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		<title>19721108 - 利用者の投稿記録 [ja]</title>
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		<updated>2026-08-02T13:47:37Z</updated>
		<subtitle>利用者の投稿記録</subtitle>
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		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B45%E6%9C%8810%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%A8%EF%BC%89%E5%95%86%E5%AD%A6%E9%83%A8%E5%AD%A6%E7%94%9F%E9%9B%86%E4%BC%9A%E3%80%82%E4%B8%80%E6%96%87%E8%87%AA%E6%B2%BB%E5%A7%94%E5%93%A1%E5%8D%94%E8%AD%B0%E4%BC%9A%E3%81%A7%E7%B7%8F%E9%95%B7%E5%9B%A3%E4%BA%A4%E3%81%A8%E8%87%AA%E6%B2%BB%E5%A7%94%E5%93%A1%E9%81%B8%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%97%E3%81%A6%E8%A8%8E%E8%AD%B0%E3%80%82&amp;diff=935</id>
		<title>1973年5月10日（木）商学部学生集会。一文自治委員協議会で総長団交と自治委員選に関して討議。</title>
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				<updated>2025-10-03T00:30:43Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:自治委員協議会で、5.17総長団交へ向けて、各クラスから団実委を選出して、実体のある全学団交実行委員会の結成が話し合われた。また、新年度を迎え、新執行部選出の前提となる自治員選の実施も提案されたが、その後の経過については不明である。一文キャンパスでは、情宣ばかりでなくクラス討論も革マルによる妨害を受け、クラスの意志一致を図る機会が得がたくなってきていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:◎商学部学生大会（自治会費横流し糾弾）10号館109教室で予定も、革マルが内バリを築いたため8号館301教室に変更。定足数に達せず学生集会200名。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【商学部学生大会は学生集会に】'''&lt;br /&gt;
:この日予定されていた商学部学生大会は、革マルの妨害によって会場の変更を余儀なくされ、定数に満たず学生集会となった。「早稲田キャンパス」177号によると集会では、商学部当局が凍結していた自治会費を革マル派常任委員会の請求に基づき支払ったという自治会費問題についての発言があり、今後これを「自治会費横流し」問題として取り上げていくことが決められた。（5月7日を参照）また、商学部の学部団交実現のため、各クラスから1名以上の実行委員選出他、17日の団交までに再度学生大会を開く旨の付帯決議が採択された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【自治委員協議会】'''&lt;br /&gt;
:5.17団交に向け、一文では各クラスの意見を集約するための自治委員協議会が開かれた。『一文有志の記録』によれば、参加したのは1年生13クラス、2年生12クラス、3年専修5（編註：いずれも旧学年）であった。ここでも5.8『総長』団交を実施した「全学団交実行委員会」の実体、存立基盤が問題となった。協議会では、5つの原則を確認した上で団交に参加する趣旨の決定がされた。&lt;br /&gt;
::1．学大等による大衆的な団実委の結成&lt;br /&gt;
::2．各クラスから1名の団交実行委員を選出&lt;br /&gt;
::3．各執行部、団実委で話し合い、全学団交実現に関する要求項目、運営方法について協議し、意志一致をする（5.17にはこだわらない）&lt;br /&gt;
::4．以上の点を守ることにより、各学部自治会の闘いを踏まえ、全ての自治会の確認の元に行う&lt;br /&gt;
::5．5.8団交の主催が全学団交実行委という実体のない名称を使用し、準備について大衆的な確認をとらなかったことを自己批判すること&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【自治委員選挙の実施】'''&lt;br /&gt;
:新学期を迎え、新執行部にとって在校生と新入生を自治会員として組織するための自治委員の選出は急務であった。自らが定めた九原則においても、当局の要求である五原則においても、新執行部は、クラスの総意を代表する自治委員によって選出されることとなっていたからである。ちなみに各クラスで自治委員選が成立するためには、成員数の過半数超の定足数を満たすことが要件となっていた。たとえば、成員数62の新2年D組では定足数32、成員数36の新2年J組では定足数19であった。&lt;br /&gt;
:自治委員選に先立って1月23日の一文学生大会で可決された仮規約に基づいて選挙管理委員を公募する趣旨のビラが残っている。仮規約によれば、選挙管理委員会は各クラス・専修1名を原則として20名で構成され、正副委員長各1名、書記2名を置く。また、他の一切の役職（たとえば自治委員）を兼任することはできないとされている。公募のビラには「選管委員は自治委員に立候補できないので、その点をよく考慮した上、クラス・専修ごとに選出してください」という付記がある。また、文学部キャンパスの出入りが事実上不可能だったことから選管事務所は暫定的に8号館ラウンジとされた。&lt;br /&gt;
:しかしながら、混乱を極めた文学部で選挙管理委員会が設けられ、自治委員が選出されたかを検証できる資料は見当たらない。ただ、自治委員協議会が開かれていることから、選挙は可能な限りにおいて実施され、クラス委員が選出されていたものと推測される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【クラス討論の呼びかけ】'''&lt;br /&gt;
:5.17を前に、一文2年生の討論集会が呼びかけられた。8号館ロビーに集合とあることから、一文キャンパスでの活動が難しかったことが伺える。&lt;br /&gt;
:テーマの1つは5.17団交の要求課題の決定、さらに当局による試験攻勢に対する取り組みの2つであった。&lt;br /&gt;
:「去年来の私達の願望であった総長団交が5月17日に設定された。問題もあろうが、私達の要求課題をクラス討論やこの集会等で練りに練って臨む必要がある。そして5.17以降も私達の要求貫徹まで何度も討論を重ね、再団交、再々団交を設定していかなければならない。」&lt;br /&gt;
:試験については、「5月7日学部団交を貫徹できず、なし崩し的に試験強行を受け入れるような状況に陥ってしまった。そこにおいてあくまでも試験攻勢に抗（しようと）した人と消極的ながら試験を受け入れた人との分断状況。（ほとんどのクラスにおいては全員受験もしくは全員ボイコットして延期のどちらか）」であったため「分断しつつあるクラスを早急にクラス討論等によって再建しなければならない。自治会やその他の組織においても基礎になり根底になるのはクラスや専修であり、クラス・専修から自治会運動を推進していくのだ」と、クラスの重要性を強調している。&lt;br /&gt;
:新年度を迎え、旧2年生は仮進級とはいえ各専修へと分散し、事実上それまで活動の母体となっていたクラスは解体した。これによって、新1年生への情宣活動をはじめ運動を中心となって推し進めるなど、新2年生が担うべき課題は増した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1TUNSMtAAbE7yJ00nJJJ2YOSAgqNDEpRX/view?usp=sharing 一文自治会昭和48年度選挙管理委員公募]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1ph9ifVPfqCQugIJU_oRLeyVqYGbeqYWR/view?usp=sharing 一文2年生討論の輪を！]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

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		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B44%E6%9C%8821%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89%E5%A6%A8%E5%AE%B3%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%80%81%E4%BC%9A%E5%A0%B4%E3%82%9215%E5%8F%B7%E9%A4%A8%E3%81%AB%E7%A7%BB%E3%81%97%E3%81%A6%E4%B8%80%E6%96%87%E5%AD%A6%E7%94%9F%E5%A4%A7%E4%BC%9A%E3%82%92%E9%96%8B%E5%82%AC&amp;diff=934</id>
		<title>1973年4月21日（土）妨害の中、会場を15号館に移して一文学生大会を開催</title>
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				<updated>2025-10-02T23:42:38Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:10日の学生大会が革マルによる代々木駅鉄パイプテロで流会のやむなきにいたったことを受けて、全学が防衛のスクラムを組んだ。ところが、反帝学評200名が本部で開いた集会を巡って革マル派がこれを阻止しようと乱闘となり、さらに一文キャンパスでも革マルの妨害が激しかった。こうしたことから、執行委員会は181教室での開催をあきらめ、会場を15号館に移した。学大は898名の参加で定足数を満たして成立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:◎一文学生大会（新入生を含めた、全学で初めての学生大会）。&lt;br /&gt;
:■ヘルメットを着用した革マル150名が学大会場への乱入を図り、防衛しようとする行動委50人と衝突。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【1973年4月22日付朝日新聞】'''&lt;br /&gt;
:「自治会再建をめぐって学生同士の対立の続いている早大で、21日、反帝学評の学生約200人が紛争以来はじめて本部構内に姿を現わし、一方、反革マルの第一文学部自治会が主催する学生大会には革マル派約150人がヘルメット、竹ザオ姿で突入しようとして乱闘するなど、早大キャンパスは一日中騒然とした。同午前8時15分頃、青ヘルメット姿に鉄パイプ、竹ザオを持った学外者中心の反帝学評約200人が本部構内に入り、「一文学生大会支援」を叫んで、午後4時すぎまで同構内で集会やデモを繰り返した。また、反革マルの一文自治会執行部は同昼すぎから新学期初めての学生大会を文学部構内で開こうとして革マル派と小ぜりあいを繰り返した。同執行部は午後2時すぎから本部15号館101教室に会場を移して学生大会を開いた。反帝学評が引揚げたあと午後5時すぎには、革マル派約150人が同大会会場に突入しようとはかり、会場を防衛しようとする各学部行動委員会の黒ヘルグループなど約50人と投石、放水などの衝突を約40分間続けた。この衝突で15号館の正面入口のドアや各階の窓ガラスはほとんど割れたが、双方にけが人はなかった。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【『一文有志の記録』から】'''&lt;br /&gt;
:「文学部木造校舎で学生大会会場を設定し、校舎横で会場を防衛しに来た一文2年の数クラスと執行委員が集会を開こうとしていた。そこへ革マルが公開討論をしようという形で介入してきて、ハンドマイクのコードを引きちぎったり、我々に対してなぐりかかったりしてきた。その時点で我々は中庭からスロープを通り穴八幡の下の舗道まで引き、そこで文学部に向け集会を開いた。そのためキドウタイが我々に対して規制に入り、舗道に座り込んだ学友のゴボウ抜きを2時10分頃行なった。その後、15号館101教室に向かい、学生大会を開こうとした。革マルの暴力的敵対という非常に困難な状況にもかかわらず、1時間程のうちに500名前後の学友が集まり、4時頃には600名以上の結集をもって学生集会を開いた。その後5時の段階で突如革マル100人弱が太い竹竿をまとめてかつぎ、ダンボールにヘルメットを入れて持って15号館に来た。そこで革マルは全員ヘルメットを着用し、竹竿をかまえて15号館のバリケードに突撃してきた。そこで各学部の支援部隊は2、3階から放水を始めた。バリケードが堅いと見るや革マルはいったん後退し、さらにプラカード部隊も到着した。（中略）5時半から6時の間に定足数に達し、学生大会は成立した。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【支援要請と党派の介入】'''&lt;br /&gt;
:4月に入ってから革マルの介入は、暴行から鉄パイプテロへと日に日にエスカレートし、一文では執行部のメンバーがキャンパスに入ることすら困難になっていた。学生大会前日の20日には一文、二文、教育、政経の執行委員会から21日から25日の連続学生大会を成功させるべく、サ連を含む全学部の執行部に向けて、動員の「要請状」が発せられている。&lt;br /&gt;
:そうした意味では、この日本部で開かれた反帝学評の集会は、学生大会の支援であったが、革マルにとっては、新自治会が党派の介入を許しているという格好の攻撃材料ともなった。&lt;br /&gt;
:4月23日付のビラで一文執行委員会は「4.21一文学大勝利す！」のビラの中で「『社青同解放派』の早大本部『登場』についての執行委の基本的見解」を表した。「21日早朝より本部10号館前に『登場』した反帝学評のヘルメット部隊について革マルは我々に『自己批判』を要求するなどと言っているのはとんでもない的はずれである。我々は一文の学友の前に明らかにしておく必要がある。彼らの登場は彼ら独自の行動であって一文執行委とは一切関係がない。まして彼らに登場を『要請』するはずもないのである。我々は九原則にのっとって、セクトの存在は認めるがセクト主義的引き回しを認めないのである」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:さらに5月1日になって「執行委員会声明」の中でふたたび自らの立場を表明した。「4月21日の学生大会におけるセクトの他大学生を含めた組織的介入（彼らの主観的な意図にかかわらず、われわれは、彼らの『支援』を介入とみなさざるを得ない。むろんわれわれは、かれらに支援要請をしたこともなければ、なんら事前連絡らしきこともなかった。われわれは、彼らの行動を一切関知していない。）という状況を踏まえ、執行委員会は再度ここに、われわれの運動の原則を確認したい。それは、『九原則』における『セクトの引き回しは一切許さない。』というものである。われわれの運動は、かかる原則によっていかなるセクトにも利用されることを認めないし、又、許さない。従って、他大学、他団体との共闘、連帯は（この原則に基づき）お互いに『何をどう闘っているのか』といった運動の質を提示しあう中で、相互了解が前提となるのは言うまでもない。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【学生大会決議】'''&lt;br /&gt;
:最終的に15号館101教室で開かれることになった学生大会には898名が結集。4.18に公示された試験日程についての討論の他、10の決議決定がされた。期末試験への対応として「全面レポート化」が提案されたが決議には至らず、学部団交で追及することを確認するにとどまった。1月の学生大会でスト権を樹立し学年末試験を阻止したことに照らせば、運動の退潮を伺わせる結果となった。&lt;br /&gt;
::（1）自治会費250円徴収&lt;br /&gt;
::（2）革マルによる11.8川口君虐殺糾弾&lt;br /&gt;
::（3）早稲田祭実行委樹立&lt;br /&gt;
::（4）第二学館の自主運営権を全学生の手に&lt;br /&gt;
::（5）自治会室凍結即時解除&lt;br /&gt;
::（6）筑波法案について圧倒的な討論をまきおこそう&lt;br /&gt;
::（7）「総長」団交実現勝利&lt;br /&gt;
:特別決議&lt;br /&gt;
::（1）革マルによる学部投票は認めない&lt;br /&gt;
::（2）革マルによる「統一学大」を認めない&lt;br /&gt;
::（3）革マルによるストライキは認めない&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:なお、後日LAC（一文行動委連合・準）のビラには「8項目の決議」として次の項目が記載されている。&lt;br /&gt;
::（1）当局の試験策動粉砕&lt;br /&gt;
::（2）臨時自治会費250円&lt;br /&gt;
::（3）革マル▲▲&lt;br /&gt;
::（4）早稲田祭実行委樹立&lt;br /&gt;
::（5）101・102教室の自主管理&lt;br /&gt;
::（6）第2学生会館の管理運営▲▲を学生の手に&lt;br /&gt;
::（7）学部・全学団交にクラス団実の結成▲▲をもって勝利しよう&lt;br /&gt;
::（8）筑波法案に対する議論を巻きおこそう&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1rL87tCyazpoy4jGvPscbWpJ-9tFauh9S/view?usp=sharing  4/21学生大会議案書レジュメ]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1WSUo-GS7QwalDx6fhYKS-7YymL6ufrJ2/view?usp=sharing 執行委員会声明　一文執行委員会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1dWpdl8r_9r4xvJTFdtTrJ6ctM1Mh9N7d/view?usp=sharing 要請状（4/21～4/25各学部ガクタイへの防衛要員の動員）　一文、二文、教育、政経各学部自治会執行委員会（二文は臨執）]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/16OVNPC-vPaRwvSZmnxbUa0_KQYm3TPDe/view?usp=sharing  4.21学生大会勝利す！革マルの統一学大デッチ上げ許すな　一文学生自治会執行委員会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1UIxbFA1atuV8yn_fTLyA-vKikr36MgX1/view?usp=sharing  4.21学大勝利す！早稲田解放へのさらなる進撃を！　第一文学部学生自治会執行委員会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1ohOTv7iB8VZcNi6wNyefyDERlRtjq-Xw/view?usp=sharing  4.21学大勝利の成果を打ち固め当局の試験策動を粉砕し学部、全学総長団交へ突き進め！LAC一文行動委（準）]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

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		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B42%E6%9C%8810%E6%97%A5%EF%BC%88%E5%9C%9F%EF%BC%89%E4%BA%8C%E6%96%87%E5%BD%93%E5%B1%80%E3%81%8C%E8%87%AA%E6%B2%BB%E4%BC%9A%E6%89%BF%E8%AA%8D%E3%81%AB%E5%90%91%E3%81%91%E7%A2%BA%E7%B4%84%E6%9B%B8%E3%81%AB%E7%BD%B2%E5%90%8D%E3%80%82%E4%B8%80%E6%96%87%E3%81%A7%E6%96%B0%E5%85%A5%E7%94%9F%E6%AD%93%E8%BF%8E%E5%AE%9F%E8%A1%8C%E5%A7%94%E3%81%AE%E5%88%9D%E4%BC%9A%E5%90%88%E3%80%82&amp;diff=933</id>
		<title>1973年2月10日（土）二文当局が自治会承認に向け確約書に署名。一文で新入生歓迎実行委の初会合。</title>
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				<updated>2025-10-02T23:35:32Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:二文の団交で学部長が自治会承認へ努力する旨の確約書に署名した。学内では、卒業試験の実施（一部レポート化）、学期末試験の無期延期等、各学部の対応がほぼ出揃い、2月末からの入試の準備へ向かいつつあった。受験生への情宣、新入生との連帯等、新たな取り組みが求められるなか、新入生歓迎実行委員会が中心となって、企画立案および呼び掛けが始まった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:◎一文「新入生歓迎実行委員会」が初会合。&lt;br /&gt;
:●二文団交の席上、守谷富生学部長は臨執を承認する方向へ努力するとの内容の確認書に署名した。&lt;br /&gt;
:●学部長、教職員40名参加による教育学部団交が決裂。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【二文学部長の確約書】'''&lt;br /&gt;
:「混乱の続く早稲田大学の守谷富生第二文学部長は10日夜、同学部学生自治会臨時執行部（反革マル）との団交で、現在の臨時執行部を承認する方向へ努力するとの確約書を書いた。」（1973年2月12日付毎日新聞）&lt;br /&gt;
:確約書は「昨年の11.30日の学生大会を学生集会と呼んでいた事を撤回し、前規約に基づいた正式な学生大会と認めます。私は、昨年の11.30学生大会およびそこで決議された内容を即時無条件で承認し、また責任をもって教授会に承認する様、要請します」（1973年3月10日付早稲田キャンパス）というもの。&lt;br /&gt;
:11.30の学生大会での決議は「①革マル派自治会執行部リコール②革マル派自治会規約廃棄③臨時執行部選出」の三項目で、「これで第二文学部当局は臨時執行部の事実上の承認を強く迫られることになった」と毎日新聞は報じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:実際に二文当局がこの確約書に呼応した形で態度を表明したのは、1ヵ月後の3月13日付の告示においてであった。&lt;br /&gt;
:この中で「臨時執行部と折衝に応じる考えである」としながらも「2月10日当日に見られたような、学部長に対する強圧的姿勢は甚だ遺憾であり、当日の学部長の諸確認書はそのままには認めがたい」と、新たに5つの条件を提示した。&lt;br /&gt;
:1）新執行部が、学生大会決定事項につき、学部投票等の方式で学部自治会員過半数の支持を確認すること。&lt;br /&gt;
:2）クラス委員（自治会委員）選出のための公正な選挙管理委員会の設置。&lt;br /&gt;
:3）選挙期間・方式をあらかじめ明示した上でのクラス在籍者過半数が出席することを条件とするクラス委員選挙及び公開の開票。&lt;br /&gt;
:4）クラス委員総会において多数の支持をえた執行部の選出。&lt;br /&gt;
:5）執行部による、全自治会員の総意を常時反映しうるような自治会規約案の提示と、その全自治会員の絶対多数による承認。&lt;br /&gt;
:「われわれとしては、以上のような手続きが必要であると考えているが、これは自治会組織の民主性を保障する最低限の条件として、学生諸君の当然とするところでもあろうと思う。（右のような、）諸手続きを含めた学生自身による自治会再建がおし進められてゆくことを切に望む」と、告示は結ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【新入生歓迎実行委員会の呼び掛け】'''&lt;br /&gt;
:「新歓実行委より文学部学友へ訴える」と題されたビラでは、「新入生を迎えるということは、逆に僕達の主体性が問われるということであり、自らの様々な体験を新入生と共有せんとすることである」として「僕達は、僕達の秩序を早稲田解放の中に位置づけ、自治会再建を内実化し、新入生を迎え入れようではないか」という呼び掛けとともに4つの提案がされた。&lt;br /&gt;
:1）各クラスからも新入生歓迎のビラを出し、様々な表現で情宣を。&lt;br /&gt;
:2）各クラスでパンフを作成し、新一年生に渡す。&lt;br /&gt;
:3）各クラス・各専修で四月祭企画を準備しよう。&lt;br /&gt;
:4）一人1000円のカンパを。&lt;br /&gt;
:「各クラス」が強調されていることについて新歓実委は「既に各クラスが分化されてきているという否定的状況を考えるとき、僕達の、クラス自治、専修自治を十分に活かし切れる事のない自治会といった反省としてある。再度各クラスが、独自に企画し、準備し、それを担うということを先ず考えよう」と述べている。&lt;br /&gt;
:なお、このビラには「一文新歓委員長・文責」とある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=1UC_UOiMXDYPTk-3Us8DJ2i5K9jJmWQWn 新歓実行委より文学部学友へ訴える]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B42%E6%9C%8813%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89_%E4%B8%80%E6%96%87%E3%81%A7%E7%B7%8F%E6%8B%AC%E9%9B%86%E4%BC%9A%E3%80%82%E5%9F%B7%E8%A1%8C%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A%E3%81%AF%E6%98%A5%E4%BC%91%E3%81%BF%E4%BB%A5%E9%99%8D%E3%81%AE%E6%88%A6%E8%A1%93%E3%82%92%E6%8F%90%E6%A1%88%E3%80%82&amp;diff=932</id>
		<title>1973年2月13日（火） 一文で総括集会。執行委員会は春休み以降の戦術を提案。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B42%E6%9C%8813%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89_%E4%B8%80%E6%96%87%E3%81%A7%E7%B7%8F%E6%8B%AC%E9%9B%86%E4%BC%9A%E3%80%82%E5%9F%B7%E8%A1%8C%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A%E3%81%AF%E6%98%A5%E4%BC%91%E3%81%BF%E4%BB%A5%E9%99%8D%E3%81%AE%E6%88%A6%E8%A1%93%E3%82%92%E6%8F%90%E6%A1%88%E3%80%82&amp;diff=932"/>
				<updated>2025-10-02T23:34:54Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:入試を前に一文では、総括集会が持たれた。2月6日、7日の二連続学大流会を自己批判するとした執行委員会は、4月10日の学生大会を提案。あわせて入試～春休み～4月にかけての活動を提起した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:◎一文、総括集会を行う。執行委員会は「4.10学生大会」を提案。入試・春休み期間の対応を検討した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【4.10学生大会に向けて】'''&lt;br /&gt;
:執行委員会は、2月6、7日の学生大会流会は準備不足だったとし、その反省をふまえて4月10日の学生大会に向けての態勢を整えたいと、議案書草案を示した。&lt;br /&gt;
:流会について具体的には触れていないが、11.28は言うに及ばず、1.23、1.30と立て続けに学生大会が成立（成功）したことにより、執行委員会はその延長上として学生大会が成立するものと考えていたのではないか。2月に入り、進級や卒業を巡って個人の意識の変化が生じ、それまでの自然発生的な盛り上がりでは人は集まらず、クラス討論はもとより学生大会も成立させるのが難しい状況になっていたことを、どれくらい自覚していただろうか。そしてその対策は？&lt;br /&gt;
:実際のところ、僅差で不成立になった原因は1年D組のクラス合宿による不参加によるものであったのだが、告知の不徹底は悔やまれるところである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:学生大会の必要性については、「新入生を迎えての闘いの開始」「四月祭」「試験攻勢への対処」の3点をあげた。&lt;br /&gt;
:学大の進行は、「4月10日からの1週間ストライキ提案」によって闘いの継続を宣言し、新入生歓迎実行委員会が「四月祭」の意義を説明し、具体的な企画、催し物を発表する。2年生以上の各クラスからは新入生へ向けた発言をする。団交実行委員会からは文連のサークル補助費問題等の全学的な問題を提起し、自治会承認に関しては「自治会室」「自治会費」について決議する。その他、草案には「試験攻勢に対する対処」「二文の支援」などの議題もあげられた。&lt;br /&gt;
:春休みのスケジュールとしては、入試、合格発表、その後の手続き期間に合わせたビラ撒きおよび情宣の他、毎週火・金の同盟登校日等も提案された。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【新入生歓迎に向けて】'''&lt;br /&gt;
:執行委員会内に設けられた新入生歓迎実行委員会も、集会に向けて「春越えれば」と題してビラを配布した。「一人一人が新入生に真実を！」「一人一人が独自の表現を！」「一人一人が闘いの総括を！」とあるように「一人一人がこれまでの闘いとは自分にとって何であったのか」を捉え返す必要があるとし「川口君虐殺に対する怒りを、憎しみを、そして自ら流した涙を、何よりも僕達の真実を新入生に僕達一人一人が伝えよう」と呼びかけた。&lt;br /&gt;
:具体的には、各クラス・専修からのビラやパンフレットの作成、縦割りのクラス討論・合同コンパの実施、そして4/11～14の四月祭では、学習会、研究会、討論集会、自主講座、バザー、模擬店等のアイデアが盛り込まれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【規約改正への動き】'''&lt;br /&gt;
:自治会を一部の党派が私していた後だけに、自治会規約を公正なものにすることは、新執行部の課題であった。規約改正委員会を設け、いかに総意を反映するかに取り組んだ。この日配られたビラには、「規約改正委員会は、各個人の自発性を促し、その創意にみちた連帯を保護するために、新規約を作成することを目的として設置され、またここに結集される。改正委の構成、内容は『総則』にしたがう」とある。&lt;br /&gt;
:委員会の構成員は各クラス・専修から選出され、クラス討論の内容を収拾する他、オブザーバーの参加も認められ、広く問題提起を求めた。第一回の開催は2月14日午後1時から4号館ラウンジ。また、春休み中は同盟登校日の火曜日と金曜日に開催とした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【クラス討論の呼び掛け】'''&lt;br /&gt;
:すでに一文の1年生のクラスでは「一年生連合会議」の呼び掛けがされており、2月14日には討論集会も予定されていた。（実施は未確認）それとともに、クラス討論資料原稿募集のビラが新執行委員会の名前で出されている。これまでとは異なった論調で「我々は素ボクに自らの自治運動をおし進めてきました。しかし政府の大学への反動政策、そして大学への攻撃は米帝のベトナム介入情勢の変化等とも密接に関係して、機動隊が日本の早稲田で検問、不当逮捕、さらには学友への凶暴な暴行を日常的に行っていることに端的に表れています。我々は早稲田解放闘争のなかですでに革マル派よりずっと恐ろしい敵＝国家権力と激突し始めているのです」とし、3月上旬締め切りで次の4点に関する意見を募った。&lt;br /&gt;
:１）国際情勢と国内情勢よりなる大学の位置&lt;br /&gt;
:２）早大65～73年の闘争経過&lt;br /&gt;
:３）11.8以降の闘争記録&lt;br /&gt;
:４）今後の自治会の展望（御用自治会、ポツダム自治会終焉論、反大学、革マル「戦闘的自治会論」など、具体的に語る必要があると考える。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=1HtTdR71LS5wLkGwyxLJTM8h9XfKA6W9l 2/13総括集会に向けて  一文執行委員会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=1payUO84uFnQxwlgksZby_rFA0Lho2YM3 春越えれば！　2.13集会に向けて  第一文学部執行委員会新入生歓迎実行委]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=1YJvqz1sWbUGd1_6SryaaNy2iO6QrIePJ 規約改正委員会から　№1]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=1SWuoW4fCQU5YApvsBRIOrxV3s-Eh2TAK 2.13総括集会に向けて！ 一文団交実行委員会]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B41%E6%9C%888%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%89%E5%A4%A7%E9%9A%88%E9%8A%85%E5%83%8F%E5%89%8D%E3%81%A7%E5%85%A8%E5%AD%A6%E7%B7%8F%E6%B1%BA%E8%B5%B7%E9%9B%86%E4%BC%9A200%E5%90%8D%E3%80%82%E5%86%85%E9%BB%92%E3%83%98%E3%83%AB100%E5%90%8D&amp;diff=931</id>
		<title>1973年1月8日（月）大隈銅像前で全学総決起集会200名。内黒ヘル100名</title>
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				<updated>2025-09-30T21:20:26Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:前夜の泊まり込みを経て、11時から1.8集会実行委員会主催の全学総決起集会を開く予定だったが、図書館前で集会とデモを展開していた革マルに阻まれ正午からの開催となった。参加200名の内100名が黒ヘルを着用。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::◎文学部を初め各学部の授業が始まったが、新聞見出しは「騒然と休み明け」。&lt;br /&gt;
::8:00　革マル250人は文学部221室にプラカード・竹竿数十本で集合の後、田中のデモ指揮で本部に移動。&lt;br /&gt;
::9:00　本部図書館前で「自治会乗っ取り粉砕」「北爆糾弾」の集会とデモを行う。胸と背に「闘う自治会を守れ」などのゼッケン。&lt;br /&gt;
::正午　全学部自治会連絡会議を中心とする「1.8集会実行委員会」は本部大隈銅像前にて「全学総決起集会」200名。内100名は黒ヘルメット姿（「ヘルメット是非論争」もあった）。「11.8川口君虐殺糾弾！全学団交勝利！早大解放！」がテーマ。&lt;br /&gt;
::19:00　「中核派が押しかけるとの情報がある」と文学部は夜間ロックアウトを早め休講に。&lt;br /&gt;
::■革マルがプラカードを偽装した角材を使用。頭部を殴打された学友が多出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【ヘルメット着用をめぐって】'''&lt;br /&gt;
:革マルの巻き返しが本格的になった12月以降、デモや集会の妨害も増えた。それに伴って直接的なぶつかり合いも頻度を加え、けが人も出るようになった。この時期に革マルがよく使ったのはプラカードに見せかけた角材で、揉み合いに紛れてこの角材で頭を殴打する暴行が日常化しつつあった。これに対抗する自衛手段としてのヘルメット着用が行動委を中心に提案されたが、意志一致にはいたらなかった。&lt;br /&gt;
:この日のヘルメット着用についての一文臨執の見解が1973年2月10日付の「早稲田キャンパス」に載った。「ヘルメットはかぶるかかぶらないかの二者択一の問題ではなく、どの程度の危機的状況で着用するかが問題である。まずヘルメットは着用しないが、非常時に備えてメットを用意しておくことはある」。また、1月12日の一文行動委員会連合（準）のビラには次のような記載がある。&lt;br /&gt;
:「1.8当日、我々は、革マル派との対決の中で、初めて端初的な自衛武装を開始した。これは、具体的に斗争が発展する中で、不可避に必要とされるものであり、早大斗争の到達段階を示している。その意味で我々がヘルメットを被ったことについて、種々の意見があり、徹底的な討論が必要であることを、我々は何ら否定的に捉えておらず、偏見を捨てた積極的な 論争こそが問われていると考える。&lt;br /&gt;
:我々がヘルメットを着用した理由は、第一に、一文臨執・クラ共と共に越冬体制の成果をもって1.8集会を具体的に実現する時、革マルによる武装制圧は当日前もってわかっていたし、早大キャンパスには、自衛武装を抜きにした登場は不可能だったという事である。1.8集会の場での「私はヘルメットなしでいいが、ヘルメットの諸君は、ノンヘルの学友を守って欲しい」という発言はその意味で、全くナンセンスであり、一人一人が主体的に自主的に斗いにどう参加し、＊＊するのかという観点から、自らの闘いを＊らんことを訴える。」（原文ママ。一部判読不能。）&lt;br /&gt;
:朝日新聞は1月9日付の朝刊で次のように報じた。「（前略）このうち約百人は黒ヘルメットをかぶり、さかんにデモをして人目をひいた。この黒ヘル集団は、サークル連絡会議、各学部の『行動委員会』、リンチ事件で死んだ川口君の同級生の一部などが主体。この風体に対し、一部の学生たちは『革マルと同じじゃないか』『学生間に違和感が生まれ、運動が広がらない』などと反発の声をあげ、黒ヘルの学生との間に『ヘルメット是非論争』もあった。しかし、黒ヘル集団は『革マル派の暴力に対抗する』『プラカードと同じで意思表示の手段にすぎない』として最後までヘルメットをとらず、 反革マル陣営に運動の進め方で微妙な食違いがあることを示した、との見方も関係者の間に出た。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【村井総長「自治会問題に思う」】'''&lt;br /&gt;
:冬休み明けのこの日、キャンパスでは村井資長総長の名前で「自治会問題に思う」と題された文書が配布された。「自治会刷新の動き」という見出しの部分には、自治会再建に対する次のようなコメントがある。「私は今回の自治会刷新の運動が、特定のセクトを追い出すことだけを目指したものだとは思っていません。またこの運動に結集した学生諸君が少数であるとも考えません。この運動によって、政治セクトによる自治会の私物化と政治的利用、自治会活動に名を借りた集団暴行などを排除しようとする学生諸君の総意にもとづく清新な自治会活動を目指す息吹が、いま大学に動きはじめたのだといえましょう。」&lt;br /&gt;
:つづけて総長は、「まだまだ煮つめられていない若干の問題」として4点を挙げている。「第一に、自治会は何のために存在するのでしょうか。（中略）この点については、広く学生諸君の主体性において、充分な討論がなされ、自ら解決されなければならないと思います。」「つぎに学生政治セクトをどのように考えるのかという問題があります。（中略）問題は、あるセクトが他のセクトや対立意見をもつものを否定したり、自らの政治的利害だけを基準に行動するために暴力を用いることにあるといえます。そうしようとするのでないかぎり、いわゆるセクトも、その存在を否定されるべきではないでしょう。」「第3に、自治会の運営とその組織化について述べなければなりません。さまざまな考えをもった多数学生で構成された自治会を運営していくには、それだけの力量をもった者でなければ到底困難な側面があります。」「第4に、自治会費はいままでのところ、大学が自動的に代行徴収するかたちをとっていますが、このかたちでよいのでしょうか。また、学生一人ひとりの教育上の要求を自治会はどのようにして調整すればよいのでしょうか。」&lt;br /&gt;
:そして最後は次のように結ばれている。「学生自治会の刷新の問題をめぐって、いま早稲田大学は苦しみのただ中にあります。最近の学生諸君の動きのなかに、このたびの不幸な事件を決して無にしないという強い決意をみるとき、私は大いに勇気づけられます。新しい年を迎え、これからは学生諸君にとって卒業試験、学年末試験などもっとも重要な時期ですが、それとともに自治会問題もまた諸君にとって重要な問題です。諸君の充分な討議のうえに、より多くの納得と合意が得られ、大多数の支持と総意を基盤とする新しい学生自治会が創造されることを願わずにはいられません。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【社会科学部の情宣】'''&lt;br /&gt;
:社会科学部の臨時執行部は前年11月28日を経て立上がったが、年が明けた8日からは、連日ビラを配るなど積極的な情宣活動を展開した。（早稲田キャンパス第173号より）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1hg_3qArsCaAAT-4aFS2VBHIgeqASVoph/view?usp=sharing 1・8総決起集会に向けて！　早大一文自治会臨時執行委員会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=1W55SpEojRhHYj181bDIoQ8_NNeGE2MeC 行動委通信 1.8集会に総結集せよ　全学行動委員会連合準備会情宣部]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973_%E5%B9%B41%E6%9C%887%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%97%A5%EF%BC%89%E5%86%AC%E4%BC%91%E3%81%BF%E6%98%8E%E3%81%91%E5%89%8D%E6%97%A5%E3%81%AB%E5%85%A8%E5%AD%A6%E6%8B%A1%E5%A4%A7%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B9%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E3%82%92%E9%96%8B%E5%82%AC&amp;diff=930</id>
		<title>1973 年1月7日（日）冬休み明け前日に全学拡大クラス会議を開催</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973_%E5%B9%B41%E6%9C%887%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%97%A5%EF%BC%89%E5%86%AC%E4%BC%91%E3%81%BF%E6%98%8E%E3%81%91%E5%89%8D%E6%97%A5%E3%81%AB%E5%85%A8%E5%AD%A6%E6%8B%A1%E5%A4%A7%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B9%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E3%82%92%E9%96%8B%E5%82%AC&amp;diff=930"/>
				<updated>2025-09-30T21:19:58Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:翌日の学内登場を前に、全学拡大クラス協議会が西部労政会館で開かれ、全学から800人が結集した。1月の闘争スケジュールを確認後、翌日に向けてG大学のU寮に泊まり込んだ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:正午　全学拡大クラス協議会を西部労政会館にて行い、800名が結集する。1月闘争スケジュールを確認し、翌日の集会に向けてＵ寮に泊り込み。&lt;br /&gt;
	&lt;br /&gt;
'''【冬休み明けの予定について】'''&lt;br /&gt;
:冬休み明けの予定については、休み前に一文臨執によって出された「1.8総決起集会に向けて！」と題されたビラに記載がある。「1月5日～7日までには上京し、各クラス・専修の討論を推し進め、その中で1月8日以降 のクラスの自立した闘いを創り出そう！」「1月7日正午。全学拡大クラス 会議に総結集しよう！（於・西部労政会館）〜1月8日以降の具体的な戦術提起〜1月8日の戦術提起〜街頭カンパ」「1月8日10時までには必ず登校し、全学総決起集会には各クラスのプラカード、旗の下に結集しよう」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【クラス単位の活動】'''&lt;br /&gt;
:同じビラには、11.8を契機に始まったクラスごとの活動として、クラス通信、クラス新聞、自主ゼミナール、行動隊の結成、クラス内の再編成が上げられている。1月8日の冬休み明けを前に都内の喫茶店でクラス討論を開いた一文1T では「クラスの組織化」「行動委の性格付け」等について話し合った。2日後には情宣委員、救対、レポ、選挙、合宿、連絡網等への割り当て人数が話し合われている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=1AR0bzDU_8Neoog5JNtDqMu7vMP-iW6tK 1.8集会貫徹！文学部キャンパス解放！　早大全学行動委員会連合(準)]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

