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		<title>19721108 - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
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		<title>1972年11月25日（土）革マル派が一・二文クラ討連リーダーに自己批判要求</title>
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				<updated>2017-03-20T05:24:39Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721113: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:革マル派100人が一文中庭で集会を開き「クラ討連」リーダーを演壇に乗せ、前日の革マル派へのゴボウ抜きへの自己批判を求めた。夜には赤旗を先頭にした覆面・ヘルメットの他大学からの革マルの応援部隊が到着。「帰れ！」の声をあげる学生たちを追い散らし、デモで本部へ向かい、集会と渦巻きデモを繰り返した。文学部当局はこうした事態を静観し、授業打ち切って8時に閉門した。こうした学内の動きとは別に、28日の学生大会へ向けた議案書の作成が進められた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::11:00　革マル派100名は文学部中庭で集会を行ない、クラス討論連絡会議リーダーを演壇に乗せて、前日の混乱について自己批判を要求。18:00には二文クラ討連リーダーにも自己批判を要求した。19:40からは全都動員のヘルメット部隊250名で暴力敵対、学生に襲いかかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マル派の武装反撃】'''&lt;br /&gt;
:この日の早稲田の様子を翌26日付の朝日新聞は「革マル派、大暴れ」という大見出しとともに報じた。&lt;br /&gt;
:「早大で二十五日夜、都内の他大学から動員した者も含め、ヘルメット、覆面姿の革マル派学生約二百五十人が、「学生大会粉砕」「民青粉砕」を叫んで文学部構内をデモ、道路まで飛出して他学生を追散らした。川口大三郎君のリンチ殺人事件以来わずか十数日で暴力一掃を目ざした学生たちの声は、革マル派の“武装”反撃に一時的にせよかき消された格好。文学部当局はこの間、従来通り終始沈黙を守り続け、事態を静観した。&lt;br /&gt;
:この日、午前十一時すぎから文学部中庭で集会を開いた革マル派学生約百人は、同学部で学生大会を開くための署名運動などを続けているクラス討論連絡会議のリーダー一人を演壇に乗せ、二十四日夜の学生たちによる革マル派学生のゴボウ抜きなどについて自己批判を要求した。&lt;br /&gt;
:いったん第一学生会館に引揚げた革マル派学生は、午後六時すぎから再び文学部中庭に現れ、うち三十人がヘルメット姿。第二文学部のクラス討論連絡会議のリーダーに再び自己批判を要求した。&lt;br /&gt;
:これを聞いた法学部など他学部の学生約百人がデモ隊を組んでかけつけると、革マル派のリーダーは「こうした民青系学生による敵対行為には実力で対決する」と叫び、デモ隊を組んで同学部門前にいた学生たちともみ合った。&lt;br /&gt;
:同午後七時四十分ごろ、赤旗数本を先頭に立て、覆面をしヘルメットに他大学の名前を書いた革マル派の学生約百五十人が、文学部に着いた。構内に散在していた文学部や他学部の学生約三百人が「帰れ、帰れ」のシュプレヒコールをあびせたが、革マル派学生は応援も含め約二百五十人でうず巻きデモを繰返し、時々遠巻きにしてシュプレヒコールを続ける学生の列に「あれが民青だ」などと叫びながら襲いかかった。&lt;br /&gt;
:このあと革マル派学生は他学生を追って学外に出、牛込署馬場下交番前の交差点いっぱいにデモ、さらに隊列を組んで約五百メートル離れた同大本部構内まで行き、集会やうず巻きデモを繰返した。文学部当局はこのため夜間の立入り禁止時間を一時間早めて午後八時門を閉じ、それ以降の授業は打切った。他学生はそのまま解散した。&lt;br /&gt;
:革マル派学生はその後、本部南門前の第一学生会館一階食堂に入り、集会を開いたあと、午後九時四十分に解散した。」（1972年11月26日付朝日新聞）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【議長団による緊急アピール】'''&lt;br /&gt;
:この翌日の26日には、全学議長団と全学部連絡会議は「学生大会を革マル派の破壊活動から“死守”するため全学部の学友数千人を本部キャンパスに結集させる」との緊急アピールを出した。28日の一文・社学の学生大会を前に、22日以降他大学の学生も動員して革マル派の“反撃”が日増しに高まっており、議長団や学部連絡会議のメンバーへの個人恫喝なども発生していた。&lt;br /&gt;
