盟員を含めた旗ザオ・白ヘル約80人。理工学部に鉄パイプで武装した200名が待機。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●黒ヘル走る&lt;br /&gt;
::鶴巻公園の出口4カ所を封鎖され軟禁状態だった黒ヘル部隊は、唯一開いていた出口へ向かって走り、機動隊の追跡を振り切って脱出。隊列を乱したまま文学部キャンパスへ向かった。機動隊の規制が予想された馬場下交差点では全員が一斉に走り出し、一気に記念会堂へなだれ込んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●記念会堂内では&lt;br /&gt;
::記念会堂前で情宣を行ったノンヘル部隊は、黒ヘル部隊が機動隊の規制で文学部キャンパスに入れないと判断し、11時20分頃プラカードを掲げて2階入口から記念会堂内に入り、演壇の下に座り込んだ。村井総長の式辞が終わるのを待って糾弾発言を行うというのが、ノンヘル部隊の合意だった。しかし、一文キャンパスに着いた黒ヘル部隊は、直ちに2階入口から会場に突入し、ノンヘル部隊の説得を振り切って一気に演壇に駆け上がった。折しも式辞の最中だった村井総長は、黒ヘル部隊と当局関係者がもみ合っている隙に、壇上の教職員とともにガードマンに守られてその場を離れた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●「帰れ！帰れ！」の声を浴びて&lt;br /&gt;
::予期せぬ出来事に新入生の間からは「帰れ！帰れ！」の声があがった。マイクの切れた会場では、壇上からの「聞いてくれ！」の声もかき消され、会場を去る新入生もではじめた。「なぜ入学式をつぶすのか！」と迫る新入生に、「つぶすのが目的ではなく、川口君虐殺の真実と早稲田解放の闘いを伝えたかったからだ」と、一部のメンバーはヘルメットを取り壇上を降りて新入生の間に入った。ハンドマイクが届くと、川口君の同級生が、事件の経緯と生前の川口君のことを語った。これを機に会場は落ち着き、残った約1000名の新入生との討論集会が実現した。この時、川口君追悼学生葬の時の録音テープが流された。その後、討論会場を本部へ移し3時頃まで集会・デモを行った後、16号館で総括集会を開いた。&lt;br /&gt;
::（昭和48年4月10日付早稲田キャンパス第176号より抜粋）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【当初のイメージ】'''&lt;br /&gt;
:入学式への介入については、当初のイメージがあったことが『一文有志の記録』に残されている。&lt;br /&gt;
:「我々の当初のイメージとしては、整然と入学式に介入し、最前列において新入生への情宣、さらには総長に発言を要求し、新入生に対してアピールして、討論が出来ればした後退場する予定であった。」&lt;br /&gt;
:これは、自治委員総会で話し合われて決定されたことで、「新入生に背を向けて総長とやり合うことは新入生を象徴的に無視することであり、してはならないこと」という考えに基づいていた。また、この考えが受け入れられない限り、一文執行委員会としては4.2実行委員会に正式に参加しないことも確認されていた。こうした方針が決定された背景には、入学式当日に革マルが武装敵対してくることはないという情況判断があった。ところが前日の全学最高戦術会議では、革マルがどのような形で敵対してくるか予想できない状況では、部隊単位で敏速に動き、かつゲリラ的に部隊を守るように行動し、会場に突入して総長に団交要求を呑ませるしかないという提起がされ、討論の末それが通った。情況判断が真っ向から違ったのである。よって一文執行委員会としては、先の確認にしたがって4.2実行委員会への正式参加を留保することとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【4.2集会実行委員会の総括】'''&lt;br /&gt;
:後日、4.21学生大会議案書に添付された「4.2集会実行委員会の総括」には次のようにある。「春休みでわれわれの活動に限界性があったことを考慮するとしても、現実的にそれが各学部の執行委員会、行動委員会、スト団実委のみの共闘の場と化してしまったことは、4.2集会そのものの限界性を生み出してしまった最大の原因ではなかったかと考える。また、執行部の問題で言えば、商、法、社会科学部三学部の執行委員会が実行委員会に参加しなかったことは、さまざまな意識を含んだわれわれの運動の共闘連帯がいかに困難かを物語っている。われわれはそれらの困難な課題をすべて大衆的に克服していかねばならない。少なくともその努力を怠れば、それはたちまち〈セクト主義〉に陥ってしまうと考える。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【実行委員会の位置づけ】'''&lt;br /&gt;
:4.2実行委員会と一文執行委員会の意見の相違は、当日の黒ヘル部隊とノンヘル部隊という形で現れた。さらに機動隊の規制によって黒ヘル部隊が切り離されたことで全体の指揮が乱れた。遅れを取り戻そうと全力で走った黒ヘル部隊に勢いがついたことも、結果として新入生に背を向けることになってしまった。&lt;br /&gt;
:「そもそも4.2実行委の呼びかけ団体は各執行部の内部機関である団交実行委であり、それに対して各学部行動委、全学行動委、C連が応えた形であり、執行部の意志決定がされる前に各機関が勝手に動き出すという極めてアイマイなものであった。」（『一文有志の記録』から）&lt;br /&gt;
:前述の「4.2集会実行委員会の総括」には、実行委の位置づけについて「現在、執行委の統一見解というべきものはない」としたうえで、執行委内にあったいくつかの見解をあげている。&lt;br /&gt;
:1．実行委員会は総会決議に基づき、学生総体の利益を擁護する自治会の一機関とし、規約上は“特別委員会”として位置づけられ、個別の闘争課題を専門的に担い追求するために設置される。それは個別の課題を総会決議に基づいて執行する機関であるのだから、本来執行委員会の補佐機関に止まるのであって、不断に執行委と方針を論議し、最終的には執行委の方針に従うべきものである。&lt;br /&gt;
:2．実行委とは自治会内部の大衆闘争機関であって、大衆参加のもとに学生総体の利益を追求する。従って、執行委の方針と一致しない場合には、独自の方針に基づいて行動することもありうるであろう。それは自治会機構の形式化を防ぐためでもある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【当局の告示】'''&lt;br /&gt;
:「新入生諸君へ&lt;br /&gt;
:本日午前11時から挙行の学部入学式が、途中黒ヘル集団の乱入暴行により混乱に陥れられ、以後の式次第ならびに日程を中止せざるをえなくなったことはまことに遺憾である。&lt;br /&gt;
:折角ご参集のご父兄ならびに新入生諸君に深くお詫びする次第である。&lt;br /&gt;
:なお、村井総長の諸君への式辞原稿は印刷の上配布するので、各自、各学部・大学院各研究科事務所で受け取られたい。　以上&lt;br /&gt;
:4月2日　　　　　　　　　　　早稲田大学」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:同じ2日には商学部教授会名で「新しい学年を迎えて在学生諸君に訴える」と題した告示が出された。&lt;br /&gt;
:その中では、まず大学の現状についてとして、「商学部では1300名に近い卒業生を社会に送り出し、新たに1400名の新入生諸君を加えることになった。諸君は伸び伸びとした気分で、この2ヵ月余の春休みを有意義に送られたことと思う。商学部は幸いに何の混乱もなく、47年度の学事の日程を終えることができた。これも諸君の良識と相互信頼のたまものであると信ずる」とし、商学部以外の学部では「授業や学年末の試験を正常な仕方で行なうことができず、便宜的な措置や異常な事態を新しい学年にもち越している学部も少なくない」のは、「11月8日の事件を契機として生じたさまざまな問題と、大学の自治、なかんずく、学生の自治の問題をめぐって相互の理解が得られないことに原因する」と続く。「新学年を迎えて、新しい自治会を構成する手続きが進められるであろうが、われわれは、それがルール（具体的には『学生会規定』）にしたがい、公正明瞭なプロセスを経て達成されること」への期待とともに「無用な混乱が生じたり、あってはならない暴力行為」への憂慮にも言及している。大学が「理性の支配する学問の府である」ことから「学問を尊重する精神が横溢してくるならば、大半の問題はおのずから解決の方途が見出されるであろう」としている。&lt;br /&gt;
:もともと商学部は革マルの勢力が強く、本部での拠点となっていた。11.8の後、警察の捜査で11号館が革マルの武器庫であったことが発覚したが、これは学部当局が私物化を黙認したことによるもので、革マル寄りの思惑をうかがわせる。&lt;br /&gt;
:その商学部でも12月1日の学生大会（1600余名参加）で、革マル系自治会常任委員会はリコールされ臨時執行部が選出されたが、新執行部樹立へは至らなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1RyRIa2pCt7kUEoF_GZvkmWrBokXWkgv_/view?usp=sharing 4/2集会実行委員会の総括]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1SumVObfFPouzx4WG7BnUs_fnlJk5QxWj/view?usp=sharing 4/2総括]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B42%E6%9C%881%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%A8%EF%BC%89%E4%B8%80%E6%96%87%E3%81%AF1%E6%9C%8830%E6%97%A5%E5%AD%A6%E7%94%9F%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E6%B1%BA%E8%AD%B0%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%B3%A21%E9%80%B1%E9%96%93%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AD%EF%BC%881.31%EF%BD%9E2.6%EF%BC%89%E3%81%AB%E7%AA%81%E5%85%A5%E3%80%82&amp;diff=1195</id>
		<title>1973年2月1日（木）一文は1月30日学生大会決議による第二波1週間ストライキ（1.31～2.6）に突入。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B42%E6%9C%881%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%A8%EF%BC%89%E4%B8%80%E6%96%87%E3%81%AF1%E6%9C%8830%E6%97%A5%E5%AD%A6%E7%94%9F%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E6%B1%BA%E8%AD%B0%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%B3%A21%E9%80%B1%E9%96%93%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AD%EF%BC%881.31%EF%BD%9E2.6%EF%BC%89%E3%81%AB%E7%AA%81%E5%85%A5%E3%80%82&amp;diff=1195"/>
				<updated>2026-09-04T11:31:41Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:新執行部によるストライキが決行される中で、2月に入ると当局から定期試験の日程変更に関する告示が頻繁になる。学年末試験については中止、延期、あるいはレポートへ。卒業試験についても教場試験を取り止めてレポートにする学部（政経）もあった。ストライキ決行中の学部でも、そうした告示を見るために登校する学生が多く、クラス単位の活動もまだ続行していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::◎一文では1月30日の学生大会の決議により、新執行部・行動委員会を中心に早朝から登校して、学年末試験阻止のためピケストを貫徹した。&lt;br /&gt;
::◎教育学部でクラス委員総会を開催。&lt;br /&gt;
::●保田順三郎政経学部長が先の教授会で示した辞意を撤回。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【教育学部当局の見解を巡っての討論】'''&lt;br /&gt;
:教育学部で開かれたクラス委員総会では、1月23日に示された当局の見解に対する評価と2月5日以降の方針を中心に討論が進められた。見解を懐柔策とし、波状スト体制下での団交実現と当局への糾弾が決議された。一方で、見解を一定評価し、スト打ち切りの意見もあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【保田順三郎政経学部長が辞意撤回】'''&lt;br /&gt;
:「先月23日の教授会に辞意を表明していた保田順三郎早大政経学部長は1日夜の教授会の席で辞意を撤回した。（中略）『困難な事態に直面している。一致団結して解決を図りたい』と語ったという。また、同学部長に辞表を出していた教務主任、副教務主任（各2人）の4人は同学部長の説得で辞表撤回の方向だという。」（1973年２月3日付朝日新聞）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【『一文有志の記録』から】'''&lt;br /&gt;
:「総括討論へ向けて」&lt;br /&gt;
:我々の運動の出発点は川口大三郎君が一文自治会室で虐殺された。クラス末端からの「蜂起」的運動。下手人・革マルへの怒りが中心。&lt;br /&gt;
:●1.8総決起集会〜ヘルメット問題〜&lt;br /&gt;
:ヘルメットに対する「過激派」イメージによる感情的な反発。事前に集会の方針に対してクラス内部での討論がなされなかった。革マル派と直接的に対決する部分とそうでない部分との経験が、共有されなくなってきた。（行動隊などの編成）&lt;br /&gt;
:→クラス総体で対決する姿勢が薄れた。&lt;br /&gt;
:→怒りだけでは行動出来なくなる。―――分離現象&lt;br /&gt;
:●自治委員選挙〜時期的にも、機構確立の上からも必要〜&lt;br /&gt;
:統一選挙場を設定。行動隊を編成せずにクラス員総体で自らの手によって選挙を貫徹。分離・学外選挙をせずに我々の正統性のもとに最後まで追求したことの成果。&lt;br /&gt;
:→団結の強化、クラスの再組織化。&lt;br /&gt;
:●実力闘争〜権力との直接的緊張関係が明確化。&lt;br /&gt;
::::〜行動委と臨執との関係の不明確さが顕在化。（指揮系統）&lt;br /&gt;
:●試験問題の表面化（1.17、1.18頃から）&lt;br /&gt;
:それ以前は受けることで一応一致。直接的には17、18に契機。理由（①当局の態度への抗議②受験不可能者の存在――それをきっかけとした分断策動の粉砕）。現在的には、試験制度そのものの根源的な問いではない。―――ストライキ闘争の先取り（１Tがこの頃より闘争の前面に出てくる）〜ほぼ全面的に勝利。&lt;br /&gt;
:●1.19、1.20を境に革マルの戦術転換。&lt;br /&gt;
:一文に限っては表面的平和共存長期持久戦体制。体制の弱い所に攻撃集中。→突破口。怒りの鎮静化を待つ。&lt;br /&gt;
:●1.23学生大会〜予想以上の人数結集（1600人弱）&lt;br /&gt;
:::::〜試験強行阻止、自治会承認要求。&lt;br /&gt;
:●1.24〜1.30第一波スト〜かなりの結集→討論が非効率的――時間の浪費。&lt;br /&gt;
:全体としてかなり勝利的に克ち取られる。&lt;br /&gt;
:●1.27自治委員総会〜ゼロ回答。――混乱&lt;br /&gt;
:●1.30学大〜再度の一週間スト。団交から連続的に学大。日時設定のまずさ。&lt;br /&gt;
:●1.31〜2.6第二波スト〜結集甚だ悪し。解体現象。&lt;br /&gt;
:●2.5第3次団交〜ゼロ回答。&lt;br /&gt;
:●2.6、2.7学大〜流会。執行委・我々の甘さ。内実のなさ。&lt;br /&gt;
:◎団交について〜大衆性の欠落。（団交技術のまずさ。最初からゼロ回答を予測。）&lt;br /&gt;
::  十人委員会というカイライの存在。――当局のうまさ。→十人委の解体を。&lt;br /&gt;
::  学部段階には限度。→総長団交へ。&lt;br /&gt;
:◎第二波ストがザルスト化し、第3次団交がなに故に空転せざるをえなかったか？&lt;br /&gt;
:◎何故に学大が2度流会したのか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B42%E6%9C%881%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%A8%EF%BC%89%E4%B8%80%E6%96%87%E3%81%AF1%E6%9C%8830%E6%97%A5%E5%AD%A6%E7%94%9F%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E6%B1%BA%E8%AD%B0%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%B3%A21%E9%80%B1%E9%96%93%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AD%EF%BC%881.31%EF%BD%9E2.6%EF%BC%89%E3%81%AB%E7%AA%81%E5%85%A5%E3%80%82&amp;diff=1194</id>
		<title>1973年2月1日（木）一文は1月30日学生大会決議による第二波1週間ストライキ（1.31～2.6）に突入。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B42%E6%9C%881%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%A8%EF%BC%89%E4%B8%80%E6%96%87%E3%81%AF1%E6%9C%8830%E6%97%A5%E5%AD%A6%E7%94%9F%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E6%B1%BA%E8%AD%B0%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%B3%A21%E9%80%B1%E9%96%93%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AD%EF%BC%881.31%EF%BD%9E2.6%EF%BC%89%E3%81%AB%E7%AA%81%E5%85%A5%E3%80%82&amp;diff=1194"/>
				<updated>2026-09-04T11:30:18Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:新執行部によるストライキが決行される中で、2月に入ると当局から定期試験の日程変更に関する告示が頻繁になる。学年末試験については中止、延期、あるいはレポートへ。卒業試験についても教場試験を取り止めてレポートにする学部（政経）もあった。ストライキ決行中の学部でも、そうした告示を見るために登校する学生が多く、クラス単位の活動もまだ続行していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::◎一文では1月30日の学生大会の決議により、新執行部・行動委員会を中心に早朝から登校して、学年末試験阻止のためピケストを貫徹した。&lt;br /&gt;
::◎教育学部でクラス委員総会を開催。&lt;br /&gt;
::●保田順三郎政経学部長が先の教授会で示した辞意を撤回。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【教育学部当局の見解を巡っての討論】'''&lt;br /&gt;
:教育学部で開かれたクラス委員総会では、1月23日に示された当局の見解に対する評価と2月5日以降の方針を中心に討論が進められた。見解を懐柔策とし、波状スト体制下での団交実現と当局への糾弾が決議された。一方で、見解を一定評価し、スト打ち切りの意見もあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【保田順三郎政経学部長が辞意撤回】'''&lt;br /&gt;
:「先月23日の教授会に辞意を表明していた保田順三郎早大政経学部長は1日夜の教授会の席で辞意を撤回した。（中略）『困難な事態に直面している。一致団結して解決を図りたい』と語ったという。また、同学部長に辞表を出していた教務主任、副教務主任（各2人）の4人は同学部長の説得で辞表撤回の方向だという。」（1973年２月3日付朝日新聞）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【『一文有志の記録』から】'''&lt;br /&gt;
:「総括討論へ向けて」&lt;br /&gt;
:我々の運動の出発点は川口大三郎君が一文自治会室で虐殺された。クラス末端からの「蜂起」的運動。下手人・革マルへの怒りが中心。&lt;br /&gt;
:●1.8総決起集会〜ヘルメット問題〜&lt;br /&gt;
:ヘルメットに対する「過激派」イメージによる感情的な反発。事前に集会の方針に対してクラス内部での討論がなされなかった。革マル派と直接的に対決する部分とそうでない部分との経験が、共有されなくなってきた。（行動隊などの編成）&lt;br /&gt;
:→クラス総体で対決する姿勢が薄れた。&lt;br /&gt;
:→怒りだけでは行動出来なくなる。―――分離現象&lt;br /&gt;
:●自治委員選挙〜時期的にも、機構確立の上からも必要〜&lt;br /&gt;
:統一選挙場を設定。行動隊を編成せずにクラス員総体で自らの手によって選挙を貫徹。分離・学外選挙をせずに我々の正統性のもとに最後まで追求したことの成果。&lt;br /&gt;
:→団結の強化、クラスの再組織化。&lt;br /&gt;
:●実力闘争〜権力との直接的緊張関係が明確化。&lt;br /&gt;
::::〜行動委と臨執との関係の不明確さが顕在化。（指揮系統）&lt;br /&gt;
:●試験問題の表面化（1.17、1.18頃から）&lt;br /&gt;
:それ以前は受けることで一応一致。直接的には17、18に契機。理由（①当局の態度への抗議②受験不可能者の存在――それをきっかけとした分断策動の粉砕）。現在的には、試験制度そのものの根源的な問いではない。―――ストライキ闘争の先取り（１Tがこの頃より闘争の前面に出てくる）＝ほぼ全面的に勝利。&lt;br /&gt;
:●1.19、1.20を境に革マルの戦術転換。&lt;br /&gt;
:一文に限っては表面的平和共存長期持久戦体制。体制の弱い所に攻撃集中。→突破口。怒りの鎮静化を待つ。&lt;br /&gt;
:●1.23学生大会〜予想以上の人数結集（1600人弱）&lt;br /&gt;
:::::〜試験強行阻止、自治会承認要求。&lt;br /&gt;
:●1.24〜1.30第一波スト〜かなりの結集→討論が非効率的――時間の浪費。&lt;br /&gt;
:全体としてかなり勝利的に克ち取られる。&lt;br /&gt;
:●1.27自治委員総会〜ゼロ回答。――混乱&lt;br /&gt;
:●1.30学大〜再度の一週間スト。団交から連続的に学大。日時設定のまずさ。&lt;br /&gt;
:●1.31〜2.6第二波スト〜結集甚だ悪し。解体現象。&lt;br /&gt;
:●2.5第3次団交〜ゼロ回答。&lt;br /&gt;
:●2.6、2.7学大〜流会。執行委・我々の甘さ。内実のなさ。&lt;br /&gt;
:◎団交について〜大衆性の欠落。（団交技術のまずさ。最初からゼロ回答を予測。）&lt;br /&gt;
::  十人委員会というカイライの存在。――当局のうまさ。→十人委の解体を。&lt;br /&gt;
::  学部段階には限度。→総長団交へ。&lt;br /&gt;
:◎第二波ストがザルスト化し、第3次団交がなに故に空転せざるをえなかったか？&lt;br /&gt;
:◎何故に学大が2度流会したのか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B411%E6%9C%8822%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%A8%EF%BC%89_%E6%A9%9F%E5%8B%95%E9%9A%8A%E8%AD%A6%E6%88%92%E3%81%AE%E3%82%82%E3%81%A8%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E7%A5%AD%E9%96%8B%E5%82%AC%E3%80%82%E6%95%A3%E7%99%BA%E7%9A%84%E3%81%AB%E5%8F%8D%E5%AF%BE%E8%A1%8C%E5%8B%95%E7%99%BA%E7%94%9F&amp;diff=1193</id>
		<title>1973年11月22日（木） 機動隊警戒のもと早稲田祭開催。散発的に反対行動発生</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B411%E6%9C%8822%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%A8%EF%BC%89_%E6%A9%9F%E5%8B%95%E9%9A%8A%E8%AD%A6%E6%88%92%E3%81%AE%E3%82%82%E3%81%A8%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E7%A5%AD%E9%96%8B%E5%82%AC%E3%80%82%E6%95%A3%E7%99%BA%E7%9A%84%E3%81%AB%E5%8F%8D%E5%AF%BE%E8%A1%8C%E5%8B%95%E7%99%BA%E7%94%9F&amp;diff=1193"/>
				<updated>2026-09-04T11:04:19Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:第20回早稲田祭「現代―この腐朽せるものに変革の斧を！」308サークルが参加（主催者発表）。訪れる学生はまばら。実行委側の準備も遅れ、雰囲気はいま一つ盛り上がらない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【22～26日、早稲田祭開催される】'''&lt;br /&gt;
:「恒例の早稲田祭が、11月22日から26日まで5日間の期間で開催された。この間、若干の波乱が見られたが、早稲田祭は技術的運営上、一応成功裡に終わったと言ってもよかろう。」（早稲田キャンパス185号）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●1973年11月22日付朝日新聞夕刊&lt;br /&gt;
:「厳戒の中、早稲田祭始まる―学生の姿まばら　機動隊300人」「主催者の早稲田祭実行委員会の発表では、今回参加したサークルは308団体。しかし『実行委が川口大三郎君を虐殺した革マル派に支配されている』とする反革マル派は『革マル祭は許せず、参加も約200団体にすぎない』として粉砕を叫んでいた。こうした背景を検討した結果、大学当局は10月12日の理事会で『大学祭終了後、収支決算を全学生に公表する』など5項目の条件付きで実行委の開催を認めた。22日朝、本部キャンパスには各サークルの看板や出店などが並び、音楽も流れたが、訪れる学生はまばら。20日午後、反革マル派が図書館前広場で看板に火をつける騒ぎもあって実行委側の準備も遅れ、ふん囲気はいま一つ盛り上がらなかった。正午ごろ、本部正門前に法学部自治会学生ら約100人が集まり、『川口君虐殺事件を思い出そう』と演説をはじめた。実行委側がこれを止めようとしてはげしい口論になり、一瞬緊張した。学生らは『オリの（編注：革マル監視下の）早稲田祭はボイコットする』と気勢をあげ、実行委側とにらみあいを続けた。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●1973年11月22日付毎日新聞夕刊&lt;br /&gt;
:「厳戒の中“早稲田祭”開く」「開催をめぐって学生の対立が続いていた『早稲田祭』が22日から東京・新宿の同大学で始まった。ことしで20回目を迎える『早稲田祭』は、主催者の実行委員会が革マル系のため『リンチ・セクトの祭典を許すな』という反革マル派学生の反対が強く、一時は開催が危ぶまれていた。例年より３週間遅れて開催が決まったあとも学内では反対派のデモや集会が続き、警視庁はこの日、機動隊員ら300人で警戒に当たった。午前中は学生の姿もまばらだった。」&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
:●1973年11月24日付毎日新聞&lt;br /&gt;
:「“早稲田祭”の中、乱暴」「23日午後2時10分ごろ、東京新宿区戸塚町の早大正門から鉄パイプを持った学生約50人が乱入、前日から開かれている“早稲田祭”の立看板2枚を壊したあと、キャンパスを走り抜け、正門と反対側の西門近くでプログラムを売っていた学生3人を鉄パイプで殴って、1週間から10日のケガをさせて逃げた。そのうち3人は間もなく警戒中の戸塚署員らに暴力行為などの現行犯で逮捕されたが、“早稲田祭”に来ていた約4500人の見学者は騒ぎをア然と見守っていた。戸塚署では、革マル派の実行委員会に対する反革マル派の妨害とみている。また同2時半ごろ、同大近くの早稲田通りで煙が出ているボストンバッグが見つかり、同署は爆発物の恐れもあるとして警視庁爆発物処理班に連絡、現場近くの交通を約30分しゃ断して撤収した。24日、中身を検査する。」&lt;br /&gt;
:これについては11月27日付朝日新聞夕刊に次のような後追い記事が出た。&lt;br /&gt;
:「早大内ゲバで捜査」「早稲田祭をめぐる内ゲバ事件を捜査している警視庁公安部は27日朝、反帝学評の事務所の東京都渋谷区道玄坂2丁目、阿部ビル内『教育学園ジャーナル社』、同『現代社』の2カ所を凶器準備集合、建造物不法侵入、暴力行為の疑いで捜査、鉄パイプなど39点を押収した。容疑は、23日午後2時すぎ『早稲田祭粉砕』をねらう反帝学評系の活動家約50人が鉄パイプで武装、新宿区戸塚町の早大本部構内に突入して、革マル系の早稲田祭実行委員数人に暴行を加えた疑い。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●1973年11月24日付朝日新聞夕刊&lt;br /&gt;
:「火炎ビン11本　大学祭の早大で見つかる」「24日午前7時ごろ、東京都新宿区戸塚町、早稲田大学本部3号館4階読書室の入り口付近で、ビニール製黒ボストンバッグと紙袋の中に火炎ビン11本が入れてあるのを大学職員がみつけ、戸塚署に届けた。早大では22日から早稲田祭が始まっている。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●1973年11月26日付朝日新聞&lt;br /&gt;
:「大隈講堂でボヤ　早稲田祭に反革マル派いやがらせ」「25日午後3時10分ごろ、東京都新宿区戸塚町、早稲田大学大隈講堂で、早稲田祭の行事としてニューオルリンズ・ジャズクラブが演奏をしていたところ、演壇に向かって後ろから2、3列目の座席付近に置いてあった段ボール箱が突然、燃え始めた。約200人の聴衆がすぐ気付いたので、イス5、6個をこがしただけで消しとめた。段ボールは縦29センチ、横22センチ、奥行き9センチ。中にガソリンか灯油をしみこませたボロ布が入れられ、ハトロン紙の導火線がつけられて包装されていた。講堂左側の後部座席付近にも同じ箱が2個置いてあり、戸塚署は早稲田祭を『革マル祭』と批判する反革マル学生のいやがらせとみている。この騒ぎで演奏会は中止された。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B411%E6%9C%8819%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%89%E3%80%8C%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E7%A5%AD%E4%B8%AD%E6%AD%A2%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%8C%E5%85%A8%E5%AD%A6%E7%B7%8F%E9%95%B7%E5%9B%A3%E4%BA%A4%E3%81%AE%E5%86%8D%E9%96%8B%E3%80%8D%E3%82%92%E5%91%BC%E3%81%B3%E3%81%8B%E3%81%91%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8%E5%8D%A0%E6%8B%A0%E3%80%8214%E4%BA%BA%E9%80%AE%E6%8D%95&amp;diff=1192</id>
		<title>1973年11月19日（月）「早稲田祭中止」と「全学総長団交の再開」を呼びかけ図書館占拠。14人逮捕</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B411%E6%9C%8819%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%89%E3%80%8C%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E7%A5%AD%E4%B8%AD%E6%AD%A2%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%8C%E5%85%A8%E5%AD%A6%E7%B7%8F%E9%95%B7%E5%9B%A3%E4%BA%A4%E3%81%AE%E5%86%8D%E9%96%8B%E3%80%8D%E3%82%92%E5%91%BC%E3%81%B3%E3%81%8B%E3%81%91%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8%E5%8D%A0%E6%8B%A0%E3%80%8214%E4%BA%BA%E9%80%AE%E6%8D%95&amp;diff=1192"/>
				<updated>2026-09-04T10:53:03Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:午後８時過ぎ、トラックで乗り付けた14人が図書館に入り中から封鎖、「早稲田祭中止」と「総長団交実施」を求めて抗議活動を展開した。しかし、大学当局は機動隊を要請。午後11時過ぎ、14人は不退去罪で逮捕された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【11月19日午後8時】'''&lt;br /&gt;
:早稲田キャンパス新聞185号は次のように報じた。&lt;br /&gt;
:「11月19日夜8時頃、行動委系学生14名が、本部構内の図書館に突入、占拠した。図書館の内側から鍵をかけ閉じ込もってアジテーションをしたり、蔵書を投げるなどして抗議した。図書館占拠という手段に訴えた要求項目は、『虐殺者の祭典・早稲田祭を即時中止せよ！』『早大当局者・村井総長は、5.17団交からの逃亡を自己批判しただちに全学団交に出席せよ！』である。大学当局は、同夜11時頃一部学生が図書館を不法占拠したとの理由により、機動隊の出動を要請、結局、図書館を占拠した学生は、14名全員、『不退去罪』で逮捕された。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:読売新聞は翌11月20日の朝刊に、「早大で図書館ジャック『祭』中止など要求し攻防４時間、本投げ抵抗14人逮捕」の見出し付きで写真入り6段抜きで報じた。&lt;br /&gt;
:「19日午後８時ごろ、東京・新宿の早大（村井資長学長）で、黒ヘルメットの学生14、５人が正門から構内に侵入した。学生らは正門わきの図書館（一部７階建て）にたてこもり、屋上からマイクで、大学に対し、早稲田祭の中止と総長団交を要求、これに対し大学側は『学外に出なさい』とマイクで再三にわたり警告、警視庁機動隊と戸塚署員約100人も学内外に待機した。だが、学生らは、屋上から図書館の本を投げたりして抵抗、このため同9時すぎ、大学の了承を得て機動隊員が図書館に入り、20日午前零時ごろ。4階の書庫に閉じこもっていた学生ら14人を不退去罪で逮捕した。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:朝日新聞は同11月20日の朝刊に「黒ヘル14人を逮捕　早大図書館に乱入」の見出しで「19日午後7時半ごろ、東京都新宿区の早稲田大学3号館前に、黒ヘルメットの男たちがレンタカーで乗りつけ、同館内の図書館4階にはいり、ドアをしめて中にたてこもった。大学側は再三構外へ出るよう警告したが聞きいれられないため、機動隊約100人が出動、ドアをこじあけ中にいた14人を不退去の現行犯で逮捕した。戸塚署で調べているが、22日から始まる早稲田祭に反発する過激派が気勢をあげたらしい」とのベタ記事で、また毎日新聞も同日の朝刊に「図書館占拠し蔵書を投げる　早大で14人逮捕」と見出しを付けたベタ記事で「19日午後8時ごろ、大学祭を3日後に控えた早大で、黒ヘルメット姿の学生十数人が、職員らの制止を押し切って同大本部構内の図書館にはいり、中にいた学生を追い出して内側からカギをかけて占拠した。閉じこもった学生たちは屋上に備えつけたマイクで大学祭（22日～26日）の中止と総長団交を大学側に要求した。これに対し大学当局は同9時すぎ学外退去を命じたが、学生たちは応ぜず、屋上から蔵書などを投げ捨て抵抗の構えを見せた。大学からの要請で同11時15分、戸塚署員と警視庁機動隊が出動し学生14人を不退去罪で逮捕」と報じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【全員に告ぐ、全員に告ぐ】'''&lt;br /&gt;
:逮捕後組織された救援会のパンフレットに、図書館占拠の際に出たビラが残されている。&lt;br /&gt;
:★全員に告ぐ、全員に告ぐ、全員に告ぐ－－我々は虐殺者の中枢を占拠した&lt;br /&gt;
::　川口君虐殺徹底糾弾　虐殺者の杜を占拠せよ&lt;br /&gt;
::　虐殺者の祭典：早稲田祭を怒りをもって粉砕せよ&lt;br /&gt;
::　総長村井の5.17団交からの逃亡糾弾！　全学総長団交へ出てこい&lt;br /&gt;
::　当局-革マル-民青（民青・日共教職組）の三位一体となった早大管理支配体制解体&lt;br /&gt;