	<entry>
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		<title>1973年1月8日（月）大隈銅像前で全学総決起集会200名。内黒ヘル100名</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:前夜の泊まり込みを経て、11時から1.8集会実行委員会主催の全学総決起集会を開く予定だったが、図書館前で集会とデモを展開していた革マルに阻まれ正午からの開催となった。参加200名の内100名が黒ヘルを着用。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::◎文学部を初め各学部の授業が始まったが、新聞見出しは「騒然と休み明け」。&lt;br /&gt;
::8:00　革マル250人は文学部221室にプラカード・竹竿数十本で集合の後、田中のデモ指揮で本部に移動。&lt;br /&gt;
::9:00　本部図書館前で「自治会乗っ取り粉砕」「北爆糾弾」の集会とデモを行う。胸と背に「闘う自治会を守れ」などのゼッケン。&lt;br /&gt;
::正午　全学部自治会連絡会議を中心とする「1.8集会実行委員会」は本部大隈銅像前にて「全学総決起集会」200名。内100名は黒ヘルメット姿（「ヘルメット是非論争」もあった）。「11.8川口君虐殺糾弾！全学団交勝利！早大解放！」がテーマ。&lt;br /&gt;
::19:00　「中核派が押しかけるとの情報がある」と文学部は夜間ロックアウトを早め休講に。&lt;br /&gt;
::■革マルがプラカードを偽装した角材を使用。頭部を殴打された学友が多出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【ヘルメット着用をめぐって】'''&lt;br /&gt;
:革マルの巻き返しが本格的になった12月以降、デモや集会の妨害も増えた。それに伴って直接的なぶつかり合いも頻度を加え、けが人も出るようになった。この時期に革マルがよく使ったのはプラカードに見せかけた角材で、揉み合いに紛れてこの角材で頭を殴打する暴行が日常化しつつあった。これに対抗する自衛手段としてのヘルメット着用が行動委を中心に提案されたが、意志一致にはいたらなかった。&lt;br /&gt;
:この日のヘルメット着用についての一文臨執の見解が1973年2月10日付の「早稲田キャンパス」に載った。「ヘルメットはかぶるかかぶらないかの二者択一の問題ではなく、どの程度の危機的状況で着用するかが問題である。まずヘルメットは着用しないが、非常時に備えてメットを用意しておくことはある」。また、1月12日の一文行動委員会連合（準）のビラには次のような記載がある。&lt;br /&gt;
:「1.8当日、我々は、革マル派との対決の中で、初めて端初的な自衛武装を開始した。これは、具体的に斗争が発展する中で、不可避に必要とされるものであり、早大斗争の到達段階を示している。その意味で我々がヘルメットを被ったことについて、種々の意見があり、徹底的な討論が必要であることを、我々は何ら否定的に捉えておらず、偏見を捨てた積極的な 論争こそが問われていると考える。&lt;br /&gt;
:我々がヘルメットを着用した理由は、第一に、一文臨執・クラ共と共に越冬体制の成果をもって1.8集会を具体的に実現する時、革マルによる武装制圧は当日前もってわかっていたし、早大キャンパスには、自衛武装を抜きにした登場は不可能だったという事である。1.8集会の場での「私はヘルメットなしでいいが、ヘルメットの諸君は、ノンヘルの学友を守って欲しい」という発言はその意味で、全くナンセンスであり、一人一人が主体的に自主的に斗いにどう参加し、＊＊するのかという観点から、自らの闘いを＊らんことを訴える。」（原文ママ。一部判読不能。）&lt;br /&gt;
:朝日新聞は1月9日付の朝刊で次のように報じた。「（前略）このうち約百人は黒ヘルメットをかぶり、さかんにデモをして人目をひいた。この黒ヘル集団は、サークル連絡会議、各学部の『行動委員会』、リンチ事件で死んだ川口君の同級生の一部などが主体。この風体に対し、一部の学生たちは『革マルと同じじゃないか』『学生間に違和感が生まれ、運動が広がらない』などと反発の声をあげ、黒ヘルの学生との間に『ヘルメット是非論争』もあった。しかし、黒ヘル集団は『革マル派の暴力に対抗する』『プラカードと同じで意思表示の手段にすぎない』として最後までヘルメットをとらず、 反革マル陣営に運動の進め方で微妙な食違いがあることを示した、との見方も関係者の間に出た。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【村井総長「自治会問題に思う」】'''&lt;br /&gt;
:冬休み明けのこの日、キャンパスでは村井資長総長の名前で「自治会問題に思う」と題された文書が配布された。「自治会刷新の動き」という見出しの部分には、自治会再建に対する次のようなコメントがある。「私は今回の自治会刷新の運動が、特定のセクトを追い出すことだけを目指したものだとは思っていません。またこの運動に結集した学生諸君が少数であるとも考えません。この運動によって、政治セクトによる自治会の私物化と政治的利用、自治会活動に名を借りた集団暴行などを排除しようとする学生諸君の総意にもとづく清新な自治会活動を目指す息吹が、いま大学に動きはじめたのだといえましょう。」&lt;br /&gt;
:つづけて総長は、「まだまだ煮つめられていない若干の問題」として4点を挙げている。「第一に、自治会は何のために存在するのでしょうか。（中略）この点については、広く学生諸君の主体性において、充分な討論がなされ、自ら解決されなければならないと思います。」「つぎに学生政治セクトをどのように考えるのかという問題があります。（中略）問題は、あるセクトが他のセクトや対立意見をもつものを否定したり、自らの政治的利害だけを基準に行動するために暴力を用いることにあるといえます。そうしようとするのでないかぎり、いわゆるセクトも、その存在を否定されるべきではないでしょう。」「第3に、自治会の運営とその組織化について述べなければなりません。さまざまな考えをもった多数学生で構成された自治会を運営していくには、それだけの力量をもった者でなければ到底困難な側面があります。」「第4に、自治会費はいままでのところ、大学が自動的に代行徴収するかたちをとっていますが、このかたちでよいのでしょうか。また、学生一人ひとりの教育上の要求を自治会はどのようにして調整すればよいのでしょうか。」&lt;br /&gt;
:そして最後は次のように結ばれている。「学生自治会の刷新の問題をめぐって、いま早稲田大学は苦しみのただ中にあります。最近の学生諸君の動きのなかに、このたびの不幸な事件を決して無にしないという強い決意をみるとき、私は大いに勇気づけられます。新しい年を迎え、これからは学生諸君にとって卒業試験、学年末試験などもっとも重要な時期ですが、それとともに自治会問題もまた諸君にとって重要な問題です。諸君の充分な討議のうえに、より多くの納得と合意が得られ、大多数の支持と総意を基盤とする新しい学生自治会が創造されることを願わずにはいられません。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【社会科学部の情宣】'''&lt;br /&gt;
:社会科学部の臨時執行部は前年11月28日を経て立上がったが、年が明けた8日からは、連日ビラを配るなど積極的な情宣活動を展開した。（早稲田キャンパス第173号より）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>1972年11月29日（水）教育学部学生大会成立</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:午前中から教育学部の学大を支援する学生2000 人が、手に手に学部やクラスを表す手作りの旗やプラカードを持って本部正門前に集まり始める。一時、大隈講堂前で集会をしていた革マルが正門前の学生に突っ込んで揉み合いになるなどの混乱があったが、夕方、教育学部学生大会が1570 名参加で成立。39 人の臨時執行委員を選出した。当局は、翌日からのロックアウト解除を発表。教員による学生証の検問体制を決めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【時系列】'''&lt;br /&gt;
:◎ 理工学部を除いて2 日続きの全学ロックアウト&lt;br /&gt;
:16:00 教育学部「学生大会」22 号館301 教室に1,570 名&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【ドキュメント「教育学部学生大会」】'''&lt;br /&gt;
:10 時穴八幡。またいつもの常連メンバー。人数が、顔ぶれが固定化してきてしまっている。これではいけないと思う。とにかく、この時点においては、クラスの人間集めること。全学ロックアウト。ナンセンス。やる事がいじきたない。実に愚かで利敵行為にしかならない。全くのナンセンス。大隈講堂前でZ の集会。本部正門前で教育の決起集会。教育は人の集まりが悪いみたい。ガンバッてくれよ。それでも昼過ぎにはかなりの人間が集まる。そして22 号館で学大を開く。かなりの人数が集まったらしい。我々は大隈会館の入口を護る。みんな坐り込んで赤旗、黒旗が林立し、夕焼け空に旗がなびき、遠くではデモ隊の喚声がきこえる。まさに革命が今起こらんとしているという感がある。人民戦線の再来か。ワセダ人民戦線。学大は成功し、拍手の内に教育の諸君が出てくる。まさに革命だ。後、大隈講堂前において報告集会。（一文有志の記録から）&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>1972年11月29日（水）教育学部学生大会成立</title>
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&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:午前中から教育学部の学大を支援する学生2000 人が、手に手に学部やクラスを表す手作りの旗やプラカードを持って本部正門前に集まり始める。一時、大隈講堂前で集会をしていた革マルが正門前の学生に突っ込んで揉み合いになるなどの混乱があったが、夕方、教育学部学生大会が1570 名参加で成立。39 人の臨時執行委員を選出した。当局は、翌日からのロックアウト解除を発表。教員による学生証の検問体制を決めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【時系列】'''&lt;br /&gt;
:◎ 理工学部を除いて2 日続きの全学ロックアウト&lt;br /&gt;
:16:00 教育学部「学生大会」22 号館301 教室に1,570 名&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【ドキュメント「教育学部学生大会」】'''&lt;br /&gt;
:10 時穴八幡。またいつもの常連メンバー。人数が、顔ぶれが固定化してきてしまっている。これではいけないと思う。とにかく、この時点においては、クラスの人間集めること。全学ロックアウト。ナンセンス。やる事がいじきたない。実に愚かで利敵行為にしかならない。全くのナンセンス。大隈講堂前でZ の集会。本部正門前で教育の決起集会。教育は人の集まりが悪いみたい。ガンバッてくれよ。それでも昼過ぎにはかなりの人間が集まる。そして22 号館で学大を開く。かなりの人数が集まったらしい。我々は大隈会館の入口を護る。みんな坐り込んで赤旗、黒旗が林立し、夕焼け空に旗がなびき、遠くではデモ隊の喚声がきこえる。まさに革命が今起こらんとしているという感がある。人民戦線の再来か。ワセダ人民戦線。学大は成功し、拍手の内に教育の諸君が出てくる。まさに革命だ。後、大隈講堂前において報告集会。（一文有志の記録から）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【教育学部の状況】'''&lt;/div&gt;</summary>
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&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;（サムネイル）&lt;br /&gt;
午前中から教育学部の学大を支援する学生2000 人が、手に手に学部やク&lt;br /&gt;
ラスを表す手作りの旗やプラカードを持って本部正門前に集まり始める。&lt;br /&gt;
一時、大隈講堂前で集会をしていた革マルが正門前の学生に突っ込んで揉&lt;br /&gt;
み合いになるなどの混乱があったが、夕方、教育学部学生大会が1570 名&lt;br /&gt;
参加で成立。39 人の臨時執行委員を選出した。当局は、翌日からのロック&lt;br /&gt;
アウト解除を発表。教員による学生証の検問体制を決めた。&lt;br /&gt;
（時系列）&lt;br /&gt;
◎ 理工学部を除いて2 日続きの全学ロックアウト&lt;br /&gt;
16:00 教育学部「学生大会」22 号館301 教室に1,570 名&lt;br /&gt;
（ドキュメント「教育学部学生大会」）&lt;br /&gt;
10 時穴八幡。またいつもの常連メンバー。人数が、顔ぶれが固定化して&lt;br /&gt;
きてしまっている。これではいけないと思う。とにかく、この時点におい&lt;br /&gt;
ては、クラスの人間集めること。&lt;br /&gt;
全学ロックアウト。ナンセンス。やる事がいじきたない。実に愚かで利&lt;br /&gt;
敵行為にしかならない。全くのナンセンス。大隈講堂前でZ の集会。本部&lt;br /&gt;
正門前で教育の決起集会。教育は人の集まりが悪いみたい。ガンバッてく&lt;br /&gt;
れよ。それでも昼過ぎにはかなりの人間が集まる。そして22 号館で学大を&lt;br /&gt;
開く。かなりの人数が集まったらしい。我々は大隈会館の入口を護る。み&lt;br /&gt;
んな坐り込んで赤旗、黒旗が林立し、夕焼け空に旗がなびき、遠くではデ&lt;br /&gt;
モ隊の喚声がきこえる。まさに革命が今起こらんとしているという感があ&lt;br /&gt;
る。人民戦線の再来か。ワセダ人民戦線。学大は成功し、拍手の内に教育&lt;br /&gt;
の諸君が出てくる。まさに革命だ。後、大隈講堂前において報告集会。&lt;br /&gt;
（一文有志の記録から）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（教育学部の状況）&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>1972年11月17日（金）川口君追悼学生葬に4000人</title>
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&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:午後2時から一文2J主催による川口君追悼学生葬が大隈講堂で執り行われた。壇上には笑顔の川口君の遺影が置かれ、献花する学生の列が続いた。同じ頃、大学当局は臨時学部長会議と理事会を開き、学内の秩序回復策をまとめた「11.17告示」を決定し、川口君のリンチ殺人事件に関する措置はこれで終わるとした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
::14:30　大隈講堂で川口君追悼学生葬が一文2年J組の主催で行われ、4000人が参列する。1分間の黙祷の後、2J代表の声明文に続き、浜田健三理事が村井総長名の弔辞を代読。大学側からの参列者は担任の長谷川教授と浜田理事ら極めて少数。村井総長は欠席した。母親のサトさんは祭壇へ向かい「余生をかけて大学当局の怠慢と暴力をなくすため闘います」と語る。&lt;br /&gt;
::◎大学当局は臨時学部長会・理事会で「11.17告示」を決定し、記者会見。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【「都の西北」で川口君を送る】'''&lt;br /&gt;
:午後1時頃から集まり始めた学生で大隈講堂はいっぱいとなり、入りきれない学生は外で様子を見守った。それより少し前、まだ準備が始まったばかりの大隈講堂に「全学中央自治会」名で花輪が届けられた。「困る、受け取れない」と押し問答となり、準備を手伝っていた学生が木札を抜いて地面に叩きつけて割った。始まる直前には、喪章を巻いた田中敏夫前委員長が参列を申し入れ、認められて席に着いた。&lt;br /&gt;
:午後4時、伊東から川口君の母親・サトさんが到着。会場からあがった「お母さんに謝れ！」の声に田中前委員長が前に立ってうなだれると、サトさんは、ハンカチで顔を覆い泣き崩れた。その後、壇上に立ったサトさんは涙ながらも「余生をかけて大学当局の怠慢と暴力をなくすために闘います」と語った。その当局からは、村井総長の弔辞を代読した浜田健三理事と担任の長谷川良一教授他数人と、参列者は少なかった。学生葬の最後には「都の西北」の大合唱で、生前「俺は早稲田が好きだ」と語っていた川口君を送った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【川口君のお母さんの言葉】'''&lt;br /&gt;
:川口君の母親・サトさんは、この時52歳だった。夫に先立たれて以来、保険の外交や伊東の競輪場の会計勤めをしながら3人の子供を育ててきた。川口君は姉、兄のいる3人兄弟の次男であった。&lt;br /&gt;
:壇上に上がったサトさんは、時折涙で声を詰まらせながら会場を埋めた学生に話しかけた。「今日は、大三郎のためにほんとうにありがとう。大三郎がほれにほれぬいたワセダ精神を一日も早く取り戻して下さい。二度と暴力のないワセダを。（中略）わたしは大三郎という宝を失った。その宝をなくしたいまとなっては、余生に希望もなにもありません。しかし、残る余生を大学当局の怠慢と、暴力追放のために闘います」&lt;br /&gt;
:学生葬の後、サトさんは大隈会館での記者会見で「大学からは、通夜に総長さんが見えられ『二度とこういうことのないようにします』などときまり文句をいっただけです。白昼、みんなの前で、しかも大学というところで殺されたなんて、まだ夢のようです。学校から納得のいくご返事がいただけるまで、（責任追及を）やるつもりです」と語った。（1972年11月18日付毎日新聞、朝日新聞より）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【学生葬における一文2年J組のクラス統一声明】'''&lt;br /&gt;
:「川口大三郎君追悼学生葬に集まられた皆さんに&lt;br /&gt;
:私たちの級友、川口大三郎君は革マル派によってリンチの末殺害された。&lt;br /&gt;
:11月8日、川口君は12時過ぎに登校し、体育実技を受けた後、午後2時過ぎ、文学部キャンパスに戻ってきた。その直後、級友とスロープ下において談笑している時、革マル2名が川口君をとり囲み、討論することを理由に自治会室へ連れて行こうとした。それに対し川口君は「討論ならここでもできるじゃないか」と答えた。すると更に数人が来て、いやがる川口君をむりやりに、自治会室へ連れて行った。その後、川口君を助けようと駆けつけた級友に対して、暴行・脅迫が加えられた。級友数人は川口君の安否を気づかい、9時まで、構内で川口君を待っていたが、大学当局のロックアウト体制のため下校せざるを得ず、 各自の家で川口君からの連絡を待つことにした。しかし連絡はなく、翌朝川口君はパジャマ姿の死体となって本郷東大病院前で発見された。川口君の身体は、鉄パイプ、バット等で殴られたと思われる痕跡が50カ所以上見られ、全身の細胞が破壊され、ただれているという悲惨なものであった。&lt;br /&gt;
:私たちは、級友川口君がこのような卑劣なりンチをうけ、20年の喜怒哀楽、思い定めた志、そして何か素晴しいことがあるかも知れず、無いかも知れない未来を断ち切られたことに痛憤と悲憤、何とも名状し難い怒りを覚えている。私たちの知っていた川口君、あの明るさと人一倍の正義感をもった彼が殺されていった。この不条理！　そして、私たちが今まで革マルの暴挙を許してきており、その結果、川口君が拉致された時点において、抗議に行くことのみでその他のあらゆる手段を講じ得なかったために、 川口君を見殺し同然にしてしまった。このことは、生命のいとおしさに対する感覚すら麻痺させてしまっている私たちの内部にこそ問い返えさなければならない問題である。私たちは、彼の死に対してたとえようもないほどの負債を負っているのである&lt;br /&gt;
:ここで私たちは、川口君を知っていた身近な者として、川口君が中核派のスパイであったという何の根拠もないレッテル貼りをされ、殺されていったことに怒りとともに口惜しさを覚えずにはいられない。革マル派は事件直後、「川口君が中核派のスバイ行為をやりそれを我々は集会中に摘発し、自己批判を迫ったが、その過程で突然ショック死してしまった」という、馬場革マル全学連委員長声明なるものを出している。しかしながら、彼らのいう集会は、5時30分から行なわれたという事実と、川口君が連れて行かれたのが、同日午後2時すぎで、集会場の文学部中庭には、当時いかなる集会も開かれていなかったことに着目すれば、 彼らのスパイ行為なるものは全く根拠のないものだということがわかる。そして、私たちは、私たちの知っている川口君がスパイ行為を行なうような人間ではなかったことを改めて断言する。&lt;br /&gt;
:私たちが参加した、11月13、14日早朝にかけて夜を徹して行なわれた糾弾集会においても「一切の事実は国家権力との力関係で話せない。」と繰り返すのみで革マル派はダンマリ戦法をもって逃げきろうとした。更に私たちの級友が、深夜の寒さ厳しい集会場において命をかけ、あるいは土下座までして「真実を言って川口君の汚名を晴らしてくれ」という誠実な要求に対しても、全く反応を見せず、逆に居直るという革マルの態度を私たちは断乎ゆるすことはできない。そして、私たち早大生は、学内において思想・信条の違う人間をテロ・リンチによって排除、抑圧してきた革マルの姿勢を黙認し続けたのである。それと同時に、事件当日級友から電話で川口君救出の要請 があったにもかかわらず、何らの誠意も示さぬまま放置しておいた当局には私たちと同じ責任があるといえよう。ましてその責任を回避し、当然行なうべき 真相究明を怠り、逆に隠蔽していこうとしている当局の姿勢とは一体何物であるのか。その当局は、11月13、14日にかけての糾弾集会において、革マル派の人間の生命の危険を理由に機動隊を導入した。革マルの人間を救出する過程において2Jの級友にも暴行が加えられたという事実を大学当局はどう釈明するのか。以上の点に基づき、私たちは、今回、級友川口大三郎君がリンチ殺害された事件に対し、今までの私たちの態度そのものを痛苦にとらえ返すとともに、革マル派の思想・信条の違う人間をテロ・リンチによって排除・抑圧するという姿勢、及び大学当局の一貫した責任回避を断乎糾弾するものである。&lt;br /&gt;
:私たちは、川口君の死に心からの哀悼の意を表するとともに、異なる思想・信条の持ち主をテロ・リンチなどの行為によって排除・抑圧することのない学園を築くことが我々に与えられた課題である。川口君の死をムダにすることなく、今この早大学内で盛り上がろうとしている気運をさらに発展させ、 真の自治会運動とは 何かを追求する運動へ。今こそ全学的に転化させることを決意するものである&lt;br /&gt;
:川口君が生前口癖のようにいっていた言葉「オレは早稲田が好きだ。早稲田をどんなことでも自由に話せるような広場にしていきたい。」との言葉を私たち早稲田大学の学生はもう一度、自分の心に問い、新たな力としていかねばならない。（1972・11・17）」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【学生葬に参加して】'''&lt;br /&gt;
:「どうしてヤジを飛ばす必要があるのか？　田中敏夫前一文自治会委員長に対する糾弾と学生葬における糾弾を同じくしてはならない。田中前一文自治会委員長への糾弾を田中君個人のみへの攻撃中傷で終わらせてはならない。彼個人に対する単なるウップン晴らしでは全く意味を持たない。全く不必要だ。新たなる学生自治を築く上での糾弾でなければ無意味である。」（『一文有志の記録』より）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【早稲田大学教員組合が村井総長に全学集会を申し入れる】'''&lt;br /&gt;
:早稲田大学教員組合（773人）は、革マル派のリンチ殺人事件をめぐって、教職員や学生を含めた全学集会の開催を村井総長に文書で申し入れた。&lt;br /&gt;
:申し入れ書では、全学集会の他「これまで学内暴力に対する組合側の抗議に適切な対応を示さなかった神沢惣一郎学生担当理事の責任を明らかにする」「リンチ殺人の犯人を自首させる」「教職員の意見を大学行政に反映させるため、週最低二時間、総長と教職員との面会時間を設ける」などを要求した。&lt;br /&gt;
:また、「大学側が全体集会を行わない場合は、職員組合と協力して学生にも働きかけ、自主全学集会を開くつもりだ」と語った。これに対して大学側は、教職員集会を開くことは約束したが、学生を含めた全学集会は実りがないと、開催の意思がないことを明らかにした。（1972年11月17日付読売新聞夕刊より）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【当局の収束宣言】'''&lt;br /&gt;
:学生葬と時を同じくして臨時学部長会議と理事会を開いた当局は、暴力追放、人身保護のため、「学内での一切の過激な行動には除籍、停学を含む断固たる処置をとるとともに、告訴、告発など法的手段にも訴える」「不法占拠の場所は、閉鎖する」「緊急事態発生の場合の通報網を設ける」など、学内の秩序回復策を決め18日、告示することにした。&lt;br /&gt;
:大学側ではリンチ殺人事件に関連する措置は一応これで終わるとしており、教職員が要求している全学集会などを行う意思はないという。また、学生自治会の再建についても、学生自身の問題だとして大学当局は関知しないとの方針を明らかにした。（1972年11月18日付朝日新聞より）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B44%E6%9C%883%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89%E6%AC%BA%E7%9E%9E%E3%81%AB%E6%BA%80%E3%81%A1%E3%81%9F%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%80%8C%E7%B5%B1%E4%B8%80%E8%A1%8C%E5%8B%95%E3%80%8D%E3%81%AE%E5%91%BC%E3%81%B3%E3%81%8B%E3%81%91%E3%80%82&amp;diff=919</id>
		<title>1973年4月3日（火）欺瞞に満ちた革マルによる「統一行動」の呼びかけ。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B44%E6%9C%883%E6%97%A5%EF%BC%88%E7%81%AB%EF%BC%89%E6%AC%BA%E7%9E%9E%E3%81%AB%E6%BA%80%E3%81%A1%E3%81%9F%E9%9D%A9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%80%8C%E7%B5%B1%E4%B8%80%E8%A1%8C%E5%8B%95%E3%80%8D%E3%81%AE%E5%91%BC%E3%81%B3%E3%81%8B%E3%81%91%E3%80%82&amp;diff=919"/>
				<updated>2022-11-27T01:08:35Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:新入生を迎えた文学部キャンパスではリコールされた革マル派自治会の巻き返しが始まった。「一文自治会常任委員会」のビラが公然と配られ、「統一行動」の呼びかけが繰り返し耳に入るようになった。さも常任委員会と執行委員会の2つの自治会があるように見せかけて新入生を自陣に取り込もうとする企みである。一方で当局は、執行委員会に対して自治会承認のための5原則を提示し、その実現を求めた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:◎教育学部入学式。常任委員会は団交要求を掲げ介入。式は中止となる。&lt;br /&gt;
:●大学院、専攻科の入学式は中止。&lt;br /&gt;
:■革マルによる「統一行動」４原則の呼びかけが始まる→「安易に統一行動を分断することは許されない」という恫喝付きで。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【自治会の主導権】'''&lt;br /&gt;
:朝日新聞は3日の記事で、前日の入学式の中止、高田馬場駅での革マルと中核の衝突は、今後に続く早大の“混迷の季節”を象徴していると書いた。&lt;br /&gt;
:「セクト中心の自治会と思想、行動の自由、自治会運動の理念と大学当局の姿勢…。約5ヵ月にわたる運動の中でも、これらは解決のメドのつかない課題として新学期に持越されてきた。新入生1万556人からどちらがより多くの支持を得るかは革マル派、反革マル自治会双方にとって大きな意味を持ち、また貴重な“戦力”になる可能性を持つ。クラス編成やガイダンスを利用した双方のオルグ活動は活発となり、自治会の主導権をめぐる争いは激化するとみられている。反革マルの学生は自治会無条件承認、総長団交開催を要求して年末試験ボイコットのストライキを続けてきた。政経、教育、一文の三学部は、延期中の学年末試験を4月中に実施する構えだが、これらの学部の反革マル自治会は要求が入れられない限り闘いの姿勢を変えないとしており、ここにも混乱の芽はある。一方、革マル派は相変らず『闘う自治会』を主張し、自派の各学部自治会を死守するという。一部には新入生のなかにかなりの活動家が含まれているとのうわさもある。」（1973年4月3日付朝日新聞夕刊）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【2つの自治会】'''&lt;br /&gt;
:入学式が終わり、新入生の姿が学内に定着するのと時を同じくして、「統一行動」を呼びかける「一文自治会常任委」のビラが出回るようになった。曰く「反戦・反基地の闘い、春闘・国鉄スト支援そして政府自民党の『筑波法案』立法化・早大当局の学生管理強化に反対する早大全学の統一した力の結集を」克ち取るために「全ての闘う部分の統一行動を、全自治会員の手で実現していかなければならない」とある。&lt;br /&gt;
:これは、11月にリコールされた革マルによる一文自治会常任委員会が、新学期の混乱に乗じて勢力を巻き返そうとした策動であった。さらに11.8後に選ばれた新執行部（樋田委員長）に対しても「不当な敵対行為を続けている『自治会執行委員会』を自称する諸君に対しても、自治会問題を踏み絵としない統一行動を呼びかけるものである」としている。すなわち、反戦・反基地の大義のために自治会の主導権争いを中断し、統一組織として行動しようという呼びかけは、員数拡大を目的とした欺瞞に満ちた取込作戦以外の何物でもない。新入生に「自治会常任委員会」と「自治会執行委員会」を混同するよう仕向けることで、4.10に予定されていた学生大会に向けての新執行部の情宣を妨害し、勢力の拡大を抑制することが目的だったと思われる。&lt;br /&gt;
:これに対し新執行部は、川口君虐殺事件に関与した革マルの常任委員会はすでに11.28学生大会においてリコールされていることを再度周知し、革マル派がいかにも2つの自治会があるように印象づけようとしていることは許しがたいと表明した。&lt;br /&gt;
:後日、２Tの有志から「新入生諸君だまされてはいけない！」と題したビラが出された。「新入生諸君、だまされてはいけない。これは君達の前で君達をエジキにせんと目論んだコッケイなしかし悪質な茶番なのだ。4月以前を知っている者には見えすぎるほど見えすいた茶番なのだ。誰でもいい、2年生以上の者にきいてみたまえ。どちらが本当のことを言っているかが判るだろう。（中略）今文学部は革マルオンパレードである。そしてそれには〈4.10統一学大〉と書いてあるだろう。〈統一〉にはわれわれ〈悪質ノンセクト〉も入れてくださるそうだが、われわれにとって殺人集団との〈統一〉など思いもよらぬことである。そもそも4.10学大はわれわれが設定し、会場の181教室もわれわれが借りたものである。（事務所にでも行って聞いてみたまえ。）その学大に対し常任委＝革マルは、4月になってからあたかも自分達が開くかのように〈テロつき統一〉を看板にして統一学大を打ち出してきたのである。（中略）彼らがいくら『相模原』や『横須賀』や『労働支援』などの看板をデッチ上げようと、自らの自治会員を虐殺し、鉄パイプで殴りかかる彼らに、その資格は一片たりともありはしない。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【自治会員証の配布】'''&lt;br /&gt;
:さらに驚くべきことに、この革マル「常任委員会」は、新入生に対し「自治会員証」を配布した。従来は学生大会に出席した折、学生証の表示によって投票用紙とともに配布されるという慣例であったが、それを無視してあたかも「常任委員会」が正統な自治会であるかのように印象づける行為であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【一文当局からの五原則要求】'''&lt;br /&gt;
:“2つの自治会”と呼応するタイミングで4月2日には一文・二文教授会・教員会の名前で「学生自治会のあり方について一応の見解をまとめた」として、以下の五原則が提示された。&lt;br /&gt;
::（1）新執行部が、学生大会決定事項につき、学部投票の方法で、学部自治会員過半数の支持を確認すること。&lt;br /&gt;
::（2）クラス委員（自治会委員）選出のための公正な選挙管理委員会の設置。&lt;br /&gt;
::（3）選挙期間・方式等をあらかじめ明示した上での、クラス委員選挙、及び公開の開票。&lt;br /&gt;
::（4）クラス委員総会において多数の支持をえた執行部の選出。&lt;br /&gt;
::（5）執行部による、全自治会員の総意を常時反映しうるような自治会規約案の提示と、その全自治会員による絶対多数による承認。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:なお、この告示は「新入生諸君へ」となっており、在学生が「暴力排除・学生自治の問題」に積極的に取り組んでいる折から、「新入生諸君の健全な自治会再建への努力を期待してやまない」と結ばれている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:これに対して一文自治会執行委員会（樋田委員長）は「自治会再建『五原則』は誰のためか」と題したビラのなかで、「学生自治の原則は、その構成員である学生自らが、その自主的な自治活動のなかで創り出し確認していくものであって、教授会が学生自治の原則をうんぬんすることをわれわれは断じて許すことができない」と、すでに自治会の原則として知性とモラルを尽くして作り上げた「九原則」（1972年12月12日を参照）を打ち出していると反論した。&lt;br /&gt;
:「われわれの創る自治会は、すべての学生の創意による自治活動を保障し、共同の努力によって新たな価値の創造を図り、学生の利益を守る自治会である」とし「われわれは〈九原則〉のうえにしっかりと立ち、学部当局に対して学生の利益を守るために断固闘うことをすべての自治会員のまえに誓うものである」と宣言した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/15rfzpXM3RRryz0y9qZKYzGNxbC8zLFBG/view?usp=sharing　学友諸君だまされてはいけない！　一文2T有志]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1pdjyKjnmmfONGlIVBFW4S1VCCsO2R4V7/view?usp=sharing　4月10日一文学生大会に向けて　一文自治会執行委（樋田委員長）]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1YyaHbD27sPlYjNnG6uucWSCXZqG3sXjr/view?usp=sharing  自治会再建「五原則」とは何か、誰のためか　一文執行委員会]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B47%E6%9C%882%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%89%E5%AD%A6%E5%A4%A7%E6%83%85%E5%AE%A3%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%83%E3%83%88%E7%9D%80%E7%94%A8%E3%81%A7%E4%B8%80%E6%96%87%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%B9%E3%81%B8%E3%80%82%E6%A9%9F%E5%8B%95%E9%9A%8A%E3%81%AB%E9%98%BB%E6%AD%A2%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%82&amp;diff=918</id>
		<title>1973年7月2日（月）学大情宣のためヘルメット着用で一文キャンパスへ。機動隊に阻止される。</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973%E5%B9%B47%E6%9C%882%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%9C%88%EF%BC%89%E5%AD%A6%E5%A4%A7%E6%83%85%E5%AE%A3%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%83%E3%83%88%E7%9D%80%E7%94%A8%E3%81%A7%E4%B8%80%E6%96%87%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%B9%E3%81%B8%E3%80%82%E6%A9%9F%E5%8B%95%E9%9A%8A%E3%81%AB%E9%98%BB%E6%AD%A2%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%82&amp;diff=918"/>
				<updated>2022-11-11T21:18:03Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:5日予定の一文学生大会情宣のため、二連協とWACの支援を受けて執行部がヘルメットを被って登場したが、機動隊により外濠公園まで連行される。当局は午前11時以降、正門を除くすべての門を閉鎖した。夕方には、明大和泉で会議中の反帝学評を革マル60名がトラックで襲撃する事件も発生した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【一文キャンパスで学生大会情宣】'''&lt;br /&gt;
:この日の模様は、早稲田キャンパス182号に詳しい。&lt;br /&gt;
:「7月2日午前9時頃、一文二年生連絡協議会（二連協）を中心とする一文学生約25名とそれを支援する全学行動委（WAC）約30名が、7月5日の学生大会のための情宣として文学部キャンパスに登場し、スロープ上などにバリケードを築き、黒・オレンジなどのヘルメット、旗ざお、鉄パイプで武装し、学内デモをおこなって気勢をあげた。登校した学生で1年生を中心とした40名余りが中庭での集会に加わり、多くの学生が集会を取り巻く中で一文の2年生が次々にマイクを持ち、武装登場の理解を求め、7月5日の一文学生大会への参加を呼びかけた。この間に一文の部隊は40名程にふくれあがり、中庭での武装デモを繰り返したあと、12時頃隊列を解いて理工学部方面へ引き上げようとした。しかし文学部正門付近に待機していた機動隊が一文の部隊を取り巻いて規制し、外濠公園まで連行した。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:『一文有志の記録』には2日の総括として、次のようなコメントが記されている。&lt;br /&gt;
:「ほぼ達成。文キャンを120～130（人）で制圧できれば、40、50（人）のZでは敵対できない。大衆の渦で埋め尽くすということには限界。Zは全国部隊の時しか展開できない。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【武装登場の意味】'''&lt;br /&gt;
:一文キャンパスに登場しての情宣は実に久しぶりのことだった。キャンパスに入れない執行部とクラス委員は本部の号館に間借りするような形で活動し、刷り上がったビラをクラス単位で取りに行き、授業で配るというゲリラ戦術がもっぱらであった。それすら革マルの妨害を受けることが多く、「クラス討論をしない」という確約を迫られるクラスも多かった。この日の情宣成功も、行動委の支援と武装によってもたらされたもので、楽観は許されなかった。&lt;br /&gt;
:何よりこの登場が武装して行われたことは、一つの分岐点といえよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:この日の武装登場をキャンパス新聞は次のように評価した。&lt;br /&gt;
:「二連協を中心とするクラス活動家が11.8以降初めて公然と旗ざお、鉄パイプで武装し、党派の支援なしに武装情宣を独自で貫徹した点で、小規模ながらも質的には画期的な意味があったと考えられる。」&lt;br /&gt;
:それまでの状況については「5月中旬以降、一文だけで80数名の学生が革マル派の恫喝や暴行の前に学外へ放逐され、文学部キャンパスでの公然とした活動が1ヵ月以上行われなかった。たとえ彼らが少人数で文学部構内へ入っても、革マル派学生の『反自治会活動をした』といった恫喝の前で『今後一切の自治会運動、クラス活動にかかわりません』といった自己批判書を強要されるという状態が続き、『早稲田解放』の闘争の停滞が余儀なくされた」とし、行動委系学生が本部キャンパスに数回武装登場し、革マルの敵対に備えたことがあったものの、「団交実行委や学年協、クラス活動家の一部も、革マル派の武装襲撃の前に非武装での学内登場を避け、自発的に旗ざおなどの武装でもって7月5日の学生大会にのぞんだものとみられる」と、4月までの「強いられた武装」が5.17総長団交前の革マル派の鉄パイプテロを契機に「自覚的な武装」に変わったとしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【武装をめぐる意見】'''&lt;br /&gt;
:一文の執行委員会、団実委、行動委の間では、武装に関する共通の見解がなかった。たとえば、4月2日の入学式においても、執行委員長以下のメンバーは、ヘルメットなしで演壇下に座り込み、行動委のメンバーは他学部の行動委とメット着用で隊列を組み、会場になだれ込んだ。メット着用に端を発し、その後、革マルの個人を狙った鉄パイプテロや外部部隊を加えての妨害活動などが激化するにつれ、運動の場を確保するための手段として、革マルに対峙できる武装が一つの課題となっていった。&lt;br /&gt;
:6月18日付の執行委員会声明では「現在われわれの陣営では『武装』をめぐって、また、5.8～5.17の『団交』に対する総括をめぐって、方針の微妙なくい違いが生じてきています。われわれは、かかる状況を大衆的に克服し確認する場として、学生大会を提起します」とある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:また、匿名の執行委員の個人ビラには、「武装を理屈で説明するとこうだ。～～一切の代行主義を認めない。この一言に尽きる。（中略）革マルの支配下では、自らのゲヴァルトを革マルにゆだねた形で武装解除され、ゆだねた自らのゲヴァルトをチェックできないような代行制度、主義を革マルにしかれていたのである。個体としての己の生を、誰も他人に代行的に生きてもらうことがありえないように、個体としての己の意思、思想、感性の表現を己のこととして貫き、決して疎外させ代行させることなく、自らの言葉を以て語ってゆく、～～これが最低限の原則ではないか。とすれば、己の表現を、物理力を以て奪われている時に、己のゲヴァルト空間を確保し抵抗すること以外にどんな道があろうか。（中略）己のことばを表現を己から疎外させ誰かに代行させてはならない。同じ意味で、己の自衛権をゲヴァルトを己の肉体から疎外させ誰かに代行させてはならない。セクト主義的引き回しを赦さない、という確認点から言っても、種々のセクトやWAC等のゲヴァルト代行は、俺達の運動の自立をさまたげるだけにとどまらず、思想的にも運動の敗北を決定的にするであろう」と武装を定義する言葉が見られる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【武器と防具】'''&lt;br /&gt;
:武器と防具について、価格等を含め具体的に書かれた個人ビラが残っている。なお、「P」とは鉄パイプ、「モッコ」とは土木用の樫棒（編註：本来は土砂などを運ぶ網状の運搬具だが、ここではそれを下げる棒を指して「モッコ」と呼んでいる。実際に集まった棒には鍬や鋤の柄も混じっていた）、「ぼうし」とはヘルメットのことである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●武器&lt;br /&gt;
::ヌンチャク…各自購入のこと。&lt;br /&gt;
::P…45本（うち20本は実戦にはあまり有効ではない）継ぎのPを現在研究中。夏休み中にゼッタイ用意します。※Pは大事な消耗品なので、できるだけ多く用意したい。&lt;br /&gt;
::パチンコ…持ち運び便利。破壊力大。実用性あり。各自作ってほしい。&lt;br /&gt;
::モッコ…秋まで20本位用意したい。破壊力はPよりもあるそうです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●防具&lt;br /&gt;
::ぼうし…30個（うちオートバイ用1個）ヨッパラッタ時は必ず1個は拾ってくること。&lt;br /&gt;
::プロテクター／手甲など…市販のはバカ高いので、作った方が良いと思う。スポーツ用具をもう少しあたってみたい。&lt;br /&gt;
::洋弓用アームガード2200円　エルボーガード360円&lt;br /&gt;
::膝サポーター450円　JRプロテクター1800円&lt;br /&gt;
::レッグガード800円&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●運搬&lt;br /&gt;
::車…車を購入することは現実的には不可能なのでレンタカーを使用。8月中免許を持っている人に練習のため近辺をドライブしてもらう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:●その他&lt;br /&gt;
::バリ封については綿密に計画を立てる。（8月中に計画書を作成し、9月初めに全員で検討したいと思う。）&lt;br /&gt;
::バリ封用ハシゴ スッテプダウン…5ｍ4300円 8ｍ5900円&lt;br /&gt;
::バリ作りペンチ…各自ある人持参&lt;br /&gt;
::大型ペンチ1700円&lt;br /&gt;
::学内P作り金ノコ（夏休み中、もしくは学内に１つ埋めておく。）&lt;br /&gt;
::電動カッター2400円&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1qRN56taeYM1cpiwcguWshDIknTKOLWa1/view?usp=sharing 執行委員会声明]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1B0IniGt5l5bflelJaC7Heg6YGQRZ3bcY/view?usp=share_link 猫に鈴をと　やせ鼠]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1KYIDucIqIw5BQf9L0LeLnTa6FRl68cTQ/view?usp=sharing 武装について　タムラ君の場合は]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