:「あくまで非暴力で革マルに対抗、大衆の手で学生大会を成功させる」との立場から、この緊急アピールとなった。&lt;br /&gt;
:具体的戦術としては、27日昼前から本部キャンパスで全学部の学生数千人を集めて再び糾弾集会を開いて、同夜は大学周辺に泊まり込み、28日は文学部キャンパスにすわりこんで革マルの襲撃を阻止する方針を立てている。（1972年11月27日付毎日新聞より）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721113</name></author>	</entry>

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		<title>1972年11月25日（土）革マル派が一・二文クラ討連リーダーに自己批判要求</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721113: ページの作成:「'''【概要】''' :革マル派100人が一文中庭で集会を開き、クラ討連リーダーを演壇に乗せ、前日の革マル派へのゴボウ抜きへの自...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:革マル派100人が一文中庭で集会を開き、クラ討連リーダーを演壇に乗せ、前日の革マル派へのゴボウ抜きへの自己批判を求めた。夜には赤旗を先頭にした覆面・ヘルメットの他大学からの革マルの応援部隊が到着。「帰れ！」の声をあげる学生たちを追い散らし、デモで本部へ向かい、集会と渦巻きデモを繰り返した。文学部当局はこうした事態を静観し、授業打ち切って8時に閉門した。こうした学内の動きとは別に、28日の学生大会へ向けた議案書の作成が進められた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::11:00　革マル派100名は文学部中庭で集会を行ない、クラス討論連絡会議リーダーを演壇に乗せて、前日の混乱について自己批判を要求。18:00には二文クラ討連リーダーにも自己批判を要求した。19:40からは全都動員のヘルメット部隊250名で暴力敵対、学生に襲いかかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マル派の武装反撃】'''&lt;br /&gt;
:この日の早稲田の様子を翌26日付の朝日新聞は「革マル派、大暴れ」という大見出しとともに報じた。&lt;br /&gt;
:「早大で二十五日夜、都内の他大学から動員した者も含め、ヘルメット、覆面姿の革マル派学生約二百五十人が、「学生大会粉砕」「民青粉砕」を叫んで文学部構内をデモ、道路まで飛出して他学生を追散らした。川口大三郎君のリンチ殺人事件以来わずか十数日で暴力一掃を目ざした学生たちの声は、革マル派の“武装”反撃に一時的にせよかき消された格好。文学部当局はこの間、従来通り終始沈黙を守り続け、事態を静観した。&lt;br /&gt;
:この日、午前十一時すぎから文学部中庭で集会を開いた革マル派学生約百人は、同学部で学生大会を開くための署名運動などを続けているクラス討論連絡会議のリーダー一人を演壇に乗せ、二十四日夜の学生たちによる革マル派学生のゴボウ抜きなどについて自己批判を要求した。&lt;br /&gt;
:いったん第一学生会館に引揚げた革マル派学生は、午後六時すぎから再び文学部中庭に現れ、うち三十人がヘルメット姿。第二文学部のクラス討論連絡会議のリーダーに再び自己批判を要求した。&lt;br /&gt;
:これを聞いた法学部など他学部の学生約百人がデモ隊を組んでかけつけると、革マル派のリーダーは「こうした民青系学生による敵対行為には実力で対決する」と叫び、デモ隊を組んで同学部門前にいた学生たちともみ合った。&lt;br /&gt;
:同午後七時四十分ごろ、赤旗数本を先頭に立て、覆面をしヘルメットに他大学の名前を書いた革マル派の学生約百五十人が、文学部に着いた。構内に散在していた文学部や他学部の学生約三百人が「帰れ、帰れ」のシュプレヒコールをあびせたが、革マル派学生は応援も含め約二百五十人でうず巻きデモを繰返し、時々遠巻きにしてシュプレヒコールを続ける学生の列に「あれが民青だ」などと叫びながら襲いかかった。&lt;br /&gt;
:このあと革マル派学生は他学生を追って学外に出、牛込署馬場下交番前の交差点いっぱいにデモ、さらに隊列を組んで約五百メートル離れた同大本部構内まで行き、集会やうず巻きデモを繰返した。文学部当局はこのため夜間の立入り禁止時間を一時間早めて午後八時門を閉じ、それ以降の授業は打切った。他学生はそのまま解散した。&lt;br /&gt;
:革マル派学生はその後、本部南門前の第一学生会館一階食堂に入り、集会を開いたあと、午後九時四十分に解散した。」（1972年11月26日付朝日新聞）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【議長団による緊急アピール】'''&lt;br /&gt;