:「一年たった今、激烈をきわめた我々の闘いは終息したかにみえる。だが何も変わらなかったのか。〈早大管理支配体制〉は不抜のまま強力に転生したのか。その如何を知らねばならぬ今こそ、表面的な平穏さの裏に進行する支配と反抗のせめぎあいの実相に眼を開けて迫れ。そこに虐殺者たちの薄氷を踏むような窮状と、早大学生大衆の叛乱の確かな手応えを感じうるだろう。&lt;br /&gt;
:……すべての友よ！絶望はまだあまりにも早すぎる。我々はまだうちのめされていないし、敵は弱っている。確信をもって闘いを持続せよ！冬の11月を熱の叛乱の中に焼き尽くすべく、敵のド肝をぬく闘いを準備せよ！闘いに着手し、叛乱を拡大せよ！&lt;br /&gt;
:……最後に我々は、我々のこの闘いが広汎な学友の共感と共にあることを確信し、それ故に、早大4万学生大衆の名をもって、以下のことを要求するものである。&lt;br /&gt;
:◇虐殺者の祭典・早稲田祭をただちに中止せよ！&lt;br /&gt;
:◇早大当局者・村井総長は5.17団交からの逃亡を自己批判し、ただちに全学団交に出席せよ！&lt;br /&gt;
:そして全学友に呼びかける。希望をもって闘いを持続せよ！」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:★虐殺者への抵抗戦を希望を持って持続せよ！&lt;br /&gt;
:「困難な抵抗戦を強いられている早大4万の友よ、だが希望と確信をもってこの闘いを持続せよ。行為の確かさが結びつけた我々の共同性を闘いの具体性の中に爆発させよ。もはや言葉をもてあそぶことはいらない。ふてぶてしく、したたかに、ただ黙々と実践せよ。実践の共有、行為の共同性としてのみ我々の闘いは可視化され、更に広大な叛乱へ注ぎ込まれるのだ。&lt;br /&gt;
:……鉄パイプをくぐりぬけ、背後から回り込む敵をけちらし、時の風化作用を拒否し、怒りすら凍てつくような極寒を耐えぬいている友よ、更に更に確信を深め抵抗戦に着手せよ！我々は虐殺の日常へは二度と戻らない。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:★川口はもう帰らない。こんな早稲田ならつぶれてしまえ。&lt;br /&gt;
:「権力・革マルの邪悪な爪に追われた窮鳥たちが今日、あらんかぎりの力をもって敵の心臓部に喰らいついた。窮鳥たちに向けて不当な攻撃がしかけられるとき、彼らはさらに力をふりしぼって敵の心臓を確実に喰い破るであろう。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:★行動は開始された。われらが怒りよ、早稲田を焼き尽くせ。&lt;br /&gt;
:「きょうの我々の行動はやむにやまれぬ思いからであり、早大4万学生大衆が心中密かに望んでいた直接行動であったと確信している。我々は、いっさいの政治党派の介入を拒否しつつ、川口君虐殺を真に糾弾するひとりの無党派学生大衆としてこの突出した行動に着手した。学生大衆自身の自衛武装の第一歩がここに印されたのだ。このビラを手にした君も立ちあがってほしい！学友たちが慣れない武器を手にして、身体生命の危機を犯して行動を開始していることを真摯に思ってほしい！そして今、できることから、できることだけは、行動をもって始めてほしい。機動隊・革マルの武装制圧の中で、キャンパスで安全な空間といえば、大学の死活のかかった『財産』の内部と早大4万学生大衆の海の中にしかない。我々の行動について、革マルの縄張りや、大学の『財産』を奪い取ろうとしているなどという馬鹿げた妄想は決してしないでほしい。我々は、総長団交の即時開催と『革マル祭』の即時中止を要求する。もし大学当局が川口君虐殺と革マルのテロ・リンチの責任を回避し、機動隊を導入するならば、我々の身体生命の危機を含めて大学にとって最悪の事態が起きることを警告し、4万学生大衆の行動が一刻も早くくることを信じている。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:★“信じてくれ、僕は逆さに吊るされ殺された”（ハンガリアの笑い）&lt;br /&gt;
::　ワセダの擬制「戦闘的」「民主的」両派粉砕！&lt;br /&gt;
::　底辺からの自立した抵抗戦をもって「ワセダの日常」を寸断せよ！&lt;br /&gt;
::　ワセダ祭阻止！総長団交勝利！早大管理支配体制粉砕！&lt;br /&gt;
:「まさしく『宗教』は阿片である。倒錯したクロカン哲学の観念的疎外物である宗派の自己運動。その荒廃した党派闘争至上主義の教条が、数百を超える革マルの下部活動家をかくまで長きにわたって、いかなる疑念をも押さえつけて酔わせ盲従させてきたのだから。……この1年間の革マルの主張が、デマと嘘と恫喝に過ぎなかったことが、一文SとTの2名の自己批判書であまりにも見事に明らかになったではないか。だが、彼らも気づくのがあまりにも遅すぎた信仰の犠牲者だったのだ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:これらのビラは早大11.19図書館占拠闘争救援会による「獄中同志奪還のためのカンパ要請趣意書」に詳しい。また救援会による「パンフ作成にあたって」では、この占拠闘争の概略にふれ次のように述べている。&lt;br /&gt;
:「図書館を自らの存在の一切を賭けて占拠し、革マル祭の中止と、5.17全学団交からの逃亡糾弾＝再度の全学総長団交を要求した闘いは11月19日決行された。早稲田の血に汚れた杜が解放されて我々のものになるのか、虐殺者達の擬制の抑圧の杜として再び回帰していくのか、11.19闘争の戦士たちはするどく全ての早大生に問うている。突出した抵抗戦に対して早大当局は、この戦いが根源的であるが故に、自らの存在根拠としてある〈管理〉牙をむき出し、国家権力＝機動隊を導入し、14名の戦士たちを不当にも権力に売り渡し、闘いを闇から闇に葬り去らんとしたのだった。我々はこの図書館占拠闘争が、昨秋11.8以降の早大闘争のさまざまな過程の中で獲得した、自立せる内発性と戦闘性を評価し、不当にも獄中につながれ、獄中においても闘いを貫徹している14名の戦士たちを救援すべく救援会を組織した。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【図書館占拠に至るまで】'''&lt;br /&gt;
:図書館占拠では、P A C（政経学部行動委）とサ連で活動した早大二次闘争の経験者がまとめ役であり、リーダー的存在であった。彼は後日、図書館占拠に至るまでの経緯を次のように語っている。項目別に整理抜粋した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●大学当局への思い&lt;br /&gt;
:「川口君は結局、ロックアウトの状況下で殺されているわけですよね。大学当局がロックアウトをやっているなかで、革マルが学内にいてリンチをやっているのだから、大学の責任は重いと思う。革マルがやってきたことを許した責任というのは、全部大学側にあるのです。川口君が死に至った理由というのはそれ以外にない。革マルは悪い。だけど、大学はもっと悪いと思っています。村井総長はたしかにお飾りなのかもしれないけれど、大学のトップとしては、少なくとも学生に対して何らかの謝罪を公の場でなすべきだった。だから、あるべき大学の秩序を奪った大学当局に対して僕らは団交を求めていったわけです。単に謝れということではなくて、それを生み出してきた日常性みたいなものに対して抗議するという意味で団交を求めたと思っています。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●5.8団交&lt;br /&gt;
:「はじめは理工にルートがあるから「やりましょうか」「いいね」みたいな話から始まった。本当は1週間前にやる予定だったのが、人数が集まらなくてやめました。前日は東大の三鷹寮に泊まり込んで部隊編成というか、役割分担をした。僕は車で理工に行って総長を建物の前で受け取って、それ以降の責任を持つことになっていた。総長を乗せた車と部隊が並走して本部まで来て、部隊がバリケードをどかして北門からそのまま構内に突っ込んだ。総長を8号館に連れていって座らせ、僕がアジった。実際の団交の司会進行は、団交実行委員会にやってもらった。始まったら学生が集まってきた（編注：新聞では3000人くらいとある）。あの時、革マルは文学部に部隊をかき集めていた。こちらは学生がいっぱい来ているから襲われる心配はなかったけれど、とりあえず革マルは部隊を文学部に溜めていた。革マルもどうしたらいいかわからなかったと思う。団交の中身については、極端に言うと「やりましょうか」と言って「いいですよ」みたいな軽いノリで、あまり深く考えていなかった。団交実行委員会の方で考えていたのかどうか。総長を引っ張り出して、大衆の前でいろいろ疑問を解消して、最低でも謝ってもらいたいなというふうには思っていましたけれど。（編注：5.17団交の確約を反故にされたことを受けて）あの状態でそのまま続けた方が良かったという意見もある。だけど、まぁ、しょうがないな～という感じもある。やっぱり大学当局を信じすぎたところがあるのかな。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●発想の原点&lt;br /&gt;
:「この話の始まりは8月の末くらい。6月のゲバルト（編注：6.4の革マルと衝突で勝利したことを指す。勝利したが、学内に拠点がないので優勢を保持できなかった。）の反省があり、何をもって闘わなくちゃならないかを考えたら、徹夜集会や1.19、総長団交みたいに軸があれば学生が集められる。革マルは人が集まる機会を閉ざしているから、人さえ集められれば、確率的にも物理的にも私たちが勝てるというふうに考えた。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●人集め&lt;br /&gt;
:「後退局面なので個別に話した。団交なんかの時は「みんなでやりましょう」って言えば「みんなでやりましょう」なんですが、後退局面で負け続けているような状況になると、「やりませんか」と言って個々に説明しないと無理なんです。そうなるとどうしても情報が漏れる。それが党派に漏れちゃって、党派と交渉しなければならなくなった。交渉には一切関わらなかったけれど、党派との約束なんかもしなくちゃならない。そうなると期日も限られてきますよね。当日、学内で部隊を待機させていた党派があったけれど、15人だった。それぐらいの人数だったらこちらでも集めるのは難しくない。人数の話ではないんですよ、早稲田でやっていくためには。だからあまり党派とはやりたくなかった。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●メンバーの顔ぶれ&lt;br /&gt;
:「政経行動委（P A C）を中心にしたメンバー構成になりました。半分以上が政経、あとは一文、教育、社学です。人数も多くなかったから、政経とそれ以外に分けて分担してオルグしました。」（編注：政経8人、一文3人、教育2人、社学1人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●実行期日&lt;br /&gt;
:「やると決めた11.19は、早稲田祭を中止させるリミットに近かった。目標としてはもっと早い時間、昼間のうちにやるつもりだったけれど遅くなった。集合場所の明大の生田がロックアウトだった。青解が封鎖していたの。それで遅くなった。いろいろ調べて、図書館に入りやすい時間帯があることがわかっていて、昼を外すと少し遅くなる。期日を延ばすという選択肢はなかったから、結局ああいう結果になったんですけれど。意図としては、学生を集めてやればなんとかなるかなと、それ以上のことはあまり考えていなかった。こういう形で人を溜めてやるような形の闘争をやろうとしたものだから、外にも人を確保しておかなければならない。そうした人員もいました。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【証言】'''&lt;br /&gt;
:「たぶん前日だったと思うのですが『トラメガがない』という電話を受けて、慌てて秋葉原に走りました。とにかくお金がない時期で、居合わせた3人で出し合って小型のトラメガと予備の乾電池1組しか買えませんでした。どこで誰に手渡したか覚えていません。また、立てこもり計画には参加しませんでしたが、三段式の鉄パイプを提供した当事者としては責任もあり、私たちのグループの一員を一般学生のふりをさせて図書館に潜ませておきました。『突入しました』という報告を聞いたのを覚えています。」（一文2年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【1976年１月26日】'''&lt;br /&gt;
:図書館占拠闘争の裁判は76年1月26日に結審した。判決は罰金刑1万円。検察の求刑は懲役1年であった。この判決について公判を支えてきた図書館占拠闘争公判対策委員会は「裁判所の『判決』は、弁護団、『被告』団の執拗な反証展開によって、早大当局の川口君虐殺事件以降の無為無策を認めつつも、『建造物侵入』なる罪名を容認する立場を一貫して堅持しているのである」とした。公判では、早稲田管理支配体制の実態を訴え続け、村井総長の喚問も実現したが、問題の核心に触れる判決は引き出せなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1UJ3LwNWDpAPD1vu__l_Mi7mqU9jOs7wP/view?usp=sharing 蝶のように舞い　蜂のように刺せ－図書館闘争11戦士　遂に公判廷に登場]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/13V4xF3nMEBOl9BY4oxQ-tjnxkYLHyHOv/view?usp=sharing 獄中同志奪還！　無名大衆の自立的抵抗運動の火柱で早大管理支配体制を解体せよ]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1QbMoqQyN-qmr0bf1iFsdtS-_E8NpWSZC/view?usp=sharing 獄中同志奪還のためのカンパ趣意書]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1W44j5Kya-jyl7KXCpYmp6C4LX7YFpQV-/view?usp=sharing 救援会通信　号外]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/13_e_v7V-JMQ129bWlI6u5AyfzE-kDOj0/view?usp=sharing 光る風　冒頭陳述集　その2]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/17Rdvxwzp_hKtD_qurU0UCr9-BpriILFe/view?usp=sharing 「光る風」改題　若きサンキュロット]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1yCAEakpFbFWAcpF7KTVm3xn6uMMRcQAh/view?usp=sharing サンキュロット　第9号]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B411%E6%9C%8816%E6%97%A5%EF%BC%88%E9%87%91%EF%BC%89_5.17%E8%A2%AB%E5%91%8A2%E5%90%8D%E3%81%B8%E3%81%AE%E7%AC%AC4%E5%9B%9E%E5%85%AC%E5%88%A4%E3%80%82%E6%A4%9C%E5%AF%9F%E5%AE%98%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E9%87%88%E6%98%8E%E3%81%AF%E6%9B%96%E6%98%A7&amp;diff=1191</id>
		<title>1973年11月16日（金） 5.17被告2名への第4回公判。検察官による釈明は曖昧</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B411%E6%9C%8816%E6%97%A5%EF%BC%88%E9%87%91%EF%BC%89_5.17%E8%A2%AB%E5%91%8A2%E5%90%8D%E3%81%B8%E3%81%AE%E7%AC%AC4%E5%9B%9E%E5%85%AC%E5%88%A4%E3%80%82%E6%A4%9C%E5%AF%9F%E5%AE%98%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E9%87%88%E6%98%8E%E3%81%AF%E6%9B%96%E6%98%A7&amp;diff=1191"/>
				<updated>2026-09-04T10:17:26Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【5.17被告団第4回公判】'''&lt;br /&gt;
:前回の公判（10月22日）では、極めて異例ながら裁判長から検察側に対して「凶準の現行犯で逮捕しながら『正当な理由』の不充分性を認め撤回した姿勢は、消極的意味か、積極的意味か明らかにせよ」「軽犯罪法適用の妥当性について釈明せよ」の2点について釈明が求められていた。&lt;br /&gt;
:これに関して検察側は、第1点については「共同加害目的が不明確だったため立証上の証拠を得ることが困難だったこと、および逮捕時の場所的関係にも問題があった」とし、第2点については「検察の論告によって明らかにする」とした。&lt;br /&gt;
:公判は弁護人側の証人喚問が行われ、5.17総長団交の背景について「当時の早大における現実」「警察による不当過剰警備」を中心に証言がなされた。弁護側による5.17総長団交の正当性と早大周辺における警察の過剰警備の不当性を明らかにしようとする試みだったが、充分に効果があったかは不明。&lt;br /&gt;
:しかし、大学側が一貫して不誠実な態度をとりつづけ、学生との対話を避け告示・公示で責任を回避し続けているという当局の姿勢、また機動隊による警備の常駐化を問わずには、この裁判の真実には迫ることはできない。&lt;br /&gt;
:（資料：早稲田キャンパス185号）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B411%E6%9C%8811%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%97%A5%EF%BC%89_%E4%BE%9B%E8%BF%B0%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8A%E6%98%8E%E3%82%89%E3%81%8B%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%AE%E7%B5%8C%E7%B7%AF%E3%80%82%E7%9B%A3%E7%A6%81%E8%87%B4%E6%AD%BB%E7%BD%AA%E3%81%A7%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E6%B4%BE4%E4%BA%BA%E8%B5%B7%E8%A8%B4&amp;diff=1190</id>
		<title>1973年11月11日（日） 供述により明らかになった事件の経緯。監禁致死罪で革マル派4人起訴</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B411%E6%9C%8811%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%97%A5%EF%BC%89_%E4%BE%9B%E8%BF%B0%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8A%E6%98%8E%E3%82%89%E3%81%8B%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%AE%E7%B5%8C%E7%B7%AF%E3%80%82%E7%9B%A3%E7%A6%81%E8%87%B4%E6%AD%BB%E7%BD%AA%E3%81%A7%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E6%B4%BE4%E4%BA%BA%E8%B5%B7%E8%A8%B4&amp;diff=1190"/>
				<updated>2026-09-04T10:14:54Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:勾留中の佐竹実の供述によって川口君の死に至る経緯が明らかになり、事件に直接関わった村上文男、武原光志、佐竹実、阿波崎文雄の4人が監禁致死で起訴された。田中敏夫）は、事件現場にいなかったとして処分保留になった。佐竹は自己批判書を取調官に提出し、自供に至る心境の変化を明らかにするとともに、党派間の暴力行使の中止を訴えた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【1年目の自供】'''&lt;br /&gt;
:監禁致死容疑で逮捕、取り調べを受けていた元一文自治会書記長の佐竹実が川口君殺害を自供した。&lt;br /&gt;
:自供によると、革マル派は対立する中核派とのセクト争いから、昨年11月8日午後2時頃、文学部構内で友人と立話をしていた川口君を「お前は中核派のスパイだろう」と佐竹ら5人が文学部127番教室に連行、村上らの指導でイスにしばりつけたうえ鉄パイプで殴るけるのリンチを加え死亡させた。&lt;br /&gt;
:佐竹は、10月21日に逮捕されて以来完黙を続けてきたが、8日を前にした週明けに革マル派の弁護士を解任、8日の東京地裁での拘留理由開示の公判も辞退して自供を始めた。&lt;br /&gt;
:これによってすでに逮捕されている二文自治会元委員長の村上文男ら3人の起訴もほぼ確実になり、指名手配中の一文自治会前組織部長の後藤隆洋ら6人の逮捕に捜査の的が絞られることとなった。&lt;br /&gt;
:自供に至る経緯については『内ゲバ～公安記者メモから』（滝田洋・磯村淳夫著）に詳しい。&lt;br /&gt;
:「自己批判書の日付けが、死者・川口の一周忌の翌日ということは、警視庁公安部（あるいは東京地検公安部）が“一周忌”のチャンスをとらえ、加害者・佐竹に精神的攻めを加えた結果とも見られる。佐竹をはじめ川口君事件被疑者に対し警視庁公安部は、カラーの遺体写真をも眼前に突きつけ、日夜の調べ（攻め）を強行した。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【川口サトさんのコメント】'''&lt;br /&gt;
:「被告たちが遅まきながらでも、自分たちがやったことが間違っていたと自己批判したことはうれしい。これをきっかけに、ほかの活動家の人たちも、運動の中から暴力を締め出すよう努力してほしい。大三郎が死んでまる一年たった今は、被告たちに対して憎しみより、むしろ被告たちの母親に対する同情の念の方が強い。」（1973年11月12日付読売新聞）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【監禁致死罪】'''&lt;br /&gt;
:東京地検は当初殺人罪の適用を検討したが、川口君の死に慌てていたという証言があったことから、川口君を殺すつもりはなかったと判断し、監禁致死罪を適用した。また、警視庁は「逮捕監禁致死罪」で逮捕したが、東京地検は川口君を長時間におよび教室に閉じ込めたことから「監禁致死罪」に当たるとして逮捕罪を省いた。なお、逮捕罪とは、他人の両手両足を捕らえた場合など、短時間の拘束に対して適用される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【元一文自治会委員長の関与】'''&lt;br /&gt;
:当時の一文自治会委員長・田中敏夫については事件への関与が認められなかった。&lt;br /&gt;
:「東京地検は、監禁致死容疑で警視庁が逮捕した元早大一文自治会委員長・田中敏夫（24）を12日夕、処分保留のまま釈放した。田中は川口君事件の指揮、命令をした疑いがあるとされ、10月22日に逮捕されたが、事件に関与しなかったという見方が強くなったため釈放となった。田中は、別の内ゲバ事件で横浜刑務所に服役中に川口君事件で逮捕されたので、釈放と同時に身柄は再び同刑務所に移された。」（1973年11月13日毎日新聞）&lt;br /&gt;
:1973年11月12日付読売新聞によれば、田中は佐竹に先立って11月7日に自己批判書を書き、転向を表明した。&lt;br /&gt;
:「田中の自己批判書はさる7日、『川口君事件に対する私の態度と反省』と題して書いたもので『暴力の行使は人間性を腐敗させる』など、佐竹とほぼ同じ内容。田中は事件当時の早大革マル派の最高幹部だが、組織との関係について『学生運動から足を洗う』と述べているという。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マルの対応】'''&lt;br /&gt;
:こうした自己批判への革マル派の対応は、前出の『内ゲバ～』に詳しい。すなわち、党派的に対応したというのである。「公安当局の弾圧のもとで、暴力一般を否定するというブルジョア的人間観を注入されこれを粉砕しえず、そうすることによって裏切り者となった」（革マル派機関紙『共産主義者』32号）と批判した。革マルにとっては、川口君事件そのものが党派闘争の論理と倫理の破綻を意味するものだっただけに、佐竹の自己批判書に対しても組織的な危機として捉えた。同じく中核派も「佐竹・田中は留置場以外に安全なところはないと観念し警察に保護を申し出た。だがこれは転向でも何でもない。佐竹の脱落にさいしての論理は革マルの“党派闘争の論理と倫理”なるものと寸分違わない」（中核派機関紙『前進』660号）と批判した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:対立する両派に共通するのは、この自己批判は権力に屈した脱落であり裏切りであって、闘争そのものへ向けられた批判ではないという認識である。すべては対権力との問題であり、党派の論理そのものは間違っていないとしている。&lt;br /&gt;
:革マル派はどのような行動に出たか、佐竹への論告求刑を報じる翌1974年6月28日の読売新聞には次のような記述がある。&lt;br /&gt;
:「革マル派から見れば、佐竹は裏切り者。山形県の親元や佐竹の弁護を受け持った大山英雄弁護士のもとにはいやがらせの電話が続いた。このため、裁判所側も佐竹の安全を考え、公判期日や使用法廷は報道関係者にも“完全黙秘”という気のつかいよう。万一に備えて法廷の看守を増やし、本来なら法廷で当事者と打ち合わせて決める次回期日も『追って指定』に切り替えたほか、両親など情状証人4人の尋問も公判期日外に非公開で行った。」&lt;br /&gt;
:そうした措置にもかかわらず、初公判の時には、東京拘置所から護送車が着くと学生風の男3人がつきまとい、法廷にも十数人が現れて、被告席の佐竹をやじり倒したという。&lt;br /&gt;
:（資料：『内ゲバ～公安記者メモから』滝田洋・磯村淳夫著）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【佐竹実　自己批判書】'''&lt;br /&gt;
: 「川口君を死に追いやった本人として、そして当時一文自治会の書記長をやっていた責任ある者として、私が完黙をやめ私の社会的責任を明らかにする心境になったのは、以下の理由によるものです。&lt;br /&gt;
: それは彼の死に直接関係した私が、自己の社会的責任を明らかにすることによって、故川口君の冥福を心から祈ると同時に、川口君のお母さんに深く謝罪したいと考えたからです。さらに、現在の党派関係の異常性とそこにおける暴力的衝突を見るにつけ、かかる現状を深く憂い、二度とこのような不幸な事態がおこらないよう強く切望しているためでもあります。&lt;br /&gt;
: 私は川口君の問題を真剣に考えている全ての人々に次のことを強く訴えたいのです。&lt;br /&gt;
:現段階の党派闘争は明らかに異常といえます。このような現状の中で、党派闘争に暴力を持ち込むことに関して、真剣に慎重に再検討して欲しいのです。暴力の行使に際限はありません。そしてその結果は予測をはるかに越えるものがあります。&lt;br /&gt;
: 現に私は川口君を死に追いやろうなどとは、もちろん夢にも考えていませんでした。しかし結果はあまりにも悲惨なものでした。私は、私と同世代の人間的にも未熟な若い人々が暴力を行使することになれてしまうことが最も恐ろしいのです。傷つけ、傷つけられることを厭わない人間になることが真の勇気ではないと思います。人間の生の尊厳なくして人間の解放はないはずです。今こそ、この原点に立ち帰るべきです。&lt;br /&gt;
: 確かに、現在の党派関係と党派闘争を正常に戻すことは非常に困難なことでしょう。容易にできる問題ではないと思います。それは大きな努力が必要でしょう。しかし誰かがやらなければなりません。私はそのことを、川口君の問題を真剣に考えている全ての人々にやり遂げて欲しいのです。私の犯したような重大な過ちが再びおこらないことを強く切望するからです。社会の矛盾を変革するために自己犠牲的な活動を展開している人々が、お互いを傷つけあうことほど不幸なことはないと考えるからです。&lt;br /&gt;
: 現在、私は川口君という将来ある一人の青年を死に追いやってしまった自己の人間的未熟を痛切に反省し、あわせて川口君の霊が安らかならんことを祈っています。&lt;br /&gt;
:::川口君、そして川口君のお母さん、ほんとうにすみませんでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::昭和48年11月9日　　　　　　佐竹実（母印）」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B44%E6%9C%8824%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%8C21%E6%97%A5%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81%E3%82%92%E3%80%8C%E9%A8%92%E4%B9%B1%E3%81%A8%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E8%A1%8C%E7%82%BA%E3%80%8D%E3%81%A8%E5%91%8A%E7%A4%BA%E3%80%82&amp;diff=1189</id>
		<title>1973年4月24日（火）当局が21日の概要を「騒乱と暴力行為」と告示。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B44%E6%9C%8824%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%8C21%E6%97%A5%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81%E3%82%92%E3%80%8C%E9%A8%92%E4%B9%B1%E3%81%A8%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E8%A1%8C%E7%82%BA%E3%80%8D%E3%81%A8%E5%91%8A%E7%A4%BA%E3%80%82&amp;diff=1189"/>
				<updated>2026-09-04T10:02:04Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:大学当局は21日の事態を「騒乱と暴力行為」として自治会活動から逸脱した行為として自省を求める内容の告示を出した。また政経学部は告示で、新執行部に対し、当局が確認済みの学部投票の実績をもとに学友会選挙の実施と組織の確立を促した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:◎一文、自治委員協議会。三年生協議会。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【当局による21日の概要】'''&lt;br /&gt;
:大学当局は「4月21日の事件の概要について」と題して、「当日の事実経過とこれに対処した大学の姿勢を正確に学生諸君に伝えることによって、このような騒乱と暴力行為の横行がもはや自治会活動と何らのつながりも持たないものであることを明らかにし、過激な行動をとった学生諸君に強く反省を求めたいと思います」とした。時系列で当日の学内の動きを記述したうえで「大学は、今回の事態を今後ますます激化しかねない暴力横行への警鐘として受けとめ、あるべき道筋からそれてしまった学生自治会再建問題を理性と対話の中に引き戻すよう重ねて努力したいと思います」とした。&lt;br /&gt;
:この日、当局が把握していた事態とそれに対しての対応は以下の通りである。&lt;br /&gt;
::1．開門後まもなく学外者が大部分と思われる反帝学評の集団約200人が本部構内に侵入し、青ヘルメット、覆面を着用した後、10号館などから無断で机、椅子などを運び出し、10号館と11号館、11号館と7号館の間の通路にバリケードを築き、旗竿などを多数林立させて集会、デモを始めました。（中略）大学は学外者と思われる集団が凶器を所持して構内に侵入し、そのためセクト間で衝突する危険が強まったこと、一般学生の巻き添えが懸念されたこと、大学の授業を可能なかぎり確保する必要があったことなどの事情から、ただちに本部構内の各門で教職員数人ずつが状況の連絡、通報など監視、警戒する体制をとるとともに、10時30分過ぎには次の掲示を出しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::「学生諸君へ&lt;br /&gt;
::今朝8時頃、他大学学生と思われる反帝系学生集団約200名がヘルメット・覆面・竹竿を所持し、構内に侵入した。&lt;br /&gt;
::このようなことは、大学としては、当然容認することはできない。&lt;br /&gt;
::速やかに退去することを警告しているが、本大学学生諸君は慎重に行動されることを望む。&lt;br /&gt;
::昭和48年4月21日　　　　　　　　早稲田大学」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::2．10時過ぎから、8号館およびその周辺で、法学部自治会系と行動委間、反帝系と革マル派間それぞれ数人ずつが口論、小ぜり合いを始め、また、11時30分近くから3号館前で黒ヘルを含む行動委の集団約100人が集会をもち、学内は次第に緊張の度を増しました。そこで大学は、黒ヘルと青ヘルの集団に向けて「ヘルメットをかぶっている学生集団はデモをやめ、集団を解き、すみやかに退去するよう」繰り返し放送しました。（中略）度重なる大学の警告を彼等は容易に聞こうとはしませんでした。およそ学問の府の秩序は、大学自治の精神に照らすと、理性と対話、説得と警告を根幹とし、またそれを限度としなければなりません。これが聞き入れられないときは、大学の自治は崩壊に瀕することになり、まことに悲しむべき事態といえましょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::3．文学部構内では12時過ぎから集会がもたれましたが、革マル派の妨害で学生大会が開けず、文学部に集まった学生の一団約300人は、14時過ぎ本部構内15号館に会場を移し、入口に机、椅子などでバリケードを築きました。17時頃になって、ヘルメット、竹竿など所持の革マル派約70人が本部構内に入り、15号館前で黒ヘルグループと対峙しました。まもなく15号館から放水が始まり、革マル派はバリケードをはずしにかかるとともに、双方が竹竿、鉄パイプで突き合いを始めました。上からは机、灰皿などが投げられ、下からは投石などでこれに応戦、約20分続きました。その後、マイク合戦に映り、19時近くに一連の騒ぎはようやくおさまりました。（中略）今回の事件で、大学が最も心配した人身事故がなかったことはせめても不幸中の幸いでした。しかし、乱闘の場となった15号館は見るも無残に破壊されました。まとめたところによると、（中略）損害額は、実に500万円に達します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【政経学部当局の考える正常な状態とは】'''&lt;br /&gt;
:政経学部では、ストによって前年度の学年末試験が延期されたままであった。また、学生投票によって学友会（＝自治会）再建は決定されたものの、革マルの妨害によって学友会委員の選挙ー学友会委員会の発足のプロセスに至らず足踏み状態だった。&lt;br /&gt;
:4月24日付の告示の中で政経学部当局は、この状況を次のように表現した。&lt;br /&gt;
:「現実の再建活動は、一つの事件をきっかけにして起こったために、排除された派閥が、他学部学生などの応援をえて、失地の快復などを試みるようになると、混乱がおこり、前進がとまった。ところが臨時執行部は、この一頓挫を、学部当局・大学当局の反動的弾圧的対応にもとづくものであるとし、予め示した条件に従うことをやめ、全く新たな新自治会を設立するのだと言い、「1．新自治会の即時無条件承認、自治会費凍結即時解除」「2．3号館地下、4号館の管理運営権を学生の手に」「3．10.27、11.17告示白紙撤回」「4．今後一切の学生処分を行わない確約」「5．総長団交要請の確約」「6．機動隊導入自己批判」「7．負傷者の補償」の7項目を掲げて、学部に迫ってきた。そしてこれらの要求の全面的貫徹のためとして、学年末試験の時期を含む2～4月の間にわたり試験粉砕ストを行ない、臨時執行部のなかの一部派閥は、もし学部が教場試験を強行するなら、暴力をもってこれが実施を不可能にするとまで広言している。（中略）学部は学友会再建のための条項に従って手続が進められてきたことを認め、学部全学生の過半が再建のための学生投票に参加し、それの有効投票の過半が、現在行われている学友会再建運動に賛同し、これの達成実現を支持していることを、さきの学生投票の結果を点検することによって確認した。残るは第5項（編註：学友会選挙および学友会委員会の組織）だけなのである。なぜ示された手続に従って、さらに進もうとしないのか。なぜ新自治会の即時無条件承認などと言いだすのか、理解に苦しむというほかない。すでに述べたとおり、学年末試験の実施と学友会再建のこととは、おのずから別のことであって、両者を結びつけようとするところに無理と飛躍がある。このことに関して正常な状態とは何かといえば、だから、二つを切り離して、純粋な再建運動を、いままで積み上げたところを足場に、臨時執行部が着実に前進するようになることであると考える。」&lt;br /&gt;
:なお、当局の示した5項目は次の通りである。&lt;br /&gt;
:（1）学友会再建のための学生大会の招集は、学部在籍学生の3分の1以上の署名による要求に基づいておこなわれる。&lt;br /&gt;
:（2）学生大会は、学部在籍学生の5分の1以上の出席によって成立する。&lt;br /&gt;
:（3）学生大会で、学友会再建を学生投票に付することを、出席学生の過半数で決議する。&lt;br /&gt;
:（4）学生投票による学友会再建の決定は、学部在籍学生の過半数の無記名投票と有効投票の過半数の同意によっておこなわれる。&lt;br /&gt;