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		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=1973_%E5%B9%B41%E6%9C%887%E6%97%A5%EF%BC%88%E6%97%A5%EF%BC%89%E5%86%AC%E4%BC%91%E3%81%BF%E6%98%8E%E3%81%91%E5%89%8D%E6%97%A5%E3%81%AB%E5%85%A8%E5%AD%A6%E6%8B%A1%E5%A4%A7%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B9%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E3%82%92%E9%96%8B%E5%82%AC&amp;diff=917</id>
		<title>1973 年1月7日（日）冬休み明け前日に全学拡大クラス会議を開催</title>
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				<updated>2022-04-02T01:34:11Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''【概要】'''&lt;br /&gt;
:翌日の学内登場を前に、全学拡大クラス協議会が西部労政会館で開かれ、全学から800人が結集した。1月の闘争スケジュールを確認後、翌日に向けてG大学のU寮に泊まり込んだ。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【この日のできごと】'''&lt;br /&gt;
:正午　全学拡大クラス協議会を西部労政会館にて行い、800名が結集する。1月闘争スケジュールを確認し、翌日の集会に向けてＵ寮に泊り込み。&lt;br /&gt;
	&lt;br /&gt;
'''【冬休み明けの予定について】'''&lt;br /&gt;
:冬休み明けの予定については、休み前に一文臨執によって出された「1.8総決起集会に向けて！」と題されたビラに記載がある。「1月5日～7日までには上京し、各クラス・専修の討論を推し進め、その中で1月8日以降 のクラスの自立した闘いを創り出そう！」「1月7日正午。全学拡大クラス 会議に総結集しよう！（於・西部労政会館）〜1月8日以降の具体的な戦術提起〜1月8日の戦術提起〜街頭カンパ」「1月8日10時までには必ず登校し、全学総決起集会には各クラスのプラカード、旗の下に結集しよう」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【クラス単位の活動】'''&lt;br /&gt;
:同じビラには、11.8を契機に始まったクラスごとの活動として、クラス通信、クラス新聞、自主ゼミナール、行動隊の結成、クラス内の再編成が上げられている。1月8日の冬休み明けを前に都内の喫茶店でクラス討論を開いた一文1T では「クラスの組織化」「行動委の性格付け」等について話し合った。2日後には情宣委員、救対、レポ、選挙、合宿、連絡網等への割り当て人数が話し合われている。 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
'''【リンク】'''&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/file/d/1hg_3qArsCaAAT-4aFS2VBHIgeqASVoph/view?usp=sharing 1・8総決起集会に向けて！　早大一文自治会臨時執行委員会]&lt;br /&gt;
:[https://drive.google.com/open?id=1W55SpEojRhHYj181bDIoQ8_NNeGE2MeC 行動委通信 1.8集会に総結集せよ　全学行動委員会連合準備会情宣部]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E2%97%87%E5%B1%B1%E3%82%88%E3%80%81%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E3%82%88&amp;diff=910</id>
		<title>◇山よ、早稲田よ</title>
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				<updated>2021-11-30T06:40:54Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:★山　その１&lt;br /&gt;
::我、こよなく山を愛し、酒を愛す。東に高い山があると聞けば、ニワトリとともに登り、西に美酒ありと聞けば、三万里と雖も、我行かん。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::「ウブだ、ウブだ」と人に謗られようとも、色は好まず、山の高嶺で、山岳コジキと化す。不亦楽乎。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::　川口大三郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:★山　その2&lt;br /&gt;
::俺たち山ヤにとって、山とはただ単に物質的な地形の変動によってできたものでは断じてない。俺たちにとって、山とは実存そのものであり、実存の反映であり、己れの実存を映す鏡である。俺たちは山を媒体として、自己の実存を見つめている。&lt;br /&gt;
::生きるとはどういうことなのか。人間の一生とは。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:★山　その3&lt;br /&gt;
::遭難の記録を読むといい。&lt;br /&gt;
::事務的なレベルで語れば、遭難の具体例を徹底的に総括することにより、我々が同じ誤ちをくり返さないようにするためである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::だが「遭難」には、人間的に自己に忠実に生きよう、真剣に生きようとしたが故に死んでいったという、人間のソウ烈なドラマがある。&lt;br /&gt;
::　生きるとは何なのか。青春とは実存とは、その答えの象徴的ではあるが、その答えの糸口があるように思える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:★1972年「山行予定表」&lt;br /&gt;
::  1月　新年お祝い山行－天城でお正月。&lt;br /&gt;
::  2月　風変わり、能登の烈風をうけての行軍。&lt;br /&gt;
::  3月　春も近いよ丹沢山行。&lt;br /&gt;
::  4月　春ですよ、春ですよ、奥秩父菩薩山行。&lt;br /&gt;
::  5月　残雪を踏みしめて穂高山行。&lt;br /&gt;
::  6月　雨が降ったら困るよ山行。&lt;br /&gt;
::  7月　テスト&lt;br /&gt;
::  8月　今年こそやるぞ！&lt;br /&gt;
::　　　　燕岳　→　槍ヶ岳&lt;br /&gt;
::　　　　小生初登はん、南アルプス山行。&lt;br /&gt;
:: 10月　紅葉かな、紅葉かな、谷川岳山行。&lt;br /&gt;
:: 11月　まだ紅葉見れるかな丹沢山行。&lt;br /&gt;
:: 12月　初雪が降ったらいいなア大菩薩山行。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
:★机の中にあった原稿より&lt;br /&gt;
::川口大三郎は男でござる。俺は早稲田を愛し、早稲田を慕い、早稲田にあこがれてやってきたのではなかったのか？　バンカラな早稲田の精神にあこがれをいだいたのだ。慶応のボッチャンに対抗して貧乏人の学校、庶民の大学としての早稲田の魅力にひきつけられてやってきたのだ。アア、それなのに現実はどうなのだろうか。早稲田精神を究めようとする者の集りである「早稲田精神昂揚会」の会員においても、ブルジョア的性格をおびてしまっている。やはり貧乏人の俺は所詮「一匹狼」なのだ。孤独を愛する山ヤに戻るべきなのだ。だけど早稲田よ、俺の心の中にはいつも「早稲田」が生きているぞ。俺は早稲田の人間なのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:★ノートの表紙に書かれた言葉&lt;br /&gt;
::早稲田存亡の危機に際し、目醒めよ！　早稲田を愛する学友諸君!!&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::　◎進取の精神&lt;br /&gt;
::　◎学の独立&lt;br /&gt;
::　◎模範国民たるの自負&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::　早稲田の住人　　　川口大三郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:★早稲田大学　山賤友の会&lt;br /&gt;
::　会　　則&lt;br /&gt;
::　　1.万難を排して会費を納めること。（いつもニコニコ現金払い）&lt;br /&gt;
::　　2.自己の全実存をかけ、会活動にあたること。&lt;br /&gt;
::　　3.私有財産は認めない。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E3%80%8C%E6%95%85%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%90%9B%E3%81%AE%E5%BD%93%E6%96%B0%E8%81%9E%E4%BC%9A%E6%B4%BB%E5%8B%95%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%80%8D%EF%BC%88%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E5%AD%A6%E7%94%9F%E6%96%B0%E8%81%9E%E4%BC%9A%EF%BC%89&amp;diff=909</id>
		<title>「故川口君の当新聞会活動について」（早稲田学生新聞会）</title>
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				<updated>2021-11-30T06:35:18Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:1971年4月3日の夕方。うす暗くなりかけた本部キャンパスの大隈銅像のわきで、私は机に「新入会員募集」の看板をたてかけながら、たまに通りすぎる新入生を勧誘していた。例年各クラブ、同好会が新入生獲得のためにする、あの昼のにぎやかさもその時はもうなく、勧誘の“出店”を出していたのは、他に2、3のサークルしかなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:その頃、私はこの新聞会に限りない希望と使命を見い出し、昼夜の別なく熱中して記事書き、取材広告とりをやっていた。1ヶ月20万に近い印刷代を広告でまかなうということは容易なことではない。そればかりではなく、印刷所からゲラ刷りをもらってき、その夜は目を通し訂正して翌朝、再び印刷所まで持ってゆかねば間に合わないのである。このような状態であったから、出来あがった新聞には、目をおおいたくなるような誤字もよくあった。とくに大みだしなどで失敗した時などは、もうその新聞を全部回収して、人目にさらしたくないと思ったりしたものである。なんせ、その頃の睡眠時間は、4、5時間しかなく、それでもやってゆけたのは、希望に使命感に燃えていたからだと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:そんな訳で、夕方になっても、私は一人「新入会員募集」の看板をたてながら、がんばっていた。キャンパスを通る人影も少なくなり、そろそろやめて引きあげようか、と考えていた時である。故川口大三郎君が、ヒョコヒョコと近寄ってきた。そしていろいろと新聞会の様子をたずねる。見れば、長髪で少し不潔な気もしたが、色白で端正（？）な顔つきをし、ときどき私になげかける視線は正視してそらさなかった。（なかなかスルドイ新入生だな…）というのが、正直な感想だった。&lt;br /&gt;
:「当新聞会は早稲田大学建学の理念に基き、新しい学問の創造とその活用をもって理想社会建設に貢献することを目的とする」というのが新聞会の編集方針であったから、私はこの立場から当時の早稲田の現状となすべき改革について彼に幾分説教調でもって話した。彼は黙って聞いていたが、その時男としてどう感じていたかは彼の日記に記されている通りである。いろいろ話をしたが、結局、その場では入会せず、後日、返事するということになった。2、3日後果して彼は入会すべく再び訪れたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:恒例の「新入生歓迎合宿」が5月の連休、伊豆半島の温泉町修善寺の「水月ホテル」でもたれた。大三郎君は、あいにく風邪で寝こんでいたため参加できなかったが、電話では母親のサトさんがその旨を告げ、とても残念がったのを憶えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:その後、彼は大学近くにあった事務所に顔を出すようになる。広告取り、取材に関する基礎指導が一段落ついた頃、おりしも早慶戦の時がきた。彼はぜひ見にゆきたいと言っていたので、まず「観戦記」を取材してもらうことにした。時の編集長、山田君と一緒に彼は「神宮の森」へ出かけた。それが記事となった71年6月5日第9号の彼の観戦記である。人一倍愛校心のあつかったことはその記事を読んでもらえれば理解してもらえると思う。彼はよく、友人まで事務所につれてきたりして、夕食に財務部長の井口君のつくったカレーライスをともに食べ、歌を歌ったりダベリングをしたりして事務所に泊まってゆくこともしばしばであった。この頃は長髪をやめカクガリの古風な顔をし、大変義理がたい男、というのが印象だった。思えば、新入会員のなかで、生活的には一番しっかりした考え方をもっていたと思う。（彼は学費、生活費の大半をアルバイトでかせいでいたと思う。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:その後の彼は「早稲田精神昂揚会」とうちの新聞会とに籍をおき、一方では、アルバイトという学園生活を送っていた。1971年の11月、彼は学費値上げ反対運動、更には革マル反対などをクラスでやったりしていたと思う。事務所にきて、いろいろと文学部の現状に不満をもらし、場合によってはそのことで大学をやめるようになってもいい、とさえ言い切ったのをおぼえている。この頃から、彼は社会問題、部落問題等に関心を持ちデモにもたまに出かけていたようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:最後に会ったのは昨年の夏休み直前である。一文のスロープ傍の中庭で、2時間ぐらい話したのが生きて会った最後となってしまった。彼と意見が一致するということはあまりなかったけれど、「早稲田」という一点ではつねに手をにぎりあえる仲だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::         （早稲田学生新聞記載記事）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

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		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E3%80%8C%E3%83%9C%E3%82%B5%E3%83%9C%E3%82%B5%E3%81%AE%E9%AB%AA%E3%81%AB%E3%80%81G%E3%83%91%E3%83%B3%E3%80%81T%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%84%E3%80%81%E3%82%B2%E3%82%BF%E3%81%AE%E9%9F%B3%E3%82%82%E9%AB%98%E3%81%8F%E3%81%B2%E3%81%B3%E3%81%8B%E3%81%9B%E3%81%AA%E3%81%8C%E3%82%89%E3%80%8D%EF%BC%88%E6%97%A9%E5%A4%A72J%EF%BC%89&amp;diff=908</id>
		<title>「ボサボサの髪に、Gパン、Tシャツ、ゲタの音も高くひびかせながら」（早大2J）</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E3%80%8C%E3%83%9C%E3%82%B5%E3%83%9C%E3%82%B5%E3%81%AE%E9%AB%AA%E3%81%AB%E3%80%81G%E3%83%91%E3%83%B3%E3%80%81T%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%84%E3%80%81%E3%82%B2%E3%82%BF%E3%81%AE%E9%9F%B3%E3%82%82%E9%AB%98%E3%81%8F%E3%81%B2%E3%81%B3%E3%81%8B%E3%81%9B%E3%81%AA%E3%81%8C%E3%82%89%E3%80%8D%EF%BC%88%E6%97%A9%E5%A4%A72J%EF%BC%89&amp;diff=908"/>
				<updated>2021-11-30T06:33:04Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:満面に屈たくのない笑みを浮かべて、ひときわ明るく振るまっていた川口大三郎……彼の顔が私の脳裏をかすめ、そして、去っていき、うすぼんやりとした輪郭が目の前に現われたかと思うと、又、次第に遠ざかっていく。そして、一年半有余の短い期間に起こったような出来事－－彼とともに飲み、遊び、語った経験が－－、断片的に思い起こされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:私が、彼の存在を認識したのは、最初のクラス・コンパの時だった。コンパの酒に物足りなさを感じた私は、数人連れ添って新宿へ行き、肩を組みあい、歌とは言い難き蛮声をあげながら、一軒の飲み屋で二次会を催した。私が腰を落ちつけ、安酒を飲んでいると、私の目の前で、色白の滅法威勢のいい男が大声でわめき散らしながら、酒をあおっている。「飲みっぷりがいいなあ。もう一パイ」と煽ると、ますます勢いづいて飲みだし、「お前もまあ一パイ」と返盃する。そんな調子であるから全く泥酔し、ヘドを吐き、友人宅で前後不覚に眠りこんでしまった。この痛快な男こそ、川口大三郎君である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:酒を媒体とし、知己となり得た彼と私は、その後も度々酒席をともにした。私は、無類の酒好きで、宵闇せまれば、酒が恋しくなるのだが、彼も私と大同小異であり、ヒマと金さえあれば飲み歩いたような気もする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:彼のけれん味のない飲みっぷりと、豊富な話題は酒席を和ませ、酒をおいしくさせたし、お互いに腹を割って話し合い、時には罵倒し合うことによって絆を太くしていったように思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:人間を、その活動性で大別すると、動的人間と静的人間に分けられると思うが、彼は間違いなく動的人間であろう。片時もじっとしていられないらしく、四六時中サッカーボールをけっていた。というよりも、ボールと戯れていた。技術的には全くお粗末で不格好なのだが、明るい陽ざしをうけて、汗をたらたら流しながらボールを追い、ボールと戯れる彼の姿は、スポーツマンのもつすがすがしさを感じさせ、何ともいえない爽快さがあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:明朗快活な好青年という印象をうける彼だが、彼の明るさの中には、少しもうわついたものを持ち含んでいなかった。奨学金と日曜、休暇中のアルバイトで生活費、学費を捻出していた彼に、そんな甘さが入り込むスキはなかった。逆境を克服するたくましい精神力……明るさとともに強さを持った男なのだが、そういう人間にありがちな独善性を見せない謙虚さと包容力を兼ねそなえた不思議な？男であった。こう書き立てると、彼が完全無欠な人間のように思われるかも知れない。しかし、人間の長所は、裏を返せば短所になる場合が多く、完全無欠な人間など存在するはずはないのである。が、彼の死後、親しい友人と生前の彼について、あれこれ回想し合う中で、「はたして川口の欠点は、何だろう」と問いかけると、一様に首をかしげ、結局は「見あたらない」という結論に達してしまう。私たちの彼に対する理解・認識が充分でなく、皮層的な面しか捉えていないのかも知れないが……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:だれにでも笑顔で接し、自然を愛し、山を愛した彼が、何よりも憎み、怒ったのが人間差別である。差別、とりわけ部落差別問題には深い関心を示し、懸命に学習し、活動した。クラスにおいてもクラス討論を呼びかけたり、資料を提供したりして、積極的にとり組んでいた。一度くいついたら離さない粘っこさと、自分の信念を曲げない意志強さ、そして人間差別を許せない純粋さが彼の言動の中に脈打っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:しかし、一面彼は、無類のお祭り騒ぎ好きであった。私とともにクラス「コンパ委員」を自認しており、クラス・コンパの幹事をやり、最初から最後まで騒ぎっ放し、うたいっ放しという有様である。又、早慶戦にも仲間と度々応援に行き、新宿で大いに飲み、大いに騒いだものである。思えば、彼と最後に酒をくみ交わしたのが、昨秋（47年）の早慶戦第3戦の時である。優勝という大魚を逃した口惜しさを吐き出すように、「カジシャー（鍛冶舎＝早大の主力打者）」と大声で怒鳴りながら新宿の街を歩いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:又、たいへん冒険好きな面があり、「シルクロードをジープで走破するぞ」とか、「アマゾンの奥地を探検したい」などといっては、我々をびっくりさせた。冒険の話をするとき、彼の目に口に体に、青春のエネルギーの無限の噴出を希求する鬱勃たるパトスがあふれ出るのが、ひしひしと感じられた。彼の行動力と計画性をもってすれば、実現不可能な夢では決してなかったと思うだけに……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:川口大三郎君、ボサボサの髪に、Gパン、Tシャツ、ゲタの音も高くひびかせながら私の前に現われ、そして去っていった君。自ら「早稲田の住人」と称し、早稲田をこよなく愛するが故に、否定的現状を憂い、嘆いていた君。自己を鋭く見つめながらも精いっぱいのびのび生きていた君。君の肉体はズタズタにされ、君の生命は齢20にして断ち切られ、君の未知なる無限の可能性は無と化したけれども、君の残した無形の精神的遺産は、私たちが永久に継承し、維持し、発展させていくであろう。生前、私たちに語りかけた君の思想が、君の声が、いま私たちの中にこだまする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:川口大三郎よ、すばらしき朋友よ、安らかに眠り給え。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::     （「声なき絶叫」掲載）&lt;br /&gt;
::     （早稲田一文２J）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

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		<title>「早稲田をこよなく愛し、自ら“早稲田の住人”と称した彼」（早大2J）</title>
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				<updated>2021-11-30T06:32:13Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:早稲田から星が消えた。比類なき強さと底抜けな明るさを持った星が…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:早稲田から星が消えた。無限の可能性と生命力を秘めた星が…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:長い様で短い1年半－－人間・川口大三郎を語るには、余りにも短い歳月である。しかしその短い間にも、彼は私に多くのことを語りかけ、そしてぶつけあった。そうした接触によって浮き彫りにされた彼の人間像を、多くの人に知らせ理解せしめるのが私の責務であろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:私が彼に最初に出逢ったのは、入学後、初めてのクラス・コンパの時である。コンパの酒だけでは飽き足らず、お互い名前も知らない7～8人が肩を組んで「都の西北」を歌ったり、大声でわめき散らしたりしながら早稲田から新宿へ繰り出し、一軒の飲み屋に入って大いに飲み、大いに歌ったのだが、その中に大層飲みっぷりがよくて威勢のいい奴がいた。それが川口君である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:酒が縁で知り合った彼と私は、お互い酒好きのせいか、その後も暇と金さえあれば酒を飲んでいた。私はいろんな人間と酒をくみ交わしてきたが彼と飲む酒は格別「うまい酒」であった様に感じる。笑顔と話題の絶えない彼が、飲むと口癖の様に、「シルク・ロードを車で突っ走るんだ」とか、「アマゾンの奥地を探検するんだ」と、目を輝かせて言っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:当時、私達は5～6人で、グループを形成していた。クラス・メートは私たちを称して「極道グループ」と呼んだが、この「極道グループ」は全員サッカーが好きで、来る日も来る日もボールを蹴っていた。ところが川口君は一向に上手にならず、彼の蹴ったボールはどこに飛ぶかわからない有様で、ボールを蹴るというより、ボールと戯れているという感じであった。それでも彼は毎日ボールを追っかけていた。湧き上がるエネルギーをスポーツで発散するかの如く…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:スポーツといえば彼は登山が好きで、休暇ともなると高校の後輩と一緒に山に登っていた。自然を愛し、山をこよなく愛した優しい心根の持主であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:また、お祭り騒ぎが好きな性分らしく早慶戦には毎シーズン顔を出していた。神宮で騒いで新宿で飲んで大騒ぎする－－一連のこのムードが気に入っていたようだ。私が彼と最後に飲んだのは昨秋の早慶戦で、8シーズンぶりの優勝を逃がした為かヤケ酒をあおり「カジシャー（編注：鍛冶舎。早大野球部で一番人気のあった選手）」と叫んで狂乱した。それがまさか彼との最後の酒になろうとは…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:早稲田をこよなく愛し、自ら「早稲田の住人」と称した彼は、早稲田を愛するが故に学費の大幅値上げに反対し、学費値上げによって、当然引き起こされる大学の庶民性の喪失、ブルジョア化を大いに憂い、そして何よりも元来均等であるべき教育が貧富の差によって不均等になる事に大いなる怒りを感じていた様だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:彼は入学当時から全ての差別に対して憎悪を感じていた様だが、それが部落差別問題に顕現化して部落解放運動について学習し、クラスで討論を呼びかけながら闘っていた。純粋に差別に憤りを感じ、より深く学習しながら真剣に差別問題に取り組んでいった彼は、党利党略の渦中に陥り、その生命を断たれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Tシャツ、Gパン姿で顔一杯に笑みを浮べながら下駄の音も高くさっ爽と歩く川口君、そして顔に数カ所の傷を受けながら唇をキュッと結んで男々しく眠っていた川口君。私の頭には二つの川口君像が去来する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:余りにも両極端すぎる「生き様」と「死に様」……私達はこの二つの川口君を忘れ去ってはならないだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::      （伊東高校山岳部OB会発行「川口大三郎遺稿集」掲載）&lt;/div&gt;</summary>
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		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E3%80%8C%E6%82%94%E3%81%97%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%82%E3%80%82%E3%81%82%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%84%E5%A5%B4%E3%81%8C%E6%AD%BB%E3%81%AC%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%A6%E3%80%82%E3%81%BE%E3%81%A0%E4%BF%BA%E3%81%AB%E3%81%AF%E4%BF%A1%E3%81%98%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%8D%EF%BC%88%E4%BC%8A%E6%9D%B1%E9%AB%98%E6%A0%A1%E5%B1%B1%E5%B2%B3%E9%83%A8OB%EF%BC%89&amp;diff=906</id>
		<title>「悔しいなあ。あんないい奴が死ぬなんて。まだ俺には信じられない」（伊東高校山岳部OB）</title>
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				<updated>2021-11-30T06:31:53Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:俺にとってそれは突然でした。そう、あまりにも突然やって来たのです。こんな道理にあわないことが起きるなんて、神や仏は何をしていたのだ！　悔しい！　そんな事をした奴を捕えてぶっ殺してやりたい。何が革マル派だ。何が中核派だ。そんなもの無くなってしまえ!!　みんなおもしろ半分じゃないか。まるで子供の戦争ごっこじゃないか。お前等なんか人間のくずだ。人の命を絶つ権利なんかお前等みたいな腐った奴にある訳がない。そのくせ自分の命を惜しがるくせに。馬鹿野郎!!　何が！　この社会を変えるだと。フン、てめえの頭のハエも追えねえくせに何言ってやがる。お前等はくずだ。人間じゃない。人間の皮をかぶった悪魔だ。犬畜生にも劣る野郎だ。お前等なんて死んじまえ。畜生、悔しいなあ。あんないい奴が死ぬなんて。まだ俺には信じられない。こんな事があってもいいんだろうか。今にも奴がのれんをくぐって「こんにちは、山口さん」なんて言って来てくれるような気がする。俺も「よお！元気か。まあ食えよ」なんて言って高校時代のことを話し合うだろうな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:あんな時は、へまばっかりしてお互いに頑張ったものだな。そう、俺はお前が山岳部に入ってきた時、こいつなかなか足が速そうだな。1年なんかに負けてたまるか。なんて気を張って潮吹きまでよく競争したものだ。校内マラソンではお前に負けてしまったが、クラブでは俺を立てたのか知らないが半々だったな。あの時は苦しかったが、今考えると楽しかったなあ。そうそう、龍瓜山へ行った時のことを覚えているか？　あの時はほんとうに疲れたよ。なにせ、俺は上級生だから頑張らなくちゃと思ってはいるものの、ついみんなが「疲れたから少し休みましょう」というと「そうするか」なんて言っちゃってついつい休んだっけな。だから優勝できなかったのかもしれないな。最後の方は、もう水をガブガブ飲んでふてくされて帰って来たな。学校に着いたのはビリの方だったな。でもほんとうにあの時は疲れたよ。二度目だというのに。しかし考えてみれば俺達はできるだけやったよな。最後まで歩ったことだけが救いかな？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:それから剣岳に行った時のことも思い出すなあ。雷鳥沢を登った時、2人とも足を痛めて、2人でみんなが迎えに来るのを愚痴ばかり言いあって待ったな。俺はすぐ治ったけどお前はなかなか治らなくて、とうとう立山には行かなかったな。残念だったろう。でも立山はつまらなかった。やはり剣岳の方がすばらしかった。あの何ていうか男らしい雄々とした山肌。人を寄せつけない谷底。切り立った頂上。俺は、あの山にとりつかれてしまったくらいだ。日本にもこんな険しい山があったのかと驚いた。お前もここまで来て剣岳に登らなかったら何のために毎日毎日トレーニングをし、計画を立てたのかわからなかったよな。お前も登っている時は嬉しそうだったな。お前の元気な顔を見て、みんなもやっとあのじめじめした雰囲気が抜けてたのしかったっけな。でも、この時からお前は足が弱くなったな。スキーに行った時も穴にスキーを突っ込み足首を痛め、とうとうスキーもできなくなり、留守番ばかりだったな。お前は不運な奴だ。みんなに心配かけまいと、痛いのをよく我慢していたっけ。俺はあまりお前の愚痴は聞いたことはないけど、さぞや辛かっただろう。足が2倍にもふくれちゃって、帰る時なんか苦労したな。杉本さんがおんぶしてバス停まで何倍もの時間をかけて歩いたな。それから……俺も馬鹿だな。みんな思い出すのはお前が辛かったことばかりだ。お前の笑った顔を思い出そうとしても、俺には何故か思い出すことができない。どの写真を見ても。なんてことだ。こんな不公平なことがあってもいいのだろうか。あん畜生等がのうのうと生きていると思うとハラワタが煮えくり返ってじっとしておれなくなる。馬鹿野郎!!　何故、何故お前だけがこんなめにあわなければならないんだよお！　さぞかし辛かったろう。くやしかったろう。俺はお前をこんなめにあわせた奴等を憎む。一生、憎み続け奴等を地獄にたたき落としてやる。誰でもいい。汚い言葉、ののしる言葉、あざける言葉を教えてほしい。そして一つ一つ大きな声で奴等にぶちまけてやりたい。そんなことでもしなければこの気持がおさまらないじゃないか。そりゃあ、わかっているさ。こんなことをしても彼は生き返りゃしない。もう遠い人だということは。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:お前は天国にいるよな？　赤や青や黄色い花が咲き、そこを白い雲に乗りながら俺達を見守ってくれているだろう。俺は頑張る。お前の死が、人間一人の死で終わらないように。お前は俺の心の中で生きている。いや、友達みんなの心の中に生き続けるだろう。俺は忘れないぞ!!　お前との苦しかった2年間、楽しかった2年間。それは俺の一生の一部にしても、たとえどんなに時が過ぎても、どんなに心が変っても、お前と俺とは山友達じゃないか。冬の山のようにいつまでも純粋でありたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:最後に一つ、君の安らかな眠りに。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:今は、君が安らかに眠ることを祈るだけである。君が死すとも、君は俺達の一人一人の心の中で永遠に生き続けるであろう。君の青春は束の間であった。これからという時に、君のその青春は俺達と共にすぎ去って行くであろう。君と俺とはいつも一緒だ。この写真と共に、さあ、もう一度、もう一度山へ行こう。汗を流し歯を食いしばって登ったあの山道を歩こう。ほら、頂上にはうぐいすや石楠花が君の来るのを待っている。はるか遠く、伊豆七島を眺めながら大きなムスビを食べよう。赤々に燃えあがるキャンプファイヤーを囲みながら、みんなで歌おう。大声出して。そして流れ星を数えながら、暖かいテントに寝よう。後は楽しい夢を見て。また明日も登ろう……。11月にはまた会おう。君が眠る海の見える丘で。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:友よ、安らかに眠れ。いつまでも、いつまでも。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::      （伊東高校山岳部OB会発行「川口大三郎遺稿集」掲載）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

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		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E3%80%8C%E5%A4%A7%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%A4%E3%82%82%E6%98%8E%E3%82%8B%E3%81%84%E5%85%83%E6%B0%97%E3%81%AA%E3%80%81%E4%BA%BA%E6%A7%98%E3%81%AB%E5%A5%BD%E3%81%8B%E3%82%8C%E3%82%8B%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%8D%EF%BC%88%E6%AF%8D%EF%BC%89&amp;diff=905</id>
		<title>「大ちゃんはいつも明るい元気な、人様に好かれる人間だった」（母）</title>
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				<updated>2021-11-30T06:29:05Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: ページの作成:「:昭和47年11月8日。私にとって終生忘れる事のできない日となりました。人の世の母としてあまりにも残酷な悲しい日でした。...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:昭和47年11月8日。私にとって終生忘れる事のできない日となりました。人の世の母としてあまりにも残酷な悲しい日でした。嘆き、悲しみ、そして怒り。此の気持は何と表現して良いのか、とうてい人様にはわかってもらえない当事者だけのものなのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「お母さん、友達を天城に案内するからね。11日にたのむヨ。いい」と、元気な声で6日に電話がかかってきました。それが大ちゃんと話した最後になりました。あんな元気な子が殺されるなんて。しかも、学校の中で白昼に…。私は今でもなんだか信じられないのです。冬休みになれば、いつものショルダーバッグを肩にジーパンでニコニコしながら帰ってくるような気がしてならないのです。&lt;br /&gt;
:ですから、学生葬の時も革マルの前委員長の田中君が私の前に立ち頭を下げた時も、不思議と怒りはわきませんでした。それより、この大隈講堂をうめつくした学生の中に捜せば、きっと大ちゃんがいる。どこかにきっと生きているんだと愚かな気持で一杯でした。&lt;br /&gt;
:チルチル・ミチルは永遠に青い鳥を求めて元気に旅を続けているでしょう。しかし、私には大ちゃんという青い鳥は、二度とつかまえる事のできない遠い遠い所へ飛んでいってしまったのです。母のあたたかいふところから…。&lt;br /&gt;
:想い出を書く様にとの事でしたが、さて想い出となるとあまりに多すぎて、ノアの洪水のように私を押し流してしまいます。誕生から20年間。母と子にはあんな事こんな事何一つ想い出とならないものはないのです。ですが、結果的には、何一つ書く事はできませんでした。&lt;br /&gt;
:しかし、私が胸を張って皆さんに言える事は「大ちゃんはいつも明るい元気な、人様に好かれる人間だった」ということです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::（伊東高校山岳部OB会発行「川口大三郎遺稿集」掲載）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E6%96%87%E5%AD%97%E3%81%8C%E8%A8%98%E6%86%B6%E3%81%99%E3%82%8B%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%A4%A7%E4%B8%89%E9%83%8E&amp;diff=904</id>
		<title>文字が記憶する川口大三郎</title>
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				<updated>2021-11-30T06:28:48Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
[[はじめに]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
●川口大三郎の思い●&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
[[◇山よ、早稲田よ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[◇日記（1971年4月）]]&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
[[◇活動]]&lt;br /&gt;
::早慶戦観戦記&lt;br /&gt;
::早稲田原理研の修練会に参加して&lt;br /&gt;
::地方文化研究部発起&lt;br /&gt;
::コンパのお知らせ&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
[[◇年譜]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
●川口大三郎を語る●&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「大ちゃんはいつも明るい元気な、人様に好かれる人間だった」（母）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「胸を張って『大三郎は真の男だった』と言える」（母）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「息子を惨殺した犯人へ憎しみをこめて綴る…」（母）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「大ちゃんの遺志どおりに、一日もはやく暴力のない大学になってほしい」（姉）]]&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「悔しいなあ。あんないい奴が死ぬなんて。まだ俺には信じられない」（伊東高校山岳部OB）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「早稲田をこよなく愛し、自ら“早稲田の住人”と称した彼」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「あんなに明るくて、タフでサッパリした川口を殺したやつは許せない」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「ボサボサの髪に、Gパン、Tシャツ、ゲタの音も高くひびかせながら」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「あいつは素直に物を考え、自分の足でたしかめて物を言うやつだ」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「川口君のくやしさ、苦痛を私たち自身のものとして」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「2Jの級友達の怒りの激しさが、彼の信望を語っていよう」（早大一文中国語担当）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「彼独自の早稲田魂は永遠に都の西北早稲田の杜に生き続ける」（早稲田精神昂揚会）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「故川口君の当新聞会活動について」（早稲田学生新聞会）]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=MediaWiki:Sidebar&amp;diff=899</id>
		<title>MediaWiki:Sidebar</title>
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				<updated>2021-11-30T00:00:45Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;* navigation&lt;br /&gt;
** mainpage|mainpage-description&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
** 川口大三郎リンチ殺害事件の全貌|川口大三郎リンチ殺害事件の全貌&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
** 文字が記憶する川口大三郎|文字が記憶する川口大三郎&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* ■時系列ページ&lt;br /&gt;
** 1972年11月8日以前|1972年11月8日以前&lt;br /&gt;
** 1972年11月|1972年11月&lt;br /&gt;
** 1972年12月|1972年12月&lt;br /&gt;
** 1973年1月|1973年1月&lt;br /&gt;
** 1973年2月|1973年2月&lt;br /&gt;
** 1973年3月|1973年3月&lt;br /&gt;
** 1973年4月|1973年4月&lt;br /&gt;
** 1973年5月|1973年5月&lt;br /&gt;
** 1973年6月|1973年6月&lt;br /&gt;
** 1973年7月|1973年7月&lt;br /&gt;
** 1973年9月|1973年9月&lt;br /&gt;
** 1973年10月|1973年10月&lt;br /&gt;
** 1973年11月|1973年11月&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
** 仲間たちの思い|仲間たちの思い&lt;br /&gt;
** 寄せられた記憶と記録、感想|寄せられた記憶と記録、感想&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
* ■概要&lt;br /&gt;
** http://www.19721108.net/|サイトTOPへもどる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
** 19721108:19721108について|19721108について&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
* ■ナビゲーション&lt;br /&gt;
** recentchanges-url|recentchanges&lt;br /&gt;
** new heading&lt;br /&gt;
** randompage-url|randompage&lt;br /&gt;
** helppage|help&lt;br /&gt;
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		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