:この翌日の26日には、全学議長団と全学部連絡会議は「学生大会を革マル派の破壊活動から“死守”するため全学部の学友数千人を本部キャンパスに結集させる」との緊急アピールを出した。28日の一文・社学の学生大会を前に、22日以降他大学の学生も動員して革マル派の“反撃”が日増しに高まっており、議長団や学部連絡会議のメンバーへの個人恫喝なども発生していた。&lt;br /&gt;
:「あくまで非暴力で革マルに対抗、大衆の手で学生大会を成功させる」との立場から、この緊急アピールとなった。&lt;br /&gt;
:具体的戦術としては、27日昼前から本部キャンパスで全学部の学生数千人を集めて再び糾弾集会を開いて、同夜は大学周辺に泊まり込み、28日は文学部キャンパスにすわりこんで革マルの襲撃を阻止する方針を立てている。（1972年11月27日付毎日新聞より）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>1972年11月11日（土）川口君葬儀。本部でリンチ殺人糾弾集会</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721113: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:川口君の葬儀（密葬）が行われた。革マルは記者会見で馬場素明委員長の辞任を発表。昼前には本部大隈銅像前に「11.8に関する声明」と大書した立て看を出し、「スパイ行為に対する原則的な自己批判の闘い」と自己を正当化するアジ演説を繰り返した。これに気づいた民青と一般学生が革マルを取り囲み、その討論の輪が広がって「リンチ殺人糾弾集会」へと発展。2000人の学生が見守るなか、田中敏夫全学中央自治会委員長を仮設の演壇に上げ、4項目の確認書への署名を要求したが田中委員長は拒否。午後8時、集会は解散した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::9:00　葬儀が行われ、浅井一文学部長と学生生活課長とが出席する。&lt;br /&gt;
::11:30　ヘルメット姿の革マル10数名がベニヤ板20枚に大書した「11.8事件に関する声明」を据付ける。マイクで看板の内容と同じアジ演説を行う革マル派を一般学生が囲み、あちこちに討論の輪ができる。&lt;br /&gt;
::15:00　2000人に膨れあがった学生は仮設の演壇を作り田中敏夫全中自委員長を囲んで”リンチ殺人糾弾集会”となる。「4項目の確認書」が出されたが、田中は署名を拒否した。&lt;br /&gt;
::15:50　当局は以降の授業を休講とし、マイクで「早期解散」を呼びかけ17:00以降をロックアウトに。&lt;br /&gt;
::18:00　革マルは「権力との緊張」を理由に第一学生学館に逃げ込み、学生は学館を取り巻いたが20:00頃には解散した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マルの声明文】'''&lt;br /&gt;
:「この過程（注・戦車阻止総決起集会）において、われわれは、中核派学生、川口大三郎君の文学部構内でのスパイ活動を摘発した。『反革命・革マル殲滅』なるものを戦略的課題にまでまつりあげ、われわれをはじめとする全学連への敵対的行為のみを自己目的化し、それを終始一貫してとりつづけてきた中核派のスパイ活動を川口君は担っていたのだからである。それゆえ、われわれは当然にも誠実な自己批判を川口君に要求した。その結果、彼はスパイ活動の事実を認めた。したがってわれわれはさらに、彼が自己のスパイ活動の反動性を主体的に反省することを追及したのであった。この過程において、われわれの全く予期せぬ不測の事態が生じた。（中略）11.8事件という形で中核派学生の犯罪行為に対する自己批判要求の闘いにおける限界であるとはいえ、しかしかかる犯罪行為に対する原則的な自己批判の要求は全く正当であり、それだけでなく腐敗する中核派学生の一掃をめざした思想的＝組織的闘いは、我々にとって緊要性を一層増しているといわなければならない。いやこの行為に示された限界性を我々自身がのりこえ、この思想的＝組織的闘いの質的高度化させることこそが、すべての諸君に対するわれわれの真の意味での自己批判であるとかんがえる」（早稲田キャンパス第167号）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マルの「正当性」の根拠について】'''&lt;br /&gt;
:「集会では、具体的な議事の進行に伴って、『中核派の学生なら殺してもかまわないのか！』『これからもリンチをやるのは正しいというのか！』といった一般学生の怒号や詰問が革マル派に対して浴びされられていた。われわれは当面、革マル派の川口君に対するリンチ行為そのものの『正当性』の根拠となっている事実関係を把握していない以上、客観的に川口君という個人が革マル派にとってどのような位置にいたかということは判断できないが、実際にリンチ行為によってもたらされた川口君の死という事実がある以上、革マル派には、リンチ行為を行なうに際して持っていた事実判断と正当性の基準を、あくまで大衆的に明らかにする義務があると考える」（早稲田キャンパス第167号）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721113</name></author>	</entry>