:（5）以上のような手続を経て学友会の再建が決定された場合、学友会会則に定める手続に準拠して学友会選挙を実施し、これによって選出された委員によって学友会委員会が組織され、ここに学友会が正式に再発足することになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:同告示は、「3年度生以下の学年末試験については、正常な状態のもとで実施したいので、4月以降までこれを延期する旨の決定を行ってから、2カ月をこえた。以後、学内には混乱がつづき、現在も正常な状態とは言えない」という書き出しで始まり、前半には暴力についての言及がある。曰く「まず、暴力追放運動のことである。事件の責任を自認した革マル派が、相かわらずゲバ棒を振う集団行動を続けたことは言うまでもなく悪い。けれども、暴力に報いるに暴力をもってするのは、自家撞着であろう。だから、これに対抗して立上った学生諸君のなかに、自分たちのほうから暴力をしかける武装集団が生まれたのも、また遺憾至極であった。どんなに正当な理由があるにしても、静穏であるべき学内に暴力をもちこむことは、主張がどうあろうと絶対に許されるべきことではない。（中略）それなら大学は、この状態をなくすためになにをしたか、そのつど告示を出して、集団の暴力行為を非難するだけだったではないか、と問う者がいる。だが大学に、これ以外のなにができたであろうか。大学は暴力に対して無力であり、無力であることに誇りを感じている」。そして、1969年の10.27告示、1972年の11.17告示は「こうした暴力の日常化を予防するために公示された」ものであるとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B44%E6%9C%8824%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%8C21%E6%97%A5%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81%E3%82%92%E3%80%8C%E9%A8%92%E4%B9%B1%E3%81%A8%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E8%A1%8C%E7%82%BA%E3%80%8D%E3%81%A8%E5%91%8A%E7%A4%BA%E3%80%82&amp;diff=1188</id>
		<title>1973年4月24日（火）当局が21日の概要を「騒乱と暴力行為」と告示。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B44%E6%9C%8824%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%8C21%E6%97%A5%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81%E3%82%92%E3%80%8C%E9%A8%92%E4%B9%B1%E3%81%A8%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E8%A1%8C%E7%82%BA%E3%80%8D%E3%81%A8%E5%91%8A%E7%A4%BA%E3%80%82&amp;diff=1188"/>
				<updated>2026-09-04T09:57:51Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:大学当局は21日の事態を「騒乱と暴力行為」として自治会活動から逸脱した行為として自省を求める内容の告示を出した。また政経学部は告示で、新執行部に対し、当局が確認済みの学部投票の実績をもとに学友会選挙の実施と組織の確立を促した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:◎一文、自治委員協議会。三年生協議会。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【当局による21日の概要】'''&lt;br /&gt;
:大学当局は「4月21日の事件の概要について」と題して、「当日の事実経過とこれに対処した大学の姿勢を正確に学生諸君に伝えることによって、このような騒乱と暴力行為の横行がもはや自治会活動と何らのつながりも持たないものであることを明らかにし、過激な行動をとった学生諸君に強く反省を求めたいと思います」とした。時系列で当日の学内の動きを記述したうえで「大学は、今回の事態を今後ますます激化しかねない暴力横行への警鐘として受けとめ、あるべき道筋からそれてしまった学生自治会再建問題を理性と対話の中に引き戻すよう重ねて努力したいと思います」とした。&lt;br /&gt;
:この日、当局が把握していた事態とそれに対しての対応は以下の通りである。&lt;br /&gt;
::1．開門後まもなく学外者が大部分と思われる反帝学評の集団約200人が本部構内に侵入し、青ヘルメット、覆面を着用した後、10号館などから無断で机、椅子などを運び出し、10号館と11号館、11号館と7号館の間の通路にバリケードを築き、旗竿などを多数林立させて集会、デモを始めました。（中略）大学は学外者と思われる集団が凶器を所持して構内に侵入し、そのためセクト間で衝突する危険が強まったこと、一般学生の巻き添えが懸念されたこと、大学の授業を可能なかぎり確保する必要があったことなどの事情から、ただちに本部構内の各門で教職員数人ずつが状況の連絡、通報など監視、警戒する体制をとるとともに、10時30分過ぎには次の掲示を出しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::「学生諸君へ&lt;br /&gt;
::今朝8時頃、他大学学生と思われる反帝系学生集団約200名がヘルメット・覆面・竹竿を所持し、構内に侵入した。&lt;br /&gt;
::このようなことは、大学としては、当然容認することはできない。&lt;br /&gt;
::速やかに退去することを警告しているが、本大学学生諸君は慎重に行動されることを望む。&lt;br /&gt;
::昭和48年4月21日　　　　　　　　早稲田大学」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::2．10時過ぎから、8号館およびその周辺で、法学部自治会系と行動委間、反帝系と革マル派間それぞれ数人ずつが口論、小ぜり合いを始め、また、11時30分近くから3号館前で黒ヘルを含む行動委の集団約100人が集会をもち、学内は次第に緊張の度を増しました。そこで大学は、黒ヘルと青ヘルの集団に向けて「ヘルメットをかぶっている学生集団はデモをやめ、集団を解き、すみやかに退去するよう」繰り返し放送しました。（中略）度重なる大学の警告を彼等は容易に聞こうとはしませんでした。およそ学問の府の秩序は、大学自治の精神に照らすと、理性と対話、説得と警告を根幹とし、またそれを限度としなければなりません。これが聞き入れられないときは、大学の自治は崩壊に瀕することになり、まことに悲しむべき事態といえましょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::3．文学部構内では12時過ぎから集会がもたれましたが、革マル派の妨害で学生大会が開けず、文学部に集まった学生の一団約300人は、14時過ぎ本部構内15号館に会場を移し、入口に机、椅子などでバリケードを築きました。17時頃になって、ヘルメット、竹竿など所持の革マル派約70人が本部構内に入り、15号館前で黒ヘルグループと対峙しました。まもなく15号館から放水が始まり、革マル派はバリケードをはずしにかかるとともに、双方が竹竿、鉄パイプで突き合いを始めました。上からは机、灰皿などが投げられ、下からは投石などでこれに応戦、約20分続きました。その後、マイク合戦に映り、19時近くに一連の騒ぎはようやくおさまりました。（中略）今回の事件で、大学が最も心配した人身事故がなかったことはせめても不幸中の幸いでした。しかし、乱闘の場となった15号館は見るも無残に破壊されました。まとめたところによると、（中略）損害額は、実に500万円に達します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【政経学部当局の考える正常な状態とは】'''&lt;br /&gt;
:政経学部では、ストによって前年度の学年末試験が延期されたままであった。また、学生投票によって学友会（＝自治会）再建は決定されたものの、革マルの妨害によって学友会委員の選挙ー学友会委員会の発足のプロセスに至らず足踏み状態だった。&lt;br /&gt;
:4月24日付の告示の中で政経学部当局は、この状況を次のように表現した。&lt;br /&gt;
:「現実の再建活動は、一つの事件をきっかけにして起こったために、排除された派閥が、他学部学生などの応援をえて、失地の快復などを試みるようになると、混乱がおこり、前進がとまった。ところが臨時執行部は、この一頓挫を、学部当局・大学当局の反動的弾圧的対応にもとづくものであるとし、予め示した条件に従うことをやめ、全く新たな新自治会を設立するのだと言い、「1．新自治会の即時無条件承認、自治会費凍結即時解除」「2．3号館地下、4号館の管理運営権を学生の手に」「3．11.27、11.17告示白紙撤回」「4．今後一切の学生処分を行わない確約」「5．総長団交要請の確約」「6．機動隊導入自己批判」「7．負傷者の補償」の7項目を掲げて、学部に迫ってきた。そしてこれらの要求の全面的貫徹のためとして、学年末試験の時期を含む2～4月の間にわたり試験粉砕ストを行ない、臨時執行部のなかの一部派閥は、もし学部が教場試験を強行するなら、暴力をもってこれが実施を不可能にするとまで広言している。（中略）学部は学友会再建のための条項に従って手続が進められてきたことを認め、学部全学生の過半が再建のための学生投票に参加し、それの有効投票の過半が、現在行われている学友会再建運動に賛同し、これの達成実現を支持していることを、さきの学生投票の結果を点検することによって確認した。残るは第5項（編註：学友会選挙および学友会委員会の組織）だけなのである。なぜ示された手続に従って、さらに進もうとしないのか。なぜ新自治会の即時無条件承認などと言いだすのか、理解に苦しむというほかない。すでに述べたとおり、学年末試験の実施と学友会再建のこととは、おのずから別のことであって、両者を結びつけようとするところに無理と飛躍がある。このことに関して正常な状態とは何かといえば、だから、二つを切り離して、純粋な再建運動を、いままで積み上げたところを足場に、臨時執行部が着実に前進するようになることであると考える。」&lt;br /&gt;
:なお、当局の示した5項目は次の通りである。&lt;br /&gt;
:（1）学友会再建のための学生大会の招集は、学部在籍学生の3分の1以上の署名による要求に基づいておこなわれる。&lt;br /&gt;
:（2）学生大会は、学部在籍学生の5分の1以上の出席によって成立する。&lt;br /&gt;
:（3）学生大会で、学友会再建を学生投票に付することを、出席学生の過半数で決議する。&lt;br /&gt;
:（4）学生投票による学友会再建の決定は、学部在籍学生の過半数の無記名投票と有効投票の過半数の同意によっておこなわれる。&lt;br /&gt;
:（5）以上のような手続を経て学友会の再建が決定された場合、学友会会則に定める手続に準拠して学友会選挙を実施し、これによって選出された委員によって学友会委員会が組織され、ここに学友会が正式に再発足することになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:同告示は、「3年度生以下の学年末試験については、正常な状態のもとで実施したいので、4月以降までこれを延期する旨の決定を行ってから、2カ月をこえた。以後、学内には混乱がつづき、現在も正常な状態とは言えない」という書き出しで始まり、前半には暴力についての言及がある。曰く「まず、暴力追放運動のことである。事件の責任を自認した革マル派が、相かわらずゲバ棒を振う集団行動を続けたことは言うまでもなく悪い。けれども、暴力に報いるに暴力をもってするのは、自家撞着であろう。だから、これに対抗して立上った学生諸君のなかに、自分たちのほうから暴力をしかける武装集団が生まれたのも、また遺憾至極であった。どんなに正当な理由があるにしても、静穏であるべき学内に暴力をもちこむことは、主張がどうあろうと絶対に許されるべきことではない。（中略）それなら大学は、この状態をなくすためになにをしたか、そのつど告示を出して、集団の暴力行為を非難するだけだったではないか、と問う者がいる。だが大学に、これ以外のなにができたであろうか。大学は暴力に対して無力であり、無力であることに誇りを感じている」。そして、1969年の10.27告示、1972年の11.17告示は「こうした暴力の日常化を予防するために公示された」ものであるとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B44%E6%9C%8824%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%8C21%E6%97%A5%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81%E3%82%92%E3%80%8C%E9%A8%92%E4%B9%B1%E3%81%A8%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E8%A1%8C%E7%82%BA%E3%80%8D%E3%81%A8%E5%91%8A%E7%A4%BA%E3%80%82&amp;diff=1187</id>
		<title>1973年4月24日（火）当局が21日の概要を「騒乱と暴力行為」と告示。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B44%E6%9C%8824%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%8C21%E6%97%A5%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81%E3%82%92%E3%80%8C%E9%A8%92%E4%B9%B1%E3%81%A8%E6%9A%B4%E5%8A%9B%E8%A1%8C%E7%82%BA%E3%80%8D%E3%81%A8%E5%91%8A%E7%A4%BA%E3%80%82&amp;diff=1187"/>
				<updated>2026-09-04T09:56:49Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:大学当局は21日の事態を「騒乱と暴力行為」として自治会活動から逸脱した行為として自省を求める内容の告示を出した。また政経学部は告示で、新執行部に対し、当局が確認済みの学部投票の実績をもとに学友会選挙の実施と学友会組織を確立するよう促した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:◎一文、自治委員協議会。三年生協議会。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【当局による21日の概要】'''&lt;br /&gt;
:大学当局は「4月21日の事件の概要について」と題して、「当日の事実経過とこれに対処した大学の姿勢を正確に学生諸君に伝えることによって、このような騒乱と暴力行為の横行がもはや自治会活動と何らのつながりも持たないものであることを明らかにし、過激な行動をとった学生諸君に強く反省を求めたいと思います」とした。時系列で当日の学内の動きを記述したうえで「大学は、今回の事態を今後ますます激化しかねない暴力横行への警鐘として受けとめ、あるべき道筋からそれてしまった学生自治会再建問題を理性と対話の中に引き戻すよう重ねて努力したいと思います」とした。&lt;br /&gt;
:この日、当局が把握していた事態とそれに対しての対応は以下の通りである。&lt;br /&gt;
::1．開門後まもなく学外者が大部分と思われる反帝学評の集団約200人が本部構内に侵入し、青ヘルメット、覆面を着用した後、10号館などから無断で机、椅子などを運び出し、10号館と11号館、11号館と7号館の間の通路にバリケードを築き、旗竿などを多数林立させて集会、デモを始めました。（中略）大学は学外者と思われる集団が凶器を所持して構内に侵入し、そのためセクト間で衝突する危険が強まったこと、一般学生の巻き添えが懸念されたこと、大学の授業を可能なかぎり確保する必要があったことなどの事情から、ただちに本部構内の各門で教職員数人ずつが状況の連絡、通報など監視、警戒する体制をとるとともに、10時30分過ぎには次の掲示を出しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::「学生諸君へ&lt;br /&gt;
::今朝8時頃、他大学学生と思われる反帝系学生集団約200名がヘルメット・覆面・竹竿を所持し、構内に侵入した。&lt;br /&gt;
::このようなことは、大学としては、当然容認することはできない。&lt;br /&gt;
::速やかに退去することを警告しているが、本大学学生諸君は慎重に行動されることを望む。&lt;br /&gt;
::昭和48年4月21日　　　　　　　　早稲田大学」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::2．10時過ぎから、8号館およびその周辺で、法学部自治会系と行動委間、反帝系と革マル派間それぞれ数人ずつが口論、小ぜり合いを始め、また、11時30分近くから3号館前で黒ヘルを含む行動委の集団約100人が集会をもち、学内は次第に緊張の度を増しました。そこで大学は、黒ヘルと青ヘルの集団に向けて「ヘルメットをかぶっている学生集団はデモをやめ、集団を解き、すみやかに退去するよう」繰り返し放送しました。（中略）度重なる大学の警告を彼等は容易に聞こうとはしませんでした。およそ学問の府の秩序は、大学自治の精神に照らすと、理性と対話、説得と警告を根幹とし、またそれを限度としなければなりません。これが聞き入れられないときは、大学の自治は崩壊に瀕することになり、まことに悲しむべき事態といえましょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::3．文学部構内では12時過ぎから集会がもたれましたが、革マル派の妨害で学生大会が開けず、文学部に集まった学生の一団約300人は、14時過ぎ本部構内15号館に会場を移し、入口に机、椅子などでバリケードを築きました。17時頃になって、ヘルメット、竹竿など所持の革マル派約70人が本部構内に入り、15号館前で黒ヘルグループと対峙しました。まもなく15号館から放水が始まり、革マル派はバリケードをはずしにかかるとともに、双方が竹竿、鉄パイプで突き合いを始めました。上からは机、灰皿などが投げられ、下からは投石などでこれに応戦、約20分続きました。その後、マイク合戦に映り、19時近くに一連の騒ぎはようやくおさまりました。（中略）今回の事件で、大学が最も心配した人身事故がなかったことはせめても不幸中の幸いでした。しかし、乱闘の場となった15号館は見るも無残に破壊されました。まとめたところによると、（中略）損害額は、実に500万円に達します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【政経学部当局の考える正常な状態とは】'''&lt;br /&gt;
:政経学部では、ストによって前年度の学年末試験が延期されたままであった。また、学生投票によって学友会（＝自治会）再建は決定されたものの、革マルの妨害によって学友会委員の選挙ー学友会委員会の発足のプロセスに至らず足踏み状態だった。&lt;br /&gt;
:4月24日付の告示の中で政経学部当局は、この状況を次のように表現した。&lt;br /&gt;
:「現実の再建活動は、一つの事件をきっかけにして起こったために、排除された派閥が、他学部学生などの応援をえて、失地の快復などを試みるようになると、混乱がおこり、前進がとまった。ところが臨時執行部は、この一頓挫を、学部当局・大学当局の反動的弾圧的対応にもとづくものであるとし、予め示した条件に従うことをやめ、全く新たな新自治会を設立するのだと言い、「1．新自治会の即時無条件承認、自治会費凍結即時解除」「2．3号館地下、4号館の管理運営権を学生の手に」「3．11.27、11.17告示白紙撤回」「4．今後一切の学生処分を行わない確約」「5．総長団交要請の確約」「6．機動隊導入自己批判」「7．負傷者の補償」の7項目を掲げて、学部に迫ってきた。そしてこれらの要求の全面的貫徹のためとして、学年末試験の時期を含む2～4月の間にわたり試験粉砕ストを行ない、臨時執行部のなかの一部派閥は、もし学部が教場試験を強行するなら、暴力をもってこれが実施を不可能にするとまで広言している。（中略）学部は学友会再建のための条項に従って手続が進められてきたことを認め、学部全学生の過半が再建のための学生投票に参加し、それの有効投票の過半が、現在行われている学友会再建運動に賛同し、これの達成実現を支持していることを、さきの学生投票の結果を点検することによって確認した。残るは第5項（編註：学友会選挙および学友会委員会の組織）だけなのである。なぜ示された手続に従って、さらに進もうとしないのか。なぜ新自治会の即時無条件承認などと言いだすのか、理解に苦しむというほかない。すでに述べたとおり、学年末試験の実施と学友会再建のこととは、おのずから別のことであって、両者を結びつけようとするところに無理と飛躍がある。このことに関して正常な状態とは何かといえば、だから、二つを切り離して、純粋な再建運動を、いままで積み上げたところを足場に、臨時執行部が着実に前進するようになることであると考える。」&lt;br /&gt;
:なお、当局の示した5項目は次の通りである。&lt;br /&gt;
:（1）学友会再建のための学生大会の招集は、学部在籍学生の3分の1以上の署名による要求に基づいておこなわれる。&lt;br /&gt;
:（2）学生大会は、学部在籍学生の5分の1以上の出席によって成立する。&lt;br /&gt;
:（3）学生大会で、学友会再建を学生投票に付することを、出席学生の過半数で決議する。&lt;br /&gt;
:（4）学生投票による学友会再建の決定は、学部在籍学生の過半数の無記名投票と有効投票の過半数の同意によっておこなわれる。&lt;br /&gt;
:（5）以上のような手続を経て学友会の再建が決定された場合、学友会会則に定める手続に準拠して学友会選挙を実施し、これによって選出された委員によって学友会委員会が組織され、ここに学友会が正式に再発足することになる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:同告示は、「3年度生以下の学年末試験については、正常な状態のもとで実施したいので、4月以降までこれを延期する旨の決定を行ってから、2カ月をこえた。以後、学内には混乱がつづき、現在も正常な状態とは言えない」という書き出しで始まり、前半には暴力についての言及がある。曰く「まず、暴力追放運動のことである。事件の責任を自認した革マル派が、相かわらずゲバ棒を振う集団行動を続けたことは言うまでもなく悪い。けれども、暴力に報いるに暴力をもってするのは、自家撞着であろう。だから、これに対抗して立上った学生諸君のなかに、自分たちのほうから暴力をしかける武装集団が生まれたのも、また遺憾至極であった。どんなに正当な理由があるにしても、静穏であるべき学内に暴力をもちこむことは、主張がどうあろうと絶対に許されるべきことではない。（中略）それなら大学は、この状態をなくすためになにをしたか、そのつど告示を出して、集団の暴力行為を非難するだけだったではないか、と問う者がいる。だが大学に、これ以外のなにができたであろうか。大学は暴力に対して無力であり、無力であることに誇りを感じている」。そして、1969年の10.27告示、1972年の11.17告示は「こうした暴力の日常化を予防するために公示された」ものであるとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B44%E6%9C%8814%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89%E7%B5%90%E9%9B%86%E3%82%92%E5%A6%A8%E5%AE%B3%E3%81%95%E3%82%8C%E3%80%81%E6%95%99%E8%82%B2%E5%AD%A6%E9%83%A8%E5%AD%A6%E7%94%9F%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E3%81%8C%E5%AD%A6%E7%94%9F%E9%9B%86%E4%BC%9A%E3%81%AB%E3%80%82&amp;diff=1186</id>
		<title>1973年4月14日（土）結集を妨害され、教育学部学生大会が学生集会に。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B44%E6%9C%8814%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89%E7%B5%90%E9%9B%86%E3%82%92%E5%A6%A8%E5%AE%B3%E3%81%95%E3%82%8C%E3%80%81%E6%95%99%E8%82%B2%E5%AD%A6%E9%83%A8%E5%AD%A6%E7%94%9F%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E3%81%8C%E5%AD%A6%E7%94%9F%E9%9B%86%E4%BC%9A%E3%81%AB%E3%80%82&amp;diff=1186"/>
				<updated>2026-09-04T09:53:22Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:この日予定されていた教育学部学生大会に対し、ヘルメット着用の革マル派30名が会場入口で集会を開き、入口を閉めるなどして妨害。会場内には406名しか入れず、学生集会となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:◎教育学部学生大会、革マルの妨害で流会に。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【教育学部学生大会議案書には】'''&lt;br /&gt;
:この日の主な議案は「四月祭への参加呼びかけ」で、加えて「自治会費徴収」についても話し合われる予定だった。&lt;br /&gt;
:冒頭の執行委員会声明では、大学当局と革マル派の管理支配体制の粉砕を強く呼びかけている。革マルの理論は抑圧・圧殺の理論であるとし「68-69年全国学園闘争を経る中で、多くの先輩達が革マルによる陰惨な個人テロの前に血を流しながら早稲田から去っていった。そうした無数の諸個人の『死』の一つとして川口君の『死』があったのだということを我々は絶対に忘れてはならないし、彼の死は、全国の学園あるいは職場で自立した闘いに苦闘している全ての闘う人民への（編註：革マル派の）明確な敵対としてあったのだ」としている。「我々は決して忘れることはないだろう。11.13-14の徹夜集会等々の中で、我々は単に革マルを糾弾しているだけではだめなんだ。革マルが早稲田を完全支配してこれたような基盤そのものを徹底的に破壊しないかぎり、第二、第三の川口君がでてきてしまうということを。そうであるが故に、全ての学友が11.8以前の自己の日常を捉えつつ、我々自らの代行主義、官僚主義を排し、自立した自主的自治会運動を創出すべく、新たな自治会を創出することを誓い合ったんだということを。」&lt;br /&gt;
:議案書に掲げられたスローガンは次の7つ。&lt;br /&gt;
:::1）革マルによる11.8川口君虐殺徹底糾弾！&lt;br /&gt;
:::2）革マルによる1.19無差別テロ徹底糾弾！&lt;br /&gt;
:::3）革マルによる4.4　16号館への鉄パイプ襲撃徹底糾弾！&lt;br /&gt;
:::4）革マルによる4.10代々木駅頭における鉄パイプ襲撃徹底糾弾！&lt;br /&gt;
:::5）革マルによる「常任委」僭称・反自治会策動徹底粉砕！&lt;br /&gt;
:::6）革マルによる「統一行動」策動徹底粉砕！&lt;br /&gt;
:::7）四月祭勝利！自主管理闘争勝利！全学団交勝利！早大管理支配体制粉砕！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【四月祭の概要】'''&lt;br /&gt;
:四月祭は、全学四月祭実行委員会（準備委員会とも）の呼びかけで4月13日～19日の間に学部ごとに実施されることが決まっていた。その意義については「新入生との連帯」「クラス活動の基盤固め」「サークル活動・グループ活動の解放」などがあげられた。&lt;br /&gt;
:★四月祭スケジュール★（パンフレットより）&lt;br /&gt;
:16日	 ・映画「三里塚の冬」&lt;br /&gt;
::・講演：青年行動隊、9.16被告団&lt;br /&gt;
::会場：16号館107教室&lt;br /&gt;
::主催：9.16裁判を支援する会&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:18日	・新入生連帯討論集会&lt;br /&gt;
::会場：10号館109教室&lt;br /&gt;
::主催：4.2集会実行委員会&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:19日	・筑波大学法を斬る&lt;br /&gt;
::会場：15号館102教室&lt;br /&gt;
::主催：教育新歓実行委&lt;br /&gt;
::・レコード鑑賞と紙芝居&lt;br /&gt;
::主催：いちご白書&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:20日	・映画「パルチザン前史」&lt;br /&gt;
::会場：16号館405教室&lt;br /&gt;
::主催：教育・社会科学専修&lt;br /&gt;
::・四日市公害のあやまち&lt;br /&gt;
::・映画「広島原爆の記録」&lt;br /&gt;
::会場：15号館405教室&lt;br /&gt;
::主催：新全国総合開発研究会 &lt;br /&gt;
::・現代とアナーキズム&lt;br /&gt;
::講演：秋山清&lt;br /&gt;
::会場：15号館102教室&lt;br /&gt;
::主催：アナーキズム研究会&lt;br /&gt;
::・学生運動における早大闘争の位置&lt;br /&gt;
::会場：16号館&lt;br /&gt;
::主催：教育学部自治会執行委&lt;br /&gt;
::・早大管理支配秩序を撃つ&lt;br /&gt;
::会場：16号館 &lt;br /&gt;
::主催：伝習館問題研究会&lt;br /&gt;
::：現代教育研究会&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:21日	・映画「戦艦ポチョムキン」「母」&lt;br /&gt;
::会場：15号館402教室&lt;br /&gt;
::主催：政経学部2-6、2-15、2-29&lt;br /&gt;
::・早大・慶大連帯討論集会&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:23日・サークル連絡会議（C連）オリエンテーション&lt;br /&gt;
::会場：10号館109教室&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:25日	・三上寛コンサート&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1jJRKNKqOLKyoyWGwDgD49Easb5F1S4lW/view?usp=sharing 仮称　四月祭（パンフレット）　四月祭実行委]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B44%E6%9C%886%E6%97%A5%EF%BC%88%E9%87%91%EF%BC%89%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%80%8C%E7%B5%B1%E4%B8%80%E8%A1%8C%E5%8B%95%E3%80%8D%E3%80%8C%E7%B5%B1%E4%B8%80%E5%AD%A6%E5%A4%A7%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%AD%96%E5%8B%95%E3%80%82&amp;diff=1185</id>
		<title>1973年4月6日（金）革マルによる「統一行動」「統一学大」の策動。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B44%E6%9C%886%E6%97%A5%EF%BC%88%E9%87%91%EF%BC%89%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%80%8C%E7%B5%B1%E4%B8%80%E8%A1%8C%E5%8B%95%E3%80%8D%E3%80%8C%E7%B5%B1%E4%B8%80%E5%AD%A6%E5%A4%A7%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%AD%96%E5%8B%95%E3%80%82&amp;diff=1185"/>
				<updated>2026-09-04T09:52:08Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:4月10日に予定されていた各学部の学生大会に照準を合わせるように、革マルの自治会常任委名による「統一行動」「統一学大」の呼びかけが際立ってきた。「統一」という美名に隠れた新入生の取り込みと新執行部への恫喝が露骨に行われた。一文では、個人名で教室借用願まで提出したが、当局は旧執行部の活動不承認の立場を取って、これを認めなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:■革マル、一・二文旧自治会副委員長名で4月10日の教室借用願を提出。（9日当局は拒否）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【統一行動の中身】'''&lt;br /&gt;
:「一文自治会常任委」をかたった革マルは「反戦・反基地の闘い」「春闘・国鉄スト支援」「政府自民党の『筑波法案』反対」「早大当局の学生管理強化反対」等のスローガンを掲げ、これらを克ち取るために「早大全学の統一した力の結集を」と呼びかけたのである。これには「不当な敵対行為を続けている『自治会執行委員会』を自称する諸君に対しても、自治会問題を踏み絵としない統一行動を呼びかけるものである」と続き「安易に統一行動を分断することは許されない」という文言が付記されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【当局が教室の使用を認めず】'''&lt;br /&gt;
:革マルは「統一」の名目で4.10と4.20の「統一学生大会」と4.11の「統一行動」を呼びかけ、その準備のための「学生大会実行委員会」を結成するとした。そしてその前準備として、当局に教室の使用許可を求めていたことが4月9日付の当局告示で明らかになった。&lt;br /&gt;
:「（前略）過日、個人の代表者名で一･二文それぞれ4月10日の教室借用願の届け出があったが、その後調査したところ、この代表者はいずれも旧自治会副委員長であり、教室の使用目的は「統一学生大会」ということのようである。&lt;br /&gt;
:われわれは、現在、一文新執行部については教員会を代表する折衝委員会が、二文臨時執行部については二文教務当局が折衝にあたっているが、いわゆる「常任委員会」等を主体とする旧執行部に対しては、昨年11月8日の不幸な事件の責任を追及して、活動不承認の措置をとっている。&lt;br /&gt;
:従って、われわれは4月10日開催予定の旧執行部主催の「統一学生大会」なるものを認めることはできないし、これに教室の使用を許可することもありえない。（後略）」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1MZVF63hZIvqwM_EUI7MzjCKOzJfjj4ej/view?usp=sharing  川口君虐殺を歴史から抹殺することを許さない　一文自治会執行委員会]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B44%E6%9C%884%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%B0%B4%EF%BC%8916%E5%8F%B7%E9%A4%A8%E3%81%A7%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E4%B8%AD%E3%81%AE4.2%E9%9B%86%E4%BC%9A%E5%AE%9F%E8%A1%8C%E5%A7%94%E3%82%92%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%8C%E8%A5%B2%E6%92%83%E3%80%82%E9%87%8D%E8%BB%BD%E5%82%B7%E8%80%85%E5%A4%9A%E6%95%B0%E3%80%82&amp;diff=1184</id>
		<title>1973年4月4日（水）16号館で会議中の4.2集会実行委を革マルが襲撃。重軽傷者多数。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B44%E6%9C%884%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%B0%B4%EF%BC%8916%E5%8F%B7%E9%A4%A8%E3%81%A7%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E4%B8%AD%E3%81%AE4.2%E9%9B%86%E4%BC%9A%E5%AE%9F%E8%A1%8C%E5%A7%94%E3%82%92%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%8C%E8%A5%B2%E6%92%83%E3%80%82%E9%87%8D%E8%BB%BD%E5%82%B7%E8%80%85%E5%A4%9A%E6%95%B0%E3%80%82&amp;diff=1184"/>
				<updated>2026-09-04T09:50:58Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: ページの作成:「'''【概要】''' :夕方、16号館で4.2集会実行委員会が総括会議を開催。そこへ革マル30人が乱入。手にした鉄パイプで参加者の頭...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:夕方、16号館で4.2集会実行委員会が総括会議を開催。そこへ革マル30人が乱入。手にした鉄パイプで参加者の頭部を次々に殴打。頭蓋骨陥没、骨折等の重軽傷者多数。また、けが人から金銭、手回り品などを強奪した。負傷者はタクシー等で病院へ。残りのメンバーは集団で学外へ出た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:■夕方革マル30名は鉄パイプで武装して16号館402教室に向かい、総括会議を行っていた4.2集会実行委30名を襲撃。頭部を鉄パイプで乱打し、頭蓋骨陥没１名、手足・肋骨骨折数名を含む重傷10名、軽傷20名。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【『一文有志の記録』から】'''&lt;br /&gt;