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		<title>「故川口君の当新聞会活動について」（早稲田学生新聞会）</title>
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				<updated>2021-11-29T22:07:45Z</updated>
		
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&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:1971年4月3日の夕方。うす暗くなりかけた本部キャンパスの大隈銅像のわきで、私は机に「新入会員募集」の看板をたてかけながら、たまに通りすぎる新入生を勧誘していた。例年各クラブ、同好会が新入生獲得のためにする、あの昼のにぎやかさもその時はもうなく、勧誘の“出店”を出していたのは、他に2、3のサークルしかなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:その頃、私はこの新聞会に限りない希望と使命を見い出し、昼夜の別なく熱中して記事書き、取材広告とりをやっていた。1ヶ月20万に近い印刷代を広告でまかなうということは容易なことではない。そればかりではなく、印刷所からゲラ刷りをもらってき、その夜は目を通し訂正して翌朝、再び印刷所まで持ってゆかねば間に合わないのである。このような状態であったから、出来あがった新聞には、目をおおいたくなるような誤字もよくあった。とくに大みだしなどで失敗した時などは、もうその新聞を全部回収して、人目にさらしたくないと思ったりしたものである。なんせ、その頃の睡眠時間は、4、5時間しかなく、それでもやってゆけたのは、希望に使命感に燃えていたからだと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:そんな訳で、夕方になっても、私は一人「新入会員募集」の看板をたてながら、がんばっていた。キャンパスを通る人影も少なくなり、そろそろやめて引きあげようか、と考えていた時である。故川口大三郎君が、ヒョコヒョコと近寄ってきた。そしていろいろと新聞会の様子をたずねる。見れば、長髪で少し不潔な気もしたが、色白で端正（？）な顔つきをし、ときどき私になげかける視線は正視してそらさなかった。（なかなかスルドイ新入生だな…）というのが、正直な感想だった。&lt;br /&gt;
「当新聞会は早稲田大学建学の理念に基き、新しい学問の創造とその活用をもって理想社会建設に貢献することを目的とする」というのが新聞会の編集方針であったから、私はこの立場から当時の早稲田の現状となすべき改革について彼に幾分説教調でもって話した。彼は黙って聞いていたが、その時男としてどう感じていたかは彼の日記に記されている通りである。いろいろ話をしたが、結局、その場では入会せず、後日、返事するということになった。2、3日後果して彼は入会すべく再び訪れたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:恒例の「新入生歓迎合宿」が5月の連休、伊豆半島の温泉町修善寺の「水月ホテル」でもたれた。大三郎君は、あいにく風邪で寝こんでいたため参加できなかったが、電話では母親のサトさんがその旨を告げ、とても残念がったのを憶えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:その後、彼は大学近くにあった事務所に顔を出すようになる。広告取り、取材に関する基礎指導が一段落ついた頃、おりしも早慶戦の時がきた。彼はぜひ見にゆきたいと言っていたので、まず「観戦記」を取材してもらうことにした。時の編集長、山田君と一緒に彼は「神宮の森」へ出かけた。それが記事となった71年6月5日第9号の彼の観戦記である。人一倍愛校心のあつかったことはその記事を読んでもらえれば理解してもらえると思う。彼はよく、友人まで事務所につれてきたりして、夕食に財務部長の井口君のつくったカレーライスをともに食べ、歌を歌ったりダベリングをしたりして事務所に泊まってゆくこともしばしばであった。この頃は長髪をやめカクガリの古風な顔をし、大変義理がたい男、というのが印象だった。思えば、新入会員のなかで、生活的には一番しっかりした考え方をもっていたと思う。（彼は学費、生活費の大半をアルバイトでかせいでいたと思う。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:その後の彼は「早稲田精神昂揚会」とうちの新聞会とに籍をおき、一方では、アルバイトという学園生活を送っていた。1971年の11月、彼は学費値上げ反対運動、更には革マル反対などをクラスでやったりしていたと思う。事務所にきて、いろいろと文学部の現状に不満をもらし、場合によってはそのことで大学をやめるようになってもいい、とさえ言い切ったのをおぼえている。この頃から、彼は社会問題、部落問題等に関心を持ちデモにもたまに出かけていたようである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:最後に会ったのは昨年の夏休み直前である。一文のスロープ傍の中庭で、2時間ぐらい話したのが生きて会った最後となってしまった。彼と意見が一致するということはあまりなかったけれど、「早稲田」という一点ではつねに手をにぎりあえる仲だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::         （早稲田学生新聞記載記事）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

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		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E3%80%8C%E5%BD%BC%E7%8B%AC%E8%87%AA%E3%81%AE%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E9%AD%82%E3%81%AF%E6%B0%B8%E9%81%A0%E3%81%AB%E9%83%BD%E3%81%AE%E8%A5%BF%E5%8C%97%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E3%81%AE%E6%9D%9C%E3%81%AB%E7%94%9F%E3%81%8D%E7%B6%9A%E3%81%91%E3%82%8B%E3%80%8D%EF%BC%88%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E6%98%82%E6%8F%9A%E4%BC%9A%EF%BC%89&amp;diff=897</id>
		<title>「彼独自の早稲田魂は永遠に都の西北早稲田の杜に生き続ける」（早稲田精神昂揚会）</title>
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				<updated>2021-11-29T22:05:57Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: ページの作成:「:初めに、川口君の御不幸に対して慎んで哀悼の意を表すと共に御冥福を御祈り致します。  :川口君との最初の出合いは2年前の...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:初めに、川口君の御不幸に対して慎んで哀悼の意を表すと共に御冥福を御祈り致します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:川口君との最初の出合いは2年前の9月末頃だったと思います。彼が「早稲田精神昂揚会」に入会したいと言って、私に面会を求めて来た時でした。私の説明は、「この会は入る者拒まず、去る者追わずといった自然な雰囲気だから、思想的に特に偏向がない限り、何処までもリベラルに活動できる」と、以上のようなことと会の設立趣意などを話し、理解してもらったように記憶しています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:今もその日の事を思い出しながら脳裏を去来するのは、凜乎とした容貌に笑いを混じえながら熱心に話を聞いている様子です。「人生劇場」におそらく魅せられたのでしょうか、その日の彼は下駄履に学生服というバンカラな恰好でした。衿のホックをはめ忘れたらしく、はずしたままでしたが、一年生だった当時の彼の勇躍逸んだ衒気というか元気が彷彿してきます。才気煥発の片鱗を覗かせながら、素直に色々な意見を吐いていました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:私が彼に「君は将来、何を志望しているか」と訊くと、即座に「新聞記者になりたい。そして、後に政界で活躍するつもりだ」と自信に満ちた声が返ってきました。彼の政治に対する熱意は、かなり具体性を伴うものであることは後で分ったことでしたが、その時は、今時、それも入学したばかりの1年生がよくもはっきりと此様なことが言えると喫驚すると同時に、頼もしさを感じたものでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:入学後の彼は新入生ながら夏休み明けに入って来た、言わば新参者だったのですが、同じ1年生の中でも、早く入会していた者よりも一際目立った存在でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:この会では、週1回例会といって会名通り早稲田精神について、大学の建学の趣旨に深い影響を及ぼした大隈重信候や、小野梓先生等の文献を参考にして討論することを主な目的とした場が設けてあります。&lt;br /&gt;
:川口君も、アルバイトやその他の事情で多忙だったにもかかわらず、必ずといっていい程、出席していました。例会に於ける彼の活動というものは、まさに悍馬であり、討論する場合にもよく詳細にメモした手帳を取り出しては、具体例を引き歯に衣をきせぬ舌鋒を以って我々を度々圧倒したこともありました。彼の存在は例会を自然に盛り上がらせる効果をもち、時として喧々ごうごうの大激論へと発展したこともありました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:討論の中でも、是々非々を弁えた彼の謙虚な姿勢も充分窺りきるものでしたが、現状の中に絶えず問題を抱えていた彼には、いつまでたってもなかなか結論を導き出すことのできない、座して論ずることへの不満と焦燥が相錯綜して止まず、会にとどまることは苦痛で、しかも潔としなかったに違いなかったのだと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:奔馬は我々の手綱を断切り、ついに袂を分かたねばならぬ時がやってきたのでした。その日は、大学授業料値上げが当局によって示されたことに対する彼の生来の正義感が湧き出た時でした。私はそれ以来彼の顔を二度と見ることはなかったのであります。&lt;br /&gt;
:我々の会に集う者は、皆個性豊かな人間味溢れる人間であると自負していますが、川口君もその一人でした。我々の母校早稲田大学は、自由と独立の為に権威に屈することなく果敢に闘ってきた建学以来の生々しき歴史を有しています。そこの中で培われたものが後に在野の精神、反骨の精神と呼ばれる早稲田魂というものです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:併し、残念ながら現在の学生には建学の精神とか大学の歴史などに親しむ者も少なく、認識していないからそれでは困るということで、由緒あり歴史ある大学で学べることを真に喜びとして受けとめ、そして良き校風を継承すべきであるとし、又社会に出てもその中で学び取ったものをより良く活かしていこうといって設立されたのが私達の会なのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:併し、そうしたこととは裏腹に、現実の早稲田大学は、今更云わずもがなでありますが、一大汚点を90年の歴史の中に残してしまいました。大学の衰退は今始まったことではないのですが、稲風をなんとか刷新せんとする中でもとりわけ先頭に立って戦闘的に実行した川口君が、一時期とはいえ私達の会に在籍していたということは真に悲劇と云わざるを得ず、我々の努力の及ばざるを恥じ、厳粛に猛省して更に運動を強力に推進していくことを誓いたいと思います。&lt;br /&gt;
:また、90年の歴史に汚点を残したと云いましたが、それ以上に我々が今再考しなければならないことは、信頼をきずなとする人間社会の中でお互いがお互いの人格を尊重し合い、且又、生命の何物にも増して重きものであるということであります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:それらは遍く大宇宙の真理であることを、それぞれの人が一個人の人間としてその持つ良識として再確認する必要があると思います。そして二度と同じ悲劇を同じ人間の手で繰り返さない為には、一人一人が現実の生活の中で己の身を以ってそれらのことを示していく努力が必要なことを痛感します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:昨今の風潮として一番気がかりなのは、やたらと他人に対してレッテルを貼ることで、他人の立場は勿論、己のそれまで狭めていることです。一面、川口君をあの様な不幸に追い込んだのも、このような事が誘因したのではないかと考えます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:激論を闘わせた後は爽快なもので、何杯も盃を重ね斗酒猶辞さず、宵の更けるのも忘れて大いに語らい、大いに歌い、酩酊して下宿に帰る途中道路に寝たこともありました。早稲田祭での呼物、壮士劇で名演技をした川口君はなかなか好評でした。また、100キロハイクでは鉢巻にハッピを着て、先頭でゴールへ着いた奮闘ぶり。また、或る日は大隈老候、小野梓先生の墓参に行き、帰りには上野を散策した愉快な想い出など、いろいろなことが走馬燈のように次から次へと浮かび上がってきます。彼と一緒に撮った写真も手元に残っていますが、今となっては去る日の感懐も筆舌には尽くしきれません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:私は、川口君亡き今、できることといえば彼の志がはからずも私の志と一にするものであり、彼の魂を微力ながらも受けつぎ実社会の中で活かしていくと肝に命じる覚悟でいます。&lt;br /&gt;
:川口君は、こよなく母校早稲田を愛し、進取の気性溢れる行動中で燃焼していきました。確かに彼の最後は非命でしたが、断じてイデオロギーの犠牲者などではなく、信念を貫き通した人であり、彼独自の早稲田魂は永遠に都の西北早稲田の杜に生き続ける事を確信してペンを置きたいと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::      （伊東高校山岳部OB会発行「川口大三郎遺稿集」掲載）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

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		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E3%80%8C2J%E3%81%AE%E7%B4%9A%E5%8F%8B%E9%81%94%E3%81%AE%E6%80%92%E3%82%8A%E3%81%AE%E6%BF%80%E3%81%97%E3%81%95%E3%81%8C%E3%80%81%E5%BD%BC%E3%81%AE%E4%BF%A1%E6%9C%9B%E3%82%92%E8%AA%9E%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%88%E3%81%86%E3%80%8D%EF%BC%88%E6%97%A9%E5%A4%A7%E4%B8%80%E6%96%87%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E6%8B%85%E5%BD%93%EF%BC%89&amp;diff=896</id>
		<title>「2Jの級友達の怒りの激しさが、彼の信望を語っていよう」（早大一文中国語担当）</title>
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				<updated>2021-11-29T21:54:31Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: ページの作成:「:殺された川口君が属する2Jで、私は週に2コマ中国語を担当している。こと中国語に関する限り、川口君はいっこう熱心ではな...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:殺された川口君が属する2Jで、私は週に2コマ中国語を担当している。こと中国語に関する限り、川口君はいっこう熱心ではなかった。前期は長髪にカストロひげの重たい頭をしていたが、夏の休みが開けてみると、涼しげなG I刈りに一変していた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「どうしたんだ」と聞くと&lt;br /&gt;
:「ええ、まあ暑いですからね」とニッコリ笑って、ヒョイと小さく頭を下げた。&lt;br /&gt;
:　いつでもゲタをはいて、チンタラ歩いていた。鯛焼きを食いながら道を歩くことがあるとも言った。つやのよい、端正な顔に大きな目が輝いて、およそかげりがなかった。そんな姿だけをかいま見ると、まるで青春ユーモア小説の快男児のような印象があった。が、それはあくまで上べの一側面である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:彼がどんな運動をし、クラスでどんな役割を果たしてきたのか、死後に断片的に聞くのみで私はろくに知らないが、もちろん、こちらの方が彼の肝腎な側面であり実像である。&lt;br /&gt;
:彼の死後の2Jの級友達の怒りの激しさが、彼の信望を語っていようし、何よりも、殺されたという事実自体が彼の存在の大きさを示していよう。&lt;br /&gt;
:級友たちは、川口はセクトに属してもおらず、ましてスパイなどではさらさらないという。が、中核は彼を「正義に殉じた若き全学連闘士」に仕立てあげてしまった。民青にとっては、彼が中核に属していたかどうかなど大した問題ではないだろう。新執行部を選び出したノンセクトの諸君にとっては、当面その詮議どころではあるまい。そして、彼を殺した当の革マルが「川口君の死を無駄にしないために断固自治会を守り抜こう」と叫んでいる。既成の組織は、まさに彼ら自身のいう「政治主義的」に、川口君の死を利用している。無限の可能性を秘めた青年の死が、その意味が、党派的利害の渦の底に葬られようとしている。政治組織の倫理的荒廃は、政治目標の革命性とはうらはらに、どこまで進むのだろう。2Jの諸君の歯ぎしりが聞こえるようだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:わずか数十人を前にして「全学の学友諸君」と呼びかける神経、足場を持たないにもかかわらず、自らを選りぬきの前衛であるかに言いたてる神経、党派語ないし隠語だけで大衆に語っているつもりの神経。こういう自省を忘れた神経を、私は好きになれない。かなわんなと思う。遊離も孤立も承知のうえで、なお政策上それで通しているのだとしたら、それはいよいよ御免蒙りたい。私は、権利意識の乏しい、人畜無害の人間だから、平常感覚の中にいる方が安心なのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:私は教員である。この事態を前にして、ただ感想を述べているだけではいけないのである。といって、事件以来、今日まで何をやってきただろう。集会の群にまじってウロウロ歩く。小ぜり合いに割って入ろうと、かよわい手を伸ばす。ロックアウトの、あるいは検問の入口に立って、浮かぬ顔でアゴを撫でる。たび重なる会議に出る。教室に出て話しあいに加わる。もっともこれは、とかく当局の処置を説明する役まわりになりがちだ。早い日は朝八時から、ときに夜の九時十時まで、校内に滞まってはいるものの、よい知恵ひとつ浮かぶわけではない。門わきに腕を組んで貧乏ゆすりをしていると、自分が無能の象徴に思われてくるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:大学は孤島でない以上、現実社会の政治状況と無縁でありうるはずもなく、万人を満足させる和平策など夢にすぎない。新執行部の前途は多難である。新執行部を選んだノンセクト諸君の責任は重い。が、私はせめて彼らの決意の持続を祈りたい。外からの政治を拒否することによって、内からの政治が創造されることを、彼らの苦悩の経験が貴重な財産となって受けつがれてゆくことを祈りたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:夜更けの空を木枯らしが吹きぬけて、電線がうなりをたてる。郊外の駅から10分、家路をたどる足どりは重い。けだるい疲れに追い討ちをかけて、本誌に原稿を書けという。いま心中の声を、そのまま表そうとすればため息の音ばかりになろう。私はなんとも恥ずかしいのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::  11月30日・夜&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::    （1972年12月早大「人間」2号掲載）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

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		<title>「川口君のくやしさ、苦痛を私たち自身のものとして」（早大2J）</title>
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				<updated>2021-11-29T21:08:51Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: ページの作成:「:昨年（昭47）11月8日、革マルによりリンチの末、虐殺されてしまった川口大三郎君。  :あとわずかの日々で一周忌を迎えよう...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:昨年（昭47）11月8日、革マルによりリンチの末、虐殺されてしまった川口大三郎君。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:あとわずかの日々で一周忌を迎えようとしている今日、私がいまだに深く心に残り、永久に忘れることのできない当日の印象は、俗っぽい言い方だが、「いい奴は、本当に早く死（殺）ぬものだなぁ」と、しみじみ考えさせられたことである。そして、その後の早稲田における運動経過を見ると、私は、革マルに対して、明日を思うことによる、ある種の絶望感と腹立たしい怒りを覚えます。それは「数時間に及ぶ陰惨なリンチ虐殺」「その後の革マルのデマと居直り」「新自治会員に対する無差別鉄パイプテロ」「当局と革マルの癒着に怒った学友に対する下宿テロ」「革マルによる川口君追悼集会」などです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「ヨー！」。川口君の朝の出会い。ラフな軽装でいて、センスのよい、いつも明るい人柄だった川口君。&lt;br /&gt;
:彼の入学時の印象は、何か庶民的な旧制学生気質みたいなものにあこがれているようだった。話しかけてみると、やはり「早稲田精神昂揚会」に入部していた。また、彼は、政治面、文化面にも強い関心と熱意をもっていました。それが将来のジャーナリストとしてのもう一方の「早稲田大学学生新聞会」への入部だったのです。&lt;br /&gt;
:彼は、入学当時、庶民的な学生気質で、自分に誠実さ、人間味を養い、自分の考える方向でジャーナリストとしての仕事を責任をもってやりたかったのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:私は、その後、川口君を「明るく、親しみのわく、希望に燃えた若者」「アルバイトしながら、毎日、元気に登校してくる意志の強い彼」として、親しい友人の一人になりました。川口君の、正義感が人一倍強い純粋な性質は、私だけでなく、クラスはもちろん川口君を知る人なら、だれでも認めるものです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:ある日、いつものように学校の授業終了後、喫茶店で雑談しているとき、「今、オレ学生新聞に入部しているが、合宿にも行ったが、キリスト教的な宗教面が強いんだ。宗教としてはよいんだが、全く個人としての社会的な行動性のないのが間違っていると思うんだ。この新聞会も、政治的な問題には全くタッチせず、文化面だけなんだよ。特に、新聞会の人の紹介で、原理研の世界基督教統一神霊協会の合宿に行ったが、宗教としては誤っていないと思うが、ただ神様について論じていても社会問題は何も解決しないと思うんだ。それを論じている間にも、部落問題、沖縄問題による犠牲者が続出しているのだから、犠牲者の気持ちを理解し、それを広く社会に呼びかけ、その力でもって、根本的に解決するように行動を起こさねばいけないと思う。君はどう考えるか」という内容を述べたことを記憶しているが。&lt;br /&gt;
:私は「もちろん、川口の意見には賛成であるが、学生新聞会って勝共系じゃないのか。ある先輩に聞いたのだけれど、はっきりしたことじゃないか」と言いました。&lt;br /&gt;
:すると彼は、「そうだとすると、俺と考え方が違うな。俺も将来、ジャーナリストになりたいため、新聞会に入部して、その方面の学習をするつもりだったが、よく考えてみることにするよ」と述べたことも、はっきり覚えています。その後、7月下旬頃、新聞会にはもう出入りしていなかったようでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:彼は、入学時から、ヒマがあればアルバイトをし、そのアルバイトで親からの負担をなくし、又、自分の好きな登山用具などを神田、早稲田近辺のスポーツ屋で買物などをし、よく私もつき合わせられました。「◯月◯日から一週間～岳に登るんだ。かせがなきゃ」。彼の山好きはクラスで有名で、登校するときは「山と渓谷」という雑誌を必ずたずさえていました。&lt;br /&gt;
:私が、ある日「『山』もいいけれど、社会的、政治的なこととは両立しないんじゃないか」と彼に言ったことがあるが。&lt;br /&gt;
:彼曰く、「君は『山』が何者かわかっておらん。広大で、美しい無限の自然、それは厳しいものなのだ。そんな山を見、一歩一歩すすんでゆく自分が、ひどくちっぽけであり、同時に自分の存在、自分の義務、責任といったものが、はっきり自覚できるんだ。たしかに君の言ったことはわかるが、そのためにも俺はもっともっと強くならなければならないのだ」。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:夏休みは勿論、彼は、日さえ空いていれば大体アルバイトである。土木関係のアルバイトのため、車の免許証もとり、親戚の家で年間を通じて仕事をやり、学校と両立させていました。精いっぱいアルバイトをし、精いっぱい「山」に登り、登校し、同時に他の人々の気持を充分理解し、その社会的な己の責任というものを決して忘れたことのなかった川口君。&lt;br /&gt;
:「働いている人が一番きれいなのだ。一生懸命生きようとしている人がきれいなのだ。だから、働く人の社会にしなければならない。これが本当のきれいな社会なのだ。そこには、同時に人間的な相互の連帯、思いやり、愛が生まれるのだ。そこには、人間同士の差別、抑圧、疎外も生まれないんだ」とも述べていました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:こういった川口君に大きく問題となったのが、昭和47年（川口君1年生）1月、2月、3月の来年度入学者からの学費値上げ反対闘争であった。&lt;br /&gt;
:この問題で、彼は、クラス討論をすすんで呼びかけ、&lt;br /&gt;
:「当局の無責任な学費値上げは、学生、父兄にますます負担をかけることになる。これは教育の機会均等からも大きな誤りであり、昔のように『金持ち』でなけりゃ、大学へ行き学問ができなくなり、大学の社会性からも大きな問題である。学問をしたい者は、だれでも大学で学べ、大学をもっと大衆的なものにしなければならない。当局が『赤字』であるとするなら、その事実を明らかにするべきだ。たとえ『赤字』だから止むを得ないというわけでもないが、とにかく我々１年J組としては、クラスで仕事を分担して、その値上げの背景をしらべ上げ、それをもって大学当局を追及すべきである」という提案をしました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::もちろん、川口君の提案は可決され、クラス全体で各調査をはじめることになった。&lt;br /&gt;
::それを少し述べますと、&lt;br /&gt;
::1.本庄セミナーへ行き、そこに広々とした早稲田大学の敷地があることを知り、その近所の不動産屋をたずね、その時価をきき、その総額を計算した班。&lt;br /&gt;
::2.各大学を訪れ、各大学の経理調査をし、年齢別、教授給料をも調べ、各大学の出費の比較を行なった班。&lt;br /&gt;
::3.中教審路線の教育構想とその権力のねらいを調べる班。&lt;br /&gt;
::4.学費値上げと社会的諸物価とのつり合いに関する経済資料作成班など。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:その後、各班の調査結果をもちより、数度のクラス討論を行ないました。その間に、大学当局による大衆団交が、大隈講堂で行なわれました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:このことに関して、クラス及び川口君の結論は、&lt;br /&gt;
:「この授業料値上げは、イデオロギー闘争ではない。私たち自身の問題であり、大学の今後の方向性、大学の社会的あり方にもかかわる重大な問題である。&lt;br /&gt;
:大衆団交における革マル系は、何ら具体的な調査、事実を示さず、ただ白紙撤回のみ叫んでも空叫びで、団交においては無意味である。&lt;br /&gt;
:この問題は、私たち自身に大きく関係してくるもので、その大切な団交において各クラス、各サークルでの討論の結果を発表し、当局を追及していかねばならないものである。&lt;br /&gt;
:会場の前壇を革マルが占拠し、早稲田の学生の意見を発表させることすらなく、革マルだけの団交に終ったようである。&lt;br /&gt;
:私たちのクラスの成果はもちろん、他のクラス、サークルの統一声明すら何も発表できず、当局に、真に我々早大生の声を聞かせることができなかった。&lt;br /&gt;
:こういった革マル式団交では、絶対に勝利できない。以上の原因で団交は敗北してしまったが、私たちは、今年入学してくる1年生に強くよびかけ、多くの学友の力で闘い、勝利するまでがんばろう」という主旨の内容であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:また、川口君はこの問題に関して「早稲田精神昂揚会」においても、ただ一人、先輩達に反論している事実があります。これは、彼が喫茶店で私に述べたものです。&lt;br /&gt;
:「本当の早稲田精神とは、早稲田大学にあるのではなく、早稲田という長く人々に浸透し、つくり上げられた人間味、泥臭さにあるのであり、それは、そこに集い、学び、己の中に浸透したものである。だからこの授業料値上げは、早稲田を「ぼっちゃん学校」にしてしまい、真に学問をしたいという人々が早稲田に集まらなくなる。そこにおいては、全く早稲田精神は撲滅してしまう」と、一人で反論し「本当に早稲田を慕っているなら、値上げされても金に関係なく入学してくるものだ」という先輩たちに対抗したのであった。&lt;br /&gt;
:その後、彼は「ある言葉」を私に述べ、退部しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:川口君をはじめ、私たちのクラスは全員2年生に進級しました。&lt;br /&gt;
:2年生以後の川口君は、老人問題、身体障害者問題、狭山差別問題という社会における疎外・差別というものに強い関心をもちはじめました。それは、川口君の呼びかけで、この種のクラス討論が多くなり、特に「狭山差別裁判」に対して熱心な意見を述べていました。&lt;br /&gt;
:「狭山裁判により、無実の人、石川さんが部落民だというだけで死刑にされようとしている。この差別問題は、同情で何も解決できず、それではますます差別を生む結果になる。私たちの『内なる差別観念』をはっきり見つけ出し、それと闘っていかなければならない。まず、この顕著な例として、狭山裁判の歴史と現代の経過をB君に説明してもらって、私たちの中の差別というものを、日常の言葉・動作の中に追及してみよう」という主旨の提案を行った。&lt;br /&gt;
:また、川口君は老人問題、身体障害者問題についても現状を訴え、理路整然と熱意ある態度で、クラスの人たちに問題を提起しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:己の生活と学業を両立させ、社会に負けることなく独力でがんばり、しかも、人間に対しての愛は決してゆらぐことなく、絶えず「社会的、又、すべてのものから疎外・抑圧されている人たちの気持は、自分がその人の気持になってみようとしなければわからない」という一本の信条みたいなものが、川口君の体中に深く流れていたようです。&lt;br /&gt;
:即ち彼は、この私たちの身近な差別の実態の一つを狭山裁判に見、クラスに、即ち大学という広場にもち帰り、大学の社会的な存在意義と現代における歪曲性、偏狭性を大学という大衆に問い直そうとしたのである。このことが、川口君の場合、同時に自己に対する検証、内なる潜在的差別意識への闘い、革命だったのだろうと考えます。&lt;br /&gt;
:この時分の川口君は、「狭山差別裁判」の公判闘争には、個人で参加していました。純粋で、人一倍正義感の強い川口君にとって、この狭山裁判は許せなかったのでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:2年の夏休み。&lt;br /&gt;
:彼には、「山」という友と、アルバイトが毎日で、土木関係の仕事で汗びっしょりでした。でも彼は、夏休み明けには、元気な明るい表情で登校してきました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:10月に入り、私たちのクラスでは、いろんな社会問題についての討論会をおこないました。川口君ももちろん出席し、誠意ある態度で問題点を的確に指摘してきました。彼の意見はクラス全体でも、全面的に支持されました。&lt;br /&gt;
:10月中旬頃、大学近くの喫茶店で川口君と談笑しているとき、「11月10日～11月20日頃まで、クラスのC君と一緒に『山』へ登るんだ」と言っていました。&lt;br /&gt;
:そのような彼、その彼が……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:11月8日、正午すぎに登校して文学部キャンパスにある部室前で談笑しているとき、数人の革マル自治会執行部により、自治会室に拉致されたのです。&lt;br /&gt;
:翌朝、東大病院の前に50数カ所に及ぶ青じみた痕跡を身体中に残し放置されていたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:詳しい事実は11.8の事実経過に詳しく記せられています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:このような残虐な殺し方をした革マル。&lt;br /&gt;
:死を覚悟しながら自分の意志を主張しつづけた川口君！　このデマとギマンに満ちた革マルが、なんとハレンチにも「11.8川口君追悼集会」なるものを行なおうとしています。卑劣きわまりないリンチでなぶり殺し、何ら正当性のない革マルが、一周忌で川口君が再びよみがえるという日、川口君を虐殺した手で「川口君追悼集会」をやるというのである。&lt;br /&gt;
:「川口君を何度殺すつもりなのか。差別をにくみ、人間の解放をめざし闘おうとしていた川口君にとって、革マルにより殺害されるといったことが、どんなにくやしく、むなしかったであろうか。この川口君を、又もや殺す気なのであろうか」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:私は、彼の友人として、又、彼が正義であるとして、このハレンチきわまりない追悼集会と革マルの政治主義を許すことができないという怒りが、私の胸につき上げてきます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:まだ「川口君という人間」を描き足りませんが、「山をこよなく愛した川口君という20才の若者」を的確に理解され、川口君のくやしさ、苦痛を私たち自身のものとして受け入れ、正義ある、人間味のある連帯を寄せられるよう訴えます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::         （「声なき絶叫」掲載）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

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		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E3%80%8C%E3%81%82%E3%81%84%E3%81%A4%E3%81%AF%E7%B4%A0%E7%9B%B4%E3%81%AB%E7%89%A9%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%80%81%E8%87%AA%E5%88%86%E3%81%AE%E8%B6%B3%E3%81%A7%E3%81%9F%E3%81%97%E3%81%8B%E3%82%81%E3%81%A6%E7%89%A9%E3%82%92%E8%A8%80%E3%81%86%E3%82%84%E3%81%A4%E3%81%A0%E3%80%8D%EF%BC%88%E6%97%A9%E5%A4%A72J%EF%BC%89&amp;diff=894</id>
		<title>「あいつは素直に物を考え、自分の足でたしかめて物を言うやつだ」（早大2J）</title>
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				<updated>2021-11-29T21:04:05Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: ページの作成:「:川口大三郎が殺された。そんなことは信じられない。「おばはん」「おばはん」と私のことを呼んでいたガキだった。ピンク...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:川口大三郎が殺された。そんなことは信じられない。「おばはん」「おばはん」と私のことを呼んでいたガキだった。ピンクの半袖のTシャツにGパン、ゲタばきで、ガニマタで階段を昇ってくる。「ヨォー、悪りぃ、悪りぃ。ちょっと遅れちゃった」と言ってくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:私が、あいつという人間を知ったのは学費闘争のときだった。クラス全体で学費を研究することになった。クラスを4つの班に分けて、それぞれ問題を研究した。私とあいつとは、一緒の班だった。私は産学協同についてのテーマだった。あいつは学則、その他、早稲田そのものの具体的な経過だった。あいつは、「もし俺が1年遅れていたら、早稲田には入れない」「貧乏人の行けない早稲田なんて、ナンセンスだ」という自分自身の生活から出た声で物を言っていた。その後もずっとそうだった。私なら「◯◯セクト」のレッテルが貼られるのがこわくて言えないことも、自分で思っていることをズバズバ言っていた。だんだん冬になり、人が来なくなっていった。しかし、あいつは実際に本庄校舎を見てくるといって友達と出かけたりした。そしてこれまでの総括を本庄でやることにした。それがこの本に載っている、本庄コンパの案内状である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:あいつは素直に物を考え、自分の足でたしかめて物を言うやつだ。&lt;br /&gt;
:そんな奴が殺されるなんて信じられなかった。&lt;br /&gt;
:1973年1月1日、はじめてあいつの夢を見た。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:一緒にデモをしていた。クラスの連中と一緒に、すごく長いデモだった。私の隣にあいつがいて、ふとあいつは言った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:俺、あの時、死ななくてよかったなぁー。本当に良かったよ」&lt;br /&gt;
:「本当ねぇー」と、私が答えたところで目がさめた。はじめてあいつが死んだということを感じた。夢の中で、「本当ねぇー」と答えることがすごくうれしかった。あいつやっぱり死んでなんかいないじゃない。何だ、今までのが夢だったんだ。だれだ私をだましたのは、憎らしい。こんなに心配させて、と思った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:夢からさめて、「あっ、あいつはやっぱり死んだんだ」と思えた。あいつ、やっぱり殺されてしまったんだと思った。&lt;br /&gt;
:今、私はあいつの死に対して評論めいたことはいえない。ただ、あいつの死の重みを背負って生きていかなければ、あいつが本当に死んでしまう気がする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:私は、あいつを死なしたくない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::    (「声なき絶叫」掲載）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

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		<title>「ボサボサの髪に、Gパン、Tシャツ、ゲタの音も高くひびかせながら」（早大2J）</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: ページの作成:「:満面に屈たくのない笑みを浮かべて、ひときわ明るく振るまっていた川口大三郎……彼の顔が私の脳裏をかすめ、そして、去...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:満面に屈たくのない笑みを浮かべて、ひときわ明るく振るまっていた川口大三郎……彼の顔が私の脳裏をかすめ、そして、去っていき、うすぼんやりとした輪郭が目の前に現われたかと思うと、又、次第に遠ざかっていく。そして、一年半有余の短い期間に起こったような出来事－－彼とともに飲み、遊び、語った経験が－－、断片的に思い起こされる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:私が、彼の存在を認識したのは、最初のクラス・コンパの時だった。コンパの酒に物足りなさを感じた私は、数人連れ添って新宿へ行き、肩を組みあい、歌とは言い難き蛮声をあげながら、一軒の飲み屋で二次会を催した。私が腰を落ちつけ、安酒を飲んでいると、私の目の前で、色白の滅法威勢のいい男が大声でわめき散らしながら、酒をあおっている。「飲みっぷりがいいなあ。もう一パイ」と煽ると、ますます勢いづいて飲みだし、「お前もまあ一パイ」と返盃する。そんな調子であるから全く泥酔し、ヘドを吐き、友人宅で前後不覚に眠りこんでしまった。この痛快な男こそ、川口大三郎君である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:酒を媒体とし、知己となり得た彼と私は、その後も度々酒席をともにした。私は、無類の酒好きで、宵闇せまれば、酒が恋しくなるのだが、彼も私と大同小異であり、ヒマと金さえあれば飲み歩いたような気もする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:彼のけれん味のない飲みっぷりと、豊富な話題は酒席を和ませ、酒をおいしくさせたし、お互いに腹を割って話し合い、時には罵倒し合うことによって絆を太くしていったように思われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:人間を、その活動性で大別すると、動的人間と静的人間に分けられると思うが、彼は間違いなく動的人間であろう。片時もじっとしていられないらしく、四六時中サッカーボールをけっていた。というよりも、ボールと戯れていた。技術的には全くお粗末で不格好なのだが、明るい陽ざしをうけて、汗をたらたら流しながらボールを追い、ボールと戯れる彼の姿は、スポーツマンのもつすがすがしさを感じさせ、何ともいえない爽快さがあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:明朗快活な好青年という印象をうける彼だが、彼の明るさの中には、少しもうわついたものを持ち含んでいなかった。奨学金と日曜、休暇中のアルバイトで生活費、学費を捻出していた彼に、そんな甘さが入り込むスキはなかった。逆境を克服するたくましい精神力……明るさとともに強さを持った男なのだが、そういう人間にありがちな独善性を見せない謙虚さと包容力を兼ねそなえた不思議な？男であった。こう書き立てると、彼が完全無欠な人間のように思われるかも知れない。しかし、人間の長所は、裏を返せば短所になる場合が多く、完全無欠な人間など存在するはずはないのである。が、彼の死後、親しい友人と生前の彼について、あれこれ回想し合う中で、「はたして川口の欠点は、何だろう」と問いかけると、一様に首をかしげ、結局は「見あたらない」という結論に達してしまう。私たちの彼に対する理解・認識が充分でなく、皮層的な面しか捉えていないのかも知れないが……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:だれにでも笑顔で接し、自然を愛し、山を愛した彼が、何よりも憎み、怒ったのが人間差別である。差別、とりわけ部落差別問題には深い関心を示し、懸命に学習し、活動した。クラスにおいてもクラス討論を呼びかけたり、資料を提供したりして、積極的にとり組んでいた。一度くいついたら離さない粘っこさと、自分の信念を曲げない意志強さ、そして人間差別を許せない純粋さが彼の言動の中に脈打っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:しかし、一面彼は、無類のお祭り騒ぎ好きであった。私とともにクラス「コンパ委員」を自認しており、クラス・コンパの幹事をやり、最初から最後まで騒ぎっ放し、うたいっ放しという有様である。又、早慶戦にも仲間と度々応援に行き、新宿で大いに飲み、大いに騒いだものである。思えば、彼と最後に酒をくみ交わしたのが、昨秋（47年）の早慶戦第3戦の時である。優勝という大魚を逃した口惜しさを吐き出すように、「カジシャー（鍛冶舎＝早大の主力打者）」と大声で怒鳴りながら新宿の街を歩いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:又、たいへん冒険好きな面があり、「シルクロードをジープで走破するぞ」とか、「アマゾンの奥地を探検したい」などといっては、我々をびっくりさせた。冒険の話をするとき、彼の目に口に体に、青春のエネルギーの無限の噴出を希求する鬱勃たるパトスがあふれ出るのが、ひしひしと感じられた。彼の行動力と計画性をもってすれば、実現不可能な夢では決してなかったと思うだけに……。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:川口大三郎君、ボサボサの髪に、Gパン、Tシャツ、ゲタの音も高くひびかせながら私の前に現われ、そして去っていった君。自ら「早稲田の住人」と称し、早稲田をこよなく愛するが故に、否定的現状を憂い、嘆いていた君。自己を鋭く見つめながらも精いっぱいのびのび生きていた君。君の肉体はズタズタにされ、君の生命は齢20にして断ち切られ、君の未知なる無限の可能性は無と化したけれども、君の残した無形の精神的遺産は、私たちが永久に継承し、維持し、発展させていくであろう。生前、私たちに語りかけた君の思想が、君の声が、いま私たちの中にこだまする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::川口大三郎よ、すばらしき朋友よ、安らかに眠り給え。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::     （「声なき絶叫」掲載）&lt;br /&gt;
::     （早稲田一文２J）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