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		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B411%E6%9C%8811%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%90%9B%E8%91%AC%E5%84%80%E3%80%82%E6%9C%AC%E9%83%A8%E3%81%A7%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%81%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E7%B3%BE%E5%BC%BE%E9%9B%86%E4%BC%9A&amp;diff=53</id>
		<title>1972年11月11日（土）川口君葬儀。本部でリンチ殺人糾弾集会</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721113: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:川口君の葬儀（密葬）が行われた。革マルは記者会見で馬場素明委員長の辞任を発表。昼前には本部大隈銅像前に「11.8に関する声明」と大書した立て看を出し、「スパイ行為に対する原則的な自己批判の闘い」と自己を正当化するアジ演説を繰り返した。これに気づいた民青と一般学生が革マルを取り囲み、その討論の輪が広がって「リンチ殺人糾弾集会」へと発展。2000人の学生が見守るなか、仮設の演壇に田中敏夫全中自委員長を上げ、4項目の確認書への署名を要求したが田中委員長は拒否。午後8時、集会は解散した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::9:00　葬儀が行われ、浅井一文学部長と学生生活課長とが出席する。&lt;br /&gt;
::11:30　ヘルメット姿の革マル10数名がベニヤ板20枚に大書した「11.8事件に関する声明」を据付ける。マイクで看板の内容と同じアジ演説を行う革マル派を一般学生が囲み、あちこちに討論の輪ができる。&lt;br /&gt;
::15:00　2000人に膨れあがった学生は仮設の演壇を作り田中敏夫全中自委員長を囲んで”リンチ殺人糾弾集会”となる。「4項目の確認書」が出されたが、田中は署名を拒否した。&lt;br /&gt;
::15:50　当局は以降の授業を休講とし、マイクで「早期解散」を呼びかけ17:00以降をロックアウトに。&lt;br /&gt;
::18:00　革マルは「権力との緊張」を理由に第一学生学館に逃げ込み、学生は学館を取り巻いたが20:00頃には解散した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マルの声明文】'''&lt;br /&gt;
:「この過程（注・戦車阻止総決起集会）において、われわれは、中核派学生、川口大三郎君の文学部構内でのスパイ活動を摘発した。『反革命・革マル殲滅』なるものを戦略的課題にまでまつりあげ、われわれをはじめとする全学連への敵対的行為のみを自己目的化し、それを終始一貫してとりつづけてきた中核派のスパイ活動を川口君は担っていたのだからである。それゆえ、われわれは当然にも誠実な自己批判を川口君に要求した。その結果、彼はスパイ活動の事実を認めた。したがってわれわれはさらに、彼が自己のスパイ活動の反動性を主体的に反省することを追及したのであった。この過程において、われわれの全く予期せぬ不測の事態が生じた。（中略）11.8事件という形で中核派学生の犯罪行為に対する自己批判要求の闘いにおける限界であるとはいえ、しかしかかる犯罪行為に対する原則的な自己批判の要求は全く正当であり、それだけでなく腐敗する中核派学生の一掃をめざした思想的＝組織的闘いは、我々にとって緊要性を一層増しているといわなければならない。いやこの行為に示された限界性を我々自身がのりこえ、この思想的＝組織的闘いの質的高度化させることこそが、すべての諸君に対するわれわれの真の意味での自己批判であるとかんがえる」（早稲田キャンパス第167号）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マルの「正当性」の根拠について】'''&lt;br /&gt;