:この日夕刻の出来事について『一文有志の記録』には「4.4夕刻16号館集団リンチ事件経過」と題したメモが1ページいっぱいを埋め尽くしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::5：00	15号館。社学当局のオリエンテーションに介入していた社学行動委の学友が発言。Zがそれを阻止する形で介入、発言を妨害した。&lt;br /&gt;
::5：30	Zを15号館から押し出した。15号館前で少数のマルと小競り合い。この時点で13号館ラウンジにマル50～60人が鉄パイプに紙を巻きコートに隠し結集。&lt;br /&gt;
::6：00	われわれは16号館に引く。15号館のマルから13号館（もしくは学館）のマルへ連絡が行く。&lt;br /&gt;
::6：30	マルが16号館へ乱入。&lt;br /&gt;
:::われわれは無防備・素手。ちりぢりになってラウンジから上へ逃げる。ラウンジ西端で一人頭部殴打。マルは402教室に駆け上り、中で会議中の各学部代表の学友に対し鉄パイプで襲いかかる。革マルの指揮者Fは「頭を狙え！」と指示。意図的に廃人化を狙う。計9人が頭部を殴打され重傷。ラウンジでやられた人は、頭と右足に裂傷を負い、時計、タバコ、マッチなどを盗られた。一文はY君がカンパの現金3万円、メモ類を盗られ額に傷、M君は頭部:::内出血と鼻血、もう一人のM君は右肩にケガ。&lt;br /&gt;
::7：00	Zは16号館から逃亡。&lt;br /&gt;
:::	負傷者は車で病院へ。&lt;br /&gt;
::7：30	残ったメンバーは16号館に結集し、まとまって脱出する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【新聞各紙では】'''&lt;br /&gt;
:毎日新聞では「早大でまた乱闘　7人重傷」の見出しで次のように報道した。「4日午後6時半ごろ、東京都新宿区戸塚の早稲田大学16号館で集会を開いていた反革マル系の『4.2集会実行委員会』の学生約30人に革マル系の学生約30人がなぐり込みをかけ乱闘となった。革マル系の学生は短い鉄パイプを持ち、16号館1階ロビーと4階411教室で逃げ遅れた学生をメッタ打ちにした。この乱闘騒ぎで十数人が頭や腕に打撲傷を負った。けがをした学生たちは散り散りになって逃げ、一部は同夜、板橋区栄町33の都立豊島病院で手当てを受けたが、うち7人は頭部裂傷や腕の骨を折ってかなりの重傷だという。」（1973年4月5日付毎日新聞）&lt;br /&gt;
:朝日新聞の見出しも「早大でまた内ゲバ　7人けが」と、毎日新聞と似たり寄ったり。“内ゲバ”と表記されるのはこれが初めてか。「4日午後6時半ごろ、早大構内の教育学部6号館（編注：16号館）付近の2カ所で学生約60人が口論のあと乱闘となり、けが人が出たと110番があった。戸塚署員がすぐ現場にかけつけたが、すでに学生らの姿はなかった。同署で調べたところ、騒ぎの直後に学内診療所の医師後藤雅子さんが学生の通報で現場にかけつけたが、ロッ骨骨折、手の骨折のほか頭を鉄パイプで強打され7人がかなりのケガを負った。後藤さんがすぐ救急車で病院へ行くように指示したのに対し、学生たちは「救急車は困る」といい捨て、タクシーで病院へ向ったという。同署では、革マル派と反革マル派の学生たちによる内ゲバ事件とみており、傷害事件として捜査している。」&lt;br /&gt;
:編註：この日重傷を負ったのは、二文臨時執行部議長のK君、一文執行委員会副委員長Y君の他、各学部の行動委の主軸となるメンバーであった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【再び暴力を見過ごしたのか】'''&lt;br /&gt;
:数日後に出された2T有志のビラ（編註：下書きのみ現存）は、この4.4の革マルによる16号館襲撃を“4.4鉄パイプテロ”と称し、川口君虐殺事件への自己批判を実践化したものだと断じた。すなわち、「未熟な部分が原則を逸脱して川口君を死に至らしめたことを自己批判する」という言葉の真意は「殺してしまったのはまずかった。廃人程度にしておけばよかった」ということで、それを実践したのが4.4だったと。「自派に反対する人間への恫喝、見せしめとしてのテロでもあるのだ」と。そして「このようなテロ・リンチは革マルの常套手段であり、これからも彼らは大義名分のもとに原則的にテロをしばしば行使してくるであろう」と予測している。&lt;br /&gt;
:そのうえで「我々はまたしても見過ごしてしまったのである。11月8日、絶対にこれから革マルによるテロ･リンチの犠牲者を出さないことを誓った我々が、1月19日K君への無差別テロにつづいて、Y君をはじめとする重傷者は、我々自身が創り上げつつある運動体の代表者であり、そのことは、我々自身が冒涜されたことになるのだ」と暴力の看過に言及した。ビラの最後は「革マルがどんな形で恫喝をかけてこようとも、彼らがどんなに暴力的に敵対してこようとも、我々は川口君とともに闘い抜くであろう」と結ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【4.10に向けて】'''&lt;br /&gt;
:この革マルによる鉄パイプテロは、4月10日に予定されていた各学部の学生大会への妨害行動でもあった。ことに一文では「自治会常任委」を僭称し、「統一学大」「統一行動」を喧伝。紛らわしい「学大実行委」という名称まで使っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1C7_DWtTY3142zwip9MDVJ9EV9d3iX5qK/view?usp=sharing 緊急（4/4)革マル再び集団リンチ！　一文執行委員会]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B44%E6%9C%88&amp;diff=1183</id>
		<title>1973年4月</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B44%E6%9C%88&amp;diff=1183"/>
				<updated>2026-09-04T09:50:38Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[1973年4月1日（日）入学式へ向け執行部と団実委の意志一致ならず。]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年4月2日（月）入学式。総長団交要求は果たせず新入生と討論集会を持つ。]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年4月3日（火）欺瞞に満ちた革マルによる「統一行動」の呼びかけ。]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年4月4日（水）16号館で会議中の4.2集会実行委を革マルが襲撃。重軽傷者多数。]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年4月5日（木）当局は前日の鉄パイプ襲撃を「相互の乱闘」とし、16号館を閉鎖。]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年4月6日（金）革マルによる「統一行動」「統一学大」の策動。]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年4月9日（月）文学部で授業開始。1年生の語学授業は多くが対話集会に。]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年4月10日（火）革マルの代々木駅襲撃により政経、一文、二文の3学部の学生大会流会。]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年4月14日（土）結集を妨害され、教育学部学生大会が学生集会に。]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年4月18日（水）10号館に入れず、本部前で新入生連帯討論集会。]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年4月21日（土）妨害の中、会場を15号館に移して一文学生大会を開催]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年4月23日（月）二文で学生大会成立。終了後、高田馬場まで500名でフランスデモ。]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年4月24日（火）当局が21日の概要を「騒乱と暴力行為」と告示。]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年4月25日（水）国鉄ストの影響で政経学生大会開けず。一文で試験日程発表。]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B411%E6%9C%888%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%A8%EF%BC%89_%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%90%9B%E4%B8%80%E5%91%A8%E5%BF%8C%E3%80%82%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%AF%E5%85%A8%E5%AD%A6%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%88&amp;diff=1182</id>
		<title>1973年11月8日（木） 川口君一周忌。大学当局は全学ロックアウト</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B411%E6%9C%888%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%A8%EF%BC%89_%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%90%9B%E4%B8%80%E5%91%A8%E5%BF%8C%E3%80%82%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%AF%E5%85%A8%E5%AD%A6%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%88&amp;diff=1182"/>
				<updated>2026-08-29T04:00:37Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
::◎当局は全学ロックアウトを強行。&lt;br /&gt;
::◎当局の許可のもと、革マルは大隈講堂前で「川口君追悼集会」を開催。主催は全学中央自治会。&lt;br /&gt;
::◎各学部自治会執行部と行動委は追悼集会を行おうとしたが機動隊と衝突。外濠公園まで数回強制連行される。&lt;br /&gt;
::◎法学部自治会他の学生たち600人が新宿区体育館で集会を開き「暴力追放」などを決議。&lt;br /&gt;
::◎早大サークル連合（原理研）主催の追悼集会が新宿区百人町の三福会館で行われ、母親サトさんが参加。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【一周忌の追悼集会】'''&lt;br /&gt;
:「8日、早稲田大学では午前中から各派の追悼集会が開かれた。内ゲバを恐れた大学当局はこの日全学をロックアウトしたが、集会は大隈講堂をはじめ大学周辺で開かれ、警視庁の機動隊員600人が警戒した。」（1973年11月8日付夕刊毎日新聞）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:早稲田キャンパス185号には次のようにある。&lt;br /&gt;
:●革マル派が大隈講堂前で追悼集会&lt;br /&gt;
:11月8日は早朝からの機動隊による厳戒体制の下に始まり、8時過ぎから大隈講堂前に集結した革マル派を取り囲むようにして、また大学周辺やその交差点、また地下鉄出口などに、機動隊・装甲車が配置された。革マル派は当日大学構内で『川口君追悼』集会を行なう予定であったが、ロックアウトのため大隈講堂前での集会を申請し、当局はその申請許可を下ろしており、革マル派は約500名でそこでの集会・デモを繰り返した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●機動隊の規制で外濠公園へ&lt;br /&gt;
:自治会系では、当局のロックアウトに抗議し、〈川口君追悼集会〉を行なおうとする学生千余名が早大正門前通りに集まり、集会・デモが行なわれ、早大周辺から学生を排除しようと規制する機動隊と学生との間に投石・衝突があり、多くの学生が四ツ谷駅前の外濠公園まで規制・連行された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●外濠公園の集会&lt;br /&gt;
:外濠公園では集会が行なわれ、教育・政経・一文自治会等からの発言を受けたのち、『再度早稲田に進撃し、我々の手で川口君追悼集会を』との呼びかけの下にデモ隊列が組まれ、公園の出口を固める機動隊と激しく衝突した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●箱根山の集会&lt;br /&gt;
:箱根山では一文自治会（有志）の呼びかけで第四インターを含む約400名の学生が4時頃から集会を行ない、その後高田馬場駅近くの公園まで、川口君の遺影を先頭にデモが行なわれ、途中文学部正門前で献花がなされた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【川口サトさんの言葉】'''&lt;br /&gt;
:川口君の母親サトさんは、新宿区新大久保の三福会館で午後3時半から開かれた早大サークル連合（早稲田精神昂揚会、早稲田学生新聞他）が主催する追悼式に出席した。&lt;br /&gt;
:席上サトさんは約500人の参加者に向かって「大学の大隈講堂で式をしたかった。きょう一日だけでもセクト間の争いがやめられたら…」と語った。さらに「母親の悲しみを繰り返したくない」という願いを込めて計画中のセミナーハウスにふれ、神奈川県藤沢市に総工費6000万円で建設を計画しており、4700万円の寄付を得ていること、また、大学からの見舞金500万円を元に早大サークル連合会と協力して作るもので、学生たちの「いこいの家」にしたいと述べた。&lt;br /&gt;
:集会後には「大三郎は早稲田を自由な学校にしようと願いながら殺されたのに、１年たったいまでも暴力が絶えない。そのうえ息子を殺した革マル派が自分の宣伝に集会を開くなど許せないことばかり。暴力はたくさんです」とコメントした。（1973年11月9日付毎日新聞、同読売新聞）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【加害者革マルによる追悼】'''&lt;br /&gt;
:この日、当局の許可を得て大隈講堂前の集会を開いた革マルは、追悼集会を開くについて次のような主張を明らかにした。（1973年11月8日付毎日新聞）&lt;br /&gt;
:「川口君の死を深く反省し、直ちに自己批判したわれわれこそ追悼の資格があり、川口君の死を利用する他セクトの追悼集会を否定するためにも開く。」（井上精人早大全中自執行委員）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【新聞による分析】'''&lt;br /&gt;
:1973年11月8日付毎日新聞は、一周忌を迎えた早稲田の状況を次のように書いた。&lt;br /&gt;
:「『革マル追放』『ものが自由にいえる新しい自治会を』。ーー革マルのリンチ殺人事件に怒り、キャンパスをゆるがす喚声と拍手でスタートしたこの運動は、完全に破産したようだ。大学当局の公認を受けた新自治会は一つもなく、革マル系の商学部、民青系の法学部両自治会が前の形で残っているだけ。」&lt;br /&gt;
:破産の原因としては「戦術をめぐって分裂、過激派セクトとシンパは武闘に走った。革マル派はこのはみ出した部分を徹底的にたたいた」とする。この部分には革マル追及の中心人物だったA君の「革マルのテロ、リンチはノンポリにまで及び、革マル追及に少しでもかかわった者は大学に来られなくなった」というコメントが続く。&lt;br /&gt;
:「全学的には革マル派が完全に勢力を盛り返し再び地盤を築いたことを大学当局も認めている」とあることから「革マル追放」「新自治会建設」を中心にした運動の「破産」という表現が導き出されたことが推測される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【大学周辺では】'''&lt;br /&gt;
:革マルとそれに対抗する学生、そして規制する機動隊と、大学周辺は騒然とした空気に包まれた。すでに前日７日には新宿区教育委員会から「危険が予想される学校は校長の判断で授業を打ち切ってもよい」という通達がされており、戸塚第一、戸塚第二、西戸山の各小学校は午前中で授業を打ち切り、早稲田小、戸山中でも午後の授業の一部を打ち切った。早大正門近くの鶴巻小では、学校の要請で迎えに来た親に防空頭巾をかぶせられる子供もいた。（1973年11月9日付毎日新聞）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1kPmwmNcLZRoZ4yJ5vpLay-LS_JvW5MZC/view?usp=sharing 11・8本部前集会を貫徹しよう　自治会ニュース]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1pc89x52DtKm9WboLyeHdKuGxknc4tbIN/view?usp=sharing 11.8川口君虐殺1周忌追悼集会を早大全学・全国学友の総決起でかちとろう]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B411%E6%9C%884%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%97%A5%EF%BC%89_%E5%87%BA%E8%BA%AB%E5%9C%B0%E3%81%AE%E4%BC%8A%E6%9D%B1%E5%B8%82%E3%81%A7%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%90%9B%E3%81%AE%E4%B8%80%E5%91%A8%E5%BF%8C%E6%B3%95%E8%A6%81&amp;diff=1181</id>
		<title>1973年11月4日（日） 出身地の伊東市で川口君の一周忌法要</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B411%E6%9C%884%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%97%A5%EF%BC%89_%E5%87%BA%E8%BA%AB%E5%9C%B0%E3%81%AE%E4%BC%8A%E6%9D%B1%E5%B8%82%E3%81%A7%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%90%9B%E3%81%AE%E4%B8%80%E5%91%A8%E5%BF%8C%E6%B3%95%E8%A6%81&amp;diff=1181"/>
				<updated>2026-08-29T03:53:34Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:実家近くの伊東市新井・宝専寺で川口君の一周忌法要が営まれた。席上母親のサトさんから、寄せられた寄附金でセミナーハウスを建設する計画が発表された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【一周忌の法要で発表された川口記念館建設】'''&lt;br /&gt;
:8日を前に、川口君の実家のある静岡県伊東市で一周忌の法要が営まれた。1973年11月5日付の毎日新聞によれば、その席で川口サトさんは「香典と同級生らが集めた寄付金が4700万円になった。学生が学生運動や学問で疲れた頭をいやし、二度と大三郎のような犠牲者を出さないためのセミナーハウス“川口記念館”を来年9月完成予定で、神奈川県内に建てる計画を進めています」と語った。さらに記事は「サトさんは昨年12月、大三郎君の所属した同大新聞（編注：早稲田学生新聞＝原理研）部員、大江益夫君（24）にセミナー建設計画を初めて打ち明けた。今年8月になって、大江君の呼びかけに賛成した同部員25人が全国の主要都市にちらばり、非暴力と川口記念館の建設を街頭でアピール、資金カンパと署名運動を続けた。この結果、全国で48万人の人たちがこの趣旨に賛成、4200万円が集まった」と続き、村井資長総長もこのセミナー建設に土地を提供することを報じるとともに次のような総長コメントを載せた。「サトさんのお気持をくんで、私有地を提供することにした。今後、財団法人としての組織づくりが課題だが、私がクリスチャンである以上、キリスト教精神をいかした施設にしたい。完成後は、早大だけでなく幅広い利用を呼びかける。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:村井総長が提供するとしたのは神奈川県中郡大磯町に所有する約1650平方メートルの土地。この時点では翌年1974年2月着工、9月完成予定との計画だった。しかし、紆余曲折を経て静岡県韮山町（現・伊豆の国市）竣工したのは1975年6月であった。その後も、登記に関して原理研と村井総長の間に問題が生じるなど、セミナーハウスはおよそサトさんの願いとは相反する道をたどることになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【川口君と早稲田学生新聞】'''&lt;br /&gt;
:川口君はジャーナリスト志望だった。入学式後、居並ぶサークルの新入生勧誘の声に足を止めたのは早稲田学生新聞のブースだった。この早稲田学生新聞は原理研の組織で、サークル活動にことよせて構成員の獲得を図っていた。&lt;br /&gt;
:71年6月5日付第9号には川口大三郎と署名のある早慶戦の観戦記が掲載されているが、その後は活動していない。&lt;br /&gt;
:しかし、川口君の死後、早稲田学生新聞のメンバーは川口君の学友と名乗って母親のサトさんを訪れ、巧みに取り入ったのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B410%E6%9C%8822%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%895.17%E8%A2%AB%E5%91%8A%E5%9B%A3%E7%AC%AC3%E5%9B%9E%E5%85%AC%E5%88%A4%E3%81%A7%E8%A3%81%E5%88%A4%E9%95%B7%E3%81%8C%E6%A4%9C%E5%AF%9F%E5%81%B4%E3%81%AB%E8%B5%B7%E8%A8%B4%E7%90%86%E7%94%B1%E3%81%AE%E9%87%88%E6%98%8E%E3%82%92%E8%A6%81%E6%B1%82&amp;diff=1180</id>
		<title>1973年10月22日（月）5.17被告団第3回公判で裁判長が検察側に起訴理由の釈明を要求</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B410%E6%9C%8822%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%895.17%E8%A2%AB%E5%91%8A%E5%9B%A3%E7%AC%AC3%E5%9B%9E%E5%85%AC%E5%88%A4%E3%81%A7%E8%A3%81%E5%88%A4%E9%95%B7%E3%81%8C%E6%A4%9C%E5%AF%9F%E5%81%B4%E3%81%AB%E8%B5%B7%E8%A8%B4%E7%90%86%E7%94%B1%E3%81%AE%E9%87%88%E6%98%8E%E3%82%92%E8%A6%81%E6%B1%82&amp;diff=1180"/>
				<updated>2026-08-29T03:48:19Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:5.17被告団第3回公判が開かれた。裁判では、凶器準備集合罪の現行犯で逮捕したものの起訴の罪状は軽犯罪法違反であったことから、逮捕の妥当性が問われていた。前回に続いて逮捕の状況を明らかにすべく2名の証人が証言したが、明らかな食い違いが見られた。裁判長は検察側に、起訴事由を明らかにするよう釈明を求めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【検察側に異例の釈明要求…5.17被告団第3回公判】'''&lt;br /&gt;
:5.17被告団第3回公判は当初9月16日に行われる予定だったが、被告の一人が三越襲撃事件で不当逮捕され22日間勾留されたため延期された。この日は、凶器準備集合罪で逮捕時の状況をめぐって被告人2人を逮捕した金子・鈴木両証人の証言を中心に進められた。&lt;br /&gt;
:鈴木証人によると、2人を凶器準備集合罪で逮捕した理由は「鉄パイプを所持」「革マル粉砕を叫んでいた」「当日反革マル派が革マル派を攻撃するという情報があった」とした。しかしこれらは、凶器準備集合罪の条項にある「共同して第三者に危害を加える目的」に該当する具体的な事例を明らかにするものではなく、前回の萩原証人の発言と同じく曖昧な証言に終始した。また、位置的・時間的確認においては金子・鈴木両証人の証言に食い違いが見られ、逮捕の不当性がさらに浮き彫りになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:最後に、裁判官から検察側に2点についての釈明要求がなされた。&lt;br /&gt;
:1. 凶準の現行犯で逮捕しながら「正当な理由」の不充分性を認め撤回した姿勢は、消極的意味か、積極的意味か明らかにせよ。&lt;br /&gt;
:2. 軽犯罪法適用の妥当性について釈明せよ。&lt;br /&gt;
:この釈明要求は裁判としては異例ともいえるもの。この要求に対して検察官は、次回の公判までに文書で提出するとした。&lt;br /&gt;
:（早稲田キャンパス184号）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B410%E6%9C%8821%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%97%A5%EF%BC%89%E7%9B%A3%E7%A6%81%E8%87%B4%E6%AD%BB%E3%81%AE%E5%AE%B9%E7%96%91%E3%81%A7%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E6%B4%BE4%E4%BA%BA%E3%82%92%E9%80%AE%E6%8D%95&amp;diff=1179</id>
		<title>1973年10月21日（日）監禁致死の容疑で革マル派4人を逮捕</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B410%E6%9C%8821%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%97%A5%EF%BC%89%E7%9B%A3%E7%A6%81%E8%87%B4%E6%AD%BB%E3%81%AE%E5%AE%B9%E7%96%91%E3%81%A7%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E6%B4%BE4%E4%BA%BA%E3%82%92%E9%80%AE%E6%8D%95&amp;diff=1179"/>
				<updated>2026-08-29T03:46:38Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:川口君リンチ虐殺事件に進展があった。監禁致死の疑いで村上文男、武原光志、佐竹実、阿波崎文雄の4人を逮捕。他に服役中の田中敏夫など7人に逮捕状が出た。近藤隆史、水津則子、後藤隆洋ら、革マル自治会幹部がほとんど。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【監禁致死の容疑で逮捕状】'''&lt;br /&gt;
:警視庁公安部と本富士署は21日夕、早稲田大学自治会の元幹部4人を監禁致死の疑いで逮捕した。逮捕されたのは、村上文男（25）＝二文自治会元委員長、武原光志（23）＝二文自治会前副委員長、佐竹実（23）＝一文自治会前書記長、阿波崎文雄（26）＝一文自治会前会計部長の4人。前年にこの4人を含む5人が、川口君を助けに行った級友等への暴力行為で逮捕されたが、リンチ殺人については自供を得られず、村上、武原、阿波崎の3人は暴力行為で起訴され、佐竹は処分保留となっていた。逮捕のきっかけになったのは、川口君を救出に行った級友に対する暴行事件の公判で、級友が127教室で革マルに取り囲まれている川口君を見たと証言。この証言をもとに事件当日に見回りをしていた教員、警備員などに話を聞いたところ容疑者につながる証言が得られたもの。&lt;br /&gt;
:また、4人の他7人に逮捕状が出た。&lt;br /&gt;
:田中敏夫（24）＝元早大生、事件当時全学中央自治会委員長、近藤隆史（24）＝一文学生、水津則子（23）＝一文自治前文化厚生部長、後藤隆洋（25）＝一文自治会前組織部長、矢郷順一（25）、緑川茂樹（22）他1人（？）。&lt;br /&gt;
::  （参照資料：1973年10月22日付朝日新聞）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:23日には、別件で横浜刑務所に服役中の田中敏夫が監禁致死容疑で逮捕された。捜査本部では、田中を事件の総指揮者と見ており（編注：のちに関与していないことが判明）、事件当日、組織部長だった後藤が川口君を見つけ、阿波崎等と自治会室に連れ込んだとして各人の役割解明を進めている。&lt;br /&gt;
::（参照資料：1973年10月23日付毎日新聞）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マルの特別行動隊】'''&lt;br /&gt;
:20日未明、都内9カ所他各地で革マル派による中核派を狙った襲撃事件が発生した。この捜査の過程で公安は、革マル派のゲバ組織「特別行動隊」による犯行であるとの確証を得た。その根拠となったのは、（1）事件が東京のほか大阪、神奈川などで一斉に起きた（2）襲撃には少なくとも100人以上が動いた（3）検挙者に革マル派全学連幹部で、川口君リンチ殺人事件当時の早大二文自治会委員長、若林民生（26）がおり、今度も若林がゲバ隊長の一人として指揮していた（4）事件数日前から都内でレンタカーを借り、酸素溶接機やマサカリまで買い込んでいた……など。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:革マル派の「特別行動隊」は、中核派の「人民遊撃隊」、反帝学評の「プロレタリア突撃隊」に対抗するもの。もともとゲリラ専門だが、党派抗争の激化にともない“組織防衛隊”の性格が強まった。また、他セクトの組織内に諜報員を送り込んでいるとも言われ、7.4中核派アジト襲撃、9.15神奈川大学襲撃、9.16三越デパート事件、9.17鶯谷駅事件などもこの情報網を利用した犯行と公安は見ている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:また、川口君リンチ殺人事件についても公安は「同行動隊の“早大部隊”の犯行と断定。このほど逮捕した元同大一文自治会会計部長阿波崎文雄（26）は同隊の突撃隊長で、若林も同隊の責任者の一人とみている。20日の襲撃事件も若林が突撃隊長をつとめているところから、同公安部は、『特別行動隊』の中核は早大革マル派とみており、構成メンバーは150人前後ではないか」と推定している。（1973年10月24日付毎日新聞）&lt;br /&gt;
:この時点ではまだ若林の関与は立証されていなかったが、後日別件で取り調べられた革マル派活動家の供述に若林の名前があったことから、川口君殺害容疑での逮捕へ至った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マルの諜報活動】'''&lt;br /&gt;
:革マルの諜報活動について、当時の早稲田中核派のキャップは次のように語っている。&lt;br /&gt;
:「僕らのフラクションに当時、漫画研究会の1年生が来ていたんです。その学生から連絡をとってきて、北新宿の柏木の部屋で行っていた機関紙の読み合わせ会議に参加させていた。その学生が川口君と同席していた。72年の11月か12月に出された革マルの社会科学部学生大会議案書に『川口は柏木の中核派アジトで会議に参加していた』と書いてありました。ここまでわかっているということは、あの学生が革マルに密告したということ、それ以外に考えられない訳です。」&lt;br /&gt;
:「過去にも何回かあって、70年の3月でしたか、前進社に二文の女子学生が『中核派の合宿に参加したい』と電話してきました。我々は信用して、筑波山麓で行った合宿に参加させました。そこから帰って4月に僕が学校に行ったら、革マルに捕まって教育学部の自治会室に連れ込まれた。もう一人、反戦会議のメンバーも捕まった。私は第二学館の死守闘争で逮捕されて拘置所に入っていますから調べれば中核派とわかるんだけれども、なぜもう一人の彼までがと不思議でしたが、革マルの機関紙『解放』に合宿の帰りのバスで我々が歌った唄まで書いてあったんで、その後連絡がつかなくなった女子学生がスパイだったとわかりました。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B410%E6%9C%8821%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%97%A5%EF%BC%89%E7%9B%A3%E7%A6%81%E8%87%B4%E6%AD%BB%E3%81%AE%E5%AE%B9%E7%96%91%E3%81%A7%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E6%B4%BE4%E4%BA%BA%E3%82%92%E9%80%AE%E6%8D%95&amp;diff=1178</id>
		<title>1973年10月21日（日）監禁致死の容疑で革マル派4人を逮捕</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B410%E6%9C%8821%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%97%A5%EF%BC%89%E7%9B%A3%E7%A6%81%E8%87%B4%E6%AD%BB%E3%81%AE%E5%AE%B9%E7%96%91%E3%81%A7%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E6%B4%BE4%E4%BA%BA%E3%82%92%E9%80%AE%E6%8D%95&amp;diff=1178"/>
				<updated>2026-08-29T03:39:19Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:川口君リンチ虐殺事件に進展があった。監禁致死の疑いで村上文男、武原光志、佐竹実、阿波崎文雄の4人を逮捕。他に服役中の田中敏夫など7人に逮捕状が出た。近藤隆史、水津則子、後藤隆洋ら、革マル自治会幹部がほとんど。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【監禁致死の容疑で逮捕状】'''&lt;br /&gt;
:警視庁公安部と本富士署は21日夕、早稲田大学自治会の元幹部4人を監禁致死の疑いで逮捕した。逮捕されたのは、村上文男（25）＝二文自治会元委員長、武原光志（23）＝二文自治会前副委員長、佐竹実（23）＝一文自治会前書記長、阿波崎文雄（26）＝一文自治会前会計部長の4人。前年にこの4人を含む5人が、川口君を助けに行った級友等への暴力行為で逮捕されたが、リンチ殺人については自供を得られず、村上、武原、阿波崎の3人は暴力行為で起訴され、佐竹は処分保留となっていた。逮捕のきっかけになったのは、川口君を救出に行った級友に対する暴行事件の公判で、級友が127教室で革マルに取り囲まれている川口君を見たと証言。この証言をもとに事件当日に見回りをしていた教員、警備員などに話を聞いたところ容疑者につながる証言が得られたもの。&lt;br /&gt;
:また、4人の他7人に逮捕状が出た。&lt;br /&gt;
:田中敏夫（24）＝元早大生、事件当時全学中央自治会委員長、近藤隆史（24）＝一文学生、水津則子（23）＝一文自治前文化厚生部長、後藤隆洋（25）＝一文自治会前組織部長、矢郷順一（25）、緑川茂樹（22）他1人（？）。&lt;br /&gt;
::  （参照資料：1973年10月22日付朝日新聞）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:23日には、別件で横浜刑務所に服役中の田中敏夫が監禁致死容疑で逮捕された。捜査本部では、田中を事件の総指揮者と見ており（編注：のちに関与していないことが判明）、事件当日、組織部長だった後藤が川口君を見つけ、阿波崎等と自治会室に連れ込んだとして各人の役割解明を進めている。&lt;br /&gt;
::（参照資料：1973年10月23日付毎日新聞）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マルの特別行動隊】'''&lt;br /&gt;
:20日未明、都内9カ所他各地で革マル派による中核派を狙った襲撃事件が発生した。この捜査の過程で公安は、革マル派のゲバ組織「特別行動隊」による犯行であるとの確証を得た。その根拠となったのは、1）事件が東京のほか大阪、神奈川などで一斉に起きた2）襲撃には少なくとも100人以上が動いた3）検挙者に革マル派全学連幹部で、川口君リンチ殺人事件当時の早大二文自治会委員長、若林民生（26）がおり、今度も若林がゲバ隊長の一人として指揮していた4）事件数日前から都内でレンタカーを借り、酸素溶接機やマサカリまで買い込んでいた……など。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:革マル派の「特別行動隊」は、中核派の「人民遊撃隊」、反帝学評の「プロレタリア突撃隊」に対抗するもの。もともとゲリラ専門だが、党派抗争の激化にともない“組織防衛隊”の性格が強まった。また、他セクトの組織内に諜報員を送り込んでいるとも言われ、7.4中核派アジト襲撃、9.15神奈川大学襲撃、9.16三越デパート事件、9.17鶯谷駅事件などもこの情報網を利用した犯行と公安は見ている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:また、川口君リンチ殺人事件についても公安は「同行動隊の“早大部隊”の犯行と断定。このほど逮捕した元同大一文自治会会計部長阿波崎文雄（26）は同隊の突撃隊長で、若林も同隊の責任者の一人とみている。20日の襲撃事件も若林が突撃隊長をつとめているところから、同公安部は、『特別行動隊』の中核は早大革マル派とみており、構成メンバーは150人前後ではないか」と推定している。（1973年10月24日付毎日新聞）&lt;br /&gt;