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		<title>「あんなに明るくて、タフでサッパリした川口を殺したやつは許せない」（早大2J）</title>
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				<updated>2021-11-29T20:59:33Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: ページの作成:「:川口の顔と名前が一致したのは、一年生の半ばを過ぎてからだった。川口とは飲んだこともないし、一緒にどこかへ遊びに出...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:川口の顔と名前が一致したのは、一年生の半ばを過ぎてからだった。川口とは飲んだこともないし、一緒にどこかへ遊びに出かけたこともなかった。ただ、川口と僕が共に関心を持っていた部落問題、とりわけ狭山差別裁判を通じて接近しただけだった。川口と僕は部落解放運動の捉え方、狭山差別裁判糾弾の戦略の問題等で意見はかなり異なったし、対立もした。けれど、今、それはそれとして共に闘った中での川口らしいエピソードを話してみたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:川口が、狭山差別裁判の公判闘争へ参加したのは去年の2月からだったと思う。2月、4月、6月、7月、8月、9月と闘争に参加し、11月の「一定段階の勝利」の最中、革マルに虐殺された。いつだったか、川口がデモの指揮をしたことがある。暑い日だった。デモの隊列はわずか10人足らず。それでも川口は一所懸命指揮をした。100人、200人といった大隊列の合い間をぬって、我らが隊列は走り回った。川口は山男でタフガイだからいいが、我々は途中で息切れがしたり、腰が痛くなったりでヒイヒイ言いつつ、川口の指揮でデモり続けた。あんな走りづめのデモ指揮をやれるのは川口ぐらいだったろう。川口は闘争の時は厳しい。「デモはつらい。けれど獄中の石川氏はもっと、もっとつらいんだ」そう言う川口は厳しかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:6月公判闘争だったと思う。公判が午前中で終わり、闘争も早く終わり、川口と僕、そしてあと数人で総括なるものをやっていた。土曜の午後。場所は日比谷公園。我々の円陣の周囲にもアベックが増えてきた。総括を終えたあと、やおら川口のリードでシュプレヒコールをやった。アベックの連中驚いていたが、おかまいなしにやってのけた。そしてインター、ワルシャワ労働歌を歌って我々も解散した。川口は少しも恥かしがらずアベック達の真ん中でリードし続けた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:川口がいなかったら誰もそんなことをしなかったろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:川口はエネルギッシュに活動した。川口が狭山闘争に関わり出してから、革マルに虐殺されるまで10ヶ月にも満たない。川口はその10ヶ月足らずを狭山闘争に捧げた。徹夜でパンフを作りもした。学習もした。他の闘争にも参加した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:江戸時代、部落民一人の生命は平民の7分の1とされた例がある。川口は、この事実を本で読んでおこった。本当に、心から川口はおこった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:72年11月。狭山闘争が「一定段階の勝利」を得、まさにこれからという時、川口は革マルに虐殺された。川口を虐殺する理由がどこにあったのだ。中核派のスパイだとか、いいかげんにしろ。「革命的マルクス主義」がどうとかこうとか、口先の小むつかしいことは知らない。僕は川口を虐殺した革マルを何時までも怨み続ける。暴力に表面は屈しても、必ず革マルを怨みぬく。あんなに明るくて、タフでサッパリした川口を殺したやつは許せない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:嗚呼　友愛の熱き血を&lt;br /&gt;
:結ぶ我らが団結の&lt;br /&gt;
:力はやがて憂いなき&lt;br /&gt;
:全人類の祝福を&lt;br /&gt;
:飾る未来の建設に&lt;br /&gt;
:殉義の星と輝かん&lt;br /&gt;
::（解放歌7節）&lt;br /&gt;
:※運動中50年間歌われ続けた唄&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:川口が虐殺されて1年たつ今秋、狭山公判は再開される。川口は狭山闘争勝利の報を今か今かと待っていることだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::      （伊東高校山岳部OB会発行「川口大三郎遺稿集」掲載）&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>「早稲田をこよなく愛し、自ら“早稲田の住人”と称した彼」（早大2J）</title>
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				<updated>2021-11-29T20:56:38Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: ページの作成:「:早稲田から星が消えた。比類なき強さと底抜けな明るさを持った星が…。  :早稲田から星が消えた。無限の可能性と生命力を...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:早稲田から星が消えた。比類なき強さと底抜けな明るさを持った星が…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:早稲田から星が消えた。無限の可能性と生命力を秘めた星が…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:長い様で短い1年半－－人間・川口大三郎を語るには、余りにも短い歳月である。しかしその短い間にも、彼は私に多くのことを語りかけ、そしてぶつけあった。そうした接触によって浮き彫りにされた彼の人間像を、多くの人に知らせ理解せしめるのが私の責務であろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:私が彼に最初に出逢ったのは、入学後、初めてのクラス・コンパの時である。コンパの酒だけでは飽き足らず、お互い名前も知らない7～8人が肩を組んで「都の西北」を歌ったり、大声でわめき散らしたりしながら早稲田から新宿へ繰り出し、一軒の飲み屋に入って大いに飲み、大いに歌ったのだが、その中に大層飲みっぷりがよくて威勢のいい奴がいた。それが川口君である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:酒が縁で知り合った彼と私は、お互い酒好きのせいか、その後も暇と金さえあれば酒を飲んでいた。私はいろんな人間と酒をくみ交わしてきたが彼と飲む酒は格別「うまい酒」であった様に感じる。笑顔と話題の絶えない彼が、飲むと口癖の様に、「シルク・ロードを車で突っ走るんだ」とか、「アマゾンの奥地を探検するんだ」と、目を輝かせて言っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:当時、私達は5～6人で、グループを形成していた。クラス・メートは私たちを称して「極道グループ」と呼んだが、この「極道グループ」は全員サッカーが好きで、来る日も来る日もボールを蹴っていた。ところが川口君は一向に上手にならず、彼の蹴ったボールはどこに飛ぶかわからない有様で、ボールを蹴るというより、ボールと戯れているという感じであった。それでも彼は毎日ボールを追っかけていた。湧き上がるエネルギーをスポーツで発散するかの如く…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:スポーツといえば彼は登山が好きで、休暇ともなると高校の後輩と一緒に山に登っていた。自然を愛し、山をこよなく愛した優しい心根の持主であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:また、お祭り騒ぎが好きな性分らしく早慶戦には毎シーズン顔を出していた。神宮で騒いで新宿で飲んで大騒ぎする－－一連のこのムードが気に入っていたようだ。私が彼と最後に飲んだのは昨秋の早慶戦で、8シーズンぶりの優勝を逃がした為かヤケ酒をあおり「カジシャー（編注：鍛冶舎。早大野球部で一番人気のあった選手）」と叫んで狂乱した。それがまさか彼との最後の酒になろうとは…。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:早稲田をこよなく愛し、自ら「早稲田の住人」と称した彼は、早稲田を愛するが故に学費の大幅値上げに反対し、学費値上げによって、当然引き起こされる大学の庶民性の喪失、ブルジョア化を大いに憂い、そして何よりも元来均等であるべき教育が貧富の差によって不均等になる事に大いなる怒りを感じていた様だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:彼は入学当時から全ての差別に対して憎悪を感じていた様だが、それが部落差別問題に顕現化して部落解放運動について学習し、クラスで討論を呼びかけながら闘っていた。純粋に差別に憤りを感じ、より深く学習しながら真剣に差別問題に取り組んでいった彼は、党利党略の渦中に陥り、その生命を断たれた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Tシャツ、Gパン姿で顔一杯に笑みを浮べながら下駄の音も高くさっ爽と歩く川口君、そして顔に数カ所の傷を受けながら唇をキュッと結んで男々しく眠っていた川口君。私の頭には二つの川口君像が去来する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:余りにも両極端すぎる「生き様」と「死に様」……私達はこの二つの川口君を忘れ去ってはならないだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::      （伊東高校山岳部OB会発行「川口大三郎遺稿集」掲載）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E3%80%8C%E6%82%94%E3%81%97%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%82%E3%80%82%E3%81%82%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%84%E5%A5%B4%E3%81%8C%E6%AD%BB%E3%81%AC%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%A6%E3%80%82%E3%81%BE%E3%81%A0%E4%BF%BA%E3%81%AB%E3%81%AF%E4%BF%A1%E3%81%98%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%8D%EF%BC%88%E4%BC%8A%E6%9D%B1%E9%AB%98%E6%A0%A1%E5%B1%B1%E5%B2%B3%E9%83%A8OB%EF%BC%89&amp;diff=890</id>
		<title>「悔しいなあ。あんないい奴が死ぬなんて。まだ俺には信じられない」（伊東高校山岳部OB）</title>
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				<updated>2021-11-29T20:53:55Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: ページの作成:「:俺にとってそれは突然でした。そう、あまりにも突然やって来たのです。こんな道理にあわないことが起きるなんて、神や仏...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:俺にとってそれは突然でした。そう、あまりにも突然やって来たのです。こんな道理にあわないことが起きるなんて、神や仏は何をしていたのだ！　悔しい！　そんな事をした奴を捕えてぶっ殺してやりたい。何が革マル派だ。何が中核派だ。そんなもの無くなってしまえ!!　みんなおもしろ半分じゃないか。まるで子供の戦争ごっこじゃないか。お前等なんか人間のくずだ。人の命を絶つ権利なんかお前等みたいな腐った奴にある訳がない。そのくせ自分の命を惜しがるくせに。馬鹿野郎!!　何が！　この社会を変えるだと。フン、てめえの頭のハエも追えねえくせに何言ってやがる。お前等はくずだ。人間じゃない。人間の皮をかぶった悪魔だ。犬畜生にも劣る野郎だ。お前等なんて死んじまえ。畜生、悔しいなあ。あんないい奴が死ぬなんて。まだ俺には信じられない。こんな事があってもいいんだろうか。今にも奴がのれんをくぐって「こんにちは、山口さん」なんて言って来てくれるような気がする。俺も「よお！元気か。まあ食えよ」なんて言って高校時代のことを話し合うだろうな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:あんな時は、へまばっかりしてお互いに頑張ったものだな。そう、俺はお前が山岳部に入ってきた時、こいつなかなか足が速そうだな。1年なんかに負けてたまるか。なんて気を張って潮吹きまでよく競争したものだ。校内マラソンではお前に負けてしまったが、クラブでは俺を立てたのか知らないが半々だったな。あの時は苦しかったが、今考えると楽しかったなあ。そうそう、龍瓜山へ行った時のことを覚えているか？　あの時はほんとうに疲れたよ。なにせ、俺は上級生だから頑張らなくちゃと思ってはいるものの、ついみんなが「疲れたから少し休みましょう」というと「そうするか」なんて言っちゃってついつい休んだっけな。だから優勝できなかったのかもしれないな。最後の方は、もう水をガブガブ飲んでふてくされて帰って来たな。学校に着いたのはビリの方だったな。でもほんとうにあの時は疲れたよ。二度目だというのに。しかし考えてみれば俺達はできるだけやったよな。最後まで歩ったことだけが救いかな？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:それから剣岳に行った時のことも思い出すなあ。雷鳥沢を登った時、2人とも足を痛めて、2人でみんなが迎えに来るのを愚痴ばかり言いあって待ったな。俺はすぐ治ったけどお前はなかなか治らなくて、とうとう立山には行かなかったな。残念だったろう。でも立山はつまらなかった。やはり剣岳の方がすばらしかった。あの何ていうか男らしい雄々とした山肌。人を寄せつけない谷底。切り立った頂上。俺は、あの山にとりつかれてしまったくらいだ。日本にもこんな険しい山があったのかと驚いた。お前もここまで来て剣岳に登らなかったら何のために毎日毎日トレーニングをし、計画を立てたのかわからなかったよな。お前も登っている時は嬉しそうだったな。お前の元気な顔を見て、みんなもやっとあのじめじめした雰囲気が抜けてたのしかったっけな。でも、この時からお前は足が弱くなったな。スキーに行った時も穴にスキーを突っ込み足首を痛め、とうとうスキーもできなくなり、留守番ばかりだったな。お前は不運な奴だ。みんなに心配かけまいと、痛いのをよく我慢していたっけ。俺はあまりお前の愚痴は聞いたことはないけど、さぞや辛かっただろう。足が2倍にもふくれちゃって、帰る時なんか苦労したな。杉本さんがおんぶしてバス停まで何倍もの時間をかけて歩いたな。それから……俺も馬鹿だな。みんな思い出すのはお前が辛かったことばかりだ。お前の笑った顔を思い出そうとしても、俺には何故か思い出すことができない。どの写真を見ても。なんてことだ。こんな不公平なことがあってもいいのだろうか。あん畜生等がのうのうと生きていると思うとハラワタが煮えくり返ってじっとしておれなくなる。馬鹿野郎!!　何故、何故お前だけがこんなめにあわなければならないんだよお！　さぞかし辛かったろう。くやしかったろう。俺はお前をこんなめにあわせた奴等を憎む。一生、憎み続け奴等を地獄にたたき落としてやる。誰でもいい。汚い言葉、ののしる言葉、あざける言葉を教えてほしい。そして一つ一つ大きな声で奴等にぶちまけてやりたい。そんなことでもしなければこの気持がおさまらないじゃないか。そりゃあ、わかっているさ。こんなことをしても彼は生き返りゃしない。もう遠い人だということは。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:お前は天国にいるよな？　赤や青や黄色い花が咲き、そこを白い雲に乗りながら俺達を見守ってくれているだろう。俺は頑張る。お前の死が、人間一人の死で終わらないように。お前は俺の心の中で生きている。いや、友達みんなの心の中に生き続けるだろう。俺は忘れないぞ!!　お前との苦しかった2年間、楽しかった2年間。それは俺の一生の一部にしても、たとえどんなに時が過ぎても、どんなに心が変っても、お前と俺とは山友達じゃないか。冬の山のようにいつまでも純粋でありたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:最後に一つ、君の安らかな眠りに。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:今は、君が安らかに眠ることを祈るだけである。君が死すとも、君は俺達の一人一人の心の中で永遠に生き続けるであろう。君の青春は束の間であった。これからという時に、君のその青春は俺達と共にすぎ去って行くであろう。君と俺とはいつも一緒だ。この写真と共に、さあ、もう一度、もう一度山へ行こう。汗を流し歯を食いしばって登ったあの山道を歩こう。ほら、頂上にはうぐいすや石楠花が君の来るのを待っている。はるか遠く、伊豆七島を眺めながら大きなムスビを食べよう。赤々に燃えあがるキャンプファイヤーを囲みながら、みんなで歌おう。大声出して。そして流れ星を数えながら、暖かいテントに寝よう。後は楽しい夢を見て。また明日も登ろう……。11月にはまた会おう。君が眠る海の見える丘で。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:友よ、安らかに眠れ。いつまでも、いつまでも。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::        （伊東高校山岳部OB会発行「川口大三郎遺稿集」掲載）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E6%96%87%E5%AD%97%E3%81%8C%E8%A8%98%E6%86%B6%E3%81%99%E3%82%8B%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%A4%A7%E4%B8%89%E9%83%8E&amp;diff=889</id>
		<title>文字が記憶する川口大三郎</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E6%96%87%E5%AD%97%E3%81%8C%E8%A8%98%E6%86%B6%E3%81%99%E3%82%8B%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%A4%A7%E4%B8%89%E9%83%8E&amp;diff=889"/>
				<updated>2021-11-29T07:18:28Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
[[はじめに]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
●川口大三郎の思い●&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
[[◇山よ、早稲田よ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[◇日記（1971年4月）]]&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
[[◇活動]]&lt;br /&gt;
::早慶戦観戦記&lt;br /&gt;
::早稲田原理研の修練会に参加して&lt;br /&gt;
::地方文化研究部発起&lt;br /&gt;
::コンパのお知らせ&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
[[◇年譜]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
●川口大三郎を語る●&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[大ちゃんはいつも明るい元気な、人様に好かれる人間だった」（母）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「胸を張って『大三郎は真の男だった』と言える」（母）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「息子を惨殺した犯人へ憎しみをこめて綴る…」（母）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「大ちゃんの遺志どおりに、一日もはやく暴力のない大学になってほしい」（姉）]]&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「悔しいなあ。あんないい奴が死ぬなんて。まだ俺には信じられない」（伊東高校山岳部OB）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「早稲田をこよなく愛し、自ら“早稲田の住人”と称した彼」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「あんなに明るくて、タフでサッパリした川口を殺したやつは許せない」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「ボサボサの髪に、Gパン、Tシャツ、ゲタの音も高くひびかせながら」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「あいつは素直に物を考え、自分の足でたしかめて物を言うやつだ」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「川口君のくやしさ、苦痛を私たち自身のものとして」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「2Jの級友達の怒りの激しさが、彼の信望を語っていよう」（早大一文中国語担当）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「彼独自の早稲田魂は永遠に都の西北早稲田の杜に生き続ける」（早稲田精神昂揚会）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「故川口君の当新聞会活動について」（早稲田学生新聞会）]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E3%80%8C%E6%81%AF%E5%AD%90%E3%82%92%E6%83%A8%E6%AE%BA%E3%81%97%E3%81%9F%E7%8A%AF%E4%BA%BA%E3%81%B8%E6%86%8E%E3%81%97%E3%81%BF%E3%82%92%E3%81%93%E3%82%81%E3%81%A6%E7%B6%B4%E3%82%8B%E2%80%A6%E3%80%8D%EF%BC%88%E6%AF%8D%EF%BC%89&amp;diff=888</id>
		<title>「息子を惨殺した犯人へ憎しみをこめて綴る…」（母）</title>
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				<updated>2021-11-29T06:12:02Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:（前略）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:9年前、夫が膵臓ガンで他界してから、私は3人の子供たちを、伊東市の競輪場の会計の仕事と、保険の外交の二つの仕事で育ててきました。私は、知らぬ人の前で話をするのがキライな性質で、保険の外交は4年ぐらいで辞めましたが、競輪の会計の仕事は今年で19年になります。（注：月に1週間働いて2万円）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:正式にどこかへ勤めれば収入はいいのですが、それでは子供を見る時間がないし、子供たちが学校へ行っている間、仕事をしたかったからです。姉の三枝子が高校2年、兄の正人が中3、大三郎が小学校6年生という、いちばんむずかしい年ごろでした。しかし、私は貧しくても、片親だけでも、明るく育てたかったのです。&lt;br /&gt;
:で、〈らしく主義〉を教育方針にしました。男は男らしく、女は女らしくがいちばん大事だと、子供たちに言って聞かせたのです。大三郎にも、“男らしく、男がいったん口から出した以上、責任をもて”、“〈らしく〉の本分を守りなさい”というのが私の口ぐせでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:そうした甲斐もあってか、あの子は一口に言えば、骨のある明治の人間のように育ちました。いえ、育ったように見えました。義理、人情を重んじ、情緒豊かで、先生や目上の人への態度も、現代っ子の多いこの世の中には珍しく折り目正しい子でした。要領よく世の中を泳ぐのはきらいな子でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:…私たち夫婦が伊東にきたのは、終戦の半年前、それまで住んでいた東京の家が戦災で焼けたからでした。伊東は子供を育てるのに格好の自然がありましたが、文化の面では比較的遅れていました。&lt;br /&gt;
:ですから、私は大三郎には幼いころから東京のY M C Aで水泳を習わせたり、市谷のユースホステルに泊まることを教えたりしました。ユースホステルでは母と子は別々に寝なければならないし、自立心を養う点でいい訓練になると思ったからです。&lt;br /&gt;
:3人の子供はどの子もかわいいけれども、大ちゃん（注：大三郎君）とは趣味が同じで、よく気が合いました。成長してからは、親子というより、一個の人間として、友だちのような関係だったと思います。あの子は小学生のころ、勉強のほうはいつも首席でしたが体が弱く、それが心配で、運動をさせるため、よく山へ連れて行きました。“踊り子コース”や伊豆の山などいっしょに歩いたものです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:中学に入るとバレーボールを始め、それからカゼひとつ引かなくなりました。友だちが多く、色白なものですから“ダイコン”とアダ名で呼ばれていました。県立伊東高校へ進み、3年間無遅刻。高校ではもっぱら山登りで、山岳部の部長をしていました。3年生になってはじめて受験勉強らしいものをはじめました。いつも明るくワアワア騒いでいて、ガリ勉じゃなかったのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:早稲田大学の文学部を選んだのは、ジャーナリストになって、ペンの力で社会の悪と闘おうと思ったからでした。高校の担任の先生が慶応出身で、慶応へ行けとすすめられたのですが、慶応はブルジョア学校だし、国立大学を出ても、オレは官僚になるのはイヤだからと言って、早大出身者にジャーナリストが多いのに目をつけ、早稲田精神にほれて入学したのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:早大へ入るときも、「私立は金がかかるけど、早稲田でもいいか。お母さん、入学金だけ出しておくれ」って気を使う子でした。この夏帰省したときも大学の授業料の請求書をみて「それちょうだいよ。ボク、金を貯めてあるんだよ」と、そんなお金が無いくせに、私に心配をかけないように言うんです。大学へは川崎の姉の家に下宿して通っていました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:三枝子の嫁ぎ先が土建屋なものですから、トラックの運転をしてアルバイトしていました。それと、育英会、駿河銀行の奨学金を学費に当てていたのです。&lt;br /&gt;
:大ちゃんは、ヒマができると、アルバイトして山へ行っていました。死ぬ数日前、「11月11日ごろ、天城へ友だち3人連れてゆくから寄るよ」と、電話があったばかりでしたのに……。10月23日から3日間帰省したとき、たまたま兄姉3人が集まったのです。そのとき、大ちゃんは、「母さん、黒ビールなら飲めるだろう」と、伊東の街で買って来て、親子4人で12時過ぎまで騒ぎました。それが最後になりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1カ月前、あの子が山からくれた絵ハガキがあります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「前略。オフクロ様。&lt;br /&gt;
:お宅の息子さんは、今、北アルプスに来ております。&lt;br /&gt;
:上高地、小梨平キャンプ場にて、これを書いています。&lt;br /&gt;
:なんせ、窮屈でして、文字も乱雑になりますが、御了承下さい。&lt;br /&gt;
:そのうち、帰るかもしれないからヨロシク。&lt;br /&gt;
:まあ、とにかく、行って来らあ。では、しばしの間、バイバイ。&lt;br /&gt;
:　　追伸&lt;br /&gt;
:　今日は非常にブラックが旨い。ウイー！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:　川口サト様&lt;br /&gt;
:　トラ子&lt;br /&gt;
:　チビタン子&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:小梨平にて　やくざな息子より」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:あの日以来、何回読み直したことでしょう。そのたびに幼い日の大ちゃんが思い出されて、ひとり泣くのです。&lt;br /&gt;
:棺の中に横たわっていた大ちゃんの顔には、解剖で縫合された傷あとが生々しく残っていました。あの明るい笑顔はもう見られない。こんな残酷なことがあるでしょうか。&lt;br /&gt;
:明るい子でした。家へ帰るとお風呂に入ってハナ歌で“人生劇場”を歌っていました。天地真理の愛くるしい顔が好きだったようです。「そのうちオフクロがビックリするようないい娘を連れてくるよ」と、私を笑わせていました。帰省するたびに「“オバンツ”（注：伊豆の方言でおばあさんのこと）がグズグズいうから面倒みてやらねばならん」といって、女手ではできない家の修理や、茶の木の手入れをよくしてくれました。縁側の日なたで、好きな本をよく読んでいました。北杜夫や新田次郎の小説や、「山と渓谷」などが愛読書でした。この前、帰って来たときは、私に「これ読んだら」と、北山修の『戦争を知らない子供たち』を置いて行きました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:あの子は、動物をかわいがるやさしい子でした。また“長いものに巻かれろ、クサイものにはフタ”というのが大きらいでした。早大に入ってから原爆被災者の話などについて、よく話し、「自分だけが幸福になっても、ダメなんだよ、もっと多くの人が幸せにならなくては……母さん、もう少し目ざめなければならんよ」と、言うようになりました。が、あの子に関しては、何一つ心配がありませんでした。&lt;br /&gt;
:姉の三枝子も、「大ちゃんは、私の弟だけれど、内心尊敬していたし、どこか寄りかかっていた感じ」というくらい、シンのしっかりしていた子でしたから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:ジャーナリスト志望だった大三郎は、入学後まもなく「早稲田学生新聞」に入りました。46年6月5日付の“学生新聞”にあの子の早慶戦観戦記がのっています。&lt;br /&gt;
::「若き血も、完全燃焼しないままもえつきてしまった…。&lt;br /&gt;
::たそがれせまるなか、友と肩を組んで校歌を歌う。そこには“ワセダ”があり、“伝統”が生きている…」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:でも、あの子が、あんなに若き情熱を燃やした早大も、2年生になってから、学内の暴力の存在を知って、急速に失望していったようです。そのうちに「大学なんて、どこでも同じだよ」と言いだしました。大学の友だちにはキャンパスの芝生の上に寝ころがって&lt;br /&gt;
「魚屋かスシ屋にでもなりたい」と、もらしていたそうです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:それでも、私には心配をかけまいと思ってか“大学が暴力の巣だ”とは言いませんでした。&lt;br /&gt;
:私は、暴力が渦巻く内情を余りにも知らなすぎました。そんなことが初めからわかっていれば、息子がどんなに志望しても、早大にはやりませんでしたのに…。&lt;br /&gt;
:いちばん、くやしいのは、あの子が新聞で“中核派のスパイ”だと報道されたことです。私の息子は、一般学生も証明しているように、完全なノン・セクトです。ただ、正義感の強い大ちゃんのことだから、言論の自由ということで、自分の思うことを主張していたのだと思います。&lt;br /&gt;
:“革マル”が、中核派のスパイだと睨んだのは、平和運動、原爆被災などをあの子がやっていたからでしょう。それが、この問題にあまり熱心でない“革マル”の怒りを買ったのでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「大三郎君を“中核派”の同盟員に誘ったけど、なかなか首をタテに振らなかった。もし、入っていたら、われわれの力で保護できたものを…」&lt;br /&gt;
:お通夜の席で“中核派”の人が、こう言うのです。&lt;br /&gt;
:いまさら何を言ったって息子は帰ってきません。それより“中核”だ、“革マル”だと、大三郎の死を政治団体に利用してほしくない気持ちでいっぱいです。&lt;br /&gt;
:かりに、早大から“革マル”を追い出しても、それに代わるものが来ては同じです。それでは、暴力を憎んでいた大三郎の主旨に反します。大学は静かに学問するところ。どだい、人間の命を大切にできないものが、世の中を変革するなどというのが、おかしいのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::「教室を見にいったが、何の異状もなかった。だから、大学の上層部はこんなことになるとは思っても見なかった…今後は、こういうことを起こしません」&lt;br /&gt;
::－－どんな理由があって、自治会室には学校側が入れないのですか。&lt;br /&gt;
::「自治会室には入れないことになっているんです」&lt;br /&gt;
::－－それでは、自治会室の中で何があってもわからないのですか。&lt;br /&gt;
::「何もしないでいたのではなく“革マル”のピケ隊がいて入れなかった…」&lt;br /&gt;
:これは、お通夜の席に見えた、早稲田の村井総長と私とのやりとりです。で、これだけ言うと、総長はわずか5分間でそそくさと帰られました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:大学当局は、問題を“学生の自治”で逃げようとしている。しかし、その後、一般学生に“革マル派”の学生が取り囲まれると、大学当局は“革マル”の救出に乗り出したりしています。まったく矛盾した話です。&lt;br /&gt;
:暴力－－といっても、だんだん話を聞いていくと、私たちの考えているような暴力ではないではないですか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:少しでも“革マル”の批判をすると、部屋をメチャクチャにこわす、リンチをする、あげくの果ては、殺人までおかす……こんな残酷な事件が、学校の外で起きたのではなく、学問の場で行なわれているのです。&lt;br /&gt;
:それを大事な子弟をあずかる大学当局が放置してきたと言われても仕方がないではありませんか。私は、何かわからない怒りで、胸の中がたぎるような思いでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:もし、大学当局が、あくまで、大三郎の死は、内ゲバだから……という片づけかたをするのなら、息子の死をウヤムヤにすることなく、私は、大学当局を訴えるつもりです。&lt;br /&gt;
:学校内部には、いろいろ複雑な問題もありましょうが、単に、理事者や2人の文学部長が辞任して片づく問題ではないでしょう。あくまで、大学当局、その最高責任者である総長に責任ある釈明を求めます。（後略）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::      （女性自身1972年12月9日号P143～147掲載）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

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				<updated>2021-11-29T06:10:24Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:（前略）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:9年前、夫が膵臓ガンで他界してから、私は3人の子供たちを、伊東市の競輪場の会計の仕事と、保険の外交の二つの仕事で育ててきました。私は、知らぬ人の前で話をするのがキライな性質で、保険の外交は4年ぐらいで辞めましたが、競輪の会計の仕事は今年で19年になります。（注：月に1週間働いて2万円）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:正式にどこかへ勤めれば収入はいいのですが、それでは子供を見る時間がないし、子供たちが学校へ行っている間、仕事をしたかったからです。姉の三枝子が高校2年、兄の正人が中3、大三郎が小学校6年生という、いちばんむずかしい年ごろでした。しかし、私は貧しくても、片親だけでも、明るく育てたかったのです。&lt;br /&gt;
:で、〈らしく主義〉を教育方針にしました。男は男らしく、女は女らしくがいちばん大事だと、子供たちに言って聞かせたのです。大三郎にも、“男らしく、男がいったん口から出した以上、責任をもて”、“〈らしく〉の本分を守りなさい”というのが私の口ぐせでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:そうした甲斐もあってか、あの子は一口に言えば、骨のある明治の人間のように育ちました。いえ、育ったように見えました。義理、人情を重んじ、情緒豊かで、先生や目上の人への態度も、現代っ子の多いこの世の中には珍しく折り目正しい子でした。要領よく世の中を泳ぐのはきらいな子でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:…私たち夫婦が伊東にきたのは、終戦の半年前、それまで住んでいた東京の家が戦災で焼けたからでした。伊東は子供を育てるのに格好の自然がありましたが、文化の面では比較的遅れていました。&lt;br /&gt;
:ですから、私は大三郎には幼いころから東京のY M C Aで水泳を習わせたり、市谷のユースホステルに泊まることを教えたりしました。ユースホステルでは母と子は別々に寝なければならないし、自立心を養う点でいい訓練になると思ったからです。&lt;br /&gt;
:3人の子供はどの子もかわいいけれども、大ちゃん（注：大三郎君）とは趣味が同じで、よく気が合いました。成長してからは、親子というより、一個の人間として、友だちのような関係だったと思います。あの子は小学生のころ、勉強のほうはいつも首席でしたが体が弱く、それが心配で、運動をさせるため、よく山へ連れて行きました。“踊り子コース”や伊豆の山などいっしょに歩いたものです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:中学に入るとバレーボールを始め、それからカゼひとつ引かなくなりました。友だちが多く、色白なものですから“ダイコン”とアダ名で呼ばれていました。県立伊東高校へ進み、3年間無遅刻。高校ではもっぱら山登りで、山岳部の部長をしていました。3年生になってはじめて受験勉強らしいものをはじめました。いつも明るくワアワア騒いでいて、ガリ勉じゃなかったのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:早稲田大学の文学部を選んだのは、ジャーナリストになって、ペンの力で社会の悪と闘おうと思ったからでした。高校の担任の先生が慶応出身で、慶応へ行けとすすめられたのですが、慶応はブルジョア学校だし、国立大学を出ても、オレは官僚になるのはイヤだからと言って、早大出身者にジャーナリストが多いのに目をつけ、早稲田精神にほれて入学したのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:早大へ入るときも、「私立は金がかかるけど、早稲田でもいいか。お母さん、入学金だけ出しておくれ」って気を使う子でした。この夏帰省したときも大学の授業料の請求書をみて「それちょうだいよ。ボク、金を貯めてあるんだよ」と、そんなお金が無いくせに、私に心配をかけないように言うんです。大学へは川崎の姉の家に下宿して通っていました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:三枝子の嫁ぎ先が土建屋なものですから、トラックの運転をしてアルバイトしていました。それと、育英会、駿河銀行の奨学金を学費に当てていたのです。&lt;br /&gt;
:大ちゃんは、ヒマができると、アルバイトして山へ行っていました。死ぬ数日前、「11月11日ごろ、天城へ友だち3人連れてゆくから寄るよ」と、電話があったばかりでしたのに……。10月23日から3日間帰省したとき、たまたま兄姉3人が集まったのです。そのとき、大ちゃんは、「母さん、黒ビールなら飲めるだろう」と、伊東の街で買って来て、親子4人で12時過ぎまで騒ぎました。それが最後になりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1カ月前、あの子が山からくれた絵ハガキがあります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「前略。オフクロ様。&lt;br /&gt;
:お宅の息子さんは、今、北アルプスに来ております。&lt;br /&gt;
:上高地、小梨平キャンプ場にて、これを書いています。&lt;br /&gt;
:なんせ、窮屈でして、文字も乱雑になりますが、御了承下さい。&lt;br /&gt;
:そのうち、帰るかもしれないからヨロシク。&lt;br /&gt;
:まあ、とにかく、行って来らあ。では、しばしの間、バイバイ。&lt;br /&gt;
:　　追伸&lt;br /&gt;
:　今日は非常にブラックが旨い。ウイー！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:　川口サト様&lt;br /&gt;
:　トラ子&lt;br /&gt;
:　チビタン子&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:小梨平にて　やくざな息子より」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:あの日以来、何回読み直したことでしょう。そのたびに幼い日の大ちゃんが思い出されて、ひとり泣くのです。&lt;br /&gt;
:棺の中に横たわっていた大ちゃんの顔には、解剖で縫合された傷あとが生々しく残っていました。あの明るい笑顔はもう見られない。こんな残酷なことがあるでしょうか。&lt;br /&gt;
:明るい子でした。家へ帰るとお風呂に入ってハナ歌で“人生劇場”を歌っていました。天地真理の愛くるしい顔が好きだったようです。「そのうちオフクロがビックリするようないい娘を連れてくるよ」と、私を笑わせていました。帰省するたびに「“オバンツ”（注：伊豆の方言でおばあさんのこと）がグズグズいうから面倒みてやらねばならん」といって、女手ではできない家の修理や、茶の木の手入れをよくしてくれました。縁側の日なたで、好きな本をよく読んでいました。北杜夫や新田次郎の小説や、「山と渓谷」などが愛読書でした。この前、帰って来たときは、私に「これ読んだら」と、北山修の『戦争を知らない子供たち』を置いて行きました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:あの子は、動物をかわいがるやさしい子でした。また“長いものに巻かれろ、クサイものにはフタ”というのが大きらいでした。早大に入ってから原爆被災者の話などについて、よく話し、「自分だけが幸福になっても、ダメなんだよ、もっと多くの人が幸せにならなくては……母さん、もう少し目ざめなければならんよ」と、言うようになりました。が、あの子に関しては、何一つ心配がありませんでした。&lt;br /&gt;
:姉の三枝子も、「大ちゃんは、私の弟だけれど、内心尊敬していたし、どこか寄りかかっていた感じ」というくらい、シンのしっかりしていた子でしたから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:ジャーナリスト志望だった大三郎は、入学後まもなく「早稲田学生新聞」に入りました。46年6月5日付の“学生新聞”にあの子の早慶戦観戦記がのっています。&lt;br /&gt;
::「若き血も、完全燃焼しないままもえつきてしまった…。&lt;br /&gt;
::たそがれせまるなか、友と肩を組んで校歌を歌う。そこには“ワセダ”があり、“伝統”が生きている…」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:でも、あの子が、あんなに若き情熱を燃やした早大も、2年生になってから、学内の暴力の存在を知って、急速に失望していったようです。そのうちに「大学なんて、どこでも同じだよ」と言いだしました。大学の友だちにはキャンパスの芝生の上に寝ころがって&lt;br /&gt;
「魚屋かスシ屋にでもなりたい」と、もらしていたそうです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:それでも、私には心配をかけまいと思ってか“大学が暴力の巣だ”とは言いませんでした。&lt;br /&gt;
:私は、暴力が渦巻く内情を余りにも知らなすぎました。そんなことが初めからわかっていれば、息子がどんなに志望しても、早大にはやりませんでしたのに…。&lt;br /&gt;
:いちばん、くやしいのは、あの子が新聞で“中核派のスパイ”だと報道されたことです。私の息子は、一般学生も証明しているように、完全なノン・セクトです。ただ、正義感の強い大ちゃんのことだから、言論の自由ということで、自分の思うことを主張していたのだと思います。&lt;br /&gt;
:“革マル”が、中核派のスパイだと睨んだのは、平和運動、原爆被災などをあの子がやっていたからでしょう。それが、この問題にあまり熱心でない“革マル”の怒りを買ったのでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「大三郎君を“中核派”の同盟員に誘ったけど、なかなか首をタテに振らなかった。もし、入っていたら、われわれの力で保護できたものを…」&lt;br /&gt;
:お通夜の席で“中核派”の人が、こう言うのです。&lt;br /&gt;
:いまさら何を言ったって息子は帰ってきません。それより“中核”だ、“革マル”だと、大三郎の死を政治団体に利用してほしくない気持ちでいっぱいです。&lt;br /&gt;
:かりに、早大から“革マル”を追い出しても、それに代わるものが来ては同じです。それでは、暴力を憎んでいた大三郎の主旨に反します。大学は静かに学問するところ。どだい、人間の命を大切にできないものが、世の中を変革するなどというのが、おかしいのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::「教室を見にいったが、何の異状もなかった。だから、大学の上層部はこんなことになるとは思っても見なかった…今後は、こういうことを起こしません」&lt;br /&gt;
::－－どんな理由があって、自治会室には学校側が入れないのですか。&lt;br /&gt;
::「自治会室には入れないことになっているんです」&lt;br /&gt;
::－－それでは、自治会室の中で何があってもわからないのですか。&lt;br /&gt;
::「何もしないでいたのではなく“革マル”のピケ隊がいて入れなかった…」&lt;br /&gt;
:これは、お通夜の席に見えた、早稲田の村井総長と私とのやりとりです。で、これだけ言うと、総長はわずか5分間でそそくさと帰られました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:大学当局は、問題を“学生の自治”で逃げようとしている。しかし、その後、一般学生に“革マル派”の学生が取り囲まれると、大学当局は“革マル”の救出に乗り出したりしています。まったく矛盾した話です。&lt;br /&gt;
:暴力－－といっても、だんだん話を聞いていくと、私たちの考えているような暴力ではないではないですか。&lt;br /&gt;
:少しでも“革マル”の批判をすると、部屋をメチャクチャにこわす、リンチをする、あげくの果ては、殺人までおかす……こんな残酷な事件が、学校の外で起きたのではなく、学問の場で行なわれているのです。&lt;br /&gt;
:それを大事な子弟をあずかる大学当局が放置してきたと言われても仕方がないではありませんか。私は、何かわからない怒りで、胸の中がたぎるような思いでした。&lt;br /&gt;
:もし、大学当局が、あくまで、大三郎の死は、内ゲバだから……という片づけかたをするのなら、息子の死をウヤムヤにすることなく、私は、大学当局を訴えるつもりです。&lt;br /&gt;
:学校内部には、いろいろ複雑な問題もありましょうが、単に、理事者や2人の文学部長が辞任して片づく問題ではないでしょう。あくまで、大学当局、その最高責任者である総長に責任ある釈明を求めます。（後略）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::      （女性自身1972年12月9日号P143～147掲載）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