:「集会では、具体的な議事の進行に伴って、『中核派の学生なら殺してもかまわないのか！』『これからもリンチをやるのは正しいというのか！』といった一般学生の怒号や詰問が革マル派に対して浴びされられていた。われわれは当面、革マル派の川口君に対するリンチ行為そのものの『正当性』の根拠となっている事実関係を把握していない以上、客観的に川口君という個人が革マル派にとってどのような位置にいたかということは判断できないが、実際にリンチ行為によってもたらされた川口君の死という事実がある以上、革マル派には、リンチ行為を行なうに際して持っていた事実判断と正当性の基準を、あくまで大衆的に明らかにする義務があると考える」（早稲田キャンパス第167号）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721113</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1972%E5%B9%B411%E6%9C%8811%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%90%9B%E8%91%AC%E5%84%80%E3%80%82%E6%9C%AC%E9%83%A8%E3%81%A7%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%81%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E7%B3%BE%E5%BC%BE%E9%9B%86%E4%BC%9A&amp;diff=48</id>
		<title>1972年11月11日（土）川口君葬儀。本部でリンチ殺人糾弾集会</title>
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				<updated>2017-03-20T04:50:55Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721113: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:川口君の葬儀が行われた。革マルは記者会見で馬場素明委員長の辞任を発表。昼前には本部大隈銅像前に「11.8に関する声明」と大書した立て看を出し、「スパイ行為に対する原則的な自己批判の闘い」と自己を正当化するアジ演説を繰り返した。これに気づいた民青と一般学生が革マルを取り囲み、その討論の輪が広がって「リンチ殺人糾弾集会」へと発展。2000人の学生が見守るなか、仮設の演壇に田中敏夫全中自委員長を上げ、4項目の確認書への署名を要求したが田中委員長は拒否。午後8時、集会は解散した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::9:00　葬儀が行われ、浅井一文学部長と学生生活課長とが出席する。&lt;br /&gt;
::11:30　ヘルメット姿の革マル10数名がベニヤ板20枚に大書した「11.8事件に関する声明」を据付ける。マイクで看板の内容と同じアジ演説を行う革マル派を一般学生が囲み、あちこちに討論の輪ができる。&lt;br /&gt;
::15:00　2000人に膨れあがった学生は仮設の演壇を作り田中敏夫全中自委員長を囲んで”リンチ殺人糾弾集会”となる。「4項目の確認書」が出されたが、田中は署名を拒否した。&lt;br /&gt;
::15:50　当局は以降の授業を休講とし、マイクで「早期解散」を呼びかけ17:00以降をロックアウトに。&lt;br /&gt;
::18:00　革マルは「権力との緊張」を理由に第一学生学館に逃げ込み、学生は学館を取り巻いたが20:00頃には解散した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マルの声明文】'''&lt;br /&gt;
:「この過程（注・戦車阻止総決起集会）において、われわれは、中核派学生、川口大三郎君の文学部構内でのスパイ活動を摘発した。『反革命・革マル殲滅』なるものを戦略的課題にまでまつりあげ、われわれをはじめとする全学連への敵対的行為のみを自己目的化し、それを終始一貫してとりつづけてきた中核派のスパイ活動を川口君は担っていたのだからである。それゆえ、われわれは当然にも誠実な自己批判を川口君に要求した。その結果、彼はスパイ活動の事実を認めた。したがってわれわれはさらに、彼が自己のスパイ活動の反動性を主体的に反省することを追及したのであった。この過程において、われわれの全く予期せぬ不測の事態が生じた。（中略）11.8事件という形で中核派学生の犯罪行為に対する自己批判要求の闘いにおける限界であるとはいえ、しかしかかる犯罪行為に対する原則的な自己批判の要求は全く正当であり、それだけでなく腐敗する中核派学生の一掃をめざした思想的＝組織的闘いは、我々にとって緊要性を一層増しているといわなければならない。いやこの行為に示された限界性を我々自身がのりこえ、この思想的＝組織的闘いの質的高度化させることこそが、すべての諸君に対するわれわれの真の意味での自己批判であるとかんがえる」（早稲田キャンパス第167号）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マルの「正当性」の根拠について】'''&lt;br /&gt;
:「集会では、具体的な議事の進行に伴って、『中核派の学生なら殺してもかまわないのか！』『これからもリンチをやるのは正しいというのか！』といった一般学生の怒号や詰問が革マル派に対して浴びされられていた。われわれは当面、革マル派の川口君に対するリンチ行為そのものの『正当性』の根拠となっている事実関係を把握していない以上、客観的に川口君という個人が革マル派にとってどのような位置にいたかということは判断できないが、実際にリンチ行為によってもたらされた川口君の死という事実がある以上、革マル派には、リンチ行為を行なうに際して持っていた事実判断と正当性の基準を、あくまで大衆的に明らかにする義務があると考える」（早稲田キャンパス第167号）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>1972年11月11日（土）川口君葬儀。本部でリンチ殺人糾弾集会</title>