:この時点ではまだ若林の関与は立証されていなかったが、後日別件で取り調べられた革マル派活動家の供述に若林の名前があったことから、川口君殺害容疑での逮捕へ至った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マルの諜報活動】'''&lt;br /&gt;
:革マルの諜報活動について、当時の早稲田中核派のキャップは次のように語っている。&lt;br /&gt;
:「僕らのフラクションに当時、漫画研究会の1年生が来ていたんです。その学生から連絡をとってきて、北新宿の柏木の部屋で行っていた機関紙の読み合わせ会議に参加させていた。その学生が川口君と同席していた。72年の11月か12月に出された革マルの社会科学部学生大会議案書に『川口は柏木の中核派アジトで会議に参加していた』と書いてありました。ここまでわかっているということは、あの学生が革マルに密告したということ、それ以外に考えられない訳です。」&lt;br /&gt;
:「過去にも何回かあって、70年の3月でしたか、前進社に二文の女子学生が『中核派の合宿に参加したい』と電話してきました。我々は信用して、筑波山麓で行った合宿に参加させました。そこから帰って4月に僕が学校に行ったら、革マルに捕まって教育学部の自治会室に連れ込まれた。もう一人、反戦会議のメンバーも捕まった。私は第二学館の死守闘争で逮捕されて拘置所に入っていますから調べれば中核派とわかるんだけれども、なぜもう一人の彼までがと不思議でしたが、革マルの機関紙『解放』に合宿の帰りのバスで我々が歌った唄まで書いてあったんで、その後連絡がつかなくなった女子学生がスパイだったとわかりました。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B410%E6%9C%8821%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%97%A5%EF%BC%89%E7%9B%A3%E7%A6%81%E8%87%B4%E6%AD%BB%E3%81%AE%E5%AE%B9%E7%96%91%E3%81%A7%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E6%B4%BE4%E4%BA%BA%E3%82%92%E9%80%AE%E6%8D%95&amp;diff=1177</id>
		<title>1973年10月21日（日）監禁致死の容疑で革マル派4人を逮捕</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B410%E6%9C%8821%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%97%A5%EF%BC%89%E7%9B%A3%E7%A6%81%E8%87%B4%E6%AD%BB%E3%81%AE%E5%AE%B9%E7%96%91%E3%81%A7%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E6%B4%BE4%E4%BA%BA%E3%82%92%E9%80%AE%E6%8D%95&amp;diff=1177"/>
				<updated>2026-08-29T03:38:57Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:川口君リンチ虐殺事件に進展があった。監禁致死の疑いで村上文男、武原光志、佐竹実、阿波崎文雄の4人を逮捕。他に服役中の田中敏夫など7人に逮捕状が出た。近藤隆史(24)、水津則子、後藤隆洋ら、革マル自治会幹部がほとんど。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【監禁致死の容疑で逮捕状】'''&lt;br /&gt;
:警視庁公安部と本富士署は21日夕、早稲田大学自治会の元幹部4人を監禁致死の疑いで逮捕した。逮捕されたのは、村上文男（25）＝二文自治会元委員長、武原光志（23）＝二文自治会前副委員長、佐竹実（23）＝一文自治会前書記長、阿波崎文雄（26）＝一文自治会前会計部長の4人。前年にこの4人を含む5人が、川口君を助けに行った級友等への暴力行為で逮捕されたが、リンチ殺人については自供を得られず、村上、武原、阿波崎の3人は暴力行為で起訴され、佐竹は処分保留となっていた。逮捕のきっかけになったのは、川口君を救出に行った級友に対する暴行事件の公判で、級友が127教室で革マルに取り囲まれている川口君を見たと証言。この証言をもとに事件当日に見回りをしていた教員、警備員などに話を聞いたところ容疑者につながる証言が得られたもの。&lt;br /&gt;
:また、4人の他7人に逮捕状が出た。&lt;br /&gt;
:田中敏夫（24）＝元早大生、事件当時全学中央自治会委員長、近藤隆史（24）＝一文学生、水津則子（23）＝一文自治前文化厚生部長、後藤隆洋（25）＝一文自治会前組織部長、矢郷順一（25）、緑川茂樹（22）他1人（？）。&lt;br /&gt;
::  （参照資料：1973年10月22日付朝日新聞）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:23日には、別件で横浜刑務所に服役中の田中敏夫が監禁致死容疑で逮捕された。捜査本部では、田中を事件の総指揮者と見ており（編注：のちに関与していないことが判明）、事件当日、組織部長だった後藤が川口君を見つけ、阿波崎等と自治会室に連れ込んだとして各人の役割解明を進めている。&lt;br /&gt;
::（参照資料：1973年10月23日付毎日新聞）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マルの特別行動隊】'''&lt;br /&gt;
:20日未明、都内9カ所他各地で革マル派による中核派を狙った襲撃事件が発生した。この捜査の過程で公安は、革マル派のゲバ組織「特別行動隊」による犯行であるとの確証を得た。その根拠となったのは、1）事件が東京のほか大阪、神奈川などで一斉に起きた2）襲撃には少なくとも100人以上が動いた3）検挙者に革マル派全学連幹部で、川口君リンチ殺人事件当時の早大二文自治会委員長、若林民生（26）がおり、今度も若林がゲバ隊長の一人として指揮していた4）事件数日前から都内でレンタカーを借り、酸素溶接機やマサカリまで買い込んでいた……など。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:革マル派の「特別行動隊」は、中核派の「人民遊撃隊」、反帝学評の「プロレタリア突撃隊」に対抗するもの。もともとゲリラ専門だが、党派抗争の激化にともない“組織防衛隊”の性格が強まった。また、他セクトの組織内に諜報員を送り込んでいるとも言われ、7.4中核派アジト襲撃、9.15神奈川大学襲撃、9.16三越デパート事件、9.17鶯谷駅事件などもこの情報網を利用した犯行と公安は見ている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:また、川口君リンチ殺人事件についても公安は「同行動隊の“早大部隊”の犯行と断定。このほど逮捕した元同大一文自治会会計部長阿波崎文雄（26）は同隊の突撃隊長で、若林も同隊の責任者の一人とみている。20日の襲撃事件も若林が突撃隊長をつとめているところから、同公安部は、『特別行動隊』の中核は早大革マル派とみており、構成メンバーは150人前後ではないか」と推定している。（1973年10月24日付毎日新聞）&lt;br /&gt;
:この時点ではまだ若林の関与は立証されていなかったが、後日別件で取り調べられた革マル派活動家の供述に若林の名前があったことから、川口君殺害容疑での逮捕へ至った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マルの諜報活動】'''&lt;br /&gt;
:革マルの諜報活動について、当時の早稲田中核派のキャップは次のように語っている。&lt;br /&gt;
:「僕らのフラクションに当時、漫画研究会の1年生が来ていたんです。その学生から連絡をとってきて、北新宿の柏木の部屋で行っていた機関紙の読み合わせ会議に参加させていた。その学生が川口君と同席していた。72年の11月か12月に出された革マルの社会科学部学生大会議案書に『川口は柏木の中核派アジトで会議に参加していた』と書いてありました。ここまでわかっているということは、あの学生が革マルに密告したということ、それ以外に考えられない訳です。」&lt;br /&gt;
:「過去にも何回かあって、70年の3月でしたか、前進社に二文の女子学生が『中核派の合宿に参加したい』と電話してきました。我々は信用して、筑波山麓で行った合宿に参加させました。そこから帰って4月に僕が学校に行ったら、革マルに捕まって教育学部の自治会室に連れ込まれた。もう一人、反戦会議のメンバーも捕まった。私は第二学館の死守闘争で逮捕されて拘置所に入っていますから調べれば中核派とわかるんだけれども、なぜもう一人の彼までがと不思議でしたが、革マルの機関紙『解放』に合宿の帰りのバスで我々が歌った唄まで書いてあったんで、その後連絡がつかなくなった女子学生がスパイだったとわかりました。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B410%E6%9C%886%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89%E7%89%9B%E8%BE%BC%E5%85%AC%E4%BC%9A%E5%A0%82%E3%81%A7%E3%80%8C10.6%E6%A2%81%E6%94%BF%E6%98%8E%E4%B8%89%E5%91%A8%E5%BF%8C%E8%BF%BD%E6%82%BC%E9%9B%86%E4%BC%9A%E3%80%8D%E9%96%8B%E5%82%AC&amp;diff=1176</id>
		<title>1973年10月6日（土）牛込公会堂で「10.6梁政明三周忌追悼集会」開催</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B410%E6%9C%886%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89%E7%89%9B%E8%BE%BC%E5%85%AC%E4%BC%9A%E5%A0%82%E3%81%A7%E3%80%8C10.6%E6%A2%81%E6%94%BF%E6%98%8E%E4%B8%89%E5%91%A8%E5%BF%8C%E8%BF%BD%E6%82%BC%E9%9B%86%E4%BC%9A%E3%80%8D%E9%96%8B%E5%82%AC&amp;diff=1176"/>
				<updated>2026-08-29T03:18:07Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:10.6集会実行委員会の呼びかけで「10.6梁政明反日抗議焼身自殺三周忌追悼集会」が牛込公会堂で開かれ200名が参集した。集会は二部構成で、第一部では実行委員会が基調報告を行い、第二部では特別公演があった。実行委員会は、70年10月6日の山村君の死、そして72年11月8日に再び川口君という犠牲者を生み出すことになった「早稲田の日常」を問い直し、それと対決していくことを呼びかけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【早稲田の日常を問い直す】'''&lt;br /&gt;
:早稲田キャンパス184号は、正式報道としてではなく、会員の書いた断章としてこの集会の記事を掲載している。掲載に至る経緯として事前に10.6実行委からの集会アピールの掲載を拒否した旨が併記されており、山村＝梁君の〈死〉を政治的に利用することを是としない編集部の姿勢がうかがえる。&lt;br /&gt;
	&lt;br /&gt;
:「牛込公会堂で10月６日『10.6梁政明反日抗議焼身自殺三周忌追悼集会』が『10.6集会実行委員会』主催により、早大生を中心に約200名の参加で行なわれた。（中略）山村政明＝梁政明君は70年10月6日未明、早稲田大学文学部側の穴八幡境内で、日本社会及び早大の情況を激しく糾弾する『抗議嘆願書』を残して焼身自殺をした。当時、第二文学部2年、25歳だった。」&lt;br /&gt;
:続く「抗議・嘆願書」の抜き書きの後に「私が在日朝鮮人の問題を思う時に～」に始まる記述があり、日常生活の中で実際に関わりがないとどうしても在日朝鮮人の問題を実相として把握することができず、隔絶感を感じてしまう。そして人は、その日常生活外での出来事に動かされない、と記している。さらに続けて「私達が川口君の死に衝撃を受けたのは、それがまさしく自らの日常性の中での出来事であったからだ」とある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:追悼集会に向けて16ページの基調報告が10.6集会実行委員会から、呼びかけのビラが同委員会と中国研究会から出されている。&lt;br /&gt;
:実行委による呼びかけのビラには次のようにある。&lt;br /&gt;
:「11.8一周忌を2ヶ月後に迎えるにあたって私たちは、11.8とそれが生み出された日常とは何であったのか、という問いを私たち自身に、多くの学友に、そして友人の皆さんに投げかけなければならないと思うのです。そのことを通してのみ、川口君虐殺を生み出して来た早稲田の日常～血の支配の検証が成されるのであり、川口君の死に更に次の死を重ねることを拒否する私たちの思想が創り上げられていくのではないでしょうか。私たちはこの作業の一つとして川口君の死の2年前の10月6日、早大二文当局と革マル派への抗議嘆願書を残して抗議の焼身自殺をしていった梁＝山村＝政明君の死の意味を検証していかなければならないということを提起したいと思うのです。なぜならば、私たちの多くが川口君の死を通じてのみ初めて言葉を交わし、出逢い、結ばれて今日に至っているように、あの70年10月6日、早大管理支配体制＝早大当局と革マルによる二重の支配と抑圧、そして民族差別の只中で鮮烈な炎に身を包み孤絶の中で死んでいった梁君の、その死の代償と引き替えに立ち上がった多くの人々が、何ゆえに沈黙をしていったのか、ということを問わずして虐殺の日常の検証は空語に等しいと確認するからであります。言いかえるならば、梁君の死から川口君の死へと貫かれていた2年間における私たちの沈黙こそが11.8を生み出した根拠であると考えるのです。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:中国研究会のビラは、山村君の死をめぐる背景について次のように言及している。&lt;br /&gt;
:「在日朝鮮人、梁政明のその死は、革マル系と日共＝民青系の相互糾弾ーー革マルのデマキャンペーン〈山村は、民青が入管闘争をやらなかったので…〉と、民青のマスコミと迎合した“反暴力キャンペーン”〈抗議・嘆願書の、彼が在日朝鮮人であることに関する部分を切り棄てて利用する等〉ーーという『政治的評価』がなされていった。そして何よりも彼の死に対して決起せんとした学友たちも、自らの生のなかで、その死を埋葬し得なかった。梁政明の死は風化させられていった。何よりも我々自身の手で…。（中略）我々は72.11.8、2人目の死、川口大三郎を準備していたのだ。70.10.6から72.11.8に登りつめた約2年間の、この〈早稲田なるもの〉の、その意味を問い続け、それと内的に対決することが、死を背負った我々の生の課題であろう。」&lt;br /&gt;
:10.6集会準備委員会名で出された集会に向けた匿名の在日朝鮮人の呼びかけビラには、山村君の死から川口君の死へ至るつながりが記されている。&lt;br /&gt;
:「梁政明の生と死、希求と絶望の闘いと死が、川口大三郎の死の代償を通して開始された闘いの中にこそ内在化され、継承されようとした時、風化せしめられ切り捨てられてきた『過去』を、現実の生きる者たちの胸の中に奪い返しうる。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【山村＝梁政明君の死】'''&lt;br /&gt;
:基調報告には、1970年当時の早稲田キャンパスに掲載された山村君に関する記事が引用されている。&lt;br /&gt;
:「山村君（二文）焼身自殺。6日未明、文学部側の穴八幡境内で、本学の一人の在日朝鮮人（日本籍）が、焼身自殺をとげた。山村政明（梁政明）君、第二文学部2年、25歳。在日朝鮮人としての境遇と、革マルの暴力支配、及び当局への『抗議書』を残して。」&lt;br /&gt;
:「山村君の追悼集会に800名～民青が主催。7日、山村君追悼集会が本部前において、12時と6時から、一法学友会、教育・社会自治会、二文民主化会議の主催で行なわれた。特に夕方6時からの集会には800名ほどの学生が参加し、山村君の死を悼んだ。革マルの暴力支配を許さない、早稲田の杜から革マルを追放する等確認していった。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:山村君は山口県出身。在日朝鮮人二世として生まれ９歳の時帰化。1964年高卒で就職した後、文学を志して67年早稲田大学第一文学部入学。この間生活は苦しく、学資や生活費を得るために様々な職業についた。キリスト教に近づいたのもこの頃である。68年二文に転部、自治会活動に積極的に参加するようになる。69年には二文有志連合の代表として学生大会の議長に４回選出された。当時二文では革マルが自治会を支配下に置こうとして、それに反対する学生を暴力的に排除していた。キリスト教徒として一般学生・民青と共に非暴力の立場に立った山村君も、学校内で数十回に及ぶ暴力を受けた。暴力による怪我や仲間の離反による失意、そして生活苦に追い込まれた山村君は、70年10月6日未明、在日朝鮮人に対する民族差別、そして早稲田における革マルの暴力と学校当局の無関心に抗議して焼身自殺を選んだ。抗議嘆願書には詳細が綴られている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【山村君の抗議嘆願書から】'''&lt;br /&gt;
:山村君は「在日朝鮮人の存在そのものが歴史の非条理だ」とし、自分の意志ではなかったものの、自民族と祖国を裏切って日本籍に帰化したことは「苦悩を倍増すること以外の何物でもない」と記す。&lt;br /&gt;
:そうした山村君が、早稲田大学に入学しそこで見聞きし体験したことは何だったのか。&lt;br /&gt;
:「私は、学問、真理の探求を志して、早大に入学した。しかし、そこで見い出したものは、反動国家権力、独占資本に迎合した非人間教育でしかなかった。私は、何人かの勇気ある仲間たちと共に、学園変革の闘いに参加していった。そのため、反動教授の指弾を受け、反民主主義、反革命、暴力学生集団革マルの数度にわたるテロ、リンチにより、幾度か傷つき、登校の自由は奪われ、生活の破壊、挫折を余儀なくさせられた。&lt;br /&gt;
:私と同様に革マルの学園暴力支配により、退学に追いこまれつつある学友は少なからぬ数にのぼる。彼らの多くは、貧しい家庭環境に育ち、血のにじむ努力を積み重ねてこの学園に入学してきた。学園における目に余る不正矛盾に抗して立ち上り、闘いを敢行した故に、弾圧を受け、学生としての諸権利を抹殺されている彼らの心中は悲憤やるかたないものがある。&lt;br /&gt;
:死を前にした私が、最も切実に望むのは、次のことである。革マルの暴力支配と、大学当局の冷淡な措置により、経済的困窮の中で留年、退学に追いこまれながら苦闘を続けている学友たちに、明るい光のさすことである。彼らが暴力支配による身体生命の危険、経済的な生活破算から免がれ、学生としての正当な権利を回復することである。&lt;br /&gt;
:二文のすべての教職員の方々。及び学生諸君。彼らの正当な闘いに理解と支援を与えて欲しい。暴力を一掃し、よりよき学園を建設していって欲しい。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:山村君が列挙した訴えは以下の通り。&lt;br /&gt;
:一、反動的文教政策糾弾！&lt;br /&gt;
:一、早大は、自民党・独占資本追従の反動的立場を脱し、建学の精神を復活せよ！&lt;br /&gt;
:一、学園から不当な暴力を一掃せよ！&lt;br /&gt;
:一、反民主主義、反革命・暴力学生集団革マルを自治会執行部からリコールせよ！&lt;br /&gt;
:一、革マルは反動勢力の手先としてのハレンチなテロ、リンチ、窃盗行為及び、民主的学生運動への分裂、破壊策動を、厳重に自己批判し、真の革命勢力の立場、人民大衆の立場に転換、依拠せよ！&lt;br /&gt;
:一、二文当局は、奨学金、カリキュラム、学生生活全般において、勤労学生の権利拡大を保障せよ。一文への腰かけとしての二文の性格を再考せよ！&lt;br /&gt;
:一、二文の全学友及び教職員に訴える。事なかれ主義を脱して、一人一人が不正、矛盾との対決に立ち上って欲しい。昨年の自治会民主化闘争の盛り上りを想起して欲しい。学友が自覚して立ち上り、連帯して闘うことのみが、暴力の一掃、自治会民主化、&lt;br /&gt;
::   学園改革への道を開くだろう。&lt;br /&gt;
:一、日米安保条約廃棄！&lt;br /&gt;
:一、自民党腐敗政権打倒！&lt;br /&gt;
:一、米国の極東軍事支配を許すな！&lt;br /&gt;
:一、日本独占資本のアジア経済侵略を許すな！&lt;br /&gt;
:一、独占資本解体！　ブルジョア抑圧階級打倒！&lt;br /&gt;
:一、南北朝鮮の自主的平和的統一実現！&lt;br /&gt;
:一、在日朝鮮人の民主的民族権利の弾圧を許すな！&lt;br /&gt;
:一、金嬉老同胞の法廷闘争断固支持！&lt;br /&gt;
:一、日本軍国主義復活の道を断て！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1Ug6lkCQy4CB3VkZCHjyDULJy86bGKYcf/view?usp=sharing  山村政明ー呪われた歴史の残滓がこの体内に]『戦後青春への挽歌』（村上也寸志著　亜紀書房）より　&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1B8hmY_Uh9aTIlFCqBdy2J0iu6FZ2e_lx/view?usp=sharing　梁政明反日抗議自殺3周年忌追悼集会への呼びかけ]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1XmmIGTlgqkZV9yYKtvwfmJJ0BmzIFpBW/view?usp=sharing長征　梁政明反日抗議焼身自殺3周年忌追悼集会への呼びかけ　早大中国研究会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1tp-PCFJYL91ODrG5fsAcAXmt3WknCjVB/view?usp=sharing 梁政明反日抗議焼身自殺3周年忌追悼集会への呼びかけ　10・6集会実行委員会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1YDBzPWqG1SuBvARD5UH33DhQpeqS8KN3/view?usp=sharing 怒りを糧に　10・6集会実行委員会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1WdGqovvg_2FK5QnDSjCU4oLJu3wHiora/view?usp=sharing 基調報告　早大10・6集会実行委員会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1UGSeUz121IhMOSzLTzPGQhtAUVJwYUhK/view?usp=sharing　怒りを糧に　10・6集会実行委員会総括]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B49%E6%9C%8817%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%89%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%AF%E5%8D%B1%E9%99%BA%E3%81%AA%E7%8A%B6%E6%85%8B%E3%82%92%E4%BA%88%E6%83%B3%E3%80%82%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%88%E3%81%A7%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%81%A3%E3%81%9F%E6%96%B0%E5%AD%A6%E6%9C%9F%E7%AC%AC1%E6%97%A5%E7%9B%AE&amp;diff=1175</id>
		<title>1973年9月17日（月）当局は危険な状態を予想。ロックアウトで始まった新学期第1日目</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B49%E6%9C%8817%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%89%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%AF%E5%8D%B1%E9%99%BA%E3%81%AA%E7%8A%B6%E6%85%8B%E3%82%92%E4%BA%88%E6%83%B3%E3%80%82%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%88%E3%81%A7%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%81%A3%E3%81%9F%E6%96%B0%E5%AD%A6%E6%9C%9F%E7%AC%AC1%E6%97%A5%E7%9B%AE&amp;diff=1175"/>
				<updated>2026-08-28T04:04:05Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:正門前で革マルと当局がにらみ合い、危険な状態を予想したとして当局は正午、本部と文学部をロックアウトした。この日の午前中には2つの告示によって、凶器の持ち込み、他大学生の立ち入りを厳しく規制する当局の姿勢が示された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【新学期早々のロックアウト】'''&lt;br /&gt;
:この日の模様を毎日新聞は夕刊で次のように伝えた。&lt;br /&gt;
:「早大を拠点とする革マル派は15日に神奈川大学のリンチで殺された同志の追悼集会を計画。大学側が集会を禁止、警視庁から機動隊が出て学生の出入りを検問、正門前で革マル派とのにらみ合いが続いたが正午すぎ、大学側は授業を中止、学生の立入りを禁止した。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:早稲田キャンパス183号には次のようにある。&lt;br /&gt;
:「当日大学当局は、本部においては正門、西門以外の各門を閉鎖し機動隊が正門付近などに出動していた。この時点で当局者は登校する学生に『異常事態発生の時は必要な措置をとる』という内容の告示を行ない、同内容の文書を配布した。この告示では具体的に如何なる状態でどんな措置を取るかは述べられていなかった。しかし、それから間もなく第二の告示が出され、そこにおいて当日に限り『集会と立看板の搬入禁止』が述べられた。&lt;br /&gt;
:11時過ぎ頃より革マル派学生が本部前で約100名を集め、神奈川大学で同派学生2名が殺害された事件に関する集会と情宣を開始した。これに対して大学当局は、集会の中止を学内放送で勧告し、革マル派が応じなかったため、12時頃、本部と文学部を学生の立入り禁止ーーロックアウト処置を行なった。」&lt;br /&gt;
:同紙は、このロックアウトについて大学当局が明確な理由を述べていない点にふれ「マスコミ等による内ゲバ非難に対し学内管理強化によって社会的体裁を整えるためだけの恣意的措置」としている。さらに「『集会、言論の自由』さえも認められない17日の事態が恒常化される危険性さえある」とし、学生が管理の対象物としてしか扱われていないと指摘した。&lt;br /&gt;
:このロックアウトについて押村襄常任理事は「大学としてはあくまで授業をしたいというのが基本姿勢。集会の自由が必要なこともわかる。だが、いまの情勢では人命尊重から仕方なかった。今後もロックアウトすることはありうる」と語ったと翌日の毎日新聞は報じている。同じ記事の中で「ロックアウトされた構内では、革マル派が神奈川大のリンチで死んだ二学生の追悼集会を強行したが、午後1時過ぎに引き揚げた」とあり、ロックアウトの実態がうかがい知れる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【第一の告示】'''&lt;br /&gt;
:「新聞等の報道によれば、すでに本月9日・11日には本学外においてではあるが、学生セクト間の乱闘が繰り返され、多数の負傷者も出している。大学は、後期授業の開始にあたって、本学構内においてふたたびこのような忌わしい事件が起らないよう全力をつくす決意である。&lt;br /&gt;
:ついては、大学は従来にもまして、凶器類の持込み、他大学生の不法な立入を厳重に規制するが、今後さらに、情況によっては、各出入門の一時的閉鎖を行ない、学生証の提示など必要な措置をとらねばならぬこととなるかも知れず、結果として学生諸君に不便や迷惑が及ぶことが予想される。しかし、これらの措置は、全学の教職員・学生の安全を守り、大学の存立を全うするためのやむを得ないものである。学生諸君はこのことを了解して、これらの措置をとらねばならぬ事態に立ち至った際には、冷静・慎重に行動するよう望むものである。&lt;br /&gt;
:昭和48年9月17日　　　　　　早稲田大学」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【第二の告示】'''&lt;br /&gt;
:「ここ数日来の学外におけるセクト間の抗争に伴う暴力事件の経緯から見て危険な状態が予想されるので、本日はこれに関連する立看板および構内での集会を禁止する。&lt;br /&gt;
:昭和48年9月17日　　　　　　　　　早稲田大学」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【文学部の告示】'''&lt;br /&gt;
:ビラ等の資料がないため、この日の文学部の状況は不明である。前日の革マルによる三越屋上襲撃時に文学部のメンバーがいたか否かもわかっていない。ただし、襲撃後に現場に数人行ったことはわかっている。&lt;br /&gt;
:そうした中で、この日出された文学部当局による告示は残っている唯一の資料である。&lt;br /&gt;
:しかし、「昨年11月8日の不幸な出来事以来、われわれの辿ってきた道はまことに多くの苦しみと困難とにみちたものでありました」で始まり「あの不幸な事件以来やがて1年を経過しようとするいま、われわれは日々の不断の営みのなかに貴重な教訓を生かし、真に在るべき姿としての大学の実現にともに努めようではありませんか」で終わる告示には、“暴力的事態”抑止に腐心する当局の姿勢が繰り返し述べられている。&lt;br /&gt;
:「学生自治の問題をめぐって再三にわたり、学内外において学生相互間に暴力的な事態が生じ、そのために、重傷者をも含む多数の負傷者が出たことはきわめて遺憾なことでありました。」&lt;br /&gt;
:「学部は諸君が日々の困難な模索のなかからほんとうに諸君のものであると言い得るような学生自治を築き上げてゆくことを期待しています。それ故、おのれの偏狭な党派的立場のために、主義主張を異にする者に対して暴力的な威圧を加え、これに屈服を強いるがごとき行為は、断じて認めがたいものであります。」&lt;br /&gt;
:こうした事態に対し、当局が明確にしておきたい２点としてあげたのが「でき得るかぎり教育・研究の可能な条件の維持をはかること」「学内における暴力行為を排除するためにあらゆる努力を傾けること」であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:どんな言い回しを使おうとも、「大学は授業の遂行を第一にとらえ、それが阻止されるような事態に対しては強硬な手段の行使をいとわない」あるいは「大学のスケジュールに支障をきたす行為に対しては、ロックアウト、あるいは国家権力の介入をもって対処する」といった姿勢が見え隠れするとは言い過ぎになるだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マルの方針】'''&lt;br /&gt;
:「17日朝、東京台東区の国鉄鶯谷駅で、集会に行く途中の中核派の学生約150人に革マル派の学生約50人が襲いかかり、通勤のラッシュアワーが始まったホームは大混乱となった。（中略）警視庁の調べによると、この騒ぎの前の同7時ごろ、北区の飛鳥山公園で鉄パイプを持った学生ら約50人が集まり、国電王子駅から鶯谷方向へ向かったのを通行人が目撃していることから、革マル派がこの日から新学期が始まる早大キャンパスの主導権を確保するため、中核派を追尾、同派の拠点校である法大に集結する前に先制攻撃をかけたものとみている。」（1973年9月17日付毎日新聞夕刊）&lt;br /&gt;
:この日の午後、革マル派は記者会見を開いた。&lt;br /&gt;
:「革マル派全学連の前川健委員長は、17日夕、横浜市神奈川区白楽で記者会見、同日朝の東京台東区鶯谷で起きた同派と中核派の内ゲバについて『早大奪還をねらっていた中核派を粉砕するため行った』と説明。16日の東京中央区日本橋の三越デパート本店での事件など、最近ひん発している内ゲバに関連し『四分五裂になっている現在の学生運動を統一するためには、他党派を徹底的につぶしていかなければならない』と今後も他セクトとの内ゲバを続けていく方針を明らかにした。」（1973年9月18日付毎日新聞）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B49%E6%9C%8816%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%97%A5%EF%BC%89%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%A9%8B%E4%B8%89%E8%B6%8A%E6%9C%AC%E5%BA%97%E5%B1%8B%E4%B8%8A%E3%81%A7%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%AB%E8%A5%B2%E6%92%83%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B&amp;diff=1174</id>
		<title>1973年9月16日（日）日本橋三越本店屋上で革マルに襲撃される</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B49%E6%9C%8816%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%97%A5%EF%BC%89%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%A9%8B%E4%B8%89%E8%B6%8A%E6%9C%AC%E5%BA%97%E5%B1%8B%E4%B8%8A%E3%81%A7%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%AB%E8%A5%B2%E6%92%83%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B&amp;diff=1174"/>
				<updated>2026-08-28T03:45:10Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:新学期を前に、日本橋三越屋上に集まっていたメンバーに革マル約30人が襲いかかり、怪我人、逮捕者が出た。現場には中核のヘルメットが残され、中核シンパを名乗る証人もいたが詳細は不明。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【三越本店屋上で】'''&lt;br /&gt;
:17日月曜日の朝刊には「デパート屋上で内ゲバ　家族連れ、びっくり」「鉄パイプの三十数人　過激派同士か」（朝日新聞）、「日曜のデパート屋上へ無法者　鉄パイプ乱闘」「子供抱き逃げる親」「日本橋『三越』お客五百人総立ち」（毎日新聞）の記事が各社10段抜きで報じられた。&lt;br /&gt;
:朝日新聞によれば事件の概要は次のようだった。&lt;br /&gt;
:「東京・日本橋のデパート屋上で鉄パイプやスネ当てなどで“武装”した若者約30人が、別に集まっていた学生グループに襲いかかる事件が起き、買い物客たちをぎくりとさせた。一人が1週間のケガをし、8人は暴力行為、凶器準備集合罪の現行犯で中央署に逮捕された。ほかに『被害者だ』という4人にも事情を聞いているが、そのうち一人は『早大生で、中核派のシンパだ』といっている。同署は17日に新学期を迎える早大のセクト間の争いに関係があり、WAC（早稲田全学行動委の略称。革マル派に対抗する早大内の組織）が同デパート屋上に集まるのを知った革マル系学生が、襲ったのではないかと見ている。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:この時警察の網にかかったのは次の面々。&lt;br /&gt;
:１）「屋上からエレベーターに乗ろうとしていた男3人」で「一人が服の下に鉄パイプを隠し持っていたため」3人とも暴力行為で逮捕された。（3人）&lt;br /&gt;
:２）近くの日本橋派出所付近では「通りかかった数人の若い男が」職質を受けて逃げ出し、そのうち1人が「新聞紙やタオルにくるんだ鉄パイプ10本をつめたバッグを落とし」逮捕された。（1人）&lt;br /&gt;
:３）三越内の6、7階でも「腕やスネに段ボールやプラスチックで作ったコテやスネ当てをつけていた若い男を見つけ」逮捕した。（4人）&lt;br /&gt;
:４）被害者として任意同行された早大生（4人）の一人は「WACから、3時に三越屋上に集まるように指示されて来た。革マル派と対立している中核派を心情的に支持している」と言った。&lt;br /&gt;
:５）両足を殴られ1週間のけがをした若い男。医師の手当てを受ける際に文京区在住の「自動車運転手助手・山田某」と名乗り「見ず知らずの男たちにいきなりなぐりつけられた。理由はまったくわからない」と語った。しかし、警察が調べたところ居住が確認できなかった。&lt;br /&gt;
:この襲撃事件が革マル派によって実行されたことは、この日の午後横須賀で開かれた革マル派の集会で「WACを三越で粉砕した」などの報告があったことから判明した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【証言】'''&lt;br /&gt;