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		<title>「大ちゃんの遺志どおりに、一日もはやく暴力のない大学になってほしい」（姉）</title>
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				<updated>2021-11-29T06:08:05Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: ページの作成:「:大ちゃんが、私の家に来たのは、46年3月、早稲田の合格が決まり、入学までの間家の土建業の仕事を手伝ってくれていた。そ...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:大ちゃんが、私の家に来たのは、46年3月、早稲田の合格が決まり、入学までの間家の土建業の仕事を手伝ってくれていた。その時から、ずっと家でアルバイトをしながら学校へ通っていた。肉体労働なのでつらかったと思うが、よく頑張り通した。うちの若い衆からもとてもかわいがられていたし、仕事先でもとても評判がよかった。明るくてユーモラスな子だったから、だれからも好かれていたと思う。いつも相手の立場になって、ものを考えることができる子だった。だけど、あんないい子が、なぜ、死んでしまったのだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:事件のあとでいろいろな事実がわかってくると、大学というところは、私達には想像もつかないところらしい。私達が話を聞いただけでもびっくりするくらいだから、少しでも正義感のある学生だったら、それに反発するのはあたりまえだと思う。一般学生の中には革マルに反感をもっている人はたくさんいると思う。大ちゃん達みたいに、それを行動に移せばにらまれるのは当然のことだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:大ちゃんはそれを覚悟で運動をしていたのだと思う。大ちゃんのやっていたことは学生運動とは別のものだと思う。本人だって「おれは学生運動っていわれかたはいやなんだ」とよく言っていた。だけど、新聞には、大ちゃんが中核派の学生であったように書かれた。大ちゃんは人種差別問題にひじょうに興味をもって、その事に関しては中核派の集会にも出ていた。集会に出たって、党員とはかぎらない。家にもよく電話がかかってきたが、大ちゃんは、よく居留守をつかっていた。あまり電話に出ないので、電報まで打ってくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:とにかくしつこい。大ちゃんは「彼等とは意見が合わないし、しつこいよ」と話していた。大ちゃんは中核派など、ぜったいに入っていなかった。新聞や、雑誌というのは実に無責任にものを書く。あの事件のときだって、加害者側の言い分ばかりのせて、被害者側の方はそっちのけ、だいたい人を殺した方が、よくも堂々と、人前に出られるものだ。そして、その一方的な意見を新聞がのせているのだから、世の中狂っている。雑誌などは、うちが父親がいないということでまるでひどい貧乏の子が大学へ行っていたように書くし、たしかにうちは父親がいない。けれど、家の中はいつも明るくて、楽しかったし、私達だってなんの不自由もなく高校まで出してもらった。ただ興味本位で、あることないこと書かれたのでは、いいかげん迷惑だ。いつか大ちゃんが「おれは、犠牲になってもおれのあとに続くものがいればいいんだ」と言っていた。最初に物事にとりくむものは必ずといってよいほど犠牲になるものだと思う。この犠牲をぜったいに無駄にしてほしくない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:町で友達と楽しそうに話したり笑ったりしている学生達を見かけるたびに、なんで、大ちゃんだけが死んでしまったのかしらと思う。あの時、そばにいた友達が一言、110番してくれたら。見にきた先生が、一歩、教室の中に入っていてくれたら。毎日毎日そんなことばかり考えている。学校も、先生も、友達も、みんなにくい。革マルや中核の学生はもっとにくい。私達の平和だった家庭をメチャメチャにした犯人は、大ちゃんと同じめにあって死んでしまえばいい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:一部の人達をのぞけば、みんなこんな事件には、無関心といった感じ。早稲田の学生達もヘルメットをかぶって騒いでばかりいないで、もっと他のやり方がないものかしらと思う。この事件をきっかけに、早稲田がよくなっていけば、ほんとうによいことだけど、私には大ちゃんのいない大学なんて関係ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:早稲田なんて、聞いただけで悲しくなり、又、恨みたくもなるが、とにかく大ちゃんの遺志どおりに、一日もはやく暴力のない大学になってほしいと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::         （伊東高校山岳部OB会発行「川口大三郎遺稿集」掲載）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

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		<title>「息子を惨殺した犯人へ憎しみをこめて綴る…」（母）</title>
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				<updated>2021-11-29T06:04:19Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: ページの作成:「:（前略）  :9年前、夫が膵臓ガンで他界してから、私は3人の子供たちを、伊東市の競輪場の会計の仕事と、保険の外交の二つ...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:（前略）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:9年前、夫が膵臓ガンで他界してから、私は3人の子供たちを、伊東市の競輪場の会計の仕事と、保険の外交の二つの仕事で育ててきました。私は、知らぬ人の前で話をするのがキライな性質で、保険の外交は4年ぐらいで辞めましたが、競輪の会計の仕事は今年で19年になります。（注：月に1週間働いて2万円）&lt;br /&gt;
:正式にどこかへ勤めれば収入はいいのですが、それでは子供を見る時間がないし、子供たちが学校へ行っている間、仕事をしたかったからです。姉の三枝子が高校2年、兄の正人が中3、大三郎が小学校6年生という、いちばんむずかしい年ごろでした。しかし、私は貧しくても、片親だけでも、明るく育てたかったのです。&lt;br /&gt;
:で、〈らしく主義〉を教育方針にしました。男は男らしく、女は女らしくがいちばん大事だと、子供たちに言って聞かせたのです。大三郎にも、“男らしく、男がいったん口から出した以上、責任をもて”、“〈らしく〉の本分を守りなさい”というのが私の口ぐせでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:そうした甲斐もあってか、あの子は一口に言えば、骨のある明治の人間のように育ちました。いえ、育ったように見えました。義理、人情を重んじ、情緒豊かで、先生や目上の人への態度も、現代っ子の多いこの世の中には珍しく折り目正しい子でした。要領よく世の中を泳ぐのはきらいな子でした。&lt;br /&gt;
:…私たち夫婦が伊東にきたのは、終戦の半年前、それまで住んでいた東京の家が戦災で焼けたからでした。伊東は子供を育てるのに格好の自然がありましたが、文化の面では比較的遅れていました。&lt;br /&gt;
:ですから、私は大三郎には幼いころから東京のY M C Aで水泳を習わせたり、市谷のユースホステルに泊まることを教えたりしました。ユースホステルでは母と子は別々に寝なければならないし、自立心を養う点でいい訓練になると思ったからです。&lt;br /&gt;
:3人の子供はどの子もかわいいけれども、大ちゃん（注：大三郎君）とは趣味が同じで、よく気が合いました。成長してからは、親子というより、一個の人間として、友だちのような関係だったと思います。あの子は小学生のころ、勉強のほうはいつも首席でしたが体が弱く、それが心配で、運動をさせるため、よく山へ連れて行きました。“踊り子コース”や伊豆の山などいっしょに歩いたものです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:中学に入るとバレーボールを始め、それからカゼひとつ引かなくなりました。友だちが多く、色白なものですから“ダイコン”とアダ名で呼ばれていました。県立伊東高校へ進み、3年間無遅刻。高校ではもっぱら山登りで、山岳部の部長をしていました。3年生になってはじめて受験勉強らしいものをはじめました。いつも明るくワアワア騒いでいて、ガリ勉じゃなかったのです。&lt;br /&gt;
:早稲田大学の文学部を選んだのは、ジャーナリストになって、ペンの力で社会の悪と闘おうと思ったからでした。高校の担任の先生が慶応出身で、慶応へ行けとすすめられたのですが、慶応はブルジョア学校だし、国立大学を出ても、オレは官僚になるのはイヤだからと言って、早大出身者にジャーナリストが多いのに目をつけ、早稲田精神にほれて入学したのです。&lt;br /&gt;
:早大へ入るときも、「私立は金がかかるけど、早稲田でもいいか。お母さん、入学金だけ出しておくれ」って気を使う子でした。この夏帰省したときも大学の授業料の請求書をみて「それちょうだいよ。ボク、金を貯めてあるんだよ」と、そんなお金が無いくせに、私に心配をかけないように言うんです。大学へは川崎の姉の家に下宿して通っていました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:三枝子の嫁ぎ先が土建屋なものですから、トラックの運転をしてアルバイトしていました。それと、育英会、駿河銀行の奨学金を学費に当てていたのです。&lt;br /&gt;
:大ちゃんは、ヒマができると、アルバイトして山へ行っていました。死ぬ数日前、「11月11日ごろ、天城へ友だち3人連れてゆくから寄るよ」と、電話があったばかりでしたのに……。10月23日から3日間帰省したとき、たまたま兄姉3人が集まったのです。そのとき、大ちゃんは、「母さん、黒ビールなら飲めるだろう」と、伊東の街で買って来て、親子4人で12時過ぎまで騒ぎました。それが最後になりました。&lt;br /&gt;
:1カ月前、あの子が山からくれた絵ハガキがあります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「前略。オフクロ様。&lt;br /&gt;
:お宅の息子さんは、今、北アルプスに来ております。&lt;br /&gt;
:上高地、小梨平キャンプ場にて、これを書いています。&lt;br /&gt;
:なんせ、窮屈でして、文字も乱雑になりますが、御了承下さい。&lt;br /&gt;
:そのうち、帰るかもしれないからヨロシク。&lt;br /&gt;
:まあ、とにかく、行って来らあ。では、しばしの間、バイバイ。&lt;br /&gt;
:　　追伸&lt;br /&gt;
:　今日は非常にブラックが旨い。ウイー！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:　川口サト様&lt;br /&gt;
:　トラ子&lt;br /&gt;
:　チビタン子&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:小梨平にて　やくざな息子より」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:あの日以来、何回読み直したことでしょう。そのたびに幼い日の大ちゃんが思い出されて、ひとり泣くのです。&lt;br /&gt;
:棺の中に横たわっていた大ちゃんの顔には、解剖で縫合された傷あとが生々しく残っていました。あの明るい笑顔はもう見られない。こんな残酷なことがあるでしょうか。&lt;br /&gt;
:明るい子でした。家へ帰るとお風呂に入ってハナ歌で“人生劇場”を歌っていました。天地真理の愛くるしい顔が好きだったようです。「そのうちオフクロがビックリするようないい娘を連れてくるよ」と、私を笑わせていました。帰省するたびに「“オバンツ”（注：伊豆の方言でおばあさんのこと）がグズグズいうから面倒みてやらねばならん」といって、女手ではできない家の修理や、茶の木の手入れをよくしてくれました。縁側の日なたで、好きな本をよく読んでいました。北杜夫や新田次郎の小説や、「山と渓谷」などが愛読書でした。この前、帰って来たときは、私に「これ読んだら」と、北山修の『戦争を知らない子供たち』を置いて行きました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:あの子は、動物をかわいがるやさしい子でした。また“長いものに巻かれろ、クサイものにはフタ”というのが大きらいでした。早大に入ってから原爆被災者の話などについて、よく話し、「自分だけが幸福になっても、ダメなんだよ、もっと多くの人が幸せにならなくては……母さん、もう少し目ざめなければならんよ」と、言うようになりました。が、あの子に関しては、何一つ心配がありませんでした。&lt;br /&gt;
:姉の三枝子も、「大ちゃんは、私の弟だけれど、内心尊敬していたし、どこか寄りかかっていた感じ」というくらい、シンのしっかりしていた子でしたから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:ジャーナリスト志望だった大三郎は、入学後まもなく「早稲田学生新聞」に入りました。46年6月5日付の“学生新聞”にあの子の早慶戦観戦記がのっています。&lt;br /&gt;
::「若き血も、完全燃焼しないままもえつきてしまった…。&lt;br /&gt;
::たそがれせまるなか、友と肩を組んで校歌を歌う。そこには“ワセダ”があり、“伝統”が生きている…」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:でも、あの子が、あんなに若き情熱を燃やした早大も、2年生になってから、学内の暴力の存在を知って、急速に失望していったようです。そのうちに「大学なんて、どこでも同じだよ」と言いだしました。大学の友だちにはキャンパスの芝生の上に寝ころがって&lt;br /&gt;
:「魚屋かスシ屋にでもなりたい」と、もらしていたそうです。&lt;br /&gt;
:それでも、私には心配をかけまいと思ってか“大学が暴力の巣だ”とは言いませんでした。&lt;br /&gt;
:私は、暴力が渦巻く内情を余りにも知らなすぎました。そんなことが初めからわかっていれば、息子がどんなに志望しても、早大にはやりませんでしたのに…。&lt;br /&gt;
:いちばん、くやしいのは、あの子が新聞で“中核派のスパイ”だと報道されたことです。私の息子は、一般学生も証明しているように、完全なノン・セクトです。ただ、正義感の強い大ちゃんのことだから、言論の自由ということで、自分の思うことを主張していたのだと思います。&lt;br /&gt;
:“革マル”が、中核派のスパイだと睨んだのは、平和運動、原爆被災などをあの子がやっていたからでしょう。それが、この問題にあまり熱心でない“革マル”の怒りを買ったのでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「大三郎君を“中核派”の同盟員に誘ったけど、なかなか首をタテに振らなかった。もし、入っていたら、われわれの力で保護できたものを…」&lt;br /&gt;
:お通夜の席で“中核派”の人が、こう言うのです。&lt;br /&gt;
:いまさら何を言ったって息子は帰ってきません。それより“中核”だ、“革マル”だと、大三郎の死を政治団体に利用してほしくない気持ちでいっぱいです。&lt;br /&gt;
:かりに、早大から“革マル”を追い出しても、それに代わるものが来ては同じです。それでは、暴力を憎んでいた大三郎の主旨に反します。大学は静かに学問するところ。どだい、人間の命を大切にできないものが、世の中を変革するなどというのが、おかしいのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::「教室を見にいったが、何の異状もなかった。だから、大学の上層部はこんなことになるとは思っても見なかった…今後は、こういうことを起こしません」&lt;br /&gt;
::－－どんな理由があって、自治会室には学校側が入れないのですか。&lt;br /&gt;
::「自治会室には入れないことになっているんです」&lt;br /&gt;
::－－それでは、自治会室の中で何があってもわからないのですか。&lt;br /&gt;
::「何もしないでいたのではなく“革マル”のピケ隊がいて入れなかった…」&lt;br /&gt;
:これは、お通夜の席に見えた、早稲田の村井総長と私とのやりとりです。で、これだけ言うと、総長はわずか5分間でそそくさと帰られました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:大学当局は、問題を“学生の自治”で逃げようとしている。しかし、その後、一般学生に“革マル派”の学生が取り囲まれると、大学当局は“革マル”の救出に乗り出したりしています。まったく矛盾した話です。&lt;br /&gt;
:暴力－－といっても、だんだん話を聞いていくと、私たちの考えているような暴力ではないではないですか。&lt;br /&gt;
:少しでも“革マル”の批判をすると、部屋をメチャクチャにこわす、リンチをする、あげくの果ては、殺人までおかす……こんな残酷な事件が、学校の外で起きたのではなく、学問の場で行なわれているのです。&lt;br /&gt;
:それを大事な子弟をあずかる大学当局が放置してきたと言われても仕方がないではありませんか。私は、何かわからない怒りで、胸の中がたぎるような思いでした。&lt;br /&gt;
:もし、大学当局が、あくまで、大三郎の死は、内ゲバだから……という片づけかたをするのなら、息子の死をウヤムヤにすることなく、私は、大学当局を訴えるつもりです。&lt;br /&gt;
:学校内部には、いろいろ複雑な問題もありましょうが、単に、理事者や2人の文学部長が辞任して片づく問題ではないでしょう。あくまで、大学当局、その最高責任者である総長に責任ある釈明を求めます。（後略）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::      （女性自身1972年12月9日号P143～147掲載）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E3%80%8C%E8%83%B8%E3%82%92%E5%BC%B5%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%80%8E%E5%A4%A7%E4%B8%89%E9%83%8E%E3%81%AF%E7%9C%9F%E3%81%AE%E7%94%B7%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%8F%E3%81%A8%E8%A8%80%E3%81%88%E3%82%8B%E3%80%8D%EF%BC%88%E6%AF%8D%EF%BC%89&amp;diff=884</id>
		<title>「胸を張って『大三郎は真の男だった』と言える」（母）</title>
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				<updated>2021-11-29T05:56:39Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: ページの作成:「:大ちゃんが死んだ、あの子が殺された。そんな馬鹿な!!  :毎日元気に学校へ行き、力一杯アルバイトをしていた大ちゃんが。 :...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:大ちゃんが死んだ、あの子が殺された。そんな馬鹿な!!&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:毎日元気に学校へ行き、力一杯アルバイトをしていた大ちゃんが。&lt;br /&gt;
:だいいち2、3日前「お母さん友達を連れて天城を案内するから、その時はたのむヨ」と元気な声で電話があったばかりではないか。何かの間違いだ、間違いなんだ。エープリルフールかな、いや、今日は11月9日だ。&lt;br /&gt;
:私は一瞬、冷蔵庫の中へ頭からつっこまれた様な気持になり、全身悪寒がはしり、あたりの物音は何も聞こえなくなった。&lt;br /&gt;
:でもそれは悲しくも現実だったのだ。本当に起ってしまった事だったのだ。この怒りと悲しみ、最愛の子供を殺された母のなげき、皆さんもやがては人の子の親となる。その時やっと私の今の悲しみの半分位わかってくれると思う。後の半分は、やはりこの様な目にあわされた者でなければとうていわからない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:人殺しカクマル、クタバレ教師、クタバレノンポリ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「一日も早く元気になって下さい」東小学校と書かれた袋に入った給食のパンを、今日もお友達は届けてくれた。大ちゃんは布団の中から亀の子の様に首を出し本を読んでいる。赤ちゃんの時は伊東市の健康優良児で表彰されたくらいなのに、この頃ではすっかり病弱になり満足に学校へも行かれない。そのかわり熱が下がると待ってましたとばかり元気に学校へ出かけて行く。そんな彼なのに成績はいつも首席。そして出来の悪い子の算数や国語を見てやる。受持の先生は、そんな彼に「教育係」と言う名前を付けた。&lt;br /&gt;
:そして彼にとって第一回目の不幸がやってきた。5年生の春、父親は病気のため大ちゃん一家を置いてきぼりにして、サッサと天国へいってしまった。お姉ちゃんが高校2年、お兄ちゃんが中学3年、私は子供達を連れて来た。私は3人の子供のために夢中で働いた。&lt;br /&gt;
:海辺よりも山の方が彼の身体に合っているのか、引っ越して来てから少しずつ大ちゃんは丈夫になっていった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「お母さん、僕、クラブは運動部にしようと思う」と言ってバレー部に入部した。&lt;br /&gt;
:今日から大ちゃんは市立南中学校の1年生。学校は家から5、6分。富士山の良く見える坂道を下るとすぐ学校。放課後、暗くなるまで毎日、毎日元気にバレー部で活躍。いつのまにか生れ変った様な丈夫な子になり、誰が見ても片親で育った家庭の子とは思われない底抜けに明るい元気なクラスの人気者になっていった。もちろん成績もやはり首席、そしていつのまにかクラスの相談役的存在になっていた。&lt;br /&gt;
:私はその頃から大ちゃんと伊豆の山や海、自然を求めて野山を歩き回る様になった。&lt;br /&gt;
:そして私はいつも「らしく」という事をやかましく言った。つまり男は男らしく、女は女らしく、学生は学生らしくといった具合に、人間「らしく」という事をふまえて行動したら先は間違いないと思う。「らしからぬ」ことを言ったりするから問題が起きるのだ。そして男が一たん口から外へ出した事は何が何でも実行しろとも言った。人間、責任という事を忘れては駄目だ、とも言って聞かせた。私が玉をみがくように育てた彼は日一日とたくましく成長していった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:S43.4、県立伊東高校入学。入学と同時にアコガレの山岳部に入部。又々放課後、暗くなるまで砂袋をかつぎ浜を飛んだり、学校の隣の仏現寺の長い長い階段を、ウサギ飛びをしながら登ったり降りたり、高い石垣をよじ登ったり、来る日も来る日も山へいどむ技術の訓練と体力作りに励んでいった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:桜の花の咲き誇る4月、目出度くあこがれの早稲田へ入学した。それこそ胸ふくらませて好きで好きでたまらなかった早稲田へ－－卒業したらジャーナリストになるんだと、高校時代から早稲田速記もやっていた。そして2年たつかたたないうちに彼は早稲田の舎で命をたった。うそだ、夢なんだ。私は今でもそう思う。大勢の若者の中にきっといる大ちゃんは。冬休みや春休みが来ると私は想う、あのニコニコした顔で茶色のショルダーバッグを肩に、今日は来るか、明日は帰るかと……。春の彼岸がめぐって来た。&lt;br /&gt;
:今日も大ちゃんのお墓の前には、きれいなお花とお線香がそなえてあった。お友達が参ってくれたのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:大ちゃんは、生ある時も天国にあっても常に人に好かれる人間だった。だから私は親として声を大にして、胸を張って「大三郎は真の男だった」と言えるのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::     （早大学生新聞会記載）&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E6%96%87%E5%AD%97%E3%81%8C%E8%A8%98%E6%86%B6%E3%81%99%E3%82%8B%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%A4%A7%E4%B8%89%E9%83%8E&amp;diff=882</id>
		<title>文字が記憶する川口大三郎</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E6%96%87%E5%AD%97%E3%81%8C%E8%A8%98%E6%86%B6%E3%81%99%E3%82%8B%E5%B7%9D%E5%8F%A3%E5%A4%A7%E4%B8%89%E9%83%8E&amp;diff=882"/>
				<updated>2021-11-29T05:50:48Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
[[はじめに]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
●川口大三郎の思い●&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
[[◇山よ、早稲田よ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[◇日記（1971年4月）]]&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
[[◇活動]]&lt;br /&gt;
::早慶戦観戦記&lt;br /&gt;
::早稲田原理研の修練会に参加して&lt;br /&gt;
::地方文化研究部発起&lt;br /&gt;
::コンパのお知らせ&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
[[◇年譜]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
●川口大三郎を語る●&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[大ちゃんはいつも明るい元気な、人様に好かれる人間だった」（母）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「胸を張って『大三郎は真の男だった』と言える」（母）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「息子を惨殺した犯人へ憎しみをこめて綴る…」（母）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「大ちゃんの遺志どおりに、一日もはやく暴力のない大学になってほしい」（姉）]]&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
[[「悔しいなあ。あんないい奴が死ぬなんて。まだ俺には信じられない」（伊東高校山岳部OB）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「早稲田をこよなく愛し、自ら“早稲田の住人”と称した彼」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「あんなに明るくて、タフでサッパリした川口を殺したやつは許せない」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「ボサボサの髪に、Gパン、Tシャツ、ゲタの音も高くひびかせながら」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「あいつは素直に物を考え、自分の足でたしかめて物を言うやつだ」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「川口君のくやしさ、苦痛を私たち自身のものとして」（早大2J）]]&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「2Jの級友達の怒りの激しさが、彼の信望を語っていよう」（早大一文中国語担当）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「彼独自の早稲田魂は永遠に都の西北早稲田の杜に生き続ける」（早稲田精神昂揚会）]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[「故川口君の当新聞会活動について」（早稲田学生新聞会）]]&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E2%97%87%E5%B9%B4%E8%AD%9C&amp;diff=881</id>
		<title>◇年譜</title>
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				<updated>2021-11-29T05:45:18Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: ページの作成:「::昭和27年8月25日　静岡県伊東市八幡町にて誕生。一姉、一兄の3番目の次男。市から健康優良児として表彰される。  ::昭和32年...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;::昭和27年8月25日　静岡県伊東市八幡町にて誕生。一姉、一兄の3番目の次男。市から健康優良児として表彰される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::昭和32年4月　野間自由幼稚園（私立）に入園。3年保育。ところが敗血症にかかりほとんど通園できなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::昭和34年4月　伊東市立東小学校入学。４年生の時、肺門炎にて２学期休学。自宅療養。５年生の時、父が病死。逆川へ転宅。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::昭和40年　伊東市立南中学校入学。１年次バレー部入部。体を丈夫にすることに専念する。休日のたびに友人たちと近くの野山へ行ったりサイクリングに出かけたりした。大晦日から元旦にかけては、これらの友人たちと餅を持って潮吹海岸に出かけ初日の出を拝むのが恒例だった。成績は1～2番。クラスのまとめ役、相談役だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::昭和43年4月　静岡県立伊東高等学校入学。山岳部に入部。2年次には部長となり後輩の面倒をよくみた。同年後期に生徒会山荘委員長。日本育英会特別奨学金採用試験に合格。ジャーナリストを希望して早稲田大学の一文を受験し合格。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::昭和46年4月　早稲田大学第一文学部入学。姉の嫁ぎ先（川崎の土建業）へバイトを条件に下宿。入学時以外の必要経費すべてを自分で賄うことになる。早稲田大学学生新聞会に入部。5月には早慶戦を取材し、6月5日号に早慶戦観戦記を掲載した。6月になって新聞会の人の紹介でキリスト教修練会に参加した。この頃、この新聞会が勝共連合であることを知り、その後の新聞会活動はなく、退会の有無も不明。9月、早稲田精神昂揚会に入部。翌年1月まで活動。この間に例会で部落問題を扱った発表をしたが支持されなかった。3月には学費値上げ問題に対する同会との意見が合わず退部。クラス討論で学費値上げ反対の意見を述べるなどクラス活動にも積極的で、自治会のクラス担当者（革マル）と議論することもあった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::昭和47年4月　中核派系の狭山差別裁判の集会に参加。同裁判について積極的に学習し、クラス討論や支援デモへの参加など、級友とも活動した。中核派から集会参加の勧誘を受けるようになり、7月には同派の電話勧誘を迷惑だと周囲に話していた。8月、広島の原水禁デモに参加。10月、高校の教師になって後輩育成に努めようかと、家族、友人に話す。伊東高校山岳部の後輩と北アルプスへ行く。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::11月6日　友人を天城に案内すると実家に電話する。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::11月8日　早稲田大学構内にて革マル派学生によって8時間に及ぶリンチの末惨殺される。享年20歳。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E2%97%87%E6%B4%BB%E5%8B%95&amp;diff=880</id>
		<title>◇活動</title>
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				<updated>2021-11-29T05:41:53Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: ページの作成:「:★早慶戦観戦記 :「早慶戦の洗礼を受けてはじめてワセダマンになれる」ともいわれるこの伝統の早慶戦も早稲田の二連勝で...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:★早慶戦観戦記&lt;br /&gt;
:「早慶戦の洗礼を受けてはじめてワセダマンになれる」ともいわれるこの伝統の早慶戦も早稲田の二連勝で幕となった。八シーズンぶりの優勝を意識し過ぎたのであろうか、“若き血”も完全燃焼しないまま燃え尽きてしまった。結局、優勝は慶大の手をすり抜けて、リーグ史上三回目の連覇という“おまけ”をつけて法大の手中におちた。宿敵以上の仲である慶大に優勝させてやりたかった気もするが、勝負の厳しさを教えてやるのも友情である。早慶戦には「弱者有利」のジンクスがある。今度はズバリこれが的中した。今シーズンの慶大には「一回戦を落したあと連勝する」というジンクスもできたが、やはり伝統（？）にはかなわなかったのだろうか。が、勝敗はともかくとして、応援のはなやかさはさすがである。赤い傘の早大にトンガリ帽子の慶大。「神宮」を埋め尽した大観衆の頭上をテープや紙吹雪が舞う。激しい応援合戦にバトンガールのミニスカートが彩りをそえる。たそがれせまるなか、友と肩を組んで校歌を歌うそこには「ワセダ」があり、「伝統」が生きている。感無量である。&lt;br /&gt;
::（1971年6月5日付早稲田学生新聞第5号掲載）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:★早稲田原理研究会主催の地区修練会に参加して&lt;br /&gt;
:第1日目（6月18日）&lt;br /&gt;
::世界を統一し、全人類を統一するという考え方にはまったく同感です。対立をなくすには全人類を統一しなければならないと思います。しかし、統一するには相当の日数、年月がかかるわけです。現実の世界を見ると公害問題、部落問題、沖縄問題等、一番尊重されるはずの「人間」が差別を受け、あるいは生れながらの不具な体でただ生物学的に生きている、といった問題がある訳です。世界統一をするまでには、何人の犠牲者がでるかわからないわけです。神サマについて論じている間にも犠牲者は続出しているわけです。&lt;br /&gt;
::我々は実際に公害病に犯されたり差別を受けたりしていないから、客観的にノンビリ（？）と見ていられるわけですが、犠牲者がどんな気持でいるか考えたら、すぐにでも行動に移さねばならないと思います。これ以上、犠牲者をふやしてはいけないのです。「アーメン」と言っている間にも犠牲者がふえているのです。&lt;br /&gt;
::我々自身が公害病で一生寝たきりの状態であったとしたら、神サマをどのように思うでしょうか。&lt;br /&gt;
::統一原理は結構なのですが（但し、私、無心論者です。）“現実”というものをもっと考える必要があるのではないでしょうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:第2日目（6月19日）&lt;br /&gt;
::今日の講義では「メシア論」が一番感激（？）した。ただ気になったのは、イエスでさえも結局最後は一人であり、最愛の弟子からも裏切られたということです。やはり人間は“一人”であると思う。信じられるのは自分だけ、という考えを強めました。&lt;br /&gt;
::自己紹介の時、宮本さんのお話、感動しました。無知な自分を自己批判します。ゼロからやりなおします。私は学問のきっかけが欲しかったのですが、ようやく得られたようです。（残念ながら、私は何かのきっかけがなければ全くやる気がでないものですから）神を信じるかどうかは全くわかりませんが、思いきってやってみます。（但し、共産主義に徹するかもしれませんが……）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:第3日目（6月20日）&lt;br /&gt;
::消耗しました。何が何だかわからなくなりました。もう一度考え直します。（これ以上書く気になれません。ゴメンナサイ。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:★地方文化研究部発起&lt;br /&gt;
:「地文研」結成について（発起人）&lt;br /&gt;
::我々は、現在ある中央偏重の文化形態に批判の目をむけ、地方文化のもつ独自性、素朴さ、純粋さを見返し、さらに、地方文化の中に、真の人間性を見出していきたいと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「活動内容」&lt;br /&gt;
::産業革命以降、人類の歴史は「自然」破壊の歴史であった。自然に対する挑発は、そのまま「人間」の死滅を意味した。我々は今こそ、「自然」破壊の歴史に終止符を打たねばならない。我々は、常に真の人間とは何かを問い、追及し続けなければならないのである。&lt;br /&gt;
::RETURN TO NATURE!&lt;br /&gt;
::何故、日本文化は中央偏重になってしまったのであろうか？　それは、中央集権的国家権力が確立しているからである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:☆機関紙　☆旅行（徒歩、車）　☆講演会&lt;br /&gt;
::日本一周→シルクロード踏破&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:地文研結成準備&lt;br /&gt;
::　　　第一段階　自動車運転免許取得&lt;br /&gt;
::　　　　　　　　経済的裏付け&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:★コンパのお知らせ&lt;br /&gt;
::下記の如く、１J新年合宿大コンパを開催いたしますので連絡いたします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::1．日時	47年1月11日（火）&lt;br /&gt;
::　　　         47年1月13日（木）　雨天決行&lt;br /&gt;
::2．場所	早稲田大学本庄校舎大宴会場&lt;br /&gt;
::3．会費	お1人様2000円（宿泊料・食費）&lt;br /&gt;
::		交通費は含まず（往復・馬場より600円位）&lt;br /&gt;
::4．集合場所	高田馬場早稲田口改札口・12時集合（時間厳守）&lt;br /&gt;
::5．参加資格	品行方正、学術優秀であり、かつ容姿タンレイであること。&lt;br /&gt;
::6．備考	&lt;br /&gt;
::   当日、本庄校舎におきまして&lt;br /&gt;
::   ・二葉幸三氏による二葉春歌ゼミ。&lt;br /&gt;
::   ・川口大三郎氏による実用中国語会話の講義。&lt;br /&gt;
::   ・日本ミュージカル界のホープ松下伸二氏による単独ミュージカル「バカ一代」を予定しています。&lt;br /&gt;
::  その他、各人による演芸等も多数用意しています。なお、整理上12月31日までに必着しますよう投函ください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:追伸&lt;br /&gt;
::部屋の割当てにつきましては、幹事の方で決めさせていただきます。その際、よい部屋をとるため、幹事に対する贈賄を公然と認めますから、よろしくお願いします。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E2%97%87%E6%97%A5%E8%A8%98%EF%BC%881971%E5%B9%B44%E6%9C%88%EF%BC%89&amp;diff=879</id>
		<title>◇日記（1971年4月）</title>
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				<updated>2021-11-29T01:58:30Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: ページの作成:「:4月2日（金） ::　9：00より文学部中庭でクラス発表。1年J組と決定。学生番号37110309。I（編注：伊東高校の同級生）といっしょ...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:4月2日（金）&lt;br /&gt;
::　9：00より文学部中庭でクラス発表。1年J組と決定。学生番号37110309。I（編注：伊東高校の同級生）といっしょのクラスになる。二人いっしょに一文に受かったときから同じクラスになる予感がしていたのだ。&lt;br /&gt;
::　1：00よりオリエンテーション。それまでの間Iと図書館、演劇博物館などを見て回る。ハラがへったので学生ホールの学食で昼メシ。早稲田ランチ140円也。ミソ汁が少しからかったが味も結構うまいし、量もいっぱいあった。goodであった。&lt;br /&gt;
::　3：30からクラス別のガイダンス。ケーキとコーラを飲みながら担任の話をきく。名前を呼ばれ、出身校を言うとき「静岡県は、伊東高校の出身！」とやらかして、トチった感じ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Money（支出）&lt;br /&gt;
::　電車代（往復）200&lt;br /&gt;
::　バス　15&lt;br /&gt;
::　昼メシ（早稲田ランチ）140&lt;br /&gt;
::　夜メシ（ラーメン）100&lt;br /&gt;
::　古本（阿部一族他）50&lt;br /&gt;
::　パチンコ（結局ダメ）200&lt;br /&gt;
::　ノート（今かいているヤツ）280&lt;br /&gt;
::　メモ帳　20&lt;br /&gt;
::　写真代　200&lt;br /&gt;
::　　計　　 1205&lt;br /&gt;
::　　　　　－1205&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「中庭に出て、写真とります」と言うから出ていったら「200円はらって下さい」と言われて200円とられた。これは絶対にインチキだ！サギだ！&lt;br /&gt;
:　ちくしょう!!&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:4月3日&lt;br /&gt;
:○学部入学式&lt;br /&gt;
::人数が多いため2度にわけて行なう。一文は11時より政経、法、二文といっしょにやった。政経に行きたいよ～オ。でも落ちちゃったものはシカタがないからアキラメルコトニシマスデス。&lt;br /&gt;
::教授達は座ブトン帽子にマントのイデタチ。1人背広姿がいたが、やはりそろえるべきであろう。父兄も結構来ていた。お母さんも呼べばよかったなア～と思った。でも呼んでいれば、またモメルこともあるだろう（早稲田祭には呼んでやろう）&lt;br /&gt;
::「都の西北」を始めてジカに聞いた。スバラシイ!!&lt;br /&gt;
:○早稲田学生新聞会で説明会を聞く。&lt;br /&gt;
::山もやりたいが運動部は無理なので報道関係のクラブに入りたい。オレという人間はクラブがなければ生きていけないことは確かである。「キャンパス新聞」や「早稲田新聞（？）」などもあるが学生新聞会の人によると、革マルに首脳部が入ってしまい分裂状::態にあるという。説明のとおりだとすれば、なかなかいいクラブである。出来たてのホヤホヤだし、企業でいえば中小企業といったところ。今後の活動次第である。ただ文芸中心なので政治面を目ざすオレに合うかどうか疑問である。「政治関係を強化したいの::で是非入会して欲しい」と言ってくれたがどうしようかなァ。バイトもしなければならないから時間的に余裕があるかどうか？　金の問題をどう解決するか問題である。&lt;br /&gt;
:○定期券を買ったゾ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Money&lt;br /&gt;
::　定期券（登戸～新宿3ヶ月）2460円&lt;br /&gt;
::　国電　60円　バス　15円&lt;br /&gt;
::　昼メシ（カツ丼）120円&lt;br /&gt;
::　パチンコ（ダメだった）300円　ソンシタナァ～。&lt;br /&gt;
::　学生証入れ　250円&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:4月4日（日）&lt;br /&gt;
:○バイトをやる。&lt;br /&gt;
::本家のお母さんに弁当を作ってもらって出かける。チータンと2人で家を一軒ぶっつぶした。“カジヤ”がないので（オレの分）スコップでメッタ打ちにした。ベニヤなどはボロボロになり、ホコリのものすごさ。筆舌に尽くしがたいというところである。カワラを運んでいて中指に血まめを2つ作った。ハシをつかうと、ちょうどはさまるようになっている。（サエナイハナシ）&lt;br /&gt;
:○お姉ちゃんと赤ちゃんが帰ってきた。（病院から）みんな元気でありますように!!&lt;br /&gt;
::（編注：3月に実姉が長女を出産し退院してきたことを示す。川口は建築業を営む姉の嫁ぎ先に寄宿しており、ここでバイトをしていた。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Money&lt;br /&gt;
::＋－０&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:○時間割を作っているが、なかなかむずかしい。明日、質問のために大学に行ってこよう。&lt;br /&gt;
:○クラブのことだけど、是非新聞のクラブにはいりたくなった。奨学金をなんとかしてもらわなくてはいけない。奨学金があればクラブにも入れるのだけどなあ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::ソンミ村のカーレイ中尉（原文ママ。編注：カリー中尉。虐殺事件で部隊の指揮をとっていた人物）がニクソン大統領のおかげで罪が軽くなるという。アメリカ国内でも、多くの人が罪の軽減を願っているそうだが、フザケルのもいいかげんにしてもらいたい。東京裁判の時にやたらに必要以上に死刑にしたくせに、自国の人間となると“慈悲深い”ところを発揮したがるのだ。エゴイストの集りであるアメリカではあるがガマンができない。ヤンキーのバカ、殺してやりたい!!　ただ、「本当の罰せられねばならないのは、もっと上にいる人間だ」といった言葉は本当だと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:4月5日（月）&lt;br /&gt;
:○時間割の質問をするために大学へ行く。二つ質問するのに2時間位待たされた。&lt;br /&gt;
:○国電区間の定期券を買った。（1140円）新宿駅&lt;br /&gt;
:○早稲田大学学生新聞会の人にまた会った。オレのやりたいのは報道であるが、今の早稲田の報道関係の新聞会は革マルに押さえられているため、報道の中立性を欠くし、既成セクトを否定するオレが単一セクトを支持する会へ入ることは不本意であるので入る気がしない。学生新聞会は多分に哲学的な面をもっているらしく、やたらと哲学をすすめる。&lt;br /&gt;
::オレには哲学的な面が欠けているので、今後のためにも先輩の話をきくことはいいことかもしれない。ただ気になるのは、理論ばかりで実践的な実証的な面がおろそかになりそうな気がするから気をつけた方がいい。&lt;br /&gt;
::問題は金のことである。金さえあれば、こんなに悩まなくても済むのに。金が欲しい。自分がミジメに見える。&lt;br /&gt;
::チクショー!!&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:○20日頃コンパがあるってから参加してみよう～～と。&lt;br /&gt;
:○3月のバイト（4日間）の賃金8000円を受け取った。&lt;br /&gt;
::　1日2000円はありがたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Money&lt;br /&gt;
::　定期代　1140円&lt;br /&gt;
::　バス回数券　100円&lt;br /&gt;
::　中華ソバ（うまくない）45円&lt;br /&gt;
::　バス代　15円&lt;br /&gt;
::　本代（政治学入門）（定価600円）540円&lt;br /&gt;
::　ガーゼ（お姉ちゃんにたのまれた）320円&lt;br /&gt;
::　　　計　　－2160円&lt;br /&gt;
::　バイトの金＋8000円&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:4月6日（火）&lt;br /&gt;
:○科目登録をしてきた。水曜日と金曜日が空くことになった。日曜日を入れて週3回バイトができることになった。22日の科目変更が通れば水曜日に教養演習が入ることになる。&lt;br /&gt;
:○1：00から大隈講堂で“新入生のための講演会”があった。会場にいた新入生の数はまばらだったけど講演はおもしろかった。私学の役割、早稲田の伝統、大隈重信の業績等、なかなかためになる話だった。（但し、他大学の者が聞いたら頭に来る話であろう）&lt;br /&gt;
:○東京に慣れているといっても、やはり神経を使うのであろう。大学へ行って来ると肩がこる。&lt;br /&gt;
:○学生服姿がほとんどない。オレも早くブレザーを買わなくちゃ。&lt;br /&gt;
:○早いとこ、彼女をつくりたいヨ～！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Money&lt;br /&gt;
::　靴（黒のバックスキン）1500&lt;br /&gt;
::　中国語教科書　675&lt;br /&gt;
::　昼メシ　80&lt;br /&gt;
::　　計　　－2255&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:4月7日（水）&lt;br /&gt;
:○バイトをやる。早いとこ仕事を覚えたい。皆が忙しがっているのに、一人でヒマなのはどうも立場がない。かったるいことは確かである。&lt;br /&gt;
:○早く畳が入ってくれないと何もできない。（編注：川口は庭に4畳半のプレハブを建ててもらい自室としていた）速記の勉強もしなくちゃ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Money&lt;br /&gt;
::+－０&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:4月8日（木）&lt;br /&gt;
:○バイトをやる。2人で家をつぶすのであるが、材料はそのまま使うのでクギを1本1本抜くので大変である。右足を落とすハプニングもあった。（風のため、髪の毛が前にきて見えなくなり、細い板の上に乗ったために板がおれて落ちたと思われる。）&lt;br /&gt;
:○チカちゃんが夜きた。今日からウチに泊ってお姉ちゃんの手伝をするらしい。&lt;br /&gt;
:○仕事がおわって飲んだのがすこしキイテル。ウィ～。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Money&lt;br /&gt;
::+－０&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:4月9日（金）&lt;br /&gt;
::バイトをやる。少し疲れた。クギをさした所が少しうんでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:4月10日（土）&lt;br /&gt;
::大学へ行って奨学金の受付場所まで行ったら、源泉徴収票がないと受け付けられないと言われた。でも、4月14日に商学部の受け付けがあるし、それ以後も奨学課に直接持っていけばよいそうである。ホッとした。&lt;br /&gt;
::今日は初授業であるから、期待していったら２科目とも休講。連絡ぐらいしておくべきである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:4月11日（日）&lt;br /&gt;
:○バイトを休んで、プレハブ（編注：川口の部屋）に畳を入れる。畳の方が小さいし、ダンコチがものすごい。やはりタダものはダメだ。安ければ買いたいなァ～。貧乏人はつらいよ。4帖半の半帖分を作るために畳を半分にするときツンチャンがノミで2つに切ってくれた。元木土建（編注：実姉の婚家）の人達は人の良い人ばかりだ。（これがせめてもの慰め）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Money&lt;br /&gt;
:+－０&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:4月12日（月）&lt;br /&gt;
:○学校へ行く。&lt;br /&gt;
::　8：20から授業開始。6時に起きて7：10に家を出た。ちょうどラッシュの時間。いいかげん体力を消耗してしまった。&lt;br /&gt;
::　1時間目　中国語　長谷川先生&lt;br /&gt;
::　よくしゃべる先生である。メガネのふちに特徴がある。&lt;br /&gt;
::　２時間目　英語　鈴木（洋）&lt;br /&gt;
::　若い先生。38才だそうだ。（カアチャンは27才。もっと若いのが欲しかった、とのこと）造反教師かも？&lt;br /&gt;
::　３時間目　法学　鈴木（敏）&lt;br /&gt;
::　中々おもしろい先生。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Money&lt;br /&gt;
::　教科書　英語イ　420円&lt;br /&gt;
::　　　　　国語　　550円&lt;br /&gt;
::　　　　　英語ロ　200円&lt;br /&gt;
::　昼メシ　　140円&lt;br /&gt;
::　パチンコ　300円&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::　　　　　－1610円&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:4月13日（火）&lt;br /&gt;
:○またまた6時に起きて学校。&lt;br /&gt;
:(1)国語　松野&lt;br /&gt;
::写本（本モノ）の新古今集などを見た。&lt;br /&gt;
:(2)政治学　服部&lt;br /&gt;
::大教室に生徒がチョボチョボ。先生は15分位しゃべって終り。&lt;br /&gt;
:(4)英語　神宮&lt;br /&gt;
::若い先生。予習をしてなかったので、授業をやらないことを望んでヒヤヒヤしていた。（やはり授業はやらなかった。）&lt;br /&gt;
:(5)中国語　芦田&lt;br /&gt;
::ウチの担任はどうも元気がない。かろうじて生きているというかんじ。&lt;br /&gt;
::1日4時間はやはり疲れる。&lt;br /&gt;
:○今夜からプレハブに移った。まだヘンなニオイがする。タタミがきたない。どうも気分が悪いがガマンすることにした。もうねむたいのでこのへんでやめる。書きたいことはもっとあるけど、やめたァ～～と。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Money&lt;br /&gt;
::　教科書　法学　850円&lt;br /&gt;
::　本（欲望という名の電車）130円&lt;br /&gt;
::　昼メシ　　100円&lt;br /&gt;
::　　計   －1080円&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:4月14日（水）&lt;br /&gt;
::バイトをやったが、疲れた。家をもち上げておいて、その下に土を入れる作業。「ネコ」が思い通りに動かなくてやんなった。背中を丸めての作業のため腰が痛くてしょうがない。お母さんが来た。これで洗濯をやらなくてすんだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:4月15日（木）&lt;br /&gt;
::お父さんの命日。お墓参りに行かなかったけどゴメンネ。伊東へ帰ったら必ず行くからね。&lt;br /&gt;
::今日は一日ついてなかった。生物学の授業に出たら、いきなり“日本経済史”の講義が始まり、おかしいと思ったら生物学Cはなくなったんだって。バカにしてるよな。帰りにパチンコをやったら200円すったので隣のパチンコ屋に入って100円玉を買ってよく見たら同じ店だった。あれは詐欺だ！ヤケになったら腹が減ったのでラーメンを食べたらナルト巻にカビがはえていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Money&lt;br /&gt;
::　昼メシ（D定食）100円&lt;br /&gt;
::　ラーメン　100円&lt;br /&gt;
::　本（権利のための闘争&lt;br /&gt;
::　　　　ガラスの動物園）120円&lt;br /&gt;
::　パチンコ　600円&lt;br /&gt;
::　バス回数券　100円&lt;br /&gt;
::　　　計　 －1020円&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:4月16日（金）&lt;br /&gt;
::バイトをやる。少々寝不足のせいか疲れた。貧乏人はつらい。&lt;br /&gt;
::何もかもイヤになった……いつもと同じことを考えている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Money&lt;br /&gt;
::+－０&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:4月17日（土）&lt;br /&gt;
::どうしてこうツイテいないのだろうか。いいかげん、生きているのがイヤだ。だからといって死ぬこともできない。人間、自分の意志で死ぬことができないなんて最高の不幸であろう。&lt;br /&gt;
::居候の身の上では、精神的にも疲れるし、大学も温みがないし、もうどうしようもない。せめて慰めてくれる子でもいればいいんだけど。金もないし、スタイルもヤボッたいし（学ラン以外ないんだもん）こんなヤツは、もてっこないよな。たとえいたとしたって、オレには金とヒマとの両方ないから、結局“夢”だよ。オレの長所は“夢とヤル気のあること”なのに、夢は、どんどん破れてくし、身体中をロープでがんじがらめに、ゆわかれているみたいだ。休みがあれば、すべてバイト。休んで勉強したり、映画をみたり本を読んだりしたが、休めば金がなくなるから休めない。月々の生活費は必死で働けばいいが、学費の方は、全く見込なし。奨学金を是非もらわなくちゃ。とにかくオレはついてないからなあ。&lt;br /&gt;
::やはり大学へ来るんじゃなかったなあ。オレより出来の悪いのが－－頭も、態度も、性質も、みんな含めて－－金があるというだけで、金だけで入れる大学に入り、４年間遊んでくらし、大学卒の肩書きをつけて卒業。それでも社会的には通用するんだから間違っている。そんなヤツらに負けたくないと思って進学したが、やはり、早稲田では無理だったかなあ。あんなにあこがれた大隈講堂が、今ではムナシク見える。夜間の大学へ行くべきだったかなあ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:4月18日（日）&lt;br /&gt;
::バイトをやる。家を1軒ぶちこわした。&lt;br /&gt;
::手があれて、どうしようもない。征ちゃんのお兄さんも来て手伝った。また明日の予習ができなかった。これは何とかしないと、ちょっとヤバイぞ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Money&lt;br /&gt;
::+－０&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:4月19日（月）&lt;br /&gt;
::眠くてしょうがない。気がゆるんでいるのだろうか。英語の時間、読まされたが全然だめ。カッコワリー。&lt;br /&gt;
::法学の先生、あいかわらずおもしろい。ふざけた言葉の中に大事なことが入っているから気をつけねばならぬ。昼メシのとき、生協のセリバから出火。消防車、多数出動というハプニングがあった。小生、カレーライスをそのままに現場へかけつけたらもう消えていた。よかったですねぇ。それにしても我ながらヤジ馬である。オレも彼女がほしいが、貧乏学生のオレには、そんなヒマも金もありゃしない。みんながデートしている間も、オレは土方だ！あきらめちゃお～。でも残念。&lt;br /&gt;
::六法全書を買ったぞ。法学もおもしろいよ。オックスフォードのENGLISH DICTIONARYを買ったら、なんと180円だって。驚いたねぇ～。「世界の大思想」とかなんとかいう全集（全45巻。1巻800円。すなわち全36千円））が欲しい。今日やっと本棚も買ったし（届くのは、まだ先のこと）36千円ふんぱつして買っちゃおうかなぁ。5月8日までは1割引だからなぁ。でも3万円ないからなぁ。土方18日分。なんとかしたいなぁ。&lt;br /&gt;
::また今日も予習できなかった。もちろん復習もやんなかった。自己批判しろ!!&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Money&lt;br /&gt;
::　メシ　（早稲田ランチ　140&lt;br /&gt;
::　　　　　　　　カツ丼）120&lt;br /&gt;
::　パチンコ  200&lt;br /&gt;
::　　 計　　－460&lt;br /&gt;
::　給料　＋10400&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:4月20日（火）&lt;br /&gt;
::どうしてオレはこうついていないのだろう。なぜ、オレばかり苦労しなくてはならないのだろう。金さえあれば、こんなに苦労しなくてもすむのに。今日も大学で沖縄問題のクラス討論をやっていた。“政経の川口”と言われていたオレなのに、今ではノンポリの仲間になり下った。今でも自称左翼系ノンセクト・ラジカルだが、他人から見ればノンポリに見えるだろう。&lt;br /&gt;
::だけど、もし－－これはあくまでも仮説だが現実にはありえないが－－アメリカが日本の言い分を全部のんで、沖縄は日本だ（当然のこと）といって素直に返す気持だったとし、それを（その調印を）実力で阻止し、それを理由にアメリカが返還をやめてしまったとしたら一体、誰が責任をとる。それで、沖縄が二度と祖国に復帰できなかったら誰が責任をとる。闘争はおもしろ半分でやられちゃたまんない。無責任な闘争なんかやるな。沖縄県民の心を、内地の親のスネかじりに何がわかる。人間、その立場にならなければその人の心がわかるわけがない。それなのにヒマつぶしのためかしらないが、ギャーギャーさわいでいる。それと同じことがオレにも言える。オレはノンポリでだめなヤツだと思っているだろうが、オレの心が誰にわかる。肉親だろうと、誰だろうとオレの心がわかってたまるか。人間、結局は一人なんだ。オレは経験でわかっている。他人を信用してはならない。絶対に信用してはならない！&lt;br /&gt;
::だけど、みんなが沖縄について討論していても、オレはバイトのことしか考えられない。金のことしか考える余裕がない。まったくミジメなものだ。ミジメでやりきれなかった。やはり、大学、それも昼間の学部になんか来るんじゃなかった。チクショー!!&lt;br /&gt;
::オレはみんなと違うんだ。オレは働かなければ大学へ通うことも、メシを食うこともできないんだ。そうわかっていても、自分がミジメでしょうがない。勉強だって全然やる気が出てこない。オレは、ちゃんと何の不自由もなくやっていれば、だれにも負けないんだ。チクショー。&lt;br /&gt;
::劣等感、挫折感、敗北感、その他いろいろな感情がまじり合って、救いようのないミジメな世界をつくり上げているんだ。&lt;br /&gt;
::山も女も、他のいろんなことも全部、ギセイにしなければならないんだ。全てギセイにしなければならないんだ。&lt;br /&gt;
::考えれば考えるほど、ミジメになる。もうよそうと。生きていく望みもまったく失ったとき、オレは、この世とオサラバする。夢やぶれたとき、オレはオサラバする。いつになるかわからない。その日が来ないことを祈ろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:4月21日（水）&lt;br /&gt;
::バスケットボールの申込みに行く。抽選で当り無事通った。「体育理論」のとき一緒だった赤シャツのアニイがオレのうしろに並んでいた。彼も無事通った。ジーパンを買うためにアメ横をうろちょろしたが、結局生協が一番安かった。アーカッタリー!!&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Money&lt;br /&gt;
::　地下鉄（早稲田－上野）　100&lt;br /&gt;
::　ヒルメシ（カツライス） 140&lt;br /&gt;
::　ジーンズのジャンパー  1800&lt;br /&gt;
::　バンド　650&lt;br /&gt;
::　牛乳（上野で切符を買うためお金をくずした）30&lt;br /&gt;
:: 　　　　　計　　　　　－2720&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::自動車学校のパンフレットをもらってきた。東京日産のヤツが成城学園にあるから行こうかなァ～！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:4月22日（木）&lt;br /&gt;
::科目変更をしていて中国語1時間遅刻。それでも出席になっているモンネ。宗教学の講義に出た。とにかくおもしろい。モサ（編注：中学校時代の恩師の渾名）の授業を聞いているようだった。&lt;br /&gt;
::奨学金の登録をしてきた。係の人も同情してくれていた。でも成績証明書の書き方が違っていたので、成績証明書をもらいに行かなければならない。ケム（編注：高三の担任の渾名）の奴、ロクなことをしねェ～！　やい！　ケム！&lt;br /&gt;
::5：30からコンパ。結構集った。クラスの女の子と話していたら少々グチっぽくなったかもしれない。ハシタナイ。&lt;br /&gt;
::コンパだけで終えておけばよかったが、調子にのって二次会をやったらひどいめにあった。酔っぱらった勢いで7人で高田馬場まで校歌を歌ったり、ワセダ万才！なんて叫びながらフラフラしながらいった。新宿の小便横丁で二次会。4千円で結構飲んだ。これが悪かった。日本酒だったので、あとがきいたなんてもんじゃなかった。早稲田の先輩と称する人と話をしたが、酔っぱらっているためゼンゼンダメ。ちょっとしゃべりすぎた。そのまま沼袋のAの家へ泊まり込み。家へ着くなり小生ぶっ倒れて全部廊下に吐いちゃった。&lt;br /&gt;
::気持の悪いのなんのって。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:4月23日（金）&lt;br /&gt;
::朝、起きてもどんどん吐いて胆汁がすごく出た。思い出しただけでも気持悪くなる。でも浪人の衆が意外とやさしいのにびっくりした。感謝してます。&lt;br /&gt;
::京王デパートでリポビタンDを2本飲んだ。胃の中におさまったのはこれだけ。&lt;br /&gt;
::家へ帰って電話をかけなかったことをあやまった。居候はつらい。&lt;br /&gt;
::夕方、お姉ちゃんに頼まれてコガネストアに買い物に行ったら、魚屋のオバサンに「当番にあたっちゃったの？」なんて聞かれた。自炊していると思ったのだろう。まだ気持悪くフラフラしている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:Money&lt;br /&gt;
::　宗教学　1200&lt;br /&gt;
::　岳人（別冊）380&lt;br /&gt;
::　昼メシ　80&lt;br /&gt;
::　ジーパン　2000&lt;br /&gt;
::　コンパ　4000（？）&lt;br /&gt;
::　リポD　200&lt;br /&gt;
::　オロナミンC　100&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E2%97%87%E5%B1%B1%E3%82%88%E3%80%81%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E3%82%88&amp;diff=878</id>
		<title>◇山よ、早稲田よ</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E2%97%87%E5%B1%B1%E3%82%88%E3%80%81%E6%97%A9%E7%A8%B2%E7%94%B0%E3%82%88&amp;diff=878"/>
				<updated>2021-11-29T01:10:30Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: ページの作成:「:★山　その１ ::我、こよなく山を愛し、酒を愛す。東に高い山があると聞けば、ニワトリとともに登り、西に美酒ありと聞け...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:★山　その１&lt;br /&gt;
::我、こよなく山を愛し、酒を愛す。東に高い山があると聞けば、ニワトリとともに登り、西に美酒ありと聞けば、三万里と雖も、我行かん。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::「ウブだ、ウブだ」と人に謗られようとも、色は好まず、山の高嶺で、山岳コジキと化す。不亦楽乎。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::　川口大三郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:★山　その2&lt;br /&gt;
::俺たち山ヤにとって、山とはただ単に物質的な地形の変動によってできたものでは断じてない。俺たちにとって、山とは実存そのものであり、実存の反映であり、己れの実存を映す鏡である。俺たちは山を媒体として、自己の実存を見つめている。&lt;br /&gt;
::生きるとはどういうことなのか。人間の一生とは。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:★山　その3&lt;br /&gt;
::遭難の記録を読むといい。&lt;br /&gt;
::事務的なレベルで語れば、遭難の具体例を徹底的に総括することにより、我々が同じ誤ちをくり返さないようにするためである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::だが「遭難」には、人間的に自己に忠実に生きよう、真剣に生きようとしたが故に死んでいったという、人間のソウ烈なドラマがある。&lt;br /&gt;
::　生きるとは何なのか。青春とは実存とは、その答えの象徴的ではあるが、その答えの糸口があるように思える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:★1972年「山行予定表」&lt;br /&gt;
::  1月　新年お祝い山行－天城でお正月。&lt;br /&gt;
::  2月　風変わり、能登の烈風をうけての行軍。&lt;br /&gt;
::  3月　春も近いよ丹沢山行。&lt;br /&gt;
::  4月　春ですよ、春ですよ、奥秩父菩薩山行。&lt;br /&gt;
::  5月　残雪を踏みしめて穂高山行。&lt;br /&gt;
::  6月　雨が降ったら困るよ山行。&lt;br /&gt;
::  7月　テスト&lt;br /&gt;
::  8月　今年こそやるぞ！&lt;br /&gt;
::　　　　燕岳　→　槍ヶ岳&lt;br /&gt;
::　　　　小生初登はん、南アルプス山行。&lt;br /&gt;
:: 10月　紅葉かな、紅葉かな、谷川岳山行。&lt;br /&gt;
:: 11月　まだ紅葉見れるかな丹沢山行。&lt;br /&gt;
:: 12月　初雪が降ったらいいなア大菩薩山行。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
:★机の中にあった原稿より&lt;br /&gt;
:川口大三郎は男でござる。俺は早稲田を愛し、早稲田を慕い、早稲田にあこがれてやってきたのではなかったのか？　バンカラな早稲田の精神にあこがれをいだいたのだ。慶応のボッチャンに対抗して貧乏人の学校、庶民の大学としての早稲田の魅力にひきつけられてやってきたのだ。アア、それなのに現実はどうなのだろうか。早稲田精神を究めようとする者の集りである「早稲田精神昂揚会」の会員においても、ブルジョア的性格をおびてしまっている。やはり貧乏人の俺は所詮「一匹狼」なのだ。孤独を愛する山ヤに戻るべきなのだ。だけど早稲田よ、俺の心の中にはいつも「早稲田」が生きているぞ。俺は早稲田の人間なのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:★ノートの表紙に書かれた言葉&lt;br /&gt;
::早稲田存亡の危機に際し、目醒めよ！　早稲田を愛する学友諸君!!&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::　◎進取の精神&lt;br /&gt;
::　◎学の独立&lt;br /&gt;
::　◎模範国民たるの自負&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::　早稲田の住人　　　川口大三郎&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:★早稲田大学　山賤友の会&lt;br /&gt;
::　会　　則&lt;br /&gt;
::　　1.万難を排して会費を納めること。（いつもニコニコ現金払い）&lt;br /&gt;
::　　2.自己の全実存をかけ、会活動にあたること。&lt;br /&gt;
::　　3.私有財産は認めない。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E3%81%AF%E3%81%98%E3%82%81%E3%81%AB&amp;diff=877</id>
		<title>はじめに</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E3%81%AF%E3%81%98%E3%82%81%E3%81%AB&amp;diff=877"/>
				<updated>2021-11-29T01:04:55Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:1972年11月8日を機に、早稲田大学では川口君虐殺糾弾、自治会再建等を掲げて、自治会を私物化した革マル派、そしてそれを容認し、ある種の暴力装置として利用していた大学当局に対抗する運動が起こった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:自治会を僭称する革マル派が、自治会員である一文2Jの川口大三郎を拉致監禁しリンチで死に至らしめたことが、日頃からクラス討論などで意見を封じられてきた憤りを怒りに変えた。さらに革マル派が、川口大三郎が中核派のスパイだったと事実無根のでっち上げによって自己を正当化するに及んで、怒りの炎は文学部から本部の他学部へと燃え広がった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「川口君虐殺糾弾」を掲げて闘った中で実際に川口大三郎本人を知っていた人間はほとんどいない。Jの級友だけである。すでに50年の歳月が過ぎてしまったが、川口を知らずに闘った人たちに、彼を知ってほしい。単なる旗印ではなく、血脈の通った人間としての川口を記憶に留めてほしいと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:川口の残したものは少ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:わずかにノートに書かれたメモと日記が精々である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:それでも、そこに川口は息づいている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:さらに、彼の死後、母親のサトさんやお姉さん、級友たちが書いた文章からも川口の姿が見えてくる。&lt;br /&gt;
:20歳の川口を知ることは、この闘いが自分の人生にどれだけの意味を持っていたのかを、改めて教えてくれることだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:なお、原文は「伊東高校山岳部OB会発行の川口大三郎遺稿集」と早稲田大学第一文学部11.8川口大三郎君追悼集編集委員会発行の「声なき絶叫」による。一部表記の修正あり。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