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&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:川口君の葬儀が行われた。革マルは記者会見で馬場素明委員長の辞任を発表。昼前には本部大隈銅像前に「11.8に関する声明」と大書した立て看を出し、「スパイ行為に対する原則的な自己批判の闘い」と自己を正当化するアジ演説を繰り返した。これに気づいた民青と一般学生が革マルを取り囲み、その討論の輪が広がって「リンチ殺人糾弾集会」へと発展。2000人の学生が見守るなか、仮設の演壇に田中敏夫全中自委員長を上げ、4項目の確認書への署名を要求したが田中委員長は拒否。午後8時、集会は解散した。&lt;br /&gt;
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'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::9:00　葬儀が行われ、浅井一文学部長と学生生活課長とが出席する。&lt;br /&gt;
::11:30　ヘルメット姿の革マル10数名がベニヤ板20枚に大書した「11.8事件に関する声明」を据付ける。マイクで看板の内容と同じアジ演説を行う革マル派を一般学生が囲み、あちこちに討論の輪ができる。&lt;br /&gt;
::15:00　2,000人に膨れあがった学生は仮設の演壇を作り田中敏夫全中自委員長を囲んで”リンチ殺人糾弾集会”となる。「4項目の確認書」が出されたが、田中は署名を拒否した。&lt;br /&gt;
::15:50　当局は以降の授業を休講とし、マイクで「早期解散」を呼びかけ17:00以降をロックアウトに。&lt;br /&gt;
::18:00　革マルは「権力との緊張」を理由に第一学生学館に逃げ込み、学生は学館を取り巻いたが20:00頃には解散した。&lt;br /&gt;
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'''【革マルの声明文】'''&lt;br /&gt;
:「この過程（注・戦車阻止総決起集会）において、われわれは、中核派学生、川口大三郎君の文学部構内でのスパイ活動を摘発した。『反革命・革マル殲滅』なるものを戦略的課題にまでまつりあげ、われわれをはじめとする全学連への敵対的行為のみを自己目的化し、それを終始一貫してとりつづけてきた中核派のスパイ活動を川口君は担っていたのだからである。それゆえ、われわれは当然にも誠実な自己批判を川口君に要求した。その結果、彼はスパイ活動の事実を認めた。したがってわれわれはさらに、彼が自己のスパイ活動の反動性を主体的に反省することを追及したのであった。この過程において、われわれの全く予期せぬ不測の事態が生じた。（中略）11.8事件という形で中核派学生の犯罪行為に対する自己批判要求の闘いにおける限界であるとはいえ、しかしかかる犯罪行為に対する原則的な自己批判の要求は全く正当であり、それだけでなく腐敗する中核派学生の一掃をめざした思想的＝組織的闘いは、我々にとって緊要性を一層増しているといわなければならない。いやこの行為に示された限界性を我々自身がのりこえ、この思想的＝組織的闘いの質的高度化させることこそが、すべての諸君に対するわれわれの真の意味での自己批判であるとかんがえる」（早稲田キャンパス第167号）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【革マルの「正当性」の根拠について】'''&lt;br /&gt;
:「集会では、具体的な議事の進行に伴って、『中核派の学生なら殺してもかまわないのか！』『これからもリンチをやるのは正しいというのか！』といった一般学生の怒号や詰問が革マル派に対して浴びされられていた。われわれは当面、革マル派の川口君に対するリンチ行為そのものの『正当性』の根拠となっている事実関係を把握していない以上、客観的に川口君という個人が革マル派にとってどのような位置にいたかということは判断できないが、実際にリンチ行為によってもたらされた川口君の死という事実がある以上、革マル派には、リンチ行為を行なうに際して持っていた事実判断と正当性の基準を、あくまで大衆的に明らかにする義務があると考える」（早稲田キャンパス第167号）&lt;br /&gt;
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'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
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