:「前日15日の神大での革マルと反帝学評の内ゲバを受けて、明日以降の早稲田での展開をどうするか、緊急に相談したいと早朝連絡があった。誰からだったかは覚えていない。可能な限りの教育のメンバーに連絡した。屋上に着いて間もなく、バラバラでいるところを襲われた。教育のT君と一緒にパクられた。勾留は21日間。」（教育2年）&lt;br /&gt;
:「神大の件※で今後どうするかということで連絡をもらい、サ連の人間として行った。屋上に着いたら、反帝学評の幹部が2人来ていた。」（サ連）&lt;br /&gt;
:「法学部の連絡窓口だったが、連絡が来なかったので誰も行っていない。」（法行動委）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:※「神大襲撃事件」空母ミッドウェー横須賀母港化反対集会に備えて神奈川大学3号館と宮面寮に宿泊していた反帝学評100人に対して、9月15日未明、革マル派100名が神大3号館を襲撃した。激しい乱闘の末、反帝学評の負傷者21人は市内11の病院に運ばれ4人が入院した。同日10時30分、横浜市水道局西谷浄水場裏門近くの草むらで血みどろの他殺体が見つかった。殺されたのは革マル派偵察要員2名で、東大教養学部生の金築寛と元ICU生の清水徹志で、死因は2人とも外傷性ショック死だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【考察】'''&lt;br /&gt;
:●集まった目的&lt;br /&gt;
:この三越の一件については、新聞以外の資料は残っていない。40数年経って得られた証言によれば、翌17日から新学期が始まることから、前日の神大襲撃事件を受けての対策会議であったと思われる。なぜ繁華街にあるデパートの屋上に集まったかについては、「この事件の前にも、デパートの屋上に少ない人数で集まって会議のようなことをしたのは事実です。交通の便が良いので集合しやすかったこと、まさかこんなところまで革マルの目は届いていないだろうという気持ちがあったからだと思います」という証言（一文2年）がある。しかし、革マルの目は届いていたのである。&lt;br /&gt;
:「襲撃の直後に駆けつけたところ、私服刑事に捕捉され事情聴取を受けた」という一文クラス活動家の証言から、また、事情を聞かれた“被害者”（編注：革マルの偽装と思われる）の発言に「WACから3時に三越屋上に集まるように指示されて来た」とあることから、予定されていた全学の集会であったことはわかるが、早朝の連絡だったにもかかわらず、集合直後に革マルの襲撃を受けたということは、かなり早い時点で革マルに情報が漏れていたと思われる。どこから漏れたのか。この招集の背景に反帝学評が深く関わっていることは、屋上に幹部が目撃されていること、そして何より電話連絡が早朝だったことなどの論証がある。そうしたことから、反帝学評あるいは行動委（WAC）のメンバーを張っていた革マルのレポに動きを察知されたとは考えられないだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●集まった顔ぶれ&lt;br /&gt;
:証言にもあるように、教育学部の他、法学部を除く一文、社学、政経のメンバーが現場にいたが、教育学部でも執行部のメンバーは参加しておらず、各学部も同様である。対革マルの防衛に直接関わる行動委もしくはサ連の連絡網で招集されたのではないかと思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●心情的中核派とは&lt;br /&gt;
:ところで、 “被害者”の発言を毎日新聞は「午後3時に三越屋上に心情的中核派約20人が集まる予定だった。だがまだ集まらないうちにやられた」と報じている。朝日新聞にも「革マル派と対立している中核派を心情的に支持している」という“被害者”の文言がある。さらに中核派との関係をうかがわせる物証として、「現場の屋上には『中核』と書いた白いヘルメット10個と黒いヘルメット10個、聖書や参考書が入ったカバン数点が散らばっていた」と朝日新聞にある。この時期に早稲田の「心情的中核派」が、単独であるいはWACの一員として集会に出るだろうか。またそれを警察による聴取の際に話すだろうか。にわかには信じがたい。&lt;br /&gt;
:折しも各党派間の抗争が激化しており内ゲバが頻発していた。特に革マルと中核は苛烈なゲバルトを展開していた。「中核派」と自称する参加者がいる集会を襲うことは、革マル派にとってその手段がいかに卑劣であろうと正当な闘いになる。そうした既成事実を捏造するために、“被害者”として警察に事情聴取を受け、「中核派」の一言を残したと考えられないだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:40数年後、当時の早稲田中核派のキャップが次のように証言している。&lt;br /&gt;
:「72年に僕が3年生になった時点で多くの学生が卒業して、早稲田支部としては動員がかなり厳しい状態になっていました。集会があれば10人とか15人とかは集まるけれども、日常的な会議や活動が難しい。新たに1、2年生の中から人数を集めていこうとしていました。党派の活動としては、今週は早稲田から何人というような形での前進社の防衛もあるわけです。強制ではないのですが。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●“山田某”は誰か&lt;br /&gt;
:“被害者”4人と同様に事情聴取を受けた“山田某”については、教育学部新執行部選に立候補した人物ではないかと思われる。ケガをした彼は、医師による手当ての際に“山田某”と偽名を名乗ったのである。当時、運動に関わる者が警察に顔を覚えられること、あるいは名前を知られることは最も避けなければならなかった。逮捕された時には完黙（編注：完全黙秘）が常識であったが、この場合は事情聴取であり、治療上どうしても氏名が必要だったとも考えられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:翌17日の毎日新聞夕刊には「16日の三越デパートの事件は、革マル派に早稲田を追われた反革マル派が混雑にまぎれて人目のつかないデパートに結集、17日以降の早大奪還作戦を練ろうとしたのを、事前に察知した革マルが先制攻撃をかけた」とする警視庁の見解が掲載された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マルと他党派間の抗争激化】'''&lt;br /&gt;
:1973年は一気に革マルをめぐる内ゲバが増えた年だった。&lt;br /&gt;
:7.4	革マル、池袋で中核のアジトを襲撃（第1次中核村襲撃）&lt;br /&gt;
:9.9	革マル、西武池袋線・保谷駅で中核派数人を襲撃&lt;br /&gt;
:9.11	革マル、東大駒場で集会中の反帝学評を襲撃&lt;br /&gt;
:9.15	革マル、神奈川大学に宿泊中の反帝学評を襲撃。偵察要員の革マル派2名が殺害される。&lt;br /&gt;
:9.17	革マル、鶯谷駅で集会に向かう中核派を襲撃&lt;br /&gt;
::	革マル派全学連の前川健委員長が記者会見で「早大奪還をねらっていた中核派を粉砕するために行った」と発言。「四分五裂になっている現在の学生運動を統一するためには、他党派を徹底的につぶしていかなくてはならない」と、他セクトとの内ゲバを続けていく方針を語った。（1973年9月18日付毎日新聞夕刊）&lt;br /&gt;
:9.27	反帝学評、本部3号館で集会中の革マルを襲撃&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:早稲田という局所で見れば、革マルが中核を襲撃した7.４の翌日には政経と一文で学生大会が予定されていた。また、反帝学評を襲った9.15は17日からの新学期直前。実際17日には、革マルが神大事件の情宣と追悼集会を強行したため、本部と文学部キャンパスがロックアウトになっている。表立っては党派間抗争であっても、早稲田においては、「自治会再建」運動に象徴された新しい機運への妨害行為に他ならなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:9月16日付毎日新聞は「内ゲバ　日常化するリンチ」と題した記事で、[https://drive.google.com/file/d/1wkkmtGchAQwlaVP5CT__LbXrmqgYqBGb/view?usp=sharing 内ゲバの増加]を次のように報じた。&lt;br /&gt;
:「昨年11月の早大リンチ殺人事件以来、心配されていた過激各派の内ゲバ殺人が再び現実のものとなった。（中略）最近では各派拠点校に対するなぐり込み、レポ要員や活動家に対するリンチが日常化する一方で、活動家のアパートや下宿への急襲といった個人テロにまでエスカレートしている。ことし各派による内ゲバ件数は都内だけですでに61件（15日現在）。昨年同期にくらべ件数そのものはやや減ったが、重軽傷者数は昨年の2倍以上の287人にのぼっている。（中略）警視庁の調べでは、都内における内ゲバの中心は川口君リンチ殺人事件が発生、革マル派の最大拠点校でもある早大で61件の内ゲバのうち26件が同キャンパスで発生、そのほとんどは革マル派と反革マル派（反帝学評、中核、戦旗、叛旗各派など）間で行われたもの。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【川口君リンチ殺人事件と内ゲバ】'''&lt;br /&gt;
:1973年9月18日付毎日新聞の記事の中に次のような記述がある。&lt;br /&gt;
:「早大では昨年11月8日、同大生、川口大三郎君（当時20歳）が革マル派のリンチ殺人にあって以来、同大を最大の拠点とする革マル派に対して中核、反帝系の各セクトが『右翼改良主義＝革マル派との対決は階級闘争の前進に不可欠』と叫び、革マル派の追い出しと”早大解放“を闘争課題にしている。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:また、立花隆はその著書『中核VS革マル』の中で次のように書いている。&lt;br /&gt;
:「内ゲバ史の上で、川口君事件のもつ意味はきわめて大きい。この事件とそれによってもたらされた“早大戦争”の過程で、内ゲバはそれまでとは比較にならぬほどのエスカレーションをとげた。そして、これまでは主として中核派対革マル派の内ゲバが主であったのに、革マル派は他のすべての党派を敵にまわすことになった。&lt;br /&gt;
:革マル派は、この事件によって最大の危機にたたされた。第一に、辻・正田君事件以来、通算して4人目の死者を革マル派のテロ路線によって出してしまったことによって、革マル派＝テロリストの図式ができてしまいそうになったことである。第二に、この事件が、革マル派の本拠地の早大で起きたことである。対応の仕方をまちがえば、革マル派は学生戦線での“本丸”を一挙に失うことになるかもしれなかった。&lt;br /&gt;
:革マル派は本丸を確保するために、全国動員をかけ、政治的・軍事的に最大限の努力を払った。そして、壮絶な内ゲバ戦に勝ち抜いたのである。中核派をはじめとする他党派は、政治的には絶対有利の立場にあったにもかかわらず、軍事的に敗北し、それを通じて政治的にも敗北していった。&lt;br /&gt;
:その結果、敗北した側では軍事偏重の総括が行なわれ、勝利した革マル派にならって、内ゲバ専門の軍事組織を本格的に作ることになる。こうして、殺し合い内ゲバへの道が開かれるのである。&lt;br /&gt;
:たしかに、川口君事件以前の段階で、すでに殺し合い内ゲバへのレールは敷かれ終っていたことは、これまでの記述でおわかりだろうが、実際の引き金をひいたのは、川口君事件である。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:党派闘争という観点に立ったこの本では、11.8以降の早稲田の状況はたった4行にしかならない。しかし、事はそれほど単純だったのだろうか。革マルの軍事的な力によって「自治会再建」等の（政治的な）動きは封じ込められたのか。大隈銅像前を埋め一文キャンパスへ向かった数千人の隊列。そこにいた全ての人を党派色で色分けできないことを私たちは知っている。&lt;br /&gt;
:確かに対立セクトを排除しようとする姿勢は内ゲバの発想そのものだ。しかし、一時期中核派に関心を持った川口君が“中核派”というレッテルを貼られ、“スパイ”という汚名を着せられて殺されたことと党派間の内ゲバとは明らかに範疇が違う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マルの学内暴力】'''&lt;br /&gt;
:68年から72年の革マルによる早大民青に対する暴力事件の概要が「一文自治会民主化クラス・サークル協議会」によってまとめられている。&lt;br /&gt;
:一文では29件が記録されており、いずれにも脅迫、暴行の様子が生々しい。&lt;br /&gt;
:「3時間目、104教室で漢文の授業を受けていたC C協K君（2Iクラス）に革マル派M、S、M、Oらが暴力的に自己批判を迫る。クラスの学友が止めに入ると、『お前は民青か、登校できないようにしてやる』と脅迫し、K君の顔面を数十発なぐる。この時、授業をしていたS助教授はこの暴力に対して何らやめさせようとせず、『外に出ていってやれ』と言った。革マル派の殴打にK君は発熱し、気分が悪くなり、授業終了後クラスの学友に守られ一文を出る。」（70年２月6日）&lt;br /&gt;
:「10時すぎ、M、T教授とT教務副主任と共に7名の学生が教室に入った。そこへ革マルが続々とつめかけ、20人ぐらいで（K君、O君は）教室の前と後ろに追いつめられて暴行をうけた。何かをいうたびになぐられ、教師がとめてもやまず、二人は教室の後ろで20人ぐらいにとりかこまれ、また、前へひきずりだされてとりかこまれ、1時間半近く暴行をうけ自己批判書を要求された。」（71年10月1日）&lt;br /&gt;
:二文では「早大二文から暴力と登校できない人をなくす会」が記録を残している。72年3月調べの時点で、暴力によって登校できず、授業料が払えず抹籍退学となった学生3人、登校できない学生26人、暴行を受けた被害者で氏名のわかっている学生19人。68年以降の個人に対する暴行、テロ、リンチ、脅迫強奪事件は約70件、被害者は90余名となっている。また、55件については経緯が記されている。&lt;br /&gt;
:「S君が自治会室裏に連行され、なぐる、けるの暴行をうけ、肋骨を折り病院へ行く。」（71年6月）&lt;br /&gt;
:「H君が自治会室に連れこまれ、裸にされて、チェーンで殴られる。全身打撲。」（71年6月26日）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:（出典資料：『早稲田の自治と民主主義　革マル……その暴虐の歴史』全学連中央機関紙「祖国と学問のために」早大総分局他編）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
[https://drive.google.com/file/d/1ecLjVXOC_4_ceb6KfcVM7hp0mkoFjg0x/view?usp=sharing 『早稲田の自治と民主主義　革マル……その暴虐の歴史』全学連中央機関紙「祖国と学問のために」早大総分局他編](川口大三郎君追悼資料室より転載)&lt;br /&gt;
　　　&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B49%E6%9C%883%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%89%E8%BB%BD%E7%8A%AF%E7%BD%AA%E6%B3%95%E9%81%95%E5%8F%8D%E3%81%A7%E8%B5%B7%E8%A8%B4%E3%81%AE5.17%E8%A2%AB%E5%91%8A2%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%AC%AC2%E5%9B%9E%E5%85%AC%E5%88%A4&amp;diff=1173</id>
		<title>1973年9月3日（月）軽犯罪法違反で起訴の5.17被告2人の第2回公判</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B49%E6%9C%883%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%89%E8%BB%BD%E7%8A%AF%E7%BD%AA%E6%B3%95%E9%81%95%E5%8F%8D%E3%81%A7%E8%B5%B7%E8%A8%B4%E3%81%AE5.17%E8%A2%AB%E5%91%8A2%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%AC%AC2%E5%9B%9E%E5%85%AC%E5%88%A4&amp;diff=1173"/>
				<updated>2026-08-28T03:33:43Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:5.17総長団交の際、構内に向かった部隊は機動隊の規制によって外濠公園へ誘導され、学内に入れなかった。その途中で2人が職質を受け、凶器準備集合罪で逮捕されたにもかかわらずその後軽犯罪法で起訴された。第2回公判では、検察側の証人によって逮捕の根拠となった点が証言されたが、逮捕の正当性には疑問が残った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【検察側証人の発言】'''&lt;br /&gt;
:５.17に凶器準備集合罪で逮捕され軽犯罪法違反で起訴された2人に対する第2回公判が開かれた。その模様は早稲田キャンパス183号に詳しい。要約すると以下の通りである。&lt;br /&gt;
:「この裁判にあたっては、大学・教育問題、現行裁判制度を見ていかなければ行為の背景にある思想を語ることはできない。すなわち、川口君の死を引き起こした背景には、大学の学内秩序の象徴である10.27告示と11.17告示があり、その法的根拠は大学立法である。それにもかかわらず川口君の死後、大学は何ら具体的な対処はせず、ロックアウトと告示でしか対応していない。そうした中で克ちとられた5.17総長団交は、学生による唯一の糾弾の場であった。それが、前日になって『学生間の衝突が予想される』とした1枚の告示によって中止された。村井総長の確約は反故になったのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:この中止について、この日検察側証人として証言した萩原証人（戸塚署警ら課長）は『革マル派の圧力によって中止になった』と述べている。17日の警備体制については、前日16日に部隊編成が行われていたことを述べた上で『この日の警戒は、反革マル派が革マル派を攻撃するとの情報によりなされ、学生間のトラブルにより負傷者ならびに建物の破壊を防ぐ目的でなされた。直接行動としては、反革マル派を早稲田大学周辺に近づけないことを目的とした』と発言したが、情報の出所については明言しなかった。&lt;br /&gt;
:2人の逮捕については『甘泉園公園を警戒中に50人位の学生風の集団が横を通り過ぎていった。その後から重そうな紙袋を持った3人の男が前の集団に追いつこうとするかのように急ぎ足でやってきたが私たちを見ると逃げた。その重そうな紙袋の中にはたぶん鉄パイプが入っている。鉄パイプが入っているとすれば凶器になる』と判断したという。これでは逮捕の裏付けにならない。『重そう』という印象と『鉄パイプ＝凶器』を結ぶ必然性がないのである。この曖昧さによって、凶器準備集合罪ではなく軽犯罪法での起訴となったのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:こうしたことから、警察および検察の意図が被告2人の犯罪性にのみ向けられているのではなく、現在早稲田で進められている運動そのものに向けられていることにほかならないと判断できる。&lt;br /&gt;
:萩原証人は『警戒警備するにあたり大学の要請なしでも署長の判断により大学内のトラブルを規制する』と証言した。5.17当日に大学から要請があったかどうかについては終始曖昧にしか答えなかった。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:第3回公判は9月26日に開かれる予定だったが、三越襲撃事件で被告の一人が22日間勾留されたため10月22日に延期された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B47%E6%9C%8816%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%895.17%E8%A2%AB%E5%91%8A2%E5%90%8D%E3%81%AE%E7%AC%AC1%E5%9B%9E%E5%85%AC%E5%88%A4%E3%80%82&amp;diff=1172</id>
		<title>1973年7月16日（月）5.17被告2名の第1回公判。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B47%E6%9C%8816%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%895.17%E8%A2%AB%E5%91%8A2%E5%90%8D%E3%81%AE%E7%AC%AC1%E5%9B%9E%E5%85%AC%E5%88%A4%E3%80%82&amp;diff=1172"/>
				<updated>2026-08-28T03:26:26Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:5.17総長団交の折逮捕された被告2名への第1回公判が開かれた。凶器準備集合罪で逮捕したものの、同罪での起訴が不可能だとわかると、罪状を軽犯罪法違反としての起訴となった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【5.17被告2名の第1回公判】'''&lt;br /&gt;
:5.17総長団交開催をめぐる混乱の中で、凶器準備集合罪の現行犯として逮捕された2名（社会学部常任委Kさんと教育学部クラス団実委Sさん）に対する第1回公判が、東京簡易裁判所で開かれた。当初2人は凶器準備集合罪の現行犯として逮捕されたものの、取り調べに対して完黙を貫いたため裏付けがとれず、軽犯罪法違反として起訴されたものである。&lt;br /&gt;
:公判後の総括集会では、被告の一人から「多くの学友の結集を求める」とのアピールがあり、この裁判を「早大闘争」の本質を問う裁判闘争にまで発展させねばならないという決意が示された。&lt;br /&gt;
:この裁判を報じた早稲田キャンパス182号には「この裁判が始まったことにより『早大闘争』に新しい要素が加わったといえる」という一文が見える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1YmVbttj6Dd48E_IX7sDeltHZXfY1K07n/view?usp=sharing 5・17被告団からの声明]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B47%E6%9C%8813%E6%97%A5%EF%BC%88%E9%87%91%EF%BC%89%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%AE%E8%A9%A6%E9%A8%93%E5%BC%B7%E8%A1%8C%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%97%E4%BA%8C%E9%80%A3%E5%8D%94%E3%81%8C%E8%A9%A6%E9%A8%93%E7%B2%89%E7%A0%95%E4%B8%AD%E5%BA%AD%E9%9B%86%E4%BC%9A%E3%80%82%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%AE%E8%A5%B2%E6%92%83%E3%81%A7%E3%81%A1%E3%82%8A%E3%81%A2%E3%82%8A%E3%81%AB%E3%80%82&amp;diff=1171</id>
		<title>1973年7月13日（金）当局の試験強行に対し二連協が試験粉砕中庭集会。革マルの襲撃でちりぢりに。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B47%E6%9C%8813%E6%97%A5%EF%BC%88%E9%87%91%EF%BC%89%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%AE%E8%A9%A6%E9%A8%93%E5%BC%B7%E8%A1%8C%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%97%E4%BA%8C%E9%80%A3%E5%8D%94%E3%81%8C%E8%A9%A6%E9%A8%93%E7%B2%89%E7%A0%95%E4%B8%AD%E5%BA%AD%E9%9B%86%E4%BC%9A%E3%80%82%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%AE%E8%A5%B2%E6%92%83%E3%81%A7%E3%81%A1%E3%82%8A%E3%81%A2%E3%82%8A%E3%81%AB%E3%80%82&amp;diff=1171"/>
				<updated>2026-08-28T03:18:48Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:11日から強行実施された73年度前期期末試験に対し、二連協が試験粉砕中庭集会を提起。試験の強行を阻止する狙いで中庭に登場したが、予定されていたWACの支援が受けられず革マルの襲撃でちりぢりに。援護の叛旗数名が重傷を負う。試みられた有志によるゲリラ攻撃は効果を発揮できなかった。また、試験を巡って教師と討論するクラスも散見した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【二連協が提起した試験粉砕中庭集会】'''&lt;br /&gt;
:11日から試験を強行した当局に対し、12日には、教室で発煙筒をたく爆竹を鳴らすなどの粉砕行動が試みられたが散発に終わった。こうした状況に二連協は、13日に集会開催を提起した。「試験粉砕中庭集会」と銘打ち、100名程の集会を開くことで試験を実力で中止へ追い込み、状況によっては学部団交に持ち込んで試験の白紙撤回を求めるという戦術であった。前日にはWACとの戦術会議も開かれ、WACが本部で革マルを制圧した後、二連協が文学部に登場し集会を貫徹するという行動方針が確認された。しかし、この日集合場所に結集したのは二連協を中心とする30名足らずだった。そのため単なる集会にするか試験実力粉砕もしくは団交かで議論が交わされ、その間に革マルの妨害でWACが予定の行動を中止するなど、情勢は厳しさを増した。とはいえ、クラスの活動家がWACの支援なしに文学部に登場して集会を開く機会は捨てがたく、前日の会議で武装支援を申し出た叛旗の部隊に守られて中庭集会開催の運びとなった。集会では、参加した教務主任（学生担当）の岩波教授を前に団交が提起され、試験粉砕の実力行動にも移ったが、約1時間後、革マルの襲撃によってちりぢりになった。&lt;br /&gt;
:なお、翌14日には東大三鷹寮で今後の試験粉砕闘争と教育学部の三役選挙を議題に全体会議が開かれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:『一文有志の記録』には時系列がメモで残っている。&lt;br /&gt;
::10:00　AVACO　Z30　ボストン　11地下　&lt;br /&gt;
::11:30　（30～40）Z150　11号館情報　二連協内意見分裂&lt;br /&gt;
:: 1:30　登場（予定）→叛→文へ&lt;br /&gt;
:: 2:00　登場（40～60）集会50 周囲50 etc.50　150～200&lt;br /&gt;
:: 3:00　岩波出てくる&lt;br /&gt;
:: 3:15　Z西門から出る情報&lt;br /&gt;
:: 3:30　図書館裏　▲▲　正門→三方向から100人　正門囮部隊→叛&lt;br /&gt;
::　　　  全員　継パイ、メット　50～100→80（100）&lt;br /&gt;
:: 4:00　脱出&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:翌14日には、一文・二文当局が「対立する学生諸君は鉄パイプを捨てて、討論の場に戻ることを切望する」として告示を出した。そこには経緯が次のように記載されている。&lt;br /&gt;
:「7月13日（金）午後2時すぎ、新執行部の学生を中心とする数十名が突然文学部中庭に現われ、スロープ上と階段下にバリケードを築いた。また、この直後赤ヘルメットをかぶった約30名の集団が入構、鉄パイプ等で武装して102教室に入った。新執行部系の諸君は一文学生担当教務主任を連れ出して集会を開いた。3時30分ごろ、大部分他大学のものと思われる白ヘルメットの革マル系の学生が記念会堂前で武装し、赤ヘルメットの集団と乱闘となった。ついで革マル系の集団は中庭で集会中の新執行部系の学生をはじめとする多くの学生に鉄パイプ等で襲いかかり、更に期末試験中の教室に乱入して暴威をふるい、その結果、重傷者を含む8名の負傷者を出すに至った。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【学外授業、学外試験の提起】'''&lt;br /&gt;
:クラスに基盤を持ち、クラス討論を維持していく主体となったクラス連絡会議（クラ連）にとって、試験に対する意志一致を図ることは、難しいながらも避けては通れない課題であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:『一文有志の記録』には、73年度前期試験に関して次のように記されている。&lt;br /&gt;
:「72年度学年末試験が我々の態勢が十分にとりえないまま敗北していったことに規定された形で、5.17以降の低迷状態も存在した。また、それによって直接的には80数名もの学友が文学部に立ち入れないという状況にさえ立ち至った。このまま試験をなしくずし的に受けることは、9月期以降の展望を全く立たなくさせるものとしてあった。そこでTクラスでは、より直接的な要因（80人もの学友が学内に入れないという状況）を二次的に解決し、分断された状況をすこしでもくい止め、そしてより本質的な解決を志向していくものとして、『学外試験』を方針として打ち出した。しかし、それは最初から『学外授業』～『学外試験』というサイクルで容易に完結する可能性が非常に高いものであり、極めて中間主義的な色彩の濃いものであった。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:授業で顔を合わせる教師に対してこの案を提案したものの、理解を示す発言を得ることはできなかった。&lt;br /&gt;
::教師I：制度こそ自分の主体であるから、大学内では機構の指示通りに行動する。&lt;br /&gt;
::教師M：授業を学内で行うことは正常化への第一歩である。&lt;br /&gt;
::教師K：私の教育理論は国家の要請に見合う人間をつくりあげることです。語学は専修へ上がるための準備としてやります。戦前の悲惨な歴史を振り返り反省して、民主主義を徹底させるための教育です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:いずれの意見も、大学という枠組みの中で、一定の仕組みに従うことが自らの行動規範であるという立場で発せられている。しかし、その仕組みの中で川口君リンチ虐殺事件が発生したことにはふれていない。それは特殊な状況下でのことであり党派間の問題であるというレッテルを貼ることで事件そのものを排除しようとする意識が教師の属する当局を支配していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:新２Jからは、教師との問答を伝えた個人ビラが出ている。&lt;br /&gt;
::O先生：一律評価は困りますね。お気持ちはよくわかりますけど、とにかく困ります。なにしろ不可がないと、増長してサボる学生が増えますしね。とにかく授業をしましょう。皆さんが問題になさっていることと授業とは別ですよ。授業が終わったら一緒に考えましょうね。試験ができないのは困りましたね。ではこうしましょう。夏休み中何でもいいから英語の本を一冊読み、あらすじと感想を一行おきにレポート5枚。後期、第一時間目の授業に提出。皆さん、今度はちゃんとお勉強してくださいよ。&lt;br /&gt;
::T先生：（逆上して）またクラス討論ですか！いったい何時間私の授業をつぶせば気が済むんです！試験反対？何を言うんですか。決められたとおりきちんと授業をして試験をするのが私のモットーです。では、試験をします。&lt;br /&gt;
::M先生：To examine and value is right of the teaching staff, and I think it is my duty. Do you boycott my examination really? I see. You will fail it.&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:別の個人ビラでは、「評価をするのは教師の義務ですから」という発言に対し、「その、今まで当然だった前提がおかしいのではないかと思って先生と話し合っているのですが」というやりとりが記されている。そして、こうした学生の反論に対して、ほとんどの教師が「授業をして評価をつけ単位を取っていく、これが大学というものでしょう。その前提を認めないなら、あなたは大学を辞めるべきですよ」と声高に言ったとある。「試験を経て大学までたどり着いた経験をもってしても、これほどまでに試験に固執する教師の姿は、何か不思議なもの、異様なものとしてうつる」とし、「まるで突き破れない厚い壁に囲まれているようだった」と記されている。ビラの最後には「いま、非常にしんどいけれど、自分自身にとって学生とは何かという問い返しもしてみようと思っている」と結ばれている。そして考えた末、大学を去る道を選んだのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:当局を糾弾し、試験粉砕を呼びかけながらも、単位を取得しなければ進級はできない。とくに文学部の場合、一般教養から専攻へ上がるための必要単位が取得できていなければ留年となり、その期限は2年。進級できたとしても成績が悪ければ、競争率の高い専攻にはいけない。心理学や日本史をあきらめ人文、文芸へまわるのである。他学部でも、討論の合間にレポートを書いた話などが伝わっているが、単位取得による進級という枠組みと春夏冬の休み、入学試験などの一連の学校予定に縛られたことが、有形無形に運動の流れを左右した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:その点を指摘した文章が残っている。&lt;br /&gt;
:「結局、口では授業中止、試験粉砕を言いつつも、結果的にはレポートに甘んじてしまった。教師がレポートに切り替えざるを得なかったのは、確かに私たちの一定の成果ではあった。しかし、それは単なる妥協の一形態であって、本質的なものは何一つ解決されていない。では、本質的なものとは何か？そして『試験粉砕』と口にしつつもレポートに甘んじざるを得なかったのは、どこに問題があったのだろうか？それは、私たちが『学生』というおのれの立脚点を見つめ、その関係性を明らかにすることなく、授業や単位を語ったことが一つあると思う。私たちが『学生』は単位をもらうものであるということを前提として試験や単位のことを語る場合、教師がその既得権であるところの評価権をふりかざすことを、誰がとがめられようか。私たちに欠落していたのは、試験を単に『当局の分断策動』として一方的に攻撃するのみで、今まで分断されてきたその関係を、管理支配されてきた自己を解放する作業もなく、結局、その関係性は乗り越えられなかったのである。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【L★の登場】'''&lt;br /&gt;
:「早稲田を叛乱の炎で蔽いつくし、虚飾の碧雲を深紅に染めよ！」と題されたビラが残っている。5月17日から7月13日にかけての一文の状況を分析しており、小見出しには「党派による軍事力代行とWAC解体」「一文団実委の活動とその限界」「二連協を中心とする運動展開」とあり、現状を否定的にとらえている。13日の経緯をまとめたこのビラの最後に「L★は団交の方針であれば全力でこれを支援する態勢を整え秘かに待機した」という一文がある。このL★（読み＝エルボシ）とは何か。LはLiteratureの略。そのまま読めば「一文の星」である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:後に「X団」と名乗るビラも散見するが、これはL★のことである。Xとは便宜上の記号で、正式の名称はなかった。&lt;br /&gt;
:X団を構成したのは旧1年生と旧2年生の8クラスの有志と執行委員1名の20名ほどだった。合議制をとる連絡協議会の即時性の弱さ、党派の競り合いの場となった行動委員会の限界を越え、自衛武装を肯定的にとらえて現状を打破しようとする有志の集まりだった。全員が鉄パイプを握ることを肯定（決意）していた訳ではなく、サポートに徹しようとした者も含まれていたし、途中で活動を中止した者もいた。集まったものの、何を目的とし何をなすべきかを明確にできなかったゆえ「X」と名乗らざるを得なかったとも推測される。&lt;br /&gt;
:X団初の対外活動がこの日13日だった。二連協の集会を潰しに来る革マルの襲撃に備え、鉄パイプを握って体育局に潜んでいた。結局革マルの優勢に出番はなく、退却せざるを得なかった。また、X団とは別のグループが、袋に入れた自らの糞尿を革マルに投げつける作戦を実行した。これは、成田紛争で使われていた糞爆弾になぞらえたものだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【L★＝X団の動き】'''&lt;br /&gt;
:この日X団はレポ5人、レポセン2人、行動隊10人の組織で臨んだ。予定では午前８時に高田馬場のYMCAに集合のはずだったが、メンバーが実際に集まったのは10時過ぎだった。運動の中では時間を守らないことが問題となっており、ここでも遅刻が常態化していたことがうかがわれる。帝国主義をもじって「定刻主義」という表現が使われていた程である。&lt;br /&gt;
:レポについてはすでに８時前から文学部キャンパス内外と学館、本部に配置されており、逐次レポセンへ報告が入った。&lt;br /&gt;
::8:17	高田馬場駅前にZのレポ&lt;br /&gt;
::8:21	文学部にZ、機動隊ともにいない&lt;br /&gt;
::8:44	本部平静、東西南北の門すべて開放&lt;br /&gt;
::9:21	学館に誰もいない様子&lt;br /&gt;
::9:25	9時前、11号館に三々五々荷物を持った人間&lt;br /&gt;
::9:40	文学部キャンパス変化なし&lt;br /&gt;
::10:26	学内平穏&lt;br /&gt;
::10:32	YMCAに７人集合&lt;br /&gt;
::10:47	場所を移動AVACOへ&lt;br /&gt;
::この時AVACOには二連協が集合していた。YMCAからAVACOへ移動したX団のメンバーは合流して待機する。&lt;br /&gt;