	<entry>
		<id>http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E3%81%AF%E3%81%98%E3%82%81%E3%81%AB&amp;diff=876</id>
		<title>はじめに</title>
		<link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.19721108.net/wiki/index.php?title=%E3%81%AF%E3%81%98%E3%82%81%E3%81%AB&amp;diff=876"/>
				<updated>2021-11-29T01:04:26Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: ページの作成:「:【はじめに】  :1972年11月8日を機に、早稲田大学では川口君虐殺糾弾、自治会再建等を掲げて、自治会を私物化した革マル派、...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;:【はじめに】&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1972年11月8日を機に、早稲田大学では川口君虐殺糾弾、自治会再建等を掲げて、自治会を私物化した革マル派、そしてそれを容認し、ある種の暴力装置として利用していた大学当局に対抗する運動が起こった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:自治会を僭称する革マル派が、自治会員である一文2Jの川口大三郎を拉致監禁しリンチで死に至らしめたことが、日頃からクラス討論などで意見を封じられてきた憤りを怒りに変えた。さらに革マル派が、川口大三郎が中核派のスパイだったと事実無根のでっち上げによって自己を正当化するに及んで、怒りの炎は文学部から本部の他学部へと燃え広がった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:「川口君虐殺糾弾」を掲げて闘った中で実際に川口大三郎本人を知っていた人間はほとんどいない。Jの級友だけである。すでに50年の歳月が過ぎてしまったが、川口を知らずに闘った人たちに、彼を知ってほしい。単なる旗印ではなく、血脈の通った人間としての川口を記憶に留めてほしいと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:川口の残したものは少ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:わずかにノートに書かれたメモと日記が精々である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:それでも、そこに川口は息づいている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:さらに、彼の死後、母親のサトさんやお姉さん、級友たちが書いた文章からも川口の姿が見えてくる。&lt;br /&gt;
:20歳の川口を知ることは、この闘いが自分の人生にどれだけの意味を持っていたのかを、改めて教えてくれることだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:なお、原文は「伊東高校山岳部OB会発行の川口大三郎遺稿集」と早稲田大学第一文学部11.8川口大三郎君追悼集編集委員会発行の「声なき絶叫」による。一部表記の修正あり。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

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		<title>文字が記憶する川口大三郎</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: ページの作成:「 はじめに  ●川口大三郎の思い●   ◇山よ、早稲田よ  ◇日記（1971年4月）   ◇活動 ::早慶戦観戦記 ::早稲田原理研...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&lt;br /&gt;
[[はじめに]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
●川口大三郎の思い●&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
[[◇山よ、早稲田よ]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[◇日記（1971年4月）]]&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
[[◇活動]]&lt;br /&gt;
::早慶戦観戦記&lt;br /&gt;
::早稲田原理研の修練会に参加して&lt;br /&gt;
::地方文化研究部発起&lt;br /&gt;
::コンパのお知らせ&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
[[◇年譜]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
●川口大三郎を語る●&lt;br /&gt;
:: 「大ちゃんはいつも明るい元気な、人様に好かれる人間だった」（母）&lt;br /&gt;
:: 「胸を張って『大三郎は真の男だった』と言える」（母）&lt;br /&gt;
:: 「息子を惨殺した犯人へ憎しみをこめて綴る…」（母）&lt;br /&gt;
:: 「大ちゃんの遺志どおりに、一日もはやく暴力のない大学になってほしい」（姉）&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:: 「悔しいなあ。あんないい奴が死ぬなんて。まだ俺には信じられない」（伊東高校山岳部OB）&lt;br /&gt;
:: 「早稲田をこよなく愛し、自ら“早稲田の住人”と称した彼」（早大2J）&lt;br /&gt;
:: 「あんなに明るくて、タフでサッパリした川口を殺したやつは許せない」（早大2J）&lt;br /&gt;
:: 「ボサボサの髪に、Gパン、Tシャツ、ゲタの音も高くひびかせながら」（早大2J）&lt;br /&gt;
:: 「あいつは素直に物を考え、自分の足でたしかめて物を言うやつだ」（早大2J）&lt;br /&gt;
:: 「川口君のくやしさ、苦痛を私たち自身のものとして」（早大2J）&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:: 「2Jの級友達の怒りの激しさが、彼の信望を語っていよう」（早大一文中国語担当）&lt;br /&gt;
:: 「彼独自の早稲田魂は永遠に都の西北早稲田の杜に生き続ける」（早稲田精神昂揚会）&lt;br /&gt;
:: 「故川口君の当新聞会活動について」（早稲田学生新聞会）&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>メインページ</title>
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		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;strong&amp;gt;[http://www.19721108.net/ 19721108.net]&amp;lt;/strong&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 川口大三郎が逝ったあの日、あなたはどこにいたか==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1972年1972年11月８日木曜日午後、早稲田大学第一文学部２年Ｊ組川口大三郎君が自治会室に拉致監禁され、翌朝、東大病院構内で死体となって発見された。そして９日以降、川口君の真相を究明し、自治会を僭称する党派を糾弾する声が全学であがり、真の学生自治確立をめざして早大解放闘争が巻き起こった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:どのような情況が川口君を死に至らしめたのか、そして何故に早大解放闘争は解体せざるを得なかったのか…このサイトは、当時の報道、ビラ、証言によってその真実を明らかにする試みである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
[[川口大三郎リンチ殺害事件の全貌]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[文字が記憶する川口大三郎]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月8日以前]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年12月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年1月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年2月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年3月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年4月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年5月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年6月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年7月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年9月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年10月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1973年11月]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
[[仲間たちの思い]]&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
[[寄せられた記録と記憶、感想]]&lt;/div&gt;</summary>
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&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 川口大三郎が逝ったあの日、あなたはどこにいたか==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1972年1972年11月８日木曜日午後、早稲田大学第一文学部２年Ｊ組川口大三郎君が自治会室に拉致監禁され、翌朝、東大病院構内で死体となって発見された。そして９日以降、川口君の真相を究明し、自治会を僭称する党派を糾弾する声が全学であがり、真の学生自治確立をめざして早大解放闘争が巻き起こった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:どのような情況が川口君を死に至らしめたのか、そして何故に早大解放闘争は解体せざるを得なかったのか…このサイトは、当時の報道、ビラ、証言によってその真実を明らかにする試みである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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[[川口大三郎リンチ殺害事件の全貌]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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文字が記憶する川口大三郎&lt;br /&gt;
----&lt;br /&gt;
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[[1972年11月8日以前]]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[[1972年11月]]&lt;br /&gt;
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[[1972年12月]]&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;
[[1973年2月]]&lt;br /&gt;
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[[寄せられた記録と記憶、感想]]&lt;/div&gt;</summary>
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		<title>川口大三郎リンチ殺害事件の全貌</title>
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				<updated>2021-10-18T03:25:54Z</updated>
		
		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: ページの作成:「'''◆川口大三郎リンチ殺害事件の全貌◆'''   :1972年11月8日、一文２年J組の川口大三郎が文学部構内で革マル派に拉致され、長...」&lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;'''◆川口大三郎リンチ殺害事件の全貌◆'''&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1972年11月8日、一文２年J組の川口大三郎が文学部構内で革マル派に拉致され、長時間に及ぶリンチを受けて殺害された。ここでは、当時の新聞記事およびその後の出版物を元に、事件とそれに関わった犯人についてまとめた。不明な点も多いが、50年経って知るところのできる事件の全貌である。なお、記載に当たっては当時新聞に報道された氏名をそのまま使用した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1972年11月8日（水）&lt;br /&gt;
::◎14時過ぎ　川口大三郎は文学部構内で革マル派自治会役員らにより自治会室へ拉致される。のちに、一文構内で行われた相模原補給廠からの戦車搬出阻止集会へのスパイ活動を自己批判させるためと革マル派は発表したが、実際に集会が開かれたのは18時過ぎからだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1972年11月9日（木）&lt;br /&gt;
::◎午前6時過ぎ　本郷の東大付属病院敷地内で男性の遺体が発見される。&lt;br /&gt;
:::遺体は血のついていないパジャマ姿で足裏が汚れていないため、他所で殺害されて運ばれたものと推測され、警視庁公安一課は本富士署に捜査本部を設置した。&lt;br /&gt;
:::早朝に、川口が帰宅していないことを知った2J級友から110番通報があったこと、および牛込署から二文教務主任への問い合わせの電話で、前日に革マル派が起こした拉致・監禁事件が発覚した。川口は姉の嫁ぎ先に寄宿していたが、その姉が確認し、遺体が川口大三郎であることが判明した。&lt;br /&gt;
::◎12時30分　馬場素明（24）革マル派全学連委員長（一文4年）は新大久保の三福会館で記者会見を開き、米軍戦車搬出阻止集会へのスパイ活動を追及するなかで「突然ショック的状況を起こし死に至った」と公表した。&lt;br /&gt;
::◎昼すぎに2J級友により遺体が川口大三郎であることが確定された。また、殺害場所が文学部構内であることも確認された。&lt;br /&gt;
::◎午後　東大法医学教室で遺体の解剖検証がなされる。全身に無数にある傷は皮下出血の幅が広く、丸太棒か角材で殴られたもの。先の尖ったもので引っ掻かれた形跡も。両手首、上腕、太ももに紐で縛られた跡。強打されたため体全体が細胞破壊を起こしてのショック死。胃の内容物の分析から8日21時から23時の間に殺されたと推定。心臓の様子からは、瀕死の状態まで傷めつけた後に、人工呼吸して蘇生させようとしたのではないかと推測された。&lt;br /&gt;
::◎24時より翌朝5時まで文学部構内105教室、127～130教室で現場検証が行われた。128室はコンクリート床が畳2枚分程きれいに洗い流されていたが、床や机、椅子など10カ所からルミノール反応があり、かなり大量の出血があった様子がうかがえた。127室にもルミノール反応があり、押収品は13件、86点で角材やバット、衣類など。（後に衣類は川口大三郎のものではないと判明した。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::【補足】11月10日以降、新聞各紙は犯人の特定にやっきとなり、関わった人数や、氏名の頭文字が紙面に踊るようになる。しかし、見張り役を立て、窓ガラスに新聞紙を貼り巡らした密室でなされた犯行のうえに物証がほとんど残されていなかったこと、また、自治会室へと拉致したグループ、暴行を加え殺害したグループ、遺体を搬出したグループと役割が分担されていたことなどから、殺害に関与した実行行為者の個人名を特定することは極めて困難だった。このように、拉致した者とリンチ（殺害）した者とで役割分担していたことからも、綿密な計画性と彼らが如何に“この手のこと”に熟知していたかをうかがい知ることができよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:☆毎日新聞11月12日付&lt;br /&gt;
::見出し：三班編成でリンチ&lt;br /&gt;
::本文：早大生、川口大三郎君（20）リンチ殺人事件の元富士署捜査本部は11日夜までにリンチに加わった「革マル派防衛隊」約20人は“身柄拘束”“リンチ”“死体処理”の3班を編成して行動していたことをつきとめた。（中略）身柄拘束班は同文学部三年、G（24）ら4人で（中略）自己批判を迫るねらいで、8日、文学部校庭でGが川口君を呼びとめ、他の3人が前から引っ張って127番教室に連れ込んだ。つぎにK（24）らリンチ班10数人が、イスに川口君をしばりつけたうえ鉄パイプ、角材などでなぐった。その間、身柄拘束班のGらは一般学生に犯行を気づかれないよう、教室入口で見張りをしていた。ところが、川口君が仮死状態になったので、そのころ同構内で開催中の米軍戦車輸送阻止集会に参加していたA（19）ら3人で新たに処理班を編成した。このためAらは当初の予定の同夜の相模原闘争には参加せず、G、Kら身柄拘束、リンチ班のメンバーが横浜市内のノースピア入口の集会に加わった。Aらは川口君の死がはっきりしたため、同派の茶色っぽい乗用車（註：車種等に関しては73年12月21日読売記事を参照）で、都内のアジトに連れて行き、遺体を裸にして傷跡をふいたあと、パジャマと真新しいパンツをはかせ東大付属病院前で捨てた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:11月11日（土）&lt;br /&gt;
::馬場素明は2回目の記者会見を行って革マル派全学連委員長を辞任する旨を発表するが、同時に、殺害犯を「絶対に権力側には渡さない」と強調した。同様に、田中敏夫全学中央自治会（兼一文自治会）委員長も毎日新聞の取材に応じて「権力との闘いに敗れたことになり、自己批判した意味がなくなるので、犯人を自首させることは考えていない」と断言した（11月22日付朝刊にインタビュー記事掲載）。&lt;br /&gt;
::11月23日付朝日新聞では、革共同革マル派学生組織委員会の責任者で最高幹部の一人、土門肇こと根本仁がインタビューに答えて「言うことをきかない子どものおしりをたたいて誤りをさとらせるのと同じだ」と暴力行使の不可避を述べている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::【補足】いずれも、彼らの言う「党派闘争の論理と倫理」が、革マル派という閉ざされた集団でのみ通用するものでしかないことを示す発言だが、そんな理屈が早稲田大学という空間では普遍的真理としてまかり通る現実に早大生は直面させられた。彼らがどれほど「反スタ」を謳おうとも、そこにはスターリン主義的な、己の正当性を示すために歴史を改竄するというご都合主義が存在し、その組織も彼ら自身もスターリン主義（者）そのものであることを示している。そして、そんな彼らを増長させたのは、彼らの存在を暴力装置として許した大学当局だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1972年11月13日（月）&lt;br /&gt;
::文学部当局による、自治会執行機関の活動停止と自治会室の使用禁止、そして自治会三役処分が行われる。&lt;br /&gt;
::●田中敏夫	　第一文学部自治会委員長	除籍&lt;br /&gt;
::●若林民生	　第二文学部自治会委員長	除籍&lt;br /&gt;
::●大岩圭之介 第一文学部自治会副委員長	停学（無期）&lt;br /&gt;
::●金子賢治	　第二文学部自治会副委員長	停学（無期）&lt;br /&gt;
::●武原光志	　第二文学部自治会副委員長	停学（無期）&lt;br /&gt;
::●佐竹実	　第一文学部自治会書記長	停学（無期）&lt;br /&gt;
::●竹内政行	　第二文学部自治会書記長	復籍を認めず（学費未納で抹籍済）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1972年12月5日（火）&lt;br /&gt;
::友人（2J級友）への暴行などの容疑で阿波崎文雄(25)、村上文男(24)､近藤隆史(24)､武原光志(21)､佐竹実(22)以上5名が指名手配される。自治会室前および「テレ研」部室に押しかけての暴力行為と「記念会堂」裏での傷害の容疑。殺人に直接結びつく証拠が得られなかったため、まずは、事実関係が明らかになった、川口の級友への暴力行為などに絞っての指名手配となり、不法監禁のみに関与した者への逮捕状請求は見送られた。阿波崎が傷害と暴力行為、他の4人は暴力行為の容疑。&lt;br /&gt;
::[指名手配]&lt;br /&gt;
::●阿波崎文雄　一文4年　　　　　　　　　一文自治会会計部長 傷害、暴力行為&lt;br /&gt;
::●村上文男　　元早大生（1971年除籍）  元二文自治会委員長 暴力行為&lt;br /&gt;
::●近藤隆史　　二文4年　　　　　　　　　元二文自治会委員長、全中自中執 暴力行為&lt;br /&gt;
::●武原光志　　二文2年（無期停学中）　　二文自治会副委員長 暴力行為&lt;br /&gt;
::●佐竹実　　　一文3年（無期停学中）　　一文自治会書記長   暴力行為&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::革マル派による証拠隠滅に関しては、阿波崎ら5名の指名手配を報じた12月6日付朝日新聞に「11月9日午後3時過ぎ、殺害現場の早大自治会室から凶器とみられる鉄パイプを運び出す革マル派活動家」とキャプションが付けられた写真が大きく掲載されている。また、12月5日付読売新聞には「逃走中の数人の親元へ友人と名乗る男から『お宅の息子さんは殺人事件とは関係ない。警察がうるさいので安全な場所にかくまっている。心配しないでいてほしい』と電話連絡」があったと記されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1972年12月11日（月）&lt;br /&gt;
::手配中の近藤隆史と武原光志が、第一学生会館から文学部へのデモの途中路上で逮捕される。洗面道具・着替えを入れた風呂敷包みを持っており、計画的に逮捕されたもので妨害もなし。逮捕は革マル組織からの110番通報によるものだった。&lt;br /&gt;
::[逮捕]&lt;br /&gt;
::●近藤隆史&lt;br /&gt;
::●武原光志&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1972年12月13日（水）&lt;br /&gt;
::近藤と武原は完全黙秘のまま東京地検に身柄送検される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1972年12月29日（金）&lt;br /&gt;
::拘置満了日。東京地検は近藤、武原2名を級友への暴力行為で身柄拘置のまま起訴した。2人は黙秘を続けており、1月早々には保釈決定が下りる見通しとなる。&lt;br /&gt;
::[起訴]&lt;br /&gt;
::●近藤隆史	暴力行為&lt;br /&gt;
::●武原光志	暴力行為&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1973年1月28日（日）&lt;br /&gt;
::同じく、手配中の阿波崎、村上、佐竹が、革マル組織からの110番通報により横須賀市の臨海公園「空母ミッドウェー寄港阻止集会」で逮捕される。&lt;br /&gt;
::横須賀署員が駆けつけて任意同行するも、黙秘・指紋採取拒否のため、警視庁公安一課職員が確認して逮捕。近藤、武原の完黙が成功したことで自信を深めたためか、歯ブラシなど身の回り品を持っており、前回と同じく計画的に逮捕されたもの。&lt;br /&gt;
::[逮捕]&lt;br /&gt;
::●阿波崎文雄&lt;br /&gt;
::●村上文男&lt;br /&gt;
::●佐竹実&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1973年2月19日（月）&lt;br /&gt;
::東京地検は阿波崎文雄を傷害罪で、村上文男を暴力行為で起訴（保釈）。&lt;br /&gt;
::佐竹実は「現場には居たが暴行参加を裏付ける証拠が得られなかった」と容疑不十分で不起訴処分。&lt;br /&gt;
::近藤、武原と同じく、阿波崎、村上、佐竹も完全黙秘を続けた。&lt;br /&gt;
::[起訴]&lt;br /&gt;
::●阿波崎文雄 傷害罪&lt;br /&gt;
::●村上文男	暴力行為&lt;br /&gt;
::[不起訴]&lt;br /&gt;
::●佐竹実&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::【補足】警察による自白を狙っての逮捕は失敗に終わった。物証はほとんどなく、級友への暴行容疑による「別件逮捕」も、被疑者たちの完全黙秘により川口大三郎殺害に結び付けることはできなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1973年2月22日(木）&lt;br /&gt;
::田中敏夫(24)収監される。&lt;br /&gt;
::1971年秋に反帝学評との抗争による凶器準備集合罪で逮捕・起訴され懲役8カ月の判決を受けた後控訴していたが、2月14日、高裁で控訴棄却となったため収監された。田中は川口大三郎殺害には関知していないと言っていたが、警視庁公安部は被疑者の一人とみて、新宿区弁天町の自宅を「被疑者不詳、不法監禁、殺人、死体遺棄」の容疑で家宅捜索した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1973年3月28日(水）&lt;br /&gt;
::革マル派全学連前委員長（11月10日に引責辞任）馬場素明(25)を立川署と警視庁公安部は逮捕した。容疑は、3月25日、自衛隊本隊移駐阻止集会の立川市曙町で起きた反帝学評との抗争事件での凶器準備集合罪と暴力行為の疑い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::【補足】田中も馬場も、逮捕の要件は反帝学評との抗争によるもので、国家権力との衝突が理由ではない。ここにも、革マル派の唱えた「戦闘」性というものが対党派に向いており、対国家権力ではなかったことがうかがえる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1973年5月下旬&lt;br /&gt;
::11.8当日リンチ殺害に関与したと推定される田中公郎、若林民生、後藤隆洋、水津則子ら革マル派メンバーの文学部構内への復帰が目撃されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1973年7月6日（金）&lt;br /&gt;
::警視庁公安部は、専修大学生・山代康裕（21）を暴力行為の疑いで逮捕。6月13日20時頃、文学部正門前で2J級友（11月8日当日に川口大三郎を連れ戻そうとして暴行を受け、これまで裁判に証人として出廷してきた）にさらなる暴行を加えた容疑。暴行に加わったのは3名で、矢郷順一（一文）も含まれる。彼らは級友を革マル派が拠点とした第一学生会館がある方向に拉致しようとしたが、幸いにも逃れることができた。しかし、この事件が影響して級友は次の公判を欠席した。&lt;br /&gt;
::[逮捕]&lt;br /&gt;
::●山代康裕	暴力行為&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1973年9月18日（火）&lt;br /&gt;
::田中角栄首相は閣議で「早大リンチ殺人の犯人検挙はまだか」と異例の質問を江崎国家公安委員長に対して行った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1973年10月20日（土）&lt;br /&gt;
::未明、革マル派は全国12箇所で中核派拠点を襲撃する（第2次中核村襲撃）。この際、襲撃側の若林民生（二文自治会元委員長、11/13処分対象者＝除籍）が逮捕、勾留される。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::【補足】ただし、この時点では若林の川口大三郎殺害への関与は判明していない。（1974年4月22日参照）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1973年10月21日（日）&lt;br /&gt;
::国際反戦デーのこの日、川口大三郎監禁致死の容疑で、村上文男(25)、武原光志(23)、佐竹実(23)、以上3名が宮下公園で、阿波崎文雄(26)が自宅にて逮捕される。服役中の田中敏夫(24)にも逮捕状が執行され、翌22日、別件で服役中の横浜刑務所内で逮捕される。&lt;br /&gt;
::級友への暴行で保釈中の近藤隆史(24)元二文委員長以外に、水津則子(23) 一文文化厚生部長、後藤隆洋(25)一文組織部長、矢郷順一(25)、緑川茂樹(22)、他1名、計6名にも逮捕状。&lt;br /&gt;
::東京新聞および産経新聞によれば、別事件で逮捕された革マル派の者の中に川口大三郎殺害に関する供述をした者がいて、逮捕・指名手配に結びついたという。&lt;br /&gt;
::[逮捕]&lt;br /&gt;
::●村上文男	監禁致死&lt;br /&gt;
::●武原光志	監禁致死&lt;br /&gt;
::●佐竹実	監禁致死&lt;br /&gt;
::●田中敏夫	監禁致死&lt;br /&gt;
::[逮捕状]&lt;br /&gt;
::●近藤隆史	監禁致死&lt;br /&gt;
::●水津則子	監禁致死&lt;br /&gt;
::●後藤隆洋	監禁致死&lt;br /&gt;
::●矢郷順一	監禁致死&lt;br /&gt;
::●緑川茂樹	監禁致死&lt;br /&gt;
::●他1名	監禁致死&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1973年10月31日（水）&lt;br /&gt;
::近藤、後藤、水津、矢郷が公開指名手配される。&lt;br /&gt;
::[指名手配]&lt;br /&gt;
::●近藤隆史	監禁致死&lt;br /&gt;
::●水津則子	監禁致死&lt;br /&gt;
::●後藤隆洋	監禁致死&lt;br /&gt;
::●矢郷順一	監禁致死&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1973年11月8日（木）&lt;br /&gt;
::川口大三郎虐殺一周忌。拘留期限を目前にして田中と佐竹が自供を始める。取り調べは苛烈で、川口大三郎の撲殺遺体のカラー写真を眼前に突き付けて自白を迫ったと言われる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1973年11月11日（日）&lt;br /&gt;
::村上文男、武原光志、佐竹実、阿波崎文雄の4人が川口大三郎への監禁致死で起訴される。&lt;br /&gt;
::田中敏夫は、犯行への参加や指示・命令した証拠がないため処分保留になったが「一人の命を奪ってしまったことを一生かけて償っていく。二度と学生運動はしない」と転向表明をした。&lt;br /&gt;
::佐竹は自己批判書を取調官に提出。リンチの模様について絵をかいて説明するなど詳しく自供したが、遺体の運搬については「自分は関係しなかった」と言っている。&lt;br /&gt;
::[起訴]&lt;br /&gt;
::●村上文男	監禁致死&lt;br /&gt;
::●武原光志	監禁致死&lt;br /&gt;
::●佐竹実	監禁致死&lt;br /&gt;
::●阿波崎文雄 監禁致死&lt;br /&gt;
::[処分保留]&lt;br /&gt;
::●田中敏夫&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::【佐竹実　自己批判書】※&lt;br /&gt;
::川口君を死に追いやった本人として、そして当時一文自治会の書記長をやっていた責任ある者として、私が完黙（註．完全黙秘）をやめ、私の社会的責任を明らかにする心境になったのは、以下の理由によるものです。&lt;br /&gt;
::それは彼の死に直接関係した私が、自己の社会的責任を明らかにすることによって、故川口君の冥福を心から祈ると同時に、川口君のお母さんに深く謝罪したいと考えたからです。さらに、現在の党派関係の異常性とそこにおける暴力的衝突を見るにつけ、かかる現状を深く憂い、二度とこのような不幸な事態がおこらないよう強く切望しているためでもあります。&lt;br /&gt;
::私は川口君の問題を真剣に考えている全ての人々に次のことを強く訴えたいのです。&lt;br /&gt;
::現段階の党派関係は明らかに異常といえます。このような現状の中で、党派闘争に暴力を持ち込むことに関して、真剣に慎重に再検討して欲しいのです。暴力の行使に際限はありません。そしてその結果は予測をはるかに越えるものがあります。&lt;br /&gt;
::現に私は川口君を死に追いやろうなどとは、もちろん夢にも考えていませんでした。しかし結果はあまりにも悲惨なものでした。私は、私と同世代の人間的にも未熟な若い人々が暴力を行使することになれてしまうことが最も恐ろしいのです。傷つけ、傷つけられることを厭わない人間になることが真の勇気ではないと思います。人間の生の尊厳なくして人間の解放はないはずです。今こそ、この原点に立ち帰るべきです。&lt;br /&gt;
::確かに、現在の党派関係と党派闘争を正常に戻すことは非常に困難なことでしょう。容易にできる問題ではないと思います。それには大きな努力が必要でしょう。しかし誰かがやらなければなりません。私はそのことを、川口君の問題を真剣に考えている全ての人々にやり遂げて欲しいのです。私の犯したような重大な過ちが再びおこらないことを強く切望するからです。社会の矛盾を変革するために自己犠牲的な活動を展開している人々が、お互いを傷つけあうことほど不幸なことはないと考えるからです。&lt;br /&gt;
::現在、私は川口君という将来ある一人の青年を死に追いやってしまった自己の人間的未熟を痛切に反省し、あわせて川口君の霊が安らかならんことを祈っています。&lt;br /&gt;
::川口君、そして川口君のお母さん、ほんとうにすみませんでした。&lt;br /&gt;
:::　　昭和48年11月9日　　　　佐竹実　　母印&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:::※三一書房『内ゲバ』より引用。一部を修正。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::【補足】党派抗争での暴力を根絶したいという佐竹の願いは叶うことはなかった。革マル派は「公安当局の弾圧のもとで、暴力一切を否定するというブルジョア的人間観を注入されこれを粉砕し得ず、そうすることによって裏切り者となった」（『共産主義者』32号、木曾淳士こと黒田寛一）としか反応しなかった。彼らの佐竹への対応は後記の74年6月28日付読売新聞記事を参照されたい。また、これ以降20世紀末までに、党派抗争による死者が100名を超えたという厳然たる事実がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1973年11月12日（月）&lt;br /&gt;
::警視庁公安部は村上文男、武原光志、若林民生を暴力行為と傷害の疑いで再逮捕する。容疑は1972年10月17日21:00、早大文学部34号館253教室に早大社会科学部3年A君（21）を連れ込み「おまえも共青（日本共産主義青年同盟）だろう。自己批判しろ」と言って、殴る傘で突くなどして15日間のケガをさせたというもの。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1973年12月16日（日）&lt;br /&gt;
::佐竹の自供などから、警視庁公安部は、小石中也（22）（一文）ら6名を監禁致死容疑で全国に指名手配した（指名手配者は計12名に）。&lt;br /&gt;
::[指名手配]&lt;br /&gt;
::●小石中也（一文）ら6名 監禁致死&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1973年12月21日（金）&lt;br /&gt;
::拉致・殺害当日の深夜に目撃された、遺体の搬送に使われたと思われるオレンジ色の自動車は、革マル派活動家が所有する46年式のマツダ・ロータリークーペと特定された。（読売新聞12月21日付夕刊）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1974年1月29日（火）&lt;br /&gt;
::警視庁特捜本部は、監禁致死容疑でさらに4名を公開指名手配した（毎日新聞）。&lt;br /&gt;
::[指名手配]&lt;br /&gt;
::●内堀真也	監禁致死&lt;br /&gt;
::●田中公郎	監禁致死&lt;br /&gt;
::●桶谷成行	監禁致死&lt;br /&gt;
::●柘植隆治	監禁致死&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1974年3月19日&lt;br /&gt;
::東京地裁荻原昌三郎裁判長は2J級友への暴行事件で、阿波崎文雄に懲役1年、村上文男に懲役10ヵ月、武原光志に懲役8ヵ月（求刑：各懲役1年）の判決を下し、3名は控訴した。公判では、傍聴席を他大学生と思われる革マル多数が占拠し、刺すような目つきで証言する被害者を睨んだという。堪らずに級友の一人は、加害者の特定をする際に「知りません。忘れました」と証言した。なお、近藤隆史は公判に出廷せず、逃亡を続けている。&lt;br /&gt;
::[判決]&lt;br /&gt;
::●阿波崎文雄 懲役1年&lt;br /&gt;
::●村上文男	懲役10ヵ月&lt;br /&gt;
::●武原光志	懲役8ヵ月&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1974年4月22日（月）&lt;br /&gt;
::警視庁公安部は若林民生（27）二文自治会元委員長を川口大三郎への逮捕監禁、傷害致死の疑いにより東京拘置所内で逮捕した。&lt;br /&gt;
::また同容疑で、池松恒美（23）一文自治会元情宣部長、緑川茂樹（23）一文自治会元常任委員、新井直樹（27）元日大文理学部生の3名を指名手配した。（なお、緑川には前年10月21日に逮捕状が執行されている）&lt;br /&gt;
::5月10日、若林は監禁致死罪で起訴される。&lt;br /&gt;
::[逮捕・起訴]&lt;br /&gt;
::●若林民生	逮捕監禁 傷害致死&lt;br /&gt;
::[指名手配]&lt;br /&gt;
::●池松恒美	逮捕監禁 傷害致死&lt;br /&gt;
::●緑川茂樹	逮捕監禁 傷害致死&lt;br /&gt;
::●新井直樹	逮捕監禁 傷害致死&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1974年5月13日（火）&lt;br /&gt;
::馬場素明は、革マル派非公然軍事組織「特別行動隊」を率いて法政大学前に中核派を急襲し、前迫勝士（革共同東京東部地区委員長）を殺害する。指名手配されるも4年後の1978年5月18日現在、逃亡中（その後については不明）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::【補足】かつての革マル派全学連委員長も、出身母体が起こした事件の責任を取らされて汚れ役を押しつけられたのか。あるいは、もし自ら志願しての行動だったとしたら、彼にとって1972年11月18日文学部181教室での「暴力非行使」確約書への署名はどんな意味を持っていたのだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1974年6月28日（金）&lt;br /&gt;
::佐竹実、懲役7年を求刑される。妨害を避けるため裁判は極秘とされたが、佐竹の“転向”に対する革マル派の反応は厳しいものだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::☆読売新聞6月28日付夕刊&lt;br /&gt;
::見出し：川口大三郎リンチ殺人“極秘公判”で求刑&lt;br /&gt;
::　　　　注目の佐竹七年　転向声明の“報復”恐れ&lt;br /&gt;
::本文：（前略）監禁、傷害致死、傷害罪に問われた早大第一文学部自治会書記長、佐竹実（23）の論告求刑公判（第3回公判）が28日、東京地裁刑事13部（石田穣一裁判長）で開かれ、検察側から懲役7年の求刑があった。ところが、この日、公判が開かれたことは外部には一切秘密。佐竹が革マル派から転向したためで、佐竹自身も、同派の報復を恐れ「自分はどうなってもいい。家族にだけは危害を加えないでほしい」と訴えているという。&lt;br /&gt;
::この事件は犯行現場が“密室”状態の教室だったため、捜査が難航。事件から約1年後の昨年10月になって、警視庁に逮捕された佐竹が転向を表明、その供述からようやく事件の全容が解明され、佐竹ら5名が起訴に持ち込まれた。&lt;br /&gt;
::佐竹は、この時、「川口大三郎のめい福を祈るとともに、川口大三郎のお母さんに深く謝罪したい。暴力の行使には際限がなく、その結果は予測をはるかに越える」と内ゲバ横行を憎む自己批判書を書き、裁判も一人だけ分離を希望して、初公判から起訴事実をほぼ全面的に認めた。&lt;br /&gt;
::しかし、革マル派から見れば、佐竹は裏切り者。山形県の親元や佐竹の弁護を受け持った大山秀雄弁護士のもとにはいやがらせの電話が続いた。このため、裁判所側も佐竹の安全を考え、公判期日や使用法廷は報道関係者にも“完全黙秘”という気のつかいよう。万一に備えて法廷の看守を増やし、本来なら法廷で当事者と打ち合わせて決める次回期日も「追って措定」に切り替えたほか、両親など情状証人4人の尋問も公判期日外に非公開で行った。&lt;br /&gt;
::それでもさる3月の初公判の時には、どこで察知したか、東京拘置所から佐竹を乗せた護送車が東京地裁に着くと、学生風の男が3人つきまとい、法廷にも10数人が現れ、被告席の佐竹をヤジリ倒した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1974年７月31日(水）&lt;br /&gt;
::起訴された革マル派5被告の内ただ一人分離裁判を受けていた佐竹実(23)に対し、東京地裁刑事13部で石田穣一裁判長は、監禁・傷害致死傷害罪で懲役5年（求刑：同7年）を言い渡した。判決文は大学当局の責任にも触れており、各紙も見出しに「早大の責任も指摘」（毎日新聞）、「大学の事なかれ主義もしかる」（読売新聞）とそれぞれ記している。&lt;br /&gt;
::[判決]&lt;br /&gt;
::●佐竹実 監禁・傷害致死 懲役5年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::☆朝日新聞7月31日付夕刊&lt;br /&gt;
::「本件は被害者を中核派と思いこみ、一方的に大勢で暴行の限りをつくしたせい惨なリンチであり、暴力にマヒした革マル派の組織的な犯行というべきだ。いわば、起こるべくして起こった事件で、単なる偶発的な犯行とみることはできない。しかし、被告はその後、心境に変化をきたし、捜査当局に犯行を自供するとともに革マル派と手を切り、続発する内ゲバに歯止めをかけたいとの気持になっていること、大学当局が事後に適切な措置をとっていれば、被害者の死は防げたと思われること、など情状を考慮して懲役5年の刑を決めた。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::☆毎日新聞7月31日付夕刊&lt;br /&gt;
::「川口君が中核派に関係していないのに、関係していると誤認し密室に監禁し、自分の思いどおりの返答がえられないとみるや、川口君の弁解には一切耳を傾けず、大勢で暴行し死に至らしめたものである。これは討論に名を借りたリンチにほかならなかった。川口君には落度はなく学内で起こったこの事件は戦りつを感じさせる。」しかし「被告は現在、暴力行為を反省し革マル派から離脱した。内ゲバ事件に歯止めをかけたいとし川口君事件の全容を捜査当局に供述した。川口君事件にも積極的に関与したのでなく幹部の指示に従ったものだ。」「大学当局が適切な措置をしていれば川口君の死という事態は防げたのではないか。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::☆読売新聞7月31日付夕刊&lt;br /&gt;
::「暴力にマヒし切った革マル派の組織的犯罪であり、自派を絶対視して反対勢力に対しては、暴力に訴えていくかぎり起こるべくして起こった事件といえる。」「事件を早くから察知していた大学当局が適切な措置をとっていれば、川口君の死は防げたかもしれない。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1975年2月12日(水）&lt;br /&gt;
::金子賢治（二文元副委員長、11.13三役被処分者）を原宿署は殺人未遂、凶器準備集合罪などで再逮捕する。1973年11月26日、渋谷区代々木で中核派活動家とその妻を5人で鉄パイプ襲撃し、1カ月の重傷を負わせて逃げた疑い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1975年2月19日(水）&lt;br /&gt;
::東京高裁刑事4部で佐竹実の控訴審判決。寺尾正二裁判長は控訴を棄却。刑が確定した。&lt;br /&gt;
::同刑事2部で阿波崎、村上、武原の川口大三郎級友への暴力事件控訴審判決。横川敏雄裁判長はそれぞれを減刑に処した。&lt;br /&gt;
::[判決]&lt;br /&gt;
::●阿波崎文雄 懲役8ヵ月&lt;br /&gt;
::●村上文男	懲役6ヵ月&lt;br /&gt;
::●武原光志	懲役6ヵ月&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1976年3月19日（金）&lt;br /&gt;
::川口大三郎への監禁、傷害致死などの罪に問われていた早大第一・第二文学部自治会元幹部4名に対する判決公判が東京地裁刑事10部で開かれ、佐々木史朗裁判長は以下の判決を言い渡した。&lt;br /&gt;
::元二文自治会委員長・村上文男(27)に懲役8年（求刑：懲役10年）、同・若林民生(28)に懲役6年（求刑：懲役8年）、元同自治会副委員長・武原光志(25)には監禁と傷害致死幇助で懲役3年6ヵ月（求刑：懲役5年）、元一文自治会会計部長・阿波崎文雄(28)に監禁罪（傷害致死を除く）で懲役2年（求刑：懲役5年）。武原、阿波崎は川口大三郎殺害には直接関与せずと判断された。また、村上、若林、武原には72年10月17日の共青学生への暴行が併審されたが、いずれも控訴した。&lt;br /&gt;
::[判決]&lt;br /&gt;
::●村上文男	懲役8年&lt;br /&gt;
::●若林民生	懲役6年&lt;br /&gt;
::●武原光志	懲役3年6ヵ月&lt;br /&gt;
::●阿波崎文雄 懲役2年&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:◆それから後の事件関係者の動向。&lt;br /&gt;
::【村上文男】&lt;br /&gt;
::『梯明秀との対決』（1979年7月1日、こぶし書房）を刊行する。革マル組織から“一部の未熟な仲間”と切り捨てられた当事者の村上文男の弁明。府中刑務所内での心情を綴った「あとがきにかえて」部分にも川口大三郎殺害への反省の記述はない。黒田寛一は『共産主義者』23号で “未熟な部分”を「同時に指導部の未熟性の一表現でもある」と擁護した。殺害の直後には組織から“未熟”と否定された者が、こぶし書房から著書を刊行できたのは、これが理由ではないだろうか。つまり、川口大三郎リンチ殺人は決して未熟な“部分”が引き起こしたものではなく、革マル派という組織そのものによる犯罪だったということだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::【竹内政行】&lt;br /&gt;
::1998年1月7日、非公然アジト「豊玉アジト」が摘発され、「神戸連続児童殺傷（酒鬼薔薇聖斗）事件」に関して検事調書を盗んだ事件他で革マル派活動家1名逮捕、17名が指名手配された中に竹内政行（元二文書記長で11.13被処分者）が含まれる。彼は2005年11月30日、警視庁に出頭し、窃盗と建造物侵入容疑で逮捕される。&lt;br /&gt;
::桶谷成行もこの事件に関与したようで、2004年に裁判にかけられた記録が残されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::【水津則子】&lt;br /&gt;
::2000年2月8日、水津則子（49）は他4名とともに警察無線傍受の疑いで指名手配される。「浦安アジト」で警視庁無線を傍受し、交信内容を練馬アジトに通報していた疑い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::【大岩圭之介】&lt;br /&gt;
::第一文学部自治会副委員長として11.13に無期停学の処分を受けるも、革マル派として活動を継続。その後は海外に逃亡し、帰国して「辻 信一」の名前で表現活動を続けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:◆川口大三郎虐殺に関与したとして指名手配・逮捕・起訴された者の氏名&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::判例：×は実刑&lt;br /&gt;
::　　　△は指名手配（逮捕状執行）されるも逃亡&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::×　村上文男	二文&lt;br /&gt;
::×　若林民生	二文 （11.13三役被処分者）&lt;br /&gt;
::×　佐竹実	一文　（11.13三役被処分者）&lt;br /&gt;
::×　武原光志	二文 （11.13三役被処分者）&lt;br /&gt;
::×　阿波崎文雄	一文&lt;br /&gt;
::処分保留　田中敏夫	一文 （11.13三役被処分者）&lt;br /&gt;
::△　近藤隆史	二文&lt;br /&gt;
::△　後藤隆洋	一文&lt;br /&gt;
::△　池松恒美	一文&lt;br /&gt;
::△　緑川茂樹	一文&lt;br /&gt;
::△　矢郷順一	一文&lt;br /&gt;
::△　水津則子	一文&lt;br /&gt;
::△　田中公郎	一文&lt;br /&gt;
::△　小石中也	一文&lt;br /&gt;
::△　桶谷成行	法&lt;br /&gt;
::△　内堀真也	政経&lt;br /&gt;
::△　新井直樹	日大&lt;br /&gt;
::△　柘植隆治	明学&lt;br /&gt;
::△（氏名不明4or5名）&lt;br /&gt;
::以上、直接関与した者としてわかっているのは22もしくは23名。うち逮捕・起訴・判決・収監された者は5名のみ。他の動向は不明。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::【補足1】以上が「事件」に関与した全員とは思われない。佐竹の供述には、遺体の処理・運搬に携わった者の氏名は含まれていない。上掲の20数名の以外にも、拉致から遺体破棄までには、革マル派上部団体の幹部等が関わっていたことは想像に難くない。なお、黒田寛一は、1996年10月に革共同（革マル派）議長を辞任し、2006年に死去した（享年78）。&lt;br /&gt;
::2015年に刊行された『革マル派五十年の軌跡（第2巻）』には「総決起集会の会場に結集しつつある過程で川口大三郎君のスパイ活動が摘発されたのであった。彼は中核派学生活動家の一人として一貫して中核派の活動を現実に担い、また当日は総決起集会の周辺において結集過程のスパイ行為をおこなっていたのである」と中央学生組織委員会による1972年11月11日付とされる文章を引用し、川口大三郎スパイ説を喧伝し続けている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::【補足2】川口大三郎が中核派のスパイだったとする革マルの主張は、党派闘争という文脈で語ることによって、死に至る拉致監禁を正当化するために後から貼られたレッテルである。川口は72年4月以降、ごく短期間早稲田の中核派フラクションで行われていた学習会に参加していたが、夏には連絡を拒否していたという。72年11月当時、川口が中核派と繋がりがなかったことは、家族や級友、そして中核派フラクションの責任者によって証言されている。また、後日の事実確認によって、11.8当日に関する革マルの主張が時間的に矛盾することが明らかになっている。&lt;br /&gt;
::それにも関わらず、11.8以降中核派は、機関紙「前進」で「川口君はこの春以降、わが全学連の戦列で一貫して戦闘的に闘い抜いてきた」（1972年11月20日付第610号）と、川口の死を自派の党利党略に利用した。革マルもまた「川口君の死を深く反省し、直ちに自己批判したわれわれこそ追悼の資格がある」と一周忌に声明を出すなど、川口の死を他党派排除の口実にすることをためらわなかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::【補足3】その後、党派間抗争、とくに革マルと中核の勢力争いは熾烈を極め殺し合いの様を呈するようになる。学生運動史などでは、川口の死を抗争の一人目の犠牲者として位置づけており、あたかも川口が党派に属していたがゆえに殺されたと言わんばかりの記載もある。しかし実際は、革マルが早稲田大学内での支配強化を図る過程で、ノンポリながらクラス討論などで目立つ言動の多い川口に目をつけ、計画的に拉致し暴行することによって脅し、活動を抑制しようとして死に至らしめたのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
::【補足4】川口が早稲田の中核派フラクションに顔を見せていた当時、同じく一文ロシア語クラスの1年生がフラクションに参加していた。革マル系文連傘下の「漫画研究会」に属していたこの人物は、後に革マル派のスパイであったことが中核派によって明らかになった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:◆その後の大学当局と革マル&lt;br /&gt;
::革マルの利益のためばかりでなく、大学当局にとっては学園の“正常化”を装うために強行された1973年の第20回「早稲田祭」だったが、その後も「早稲田祭実行委員会」を隠れ蓑にした革マルによって1996年の第43回まで継続した。しかしながら、学生はもちろんのこと教職員であっても入場券代わりのパンフレットを購入しない限り期間中はキャンパスに入れないという異常事態を招いた革マルの横暴ぶりを、さすがに大学当局も看過できなくなったようで、不正経理を理由に1997年以降、早稲田祭は中止となった。この時、当局が持ち出したのが1973年に締結された『早稲田祭実施にあたっての五原則』だった。&lt;br /&gt;
::また、1995年には「商学部自治会」を非公認とし、1998年には「文連（文化団体連合会）」常任委員会への便宜供与を中止。1999年には「早稲田大学新聞会」の大学公認サークルとしての承認を取り消し、2000年には文連加盟サークルへの補助金（1サークル当たり年間35万円）の支給を中止した。さらに2005年3月になって、社会科学部自治会の公認および便宜供与を廃止した。&lt;br /&gt;
::早稲田祭および文連への利益供与や商学部・社会科学部の自治会費名目によって、90年代には年間2億円もの金が大学から革マルに流れていたとのことだが、ようやく革マルとの腐れ縁が切れたのは、実に川口大三郎の死から31年4ヵ月の時が経過した後のことだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:◆総長と11.8&lt;br /&gt;
::「俺は早稲田が好きだ」と言っていた川口大三郎が早稲田に入学した時の総長は、第10代に当たる村井資長だった。村井は、第一早稲田高等学院を経て早稲田大学理工学部応用化学科を卒業。修士課程、博士課程を修了してのち、助手、専任講師、助教授を経て1954年教授に就任。学部長、教務部長、常任理事を歴任後1970年から1978年に第10代総長を務めた。総長としては、早稲田大学100周年記念事業として、新キャンパス造成、新学部設置計画を推進した。&lt;br /&gt;
::1998年、村井は自伝ともいえる『早稲田の杜は生きている――村井資長の証言』を出版した。その中で学生運動について「強い同志的結束を持つ学生集団間で仇敵のように憎しみあい、傷つけあうことは断じて許されることではありません。ガンジーの〈霊の力、真理の力に立つ非暴力、不服従〉こそ大学に相応しい学生運動の一つの指針ではないでしょうか」という記述のあと次のように続けている。「ところが、昭和47年（1972）年11月、文学部の学生、川口大三郎君がセクト間抗争の巻き添えにあって、学内で虐殺されるという事件が起きた。これを機に各学部の自治会再建運動が沸き起こり、学内は再び紛争の嵐の中にたたきこまれたのである。講義中の私が、突然教室に入ってきた黒ヘルの集団に拉致され、断交を要求されるということもあった。私は、学生たちと対決する姿勢では問題は少しも解決しないことに確信を持っていたので、できる限り話し合おうとした。学生たちが、自らの学内の平静を求めた結果、川口君事件に端を発した学内の嵐は、翌年秋には静かになったのである。この頃の教授会、学部長会はいつもまるで眠っているようなものであった。何を提案しても賛成もしなければ、反対もしない。長い紛争に学内全体が疲れ切っていたのだ。」&lt;br /&gt;
::その後村井は、大隈講堂での統一協会会長の久保木修己による講演会を許したり（1974年11月）、「川口記念セミナーハウス」建設をめぐって自らの所有する土地の提供を申し出るなど早大原理研究会と親密な関わりを持ったが、やがて決別して1978年に「原理運動を憂慮する会」を結成し、その世話人となった。同年発行の『週刊ポスト』の記事に関して統一協会から名誉毀損で訴えられたが、1986年の一審で原告（統一協会）の請求が棄却されるも1988年に二審で和解。1992年は『週刊文春』掲載の手記で再び訴えられて8年の裁判を経て和解した。なお、この和解については統一協会側の資料に依っており実態は不明である。2006年没（享年96歳）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:参考資料：&lt;br /&gt;
::◎各紙縮刷版、国会図書館所蔵マイクロフィルム&lt;br /&gt;
::◎『内ゲバ』滝川洋、磯村淳夫 共著 三一書房1975年刊&lt;br /&gt;
::◎『警察白書』各年度版&lt;br /&gt;
::※指名手配等の日時は新聞によって異なる場合がある。&lt;/div&gt;</summary>
		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

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		<summary type="html">&lt;p&gt;Ad19721107: &lt;/p&gt;
&lt;hr /&gt;
&lt;div&gt;&amp;lt;strong&amp;gt;[http://www.19721108.net/ 19721108.net]&amp;lt;/strong&amp;gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
== 川口大三郎が逝ったあの日、あなたはどこにいたか==&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:1972年1972年11月８日木曜日午後、早稲田大学第一文学部２年Ｊ組川口大三郎君が自治会室に拉致監禁され、翌朝、東大病院構内で死体となって発見された。そして９日以降、川口君の真相を究明し、自治会を僭称する党派を糾弾する声が全学であがり、真の学生自治確立をめざして早大解放闘争が巻き起こった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
:どのような情況が川口君を死に至らしめたのか、そして何故に早大解放闘争は解体せざるを得なかったのか…このサイトは、当時の報道、ビラ、証言によってその真実を明らかにする試みである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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[[川口大三郎リンチ殺害事件の全貌]]&lt;br /&gt;
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[[1972年11月8日以前]]&lt;br /&gt;
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[[1972年11月]]&lt;br /&gt;
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		<author><name>Ad19721107</name></author>	</entry>

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