::11:20	AVACOから行った叛旗20数人が文学部で内バリ&lt;br /&gt;
::11:36	11号館にZ 150人&lt;br /&gt;
::11:45	本部正門のみ（10時に南門、11時30分に西門閉まる）&lt;br /&gt;
::この間文学部キャンパスに顔を隠し武装した革マルが入ったものの表面上は平穏だった。&lt;br /&gt;
::1:10	AVACOに樋田委員長？が来て混乱&lt;br /&gt;
::2:02	文学部キャンパスへ入る（40～50人＋叛旗）&lt;br /&gt;
::2:21	樋田委員長入る（部隊50＋聴衆50）&lt;br /&gt;
::2:35	試験が終了し聴衆増える&lt;br /&gt;
::3:20	教務主任の岩波教授を囲んで団交&lt;br /&gt;
::レポによれば、集会の聴衆は着席50～60人、立ち見50～80人。叛旗他の部隊は見えなかった。また、スロープ脇の階段は塞がれ、スロープは2人が通れるほどに狭められており、革マルの動きは不明だった。&lt;br /&gt;
::3:32	革マル100人正門前。スロープ下で叛旗迎撃&lt;br /&gt;
::3:35	研究棟の下でゲバルト&lt;br /&gt;
::3:37	スロープ上に革マル100人以上。救対動員&lt;br /&gt;
::3:45	X団の10人無事。叛旗壊滅&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:この後メンバーは午後7時から喫茶店で顔を合わせ、この日の状況について情報を交換した。さらに今後の活動のために、怪我をした場合の病院付き添い、逮捕された時のガサ隊、レポセン等の役割分担を確認した。&lt;br /&gt;
:後日、この日のレポについての総括がまとめられたが、そこでは人員不足を取り上げ、少人数なりの体制がとれなかったのは、X団としての方針や運動の展開が不明確だったことによるとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【X団の夏休み合宿】'''&lt;br /&gt;
:7月29日～31日、X団は河口湖の民宿で合宿した。参加者は20人。レジュメには、この合宿の目的が「X団の原則がいったいどこにあり、獲得目標が何であるかを今一度問う」ことにあると記されている。&lt;br /&gt;
:討論のテーマとしては９月以降の展開を「戦争」と定義して、１）闘争スケジュール２）組織３）会計部樹立４）オルグ５）戦略戦術６）拠点展開について他、具体的には１）出撃点の確保２）諸戦線との接触３）情宣４）学内の組織化などの課題が取り上げられた。その他、情報収集と分析にあたる情報・資料班の設立、団員がいつでも利用できる印刷所の設立なども提案された。&lt;br /&gt;
:レジュメには「唯一の一致点であるところの“自らの思想性を自らの武装によって確保する”」という記述があるところからX団の戦闘的な性格がうかがえる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【証言】'''&lt;br /&gt;
:「Ｘ団は７月29日から31日にかけて、河口湖の民宿で合宿を行いました。この合宿では理論の構築、意見の集約を行いましたが、そんなことはどうでもよかったのです。基本は、どうやってカクマルの圧倒的な暴力に対抗するかということでした。&lt;br /&gt;
:東京に戻ってからは、7.13の反省からゲバルト訓練を行いました。ただ決意しただけでゲバルトに勝てるはずはありません。同じように無党派の明治大学新聞会（MUP）――彼らは戦旗派と敵対関係にあり、戦旗派を学外に追放しました――の指導で、三多摩地区にあった体育館で武闘訓練を受けました。実戦に備えての鉄パイプを使った「杖術」の訓練では、まずは相手の鎖骨を狙って上から斜めに振り下ろすことを学びました。敵に打撃を与え、怪我で動けなくさせても、死には至らせないということです。『信濃忍拳』による空手およびヌンチャク――ブルース・リーが人気の時代でもありましたね――の指導もありました。ヌンチャクは、紐で繋いだ二本の棒の片方を利き手で握り、他の一本を利き手側の脇下で固めるのが基本姿勢となるのですが、この姿勢を習得するまでには腕や体側がアザで紫色になってしまいました。裸足で行う空手の稽古では痛いように冷たいリノリウムの床の感触を覚えていますので、「図書館闘争」が終わった73年冬から74年春にかけても武闘訓練を続けていたのだと思います。ただ、いつ頃この訓練を止めたかは記憶にありません。」（一文2年）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/19s5Z4UyJ2UyPTO1IqXfckHmm-wkQBXFa/view?usp=sharing 早稲田を叛乱の炎で蔽い尽くし　虚飾の碧雲を深紅に染めよ！]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1e8pHlSMqeQknwcpMIPqJPfqYXx5ezlxa/view?usp=sharing お知らせ　諸先生大いに語る]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1UqJ4sfhJuVvagA72RfkhdxIJaKCKg07H/view?usp=sharing 「評価をするのは教師の教務ですから」（個人ビラ）]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B47%E6%9C%885%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%A8%EF%BC%89%E6%94%BF%E7%B5%8C%E3%80%81%E4%B8%80%E6%96%87%E3%81%AE%E5%AD%A6%E7%94%9F%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E3%81%AF%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%A8%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%AE%E5%A6%A8%E5%AE%B3%E3%81%AB%E3%82%88%E3%81%A3%E3%81%A6%E9%96%8B%E5%82%AC%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%9A%E3%80%82&amp;diff=1170</id>
		<title>1973年7月5日（木）政経、一文の学生大会は革マルと当局の妨害によって開催できず。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B47%E6%9C%885%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%A8%EF%BC%89%E6%94%BF%E7%B5%8C%E3%80%81%E4%B8%80%E6%96%87%E3%81%AE%E5%AD%A6%E7%94%9F%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E3%81%AF%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%A8%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%AE%E5%A6%A8%E5%AE%B3%E3%81%AB%E3%82%88%E3%81%A3%E3%81%A6%E9%96%8B%E5%82%AC%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%9A%E3%80%82&amp;diff=1170"/>
				<updated>2026-08-28T03:04:23Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: ページの作成:「'''【概要】''' :自治委員選挙貫徹、早稲田祭実現などを議題に政経、一文両学部で学生大会を予定していたが、革マル派は数日...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:自治委員選挙貫徹、早稲田祭実現などを議題に政経、一文両学部で学生大会を予定していたが、革マル派は数日前から「学大粉砕」を叫び300名が本部を制圧し、一文に情宣活動を展開。早大当局は警視庁に警備を要請し、一文門外で集会はできたものの、機動隊の規制で外濠公園へ。結局、政経と一文の学生大会は開催されなかった。また、この日から、武装革マルと当局とによる検問体制が数日間続いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【学生大会の課題】'''&lt;br /&gt;
:学生大会に向けて一文自治会執行委員会が出したビラでは、「私達はこの学大で、8カ月の闘いを再度振り返り、武装問題、私達の更なる大衆運動の貫徹、早大解放闘争とは具体的に何を獲得しようとするものなのかを鮮明にし、秋期における総長団交、早稲田祭の課題に向けての一文としての5.17などの教訓をふまえた形での本格的取り組み、そしてこの分断状況を打開せんとするための方針化、あるいは10日から予定されている試験の問題」等が、課題としてあげられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マルによる妨害】'''&lt;br /&gt;
:この日予定されていた政経、一文の学生大会は、革マルの妨害によって中止となった。その模様を1973年7月5日付朝日新聞夕刊は次のように報じた。&lt;br /&gt;
:「5日午前8時半すぎ、東京・新宿区の早稲田大学で、反革マル学生の学生大会を妨害しようとして集まった革マル派学生9人が、凶器準備集合などの現行犯で警視庁機動隊に逮捕された。この日、早大では政経、一文両学部で午後から（１）自治委員選挙貫徹（２）早稲田祭実現などの議題で反革マル自治会執行部などの学生大会が行われることになっており、革マル派は数日前から『同学生大会粉砕』などを叫んでいた。このため、早大当局は警視庁機動隊に同大学周辺の警備を要請していた。また、文学部当局はこの日午前8時20分からの授業開始を前に、午前8時から『学外者立ち入り禁止、学生証チェック』の検問態勢をひき、教職員30人が同学部正門で登校する学生一人一人に学生証の提示を求めた。同午前7時半すぎ、早大周辺には警視庁機動隊約150人が配置についた。同午前８時半すぎ、ヘルメットの入った紙袋や鉄パイプ入りのボストンバッグを持った学生約30人が早大本部前や地下鉄早稲田駅、戸塚一丁目交差点付近にあらわれたが、機動隊に阻止され、うち9人がつかまった。」&lt;br /&gt;
:同日の毎日新聞夕刊によれば、押収されたのは鉄パイプ約30本で、ナップザックにあったヘルメットには「Z」の文字があったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マルによる検問】'''&lt;br /&gt;
:早稲田キャンパス182号の日誌7.5には「予定されていた第一文学部、政経学部の学生大会は、執行部などが構内にはいれず、開催されなかった。この日を含めて数日間、革マル派が正門、西門などで一般学生の所持品検査などを行った。当局はこれに対して、警告する旨の告示を行った」とある。当局の告示が出されたのは6日で、内容は以下の通り。当然のことながら告示のみで、当局による規制等の具体的行動はなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::「告&lt;br /&gt;
::去る7月5日および6日の両日にわたって、正門、西門、ならびに文学部正門付近において、革マル派と思われる者が本大学の学生に対してその所持品をチェックするという事件が生じた。&lt;br /&gt;
::大学から再三警告したようにこれらの行為は誠に不法なものであって、看過し難いものである。教職員、学生の間から批難の声があがったのは当然である。&lt;br /&gt;
::しかも、学外者を使ってかかる行為をさせたと考えられるにいたっては、その責任を問わざるを得ない。今後、重ねてこのような不法な、かつ愚劣な行為をくり返さないよう、関係者学生に厳重な警告をするものである。&lt;br /&gt;
::昭和48年7月6日&lt;br /&gt;
::早稲田大学」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1RZnS_Nx7rYGMrZkIPdzfUY2Y1_ShOKvu/view?usp=sharing 一文学生大会を総力をもって克ちとろう]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B47%E6%9C%88&amp;diff=1169</id>
		<title>1973年7月</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B47%E6%9C%88&amp;diff=1169"/>
				<updated>2026-08-28T03:03:58Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;[[1973年7月2日（月）学大情宣のためヘルメット着用で一文キャンパスへ。機動隊に阻止される。]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年7月5日（木）政経、一文の学生大会は革マルと当局の妨害によって開催できず。]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年7月9日（月）「早稲田解放大集会」に800名結集。支援党派色目立つ。]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年7月13日（金）当局の試験強行に対し二連協が試験粉砕中庭集会。革マルの襲撃でちりぢりに。]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年7月16日（月）5.17被告2名の第1回公判。]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B47%E6%9C%885%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%A8%EF%BC%89%E6%94%BF%E7%B5%8C%E3%80%81%E4%B8%80%E6%96%87%E3%81%AE%E5%AD%A6%E5%A4%A7%E3%81%AF%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%A8%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%AE%E5%A6%A8%E5%AE%B3%E3%81%AB%E3%82%88%E3%81%A3%E3%81%A6%E9%96%8B%E5%82%AC%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%9A%E3%80%82&amp;diff=1168</id>
		<title>1973年7月5日（木）政経、一文の学大は革マルと当局の妨害によって開催できず。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B47%E6%9C%885%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%A8%EF%BC%89%E6%94%BF%E7%B5%8C%E3%80%81%E4%B8%80%E6%96%87%E3%81%AE%E5%AD%A6%E5%A4%A7%E3%81%AF%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%A8%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%AE%E5%A6%A8%E5%AE%B3%E3%81%AB%E3%82%88%E3%81%A3%E3%81%A6%E9%96%8B%E5%82%AC%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%9A%E3%80%82&amp;diff=1168"/>
				<updated>2026-08-28T03:00:59Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:自治委員選挙貫徹、早稲田祭実現などを議題に政経、一文両学部で学生大会を予定していたが、革マル派は数日前から「学大粉砕」を叫び300名が本部を制圧し、一文に情宣活動を展開。早大当局は警視庁に警備を要請し、一文門外で集会はできたものの、機動隊の規制で外濠公園へ。結局、政経と一文の学生大会は開催されなかった。また、この日から、武装革マルと当局とによる検問体制が数日間続いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【学生大会の課題】'''&lt;br /&gt;
:学生大会に向けて一文自治会執行委員会が出したビラでは、「私達はこの学大で、8カ月の闘いを再度振り返り、武装問題、私達の更なる大衆運動の貫徹、早大解放闘争とは具体的に何を獲得しようとするものなのかを鮮明にし、秋期における総長団交、早稲田祭の課題に向けての一文としての5.17などの教訓をふまえた形での本格的取り組み、そしてこの分断状況を打開せんとするための方針化、あるいは10日から予定されている試験の問題」等が、課題としてあげられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マルによる妨害】'''&lt;br /&gt;
:この日予定されていた政経、一文の学生大会は、革マルの妨害によって中止となった。その模様を1973年7月5日付朝日新聞夕刊は次のように報じた。&lt;br /&gt;
:「5日午前8時半すぎ、東京・新宿区の早稲田大学で、反革マル学生の学生大会を妨害しようとして集まった革マル派学生9人が、凶器準備集合などの現行犯で警視庁機動隊に逮捕された。この日、早大では政経、一文両学部で午後から（１）自治委員選挙貫徹（２）早稲田祭実現などの議題で反革マル自治会執行部などの学生大会が行われることになっており、革マル派は数日前から『同学生大会粉砕』などを叫んでいた。このため、早大当局は警視庁機動隊に同大学周辺の警備を要請していた。また、文学部当局はこの日午前8時20分からの授業開始を前に、午前8時から『学外者立ち入り禁止、学生証チェック』の検問態勢をひき、教職員30人が同学部正門で登校する学生一人一人に学生証の提示を求めた。同午前7時半すぎ、早大周辺には警視庁機動隊約150人が配置についた。同午前８時半すぎ、ヘルメットの入った紙袋や鉄パイプ入りのボストンバッグを持った学生約30人が早大本部前や地下鉄早稲田駅、戸塚一丁目交差点付近にあらわれたが、機動隊に阻止され、うち9人がつかまった。」&lt;br /&gt;
:同日の毎日新聞夕刊によれば、押収されたのは鉄パイプ約30本で、ナップザックにあったヘルメットには「Z」の文字があったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マルによる検問】'''&lt;br /&gt;
:早稲田キャンパス182号の日誌7.5には「予定されていた第一文学部、政経学部の学生大会は、執行部などが構内にはいれず、開催されなかった。この日を含めて数日間、革マル派が正門、西門などで一般学生の所持品検査などを行った。当局はこれに対して、警告する旨の告示を行った」とある。当局の告示が出されたのは6日で、内容は以下の通り。当然のことながら告示のみで、当局による規制等の具体的行動はなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::「告&lt;br /&gt;
::去る7月5日および6日の両日にわたって、正門、西門、ならびに文学部正門付近において、革マル派と思われる者が本大学の学生に対してその所持品をチェックするという事件が生じた。&lt;br /&gt;
::大学から再三警告したようにこれらの行為は誠に不法なものであって、看過し難いものである。教職員、学生の間から批難の声があがったのは当然である。&lt;br /&gt;
::しかも、学外者を使ってかかる行為をさせたと考えられるにいたっては、その責任を問わざるを得ない。今後、重ねてこのような不法な、かつ愚劣な行為をくり返さないよう、関係者学生に厳重な警告をするものである。&lt;br /&gt;
::昭和48年7月6日&lt;br /&gt;
::早稲田大学」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1RZnS_Nx7rYGMrZkIPdzfUY2Y1_ShOKvu/view?usp=sharing 一文学生大会を総力をもって克ちとろう]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B47%E6%9C%885%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%A8%EF%BC%89%E6%94%BF%E7%B5%8C%E3%80%81%E4%B8%80%E6%96%87%E3%81%AE%E5%AD%A6%E5%A4%A7%E3%81%AF%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%A8%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%AE%E5%A6%A8%E5%AE%B3%E3%81%AB%E3%82%88%E3%81%A3%E3%81%A6%E9%96%8B%E5%82%AC%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%9A%E3%80%82&amp;diff=1167</id>
		<title>1973年7月5日（木）政経、一文の学大は革マルと当局の妨害によって開催できず。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B47%E6%9C%885%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%A8%EF%BC%89%E6%94%BF%E7%B5%8C%E3%80%81%E4%B8%80%E6%96%87%E3%81%AE%E5%AD%A6%E5%A4%A7%E3%81%AF%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%A8%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%AE%E5%A6%A8%E5%AE%B3%E3%81%AB%E3%82%88%E3%81%A3%E3%81%A6%E9%96%8B%E5%82%AC%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%9A%E3%80%82&amp;diff=1167"/>
				<updated>2026-08-28T03:00:06Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:自治委員選挙貫徹、早稲田祭実現などを議題に政経、一文両学部で学生大会を予定していたが、革マル派は数日前から「学大粉砕」を叫び300名が本部を制圧し、一文に情宣活動を展開。早大当局は警視庁に警備を要請し、一文門外で集会はできたものの、機動隊の規制で外濠公園へ。結局、政経と一文の学生大会は開催されなかった。また、この日から、武装革マルと当局とによる検問体制が数日間続いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【学生大会の課題】'''&lt;br /&gt;
:学生大会に向けて一文自治会執行委員会が出したビラでは、「私達はこの学大で、8ヵ月の闘いを再度振り返り、武装問題、私達の更なる大衆運動の貫徹、早大解放闘争とは具体的に何を獲得しようとするものなのかを鮮明にし、秋期における総長団交、早稲田祭の課題に向けての一文としての5.17などの教訓をふまえた形での本格的取り組み、そしてこの分断状況を打開せんとするための方針化、あるいは10日から予定されている試験の問題」等が、課題としてあげられている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マルによる妨害】'''&lt;br /&gt;
:この日予定されていた政経、一文の学生大会は、革マルの妨害によって中止となった。その模様を1973年7月5日付朝日新聞夕刊は次のように報じた。&lt;br /&gt;
:「5日午前8時半すぎ、東京・新宿区の早稲田大学で、反革マル学生の学生大会を妨害しようとして集まった革マル派学生9人が、凶器準備集合などの現行犯で警視庁機動隊に逮捕された。この日、早大では政経、一文両学部で午後から（１）自治委員選挙貫徹（２）早稲田祭実現などの議題で反革マル自治会執行部などの学生大会が行われることになっており、革マル派は数日前から『同学生大会粉砕』などを叫んでいた。このため、早大当局は警視庁機動隊に同大学周辺の警備を要請していた。また、文学部当局はこの日午前8時20分からの授業開始を前に、午前8時から『学外者立ち入り禁止、学生証チェック』の検問態勢をひき、教職員30人が同学部正門で登校する学生一人一人に学生証の提示を求めた。同午前7時半すぎ、早大周辺には警視庁機動隊約150人が配置についた。同午前８時半すぎ、ヘルメットの入った紙袋や鉄パイプ入りのボストンバッグを持った学生約30人が早大本部前や地下鉄早稲田駅、戸塚一丁目交差点付近にあらわれたが、機動隊に阻止され、うち9人がつかまった。」&lt;br /&gt;
:同日の毎日新聞夕刊によれば、押収されたのは鉄パイプ約30本で、ナップザックにあったヘルメットには「Z」の文字があったという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マルによる検問】'''&lt;br /&gt;
:早稲田キャンパス182号の日誌7.5には「予定されていた第一文学部、政経学部の学生大会は、執行部などが構内にはいれず、開催されなかった。この日を含めて数日間、革マル派が正門、西門などで一般学生の所持品検査などを行った。当局はこれに対して、警告する旨の告示を行った」とある。当局の告示が出されたのは6日で、内容は以下の通り。当然のことながら告示のみで、当局による規制等の具体的行動はなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::「告&lt;br /&gt;
::去る7月5日および6日の両日にわたって、正門、西門、ならびに文学部正門付近において、革マル派と思われる者が本大学の学生に対してその所持品をチェックするという事件が生じた。&lt;br /&gt;
::大学から再三警告したようにこれらの行為は誠に不法なものであって、看過し難いものである。教職員、学生の間から批難の声があがったのは当然である。&lt;br /&gt;
::しかも、学外者を使ってかかる行為をさせたと考えられるにいたっては、その責任を問わざるを得ない。今後、重ねてこのような不法な、かつ愚劣な行為をくり返さないよう、関係者学生に厳重な警告をするものである。&lt;br /&gt;
::昭和48年7月6日&lt;br /&gt;
::早稲田大学」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1RZnS_Nx7rYGMrZkIPdzfUY2Y1_ShOKvu/view?usp=sharing 一文学生大会を総力をもって克ちとろう]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B47%E6%9C%882%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%89%E5%AD%A6%E5%A4%A7%E6%83%85%E5%AE%A3%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%83%E3%83%88%E7%9D%80%E7%94%A8%E3%81%A7%E4%B8%80%E6%96%87%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%B9%E3%81%B8%E3%80%82%E6%A9%9F%E5%8B%95%E9%9A%8A%E3%81%AB%E9%98%BB%E6%AD%A2%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%82&amp;diff=1166</id>
		<title>1973年7月2日（月）学大情宣のためヘルメット着用で一文キャンパスへ。機動隊に阻止される。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B47%E6%9C%882%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%89%E5%AD%A6%E5%A4%A7%E6%83%85%E5%AE%A3%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%83%E3%83%88%E7%9D%80%E7%94%A8%E3%81%A7%E4%B8%80%E6%96%87%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%B9%E3%81%B8%E3%80%82%E6%A9%9F%E5%8B%95%E9%9A%8A%E3%81%AB%E9%98%BB%E6%AD%A2%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%82&amp;diff=1166"/>
				<updated>2026-08-28T02:55:37Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:5日予定の一文学生大会情宣のため、二連協とWACの支援を受けて執行部がヘルメットを被って登場したが、機動隊により外濠公園まで連行される。当局は午前11時以降、正門を除くすべての門を閉鎖した。夕方には、明大和泉で会議中の反帝学評を革マル60名がトラックで襲撃する事件も発生した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【一文キャンパスで学生大会情宣】'''&lt;br /&gt;
:この日の模様は、早稲田キャンパス182号に詳しい。&lt;br /&gt;
:「7月2日午前9時頃、一文二年生連絡協議会（二連協）を中心とする一文学生約25名とそれを支援する全学行動委（WAC）約30名が、7月5日の学生大会のための情宣として文学部キャンパスに登場し、スロープ上などにバリケードを築き、黒・オレンジなどのヘルメット、旗ざお、鉄パイプで武装し、学内デモをおこなって気勢をあげた。登校した学生で1年生を中心とした40名余りが中庭での集会に加わり、多くの学生が集会を取り巻く中で一文の2年生が次々にマイクを持ち、武装登場の理解を求め、7月5日の一文学生大会への参加を呼びかけた。この間に一文の部隊は40名程にふくれあがり、中庭での武装デモを繰り返したあと、12時頃隊列を解いて理工学部方面へ引き上げようとした。しかし文学部正門付近に待機していた機動隊が一文の部隊を取り巻いて規制し、外濠公園まで連行した。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:『一文有志の記録』には2日の総括として、次のようなコメントが記されている。&lt;br /&gt;
:「ほぼ達成。文キャンを120～130（人）で制圧できれば、40、50（人）のZでは敵対できない。大衆の渦で埋め尽くすということには限界。Zは全国部隊の時しか展開できない。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【武装登場の意味】'''&lt;br /&gt;
:一文キャンパスに登場しての情宣は実に久しぶりのことだった。キャンパスに入れない執行部とクラス委員は本部の他学部に間借りするような形で活動し、刷り上がったビラをクラス単位で取りに行き、授業で配るというゲリラ戦術がもっぱらであった。それすら革マルの妨害を受けることが多く、「クラス討論をしない」という確約を迫られるクラスも多かった。この日の情宣成功も、行動委の支援と武装によってもたらされたもので、楽観は許されなかった。&lt;br /&gt;
:何よりこの登場が武装して行われたことは、一つの分岐点といえよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:この日の武装登場をキャンパス新聞は次のように評価した。&lt;br /&gt;
:「二連協を中心とするクラス活動家が11.8以降初めて公然と旗ざお、鉄パイプで武装し、党派の支援なしに武装情宣を独自で貫徹した点で、小規模ながらも質的には画期的な意味があったと考えられる。」&lt;br /&gt;
:それまでの状況については「5月中旬以降、一文だけで80数名の学生が革マル派の恫喝や暴行の前に学外へ放逐され、文学部キャンパスでの公然とした活動が1カ月以上行われなかった。たとえ彼らが少人数で文学部構内へ入っても、革マル派学生の『反自治会活動をした』といった恫喝の前で『今後一切の自治会運動、クラス活動にかかわりません』といった自己批判書を強要されるという状態が続き、『早稲田解放』の闘争の停滞が余儀なくされた」とし、行動委系学生が本部キャンパスに数回武装登場し、革マルの敵対に備えたことはあったものの、「団交実行委や学年協、クラス活動家の一部も、革マル派の武装襲撃の前に非武装での学内登場を避け、自発的に旗ざおなどの武装でもって7月5日の学生大会にのぞんだものとみられる」と、4月までの「強いられた武装」が5.17総長団交前の革マル派の鉄パイプテロを契機に「自覚的な武装」に変わったとしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【武装をめぐる意見】'''&lt;br /&gt;
:一文の執行委員会、団実委、行動委の間では、武装に関する共通の見解がなかった。たとえば、4月2日の入学式においても、執行委員長以下のメンバーは、ヘルメットなしで演壇下に座り込み、行動委のメンバーは他学部の行動委とメット着用で隊列を組み、会場になだれ込んだ。メット着用に端を発し、その後、革マルの個人を狙った鉄パイプテロや外部部隊を加えての妨害活動などが激化するにつれ、運動の場を確保するための手段として、革マルに対峙できる武装が一つの課題となっていった。&lt;br /&gt;
:6月18日付の執行委員会声明では「現在われわれの陣営では『武装』をめぐって、また、5.8～5.17の『団交』に対する総括をめぐって、方針の微妙なくい違いが生じてきています。われわれは、かかる状況を大衆的に克服し確認する場として、学生大会を提起します」とある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:また、匿名の執行委員の個人ビラには、「武装を理屈で説明するとこうだ。～～一切の代行主義を認めない。この一言に尽きる。（中略）革マルの支配下では、自らのゲヴァルトを革マルにゆだねた形で武装解除され、ゆだねた自らのゲヴァルトをチェックできないような代行制度、主義を革マルにしかれていたのである。個体としての己の生を、誰も他人に代行的に生きてもらうことがありえないように、個体としての己の意思、思想、感性の表現を己のこととして貫き、決して疎外させ代行させることなく、自らの言葉を以て語ってゆく、～～これが最低限の原則ではないか。とすれば、己の表現を、物理力を以て奪われている時に、己のゲヴァルト空間を確保し抵抗すること以外にどんな道があろうか。（中略）己のことばを表現を己から疎外させ誰かに代行させてはならない。同じ意味で、己の自衛権をゲヴァルトを己の肉体から疎外させ誰かに代行させてはならない。セクト主義的引き回しを赦さない、という確認点から言っても、種々のセクトやWAC等のゲヴァルト代行は、俺達の運動の自立をさまたげるだけにとどまらず、思想的にも運動の敗北を決定的にするであろう」と武装を定義する言葉が見られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【武器と防具】'''&lt;br /&gt;
:武器と防具について、価格等を含め具体的に書かれた個人ビラが残っている。なお、「P」とは鉄パイプ、「モッコ」とは土木用の樫棒（編註：本来は土砂などを運ぶ網状の運搬具だが、ここではそれを下げる棒を指して「モッコ」と呼んでいる。実際に集まった棒には鍬や鋤の柄も混じっていた）、「ぼうし」とはヘルメットのことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●武器&lt;br /&gt;
::ヌンチャク…各自購入のこと。&lt;br /&gt;
::P…45本（うち20本は実戦にはあまり有効ではない）継ぎのPを現在研究中。夏休み中にゼッタイ用意します。※Pは大事な消耗品なので、できるだけ多く用意したい。&lt;br /&gt;
::パチンコ…持ち運び便利。破壊力大。実用性あり。各自作ってほしい。&lt;br /&gt;
::モッコ…秋まで20本位用意したい。破壊力はPよりもあるそうです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●防具&lt;br /&gt;
::ぼうし…30個（うちオートバイ用1個）ヨッパラッタ時は必ず1個は拾ってくること。&lt;br /&gt;
::プロテクター／手甲など…市販のはバカ高いので、作った方が良いと思う。スポーツ用具をもう少しあたってみたい。&lt;br /&gt;
::洋弓用アームガード2200円　エルボーガード360円&lt;br /&gt;
::膝サポーター450円　JRプロテクター1800円&lt;br /&gt;
::レッグガード800円&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●運搬&lt;br /&gt;
::車…車を購入することは現実的には不可能なのでレンタカーを使用。8月中免許を持っている人に練習のため近辺をドライブしてもらう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●その他&lt;br /&gt;
::バリ封については綿密に計画を立てる。（8月中に計画書を作成し、9月初めに全員で検討したいと思う。）&lt;br /&gt;
::バリ封用ハシゴ スッテプダウン…5ｍ4300円 8ｍ5900円&lt;br /&gt;
::バリ作りペンチ…各自ある人持参&lt;br /&gt;
::大型ペンチ1700円&lt;br /&gt;
::学内P作り金ノコ（夏休み中、もしくは学内に１つ埋めておく。）&lt;br /&gt;
::電動カッター2400円&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1qRN56taeYM1cpiwcguWshDIknTKOLWa1/view?usp=sharing 執行委員会声明]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1B0IniGt5l5bflelJaC7Heg6YGQRZ3bcY/view?usp=share_link 猫に鈴をと　やせ鼠]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1KYIDucIqIw5BQf9L0LeLnTa6FRl68cTQ/view?usp=sharing 武装について　タムラ君の場合は]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B47%E6%9C%882%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%89%E5%AD%A6%E5%A4%A7%E6%83%85%E5%AE%A3%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%83%E3%83%88%E7%9D%80%E7%94%A8%E3%81%A7%E4%B8%80%E6%96%87%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%B9%E3%81%B8%E3%80%82%E6%A9%9F%E5%8B%95%E9%9A%8A%E3%81%AB%E9%98%BB%E6%AD%A2%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%82&amp;diff=1165</id>
		<title>1973年7月2日（月）学大情宣のためヘルメット着用で一文キャンパスへ。機動隊に阻止される。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B47%E6%9C%882%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%89%E5%AD%A6%E5%A4%A7%E6%83%85%E5%AE%A3%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%83%E3%83%88%E7%9D%80%E7%94%A8%E3%81%A7%E4%B8%80%E6%96%87%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%B9%E3%81%B8%E3%80%82%E6%A9%9F%E5%8B%95%E9%9A%8A%E3%81%AB%E9%98%BB%E6%AD%A2%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%82&amp;diff=1165"/>
				<updated>2026-08-28T02:52:53Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:5日予定の一文学生大会情宣のため、二連協とWACの支援を受けて執行部がヘルメットを被って登場したが、機動隊により外濠公園まで連行される。当局は午前11時以降、正門を除くすべての門を閉鎖した。夕方には、明大和泉で会議中の反帝学評を革マル60名がトラックで襲撃する事件も発生した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【一文キャンパスで学生大会情宣】'''&lt;br /&gt;
:この日の模様は、早稲田キャンパス182号に詳しい。&lt;br /&gt;
:「7月2日午前9時頃、一文二年生連絡協議会（二連協）を中心とする一文学生約25名とそれを支援する全学行動委（WAC）約30名が、7月5日の学生大会のための情宣として文学部キャンパスに登場し、スロープ上などにバリケードを築き、黒・オレンジなどのヘルメット、旗ざお、鉄パイプで武装し、学内デモをおこなって気勢をあげた。登校した学生で1年生を中心とした40名余りが中庭での集会に加わり、多くの学生が集会を取り巻く中で一文の2年生が次々にマイクを持ち、武装登場の理解を求め、7月5日の一文学生大会への参加を呼びかけた。この間に一文の部隊は40名程にふくれあがり、中庭での武装デモを繰り返したあと、12時頃隊列を解いて理工学部方面へ引き上げようとした。しかし文学部正門付近に待機していた機動隊が一文の部隊を取り巻いて規制し、外濠公園まで連行した。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:『一文有志の記録』には2日の総括として、次のようなコメントが記されている。&lt;br /&gt;
:「ほぼ達成。文キャンを120～130（人）で制圧できれば、40、50（人）のZでは敵対できない。大衆の渦で埋め尽くすということには限界。Zは全国部隊の時しか展開できない。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【武装登場の意味】'''&lt;br /&gt;
:一文キャンパスに登場しての情宣は実に久しぶりのことだった。キャンパスに入れない執行部とクラス委員は本部の他学部に間借りするような形で活動し、刷り上がったビラをクラス単位で取りに行き、授業で配るというゲリラ戦術がもっぱらであった。それすら革マルの妨害を受けることが多く、「クラス討論をしない」という確約を迫られるクラスも多かった。この日の情宣成功も、行動委の支援と武装によってもたらされたもので、楽観は許されなかった。&lt;br /&gt;
:何よりこの登場が武装して行われたことは、一つの分岐点といえよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:この日の武装登場をキャンパス新聞は次のように評価した。&lt;br /&gt;
:「二連協を中心とするクラス活動家が11.8以降初めて公然と旗ざお、鉄パイプで武装し、党派の支援なしに武装情宣を独自で貫徹した点で、小規模ながらも質的には画期的な意味があったと考えられる。」&lt;br /&gt;
:それまでの状況については「5月中旬以降、一文だけで80数名の学生が革マル派の恫喝や暴行の前に学外へ放逐され、文学部キャンパスでの公然とした活動が1ヵ月以上行われなかった。たとえ彼らが少人数で文学部構内へ入っても、革マル派学生の『反自治会活動をした』といった恫喝の前で『今後一切の自治会運動、クラス活動にかかわりません』といった自己批判書を強要されるという状態が続き、『早稲田解放』の闘争の停滞が余儀なくされた」とし、行動委系学生が本部キャンパスに数回武装登場し、革マルの敵対に備えたことはあったものの、「団交実行委や学年協、クラス活動家の一部も、革マル派の武装襲撃の前に非武装での学内登場を避け、自発的に旗ざおなどの武装でもって7月5日の学生大会にのぞんだものとみられる」と、4月までの「強いられた武装」が5.17総長団交前の革マル派の鉄パイプテロを契機に「自覚的な武装」に変わったとしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【武装をめぐる意見】'''&lt;br /&gt;
:一文の執行委員会、団実委、行動委の間では、武装に関する共通の見解がなかった。たとえば、4月2日の入学式においても、執行委員長以下のメンバーは、ヘルメットなしで演壇下に座り込み、行動委のメンバーは他学部の行動委とメット着用で隊列を組み、会場になだれ込んだ。メット着用に端を発し、その後、革マルの個人を狙った鉄パイプテロや外部部隊を加えての妨害活動などが激化するにつれ、運動の場を確保するための手段として、革マルに対峙できる武装が一つの課題となっていった。&lt;br /&gt;
:6月18日付の執行委員会声明では「現在われわれの陣営では『武装』をめぐって、また、5.8～5.17の『団交』に対する総括をめぐって、方針の微妙なくい違いが生じてきています。われわれは、かかる状況を大衆的に克服し確認する場として、学生大会を提起します」とある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:また、匿名の執行委員の個人ビラには、「武装を理屈で説明するとこうだ。～～一切の代行主義を認めない。この一言に尽きる。（中略）革マルの支配下では、自らのゲヴァルトを革マルにゆだねた形で武装解除され、ゆだねた自らのゲヴァルトをチェックできないような代行制度、主義を革マルにしかれていたのである。個体としての己の生を、誰も他人に代行的に生きてもらうことがありえないように、個体としての己の意思、思想、感性の表現を己のこととして貫き、決して疎外させ代行させることなく、自らの言葉を以て語ってゆく、～～これが最低限の原則ではないか。とすれば、己の表現を、物理力を以て奪われている時に、己のゲヴァルト空間を確保し抵抗すること以外にどんな道があろうか。（中略）己のことばを表現を己から疎外させ誰かに代行させてはならない。同じ意味で、己の自衛権をゲヴァルトを己の肉体から疎外させ誰かに代行させてはならない。セクト主義的引き回しを赦さない、という確認点から言っても、種々のセクトやWAC等のゲヴァルト代行は、俺達の運動の自立をさまたげるだけにとどまらず、思想的にも運動の敗北を決定的にするであろう」と武装を定義する言葉が見られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【武器と防具】'''&lt;br /&gt;
:武器と防具について、価格等を含め具体的に書かれた個人ビラが残っている。なお、「P」とは鉄パイプ、「モッコ」とは土木用の樫棒（編註：本来は土砂などを運ぶ網状の運搬具だが、ここではそれを下げる棒を指して「モッコ」と呼んでいる。実際に集まった棒には鍬や鋤の柄も混じっていた）、「ぼうし」とはヘルメットのことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●武器&lt;br /&gt;
::ヌンチャク…各自購入のこと。&lt;br /&gt;
::P…45本（うち20本は実戦にはあまり有効ではない）継ぎのPを現在研究中。夏休み中にゼッタイ用意します。※Pは大事な消耗品なので、できるだけ多く用意したい。&lt;br /&gt;
::パチンコ…持ち運び便利。破壊力大。実用性あり。各自作ってほしい。&lt;br /&gt;
::モッコ…秋まで20本位用意したい。破壊力はPよりもあるそうです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●防具&lt;br /&gt;
::ぼうし…30個（うちオートバイ用1個）ヨッパラッタ時は必ず1個は拾ってくること。&lt;br /&gt;
::プロテクター／手甲など…市販のはバカ高いので、作った方が良いと思う。スポーツ用具をもう少しあたってみたい。&lt;br /&gt;
::洋弓用アームガード2200円　エルボーガード360円&lt;br /&gt;
::膝サポーター450円　JRプロテクター1800円&lt;br /&gt;
::レッグガード800円&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●運搬&lt;br /&gt;
::車…車を購入することは現実的には不可能なのでレンタカーを使用。8月中免許を持っている人に練習のため近辺をドライブしてもらう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●その他&lt;br /&gt;
::バリ封については綿密に計画を立てる。（8月中に計画書を作成し、9月初めに全員で検討したいと思う。）&lt;br /&gt;
::バリ封用ハシゴ スッテプダウン…5ｍ4300円 8ｍ5900円&lt;br /&gt;
::バリ作りペンチ…各自ある人持参&lt;br /&gt;
::大型ペンチ1700円&lt;br /&gt;
::学内P作り金ノコ（夏休み中、もしくは学内に１つ埋めておく。）&lt;br /&gt;
::電動カッター2400円&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1qRN56taeYM1cpiwcguWshDIknTKOLWa1/view?usp=sharing 執行委員会声明]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1B0IniGt5l5bflelJaC7Heg6YGQRZ3bcY/view?usp=share_link 猫に鈴をと　やせ鼠]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1KYIDucIqIw5BQf9L0LeLnTa6FRl68cTQ/view?usp=sharing 武装について　タムラ君の場合は]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B42%E6%9C%889%E6%97%A5%EF%BC%88%E9%87%91%EF%BC%89%E4%B8%80%E6%96%87%E3%80%81%E6%95%99%E8%82%B2%E3%80%81%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E3%81%A7%E5%AD%A6%E9%83%A8%E8%A6%8B%E8%A7%A3%E3%81%8C%E7%A4%BA%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%82&amp;diff=1164</id>
		<title>1973年2月9日（金）一文、教育、社学で学部見解が示される。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B42%E6%9C%889%E6%97%A5%EF%BC%88%E9%87%91%EF%BC%89%E4%B8%80%E6%96%87%E3%80%81%E6%95%99%E8%82%B2%E3%80%81%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E3%81%A7%E5%AD%A6%E9%83%A8%E8%A6%8B%E8%A7%A3%E3%81%8C%E7%A4%BA%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%82&amp;diff=1164"/>
				<updated>2026-08-28T02:47:46Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:「新自治会を承認する条件」を巡る新聞報道に対し、一文教授会は事実誤認であるとして抗議を表明した。社会科学部では、予定されていた学部集会が中止となった。教育学部は「いわゆる6項目および4項目要求に答える」を示し、新執行部に対する当局の姿勢を示した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:●「新自治会否定」との一部の新聞報道に対して一文教授会が反論。&lt;br /&gt;
:●教育学部長名で「いわゆる6項目、4項目要求に答える」を掲示。&lt;br /&gt;
:●社学当局は、自ら提示した学部主催の説明集会を中止。卒業試験をレポートに、3年生以下の学年末試験は無期延期とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【承認条件に関する新聞報道】'''&lt;br /&gt;
:9日付の読売新聞朝刊は、「早大一文教授会　新自治会否定の文書を郵送」と題して第一文学部当局の文書郵送に関連して次のように報じた。「早稲田大学第一文学部（本明寛学部長）は、8日、反革マル派学生が進めている自治会再建運動について、教授会の見解を文書にして全学生に郵送した。これは新自治会承認のための条件を示したもので、それによると、まず自治会再建の意思を学部投票で問い、在籍学生の過半数の賛成を得ることを前提にしている。昨年11月28日に結成された反革マル派自治会は、すでに自治委員や執行部の選出を終えており、今度の教授会見解は、新自治会を事実上否定して白紙に戻そうというもの。このため、学生側の反発は必至とみられている。」&lt;br /&gt;
:また、朝日新聞も同日の朝刊で「自治会の承認に条件。過半数の支持要求」を見出しに立て、自治会関連で「同学部当局が公式に見解を表明したのはこれが初めて。また自治会再建運動の起きている政経、教育、一文、二文、社会科学の五学部当局の自治会に対する見解が出されたのは、政経学部に次いで2番目である。（中略）川口君リンチ事件以後、学部当局は革マル派自治会執行部を処分し、同派の自治会活動を認めないと決めており、一方反革マル派学生は学生大会で臨時執行部を選出、その後の学生大会で革マル派に代わる新執行部を選び、学部当局に承認を迫っていた。この学部見解について学生たちの間には、ふだん三分の一ぐらいの学生しか登校しない状態からみて4項目をみたすのは事実上不可能なことで、学部当局の新自治会弾圧だとする意見も多く、なお曲折が予想される」と結んでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:これらの報道に対して一文当局は、学部長名で次の掲示を出した。&lt;br /&gt;
:「学生諸君へ&lt;br /&gt;
:　本日（9日）一、二の新聞紙上において、自治会問題についての文学部の本意が誤って伝えられている面がある。文学部教授会の意向は、去る2月5日における学生諸君との会で公表した内容といささかも異なるものではなく、今後もその線に沿って積極的に対処していくことを明らかにする。文学部としては新聞社に対して早急に訂正記事を掲載するよう申し入れた。&lt;br /&gt;
:2月9日　　　　　第一文学部長」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【社学当局による学生集会中止の理由】'''&lt;br /&gt;
:この日、社会科学部では当局が開催を予定していた学部集会が中止となったが、社会科学部当局はその理由を2月15日付の告示「学部集会に代えて」の中で次のように説明した。「2月9日の現状からして、平穏に学部説明集会が催される状態ではなかったので、今回、ここに文書を以て、これに代える次第である」とし、団交に対する考え方については「教授会は、従来の方針に従い、右の団交については、学生と教員との関係は、教育と研究の場という見解から、それは一般の労働者と使用者との労使関係とは性格の異なるものであるということ、即ち、教育と研究の場は、多数の力によって左右されうべき性質のものではないという理由で拒否し続けてきた」と述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【教育当局の見解】'''&lt;br /&gt;
:教育学部当局は「いわゆる6項目および4項目要求に対しては、この間学部執行部としていちおうの回答を出してきたが、学生諸君の要望に応えて、あらためて掲示のかたちでこれに答える」として、各項目の見解を示した。&lt;br /&gt;
:72年12月に出された6項目要求では、「革マル派による川口君虐殺に対する見解と責任を明らかにすること」「問題解決を図るに当たっては、ロックアウト、機動隊導入、告示等によるのではなく、まず全学生、院生、教職員と話し合うこと」のほか、糾弾闘争に立ち上がった学生、クラス、サークルの活動についての見解を求めるとともに、「機動隊導入などによる弾圧を反省せよ」としている。また、自治会活動については「新たな全学生の総意を反映する自治会を建設するならば、それを直ちに承認することを明らかにせよ」「16（註：号館）地下（革マル派）を自治会として承認し、自治会費などを下すことを決定した事実経過を明らかにせよ」「16地下の管理運営についての見解を明らかにし、学生の手に管理運営権を明け渡せ」と要求している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:この中で、自治会活動に関する当局の見解は次のようなものだった。&lt;br /&gt;
:「学生自治会については、過去に経験してきたところをふまえ、真に学生諸君の総意に立った健全な組織の発展を望んでいる。自治会問題について、これを承認の方向で積極的に考えることを、昨年6月20日に確認している。」&lt;br /&gt;
:「16号館地下を中心に活動していた『教育学部学生自治会』（松本委員長）に対して、その『自主投票』（中略）に示された学生諸君の意志を尊重し、これを教育学部を代表するものとして認めることにした（ここで自治会費をおろすことを決定したという事実はない）。そこへ川口君の事件がおこった。松本委員長以下の執行部が、事件をおこした革マル派に属する事実を重視し、決定の執行を停止し、やがてこれを白紙に戻した。」&lt;br /&gt;
:「管理責任の上からいって16号館地下の管理運営権を全面的に学生諸君に委ねることはできない。しかし、基本的に、これを学生諸君の自主的な活動の場として開放する姿勢に変わりはない。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:4項目要求は、72年12月6日のクラス委員総会において選出された常任委員会名で行われた。&lt;br /&gt;
:１）クラス委員会総会で選出された新執行部を教育学部自治会常任委員会として即刻承認せよ。&lt;br /&gt;
:２）「教育学部学生会規則」を即刻撤廃せよ。&lt;br /&gt;
:３）自治会室、自治会費を即刻手渡せ。自治会費がないというならば、来年度までの暫定的援助金を提出せよ。&lt;br /&gt;
:４）学生自治会の交渉権を認めよ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:各回答は以下の通り。&lt;br /&gt;
:１）「教育学部学生自治会常任委員会」（永井委員長）を、自治会問題に関して話し合う唯一の代表として認めたことは、すでに1月23日の発表の通り。&lt;br /&gt;
:２）教育学部学生会規則」の扱いは「教育学部報」第3号に示された考え方に立っているが、これは自治会承認問題との関連で考えたい。&lt;br /&gt;
:３）すでに昭和41年から自治会費は徴収していない。暫定的援助金についても、これに当てる金がなく、考慮することができない。&lt;br /&gt;
:４）学生自治会の交渉権問題については、現在のところ上記1）に示した姿勢にある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:ここにある1月23日の発表については、新入生歓迎パンフレットの「闘争日誌」にその経緯がある。&lt;br /&gt;
:「1月23日。教育専任教員会は『教育学部学生自治会常任委員会（永井委員長）を自治会問題に関して話し合う唯一の代表として認める』旨の『1.23見解』を発表。ただちに学部団交を開き、榎本学生担当主任、伊藤副主任に説明を求める。榎本主任は『唯一の代表として認め』ながらも自治会として認めようとせず、また11.8以来の当局の態度をあいまいにしたまま、『機動隊導入もあり得る』等の発言を行った。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:見解発表の翌日10日には学部団交が開かれ、川副学部長が初めて出席したが合意には至らず決裂。その後、入試体制に入った当局は本部をロックアウトしたため、全学スト実委、行動委によって粉砕が試みられ、構内での集会が開かれた。こうした事態を受け2月22日には、教育専任教員会による「2.22見解」が在校生宛に郵送された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:（資料：『教育学部学生諸君へ-自治会承認問題の経緯について』昭和48年6月12日早稲田大学教育学部）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B42%E6%9C%8810%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89%E4%BA%8C%E6%96%87%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%8C%E8%87%AA%E6%B2%BB%E4%BC%9A%E6%89%BF%E8%AA%8D%E3%81%AB%E5%90%91%E3%81%91%E7%A2%BA%E7%B4%84%E6%9B%B8%E3%81%AB%E7%BD%B2%E5%90%8D%E3%80%82%E4%B8%80%E6%96%87%E3%81%A7%E6%96%B0%E5%85%A5%E7%94%9F%E6%AD%93%E8%BF%8E%E5%AE%9F%E8%A1%8C%E5%A7%94%E3%81%AE%E5%88%9D%E4%BC%9A%E5%90%88%E3%80%82&amp;diff=1163</id>
		<title>1973年2月10日（土）二文当局が自治会承認に向け確約書に署名。一文で新入生歓迎実行委の初会合。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B42%E6%9C%8810%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89%E4%BA%8C%E6%96%87%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%8C%E8%87%AA%E6%B2%BB%E4%BC%9A%E6%89%BF%E8%AA%8D%E3%81%AB%E5%90%91%E3%81%91%E7%A2%BA%E7%B4%84%E6%9B%B8%E3%81%AB%E7%BD%B2%E5%90%8D%E3%80%82%E4%B8%80%E6%96%87%E3%81%A7%E6%96%B0%E5%85%A5%E7%94%9F%E6%AD%93%E8%BF%8E%E5%AE%9F%E8%A1%8C%E5%A7%94%E3%81%AE%E5%88%9D%E4%BC%9A%E5%90%88%E3%80%82&amp;diff=1163"/>
				<updated>2026-08-28T02:46:10Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:二文の団交で学部長が自治会承認へ努力する旨の確約書に署名した。学内では、卒業試験の実施（一部レポート化）、学期末試験の無期延期等、各学部の対応がほぼ出揃い、2月末からの入試の準備へ向かいつつあった。受験生への情宣、新入生との連帯等、新たな取り組みが求められるなか、新入生歓迎実行委員会が中心となって、企画立案および呼び掛けが始まった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:◎一文「新入生歓迎実行委員会」が初会合。&lt;br /&gt;
:●二文団交の席上、守屋富生学部長は臨執を承認する方向へ努力するとの内容の確認書に署名した。&lt;br /&gt;
:◎学部長、教職員40名参加による教育学部団交が決裂。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【二文学部長の確約書】'''&lt;br /&gt;
:「混乱の続く早稲田大学の守屋富生第二文学部長は10日夜、同学部学生自治会臨時執行部（反革マル）との団交で、現在の臨時執行部を承認する方向へ努力するとの確約書を書いた。」（1973年2月12日付毎日新聞）&lt;br /&gt;
:確約書は「昨年の11.30日の学生大会を学生集会と呼んでいた事を撤回し、前規約に基づいた正式な学生大会と認めます。私は、昨年の11.30学生大会及びそこで決議された内容を即時無条件で承認し、また責任をもって教授会に承認する様、要請します」（1973年3月10日付早稲田キャンパス）というもの。&lt;br /&gt;
:11.30の学生大会での決議は「①革マル派自治会執行部リコール②革マル派自治会規約廃棄③臨時執行部選出」の3項目で、「これで第二文学部当局は臨時執行部の事実上の承認を強く迫られることになった」と毎日新聞は報じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:実際に二文当局がこの確約書に呼応した形で態度を表明したのは、1カ月後の3月13日付の告示においてであった。&lt;br /&gt;
:この中で「臨時執行部と折衝に応じる考えである」としながらも「2月10日当日に見られたような、学部長に対する強圧的姿勢は甚だ遺憾であり、当日の学部長の諸確認書はそのままには認めがたい」と、新たに5つの条件を提示した。&lt;br /&gt;
:1）新執行部が、学生大会決定事項につき、学部投票等の方式で学部自治会員過半数の支持を確認すること。&lt;br /&gt;
:2）クラス委員（自治委員）選出のための公正な選挙管理委員会の設置。&lt;br /&gt;
:3）選挙期間・方式をあらかじめ明示した上でのクラス在籍者過半数が出席することを条件とするクラス委員選挙及び公開の開票。&lt;br /&gt;
:4）クラス委員総会において多数の支持をえた執行部の選出。&lt;br /&gt;
:5）執行部による、全自治会員の総意を常時反映しうるような自治会規約案の提示と、その全自治会員の絶対多数による承認。&lt;br /&gt;
:「われわれとしては、以上のような手続きが必要であると考えているが、これは自治会組織の民主性を保障する最低限の条件として、学生諸君の当然とするところでもあろうと思う。右のような、諸手続きを含めた学生自身による自治会再建がおし進められてゆくことを切に望む」と、告示は結ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【新入生歓迎実行委員会の呼び掛け】'''&lt;br /&gt;
:「新歓実行委より文学部学友へ訴える」と題されたビラでは、「新入生を迎えるということは、逆に僕達の主体性が問われるということであり、自らの様々な体験を新入生と共有せんとすることである」として「僕達は、僕達の秩序を早稲田解放の中に位置づけ、自治会再建を内実化し、新入生を迎え入れようではないか」という呼び掛けとともに4つの提案がされた。&lt;br /&gt;
:1）各クラスからも新入生歓迎のビラを出し、様々な表現で情宣を。&lt;br /&gt;
:2）各クラスでパンフを作成し、新一年生に渡す。&lt;br /&gt;
:3）各クラス・各専修で四月祭企画を準備しよう。&lt;br /&gt;
:4）一人1000円のカンパを。&lt;br /&gt;
:「各クラス」が強調されていることについて新歓実委は「既に各クラスが分化されてきているという否定的状況を考えるとき、僕達の、クラス自治、専修自治を十分に活かし切れる事のない自治会といった反省としてある。再度各クラスが、独自に企画し、準備し、それを担うということを先ず考えよう」と述べている。&lt;br /&gt;
:なお、このビラには「一文新歓委員長・文責」とある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=1UC_UOiMXDYPTk-3Us8DJ2i5K9jJmWQWn 新歓実行委より文学部学友へ訴える]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B46%E6%9C%8830%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E7%B3%BB%E6%96%87%E9%80%A3%E7%B7%8F%E4%BC%9A%E3%82%92%E7%B2%89%E7%A0%95%E3%80%82%E3%82%B5%E9%80%A3%E3%81%A8%E6%96%B0%E5%9F%B7%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E7%A5%AD%E5%AE%9F%E8%A1%8C%E5%A7%94%E7%B5%90%E6%88%90%E3%80%82&amp;diff=1162</id>
		<title>1973年6月30日（土）革マル系文連総会を粉砕。サ連と新執による早稲田祭実行委結成。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B46%E6%9C%8830%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E7%B3%BB%E6%96%87%E9%80%A3%E7%B7%8F%E4%BC%9A%E3%82%92%E7%B2%89%E7%A0%95%E3%80%82%E3%82%B5%E9%80%A3%E3%81%A8%E6%96%B0%E5%9F%B7%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E7%A5%AD%E5%AE%9F%E8%A1%8C%E5%A7%94%E7%B5%90%E6%88%90%E3%80%82&amp;diff=1162"/>
				<updated>2026-08-27T06:24:47Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721114: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:行動委の部隊と革マルが衝突。革マルの文連総会は中止となった。また、サ連と新執による73年早稲田祭実行委員会が正式に発足した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:◎武装した叛旗派、反帝学評、行動委（ノンヘル）が3号館付近に集結。&lt;br /&gt;
:■11号館地下から革マル60名が鉄パイプで突入したが、追い散らされて11号館に逃げ込む。予定されていた革マル系文連総会を武装衝突で中止にさせる。&lt;br /&gt;
:◎73年度早稲田祭実行委結成集会（サ連、新執系）が11号館前で開催され、正式に発足。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マル文連総会を粉砕】'''&lt;br /&gt;
:「6月30日、本部構内において革マル派学生と行動委・反帝学評・共産同叛旗派学生との間に衝突があり、20名余りの重軽傷が出た。そのため午後からの授業は中止となり全学ロックアウトとなった。この日は文連総会が予定されており、その文連総会をめぐり、総会を粉砕しようとする行動委と、防衛しようという革マル派との間の衝突は当然予想されていた。12時頃から鉄パイプで武装した行動委40名、反帝学評60名、共産同叛旗20名の学生が3号館周辺に集結しているところに、11号館地下にいた革マル派学生約60名が鉄パイプでもって突入してきて数分間の乱闘の後、革マル派は分散され、11号館に逃げ込み、11号館に内バリを築き中にたてこもった。11号館にたてこもった革マル派を追って、反帝学評などが4階まで追いつめ、中にいた十余名の革マル派学生に負傷者が出た。この間、一文、二文、政経、教育各執行部、11.8C連によって組織されていた早稲田祭実行委（準）が正式に早稲田祭実行委員会で発足された。しかし、学内で情宣もできないという現状の中でどのように各サークル・クラスをまとめていくかというのが今後の課題となろう。このような学内の情勢に対し当局は、11時50分政経学部、しばらくして商学部が休講となり、1時全学休講、ロックアウトの措置をとった。」（早稲田キャンパス181号より）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:毎日新聞夕刊では「早大また内ゲバ」の2段見出しで次のように報じられた。「30日午後零時半ごろ、東京都新宿区戸塚町の早大本部4号館前で、革マル派学生約40人と青ヘルメットの反革マル派約50人が鉄パイプでなぐり合い、双方で11人のけが人が出た。早大ではこの日、革マル派が主導権を握っている文連総会が予定され、反革マル派も本部構内で集会を開いたため、両派が衝突したとみている。衝突は約20分間続き、革マル派は学外へ逃げたが、反革マル派は革マル派が残した旗に火をつけるなどして11号館前で気勢を上げた。大学側は本部構内への立入りを禁止、午後の講義を中止した。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【早稲田祭に向けて】'''&lt;br /&gt;
:11号館前で集会が開かれ、5月30日に、11.8サークル連絡会議（サ連）を中心に結成された73年早稲田祭実行委員会準備会が、一文、二文、政経、教育各学部の各執行部の参加を得て正式に結成された。&lt;br /&gt;
:5月に出されたサ連による事前の招請文では、第16回（69年）以降の実行委員会を批判。「革マルが4年間行ってきたような自分達だけで実行委を結成し、参加諸団体は参加とは名ばかりの場を利用するという形態を拒否する」「実行委員会の原則に立って各参加団体が対等の立場で実行委を構成し、参加諸団体の討論の深化により早稲田祭の方向を決定し早稲田祭の基調を作っていく」と決意を述べている。&lt;br /&gt;
:すでに革マルは5月10日に解散総会を開いて第19回早稲田祭実行委員会を解散し選挙管理委員会を選出、5月29日には結成集会において第20回早稲田祭実行委員会を正式に発足させた。その後発行された早稲田祭新聞には「民青を支持するものも『行動委員会』を支持するものも革マル派を支持するものも、分け隔てなく参加する全早大生の統一的早稲田祭を提起するものである」と主旨が記されている。&lt;br /&gt;
:これらの動きに対して法学部自治会執行部の民青は、態度を明確にしていなかった。その後法学部で早稲田祭実行委員会が結成されたのは7月3日で、次のような主旨が示された。&lt;br /&gt;
:「実行委編成の方針としては、法学部を中心に11.8以後形成された7学部新執行部を結集するとしている。また各サークルに対しては、『サークル代表は文連の不正常な状態、未組織サークルが多数存在することなどから、参加サークルの結集のもとにサークル実行委員会を結成し、そのなかで互選により代表委員を選出する』としている。」（早稲田キャンパス182号）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:革マルと早稲田祭に関してその後の動きを追うと、1994年に杜撰な運営方法に対して大学側から指摘があったにもかかわらず改善されず、1997年8月の臨時学部長会議で早稲田祭実行委員会と革マル派の癒着と資金の横流しが問題となり、早稲田祭の中止が決定された。以降2001年まで開催されなかった。このことは新聞にも報じられ、「構内入場に際しパンフレット購入（400円）が課せられたこと」「決算報告が曖昧であったこと」の2点が問題とされた。2000年になってようやく広研（編註：広告研究会）、放送研究会、雄弁会他を中心に“新生早稲田祭したくスタッフ”による「早稲田白書」がまとめられ、開催への一歩が踏み出された。白書の中では、早稲田祭が中止に追い込まれた原因として「開催自体が目的化してしまった」ことがあげられた。「早稲田祭とは何か」「その存在意義とは何か」「なぜ早稲田に学園祭が必要なのか」といった根本的な問いがないがしろにされてきたというのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:さらに早稲田ウイークリーは1998年4月9日号から4回連続で早稲田祭を特集し、中止から再生までの軌跡を検証している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1973年当時のパンフレット代は200円（未確認）であったが、その収入が党派にとって貴重な資金源だったであろうことは想像に難くない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1JMf8MUjSNTq7rrLVJ3TzcZMxIiHGHpDs/view?usp=sharing 革マルの早稲田祭ねつ造に対する糾弾声明]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721114</name></author>	</entry>

	</feed>